都道府県市区町村
落書き帳

県境変更

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[79537] 2011年 10月 19日(水)18:11:44【1】hmt さん
県境の変更 (1)県境変更手続
[79523] 88 さん
県の境界にわたる境界変更を抽出しました。(中略)S22.5.3以降に総理府告示等があったものに限ります。
[79525] オーナー グリグリ さん
このリストは貴重な資料でしょう。何らかの形で残したいものです。

88マガジン創刊も期待したいところですが、とりあえずは、hmtマガジン のテーマ「境界」の中に 特集「県境の変更」を新設して、収録しておきたいと思っています。

県の数は、明治4年(1871)廃藩置県で生まれた3府302県が 3府72県にリセットされました[76179]
その後も、かなり大幅な手直しが行なわれ、明治9年(1876)に3府35県の最小値を記録しました。
明治12年以降、9増(沖縄・徳島・福井・鳥取・富山・佐賀・宮崎・奈良・香川)1減(堺)があり、明治21年には3府43県で落ち着きました。

当然、これまでの間には極めて多くの「県境変更」があったわけですが、県自体の改廃が行なわれた 明治前期の県境変更は、今回のテーマとは別次元のものと捉えるのが妥当でしょう。

さて、都道府県の廃置分合又は境界変更は 法律を必要としますが(地方自治法第6条第1項)、都道府県の境界にわたる 市町村の設置又は境界変更 があれば、県境も自動的に変更されます(同第2項)。
現行法下では、特別法を作る前者の事例は皆無で、現実の県境変更事例は、すべて市町村の廃置分合又は境界変更に伴う後者です。

県境を越えた市町村合併について調べていたら、その手続きをまとめた 下関市の 参考資料 がありました。
この資料を参照し、示された11件(大部分[54264]に収録)の越境合併を、手続きで分類した結果は次の通りです。

A 既存のどちらかの県に属する場合
 A1 編入合併により元の町村はなくなる
  A1.1 村全域の編入(越県廃置分合)
   例:樫田村 [31152]菱村 [2878][14616]山口村 [25925][46924]
  A1.2 事実上の分村編入(前日に県残留地区を境界変更で分村してから越県廃置分合)
   例:元狭山村 [4049]石徹白村 [54300][68397]神坂村 [25925][55505]
  A1.3 分村編入(越県地区は境界変更、県残留地区は廃置分合)
   例:三濃村[46981]越県 残留矢場川村 越県 残留

 A2 町村の一部が境界変更で他県に編入(元の町村は存続) 変遷情報には大字単位を収録
   例:亀岡市西別院町の一部、日生町福浦[46914]、田沼町入飛駒[31165]

 A3 新設合併
   例:戦前の制度では 大泉村 があるが、現行法では該当事例なし。

B 既存の県から独立して新たな県をつくる場合
   例:もちろん該当事例なし。この項目の存在には“さすが”と感じたが、下関市topから辿れず、何の参考資料か不明。

便宜上「村」とか「町村」とか書きましたが、正確には「市町村」です。特別区への適用は地方自治法283条。
「県」と書いた部分も、もちろん正確には「都道府県」です。

下関市HP参考資料は「合併」だけを対象にしたものですが、県境変更には、合併(広義には廃置分合又は境界変更)を伴わず、(C)特別法による県境変更があります。

先に記したように、地方自治法下では特別法による県境変更の該当事例がありませんが、変遷情報が戦前に及んでいる以上、大日本帝国憲法時代の法律における県境変更も参照することにします。
すると、府県制 第3条と 明治23年の旧府県制 第1条とに、地方自治法第6条と同様の規定がありました。

そして、戦前の県境変更については、特別法の事例があり、過去記事[47106]もありました。
これについては、別記事で補足します。
[79538] 2011年 10月 19日(水)19:43:18hmt さん
県境の変更 (2)戦前の県境変更事例
[79537]で記したように、明治前期の県の改廃に伴う県境変更は、今回のシリーズの対象外とします。
県の新設や廃止と無関係に「郡単位の管轄変更」が行なわれて、県境が変更された事例は2件あります。

