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落書き帳

明治13年共武政表

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[81072] 2012年 7月 11日(水)16:58:29hmt さん
明治13年共武政表を眺める (1)はじめに
[81018] YT さん
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

白桃都市人口研究所[26898]は、本業の材料が増えて、“嬉しくもあり、悩ましくもあり”という状況[81020]
私も これに釣られて 明治13年の共武政表 を眺めてみました。
こちらは野次馬ですから、体系的な研究などではなく、気の向くままの雑感を記すつもりです。

最初に目に着いたのが、全国戸数一千以上地名表 なのですが、「1880年の全国都市リスト」ともいうべき この地名表 に入る前に、[62939]と同様に各国トップページへの リンクINDEXを作成しておきます。

直接リンクしている各国毎の記事は、「各郡表」と、それに続く「人口一百以上輻湊地」とから構成されています。
上巻には、五畿・東海道・東山道の合計33ヶ国、それに東海道の「附」として伊豆七島と小笠原島も収録されています。
下巻には、北陸道から西海道までの5道38ヶ国と壱岐・対馬の二島、沖縄県が発足した琉球、北海道11ヶ国を収録。
郡区町村編制法 では島嶼についての例外規定がありますが、「郡」のなかった琉球・小笠原などの島嶼も、共武政表の対象になっています。

上巻又は下巻の中で 各国を渡り歩いて調べる場合は、国名の後に記したコマ番号により移動するのが便利でしょう。

上巻
五畿山城 17大和 22河内 28和泉 32摂津 35
東海道伊賀 44 伊勢 46志摩 53尾張 54三河 60遠江 65駿河 69伊豆 74伊豆七島 76小笠原島 77
甲斐 78相模 83武蔵 88安房 102上総 107下総 115常陸 127
東山道近江 137美濃 148飛騨 156信濃 158上野 168下野 176岩代 181磐城 198
陸前 210陸中 219陸奥 228羽前 276羽後 284
下巻
北陸道若狭 5越前 7加賀 25能登 50越中 59越後 75佐渡 85
山陰道丹波 87丹後 91但馬 96因幡 100伯耆 108出雲 117石見 124隠岐 129
山陽道播磨 130美作 137備前 141備中 147備後 152安芸 157周防 163長門 169
南海道紀伊 175淡路 185阿波 187讃岐 195伊予 201土佐 213
西海道筑前 229筑後 238豊前 243豊後 249肥前 257肥後 257日向 281大隅 287薩摩 290
二島壱岐 294対馬 295
琉球国琉球 297
北海道渡島 301後志 309胆振 315石狩 317天塩 320日高 322十勝 324北見 325釧路 327根室 328千島 330
[81076] 2012年 7月 12日(木)19:14:43hmt さん
明治13年共武政表を眺める (2)讃岐の人口輻湊地
[81073] 白桃さん
讃岐には、志度、高松、宇多津、丸亀、多度津、琴平、観音寺と7つも出てきますが、もう一邑出てきてほしい

「戸数一千以上地名表」ですが、讃岐だけ「戸数500以上」に緩めて拾い上げてみました。
8位以下は、大内郡三本松村 香川郡仏生山町 那珂郡榎井村 三野郡仁尾村の内字仁尾ノ町 香川郡中ノ村内字東西中村 阿野郡坂出村の内字通町 小豆郡土庄村 豊田郡和田浜の内字浜 大内郡引田村 香川郡岡村の内字香西。

期待通りの結果になりましたが、人口では三本松が仁尾に負けて9位。

戸数や人口のことはさておき、私が大いに関心をそそられたのが物産欄です。
三本松には「煎鰯 砂糖」と記されていました。
讃岐三白[80930]の一つである砂糖だけでなく、いりこ(煮干)の生産地だったのですね。

三白とその加工品が記されていたのは、木綿が観音寺、砂糖が三本松と坂出。
塩は坂出だけでしたが、加工品の醤油は、高松・仁尾・和田浜・土庄と多くの町が関係していました。

讃岐の人口輻湊地が、「米、麦…」というお定まりの物産でなく、特産物を生かした町づくりをしていた様子に感じ入りました。
[81089] 2012年 7月 13日(金)23:35:26hmt さん
明治13年共武政表を眺める (3)相模国
讃岐[81076]に次いで、明治13年共武政表の 相模 を眺めます。

明治13年共武政表と、ほぼ同時期である明治14年3月に内務省地理局から出版された『郡区町村一覧』の 神奈川県 もリンクしておきます。こちらは武蔵国に属する1区6郡(現在は横浜市と川崎市になっている久良岐郡・橘樹郡・都筑郡と「三多摩」)が、相模国9郡を併せて管轄していました。

その“神奈川県相”[47125]という地域の前身は、明治9年に分割された足柄県でした。
再編成前の足柄県は、相模国プラス伊豆国(伊豆七島を含む)という、現在の石川県を思わせる南北に長い県でした。

