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落書き帳

へび

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[77004]2010年12月10日
hmt
[77010]2010年12月11日
oki
[77015]2010年12月11日
hmt
[77020]2010年12月12日
oki
[77021]2010年12月12日
伊豆之国
[77022]2010年12月12日
inakanomozart
[77023]2010年12月12日
hmt
[77024]2010年12月12日
Issie
[77025]2010年12月12日
ぺとぺと

[77004] 2010年 12月 10日(金)13:42:10hmt さん
「蛇窪」という地名
昨夜のテレビ東京「空から日本を見てみよう」は、東急大井町線でしたが、大井町を出て次の駅の「下神明駅」で紹介されていたのが、別々の鉄道会社による三重立体交差でした。

三重立体交差は、地上が JR東日本。その上を高架線で直交するのが 東京急行の大井町線。更に上が JR東海の東海道新幹線。
大井町を地下駅で出た「りんかい線」は、少し手前で北に曲がっているので、地下を含めても 4社四重 にはなっていません。

この話を持ち出したのは、「トライアングル」に関して、この地が 落書き帳で 取り上げられたことがあるからです。

[49640] オーナー グリグリさん
こちらは ひねり の入った三角。
[49652] デスクトップ鉄 さん
最後尾に展望車を連結していた、客車列車時代の特急「つばめ」と「はと」が方向転換していた場所です。
東急大井町線の下神明駅近くの、現在の横須賀線と湘南新宿ラインが分岐しているところが旧蛇窪信号場
[49796] hmt
「ひねりの入った三角」[49640]として例示された目黒川・蛇窪・大崎デルタ線 [49652]も、現在は横須賀線(1980)と湘南新宿ライン(2001)の旅客線になっていますが、元々は1929年にできた品鶴貨物線に大崎支線が加わり(1934)、変形トライアングルになった貨物線です。

「空から…」ではよく見えない1層目の JR在来線ですが、3本の貨物複線【現在は旅客線化】が、すべて平面分岐によって トライアングルを形成している、珍しい場所です。

その一角をなす「旧蛇窪信号場」。
東京府荏原郡上蛇窪村と下蛇窪村とは、1889年の町村制で 中延村・戸越村・小山村などと合併して 平塚村になり、これが荏原町を経て 1932年に 東京市に編入されました。

おそらく目黒川水系の蛇行する窪地に由来する「蛇窪」の地名は、郡部時代は大字として残っていましたが、東京市編入を機会に改称され、東京市荏原区上神明町と下神明町とになりました。

エデンの園以来嫌われ者の「蛇」が使われた地名は、行政が使う公式の町名からは消されてしまいました。

省線の品鶴貨物線に、大崎支線が作られた1934年はその直後ですが、分岐点の信号場には「蛇窪」の名が使われました(計画段階から決まっていた?)。おかげで、私のような鉄道路線ファンの記憶に残る地名として生き延びた次第です。
なお、1927年の目黒蒲田電鉄大井町線開業時には、大字名由来の蛇窪駅がありました。行政地名から消された後の1936年に戸越公園駅に改称。

「蛇窪」という地名が消滅する過程で、地名の保存とは何かを考える

「蛇」から離れれば、荻窪・柳窪・恋ヶ窪など「窪」の付く地名は、東京近郊にも多数あります。
大久保のように異字を用いたものは更に多数。
[77010] 2010年 12月 11日(土)03:17:09oki さん
よしなしごと
今日(もはや昨日ですが)、奈良県まで出張に行ったのですが、途中、新幹線で多摩川を渡っているときに、「考えたら大きな川をたくさん越えるな」と思い、渡った大河を順に書き連ねると次のようになりました。
荒川、隅田川(渡ったのではなく、くぐったのですが)、多摩川、相模川、酒匂川、富士川、安倍川、大井川、天竜川、浜名湖(番外)、矢作川、木曽川、長良川、揖斐川、瀬田川、桂川、淀川、大和川、木津川。そのほか、中小河川、水路等は数知れず。
ま、だからどうだと言うことは別になく、川がたくさんあって、そのそばに街ができているのを再確認しただけですが。

