都道府県市区町村
落書き帳

境川

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[805]2002年2月4日
Issie
[37954]2005年2月20日
Issie
[40118]2005年4月20日
N-H
[58933]2007年6月9日
伊豆之国
[59083]2007年6月13日
Issie
[65708]2008年7月8日
北神
[65711]2008年7月9日
Issie
[65716]2008年7月9日
hmt
[77721]2011年2月26日
Issie

[805] 2002年 2月 4日(月)21:18:27Issie さん
町田市と相模原市の境
町田市と相模原市の境界は境川ということになっています。
ところが,境川の河川改修が進んで流路が直線化されても,市境(つまり都県境)の方を変更することは容易ではありません。そのようなわけで,現在境川の南側の住宅が町田市であったり,北側の住宅が相模原市であったりするところが点在します。ただし,境川自体のルートが変わっても,市境に沿って元の流路が痕跡としてそのまま残っているところも少なくありません。
現在,両市の間ではお互いの領域を交換して市境と現在の川筋とを一致させる作業が行われているのですが,当該の住民の意見がまちまちでなかなか進んでいません。とりあえず,2000年秋に実現したのは両側に住民のいないごく断片的な区間だけでした。

現在は相模原市民。
[37954] 2005年 2月 20日(日)11:53:32【1】Issie さん
相州高座郡粟飯原郷
[37947] sutekinaおじ さん
この両市は合併には絶好のカップルと思っている人は多いようですが

実は私もそう思っているのです。

以前に書いたかもしれませんが,
数年前に相模原市と町田市の間で境界線の調整作業が着手されました。
かつて激しく蛇行していた境川に沿って引かれた境界線が,境川の改修・直線化によって大幅にずれてしまったので,新河道を境にお互いの“領土”を交換しよう,というものでした。
でも,進捗状況ははかばかしくなく…。

昨年2月,既に市街地化された区域で最後まで住居表示事業が実施できなかった「上鶴間」の国道16号線以北の区域がようやく再編されて「上鶴間本町1~9丁目」となりました。
ここが残されたのには,町田市との境界変更の問題がかかわっていたのかもしれません。
住居表示以前の「上鶴間1番地」は(新)境川左岸(=町田市側)にあったのですが,住居表示によって「上鶴間本町8丁目」の街区番号の最末尾となりました。
町田市に移管されても「上鶴間本町8丁目」の街区に“欠番”が生じないように,との配慮でしょうか。
…いや,ごく単純に,ここが市役所から“最も遠い”のです。

(追記:これによって,“大字”の「上鶴間」は“事実上の治外法権の地”である小田急相模原付近の米軍住宅に“ほぼ”限られることになりました。同じく,横浜線沿いの 米軍相模総合補給廠 の区域に「上矢部」「矢部新田」「小山」の3大字が取り残されています。)

江戸時代の初めに,それまで「高座川/高倉川」と呼ばれていた川が 武相国境 に定められて「境川」となるまで,特に中世にはもう少し北側が国境だったようです。
橋本と八王子の間の御殿峠から戦車道路,そして町田街道と国道246号線の交差する 長津田辻 を結ぶ線あたりでしょうかねえ。その先は,横浜市の瀬谷区と旭区の境界,つまり旧相州鎌倉郡と旧武州都筑郡の境界に続きます。
だからこのあたりには,たびたび話題に上るように,境川をはさんで同じ地名が分布します。上流側から,相原,小山,矢部,鶴間,というように。
前述の「上鶴間本町」と同様,相模原市は住居表示で「宮下(みやしも)本町」「淵野辺本町」などという新町名を設けていますが,どれも境川沿いにあるのは,要するにそれぞれの元々の集落が境川沿いにあったからです。で,狭い川を挟んだ町田市側にも。
中世の武士団の名族に「粟飯原(あいはら)氏」というのがありますが,その“名字の地”と想定されている候補地の1つが,「相模国高座郡粟飯原郷」。「粟飯原」は,「相原」の異表記です。
「相原」や「矢部」は,本来“相模の地名”なのでしょうね。

