都道府県市区町村
落書き帳

地理化学科?

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[8846] 2003年 2月 7日(金)01:37:39まるちゃん さん
宇部,本山線
[8804] 雑魚さま
宇部興産に象徴されるセメント工業より以前に炭鉱産業が盛んだったのですね。長門本山駅に近い海底炭鉱の坑口がその名残りかと思われますが、そう考えると、宇部界隈は産業構造の転換にうまく成功した例なのかな。

明治初期,旧厚狭郡宇部村時代の中心部は,現在の市役所から4km程北東部に入った上宇部地区の寺の前とよばれる地域でした.寺の前の寺とは,教念寺という宇部で最も檀家の多い浄土真宗のお寺で,そこから名前の由来がきています.
明治30年に創立された宇部興産(今は正しくUBEと横文字に変えていますが,今でもふつう,“興産”と地元ではよんでいます)の前身「沖ノ山炭鉱」の鉱区は宇部沖の海底にある炭田でした.熱量こそあまり高くありませんでしたが,火着きがよいことから、主に製塩用燃料や家庭用燃料として使われましたようです.
その後の人口規模の急速な拡大と飛躍的な発展を遂げた宇部村は,大正10年11月、村から一挙に県下2番目の市制を施行し,この頃には現在の地域に中心は移っていたようです.
その後、戦災により市街地の大半を焼失しました(我が家の庭からも以前,さびきった古い焼夷弾がみつかったこともあります)が,戦後の石炭景気に支えられ復興しました.
ただし,戦前,戦後まもなくまでは,粉じんが市街に降り注ぎ,さながら桜島噴火時の鹿児島市内のごとく,洗濯ものが外で干せず,それはひどかったそうです.
宇部市に現山口大学医学部(戦時中にできた山口県立医学専門学校)ができたのも,あまりに健康に悪い環境なため,宇部興産が土地を提供し,宇部に誘致されたものなのです.
昭和29年、小野湖周囲などの北部地区などの周辺4か村との合併を経て市域を現在の形となりました.
しかし,資源エネルギーの需要構造の転換に伴い,多くの炭鉱が閉山を余儀なくされ,昭和42年には最後のヤマも姿を消しました.その結果,一時は人口も減少し市勢も停滞しましたが,化学工業を中心とする工業都市へとなんとか切り替えることにうまくいった都市として紹介されていました.
確かに,大牟田,夕張など他の九州や北海道の炭坑都市に比べ,最大人口からの減少の程度はかなり少ないので,そうなのかもしれませんが,現在では,人口も横ばいからやや減少気味に傾いてきています.

全長 2km少々では、自転車でもある程度は代替が効きそうですし。
付近に位置する石油コンビナートへの通勤客が利用する事情でもあるのかな。

石油コンビナートは西部石油の山口製油所のことですね.
ここは385万klの貯油タンク群を保有しており,コンビナート各社に製品を供給する,貯油タンクが主な施設ですので,通勤客がそんなにいるとこではないのです.
私もかねがね思っていたのですが,なぜ廃線にならずに経過しているか不思議でたまりませんでした.
旧型電車を見にくる,鉄道ファンがのっていたから,廃線しなかったという話しもちらほら.
[10541] 2003年 3月 6日(木)14:43:47ペーロケ[utt] さん
リンのお話
[10519]太白さま
ナウルって、鳥のフンから出来たリンが取れる島でしたか…。(中略)石油と違って「新しく発見される」ことは期待できないでしょうね。
リンの話は本来の専門なので、やや難しい話になってしまいますが。。。
リン(P)は窒素とともに富栄養化物質ですので、全国の河川や湖沼などの水系で溜まりすぎて困っています。
そして、それはやがて海に流れます。
窒素は、水中の有機態窒素は硝化作用、脱膣によっけ空気中の窒素(N2)になることができますが、
水中の有機態リンは、PO4-P(リン酸態リン)になるだけ、空中に放出されることはほとんどありません。
まあ動物の死体など、かなり高濃度の場合は、「人魂」といった昇華作用はありますが、
それ以外は何らかの方法で系外に持ち出さない限り、水系から出ることはありません。
だから、数千万トンとも数億トンとも言われる非常に多くのリンが海底に溜まっているそうで、
その経済的な回収技術を開発したら、間違いなくノーベル賞でしょう。しかし、学生の頃、
「江戸時代は海の魚を渡り鳥が捕食し、陸に上がって糞を落とし、それによってリンが循環していた」
との内容の論文を見たことがあります。初めは嘘みたいな話だと思いましたが、
その論文を見てから、自分の車に白い爆撃を受けても、「鳥がリンを移送してくれているんだ」と
広い心で見るようになりました(笑)
ということでリンの回収技術が進めば、決して鉱物の燐だけじゃなく、
海底から直接採取する時代が来るのかもしれません。

