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指定都市

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[7772] 2003年 1月 16日(木)21:05:58Issie さん
市制・町村制施行以前
[7747] 白桃 さん
>明治22年(1889年)に市町村制度が出来たんですけど、
>確か香川県が1番遅くて翌年になったと思います。どうしてなんでしょうか?

そういえば,「高松市」の市制施行は1890(明治23)年2月15日,「小豆(しょうず)郡土庄(とのしょう)村」への町村制施行も同じ日ですね。つまり,香川県で市制・町村制が施行されたのがこの日。
1888(明治21)年4月1日に公布された「市制・町村制」が丸1年の準備期間を経て,一応「施行された」とされている1889(明治22)年4月1日に全国で30余りの「最初の市」が発足したけれども,「東京市」の発足は5月1日で,つまり「最初の市」には含まれない。東京市に限らず,「豊多摩郡渋谷村」も「南葛飾郡亀戸村」も,つまり東京府で市制・町村制が施行されたのは,その5月1日。
ほかにも,「岡山市」以下,岡山県は6月1日。「名古屋市」以下,愛知県では10月1日。
どうも,府県単位で日付の違うことがあるようですね。それぞれの府県で何か事情があったのだろうと推測できそうですが,何があったのでしょうね。
そう,そう,「香川県」そのものも1888年12月に愛媛県から再分離して三たび設置されたばかり(これで47府県の配置が確定)ですから,これが香川県で市制・町村制の施行が遅れた原因かもしれませんね。
なお,「北多摩郡砧村」も「北多摩郡田無町」も発足は4月1日。ここは東京府ではなく,「神奈川県」だったからです。

市制・町村制が全国で施行された後,1890(明治23)年5月に今度は「府県制」「郡制」が公布されますが,こちらの準備は市制・町村制以上に手間がかかったようで(「郡」の再編を伴ったので),1900(明治33)年4月1日に岡山県でようやく「郡制」が施行されて完成するまで,10年の期間がかかっています。
なお,この制度が北海道や沖縄に施行されるのは大正年間になってからのことです。

>また、市町村制の前、ほんの一時期だと思うのですが、金沢、岡山、和歌山、熊本、名古屋etc.が
>府だか区だかになっていたんじゃないかと記憶しております。
>その当時の3都に次ぐ都市にそのような名称を冠したのでしょうか?

大都市には「区」が設けられていました。
1888年公布・89年施行の「市制・町村制」,1890年公布・1900年までに施行の「府県制」「郡制」で近代日本の地方制度が完成するまで,特に発足後の10年間,明治政府はさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。従来,つまり江戸時代の行政区分にこだわらず(言い換えれば,それを否定して),戸籍編成の単位としての「大区・小区制」など。
結局,末端行政単位としては従来の区分を継承するのが合理的であるという結論に達して公布されたのが1878(明治11)年の「郡区町村編制法」でした。ここで江戸時代以来の「郡」「町」「村」が行政区分として“復活”します。
そして,この布告の「第4条」に以下の規定がありました。

三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス

“3府(東京・京都・大阪)”“5港(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)”をはじめとする大都市(人口輻輳[ふくそう]ノ地)は,特に郡の区域から切り離して「区」という特別の行政区を設置する。
なかでも巨大な人口を抱え,その領域も広大な都市(つまり,東京・京都・大阪)の場合は,単独の「区」ではなく,それぞれに独立した複数の「区」を設置する,
というものです。
これに基づいて,以下の各区が設置されています。

仙台区
【東京】麹町区,神田区,日本橋区,京橋区,芝区,麻布区,赤坂区,四谷区,牛込区
小石川区,本郷区,下谷区,浅草区,本所区,深川区
新潟区
金沢区
名古屋区
【京都】上京区,下京区
【大阪】東区,南区,西区,北区
堺区
神戸区
岡山区
広島区
赤間関区
福岡区
長崎区
熊本区

「東京」の15区,京都の2区,大阪の4区は,それぞれに独立した単独の行政単位です。反対に,それらを統括して,東京全体・京都全体・大阪全体を管轄する行政単位は存在しません。
ここで「区」と呼ばれた行政単位が,「市制」によって「市」と“改称”された,ということになるのです。
このとき,複数の区が設置されていた3大都市ではそれらの「区」の上に「東京市」「京都市」「大阪市」が設置されたわけですが,内部の「区」が元々独立した行政単位であったので市制施行後も「市」と「区」の権限をめぐって,両者には微妙な関係がありました。
…という経緯を持つ3大都市以外の「市」にその後設置された「区」は,したがって市制施行以前の「区」とは全く別の存在です。

なお,前述の通り,北海道と沖縄には「本土並み」の地方制度がかなり遅れて施行されました。
本土と同様の「市制」が施行されるまで,この2つの地域では特別に「区」の制度が行われていました。以下の「区」が設置されています。

1922.8.1 市制
札幌区
函館区
小樽区
旭川区
室蘭区
釧路区

1921.5.20 市制
那覇区
首里区

それぞれ,本土並みの「市制」が施行されたときに「市」に移行しています。
[10991] 2003年 3月 11日(火)18:55:10Issie さん
Re^3: 政令指定都市制度以前の区
[10976]まがみ さん
横浜区が書かれていないですが、これも含まれますよね。単に記入漏れでしょうか。