最初は、福島県庁の郡山移転騒動がすり替えられたという 東蒲原郡の新潟県への移管です。
この地は、かつて会津領だった関係で明治になってからも若松県→福島県に所属していましたが、元々の越後国に戻されたわけです。
明治19年5月12日勅令第43号 の日付は、市制町村制に続いて制定された「郡制」や「府県制」という地方行政の法律体系ができ上がるより 少し前の時代に行なわれた変更であったことを示しています。

そのいきさつは、[69172]を御覧ください。東蒲原郡の移管自体は、明治22年(変遷情報の起点)よりも前でしたが、飯豊山の領有争いが決着して 奇妙な姿の福島県境 が確定したのは、ずっと後の明治40年(1907)でした。

郡単位での移動のもう一つの事例は、東京の水源確保を名目として、神奈川県西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡が 東京府 の管轄になった 三多摩移管 です。明治26年3月6日法律第12号(4月1日施行)

この法律は、明治23年の旧府県制 第1条に基づき制定された特別法でした。
明治時代には、このような大規模な県境変更だけでなく、町村単位やそれ以下の規模の県境変更を定める特別法がありました。
その大部分については、既に[47106]で簡単な説明を加えています。
ここでは、更に若干の補足を記します。

東京府埼玉県千葉県茨城県境界変更法(明治28年3月30日法律第24号)
江戸川河川改修の結果生じた対岸飛び地を、本体側に編入するもので、他県から千葉県への編入を+、逆を-として表記して数えると、東京府+1-3、埼玉県+3-6、茨城県-1、合計14件。例えば江戸川が 妙見島 の東を流れるように改められたので、この島は東京府の所属になりました。

岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号)
福岡県→大分県の境界変更地は、山国川支流東側の編入。[59173]にて既報。

東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律(明治45年3月28日法律第5号)
多摩川の流路変更に伴なう対岸飛び地を、本体側に編入するものでした。1~6号が東京府から神奈川県。7~12号が逆。
例えば第1号には布田、第2号には宇奈根・瀬田・野毛、第3号には 等々力 という具合に、「自治体越えの地名」コレクション 収録対象地名が見えます。
流路変更に伴なう対岸飛び地が神奈川県に変更されたことが 地名の「自治体越え」の原因であることを、はっきり示しています。

東京府荏原郡玉川村大字等々力の内多摩川以南を神奈川県橘樹郡中原村に編入す。
[79541] 2011年 10月 20日(木)16:29:32hmt さん
県境の変更 (3)戦前の県境変更事例 新設合併・境界変更
[79538]のタイトルは「戦前の県境変更事例」でしたが、特別法による明治の事例が殆んどであり、市町村合併や市町村間の境界変更を事由とするものは対象外になっていました。
今回のシリーズの発端となった[79523] 88 さんのリストは、まさにこの種の県境変更に関するものですが、情報元の官報情報検索サービスの制約上、利用できるのは 戦後の事例に限られます。

町村廃置分合や境界変更に関する戦前の記録探索は、全国を対象に実行するとなると、県報へのアクセスなどでの困難があると思われます。
そこで、完全は期し難いことを承知の上で、既に変遷情報に記録されているものの中から、県境変更事例に該当すると思われるデータを拾ってみました。(手法は、県別リスト内で Ctrl+F 県)
明治32年の利根川北岸 金江津村などもヒットしますが、既に[47106]で検索された特別法によるこれらのものを除くと、戦前の事例として3件が残りました。

最初の2件は、東京周辺部ということもあり、割合有名な県境変更地です。
しかし、3件目の伊賀袋クラスになると、未発見の県境変更地が まだまだ多数あるのではないかと思われます。