川に注意しながら窓外を眺めていると、琵琶湖の東側で次のような看板を目にしました。
「愛荘町 ここはどこの県?」
いったい何のことかいな、と思っったのですが、しばらくして「愛知中学校」、「愛知高校」の大きな看板と、それぞれに添えられた「えち」という読仮名を見て納得しました。看板の「愛荘町」はもともと「愛知川町」だったのでしょう。確かに、滋賀県民(とここの常連)以外で、愛知高校を「えちこうこう」と読んでくれる人はほとんどいないでしょうからね(古いグーグルマップを見ていると、「愛知川図書館」に「Aichigawa Library」という英語の読みが当てられていました)。

渡った川を見れば分かるように、新幹線で新大阪まで行き、大和路快速で奈良県に入ったのですが、大阪(梅田の方がしっくりくるが)から乗ったので環状線の海側を半周して天王寺から関西本線を経由しています。途中、西九条の駅に停車したとき、反対側の車線に極彩色の電車が停まっていて、「なんじゃこれは」と思っていると、桜島線(いまは「ゆめ咲線」と呼ぶようです)を走るUSJ行きの電車でした。ディズニーリゾート線の、いかにも「リゾートムード盛り上げ」という列車はあまり好きではないのですが、USJ電車の派手というよりケバさには「ついていけんな」という感覚を持ちました。
で、西九条を出てしばらく進むと、大阪市立の「咲くやこの花中学・高校」という看板が。発想は分かるのですが、東京都が「いざ言問わん高校」をつくるかというと、大江戸線を命名した「あの」都知事でもそこまではやらないでしょう。
私はもともと、文化的には関西の影響下で育った人間で、いわゆる大阪的な発想や言動にはあまり違和感を感じないのですが、上の2件には「ついていけんな」という感想です。東京生活が長くなって、知らず知らずのうちに感性が染められているのかしらん。

しばらく前に、朝日放送の人気番組である「探偵ナイトスクープ」を東京MXで見ていたときに、奈良県に住んでいて堺市に通っている人が、電車を使うより大和川を舟で下るほうが早いのではないかと考え、実行してみたというネタがありました。確かゴムボートを使って川下りに挑んだと思いますが、川の水深が浅すぎて至るところで座礁し、容易に前進できず、結局職場に着いたのは夕方だった、とうオチだった思います。今日、阪奈県境の地峡部で大和川の流れを観察していたところでは、確かに水深は非常に浅く、とても舟で下れそうにないということを改めて確認しました。

ということで、東京から奈良県王寺に着くまで、まったく退屈することなく過ごすことができました。こういうとき、地理好きというのは得ですね(単なる暇人という声もあろうが)。


川の話のついでに。
[77004] hmt さん
おそらく目黒川水系の蛇行する窪地に由来する「蛇窪」の地名は
蛇窪が位置していたのは、目黒川ではなく立会川の谷だと思います。立会川は、かつての碑文谷村当たりに源流があり、上下蛇窪村の南を東流、現在の大井町駅のあたりで流路を南に転じて現在のように立会川駅の東側で海に注いでいたようです。
また、「窪」の地名は平地にできた窪地ではなく、両側の尾根から見て低くなっているところ、つまり谷地を意味するのではないかと思います。明治42年側図の2万分の一地形図を見ると、上蛇窪と下蛇窪の間には、立会川から北に伸びる谷地があり、その最奥部に当たる現在の戸越公園駅の近辺には、「谷戸」という小字があります。おそらく、蛇「窪」とはこの谷戸地形を表す地名だろうと思います。