あっ,本当だ。ウチの「本社」所在地ではないか…。いや,単なる書き忘れです。

[10977] start さん
この「区」が設置できたのは東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸だけ、と法律か何かで決められていたのでしょうか。

前のところにも書いたと思いますが,東京・京都・大阪の3市については「市制」施行以前から存在していた複数の「区」がそのまま「市」に包含されたものです。
「郡区町村編制法」では,「区」というものが現在われわれが「市」と呼ぶものに相当していた,と理解するのがいいように思います。その意味で,東京・京都・大阪に設置されていた“複数の「区」”はそれぞれに“単独の自治体”であったわけで,市制施行直後もその性格が引き継がれて,「市」の権限は当初,かえって限定されたものであったようです。

1900年に「市制」が改正されて人口20万以上の「市」には,市域を分割して「区」を設置し,市の職員(吏員)である「区長」を置くことができるようになりました。そして,1911年の改正でその「市」を内務大臣が指定することになり,名古屋・横浜・神戸の3市が相次いで“指定”された,というわけです。

…というわけで,「市制」という名前の法律が根拠になっていました。
[10997] 2003年 3月 11日(火)20:01:51三鈴 さん
勅令指定都市の区・内相指定都市の区
[10991] Issie さま
東京・京都・大阪に設置されていた“複数の「区」”はそれぞれに“単独の自治体”であったわけで,市制 施行直後もその性格が引き継がれて,「市」の権限は当初,かえって限定されたものであったようです。

 市制・町村制公布の翌年にあたる1989(明治23)年に公布された「東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」という法律の規定で、この3市では市長や助役を置くことができなかったそうです。この法律は1998(明治31)年に廃止されたそうですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加されたことで、3市の内部に特例として設けられていた区は、存置されたようです。
 というわけで、細かいことを申し上げるようですが、厳密にいうと、1989(明治23)年~1998(明治31)年の間、3市に存在した区の根拠法は、「市制」ではなく「東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件」ではないかと思うのですが‥‥。

そして,1911年の改正でその「市」を内務大臣が指定することになり,名古屋・横浜・神戸 の3市が相次いで“指定”された,というわけです。

 この1911(明治44)年の「市制改正法律」で、「勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス」という勅令指定都市の仕組と、ご指摘の「内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル」という内相指定都市の仕組が、できたわけですね。
 この仕組のもとで、勅令第239号による指定を受けた東京・京都・大阪の3市では、郡区町村編制法以来引き継いできた区に法人格が付与され、一方、同年内務省令第14号の指定を受けた名古屋市では、新たに行政区が設けられました。
 その後の推移としては、京都市・大阪市の法人区も、名古屋市や1927(昭和2)年に内相指定都市になった横浜市、1931(昭和6)年に内相指定都市になった神戸市の行政区も、ほぼ同じものとして機能していたようですが、法律上は、同じ「市制」を根拠法としながらも、その根拠としている規定は異なっていたという点、意外と知られていないのでは思い、蛇足かとも思いましたが書き込みさせていただきました。
[34434] 2004年 10月 23日(土)20:46:55【2】Issie さん
最初の市
政令指定都市の配列について話題になっていますが,参考までに「最初の市」について。

現行の「日本国憲法・地方自治法」体制以前,大日本帝国憲法下での市町村制の根拠となった法律「市制・町村制」(明治21年法律第1号)が公布されたのは1888年4月17日。これに基づいて,翌1889年2月2日付の 明治22年内務省告示第1号 で,最初に「市制」が施行される36市が指定されました。
(ちなみに,大日本帝国憲法が“発布”されたのは,この告示が行われた直後の同年2月11日[紀元節]。憲法の施行は,本文前についている天皇による「上諭」の第4段の規定[帝国議会ハ明治23年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ]により,第一議会開会の1890年11月29日のことでした。)

当該告示の文章は以下とおりです。
-------------------------------------------------------
明治21年法律第1号市制126条ニ拠リ市制施行地左ノ通指定ス
     内務大臣 伯爵 松方正義
 明治22年2月2日

市制施行地
東京府管下 東京  京都府管下 京都  大阪府管下 大阪 堺  神奈川県管下 横浜 …
(以下,当該都市を列記)
--------------------------------------------------------

若干見にくいので,掲載順に番号をそえて並べなおすと

1:東京2:京都3:大阪4:堺5:横浜6:神戸7:姫路8:長崎9:新潟10:水戸
11:津12:名古屋13:静岡14:仙台15:盛岡16:弘前17:山形18:米沢19:秋田20:福井
21:金沢22:富山23:高岡24:松江25:岡山26:広島27:赤間関28:和歌山29:徳島30:高松
31:松山32:高知33:福岡34:久留米35:熊本36:鹿児島

つまり,各都市の所属する府県ごと例の府県の配列(太政官告示)に従って,1つの府県で複数の都市が指定されている場合(大阪・堺,神戸・姫路,山形・米沢,富山・高岡,福岡・久留米)は,府県庁所在地が優先されています。
この告示によれば,栄えある「市のトップナンバー」は,やはり「東京市」となります。

しかし,市の発足期日を基準にすると,東京市は32番目となります。
ほとんどの府県では,この年の4月1日に「市制・町村制」が施行されて,この中のほとんどの市もその日に発足しているのですが,東京府(三多摩は神奈川県)での施行,そして「東京市」の発足は1ヵ月遅れの5月1日。
先の36市のうち30市が4月1日に発足し,さらに「佐賀市」が3月18日付の 告示第10号 で追加されて同じ4月1日に発足したためです。