明治24年(1891) 東京府北豊島郡大泉村となった新設合併
[62334]で引用した『ねりま区報』に記されているように、東京府北豊島郡石神井村上土支田と埼玉県新座郡榑橋村との学校統合による経費節減が目的とのことです。新座郡新倉村長久保も参加しています。
榑橋村は、保谷村ほどではないにしても、埼玉県としては南端に近く、東京府の側にやや突き出た位置にあります。
合併後の大泉村が「東京府所属」になることを選んだのは、自然の成り行きと思われます。

その保谷村も明治40年(1907)には東京府に所属変更。こちらは合併を伴わないので、特別法でした[47106]

2番目は大正15年(1926) 埼玉県北足立郡横曽根村であった浮間を 東京府北豊島郡岩淵町に境界変更
浮間は、かつて大きく南に蛇行していた流路を短絡した結果、荒川の南岸になった場所です[36159]

変遷情報に最近記録されたのが、昭和5年(1930) 茨城県から埼玉県に境界変更された伊賀袋 です。
利根川と同時に行なわれた渡良瀬川改修により、茨城県から見れば対岸飛び地になっていたので、これを解消。
私は 2010年オフ会記録資料作成過程において明治の輯製図を現代の地勢図と見比べて、流路と県境とが変更されていることを偶然に発見しました[76950]。その後で落書き帳を「伊賀袋」で検索してみると、 2003年の記事 で既に県境変更(但し 1932年と記載)に言及されていました。落書き帳恐るべし。

余談ですが、会津オフ会で利用する方が多いと思われる東武日光線。利根川を渡った直後に、この伊賀袋を通過します。
旧河道跡も残っているので車窓必見スポット?
1929年の開業から1年3ヶ月間だけは、茨城県の対岸飛び地だった![11207]
[79559] 2011年 10月 25日(火)13:11:52hmt さん
県境の変更 (4)県境変更のいろいろ 特別法・市町村の廃置分合・境界変更
3府43県が出揃い(M21=1888)、市制町村制が施行された(M22=1889)「明治中期以降」の県境変更について記しています。
M23に公布された府県制は、郡の再編が進まずに施行が遅れました[62662]

地方自治法では“都道府県の境界変更は法律でこれを定める”ことを本則としています[79537]
しかし 現実に行なわれた県境変更事例は、この本則によるものではありません。
戦後のすべての県境変更事例は、“都道府県の境界にわたる市町村の境界”の動きに従属して“自ら変更する”ことになった県境です(地方自治法第6条第2項)。
つまり、主役は県境の「市町村」であり、都道府県の境界変更につれて市町村の領域が変化したものではない。
これが、県境変更の現実の姿です。

もっとも、明治後期には 政府や府県が主役となり、県境変更の特別法を制定した事例が いくつかありました[79538][47106]

明治26年の 東京府及神奈川県 境域変更に関する法律 による 三多摩移管がその代表例です。しかし、当時の東京府・神奈川県にはまだ府県制が施行されていませんでした。この特別法は、府県制とは一応無関係に制定された法律 であったようです。

余談ですが、北多摩郡が東京府になったことで、武蔵野台地にあった“平地の3府県境”[75152]は 消滅し、更に埼玉県“新座半島”[68760] 先端の保谷村が北多摩郡に編入されて(M40)、“元3府県境”は 東京府の中の ありふれた3村境(保谷村・武蔵野村・石神井村)[68760]になってしまいました。

東京付近で もう一つ目立つトピックスは 県境河川改修にからむ県境変更です。
江戸川(M28)[79538]・利根川(M32)[47106]・多摩川(M45)[79538]は、改修工事の後で それぞれ定められた境界変更法により、新流路が新県境になりました。

もちろん戦前にも 合併や境界変更による 市町村主役の 個別的県境変更事例 がありました [79541]
戦前の事例につき この種の記録を全国的に探索するとしたら、県報へのアクセスなどでの困難が予想され、完全なリスト作りは難航するおそれがあります。このことは既に触れました。