ところで、この種の調べ物をするのに格好のツールに「今昔マップ」があります。その名の通り、首都圏、中京圏、関西圏の3地域について、明治(または大正)時代から現在までの地形図を閲覧できるようにした優れものです。簡易GIS「MANDARA」を開発した埼玉大学の谷謙二氏の作品で、こちらからDLできます。地図イメージの多くはネット上からDLするようになっているので、データを揃えるまでに少し時間がかかりますが、すべて完備すると非常に使いでがあります。
もしご存じでなければ、試してみてください。
[77015] 2010年 12月 11日(土)14:57:49【1】hmt さん
「蛇窪」という地名(2)
[77010] oki さん
蛇窪が位置していたのは、目黒川ではなく立会川の谷だと思います。

鉄道の旧蛇窪信号場を念頭に、目黒川水系と書いてしまいましたが、信号場の位置は下蛇窪と戸越の境界付近であり、本来の下蛇窪という地名は、南側にある立会川の谷だったのですね。ご指摘ありがとうございます。

で、どこが目黒川と立会川の分水界(…というほど大袈裟なものではありませんが)かと、重ね地図[56611]で幕末の絵図を見ると、現在の下神明駅の東から南西に走る道の位置に品川用水【注:玉川上水の分水】とあり、これが尾根線らしい。
その北西には伊予松山・松平隠岐守の下屋敷。現在の戸越公園です。
屋敷からの流れは、まさに鉄道が三重立体交差している地点を通過し、南品川で目黒川に入る。

現在の戸越公園駅の近辺には、「谷戸」という小字があります。

重ね地図の明治で、戸越公園の南に「大字下蛇窪字中谷戸」を確認。
でも、竹薮の中を品川用水が貫流しています。「窪」の由来となった谷戸地形ではないようです。

【追記】
上記のように書いてから更に調べたら、蛇窪付近の地形地図 がありました。
右上が下神明駅。左上に戸越公園駅。両者を結ぶ大井町線と品川用水(水色の線)。
下部の青線は立会川。それに斜交する横須賀線の西大井駅。ここから図の中央を北北西に向かう谷戸地形があり、説明文中に「立会川上蛇窪谷戸支流」とありました。重ね地図の明治で確認すると、「大字上蛇窪字谷戸耕地」。

oki さんが指摘された「谷戸」は、こちらだったことがわかりました。【追記終り】


「今昔マップ」

初めて知りました。有用なツールを紹介していただき、ありがとうございます。
[77020] 2010年 12月 12日(日)11:52:07oki さん
「長すぎる」地名
[77004] hmt さん
エデンの園以来嫌われ者の「蛇」が使われた地名は、行政が使う公式の町名からは消されてしまいました。

確かに、東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが、全国を見渡すとまだたくさんあります。地名コレクションにあるかなと思ったのですが、蛇はまだないようなので、調べた地名を以下に記しておきます。

所属自治体地名読み
下北郡風間浦村蛇浦へびうら
三戸郡三戸町蛇沼じゃぬま
九戸郡軽米町蛇口へびぐち
石巻市蛇田へびた
横手市蛇の崎町じゃのさきまち
由利本荘市下蛇田しもへびた
由利本荘市上蛇田かみへびた
東置賜郡高畠町蛇口じゃぐち
田村郡三春町蛇石へびいし
田村郡三春町蛇沢へびさわ
常総市上蛇町じょうじゃまち
猿島郡境町蛇池じゃいけ
富岡市南蛇井なんじゃい
佐倉市大蛇町おおじゃまち
旭市蛇園へびその
岩船郡関川村蛇喰じゃばみ
魚津市蛇田へびた
下新川郡入善町蛇沢へびさわ
南砺市蛇喰じゃばみ
下伊那郡天龍村大蛇だいじゃ
海津市蛇池じゃいけ
養老郡養老町蛇持じゃもち
下呂市蛇之尾へびのお
賀茂郡南伊豆町蛇石じゃいし
東近江市蛇溝町へびみぞちょう
福知山市蛇ヶ端へびがはな
御所市蛇穴さらぎ
八代市蛇篭町じゃかごまち
菊池市班蛇口はんじゃく