「最初の36市」のうち,4月1日に遅れて発足したのは,以下の6市。

5月1日東京市,岡山市
10月1日名古屋市,徳島市
12月15日松山市

「高松市」が発足したのは,告示から1年経った翌1890年2月15日のことです。
この間に後から追加された 岐阜市・甲府市(7月1日)と 鳥取市(10月1日)が発足しています(括弧内は発足日)。

それでは,
「最初の市」は「東京市」とすべきか,「京都市」とすべきか,
どちらがお好みですか?
[53814] 2006年 9月 4日(月)23:51:20【1】hmt さん
政令指定都市・六大都市・七大都市
[53800] 紅葉橋律乃介 さん
[53807] むっくん さん
[53808] 音無鈴鹿 さん
[53809] じゃごたろ さん
いわゆる「政令指定都市」という呼び名に関する議論がなされていますが、“正式の名称”は昭和31年7月31日政令第254号に使われている
地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市
なのでしょうね。
でも、はこんな長たらしい名前は普段使いには不便。そこで1956年当時の「六大都市」から特別の存在である東京を除いた5つの市を指定した際に、「政令指定都市」という呼び名が作られたのだと思います。

ところが、この呼び名が40年近く使われた後の1995年に中核市の制度が、更に2000年に特例市の制度が生まれました。中核市も特例市も、それぞれが「○○の指定に関する政令」で指定されるようになったので、[53800]のような解釈の生まれる可能性が出てきたわけです。

大多数の人は、あまり気にせずに、使い慣れた「政令指定都市」と呼び続けているのでしょうが、長~い名前の由来である根拠条文を含む地方自治法第十二章第一節のタイトルは
大都市に関する特例
ですよね。
素直にこれに従えば、
「地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市」=「大都市」
と呼べば良いように思われるのですが、そうなると、“東京は「大都市」に非ず”という奇妙な結果になってしまいます。

このあたりが、1995年以降も「政令指定都市」という呼び名を使い続けなければならなかった所以なのでしょう。

「六大都市」という名に法律的根拠があるか否かは知りません。
たびたび引用する帝国書院の復刻版地図帳[25914]の図例(地図の記号)には、戦前(1934)・戦後(1950)共に「六大都市」というのがあります。
ところが、上記1934年版を大部分引き継いでいる 1938年検定の「改訂新選詳圖・帝国之部」(対馬上島・下島が逆転していた地図です[30154])の図例を見ると「七大都市」となっています。「京城」[46253]を含む「七大都市」の時代があったのですね。

# 中核市の件は[53824]に分割しました。
[53841] 2006年 9月 6日(水)21:49:52【1】hmt さん
「勅令指定都市」から「六大都市」へ、そして「特別市」の指定は実現せずに「政令指定都市」へ
[53814] hmt
「六大都市」という名に法律的根拠があるか否かは知りません。

自分で調べてみました。
「六大都市行政監督ニ関スル法律」(大正11年3月22日法律第1号)によって、市が事務執行にあたって府県知事の許可等を要する場合であっても、六大都市(東京市・京都市・大阪市・横浜市・神戸市・名古屋市)については許可等を要しないことが規定されていました。

昭和18年(1943)、「東京都制」の施行に伴なって「五大都市行政監督ニ関スル法律」と名を変えますが、この特例は、昭和31年(1956)に政令指定都市制度が制定されるまで存続していました。

# 「七大都市」[53814]という名が使われた法律は存在しないようですが、「昭和13年文部省検定済・朝鮮総督府検定済」の地図帳に記載されているからには、ある程度は「公式に認知された名」なのであろうと推察します。

この間、昭和22年(1947)、地方自治法の施行に伴ない、その264条を根拠とする特別地方公共団体「特別市」の制度ができました。[369]Issieさん
これは、人口50 万以上の市で法律で指定するものを対象とし、都道府県の区域外として、都道府県と市に属する事務を処理するというものでした。
組織としては、法人格を有しない区を設置し、区長は公選、区に議会は置かないことなどが定められていました。

この特別市制度導入をめぐっては、大都市とそれを含む府県との対立が激しく、結局、「特別市」が指定されることのないまま、「妥協の産物」[370]の政令指定都市にすり替えられて、制度自体が廃止されました。その痕跡は、現在でも地方自治法第三編に「第一章 削除」という形で残っています。
# 制定当時の条文は、第27次地方制度調査会第15回専門小委員会資料3(pdf) のp.10で見ることができます。

この資料のp.1~9には、「大都市制度の沿革」が要領よくまとめられています。
これによると、1888年に制定された「東京市区改正条例」が、1918年に京都、大阪、神戸、名古屋、横浜の5市に準用されたのが、東京以下の「六大都市」という位置付けの実質的さきがけとなっているようです。

大正時代のこの制度から遡ること7年。明治末の1911年に全文改正された「市制」の第6条には“勅令ヲ以テ指定スル市”の特例制度が登場しており、これこそが「政令指定都市」の元祖かもしれません。なお、この時に勅令239号で指定された「勅令指定都市」は、東京市、大阪市、京都市でした。

国勢調査で使っている「○大都市」という呼び名(2005年の使用例)は、「六大都市」時代から引き続き使われてきたものでしょうが、○=15から16、そして18へと大増殖してゆくと、確かに[53489]のような違和感を覚えるようになってきます。