というか、地理のページなのに、私は何を書いているのだろうか。
まあ、窒素、リンで「ちり」ということで許してください(お粗末??)
[20278] 2003年 9月 25日(木)17:14:17まるちゃん さん
企業の地名
[20276] 太白さん
企業にちなむ町名
といえば,山口県関連では
[6545] いなさんが触れられた
小野田市 繁華街の名がセメント町
の他,火薬町(山陽町・日本化薬),鐘紡町(防府市・鐘紡),協和町(防府市,協和発酵)も挙げられますね.
鐘紡町は高岡市,長浜市にもあるようです.
茨城県協和町,秋田県協和町はたぶん関係ないでしょうね.

変り種としては,
小野田市には硫酸町(体が溶けてちゃいそう!)があります.
今は正式の住所から外されているそうですが,通称名とバス停として残っています.

http://www.netaro.net/~ja4xgc/sub11.htm
http://www.towninf.co.jp/p/35/35209/192.htm

硫酸町は,明治22年7月1日に設立された,通称「硫酸会社」,正式の名を日本舎密製造会社(現日産化学工業 小野田工場)に由来します.
ここでは,硫酸・燐酸・硝酸・ソーダ等の 化学薬品の製造をしていたそうです.
引用  http://www.city.onoda.yamaguchi.jp/kankou/rekisi/history_03.html
[20289] 2003年 9月 26日(金)00:47:21ken さん
re:企業にちなむ町名など
[20280] 2003 年 9 月 25 日 (木) 18:06:21 スナフキん さん
[20278] 2003 年 9 月 25 日 (木) 17:14:17 まるちゃん さん
小野田市には硫酸町
これはインパクトありますね。
日本舎密製造会社
舎密は、オランダ語chemieシェミ「化学」の音訳で、英語で言うChemistryのことですね。
日本語としての舎密の読みは「セイミ」ですが、

[20276] 太白さん
・日野自動車:東京都日野市日野台(これはありか…)
これは、あり(地名先行)なんですが、その隣町は該当ですよ。
・コニカ:東京都日野市さくら町
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=20000&el=139%2F22%2F35.579&pnf=1&size=500%2C500&nl=35%2F39%2F54.020
さくら町は、コニカ日野事業所だけで占められている町です。
コニカが、以前、小西六という会社で、サクラカラーというブランドでフィルムを売っていたことも、もしかすると、坊屋三郎くらい説明が必要になってくるのかも知れませんが。
フィルム専業だった小西六が後発事業である写真機のブランドにコニカを用い、その後社名をコニカに変更して、フィルムの方のサクラカラーのブランド名もコニカカラーに変え、サクラの名は消えましたが、そのとき、町名も変えるのかな?と思って見てましたが変えませんでしたね。
http://www.konica.jp/corporate/history/history01.html
「さくら」ブランドの歴史は思いのほか古いですね。