引き続き、現行の法体系下、つまり昭和22年5月3日以降に行なわれた 県境変更事例の種類について記します。

下関市の参考資料[75937]に示された 11件の事例を、廃置分合による越県と、境界変更による越県とに分けてみました。

廃置分合事例 6件

 5件は、昭和大合併の際に認められた越県合併[55505]の仲間です。昭和の 新市町村建設促進中央審議会が 5件(境界変更[79523]の5番、8番、9番を加えれば8件)を認めたのに比べて、平成大合併では僅かに1件というのは時代の違いでしょうか。
 5件のうち、樫田村と菱村とは 村まるごと編入です。 元狭山村・石徹白(いとしろ)村・神坂村の3件は、村内の一部地域を前日に分村(境界変更)して 県内に残留させるという手法を取った点と、越県合併の施行日(S33.10.15)とが共通しています。

 S33. 4. 1 京都府桑田郡樫田村が、まるごと大阪府 高槻市に編入
 S33.10.15 埼玉県入間郡元狭山村が 東京都西多摩郡 瑞穂町に編入【分村先 武蔵町
 S33.10.15 福井県大野郡石徹白村が岐阜県郡上郡白鳥町に編入【分村先 和泉村
 S33.10.15 長野県西筑摩郡神坂村が 岐阜県 中津川市に編入【分村先 山口村
 S34. 1. 1 栃木県足利郡菱村が、まるごと群馬県 桐生市に編入
 H17.2.13 長野県木曽郡山口村が、まるごと岐阜県 中津川市に編入
 昭和大合併では島崎藤村の故郷・馬籠を長野県に残したことで有名な分村事件でしたが、その山口村も、平成大合併では岐阜県になりました。

境界変更事例 5件  リスト番号は、[79523]88さんによる告示順の番号です。

 リスト番号 5 S30.4.1 岐阜県恵那郡三濃村大字浅谷及び野原が 愛知県東加茂郡旭村へ【残る横通は 岐阜県内明智町編入
 リスト番号 8 S33.4.1 京都府亀岡市西別院町牧及び寺田の大半が 大阪府豊能郡東能勢村へ【亀岡市は存続】
 リスト番号 9 S35.7.1 群馬県山田郡矢場川村の東部地域が 栃木県足利市へ【西部地域は 群馬県内太田市編入
 リスト番号11 S38.9.1 岡山県和気郡日生町大字福浦の大半が 兵庫県赤穂市へ【日生町は存続】
 リスト番号17 S43.4.1 栃木県安蘇郡田沼町入飛駒(いりひこま)地区が群馬県桐生市へ【田沼町は存続】

入飛駒について
ここは、大字飛駒の一部で「大字」単位には該当しない との判断から、変遷情報の境界変更収録対象に不採用なのかもしれません。
しかし、桐生市の変遷【注】 によると 面積は5.65km2もあり、事実 20万分1地勢図でも充分に県境変更を認識することができます[46981]
かつては老越路峠を越えて飛駒の本体と連絡するのに一日がかりだったと伝えられる 事実上の別集落で、小学校もありました。
なお、桐生川ダムの梅田湖ができて一部が水没しました(1983)。
事実上独立した集落であったことに配慮すれば、入飛駒地区の境界変更は、他の 10事例と同様に、変遷情報に記録してもよいのではないでしょうか。>88さん
【注】
この頁の表の部分は [75906] おがちゃん さん 報告による 桐生市|市域の変遷 と同じです。しかし、二分された状態の市域図が描かれているだけに、より分りやすいと思います。
収集基準[76001]の (5)からすると、採用は難しいのでしょうか?> オーナー グリグリさん
[79564] 2011年 10月 26日(水)18:21:58hmt さん
県境の変更 (5)廃置分合・境界変更に加えて 境界確定・境界画定・境界修正
「県境にわたる境界変更」については、既に 88さんにより、官報情報検索サービスを使った時系列順のリストが紹介され[79523]、これが 今回のシリーズ の発端になりました。
しかし、既に見てきたように、「境界変更」は県境変更手続の一部です。事例数としては多数あるが その大部分はマイナーな変更です。