示したのは全部で29ヶ所。小字レベルまで含めると100ヶ所以上になるのですが、表示が長たらしくなるので、大字レベルの地名に絞ってあります。分布としては、東北、関東、中部に多いようで、中国、四国にはまったくありません(小字レベルの地名はあります)。
地名コレクションでは、「狸・狢」が119件、「狼」89件で、それらと同じような数です。ただし、100ヶ所というのは居住地名だけで、自然地名も100以上あるので、合計すると「狸・狢」は確実に上回り、「猫」に匹敵するだろうと思います。

hmt さんが引用されたサイトでは、蛇窪を改称すべき理由として
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情ヨリスルモ亦此ノ都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」
とありますが、これだけ蛇を名乗る地名があるのですから、「蛇ヲ嫌忌スル国民性」とは必ずしも言えないだろうと思います。また、「恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク」という表現は、戦前の1932年(昭和7)だから許されたので、いまこのような文章を公表すれば、世論から袋だたきにあうでしょう。このサイトでは、「結果的に合理的だったことや長年使用される間に愛着が出てきたということになるだろう」と、「蛇窪」から現在の「豊町」、「二葉]への改称を肯定していますが、「蛇」地名の残存状況を考えれば、「蛇窪」を残しても特に問題なかったのではないかと思えます。

上記地名での「蛇」の読みは多くが「へび」または「じゃ」ですが、御所市蛇穴(さらぎ)は難読です。この地名については、こちらのサイトで柳田国男を引用しながら起源を説明してあります(確か、谷川健一氏も同じようなことを書いていたと思います)。

[77015] hmt さん
上記のように書いてから更に調べたら、蛇窪付近の地形地図 がありました。(中略)
oki さんが指摘された「谷戸」は、こちらだったことがわかりました。

私が指摘したかった谷戸はそこですが、かなり浅い谷で、分かりにくいのは事実。現在の地形図では痕跡すら見分けられません。一方、「今昔マップ」には50mのDEMから作成した彩色段彩図が付属しているので、明治42年の2万分の1地形図を見ると、立会川の谷から北側に向けて谷戸が伸びているのを確認できます。
[77021] 2010年 12月 12日(日)14:06:29伊豆之国 さん
Snake Valley
[77004][77015]hmtさん
[77010][77020]okiさん
蛇窪
エデンの園以来嫌われ者の「蛇」
‥こちらでは「ヤマタノオロチ」以来の嫌われ者「蛇」。その「蛇」が付く駅名、現存しているのは次の3駅。

駅名路線所在地
大蛇(おおじゃ)JR八戸線青森県階上町
蛇田(へびた)JR仙石線宮城県石巻市[77020]
南蛇井(なんじゃい)上信電鉄群馬県富岡市[77020]

東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが
「蛇」の付く自然地名はいくつか残っていました。

蛇崩(じゃくずれ)川」(目黒区~世田谷区)。世田谷に住んでいた頃にはなじみの川でしたが、当時はまさに「どぶ川」でした。現在はほとんど暗渠になっているようです。目黒区上目黒の交差点にも「蛇崩」が残っています。
横関英一氏著「江戸の坂 東京の坂」([71910])には、「蛇」の付く坂が2ヶ所出ています。その一つは、三田4丁目の「蛇坂」。HPによると、「付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている」とあります。また、同じく三田3丁目にある「安全(寺)坂」にも、「蛇坂」という別名があったようです。「江戸の坂‥」によると、「蛇坂」と「安全坂」から「安珍清姫」の物語に取り違えられて「安珍坂」に訛ってしまった、ということが書かれています。

さて、三田から泉岳寺は程近く。来る14日は赤穂浪士討ち入りの日。昨日のTV番組の最後に出ていたクイズより。
赤穂市と吉良町に共通する「ある人気の場所」とは何でしょうか?

‥赤穂市と「新・西尾市」は改めて「手打ち」を行うのでしょうか?