現在の町田市の中心街は,分水界上の町田街道・旧道(原町田集落)を中心に境川斜面側にひろがっています。たぶん,元は「相模」だったところでしょう。
ただ残念なことに,「原町田」の親集落である「本町田」は,東京湾水系・恩田川の谷間にあって,「町田」は武州側の地名だと思われます。

「”魚沼”郡」と「”魚野”川」は,初めから別の表記ということになるのでしょうか。

いや,そうではなくて

「魚沼川」と書いて「うおのがわ」と読む。 それが、「魚野川」の表記に変えられた。

ということだと思いますよ。
現在行われている「魚沼」の例と,「魚野」の例を並べたまでです。
[40118] 2005年 4月 20日(水)17:23:24N-H さん
自治体の飛び地コレクションについて
太白さんの自治体の飛び地コレクション
いつのまにこんなものが、という感じです。
こりゃあかつて「飛地研究所」のメンバーだった私([11857]を参照)としては、貢献しないわけにはいきません。
とりあえず、昔「飛地研究所」で集めた飛地のリストが残っていますのであげておきます。
ただし、このページからリンクされているマピオンの地図のURLはすでに古いもので参照できなくなっています。
また合併により改称した飛地もあります。その中でも有名で規模が大きかったものが大畑町の中にあったむつ市の飛地[10399]

さて、太白さんのリスト中に東京都の領域が他県に飛地となっている2箇所がアップされていますが、逆に神奈川県の飛地が東京都の中にある例をひとつ。
相模原市宮下本町1丁目47番および48番の飛地。地図中で2箇所の飛地があるのがわかります。
この飛地が記載されている地図はなかなかないので、知られることも少ないかも知れません。図中南側が神奈川県相模原市、北側が東京都町田市となります。
相模原市と町田市の境界は非常に入り組んでいますが、なぜここの2箇所が飛地になったのかは知りません。
[58933] 2007年 6月 9日(土)14:35:10伊豆之国 さん
都市の力関係
またも町田市絡みの話を投稿させていただきます。
東名横浜町田インターは、つい最近まで横浜インターでした。このインターは地図を見ればわかるように横浜市と町田市にまたがっています。東名高速が開通した当初はすでに200万を超える大都会・横浜と人口10万程度の新興衛星都市・町田との力関係は歴然でしたから、インターの名が「横浜」になったのは無理もないと思います。しかしその後、新しい高速が開通したり、インターができたりしたとき、インターが二つの市町村にまたがる場合はたいてい両者の名を並べるようになってきました。(例:秦野中井、佐野藤岡)そして川崎・横浜インターの間に新しいインターができることになったとき、これが横浜市青葉区にあることから「横浜青葉」と名づけられ、それまでの横浜インターは現在の「横浜町田」になり、ようやく横浜と町田とが対等の関係になったのです。そういう経緯からか、横浜インターの町田市側にある中古車販売店などの店舗・事業所などには今でも「横浜営業所」などといった表示が多く見受けられます。
一方、JRと小田急の町田駅はいずれももちろん町田市にありますが、JR駅のすぐ南側は神奈川県相模原市上鶴間本町です。この界隈を歩くと風俗営業が目立ちますが、その一角を抜けると「町田」「町田駅前」「町田南口」など「町田」の名を冠したマンションが目に付きます。ざっと数えただけでも優に2桁あり、隣の都府県の地名を「横取り」したマンションがこんなに沢山立ち並んでいるというのは、全国的にもほかに例がないでしょうか。この地域にある結婚式場なども「町田」を名乗っています。このあたりの都県境は基本的には境川ですが、境川の改修を行ったことによって川の両側にお互いの飛び地ができてしまいました。JR町田駅のすぐ南ではこの境界が東京都側に張り出しているので、駅のすぐ南西隣の「ヨドバシカメラ町田店」は、建物の中に都県境があり、店内を移動するたびに知らない間に東京都と神奈川県を往復しているのです。
ところで町田に「侵略」されている相模原市は、さらに南の座間市に食い込んでいます。小田急相模原駅は相模原市ですが、駅のすぐ南の踏切の南側は座間市相模が丘です。この地域にはMS銀行相模原支店など「相模原」を名乗る店舗がいくつかあります。また、電話も相模原局番(042-7xx)で、座間市の大半(厚木MA、046-2xx)とは異なります。しかし、相模原と座間の関係は、相模原が一方的に座間に侵入しているのではありません。相模原市の南西部の相武台(地名自体が相模原市と座間市にまたがっています)・新磯地区の一部の電話番号は、相模原でなく座間局番です。また、先ほどの小田急相模原駅の北側の相模台一帯は、座間郵便局の集配区域に入っています。(座間郵便局は座間市の北部、相模原市との境界近くにあります)米軍キャンプ座間も座間市と相模原市にまたがっています。
以上より、これらの都市の力関係は、横浜>町田>相模原←→座間、の図式で表せると思います。
※訂正:「Re:町田と南町田」文中 長津田町の区は青葉区でなく緑区です。
[59083] 2007年 6月 13日(水)22:02:25【2】Issie さん
境川
[59059] 稲生 さん
藤沢市・横浜市境に流れる境川の存在です。