この相模9郡の物産欄を見ると、「米、麦…」で始まる郡が続いています。
唯一の例外は hmtの出身地・津久井郡で、生糸に始まる山村の産物が、平野部を持つ郡との違いを示しています。
車両の数も最小ですが、少数ながら船舶もあり、相模川舟運が存在したようです。

讃岐で7つあった「戸数一千以上」の地名は、相模では小田原、横須賀、藤沢駅、浦賀の4つしかありません。

高座郡藤沢駅を見ると、
大久保町、坂戸町、鎌倉郡西富町、大鋸町 合1262戸 6235人 土俗藤沢駅と唱ふ
とあります。

[81020] 白桃 さん が、讃岐大川郡に記されている“土俗森ト唱フ”について疑問を呈しておられますが、その同類です。

落書き帳過去記事を調べたら、藤沢については [49271] Issieさん による詳しい解説がありました。
藤沢は境川に架かる東海道の藤沢橋をはさんで高座郡と鎌倉郡とにまたがる宿場町で,西から順に高座郡側の「坂戸町(さかどまち)」「大久保町(おおくぼまち)」,鎌倉郡側の「大鋸町(だいぎりまち)」,そして遊行寺の周囲の「西村」の4つの地区を総称して「藤沢宿」と呼んでいました。

その後の改称やら合併やら複雑ですが、明治になってからも引き続いて 藤沢宿>藤沢駅という総称が用いられ、共武政表にも使われているということようです。

このような現地で使われていた総称の扱い。
藤沢のように現在の市名に採用された地名は問題ないのですが、森の場合は、当時の現地の呼び方が記録されないまま失われ、今となっては“そういう呼び方を聞いたことがありません。”ということになるのでしょう
また、総称が どこまで採用されているのかも、曖昧なのかもしれません。例えば三浦郡を見ると、三崎日ノ出町以下三崎を冠する8町が並んでおり、合計807戸になりますが「三崎」という単一の町場の名として扱われてはいません。

浦賀は、現在では横須賀市の一部になっていますから、現在相模にある 17市のうち「戸数一千以上」の地名に記録されたのは、僅かに3市ということになります。
藤沢より先に市になった平塚はと見ると、大住郡平塚駅と須賀村[77631] とを合せても 1000戸になりません。

「戸数一千以上」に達しない 落選市の中の大物は、言うまでもなく相模原市。
「軍都」相模原が誕生するよりも 60年も前の陸軍が作った統計資料ですから、姿が見えないのも当然。
それでも、現在の相模原市域には、高座郡上溝村が 475戸と記録されています。
[81118] 2012年 7月 15日(日)22:28:03hmt さん
明治13年共武政表を眺める (4)武蔵国
明治 13年共武政表[81072]武蔵 を眺めます。
武蔵国には、東京府6郡 + 神奈川県6郡 + 埼玉県 17郡 = 29郡があり、戸数 52万2012、人口 230万3122人。

「戸数一千以上」に該当する地名は、東京15区(712,457人)を1つに数えて 19あり、越後の 20に次ぐ大国です。

横浜区(72,630人)も目立って大きな町ですが、これに次ぐクラスは、人口1万人余の八王子、忍、神奈川駅となり、内藤新宿は人口1万人を切ります。

幕末の開国に際して 開港場の 名前だけを貸した 形になった 東海道宿場町の「神奈川」[54351]も、1901年には 横浜市の一部になりました。
内藤新宿(1920年)に続き、品川・板橋・日暮里(金杉村)・千住と東京外周部の7つの町は1932年の隣接5郡一括編入[74867]の一環として、東京市になりました。

「戸数一千以上」の町場のうち、残りの9つは それぞれ別の市になりました。
明治13年当時の人口の多い順に列挙すると、八王子、行田(忍)、川越、熊谷、幸手、岩槻、越谷(越ヶ谷宿・大沢町他)、春日部(粕壁)、本庄です。

このグループの中では、八王子が 1917年に最初に市になったのは順当ですが、明治13年に1万人余の人口があった忍町が 行田市になったのは、戦後の 1949年と ずいぶん後のことです。

三本松と同様に「戸数一千以上」の基準に達しなかったために、明治 13年のリスト には選ばれなかった地名。
その中で、現在は「政令指定都市」になっている地域が、武蔵には2つありました。

相模原市[81089]と違い、武蔵国の該当分は宿場町です。
東海道の 橘樹郡川崎駅は 749戸・3214人。
中山道では 北足立郡浦和宿 902戸・3920人と 大宮宿 405戸・1962人。

川崎市も さいたま市も、これらの宿場町が核になって発展してきた都市ですが、現在の市域は大幅に拡大されており、かつての宿場とは無関係の地区が、大きな人口を抱えています。

なお、2005年に岩槻市編入があったので、現在のさいたま市域の一部は明治 13年の「戸数一千以上」リストに含まれていました。


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