村まるごと、又は一部を分村した村の大部分を隣接県に編入する「廃置分合」事例は、戦後に6件ありました[79559]

地方自治法下の廃置分合については、官報情報を利用した告示の確認により、市区町村変遷情報の裏付けが行なわれています[79228]。この作業は必要に応じて行われているものであり、変遷情報データが「官報掲載の廃置分合を漏れなく集めていること」を保証するものではないでしょう。

しかし、「県境にわたる廃置分合」の調査については、変遷情報の調査により、戦後の事例を ほぼ把握できるものと考えています。実は[79541]で記した調査により、戦前(該当なし)だけでなく戦後の結果も出ているのですが、[75937]のA1に記した8件がすべてでした。

特別法による県境変更[79537]は 収録対象となる戦後の事例なし。

その他に、境界未定であった地域につき行われる、境界確定や境界画定の制度があります。
また、実体との相違点が明らかになった地形図上の境界には、境界修正が行なわれます。
境界変更を含めた4種類の変化については [68691]参照。この内、境界変更と境界確定とは、総務省告示の対象になっています。

境界確定等の記された情報として、昭和63年以降の「面積調」が、国土地理院から公開されています。
県境にわたるものに限定すれば、数も限られていますから、これも広義の「県境変更」であると考え、収集する事例に含めておいた方が便利と思われます。

調べてみると、マイナーではあるが、県境マニアにとり興味深い事例がありました。

平成2年面積調 の57コマを見ると、埼玉県三郷市と東京都葛飾区との間に 64.99km2の境界未定地が発生したことがわかります。これは、現在に続いている水元公園の「小合溜」[79063]で、ウオッちず を見ると、確かに都県境線が途切れています。

面積調の摘要欄から、平成2年8月1日地形図「草加」に加えられた境界修正(6)の結果であることがわかります。
近年になってから小合溜の都県境に疑惑が生じ、両側の自治体の申請により地形図から都県境が消されたようです。
境界修正に至った事情の詳細は知りませんが、人跡稀な山岳地帯に限らず、このようにして「県境未定」の地域が発見されることもあるのだということを実感しました。

ついでに記すと、平成6年に同じようにして埼玉県戸田市と東京都北区・板橋区との間の 都県境未定が発生 58コマ(8) しましたが、こちらは短期間で 境界画定 55コマ(2) しました。浮間[79541]の隣接地ですが、戸田市が僅かに荒川南岸に突出しています。

最も最近の県境変更事例は、1年前の 2010年9月30日九州山地でした。熊本県球磨郡水上村と宮崎県東臼杵郡椎葉村との境界確定 3コマ(3)
落書き帳に予告記事[73875]がありました。県境未定だった場所は、国道388号 湯山峠の南側[66867] だそうですが、現在のウオッちずには既に県境が途切れなく描かれています。

この種の県境データ。少なくとも境界確定は総務省の告示がありますから、官報情報で昭和22年までの遡及調査可能なはずです。境界画定や境界修正は、地形図を所管する国土地理院から発表され、これも官報情報の対象になっていると思われますが、未確認です。
[79661] 2011年 11月 23日(水)12:46:06hmt さん
県境の変更 (6)埼玉県としては 80年ぶりの出来事
2010年3月1日に 埼玉県の面積 が 0.83km2広くなり、人口も 137人増えました。
埼玉県全体に対する比率で言えば 面積で 5000分の1、人口では5万の1という僅かな変化なのですが、「集落単位での埼玉県編入」という点では、実に 80年ぶりの出来事でした。

勿体ぶった表現で書き出しましたが、利根川の対岸・群馬県との間で行なわれた 前小屋県境手直し が、渡良瀬川の対岸・茨城県との間で行なわれた 伊賀袋県境手直し から数えて 80年ぶりだったということです。

