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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80876]2012年5月20日
グリグリ
[80889]2012年5月24日
むっくん

[80876] 2012年 5月 20日(日)10:21:07【2】オーナー グリグリ
熊のいる市町村(第三十四回十番勝負 問一解説)
問一の「熊の付く市町村を含む市(市制町村制以降の市町村)」の解説です。[80868]でk-aceさんが町村を列挙されていますが、該当する市町村の軌跡(因数分解)をすべて一覧します。「〃」は上と同じ自治体、「↑」は上の自治体に吸収の意味です。熊が二頭いるのは、富山市、志賀町、羽島市、浜松市、丸亀市です。一頭の熊が分割されたのは、岡山県の熊山村が赤磐市と岡山市になった例だけです([80864]で白桃さん)。新潟県の熊森村は、分水町と吉田町に分割されましたが、燕市で一頭に戻りました。愛知県の熊之庄村も師勝町(師勝村)と北里村(五条村)に分割されましたが、やはり師勝町(その後北名古屋市)で一頭に戻りました。

北海道熊石村熊石町八雲町
熊牛村標茶村標茶町
福島県熊倉村喜多方市
熊町村大熊町
埼玉県熊谷町熊谷市
東京都熊川村福生町福生市
新潟県熊森村島上村分水町分水町燕市
吉田町
富山県熊野村富南村富山市
熊野村婦中町
熊無村氷見市
石川県上熊野村志賀町志賀町
熊野村富来町
熊木村中島町七尾市
福井県熊川村上中町若狭町
岐阜県西小熊村小熊村羽島市
東小熊村
静岡県熊切村春野町浜松市浜松市
熊村二俣町天竜市
愛知県熊之庄村師勝村師勝町師勝町北名古屋市
五条村北里村
小牧市★
三重県熊野市
滋賀県剣熊村マキノ町高島市
大阪府熊野田村豊中市
熊取村
兵庫県熊次村関宮町養父市
和歌山県熊野川町新宮市
島根県熊野村八雲村松江市
岡山県熊山村熊山町赤磐市
万富町瀬戸町岡山市
熊谷村新見市
広島県熊野村熊野町
熊野跡村広島市
田熊村田熊町因島市尾道市
熊野村福山市
山口県熊毛町周南市
香川県富熊村久万玉村綾歌町丸亀市
栗熊村
福岡県熊田村熊田町山田町山田市嘉麻市
熊本県熊本市
大分県熊毛村国見町国東市

★の小牧市は想定解ではありませんが、熊之庄村の一部が五条村になり、五条村が北里村を経て師勝町小牧市になったため、変遷情報だけでは、熊之庄村の一部が小牧市に含まれている可能性が残ります。しかしながら、熊之庄村の現在の地域を確認することにより、小牧市に移った部分には熊之庄村が含まれていないことが分ります。88さんが常々言われているように近世村や大字単位のより詳細な変遷記録があれば、より正確な因数分解の軌跡が描ける訳です。

#タイトルを「熊のいる市町村」としましたが、氷見市だけは例外ですね^^
[80889] 2012年 5月 24日(木)18:31:54むっくん さん
大津町と熊之庄村
[80887]白桃さん
個人的には、熊本県大津町が、大津市がまだ大津町だった頃の最高人口を上回っているのではないか
呼ばれたような気がしましたので、調べてみました。

市区町村プロフィール(熊本県)によると、熊本県大津町の人口は31,234人でした。

一方、大津市の人口(及び面積)は次のような変遷をたどっています。

年月日人口(/人)面積(/?2)備考
1898(M31).10.132,44614.20市制施行
1932(S7).5.1042,36428.39滋賀村合併
1933(S8).4.169,11662.48膳所町・石山町合併
1951(S26).4.1102,860154.50雄琴村・坂本村・下阪本村・大石村・田上村合併
1967(S42).4.1159,442303.68瀬田町・堅田町合併
2006(H18).3.20327,479374.06志賀町合併
2007(H19).10.1331,842464.10琵琶湖の境界設定による市域拡張
#上記データは統計データ 統計おおつ《平成22年概要版》大津のまち(PDF)によります。

二者を比較しますと、熊本県大津町の人口の方が少ないようです。


次は別件です。

[80876]グリグリさん
★の小牧市は想定解ではありませんが、熊之庄村の一部が五条村になり、五条村が北里村を経て師勝町と小牧市になったため、変遷情報だけでは、熊之庄村の一部が小牧市に含まれている可能性が残ります。しかしながら、熊之庄村の現在の地域を確認することにより、小牧市に移った部分には熊之庄村が含まれていないことが分ります。
蛇足とは思いますが、法的根拠を紹介します。

まず、五条村成立の法的根拠は愛知県告示第153号(M33.7.16)で
告示第百五十三號
縣下西春日井郡小木村の内大字藤島及同郡熊之庄村の内大字薬師寺を分割して五條村を置く
右町村制第四條に依り之を處分せり
 明治三十三年七月十六日 愛知県知事 男爵 沖 守固
となります。

次に北里村成立の法的根拠は愛知県告示第200号(M39.7.11)で
告示第二百號
縣下西春日井郡訓原村、鹿田村、六師村、熊之庄村を廃し其区域を以て新に師勝村を置く
仝郡尾張村、小木村、多気村、五條村を廃し其区域を以て新に北里村を置く
(略)
右町村制第四條に依り之を處分し明治三十九年七月十六日より施行す
 明治三十九年七月十一日 愛知県知事 男爵 深野 一三
となります。

最後に北里村の小牧市及び師勝町へ分割編入の法的根拠は自治省告示第116号(S38.7.30)で
自治省告示第百十六号
市町村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、愛知県西春日井郡北里村を廃し、その区域のうち大字市之久田、小針入鹿新田、小針、小針巳新田、多気、小木及び藤島の区域を小牧市に、大字薬師寺の区域を西春日井郡師勝町に編入する旨、愛知県知事から届出があった。
右の廃置分合は、昭和三十八年九月一日からその効力を生ずるものとする。
となります。

引用者注:愛知県告示第153号(M33.7.16)及び愛知県告示第200号(M39.7.11)は片仮名を平仮名に改めています。


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