「政令市、中核市、特例市…」 については、既にアーカイブスがありますが、せっかくなので、大都市等に関する特例制度の簡単な年表を示しておきます。都道府県制度、市町村制度と対比させてあります。

年号西暦都道府県制度大都市に関する特例制度市町村制度
明治111878郡区町村編制法による区設置[7772][51030]
明治211888東京市区改正条例市制町村制(制定)[51056]
明治221889三市特例制度市制町村制施行 [34434]
明治231890府県制[228]東京都制案
明治311898三市特例制度廃止[33692]
明治321899府県制改正[53577]
明治441911勅令指定都市市制・町村制[51056]
大正71918市区改正条例を五市に準用
大正101921府県制改正市制・町村制改正
大正111922六大都市行政監督特例
昭和81933東京都制案
昭和181943東京都制[228]・五大都市行政監督特例
昭和211946道府県制[53601]東京都制改正市制・町村制改正
昭和221947地方自治法都区制度・特別市地方自治法
昭和311956政令指定都市[14482]
平成71995中核市[53824]
平成101998特別区が基礎的地方公共団体になる
平成122000特例市

# この表に記事番号を書き込むための検索をして、「郡区町村編制法」を「…編成法」と誤記していたことに気が付きました。
[53890] 2006年 9月 10日(日)17:21:16hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史
[53841]hmtの追加・補足です。

明治になって生まれた特別の都市群というと、先ず三府(東京、京都、大阪)と五港(横浜、 神戸、長崎、函館、新潟)ですが、この8都市のうち5つは、後の六大都市と重複しています。

「御一新」を果たした明治初期の政府は、中央集権体制を基本とする試行錯誤の中で、一度は江戸時代からの郡や町村を否定し、戸籍編成単位の「大区・小区制」なども採用してみましたが、結局、末端行政単位としては従来の郡や町村を復活・継承することになり、明治11年(1878)に「郡区町村編制法」 が布告されました。

しかし、この時に新しい都市制度も芽生えました。郡区町村編制法の第4条には、“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ…”とあり、現在の「市」の前身とも言える「区」ができました。

[7772]Issie さんに示されているように、“其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス”に該当する東京には15区、京都には2区、大阪には4区が設けられましたが、これらの独立した「区」を包括する広域都市団体は設けられていません。
なお、明治時代の京都は、事実上一つの都市だったと思いますが、「上京」「下京」は中世以来の地域区分で,応仁の乱以降,織田・豊臣政権下で都市整備が行われるまでの間は京都は「上京」「下京」の2つの都市に完全に分離していたとのことです[3520]Issie さん。

異なる制度下に置かれていた北海道の函館を除く五港にも、横浜区[10991]、神戸区、長崎区、新潟区が生まれました。
「其他人口輻湊ノ地」は、さすがに城下町(名古屋・金沢・仙台・岡山・広島・福岡・熊本)が目立つものの、堺区(当時は堺県に所在)や赤間関区(山口県)も含まれていました。
後に六大都市の一角を占める名古屋は、この段階では、まだ「其他…」扱いです。

さて、明治21年(1888)になると「市制町村制」がされ、翌年4月1日には大部分の府県で施行されて、横浜市や神戸市が生まれます。一部の県では施行が遅れた[7772]ために、名古屋市の誕生はは10月1日です。

しかし、「市制町村制」施行直前の明治22年3月23日に、いわゆる「三市特例法」(市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件)が制定されます。これは、三市には市長を置かず、府知事が職務を行ない、事務も府庁の官吏が行なうというもので、事実上三市を骨抜きにするものでした。

このような措置に対しては三市から撤廃運動が起こり、明治24年の第1回帝国議会から毎回のように議員立法の特例廃止法案が提出されましたが、衆議院で可決・貴族院で否決又は審議未了を繰り返し、ようやく明治31年になって成立しました。
東京市・京都市・大阪市は、このような歴史を経て、ようやく事実上の誕生を迎えたわけです。
東京の「都民の日」10月1日は、この自治体としての「東京市」誕生の日に因んでいます。[33692]hmt

この「三市特例法廃止」によって、一応は一般の市と同じレベルの自治を獲得したようですが、この際に「市制」の第2条に「東京市、京都市、大阪市ニ於テハ従来ノ区ヲ存ス」云々という規定が追加され、3市の内部に特例として設けられていた区が存置されました。[10997] 三鈴 さん
郡区町村編制法時代と異なり、「区」を包括する広域都市団体の「市」ができたとは言え、元々独立した行政単位であった「区」と、事実上の市制が施行された「市」との間には、その権限をめぐって微妙な関係があった由です。[7772] Issie さん

「六大都市」への道は、まだ遠いようです。
[53893] 2006年 9月 10日(日)17:44:08【1】hmt さん
「六大都市制度」の生い立ち(2)「勅令指定都市」・「省令指定都市」・「法定六大都市」
郡区町村編制法による区の設置(1878)、市制町村制による横浜・神戸・名古屋3市の誕生(1889)、三市特例法によって骨抜きにされた時代を経て、ようやく自治体として誕生した東京・京都・大阪の3市(1898)。
後者には古い制度の名残の「区」がありますが、前者には「区」が存在せず、金沢・仙台・広島…と続く約40市の中で特に抜き出た存在には至っておりません。