おしまいに、「蛇足」。
[77019]白桃さん
茨城県各市の市歌
水戸 水戸黄門の主題歌(以下略)
こりゃ、南蛇井?!

ところで、この私。「さそり座」生まれということになっているのですが、本当はどうやら「蛇遣い座」らしいのです。太陽の見かけの通り道「黄道」で、「さそり座」と「いて座」の間に「蛇遣い座」が割り込んでいるのです。
[77022] 2010年 12月 12日(日)14:57:04inakanomozart さん
蛇がつく地名
[77020] 2010 年 12 月 12 日 (日) 11:52:07   okiさん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが、全国を見渡すとまだたくさんあります。

静岡市清水区の町名に「蛇塚(へびづか)」があります。
[77023] 2010年 12月 12日(日)16:59:31【1】hmt さん
Re:「長すぎる」地名
[77020] oki さん
示したのは全部で29ヶ所。小字レベルまで含めると100ヶ所以上になるのですが、表示が長たらしくなるので、大字レベルの地名に絞ってあります。分布としては、東北、関東、中部に多いようで

たしかに、小字レベルでは、私の居住する富士見市にも、蛇木という地名が現存しています。参考

[77021] 伊豆之国 さん
‥こちらでは「ヤマタノオロチ」以来の嫌われ者「蛇」。その「蛇」が付く駅名、現存しているのは次の3駅。
「蛇」の付く自然地名はいくつか残っていました。

上信電鉄の南蛇井駅は、おもしろ駅名として、過去記事でも取り上げられています。[47382][58430][61111]

タイトルの「長すぎる」。
悪魔の辞典を離れて、文字通りの「長すぎる地名」を、落書き帳過去記事の中から探してみます。

まず、アーカイブズ には、“いささか反則に近いですが”と断りながらも、当時の千葉県香取郡小見川町にあった、漢字で12文字の町名「木内虫幡上小堀入会地大平」が挙げられています[15581]。3大字入会地の地名は、そのまま香取市に引き継がれているようです。
末尾の「大平」は3大字入会地の後に付けられた小字レベルの地名と思われるので、レベルの異なる2地名を複合して一つの町字名としている点にも、いささか疑問があります。

町名とは性格が異なりますが、京都の住所表記には13文字(かなを含む)があります[15646]

日本一長い住所として、愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹ノ郷ヨタレ南ノ割979が紹介されています。[65077][65080] 桜通り十文字 さん
「字竹ノ郷ヨタレ南ノ割」は10文字で、久兵衛市右衛門請新田[15585]と同じで、上記の12文字町名?には負けますが、これに大字の6文字その他の積み上げがあり、番地の前までの合計が 25文字。

長い学校名[42300]長い駅名、長い山名[30619]などの話題もありました。

ウェールズのLlanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch[15585]の読み方は、[19115]で紹介されています。
[77024] 2010年 12月 12日(日)18:17:10【1】Issie さん
蛇は嫌われているのか?
[77020] oki さん
東京からは「蛇」のつく地名は消えてしまいましたが

町丁字レベルの行政地名としては消えてしまったかもしれませんが,もっと小さなレベルの地名では決して少なくないのでは? たとえば,谷中には「へび道」と呼ばれる街路がありますね。昔の川の跡で,蛇のようにノタくっているから。[77021](伊豆之国 さん)にも出てくる 「へび坂」なんていうのも,割とよく聞くように思います。
ただ,大字以上の地名となっているのは少ないので,「ウォッちず」のような地名検索には引っかかりにくい。

ところで,どうも「蛇は嫌われ者」という前提で話が進んでいるような気がしますが,本当に蛇は嫌われているのでしょうか。
確か,“白い蛇”はおめでたいものとして珍重する風習があったし,全国の神社の中には蛇を信仰の対象とするところが多くありますよね。「お金が貯まる」なんて言って,蛇の抜け殻を財布に入れたりしませんでした?
まあ,積極的に好かれてはいないかもしれませんが,必ずしも忌み嫌われているわけではないのでは…(「蛇蝎のように」という表現がありますが,これは漢文由来ですね)。信仰の対象として崇めつつ,「敬して遠ざけ」ているのかもしれませんが。ヤマタノオロチも,恐れられてはいても敬いの対象であり,嫌われているのではないと思います。