この2つの事例は、変遷情報の主体になっている市町村の廃置分合に該当しない「境界変更」であるために、ある意味では市町村よりも上位の区分である【注】都道府県に関係する「県境変更」であるにもかかわらず、最近まで変遷情報の記録対象になっていませんでした。
【注】
「上位の区分」という言葉は、現行法では存在しないはずの自治体間の上下関係を思わせるので、「基礎的自治体」の対語である「包括的自治体」と言った方が適切かもしれません。

そこで、[76950][79438]で変遷情報への記載を提言したところ、 [78859][79522]とで編集対象と認められました。
もっとも[79660]によると、88さんとしてはこの編集方針を見直し、「近世村単位」のみに戻す考えもあるようです。
80年を隔てて実現した上記2件の「県域変更情報」が、このまま「都道府県市区町村変遷情報」の対象として生き残れるかどうかについて、楽観は許されない状況です。

埼玉県の県域の変遷については、2004年以降いくつかの記事 を書いています。

千葉県との境界が 明治8年に庄内古川から江戸川に移り、翌明治9年(1876)には熊谷県のうち武蔵国の領域(旧入間県)を編入し、“ほぼ” 現在の形 になりました。
しかし、その後で 東京府に隣接する 大泉(1891)、保谷(1907)、浮間(1926)が 埼玉県域を離れ、戦後も 舟渡(1950)、元狭山村(1958)と東京都域への編入が続き、長期的な県域面積は減少傾向と思われます。

ここで過去記事の誤記に気がついたのでお詫びしておきます。
舟渡の過去記事を検索したら、5件中4件まで「船渡」と誤記していました
大船渡に引きずられた?

埼玉県の面積に戻ります。
長期統計(統計局)の都道府県別面積 は 1920~2000年に限られており、この間の埼玉県に大幅な変化はありませんが、伊賀袋編入や元狭山村転出による増減を見ることができます。
理解できないのが 昭和25年の面積で、この年だけ5km2以上増加し、5年後にはまた戻っています。
変遷情報 で前後の年の動きを見ても、県の面積に影響しそうなものが見当たらないのですが、何でしょうか?

戦後は舟渡や元狭山村の後、1961年に行なわれた 北足立郡大和町(現・和光市)と東京都練馬区との間の境界変更 を最後として県域に変化のない状態が続いていました。最後の事例は、告示中に「河川敷地」という文字が見えることから、都県境の白子川[65713]直流化改修に伴う手直しと思われます。

さて、前小屋の事例に関連して、「境界変更」という手続で行なわれた戦後の県境変更リストが、88さんから提示され、それを「きっかけ」として、今回の県境変更シリーズが始まりました 関係記事

この記事集の3番目[79523]に列挙された 40件の境界変更リスト。
埼玉県については、No.1と No.4が舟渡で、No.10(白子川)から 49年ぶりの事例が No.39(前小屋)ということです。

前小屋の事例[79438]は、約 140人の人口移動を伴った境界変更ということでも、最近の境界変更の中では特筆に値すると言えるでしょう。半世紀前のことながら 埼玉県としては直前の事例であった 白子川のケース(境界変更リスト[79523]の No.10)は、人口移動なしの無人地帯でした。
近年では 2004年町田-古渕間の境川での境界変更事例(リスト No.35)で 13世帯31人が移動したのが顕著な例だったようです(毎日2010/3/2)。

もちろん変遷情報の収録対象になっている大字単位の境界変更の場合には かなりの人口移動を伴います。
しかし、境界変更リスト番号が示すように、いずれも昭和中期の事例になります。 No.5 岐阜県三濃村→愛知県旭村、No.8 京都府亀岡市西別院町→大阪府能勢村、 No.9 群馬県矢場川村→栃木県足利市、No.11 岡山県日生町大字福浦→赤穂市。
変遷情報に収録してもらえない No.17 栃木県田沼町入飛駒→群馬県桐生市も、これらに次ぐ規模と思われますが、人口移動数は不明。