明治21年の「市制町村制」という法律は、明治44年(1911)に全文改正されて、「市制」と「町村制」との別々の法律になりました。([51056]の末尾)
新しい「市制」の第6条では、
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
と定められ、市との関係が問題になっていた([7772] Issieさん)区の権限が限定されました。
こうして、東京・京都・大阪という3つの「勅令指定都市」と、その内部の「区」との関係が確立し、現在の「政令指定都市」制度の起源となりました。[53841] hmt

同じ明治44年の「市制」では、
内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル
ことも定められました。
この規定に基づいて同年の内務省令第14号の指定を受けた名古屋市には新たに行政区が設けられ、昭和2年(1927)指定の横浜市、昭和6年(1931)指定の神戸市と続き、「区」が設置されました。[10997] 三鈴 さん

このようにして、「区」を持つ六大都市が出揃ったわけですが、東京・京都・大阪は「勅令指定都市」、名古屋・横浜・神戸は「省令指定都市」という制度上の相違があったのですね。

根拠法令は異なっていても、六大都市の「区」は、ほぼ同じように機能していたように思われます。
それというのも、1931年に「区」が出揃う前から、これら6市は「大都市」の扱いを受けていたからです。

「区」の有無や「六大都市」という呼び名はともかくとして、これらの6市を「大都市」として扱った最初の事例は、大正7年(1918)であると思われます。

この年に、都市計画法の前身とも言える「東京市区改正条例」(それ自体は市制町村制と同じ明治21年に制定)が、京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されました。
翌大正8年(1919)に制定された「都市計画法」も、これら6市のみに適用されました。
同年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。

そして大正11年(1922)、「六大都市行政監督ニ関スル法律」[53841] hmtが制定されます。
市ノ公共事務及法律ノ定ムル所ニ依リ市又ハ市長ニ属スル国ノ事務ニ関シ府県知事ノ許可又ハ認可ヲ要スル事件ニ付テハ東京市、京都市、大阪市、横浜市、神戸市及名古屋市ニ限リ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ許可又ハ認可ヲ受ケシメザルコトヲ得

この法律によって、「法定六大都市」が誕生して、昭和18年(1943)の「東京都制」まで続くことになります。

「東京都制」によって、法律の名は「五大都市行政監督ニ関スル法律」に変わりましたが、この頃に国民学校に通っていたhmtは、ずっと「六大都市」で学習していたような気がします。
昭和13年検定の中学校地図帳に使われていた「七大都市」[53814] という名も聞いた記憶はないし…
昭和25年文部省検定済「中学校社会科地図帳」[25914] も「六大都市」。

戦後の日本国憲法の下、1947(昭和22)年の地方自治法で、都道府県から独立した存在となる「特別市」([369] Issieさん)の制度ができました。
しかし、「特別市を指定する法律」制定のために、日本国憲法で保証された住民投票の範囲をめぐって5大市と府県とは対立し、結局は特別市の指定は困難な状況となった中、1956(昭和31)年に、妥協の産物([370] Issieさん)である「政令指定都市」制度に取って代わられることになりました。

制度が「政令指定都市」になっても、東京を含めた数が6のうちは、「六大都市」と呼んでいたと思いますが、1963年以降だんだん数が増えてくると、「○大都市」という呼び名([53489]hiroroじゃけぇ さん)は、次第にすたれてきたようです。
[56763] 2007年 2月 10日(土)10:58:28【2】Issie さん
勅令指定都市
昨日,仕事の関係でちょと必要があって,戦後,“公選制”の教育委員会制度について定めていた 「教育委員会法」(昭和23年法律第170号;1948年7月15日公布・施行,1956年10月1日廃止) を眺めていたら,末尾の 附則 にこんな条文がありました。

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第70条 大阪市、京都市、名古屋市、神戸市及び横浜市(五大市という。以下同じ。)並びに既に教育委員会を設置しているその他の市以外の市は昭和25年12月1日又は昭和27年11月1日に、町村(既に教育委員会を設置している町村を除く。)は昭和27年11月1日に、それぞれ教育委員会を設置しなければならない。
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このサイトに掲載されているのは,20回ほどの改正を経て,1956年の全面改正で「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年法律第162号;略称:地方教育行政法 または 地教行法)に引き継がれる直前の,いわば“最終形態”なのですが,ここでの関心の対象となるのは「5大市」という表現ですね。

(※なお,この 「旧)教育委員会法」 から 「地教行法」 への切り替えで,教育委員会の委員は従来の公選制から現行の任命制に変更され,教育委員会の組織や教育行政のシステムも大幅に変えられました。なので,この法律は当時 「新教育委員会法」 とも呼ばれましたが,この法律も,もうすぐ変えられちゃうんでしょうかね。)

きっとね,ここは本当は当時の 地方自治法 に規定のあった「特別市」と書きたかったんじゃないか,と思うのでした。
当時の 地方自治法 には,こんな条文がありました。

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第3編 特別地方公共団体及び地方公共団体に関する特例
第1章 特別地方公共団体
第1節 特別市