ちなみに小西六は元々は小西屋六兵衛店の略です。
伊勢丹は伊勢屋丹治呉服店
シオノギは塩野義三郎商店

リョービって、両備(備後・備中?)だという話なんですが?
富士通は富士電機の通信機部門を分離した会社ですが、富士電機は古河の「フ」とジーメンスの「ジ」の合成だそうで。

日立製作所は多賀郡日立村の地名先行ですよね。
[22208] 2003年 11月 23日(日)14:12:17hmt さん
観音下石
[21543] [22060] [22069] 軒下提灯 さん
「かながそ」が今尾恵介さん([10953] [16664] 他)の「地図で歩く廃線跡」に出ていたのを思い出して、読み直してみました。
残念ながら読み方の由来の記載はありませんでしたが、「ここは人ぞ知る『観音下石』の産地」とありました。日華石とも言い、ベージュ系の柔かい石材のようです。
グリーン系で同じく凝灰岩の大谷石[21691] 、花崗岩の代表である御影石[19520]など、石材の名前には、地名由来がたくさんありますね。
外国の地名も大理石、ノルウェー南部のラルビック地域に由来するラルビク岩(ラルビカイト)などなど。ラルビカイトは、ずっと以前に勤め先が入居していた日比谷三井ビルの外壁に使われています。黒っぽい地色の中に大きな月長石が輝くアルカリ閃長岩です。
石材ではありませんが、陶磁器原料のカオリンも景徳鎮近くの地名由来です。高嶺の他に、高陵、高麗などの漢字表記も見掛けましたが…。
[22223] 2003年 11月 23日(日)23:51:36夜鳴き寿司屋 さん
ストーン ネーム
[22208] hmt さん

 元素でしたらゲルマニウム(元素番号32)、ポロニウム(元素番号84)、アメリシウム(元素番号95)、カリホニウム(元素番号98)など地名にちなんだ名称がありますね。ほとんど欧米の地名ばかりですが。

 日本の地名で思いついたものといえば、石材として使われる大谷石(凝灰岩)は栃木県の大谷から来ていますし、御影石(花崗岩)も神戸の六甲山にある御影が由来といずれも産地の地名から由来しています。

 また土では園芸に使われる鹿沼土(火山灰)も栃木県の鹿沼が主要な産地です。他にも「○○石」と地名由来の名称が付く鉱物も多くあると思いますがこのへんで。
[22232] 2003年 11月 24日(月)01:54:20般若堂そんぴん さん
散漫なレス,二題(祝,ニッポニウム)
[22222]まがみさん
おお,祝ファイヴ・カード!(やられた!)

[22223](おお,フォー・カード!)夜鳴き寿司屋さん
 元素でしたらゲルマニウム(元素番号32)、ポロニウム(元素番号84)、アメリシウム(元素番号95)、カリホニウム(元素番号98)など地名にちなんだ名称がありますね。ほとんど欧米の地名ばかりですが。
元素名としては最も新しいダルムスタチウム(110番,Ds = Darmstadtium)もドイツの地名ですね.
1906年に43番元素を発見したとして,ニッポニウム Nipponium という名が提唱されたことがありますが,幻に終わりました(43番元素は半減期の短い放射性元素テクネチウム Tc = Technetium).
[22262] 2003年 11月 25日(火)00:09:11【1】hmt さん
地名由来の元素名(1)
[22223]夜鳴き寿司屋 さん
元素でしたらゲルマニウム(元素番号32)、ポロニウム(元素番号84)…など地名にちなんだ名称
[22232] 般若堂そんぴん さん
ダルムスタチウム(110番,Ds = Darmstadtium)
竹本喜一・金岡喜久子「化学語源ものがたり」で調べてみたら、意外に多数ありました。

