都道府県市区町村
落書き帳

県境変更

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[79537] 2011年 10月 19日(水)18:11:44【1】hmt さん
県境の変更 (1)県境変更手続
[79523] 88 さん
県の境界にわたる境界変更を抽出しました。(中略)S22.5.3以降に総理府告示等があったものに限ります。
[79525] オーナー グリグリ さん
このリストは貴重な資料でしょう。何らかの形で残したいものです。

88マガジン創刊も期待したいところですが、とりあえずは、hmtマガジン のテーマ「境界」の中に 特集「県境の変更」を新設して、収録しておきたいと思っています。

県の数は、明治4年(1871)廃藩置県で生まれた3府302県が 3府72県にリセットされました[76179]
その後も、かなり大幅な手直しが行なわれ、明治9年(1876)に3府35県の最小値を記録しました。
明治12年以降、9増(沖縄・徳島・福井・鳥取・富山・佐賀・宮崎・奈良・香川)1減(堺)があり、明治21年には3府43県で落ち着きました。

当然、これまでの間には極めて多くの「県境変更」があったわけですが、県自体の改廃が行なわれた 明治前期の県境変更は、今回のテーマとは別次元のものと捉えるのが妥当でしょう。

さて、都道府県の廃置分合又は境界変更は 法律を必要としますが(地方自治法第6条第1項)、都道府県の境界にわたる 市町村の設置又は境界変更 があれば、県境も自動的に変更されます(同第2項)。
現行法下では、特別法を作る前者の事例は皆無で、現実の県境変更事例は、すべて市町村の廃置分合又は境界変更に伴う後者です。

県境を越えた市町村合併について調べていたら、その手続きをまとめた 下関市の 参考資料 がありました。
この資料を参照し、示された11件(大部分[54264]に収録)の越境合併を、手続きで分類した結果は次の通りです。

A 既存のどちらかの県に属する場合
 A1 編入合併により元の町村はなくなる
  A1.1 村全域の編入(越県廃置分合)
   例:樫田村 [31152]菱村 [2878][14616]山口村 [25925][46924]
  A1.2 事実上の分村編入(前日に県残留地区を境界変更で分村してから越県廃置分合)
   例:元狭山村 [4049]石徹白村 [54300][68397]神坂村 [25925][55505]
  A1.3 分村編入(越県地区は境界変更、県残留地区は廃置分合)
   例:三濃村[46981]越県 残留矢場川村 越県 残留

 A2 町村の一部が境界変更で他県に編入(元の町村は存続) 変遷情報には大字単位を収録
   例:亀岡市西別院町の一部、日生町福浦[46914]、田沼町入飛駒[31165]

 A3 新設合併
   例:戦前の制度では 大泉村 があるが、現行法では該当事例なし。

B 既存の県から独立して新たな県をつくる場合
   例:もちろん該当事例なし。この項目の存在には“さすが”と感じたが、下関市topから辿れず、何の参考資料か不明。

便宜上「村」とか「町村」とか書きましたが、正確には「市町村」です。特別区への適用は地方自治法283条。
「県」と書いた部分も、もちろん正確には「都道府県」です。

下関市HP参考資料は「合併」だけを対象にしたものですが、県境変更には、合併(広義には廃置分合又は境界変更)を伴わず、(C)特別法による県境変更があります。

先に記したように、地方自治法下では特別法による県境変更の該当事例がありませんが、変遷情報が戦前に及んでいる以上、大日本帝国憲法時代の法律における県境変更も参照することにします。
すると、府県制 第3条と 明治23年の旧府県制 第1条とに、地方自治法第6条と同様の規定がありました。

そして、戦前の県境変更については、特別法の事例があり、過去記事[47106]もありました。
これについては、別記事で補足します。
[79538] 2011年 10月 19日(水)19:43:18hmt さん
県境の変更 (2)戦前の県境変更事例
[79537]で記したように、明治前期の県の改廃に伴う県境変更は、今回のシリーズの対象外とします。
県の新設や廃止と無関係に「郡単位の管轄変更」が行なわれて、県境が変更された事例は2件あります。

最初は、福島県庁の郡山移転騒動がすり替えられたという 東蒲原郡の新潟県への移管です。
この地は、かつて会津領だった関係で明治になってからも若松県→福島県に所属していましたが、元々の越後国に戻されたわけです。
明治19年5月12日勅令第43号 の日付は、市制町村制に続いて制定された「郡制」や「府県制」という地方行政の法律体系ができ上がるより 少し前の時代に行なわれた変更であったことを示しています。

そのいきさつは、[69172]を御覧ください。東蒲原郡の移管自体は、明治22年(変遷情報の起点)よりも前でしたが、飯豊山の領有争いが決着して 奇妙な姿の福島県境 が確定したのは、ずっと後の明治40年(1907)でした。

郡単位での移動のもう一つの事例は、東京の水源確保を名目として、神奈川県西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡が 東京府 の管轄になった 三多摩移管 です。明治26年3月6日法律第12号(4月1日施行)