第265条 特別市は、都道府県の区域外とする。
 特別市は、人口五十万以上の市につき、法律でこれを指定する。その指定を廃止する場合も、また、同樣とする。
 (第3項以下省略)
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当時,「特別市」と指定されるべく想定されたのは恐らく前記「5大市」なのでしょう。
けれども,まさにこの条文の 第1項 の規定が仇となって多くの反対を呼び,1つも指定されることなく,1956年にこの節(第264条~第280条)が丸ごと削除されて(昭和31年法律第147号による),かわってこの第3編の“直前”に現行の 第12章(大都市に関する特例) が挿入されて,「指定都市」(政令市,政令指定都市)なる,ある意味,“中途半端”な制度が導入され,この年7月31日の 政令第254号 によって件の 5大市 が指定されて,同年9月1日に「初めての政令指定都市」が誕生したのでした。
この「第3編の“直前”」というのがミソで,指定市は「特別地方公共団体」ではなく「普通地方公共団体」であって,あくまでも「普通の市」が“特に指定”されてより広範な権限を持つ,という位置づけなのですね。「中途半端」たる所以です。

よく見ると,教育委員会法 の改正と,地方自治法 の改正は同時期ですね。お互い,無関係ではないのですが,もし,この後も 教育委員会法 が存続していたら,冒頭に述べた「5大市」の部分は「指定市」と改正されていたことでしょう(…と思ってよく読んだら,制度移行に関する1回限りの時限規定でしたね。改正の必要はないか)。なお,現行の 地教行法 では,「指定市」という語が使用されています。

つまり,現行のような「政令指定都市」制度もなく,当時規定されていた「特別市」に指定された市が1つもない段階では,それにふさわしい市を「5大市」と呼ぶしかなかったのでしょうね。

さて,それでは,1947年5月3日以降の 現行憲法・地方自治法体制 以前の 旧憲法(明治憲法)体制下 での「5大市」,さらに 1932年に“消滅”した 東京市 も加えた「6大市」はどういう位置づけであったか調べてみると(←これは,以前に別ネタを調べた副産物なのですが),
現行地方自治法の施行まで有効であった「(改正)市制」(明治44年法律第68号)にこんな規定がありました。

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第6条 勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス(以下略)
第80条 第6条ノ市ノ区ニ区長一人ヲ置キ市有給吏員トシ市長之ヲ任免ス
第82条 第6条ノ市ヲ除キ其ノ他ノ市ハ処務便宜ノ為区ヲ画シ区長及其ノ代理者一人ヲ置クコトヲ得
 前項ノ区長及其ノ代理者ハ名誉職トス市会ニ於テ市公民中選挙権ヲ有スル者ヨリ之ヲ選挙ス
 内務大臣ハ前項ノ規定ニ拘ラス区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スルコトヲ得
(以下略)
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で,これを受けた 明治44年勅令第239号「市制第6条ノ市ノ指定ニ関スル件」(1911年9月21日)で 東京市・京都市・大阪市 の3市が指定され(施行は同年10月1日),明治44年内務省令第14号(1911年9月22日)で 市制第82条第3項 に該当する市として 名古屋市 が指定されています(施行は同じく同年10月1日)。
後者については,昭和2年内務省令第32号(1927年6月22日,同年10月1日施行)で 横浜市 が,昭和6年内務省令第14号(1931年7月1日,同年9月1日施行)で 神戸市 が追加指定されています。
なお,明治44年勅令第244号「市制第6条ノ市ノ区ニ関スル件」(1911年9月23日) では,該当市の 区 を“自治体”とし,その自治制に関する規定が定められていました。

つまり,今風の言い方をすれば,“自治体としての区”を持つ「勅令指定都市」と,有給吏員としての区長が配置され,だからそのための“市の下部行政機関としての区”を持つ「省令指定都市」とがあって,前者に 東京・京都・大阪 の3市が,後者に 名古屋・横浜・神戸 の3市があった,ということになるのでしょうね。
[369] 2001年 9月 8日(土)08:35:49Issie さん
特別市
実は今の「地方自治法」が公布・施行された1947年当時には「特別市」という制度がありました。当時の段階で「区」のあった大都市である「京都市」「大阪市」「名古屋市」「神戸市」「横浜市」に適用することを想定したものと思われます。
けれども結局この制度は実施されることなく,その後の改正で地方自治法からは削除されてしまいました。「特別市」が「府県」から独立してしまうことへの府県の反発が強かったことのようです。
そこで「特別市」よりも府県からの独立性の弱い「政令指定都市」となったわけです。satoさんの言われるとおり“妥協の産物”なのでしょうね。

現在「都制」という制度は存在しません。
建前上,「東京都」は他の「道府県」と全く同格の存在です。「都」と言っているのは単に“そういう名前だったから”にすぎません。「警視庁」がもともと“そういう名前”だったので他の県警本部と同格にもかかわらずそういう名前であるのと同じです。
もともと「東京都制」というのは戦時下の1942年に「帝都」への中央からの統制を強めるために「東京府」と「東京市」を統合したものです。とりあえず東京だけをターゲットにしたものですね。その分,旧東京市民の自治権の一部が奪われました。
「特別区」という制度は,こうして“できあがってしまった”東京の特殊な体制を地方自治法のシステムに整合的に取り込むために,やむを得ず導入したものだと思っています。あくまでも「特別」だから,本当は何らかの形で改称した方がよい。
公選の区長を持っている「千代田区」が名実ともに「市」になりたい,という気持ちはわかります。実際,多くの権限ではすでに「市」とほとんど同じになりつつあるわけだから。
だいたい,“あの知事”は同じことを国に対して言ってるんだしね。
[370] 2001年 9月 8日(土)23:16:52Issie さん
都道府県と市の統合
下の発言のおしまいの方,「改称」は「解消」の間違いです。