ヨーロッパ・地中海
63ユウロピウムEuヨーロッパ
12マグネシウムMgギリシャのマグネシア地方
25マンガンMn【1】同じくマグネシア地方で発見>magnesia nigra>manganese
29Cuキプロス(黄銅鉱の産地)【1】 Cyprus>Kupferか
西ヨーロッパ
71ルテチウムLuLutetia(パリの前身の古代都市)
87フランシウムFrフランス
31ガリウムGaガリア(ラテン語時代のフランス)
32ゲルマニウムGeゲルマニア(ラテン語時代のドイツ)
75レニウムReライン河
110ダルムスタチウムDsダルムシュタット 【1】(重イオン研究所がある)
38ストロンチウムSrStrontian(スコットランドの西海岸の寒村)
東ヨーロッパ
44ルテニウムRu東欧のルテニア(Ruthenia)地方
84ポロニウムPoポーランド

この後、北ヨーロッパ・アメリカ・宇宙と続きます。
[22273] 2003年 11月 25日(火)15:00:19【1】hmt さん
地名由来の元素名(2)
[22262] の続きです。
北ヨーロッパ
21スカンジウムScscandia(スカンジナビアのラテン語)
67ホルミウムHoストックホルム(ラテン語はHolmia)
69ツリウムTmスカンジナビア半島のThule
72ハフニウムHfHafnia(コペンハーゲンの古いラテン名)
39イットリウムYスウェーデンの小さい村Ytterby近くの鉱山から得た鉱物yttriaから分離
70イッテルビウムYb同じくYtterby産鉱山から得た鉱物yttriaから分離
65テルビウムTb同じくYtterby由来(yttriaから分離したterbiaから得た)
68エルビウムEr同じくYtterby由来の鉱物erbiaから分離
希土類は北ヨーロッパから団体でお目見えです。それにしても同じYtterbyから4元素とは。

アメリカ
95アメリシウムAmアメリカ(アクチノイド元素の7番目で,ランタノイド元素の7番目ユウロピウムに対応)
97バークリウムBkバークリー(カリフォルニア大学がある)
98カリホルニウムCfカリフォルニア大学の研究で発見
47Agアルゼンチン…というのは逆で、国名の方がラテン語のargentum(銀、元素記号はAg)由来です。銀座も元素由来の地名。

宇宙(“地名”ではありませんが)
2ヘリウムHeギリシャ語のhelios(太陽)。1868年インドでの日食観測で太陽スペクトルの中に発見
52テルルTe「地」を意味するラテン語tellus(ローマ神話の地の女神Tellus)
34セレンSe「月」を表すギリシャ語のselene(ギリシャ神話の月の女神Seleneはローマ神話のLunaに対応)
92ウランUUranus(天王星)の発見にあやかる。もともとはギリシャ語uranos(天,天空)
93ネプツニウムNp続番はNeptune(海王星)
94プルトニウムPuPluto(冥王星)で3連続。学者も遊びます。
58セリウムCe小惑星の第1号Ceres発見(19世紀の最初の夜)の翌々年に発見
46パラジウムPd小惑星Pallas(元来アテネの守り神)
22チタンTi土星の衛星Titanと同名であるが、星に由来するものではなく、神話から直接の命名らしい。
[22377] 2003年 11月 30日(日)03:36:09ゆう さん
安山岩はアンデスから、玄武岩は玄武堂のロミーナ?
[22262]hmtさん
超アクチノイド元素でもう2つあります。

西ヨーロッパ
108 ハッシウム Hs 独国ヘッセン州のラテン名[Hassia](重イオン研究所がある)
※Dsの由来であるダルムシュタットはヘッセン州

東ヨーロッパ
105 ドブニウム Db 露国ドブナ(合同原子核研究所がある)
[28234] 2004年 5月 13日(木)19:44:48hmt さん
「新潟の60Hz地域・決着編」から生まれた謎
[28200] miki さん
佐渡市、青海町(上路、市振玉ノ木、橋立清水倉)、妙高村斑尾八坊主

佐渡は島内完結型の電力供給体制。青海町市振玉ノ木は富山県境ですから北陸電力からの越境型として理解できます。[28192]U-4さんが紹介された長野県の例と類似しています。