[59075] スピカ さん
境川ですが、『新編相模国風土記』によると高座郡の東の境だから「境川」というのだそうです。村によっては「高座(たかくら=高倉)川」と言ったそうです。何の境なのかが分らないのでは、困った名称ですね。

いや,別に困ることはありません。
大山街道(国道246号線)と八王子街道(旧国道16号線)の交差する「目黒交差点」のやや上流を境にして,ここから上流は 高座郡 と (南)多摩郡 の境界で,武相国境,いまでは都県境を兼ね,ここから下流は同じ相模国内の 高座郡 と 鎌倉郡 の境界です。
左岸(東岸)に横浜市と藤沢市の下水処理場があるあたりから,藤沢市が川の両岸にまたがっていますが,元々はここから下流でも左岸は 鎌倉郡 であって,東海道の「藤沢宿」はこの川にかかる 藤沢橋 を境に,左岸・鎌倉郡の 大鋸(だいぎり)町・西富町 と右岸・高座郡の 大久保町・坂戸町 から成り立っていました。
最下流の河口部分のみ 鎌倉郡 の 片瀬村(→川口村→片瀬町)が川の両岸にまたがっていますが,ここと最上流部のヤトを除いて,この川は一貫して「郡境」であるのです。だから「境川」。
…それに“郡境”ではない河口部は「片瀬川」という名前だし。

ただし,上中流部が 高座・多摩郡境 すなわち 相模・武蔵国境 になったのは江戸時代の初めのことらしくて,それ以前は「戦車道路」の通る尾根筋あたりが武相国境だったようで,この尾根筋をたどっていけば,瀬谷や三ツ境以南の“横浜市内の武相国境”につながります。
早い話,この尾根筋=分水界を境にして 六浦 までの“東京湾斜面=川が東京湾に注ぐ側”が「武蔵国」,“相模湾斜面”と三浦半島が「相模国」なのですね。

…ということは,少なくとも上中流では「境川」ではなかったわけで,
この川は古くは「たかくら川」と呼ばれていたようです。
「たかくら」には「高座」と「高倉」の両方の表記が行われていました。「座」という字に「くら」という読みがあるのですね。
「高座郡」自体が元の読み方は「たかくら郡」であり,埼玉県の「新座(にいざ)郡」にも「にひくら郡」という読み方もありました。「新倉」という表記もあったわけで,どちらも同根の地名であることは,「高座/高倉」と同じです。
[65708] 2008年 7月 8日(火)20:17:20北神[北戸] さん
摩周湖・県境、編入の話題
こんばんは。北戸です。
今朝は7時半頃に雷雨が神戸に来ましたね・・・。梅雨が終わる直前にいきなり襲ってくるモノなのですかねぇ・・・。

[65698]伊豆之国 さん

私達の世代では「柏戸」と聞くと反射的に思い浮かべるのは大横綱「大鵬」。

「柏戸」や「大鵬」が横綱だった時代は40~50年も前だったのですね。
自分が知っている範囲だと「曙」の64代以降ですかね・・・。

摩周湖は何しろ霧で有名

そういえば、このページを見ると、透明度は世界で一位(推定)の様ですので、地上の世界では霧で視界が悪いみたいですが、水中の世界では視界が良いという事ですね。(まぁ、いくら上の視界が悪くて水中の視界が良くても実際は地上の世界の方が視界が良いでしょうがね・・・。)