さて,今の制度の中でかつての「都制」や「特別市」のような制度を導入することは,今のままでは不可能だと思います。
まず,今の地方自治法にはそのような制度がありませんから,この法律自体を改正する必要があります。
次に,都道府県の名称や領域を変更する(たとえば特別市のようなものを設置して府県から独立させる)には地方自治法第3条または第6条の規定により,この件に関する法律を作らなければなりません。都道府県と市を統合する,というのも恐らくはこの規定に引っかかるのではないか,と思います。
そして最後に,このような立法行為はいずれも特定の地方公共団体のみを対象とするものなので,たとえ国会で関連法案が成立しても,憲法第95条の規定によって「住民投票」を行い,その過半数の賛成を得なければなりません。

政令指定都市が「妥協の産物」というのは,単に「大都市の独立を嫌う都道府県との妥協」という意味だけでなく,このような煩瑣な手続きを避けるための妥協と言う側面もあるのです。
つまり,特別市のように都道府県から独立させるのではなく,あくまでも都道府県に含まれるという位置づけを残せば,都道府県の領域変更には当たらないので「法律」にする必要はなく,「政令」で十分。そうすれば住民投票の必要もないし,都道府県が嫌がることもない,というわけです。

もし,今の地方自治制度を根本的に変えるならば,当然かなりのエネルギーが必要ですね。
ただ,地方自治という極めて基本的な権利に対する重大な変更なのですから,このような煩瑣な手続きは絶対必要だと考えます。特に住民投票は決して省いてほしくない。そう思います。
[8515] 2003年 1月 31日(金)16:36:09BANDALGOM[地域研究家] さん
都市制度
[8484]seahawkさん
インターナショナルな人は「ソウル特別市」と同等な扱いなのかというイメージを持つ人が世界中に一人か二人はいると思うんです。
結論からいえば、「ソウル特別市」と同等ですよ。
韓国ではソウル特別市と釜山・大邱・仁川・光州・大田・蔚山の6つの広域市がありますが、これは全て広域自治体としての「道」から独立した、別個の広域自治体であって、基礎自治体である一般の「市」より格が上なのです。
特別市・広域市の区は自治体ですが、東京の特別区のような中途半端な存在ではなく、基礎自治体と位置づけられています。

翻って日本の政令指定都市は、広域自治体である都道府県に属する基礎自治体でありながら、都道府県並みの権限を与えられている、中途半端な存在なわけですが、この制度が導入される前には、旧五大市を対象にした「特別市」制度が地方自治法に盛り込まれていたのです。

「特別市」が府県の反対で頓挫した後、その代わりに政令指定都市制度ができたのですが、今また市町村合併の進展と、政令指定都市の要件引き下げなどを背景として、「特別市」制度が再検討されているのです。
それは「ソウル特別市」と同等のものと言えましょう。つまり、都道府県から独立した広域自治体です。

現在は政令指定都市、中核市、特例市、一般市という都市制度がある訳ですが、政令指定都市は行政区しかおけず、中核市・特例市はそれすら置くことができない。
また中核市・特例市はあまり境目のはっきりしないものです。

地方分権が進めば、次に重要になってくるのは都市内分権です。
これを考えると今の制度は不十分といえますし、都道府県から独立した広域自治体にして、基礎自治体としての自治区を置ける特別市、中途半端な位置づけで行政区が置ける政令指定都市、行政区が置けない20-50万人の中核市、という制度に改編する必要もあると思います。

合併特例法は市制をしきたい自治体、政令指定都市を目指す自治体、財政難の自治体を焦らせて、民意を反映しきれずにお上主体で進んでしまっている感じがします。合併特例法などの期限を延長するなどして、もっとゆとりのある話し合いを進めた方がいいと思います。
これは同感ですね。
今の合併論議は民意を反映していないところが多いですし、圧力をかけて焦らそうとするから、反発する自治体も出てくる。無理な合併を検討するところが出てくる。
それと、大きな市と小さな町村が合併すれば、インフラ整備などで格差が出てきますが、合併自治体がそれを埋めて均衡ある都市発展を目指していくためには、現行特例法の期限後に特例措置を一切無くすというのではなく、特例措置をいくらか限定した新しい特例法を設ける必要があるでしょう。
[14482] 2003年 5月 1日(木)14:24:37BANDALGOM[月の輪熊] さん
都市政策の一環としての政令指定都市
[14281]ごろごろさん
堺市も湘南地域も府県庁所在地ではなく、堺市は大阪の衛星都市、湘南地域は東京、横浜の衛星都市に過ぎないので政令指定都市の実現は難しいと前々から思っていました。そして今回、両市とも挫折という結果になったのですが、付近住民の意見としては、反対が多かったのでもう政令指定都市という時代ではないのかもしれません。
(中略)
私はわざわざ合併しなくても現存の規模のままでも十分だと思います。住民投票の結果からも付近住民も政令指定都市化には積極的ではなく、むしろ現在の市域のままのほうが行政サービスもしやすいのではないのでしょうか。
湘南地域はともかく、現在の政令指定都市についての要件緩和措置がある以上、堺市は美原町と合併すれば政令指定都市になるでしょう。