さて、残る3ヶ所の60Hz地域の存在が謎です。

共通点は他の集落から隔絶された山の中、川の上流。
隠されたもう一つのヒントは、この川を下って行くと大きな化学工場のあることです。

これに基づく私の推測は次の通りです。
電気化学工業と日本曹達はそれぞれ青海川水系、関川水系とに自家用の60Hz水力発電所を持っており、下流の青海工場、二本木工場(中頸城郡中郷村)に送電していると思われます。
これらの系統は広い意味では「新潟県内の60Hz地域」ではありますが、公共インフラとしての電力事業ではないので、普通の意味での「新潟の60Hz地域」には数えられておりません。
ところが、この系統の電力のごく一部が東北電力に融通されて、山の中の集落に配電されているのでしょう。東北電力からの供給ということになれば、立派な「60Hz地域」ということになります。

[28193]YASUさん
大きな工場の自家発電設備から電力供給を受けていた地域
は、現在でも存在するのですね。

第二次大戦前はたくさんの電力会社があり、ドイツ流の50Hzとアメリカ流の60Hzとが入り乱れていました。
戦時電力体制(日本発送電+地域別配電会社)を経て戦後の電力再編成を迎えても入り乱れた周波数地図は続いていました。

50年前に学んだ教科書(大山松次郎著「電気工学通論」)には、全国の周波数地図が掲載されていました。周辺と異なる周波数の「飛地」が極めて多数存在していたと記憶します。
[28193]の三池はその一例ですが、関東では日立周辺が60Hz地域でした。上の話題に出た新潟県の関川水系地域も60Hz水力発電所から供給されていました。
「飛地」というには大きすぎる例ですが、九州の東半分が50Hzであったように記憶します。

[28186]月の輪熊さん がリンクされた東京電力HPのすっきりした周波数地図になるまでには、電力各社の多大な努力があったものと推察されます。
それでも日本全国の周波数統一は実現せずに終ってしまいましたが。
[28450] 2004年 5月 20日(木)13:46:18hmt さん
水を積み上げるのがダム
[28405]TGRSさん
「九州周波数統一史」を調べていただき有難うございます。
私が[28234]において「九州の東半分が50Hz」と単純化して書いた1950年代は、既にある程度の統合がなされた後で、その前は更に複雑だったことがわかります。
九州の東西不統一は日本の縮図のようであり、電力融通の困難をもたらしていたことはある程度承知していました。しかし「福岡県が九州の縮図、福岡市は又その縮図で東半が50サイクル西半は60サイクル」というのには、改めて驚きました。
ついでに言うと、「サイクル」という呼び方に一昔前の話であることを実感します。

この時点でも旭化成延岡工場、新日本窒素肥料水俣工場の自家用送電系統設備は50サイクルで、これらは熊本宮崎の県境(高千穂の奥付近)で繋がっていました。
当時の「新日本窒素肥料」は戦後に財閥解体から再出発した会社で、1965年に現在の「チッソ」に社名変更しています。逆に戦前に遡ると、水俣も延岡も 電気技術者・野口遵(のぐちしたがう)が創始した「日本窒素肥料」の工場でした。以下、日本窒素と省略します。
余談ですが、野口遵は宮城県の三居沢(現・仙台市青葉区、東北電力の発電所あり)で、水力発電所の余剰電気利用を図った大学同窓の藤山常一と共に、1902年に電気炉を用いるカーバイド工場を作りました。
三居沢は日本の電気化学工業発祥の地というわけです。
野口遵と藤山常一は後に喧嘩別れしますが、二人の創業した工場は、現在も産業界の一翼を担っています。
藤山常一が三井の資金を得て作った青海の電気化学工業[28234]が新潟県の60Hz、熊本県のチッソと宮崎県の旭化成が九州の50Hzというのも奇妙な逆転です。

