[83151]は、『都道府県データランキング』オープンを祝おうとしてタイトルに掲げたのですが、実質的には「東西南北端」だけに特化してしまい、本筋の「都道府県データランキング」から離れた内容になってしまいました。羊頭狗肉になったことをお詫びします。
さて、「東西南北端・地名地図版」を作りながら、「東西南北端」という切り口から 興味を持ったことを少し記します。
その一つが千葉県です。
ほととぎす 銚子は国の とっぱずれ
江戸の俳人・古帳庵が、天保12年(1841)に詠んだ句です。
まだ千葉県が存在しなかった江戸時代後期ですから、“国のとっぱずれ”
[72037]は(ずっと北には奥州や蝦夷地があるとしても)、そこから先は遮る陸地のない太平洋という「日本の東端」を意味していたはずです。
句碑は銚子の飯沼観音・圓福寺本坊の庭に建っているそうですが、現地で詠まれたものかどうかは不明。
句全体の意味からすると、調子外れの鳴き声を出したホトトギスを詠んだ句であり、銚子は掛詞として利用されたのでしょう。
古帳庵の本職は商人で、出身地越生町教育委員会の本をベースにした
埼玉ゆかりの偉人 によると、
江戸日本橋小網町で古紙回収業を営むかたわら俳諧をたしなむ。
とあります。
なるほど、俳号は 江戸の商家で大量に発生する「ふる帳簿」のリサイクル業を意味していたのですね。
東端の銚子に対する千葉県の西側の境界線。
関宿から浦安までの江戸川、その南に千葉を湾奥とする東京湾、富津岬から南は東京湾口を形成する内房。
国土地理院の
千葉県市区町村の東西南北端点の経度緯度 から、ポイントとなる5市区の西端を拾い出すと次の通りでした。
野田市 139°46′33″、浦安市 139°52′20″、千葉市中央区 140°04′54″、
富津市 139°44′21″、館山市 139°45′07″
千葉県北端にも近い野田市・千葉県南端にも近い館山市を制して、千葉県西端の地位を獲得したのが 富津市であったことは意外でした。というのも、富津岬の東経は 139度47分01秒であり、野田市関宿・館山市洲崎(すのさき)よりも東にあるからです。
千葉県西端とされた富津市の地点を地図で表示すると、
[83151]で記したように「第二海堡」であることがわかりました。
ここは原則として一般人立入禁止ですが、海上保安庁の許可を取り仕事で何度も訪れた ありがたき さん
[26174]によると、「いつ行っても“先客”が居た」とのこと。密輸は防いでも、釣り人の不法侵入を完全に阻止することは困難なのでしょう。
幕末の黒船対策で築造された 御台場
[80264] の20世紀版とも言える第二海堡【=海のとりで】は、世界最大級の海上軍事要塞として 1914年完成したものの、1923年の関東大地震で大破しました。
もちろん人工島ですが
[26206]、これが千葉県の西端と認定されていたとは、私にとっては伏兵でした。
第二海堡のような人工島も東西南北端に含めるとなると、神奈川県の東端は
東経139度50分04秒 にある 東京湾アクアラインの川崎人工島
「風の塔」 になる可能性もあります。
人工物や海上に僅かに突出している小さな島(岩礁)
[26266] をどこまで含めるかは 匙加減次第?
次に山形県の飛島。
飛島が山形県の北端でもあり、かつ西端でもあるということも知りませんでした。
島の位置は 秋田県 にかほ市の西方30km弱の海上であり、中世には 羽後の豪族 仁賀保氏の所領でした。その後、最上氏を経て 近世以来 庄内藩領になったため、山形県なのですね。
[83151]でリンクした地図を開くとわかるように、国土地理院に基く飛島の北端・八幡崎よりも更に北に「オカミ島」という小島があります。北緯39度12分55秒ですから、匙加減次第では、こちらが山形県北端になるのかもしれません。
ウミネコの繁殖地・御積(おしゃく)島。これも飛島の離島なのですが、東経139度31分13秒は、山形県本土の南西端・鼠ヶ関の東経139度32分20秒をしのいで山形県の西端として認定されています。
最後に、幻に終った日本最東端「中ノ鳥島」の存在【実は不存在】を思い出して頂くために、過去記事
[65212]を引用しておきます。