政令指定都市はもともと旧五大市(横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)のために用意されたもので、その後地方中枢都市などに拡大してきましたが、決してこれらの都市が独占するものではなく、人口の多い大都市圏でも、都市政策の一環として考える必要があると思います。

大都市圏の中小都市は都道府県から自立する必要があります。
一般的に都道府県は財源を農漁村地域に優先配分しますし(千葉県や愛知県はそれが特に顕著といわれますが)、その中で大都市圏の中小都市は基盤整備が遅れがちです。

3年前の東海大水害では、名古屋市内の被災地域と市外の被災地域で、災害復旧の程度に格差が目立ったといわれますし、それで名古屋市への編入を求める住民の声も高まったといいます。
また、千葉県の北西部でも道路の整備が他地域に比べ遅れていますが、このような問題の解決のためには、政令指定都市になることによって県から自立して、市の権限・財源などで取り組んでいく必要性もあるのです。

また人口規模が拡大すれば、一般市町村の本庁-支所体制だけでは住民のニーズに対応できなくなる部分も多く出てきますし、それに対応するために行政区を設けて対応していく必要もあります。

「現在の市域のままのほうが行政サービスもしやすい」というのは、我孫子市が住民を合併反対に誘導するために使った口実でもありますが、これは役所の御都合主義であることもままあります。
もちろん、武蔵野市や三鷹市、芦屋市などのように、現在の市域のままでもうまくやっていける都市も存在しますが、そうでない都市もたくさんありますし、これからは地方分権に続く「都市内分権」が検討されています。

なんでも役所に頼るのではなく、住民たちに出来ることは地域の住民組織やNPO、ボランティア団体などで対応していく方向になるでしょうから、「現在の市域のままのほうが行政サービスもしやすい」という考え方も変わっていくでしょう。
[53824] 2006年 9月 5日(火)18:07:26【1】hmt さん
中核市が生まれて10年
この記事は、「政令指定都市」という用語に関する[53814]の末尾に記した「中核市」関係の部分を分割し、再構成した上で書き足したものです。

中核市を論ずるとなると、最初に、どのような利点(権限の委譲)があり、どのような負担があるのかを心得る必要があります。
しかし、残念ながらこの点について論ずるだけの力を持たないので、[11805] seahawk さんの対照表と、[2796] たけもと さん による八王子論を引用するに止めておきます。

では、中核市が生まれてからの10年間、どんな都市が指定されてきたかを、指定要件が緩和されてきた歴史と共にたどります。

1995年4月1日の制度発足から1年後の1996年指定は12市( 宇都宮、新潟、富山、金沢、岐阜、静岡、浜松、堺、姫路、岡山、熊本、鹿児島 )。
翌年以降は、毎年4月1日に数が増えてゆきます。
1997年(秋田、郡山、和歌山、長崎、大分)、1998年(豊田、福山、高知、宮崎)、1999年(いわき、長野、豊橋、高松)

2000年4月1日施行で人口30万人以上50万人未満の市に対する昼夜間人口比率要件が廃止されました。
2000年(旭川、松山)、2001年(横須賀)、2002年(奈良、倉敷)とペースは落ちますが毎年追加指定が続きます。

2002年4月1日施行で人口50万人以上の市については面積要件が廃止されました。
翌2003年の追加指定は、川越、船橋、相模原、岡崎、高槻の各市ですが、このうち船橋と相模原(当時)の面積は、100km2未満であり、要件緩和に救われた実例となりました[2764]
静岡市は、1996年に中核市に指定されていましたが、2003年に清水市との新設合併によって旧・静岡市の指定は解消され、改めて指定されました。

2004年の追加指定は東大阪市ですが、新設合併の富山市も改めて指定されました。
2005年は、4月1日に静岡市が政令指定都市になり、はじめて中核市の数が減少。10月1日には函館市、下関市が指定。

そして、本年(2006)6月7日に公布された地方自治法の改正で、中核市の面積要件(252条の23)が削除されました。
官報 の附則によって確認できるように、この部分の改正は即日施行で既に有効になっている筈ですが、総務省の法令データ提供システム には、まだ旧条文が残っていました。

「面積100km2の壁」が取り払われたことを最も歓迎したのは、僅か0.04km2の差で及ばなかった西宮市[2781][2789][19219]ではないかと思うのですが、西宮市の中核市移行の経緯と予定 によれば、
西宮市は、平成20年(2008年)4月1日の「中核市」移行をめざし、準備を進めています。
とのことなので、まだ少し先のことになるようです。

それよりも早く、本年10月1日から中核市に追加指定されることが決まっているのが青森市です。
中核市の指定に関する政令 の中で(未施行)と付記されている「平成十八年五月十九日政令第百九十九号」に出ています。

最後に、「都道府県市区町村」の中の日付表記について。
政令指定都市・中核市・特例市一覧 で、富山市の中核市指定日が1996.4.1となっています。
実質的には、この日から富山市が中核市であることは間違いなく、私自身もこの日付が良いのではないかと思うのですが、形式的には、1996年に指定された旧・富山市は、2005.4.1の新設合併により消滅し、この日に(新しい)富山市が中核市に指定されています。総務省の中核市一覧 の注3参照。

これは、グリグリさんの専門分野(?)である「市制施行日」とも共通する問題であると思われ、表記方針に口を出すつもりはありませんが、上記の政令に記された中核市の順位では、
……東大阪市 富山市 函館市 下関市
と、新参者扱いにされている事実を指摘しておきます。


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