宮城県で水力発電の産業への利用に着手した野口遵は、次にこれを鹿児島県大口の金鉱山にも応用して成功(曾木電気)。更に熊本県の水俣からの誘致を受けて 1908年に水力と石灰石の資源を生かしたカーバイド、そしてこれから作られる窒素肥料(石灰窒素や硫安)の工場を作りました。これが日本窒素です。1932年からはカーバイドからのアセチレンを原料とするアセトアルデヒドを生産。このプロセスの触媒として使用した水銀が水俣病を引き起こす原因になりましたが、それは後の話。

野口遵が水俣の次にやった仕事は、宮崎県五ヶ瀬川の電源開発([28250]YASUさん) で、そこで得られる電気の用途は、水を電気分解して得られる水素を用いたアンモニア、合成硫安肥料でした。
現在は逆に水素から電気を作る燃料電池の時代に入ろうとしています。これは脱線。

日本窒素延岡工場は1923年操業開始。高圧化学反応の技術をはじめて実用化したカザレー式アンモニア製造装置は、現在は近代化遺産に指定されており、工場内のカザレー記念広場に展示されているそうです。
延岡では、アンモニアの利用から化学繊維事業もスタートし、日本窒素の子会社「旭ベンベルグ絹絲」を経て「旭化成」になりました。
水力発電の惠みを生かした延岡工場は硫安、苛性ソーダ、火薬、化学繊維等の総合的な化学工場として発展しました。

野口遵の事業意欲は“内地”にとどまらず、1927年には朝鮮に進出、鴨緑江で巨大な発電所を建設(水豊ダムなど)、興南を中心とした電気・化学コンビナートを建設しました。
朝鮮窒素の設備は「あの国」の貴重な財産になっている筈です。

ダムと言えば、この言葉が意外な会社名に使われています。
戦後海外から引揚げてきた日本窒素系会社の若手社員たちが、生きて行くために同系会社製品の販売会社を作りました。その名が積水産業。この会社が日本最初のプラスチック射出成形事業を始め、積水化学工業になりました。
「セキスイ」は、グループの創業者・野口遵が、各地で水を積み上げ続けたダムに由来していたのでした。

東京電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年5月現在準備中)
これが[28234]の日立周辺ですね。大口では全国で最後に残った地域でしょうか.

この本が出版された昭和36年5月現在、北九州市は発足前なのですが、すでにこのあたりのことを「北九州」と呼んでいるんですね。
私も「北九州工業地帯」「西鉄北九州線」のように、九州北部全域ではなく「北九州五市」限定の使い方に馴染んでいたように感じています。したがって、「北九州市」が発足した時も違和感はありませんでした。
これに対して布施・枚岡などに代り新たに登場した「東大阪市」の名称には大いに違和感は感じたものです。
[28586] 2004年 5月 24日(月)23:39:28hmt さん
自家用高速道路を造ってしまった会社
[28250]YASUさん
ダムまで造ってすごい会社だなあ、と思っていました。

YASUさんが[28180]で最初に電力の話題を提供された富士川にも、アルミニウム工場の自家用水力発電所があります。
http://jammit.hp.infoseek.co.jp/hhsoudennnikke02.html 東海道本線の線路脇にも富士川第2発電所があります。

電力の話題からはずれますが、発電所や送電線の他にも工場外に大規模な設備を造ってしまう会社があります。
専用鉄道、港湾、パイプラインもありますが、ここではその他の設備を2点。

宇部・美祢高速道路
美祢市伊佐町の伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品クリンカーを臨海の宇部まで効率よく運ぶための宇部興産専用道路です。70トン積みの巨大なダブルス・トレーラーが頻繁に往復しています。1975年4月開通。1982年同社機械部門が製作した興産大橋(全長1030mのトラス橋)により伊佐-宇部間 約30km 全線開通。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=250000&icon=mark_loc%2C0%2C%2C%2C%2C&coco=34%2F02%2F29.700%2C131%2F13%2F39.540&el=131%2F13%2F39.540&pnf=1&size=500%2C500&sfn=all_maps_00&nl=34%2F02%2F29.700&

