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みなとみらいトンネル関連記事

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[79483] 2011年 10月 11日(火)13:55:28N-H さん
水底トンネルコレクションへの追加候補(となるかどうか)
今川焼さんの[79477]に書かれている水底トンネルコレクション-Googleマップを拝見していて、そういえば最近このコレクションの候補を発見したのを思い出しました。
それはここでレポートされているものです。
未完成の道路でありまだ誰も通れない、かつ水路以外の部分も多いので参考記録程度になるのかもしれませんが、都会の中のミステリアスな空間としても興味深いものかと思います。
残念ながら今のところこのトンネルが実際に使われる見込みは立っていないようです。
ところでここでご紹介した「はまれぽ.com」というサイトは横浜市内の地理関係の隠れた情報がかなり取り上げられ、また実地検分を旨とするためになかなかおもしろく見入ってしまいます。
[81986] 2012年 10月 21日(日)20:20:48MasAka さん
横浜臨港道路の水底トンネル
久々に落書き帳を訪れたところ、ハンブルガーさんの訃報の記事が……。直接のやりとりはありませんでしたが、ご冥福をお祈りいたします。ちょうど今月初めには私が学生時代に非常にお世話になっていた1歳上の大学の先輩が亡くなり、「まだ若いのになぜこんなことに……」と思っていた矢先だったので、相次ぐ若い方の訃報に非常に驚きました。

さて、本題ですが、ちょうど1年ほど前に[79483]でN-Hさんが話題にした横浜臨港道路の未開通トンネル、13年間の沈黙の時を経てついに開通に向けて動き出したようです(読売新聞の記事)。これでいよいよ今川焼さんの水底トンネルコレクションに晴れて登載となるのでしょうか?
[82971] 2013年 3月 9日(土)00:47:11MasAka さん
みなとみらいトンネル開通!
[79483]でN-Hさん、[81986]で私が話題に取り上げた横浜臨港道路のみなとみらいトンネルが、今月19日の午後2時頃から供用開始となる旨、横浜市港湾局のウェブサイト上に情報が掲載されていました(3月1日付)。

横浜市港湾局報道発表資料:国際大通り「みなとみらいトンネル」の開通について

N-Hさんが[79483]で紹介したサイト「はまれぽ.com」でもこのトンネルの開通に関する話題が紹介されており(記事へのリンク)、それによると完成は1999年なので、14年ぶりの供用開始となるようです。横浜ワールドポーターズに隣接する円形歩道橋、新港サークルウォークの上から現地を見てきましたが、出入口の整備工事がだいぶ進んでいました。

というわけで、いよいよ今川焼さんの水底トンネルコレクションに掲載される日も近い!?


話は変わって中高一貫の話題が出ていますが、私は同じ所に長く居続けるよりも、3年ほどのサイクルで次々と環境を変えて刺激を与えてやるのが人間の成長にとってベストだと思っていますので、普通に中学と高校は別々に通ったほうが良いと考えています。ちなみに、今仕事をしている部署に配属となってからすでに3年を越えてしまったため、いい加減早く他の部署に異動させて欲しいと願っているところなのですが、残念ながら4月の転勤はないようです……。数年前には経県値がいっちゃんさんに並ぶのも秒読みかと思っていましたが、ここに来て足踏み状態になってしまったのでなかなか追いつきませんね(笑)。
[82972] 2013年 3月 9日(土)19:56:57hmt さん
横浜みなとみらい21
現在東京メトロ副都心線で渋谷駅まで乗り入れている東武東上線・西武池袋線ですが、来週の土曜日 2013年3月16日から東急東横線・横浜高速みなとみらい線への乗り入れも始まることになっています。

私の居住地からは遠いと感じていた「横浜みなとみらい21」ですが、これで少しは身近になるかと思っていたら、電車の直通運転開始後3日後の3月19日 「みなとみらいトンネル」開通の記事 が落書き帳に現れました。

…というわけで、「MM21」とも略称されるこの地域について、少し調べてみました。

この地域の歴史を語る上で欠かすことができないのが造船所です。
渋沢栄一が地元の財界人と協力して横浜船渠を設立したのが明治22年(1889)。市制町村制と同じ年です。
三菱重工業に合併したのが1935年。占領下の財閥解体時代には、東日本重工業と名乗ったこともあります。
その後、船舶の大型化が進むと、横浜という立地ではこれに対応することができず、歴史あるドックも使われなくなり、横浜造船所自体も1980年以降に本牧・金沢地区に移転しました。

ところで、横浜市の本来の中心地は関内ですが、明治5年に開通した鉄道は この地区に入ることができず、初代横浜駅は町の手前で行き止まり。日本を東西に結ぶ幹線鉄道が東海道と決められた後も この事情は変らず、スイッチバックで凌いだりした時代を経て作られた 3代目の現・横浜駅[49808]の位置は、神奈川との境界付です。
こうなると、横浜駅付近には新たな都心部が形成されてきて、都心部の二分化をもたらします。

1965年 横浜市の飛鳥田市長は、分断された横浜都心部を一体化する再編成を提案したのですが、当時は盛んに仕事をしていた横浜造船所や鉄道貨物施設を移転させることができませんでした。

経済状況の変化を受け、「横浜市都心臨海部総合整備計画」が発表されたのは、1979年の細郷市長時代。
1983年の横浜造船所の移転完了と共に「みなとみらい21」事業がスタートしました。
造船所跡地に建設された横浜ランドマークタワーは 296mで、1993年に日本で最も高いビル(未開業の阿部野橋ターミナルビルは300m)としてオープン。石造の第2号ドックを復元したドックヤードガーデンも作られています。
なお第1号ドックは、これに先立ち「日本丸メモリアルパーク」(1985)として保存されています。

「みなとみらいトンネル」がその地下を通っている 横浜臨海道路(パシフィコ横浜前付近)を中心とする地図 を見ると、ドックのあった海岸線よりも数百m沖であることがわかります。
参考までに、横浜市三千分一地形図新港町(昭39) をリンクします。左端中央付近に第1号ドック(注記なし)があります。新港ふ頭の北西にあるMM21の主要部が海面であったことを、この地図で確認することができます。

なお、みなとみらい地区の北部には、高島駅や高島埠頭など 横浜造船所や海面とは異なる歴史を持つ土地もあります。

[81986]で紹介された新聞記事によると、横浜市の臨港幹線道路は、神奈川区恵比寿町―中区本牧ふ頭間を結ぶ全長10.5kmの市道として、1982年度に策定された港湾計画によるもので、今回のトンネルはその一部です。
トンネル開通発表資料 には 「開削トンネル」と記されていましたが、実は将来の交通量増大を見越して、海面埋立の土地造成に際して地下トンネルになる大きなコンクリ箱を埋めておいた「沈埋トンネル」であったようです。はまれぽ記事

20世紀末(1986-1999)に 約300億円(はまれぽ)をかけた 先行投資によるトンネル。
4車線構造のうち 当面は2車線のみ使用だが、ようやく生きることになりました。
もっとも、今回開通したのは大部分が道路の「地下路線」(一部に換気用の開口部)であり、水底部分は ほんの僅かです。
一部だけが水底になっている鉄道の「地下路線」(JR東京トンネルや東京メトロの各線)を除外している 前例 からすると、「水底トンネル」コレクションへの収録は難しいかもしれません。


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