[65700]Issie さん

河川改修による現在の直線的な川筋とが一致しなくなって「川向うの飛び地」をたくさん抱え込むことになった 東京都町田市 と 神奈川県相模原市 があります。

少し気になりyahoo地図で境川の様子を覗いてみました。
東京都町田市と神奈川県相模原市の県境はここからスタートしています。
ここら辺は都県境と川が一致していますね。
やはり、
人が住んでいる「飛び地」については住民の意思があって,なかなか進んでいないのですが,それでも現在の境川と都県境とが一致する区間は少しずつ増えているようです。
がここ周辺は進んでいるのでしょうか。(川も比較的緩やかなカーブが多いですし。)
そしてしばらく上流へ向かって進むと、ここ辺りから徐々に、川は緩やかなカーブなのに対し、都県境は複雑な線になっています。やはり河川改修をされてから、まだ県境がそのままの状態となっている地域なのでしょうか。
そしてさらに上流へ進むと、ここより上流はまだ河川改修が進んでいないのか都県境のみでなく、川も複雑なカーブを描いていますね。
ところが上流ではさらに河川改修が進んで,新しい飛び地がまた生まれていたりするのですね。大変なことです。
やはり川の流れを変えられ川を挟んでの飛び地となってしまった住民の方々には決して嬉しい事では無いですし、易々と都県境を変える訳にもいかないですから・・・。県境は奥が深いような気もします。まぁ、自分のような山中に住む人間が実際に見れる事は有り得ないですが、少し興味が沸いたので他にも色々川と県境の関係を探りたいですね。

…だからまあ,可能性が全くないというわけでは必ずしもない,ということで。

全国の市 面積ランキングを見ると、

2003年9月1日現在 東京都 町田市 71.62(平方km)
2008年7月1日現在 東京都 町田市 71.63(平方km)

僅か0.01平方kmですが、変動しています。
合併も無く、勿論内陸部ですので埋め立ても無い訳ですから。面積が変わるとしたらやはり県境変動しか有りませんね。つまり5年以内に県境変動が起きていると言う事ですね・・・。
普段川による県境変動に全く気づきませんが、意外にも変動は何度も有った。と言う事がわかりました。有難う御座います。

[65706]大龍エクスプレス さん

僕の書き込み([65690][65694])に対する意見・解説(説明)ありがとうございました。

まぁ、自分の出した意見はただの自己中心的な意見ですからね・・・。北川辺町-wikipediaにも書かれている様に、

電話の単位料金区域が埼玉県内ではなく、古河となっている。このように古河との結びつきが強く、古河市、(旧総和町)、野木町と三国サミット会議が発足され、相互理解が深まっている。

北埼玉郡大利根町・北葛飾郡栗橋町との合併により「東埼玉市」の新設を目指す構想があった。

という風に利根川を挟んでの合併や、茨城県との県境を挟んでのサミットが行われていたります。
自分は群馬県に編入と言う意見を出しましたが、どちらかというと、同埼玉県の大利根町・栗橋町や茨城県古河市、野木町の方が関係が強い様ですからね。まぁ、でもwikipediaに書かれていないのみで、群馬県との関係も強いのかもしれませんし、住民としては現状維持か、茨城県編入か群馬県編入かあるいはここまで一言も出て来ていない、栃木県編入を望んでいるのか?そこまで自分は知りませんが果たしてどうなのでしょうか・・・。
[65711] 2008年 7月 9日(水)10:31:04【3】Issie さん
上鶴間1番地
諸般の事情があって,今日から1週間,休みを取ることになりました。ので,こんな時間。