この道路ができる前、石灰石輸送を鉄道輸送に頼っていた時代には、国鉄貨物発着トン数の1位、2位を宇部港と美祢が占めていました。この貨物列車を通すために、山陽本線の厚狭―宇部間の線増を必要としたほどの輸送量でした。

長距離ベルトコンベア
山口県の北側に目を転じると、秋芳鉱山から仙崎港まで中国山脈を縦断する全長17kmの長距離ベルトコンベアがあります(住友大阪セメント)。
福岡県平尾台から苅田港まで約12km(三菱マテリアル)、秩父の武甲山から日高市までY字形ルートの全長23km(太平洋セメント)など、長距離ベルトコンベアは各地にあるようです。
[28606] 2004年 5月 25日(火)15:34:13hmt さん
エチレンのような化学物質もパイプで県境を越える
[28590]miki さん
呉本通13丁目
1965年、短期間ですが「呉本通13丁目発 特急 津和野ゆき」という国鉄バスを通勤に使っていたことがあります。実際に乗車するのはほんの短い区間でしたが、広島・山口・島根の3県にまたがる長距離バスです。
帰路は、稀に「益田発 広島バスセンターゆき」という石見交通バスに当たることもありました。これも3県を通して走ります。その他では最も多い広電バスをはじめ、防長バス、岩国市営バスと、すべて2県にまたがる路線で、国道2号線の広島・山口県境部分は、バス会社の種類が多いことと共に県境の壁がないことに目を見張ったものです。

県境の壁がないと言えば、両県にまたがる石油化学工場があり、工場の岩国側(山口県和木町所在ですが、陸軍燃料廠の時代から岩国を名乗っていました)に通じる鉄道線路も、広島県の大竹駅から分岐するという具合です。

もっとも、道路・鉄道だけでなく工場内パイプラインまでが結ばれている県境の川の呼び方は、山口県では「小瀬」川、広島県では「木野」川と異なるとされます[15926]。地図で見ると両方の地名は上流で相対しています。川の名は両岸の交流の少なかった藩政時代を反映しているのかもしれません。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=34/12/13.000&el=132/11/50.700&grp=all&coco=34/12/13.000,132/11/50.700&icon=mark_loc,0,,,,

とにかく、現在は電話も同一メッセージエリアになっています[14058]
このように「県境を越えて生活圏のつながりが大きい地域」 http://uub.jp/arc/arc22.html であるにもかかわらず、新聞の地方版には県境の壁があって、隣接地域の情報が得にくいというのが実感でした。(現在はどうでしょうか。)
ここは新聞社にとって谷間だったせいかもしれません。広島県版は大阪で発行、山口県版は小倉の西部本社発行。何故か各新聞社共に西部本社は福岡でなく、小倉ですね。

「県境を越えた連携・合併に関する提言」[28094]によると、大竹市長は都道府県境を越えた連携・合併研究会 座長となっていますから、行政面の連携は模索されているのでしょう。
[28642] 2004年 5月 26日(水)16:45:00hmt さん
松尾を閉山に追い込んだ原油中の硫黄
[28574]だんな さん
安価な輸入硫黄の増加やパルプ・繊維産業の不況などで鉱山は斜陽の一途をたどり、昭和44(1969)年に閉山となりました。

輸入硫黄が経営を圧迫した時期もあったのですが、土硫黄及び硫化鉄鉱の鉱山に決定的なダメージを与えたのは、石油精製プロセスの水素化脱硫から副生する「回収硫黄」でした。
わが国が中東などから大量の原油を輸入しているのは周知の通ですが、この中には大量の硫黄化合物が含まれており、燃料として使用すると大気汚染の原因になります。そこで製油所段階でこれを取り除く「脱硫」技術が実用化されたのですが、燃料油脱硫の結果副生してくる回収硫黄は、鉱山から掘り出す土硫黄を駆逐しました。