この法律は、明治23年の旧府県制 第1条に基づき制定された特別法でした。
明治時代には、このような大規模な県境変更だけでなく、町村単位やそれ以下の規模の県境変更を定める特別法がありました。
その大部分については、既に[47106]で簡単な説明を加えています。
ここでは、更に若干の補足を記します。

東京府埼玉県千葉県茨城県境界変更法(明治28年3月30日法律第24号)
江戸川河川改修の結果生じた対岸飛び地を、本体側に編入するもので、他県から千葉県への編入を+、逆を-として表記して数えると、東京府+1-3、埼玉県+3-6、茨城県-1、合計14件。例えば江戸川が 妙見島 の東を流れるように改められたので、この島は東京府の所属になりました。

岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号)
福岡県→大分県の境界変更地は、山国川支流東側の編入。[59173]にて既報。

東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律(明治45年3月28日法律第5号)
多摩川の流路変更に伴なう対岸飛び地を、本体側に編入するものでした。1~6号が東京府から神奈川県。7~12号が逆。
例えば第1号には布田、第2号には宇奈根・瀬田・野毛、第3号には 等々力 という具合に、「自治体越えの地名」コレクション 収録対象地名が見えます。
流路変更に伴なう対岸飛び地が神奈川県に変更されたことが 地名の「自治体越え」の原因であることを、はっきり示しています。

東京府荏原郡玉川村大字等々力の内多摩川以南を神奈川県橘樹郡中原村に編入す。
[79541] 2011年 10月 20日(木)16:29:32hmt さん
県境の変更 (3)戦前の県境変更事例 新設合併・境界変更
[79538]のタイトルは「戦前の県境変更事例」でしたが、特別法による明治の事例が殆んどであり、市町村合併や市町村間の境界変更を事由とするものは対象外になっていました。
今回のシリーズの発端となった[79523] 88 さんのリストは、まさにこの種の県境変更に関するものですが、情報元の官報情報検索サービスの制約上、利用できるのは 戦後の事例に限られます。

町村廃置分合や境界変更に関する戦前の記録探索は、全国を対象に実行するとなると、県報へのアクセスなどでの困難があると思われます。
そこで、完全は期し難いことを承知の上で、既に変遷情報に記録されているものの中から、県境変更事例に該当すると思われるデータを拾ってみました。(手法は、県別リスト内で Ctrl+F 県)
明治32年の利根川北岸 金江津村などもヒットしますが、既に[47106]で検索された特別法によるこれらのものを除くと、戦前の事例として3件が残りました。

最初の2件は、東京周辺部ということもあり、割合有名な県境変更地です。
しかし、3件目の伊賀袋クラスになると、未発見の県境変更地が まだまだ多数あるのではないかと思われます。

明治24年(1891) 東京府北豊島郡大泉村となった新設合併
[62334]で引用した『ねりま区報』に記されているように、東京府北豊島郡石神井村上土支田と埼玉県新座郡榑橋村との学校統合による経費節減が目的とのことです。新座郡新倉村長久保も参加しています。
榑橋村は、保谷村ほどではないにしても、埼玉県としては南端に近く、東京府の側にやや突き出た位置にあります。
合併後の大泉村が「東京府所属」になることを選んだのは、自然の成り行きと思われます。

その保谷村も明治40年(1907)には東京府に所属変更。こちらは合併を伴わないので、特別法でした[47106]

2番目は大正15年(1926) 埼玉県北足立郡横曽根村であった浮間を 東京府北豊島郡岩淵町に境界変更
浮間は、かつて大きく南に蛇行していた流路を短絡した結果、荒川の南岸になった場所です[36159]

変遷情報に最近記録されたのが、昭和5年(1930) 茨城県から埼玉県に境界変更された伊賀袋 です。
利根川と同時に行なわれた渡良瀬川改修により、茨城県から見れば対岸飛び地になっていたので、これを解消。
私は 2010年オフ会記録資料作成過程において明治の輯製図を現代の地勢図と見比べて、流路と県境とが変更されていることを偶然に発見しました[76950]。その後で落書き帳を「伊賀袋」で検索してみると、 2003年の記事 で既に県境変更(但し 1932年と記載)に言及されていました。落書き帳恐るべし。

余談ですが、会津オフ会で利用する方が多いと思われる東武日光線。利根川を渡った直後に、この伊賀袋を通過します。
旧河道跡も残っているので車窓必見スポット?
1929年の開業から1年3ヶ月間だけは、茨城県の対岸飛び地だった![11207]
[79559] 2011年 10月 25日(火)13:11:52hmt さん
県境の変更 (4)県境変更のいろいろ 特別法・市町村の廃置分合・境界変更
3府43県が出揃い(M21=1888)、市制町村制が施行された(M22=1889)「明治中期以降」の県境変更について記しています。
M23に公布された府県制は、郡の再編が進まずに施行が遅れました[62662]

地方自治法では“都道府県の境界変更は法律でこれを定める”ことを本則としています[79537]
しかし 現実に行なわれた県境変更事例は、この本則によるものではありません。
戦後のすべての県境変更事例は、“都道府県の境界にわたる市町村の境界”の動きに従属して“自ら変更する”ことになった県境です(地方自治法第6条第2項)。
つまり、主役は県境の「市町村」であり、都道府県の境界変更につれて市町村の領域が変化したものではない。
これが、県境変更の現実の姿です。