[65708] 北戸 さん
ここ周辺は進んでいるのでしょうか

そうですね。左岸の東京女学館大学側の道路に少しへこみがあるのが,昔の蛇行の跡だと思われます。
現地に行くとわかるのですが,たとえば県立上鶴間高校の前では元の流れの跡が芝生になって残っています。元はそこが都県境だったのでしょうが,この辺りでは都県境が整理されているのですね。
この辺りは,家を1軒建てるほどの土地もなく,関係する住民もないためにスムースに整理ができたのでしょう。

ところが,

ここ辺りから徐々に、川は緩やかなカーブなのに対し、都県境は複雑な線になっています

ちょうどこの辺は,まとまった面積が河川改修で境川の右岸から左岸になってしまった場所で,ここを東西に走る道路(江戸時代からあるものだと思われます)に架かる「鶴金橋」も東から西へ移動しています。
確かこの,「元の鶴金橋」のそばに「上鶴間1番地」の碑があったと記憶しています。
今は住居表示による新町名で「上鶴間本町9丁目56街区」になっていますが,つまりこの辺りが 上鶴間村 の古くからの中心集落の1つで,そこを“新しい境川”が分断して,たくさんの住民が新・左岸に取り残されたのですね。
住民の中にはもちろん,「東京都町田市金森○丁目」(現時点では住居表示未実施なので丁目もなし)となることを望む方も多くいらっしゃるでしょうけれども,逆に「上鶴間1番地」の誇りもかけてかどうか,「神奈川県相模原市上鶴間本町」に留まることを望む方も多くおられるようで,実はこの話は7年ほど前に報道されたことなのですが,かなり難航しているのですね。

この区域を含む国道16号と境川の間で住居表示が実施されて「上鶴間本町1~9丁目」となったのは割と最近(2004年)なのですが(その結果,相模大野も東林間もオダサガ(小田急相模原)も含まれる広大な「大字上鶴間」のうち,事実上の“治外法権”区域である米軍住宅区域を除いた全域の住居表示が完了しました),この“遅れ”の原因の1つに境川両岸の飛地問題があったのではと推察しています。そしてとうとう住居表示を実施したということは,考えようによっては,「上鶴間1番地」付近の整理を相模原市はあきらめてしまったのかもしれません。
もっとも,「上鶴間1番地」付近は 上鶴間本町8丁目・9丁目のそれぞれ“最後の街区番号”が割り振られています。これはもしかしたら,いつでも“切り離す”(町田市へ譲渡する)ことができるようにとの配慮なのかもしれませんね。
[65716] 2008年 7月 9日(水)22:56:15hmt さん
境川対岸に残った「領地」の交換
[65708] 北戸 さん
(東京都町田市の面積が 2003年9月1日現在と2008年7月1日現在とで)僅か0.01平方kmですが、変動しています。
つまり5年以内に県境変動が起きていると言う事ですね・・・。

官報のオンライン検索[26215]が可能な、1947年5月3日以降の事例について「都道府県界の境界変更一覧」を調べた結果が ウィキペディア に出ていました。
これによると、上記の約5年間において、町田市が関係した境界変更は、2004年と2007年に各2件、合計4件あるようです。

各2件というのは、相模原市→町田市と町田市→相模原市とがペアになっているからで、境川改修に伴ない対岸に残ってしまった土地のうち、両市の間で合意が得られた箇所につき「領地交換」が実現したのがこの結果です。

推測になりますが、ぼぼ同面積になるように仕組んだ交換であり、その結果、4件の差し引きは僅かな値になったのでしょう。
更に言えば、記載された地名と地図によって、境界が直線化された箇所を推測すると、住宅団地や公有地など、権利者が少数で合意が得られやすい場所から実現しているように思われます。

[65700] Issie さん
人が住んでいる「飛び地」については住民の意思があって,なかなか進んでいないのですが,それでも現在の境川と都県境とが一致する区間は少しずつ増えているようです。

1999年の3件を加えて10年間に実現した「領地交換」は僅かに7件! 地形と行政境界の一致は前途遼遠?
[77721] 2011年 2月 26日(土)10:48:21【3】Issie さん
境界変更
[77719] 白桃 さん
2007年12月1日に境界変更があった関係でしょうか?