日本の農耕社会では蛇は少なくとも身近な存在ではあり,日常生活に非常に身近なレベルでの小地名でも「蛇」は意外に身近にあるような気がします。
「由来我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情」というのは本当なのか。むしろ,そのあとに続く「都市文化ノ中心タル地名ニ蛇窪ナル名称ハ恰モ山村辺輙ノ地名ノ如ク到底不適当タルヲ免レス」という表現に現れているような,農耕を離れた都会の,もしかしたら「アダムとイブ」の説話を持つキリスト教の価値観の影響を(少なからず)受けた人々の勝手な思い込みなんじゃないかな,という気がします。

※NHKの「ブラタモリ」。少し以前に放送された「住宅」の回で,空襲にも耐えた深川の鉄筋コンクリートのアパートで毎年 田中邦衛…,もとい,アオダイショウの抜け殻を集めているおじさんが登場してきました。「ええっ,東京の真ん中の深川で?」と思ったのですが,アパートの裏側は清澄庭園なのですね。後ろに見えていた高い木(ケヤキ?)は庭園の木だったのか。

[77019] 白桃 さん
水戸黄門の主題歌

「あゝ人生に涙あり」というタイトルだそうです。
木下忠司お得意のマーチ調。現在放送中のシリーズでは 東幹久(助さん)・的場浩司(格さん) の2人が歌っています。今回,善光寺宿をあっさり通過してしまって,ちょっぴり不満。
[77025] 2010年 12月 12日(日)23:10:08ぺとぺと さん
ローカルな話題ですが
[77012] Issieさん
中原御殿があったのは現在の平塚市で,この街道がその御殿の方まで続いているので「中原街道」となった次第。
川崎市のこちらの地名は,1889年の明治の大合併で 小杉村 その他が合併して新しい村を編成するに当たり,ここを中原街道が通ることから「中原村」という呼称が採用されたことによるもの。だから,「中原区」は“交通由来地名”なのでした。
川崎市中原区、平塚市双方に居住経験のある私にとって、非常に身近に感じられる話題ですね。

平塚宿が、隣の大磯宿からわずか3kmしか離れていないにもかかわらず、東海道の宿駅として成立した理由について、「中原御殿の存在があったからではないか」とする説もあるようです。
さて、その中原御殿は現在の御殿2丁目、中原小学校付近にありました。
現在の御殿1~3丁目という町名は、もちろん中原御殿があったことに因んで付けられたものですが、平成48年の住居表示に伴う町名変更以前は、このあたりの大字は「中原上宿」「中原下宿」でした。
当時の資料「平塚市町界町名変更概要住居表示実施(昭和49年1月平塚市都市開発部開発課)」によると、町名変更に際して審議会の出した案は、
・現在の御殿1丁目:徳川家ゆかりの地に因んで「葵町」
・現在の御殿2丁目:中原御殿跡地および従来からの通称名を採って「御殿町」
・現在の御殿3丁目:中原御殿の別称「雲雀野御殿」から「ひばり野」
とするものでしたが、地元住民より「葵は当用漢字になく、また徳川家そのものを表す」「ひばり野は団地のイメージが沸く」といった反対意見があり、現在の町名に落ち着いたという経緯があるようです。

ローカルな話題ついでに、
[70909] くるりさん
[70913] みかちゅうさん
で話題になった、平塚市立相模小学校ですが、平成22年度の平塚市総合計画に「隣接校解消のための移転整備事業」が掲げられており、数年内に大神・吉際地区に移転する可能性があるようです。

最後に、“蛇”地名に関連して地元より。
秦野市の国道246号線に「蛇塚(じゃづか)」という交差点があります。通るたびに気になっていたのですが、由来についてはよくわかっていません。


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