もっとも、明治後期には 政府や府県が主役となり、県境変更の特別法を制定した事例が いくつかありました[79538][47106]

明治26年の 東京府及神奈川県 境域変更に関する法律 による 三多摩移管がその代表例です。しかし、当時の東京府・神奈川県にはまだ府県制が施行されていませんでした。この特別法は、府県制とは一応無関係に制定された法律 であったようです。

余談ですが、北多摩郡が東京府になったことで、武蔵野台地にあった“平地の3府県境”[75152]は 消滅し、更に埼玉県“新座半島”[68760] 先端の保谷村が北多摩郡に編入されて(M40)、“元3府県境”は 東京府の中の ありふれた3村境(保谷村・武蔵野村・石神井村)[68760]になってしまいました。

東京付近で もう一つ目立つトピックスは 県境河川改修にからむ県境変更です。
江戸川(M28)[79538]・利根川(M32)[47106]・多摩川(M45)[79538]は、改修工事の後で それぞれ定められた境界変更法により、新流路が新県境になりました。

もちろん戦前にも 合併や境界変更による 市町村主役の 個別的県境変更事例 がありました [79541]
戦前の事例につき この種の記録を全国的に探索するとしたら、県報へのアクセスなどでの困難が予想され、完全なリスト作りは難航するおそれがあります。このことは既に触れました。

引き続き、現行の法体系下、つまり昭和22年5月3日以降に行なわれた 県境変更事例の種類について記します。

下関市の参考資料[75937]に示された 11件の事例を、廃置分合による越県と、境界変更による越県とに分けてみました。

廃置分合事例 6件

 5件は、昭和大合併の際に認められた越県合併[55505]の仲間です。昭和の 新市町村建設促進中央審議会が 5件(境界変更[79523]の5番、8番、9番を加えれば8件)を認めたのに比べて、平成大合併では僅かに1件というのは時代の違いでしょうか。
 5件のうち、樫田村と菱村とは 村まるごと編入です。 元狭山村・石徹白(いとしろ)村・神坂村の3件は、村内の一部地域を前日に分村(境界変更)して 県内に残留させるという手法を取った点と、越県合併の施行日(S33.10.15)とが共通しています。

 S33. 4. 1 京都府桑田郡樫田村が、まるごと大阪府 高槻市に編入
 S33.10.15 埼玉県入間郡元狭山村が 東京都西多摩郡 瑞穂町に編入【分村先 武蔵町
 S33.10.15 福井県大野郡石徹白村が岐阜県郡上郡白鳥町に編入【分村先 和泉村
 S33.10.15 長野県西筑摩郡神坂村が 岐阜県 中津川市に編入【分村先 山口村
 S34. 1. 1 栃木県足利郡菱村が、まるごと群馬県 桐生市に編入
 H17.2.13 長野県木曽郡山口村が、まるごと岐阜県 中津川市に編入
 昭和大合併では島崎藤村の故郷・馬籠を長野県に残したことで有名な分村事件でしたが、その山口村も、平成大合併では岐阜県になりました。

境界変更事例 5件  リスト番号は、[79523]88さんによる告示順の番号です。

 リスト番号 5 S30.4.1 岐阜県恵那郡三濃村大字浅谷及び野原が 愛知県東加茂郡旭村へ【残る横通は 岐阜県内明智町編入
 リスト番号 8 S33.4.1 京都府亀岡市西別院町牧及び寺田の大半が 大阪府豊能郡東能勢村へ【亀岡市は存続】
 リスト番号 9 S35.7.1 群馬県山田郡矢場川村の東部地域が 栃木県足利市へ【西部地域は 群馬県内太田市編入
 リスト番号11 S38.9.1 岡山県和気郡日生町大字福浦の大半が 兵庫県赤穂市へ【日生町は存続】
 リスト番号17 S43.4.1 栃木県安蘇郡田沼町入飛駒(いりひこま)地区が群馬県桐生市へ【田沼町は存続】

入飛駒について
ここは、大字飛駒の一部で「大字」単位には該当しない との判断から、変遷情報の境界変更収録対象に不採用なのかもしれません。
しかし、桐生市の変遷【注】 によると 面積は5.65km2もあり、事実 20万分1地勢図でも充分に県境変更を認識することができます[46981]
かつては老越路峠を越えて飛駒の本体と連絡するのに一日がかりだったと伝えられる 事実上の別集落で、小学校もありました。
なお、桐生川ダムの梅田湖ができて一部が水没しました(1983)。
事実上独立した集落であったことに配慮すれば、入飛駒地区の境界変更は、他の 10事例と同様に、変遷情報に記録してもよいのではないでしょうか。>88さん
【注】
この頁の表の部分は [75906] おがちゃん さん 報告による 桐生市|市域の変遷 と同じです。しかし、二分された状態の市域図が描かれているだけに、より分りやすいと思います。
収集基準[76001]の (5)からすると、採用は難しいのでしょうか?> オーナー グリグリさん


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