境川の改修による新流路に合わせた両市の境界変更=都県境の変更,「着々と」とはとても言えないけれど,ようやく少しずつは進んでいるようです。

この両市の境界変更は2010年12月にも行ったようですね。

これについては,こちらでもどなたか既報だったような。
詳しい中身が 市のHP に掲載されています。中央区の淵野辺本町付近での相互の“領地交換”と,南区の上鶴間本町から町田市金森への“一方的割譲”。前者の場合は,基本的に(新)境川の河川敷内ないし周りの住宅のない部分の交換で,「中央区の面積の変更はありません」(市HP)というもの。でも,後者は10軒の住宅が関わるもので,当然に人口の“移動”が生じます。次回,2015年国勢調査報告における組替人口の変更は「予約済み」ですね。
そして,相模原市/町田市だけでなく,神奈川県/東京都の面積も変更になります。

つまるところ,この10軒の皆さんは 相模原市→町田市,イコール 神奈川県→東京都 という住所変更に承諾されたのですね。
けれども,このまま都県境がきれいに整理されるかというと,やっぱり不透明。
何度か話題にしている境川左岸(町田市側)の 相模原市上鶴間1番地(上鶴間本町八丁目56街区)周辺は相変わらずそうなのですが,旧流路が南側に大きく湾曲しているせいで新流路の右岸(相模原市側)になってしまった 町田市木曽西一丁目39~43街区。以前は“町外れ型喫茶店”らしき建物が1軒あるだけで周りは荒地だったのですが,最近宅地造成されてたくさんの新住民が入居してきました。荒地のうちに境界変更しておけばいいものを,これだけ多くの世帯が相手となると大変ですよね。「東京都町田市」だと思って引っ越してきた途端,今日から「神奈川県相模原市」になりますよ,なんて言われたら。
境川の流路の通りの「きれいな都県境」になるのは,いつのことやら。

ところで,国勢調査の速報値が全国分出そろったところで,衆議院議員の小選挙区区割りについて2002年の公職選挙法改正の際の以下の付帯決議

--------------------------------------------------------------------------------------
市町村合併の進展などにより小選挙区の区域が地域の実情にそぐわないような状況になるなど衆議院議員選挙区画定審議会設置法第四条第二項に定める「各選挙区の人口の著しい不均衡その他特別の事情」が生じたときには、審議会は、十年ごとに行われる国勢調査の結果を待つことなく、小選挙区の改定の勧告を行うよう考慮すること。
また、審議会が小選挙区の区割りの改定方針及び改定案の調査審議を行うに当たっては、都道府県知事や市町村長から意見を聴くことなどにより、地域の実情を反映した勧告となるよう努めること。
--------------------------------------------------------------------------------------

が,ようやく日の目を見ることになります。…というか,結局この決議は実行されなかったのですよね。政府あるいは議員たちの怠慢。この間に3回も総選挙が行われてしまったもので,近々また総選挙があるとか,ないとか…。ここで区割り変更をやってしまって,当分選挙ができないようにしてしまおう,なんて話があるようですが,「1票の公平」をできるだけ実現するために,真面目にやってほしいものです。
人口を小選挙区定数の300で割るとそれより人口の多い市区があるから,2つの選挙区に分割される市区があるのもやむを得ないのですが,今のように3つや4つに分かれているのは,どう考えても異常。合わせて,ゲリマンダーの創設はやめてほしいものです。総理大臣が「鳩山2世」(政治家一族としては「鳩山4世」)から変わって「新ハトマンダー」とは呼ばれずに済みそうですが。
議員1人あたりの人口を増やすために小選挙区を減らす=議員定数を減らす,という議論もありますが,実際は比例代表の方を減らすという話になってしまうようで,私はこれには反対。そもそも,日本の国会議員の数は,ほかの国に比べて決して多くはありません。日々の国会を見ていてロクでもない議員がとても多いのは事実だけど,それは定数の問題ではなく,それを選んだ選挙民の問題です。特に,少数意見を代表する機会を保障するには,一定数の議員は必要。そして,本当は小選挙区制よりも比例代表制の方が望ましい。だから,総定数はそのまま,小選挙区を減らして比例代表の数を増やすというなら,私は賛成するのですけどね。


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