参考までに、21世紀になってからの県境変更で 最大の人口移動を伴った事例は、2000人規模の人口を持つ長野県木曽郡山口村の 岐阜県中津川市 への編入と思われます。
これは廃置分合ですから、40件のリストには含まれていません。
[79662] 2011年 11月 23日(水)13:05:34hmt さん
県境の変更 (7)河川改修と県境変更
[79661]に引き続き、前小屋の事例から出発し、県境変更の原因となる河川改修について記します。

落書き帳を遡ると、利根川右岸(埼玉県側)にありながら群馬県太田市であった南前小屋地区の住民が、2006年に深谷市へ編入求め両市議会に請願を提出した記事があります。[52705] KMKZ さん
一見すると、前小屋地区における県境変更手続の歴史は、2006年からの4年弱のように思われます。

しかし、境界変更の原因になった河川改修は、明治43年の大水害を契機として内務省により立案実行された 大正から昭和初期にかけての利根川第三期改修工事(1918~1929)です。
つまり利根川の流路が変更されて、左岸(群馬県)にあった土地が右岸になってしまってからでも 80年以上であり、この間には水面下を含めて多くの県境変更運動が行なわれたもの推察されます。
原因になった大水害から数えれば、境界変更リスト[79523] No.39の境界変更は、実に 100年越しの問題解決だったのでした。

付言すると、昨年オフ会への参加途中の Hiro_as_Filler さんが、“看板に誘われ深谷市前小屋にふらりと入りこむ ”[76893]際に渡った 小山川が利根川の旧河道で、38世帯 137人が住む前小屋の集落は 小山川と利根川との間の導流堤上に並んでいます。写真の(4)

[79523]で示された境界変更リストから、河川に関連しそうな箇所を拾ってみました。
利根川では印旛沼付近の No.6と 佐原付近の No.20。
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
常陸利根川では No.19。上流部では No.39の前小屋。
利根川水系では、No.23が鬼怒川付近ですが、河川改修との関係は不明。矢場川付近(No16、22)も不明。

荒川は No.1、4(舟渡)とNo.10(白子川)で、いずれも既報。
東京・神奈川の都県境を流れる境川直流化がもたらした県境との食い違いとその是正(領地交換)については、過去記事 で度々話題になりました。境界変更リストでは、No. 28、32、35、38。

このように境界変更リストから拾い上げてみると、関東地方に集中しています。
明治時代の特別法による県境変更[47106][79538]も、江戸川(明治28年3月30日法律第24号)、利根川(明治32年2月8日法律第4号)、多摩川(明治45年3月28日法律第5号)と関東地方に集中。

もっと前になると、木曽川沿いの 松山中島村が1887年に愛知県から岐阜県に移された事例[79347]もあるし、江戸時代の初めには 木曽川の新流路が濃尾国境になったことにより 羽栗/葉栗・中島・海西3郡が 美濃と尾張に分割されたという歴史[39454] もあるのですが、現代の河川改修による県境変更が 概ね関東だけに見られる現象は何故なのでしょうか。

[4248] でるでる さん
【北川辺町や藤岡町】の他にも流路変更によって、現在の行政区域とが一致しないところは多いですよね。
利根川を挟んだ茨城県と千葉県(佐原市周辺)、同じく利根川を挟んだ群馬県と埼玉県、筑後川を挟んだ福岡県と佐賀県が特に目立つかなという印象があります。

筑後川の場合、江戸時代に行なわれた河川改修の後も、筑後国(柳川藩)と肥前国(佐賀藩)との国境は変更されず、これが現在の県境と流路との不整合に持ち越されているようです。mapion
佐賀県道・福岡県道19号諸富西島線が、「県境跨ぎ」の道路になっています。

これで何百年もやってきたのだから、今更県境を流路に合わせる必要はないのではないか。
そう言われると、それも御尤もな意見と思われてきます。

筑後川の地図を出したついでに、県境変更とは無関係の余談を。
河口部にある大野島(福岡県)/大詫間(佐賀県)は、元々別々の中洲であったものが、砂の堆積により陸続きになったもののようです。「2県にまたがる島」コレクション[41368]


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