松尾は、見えない形で中東から日本に忍び込んできた硫黄に負けたのです。

ところで、硫酸と共に硫黄の主用途になっているものは何でしょうか?
それはゴムです。大量の硫黄分が含まれている廃タイヤは、そのまま燃料にすると大気汚染の原因になります。
[28741] 2004年 5月 29日(土)23:32:50hmt さん
硫黄鳥島の所属
[28574]だんな さん [28642]hmtで硫黄が登場したついでに硫黄の付く地名を検索してみました。

Mapionの住所では6ヵ所。
東京都小笠原村硫黄島、鹿児島県三島村硫黄島、沖縄県久米島町硫黄鳥島の他に硫黄沢(宮城県)、硫黄内(福島県)、硫黄田(ゆおうだ福島県)。
国土地理院の25000分1地形図検索の地名注記では、長野県飯山市の「硫黄」というそのものズバリの地名の他に、硫黄山(北海道、東京都、岡山県、広島県、大分県、宮崎県)、硫黄岳 (青森県、長野県、鹿児島県)、硫黄尾根・硫黄乗越 (長野県)、硫黄川(北海道、福島県、新潟県)、硫黄沢(宮城県、福島県、群馬県、新潟県、富山県、長野県)など多数出てきます。
さすが火山国日本。
島では、南硫黄島・北硫黄島 (東京都)の他に昭和硫黄島 (鹿児島県) もありました。

元素(Ag)由来の地名としてアルゼンチンと銀座を挙げたことがりますが[22273]、硫黄は、金・銀・塩などと共にそれに由来する地名群を持っている数少ない物質だと思います。
試みに「石灰」を調べてみたら長崎市本石灰町、北海道石灰川、愛媛県石灰山が出てきました。

ところで、最初に出てきた沖縄県久米島町硫黄鳥島。
徳之島の西方にあるのに鹿児島県でなくて沖縄県。しかも久米島という遥かに離れた島に所属しています。
記憶によると、琉球所属は王府を通じて硫黄貿易をコントロールしたかった薩摩の意図によるものだったとか。
ちょうど100年前(1904年2月)の爆発で島民全員が久米島に移住していますが、もともと久米島出身の人たちによって硫黄採掘がされていたのでしょうか?
[33280] 2004年 9月 23日(木)09:40:36まるちゃん さん
山口県由来の企業
東証一部上場企業で,今でも山口県内に本社を構える会社としては,
宇部興産(セメント・化学:宇部市)(東京本社もあり),トクヤマ(セメント・化学:周南市)(東京本部もあり),林兼産業(水産・食品:下関市)なんかがありますね.
古くは,マルハやニッスイの水産会社の本社もかつては下関市にありました.
他には,太平洋セメントの前身である,小野田セメントなんかもありますね.

こうやってみると,山口県は,水産と化学・セメント工業を中心に栄えた,産業史の一端がうかがえます.
[36515] 2005年 1月 7日(金)19:18:54【1】hmt さん
「さんずいに戸」
[36497]なかなか さん
地学の先生が「層」を「尸」+「ソ」で書いていました。
先生は「地学ではこの字をやたらと使うから、いちいち書いていられないんだ」と言い訳(?)してました。

たしかに、それぞれの分野に特有の俗字が存在するようです。
俗字の字典の補遺に記された論文では、「警察文字」というものが紹介されているそうです。

化学の分野で有名なのは、「さんずいに戸」という文字。「濾過」の「濾」の代りに使われています。
この字は、もちろん常用漢字表にはないのですが、『文部省学術用語集化学編』に採用されており、高校の教科書の一部でも用いられているようです。(用いていない出版社もある。)
「さんずいに戸」は、本来は「瀘」(右下のパーツは「皿」)という字の略字で、「濾」(右下のパーツは「心」)の代りに使うのは誤用でしょうが、『学術用語集』というお墨付きまで貰ってしまっているのです。

同じく「ろ」と発音する「炉」や「芦」はパーツとして「皿」を使った字の「正規の略字」ですが、「蘆花恒春園」の最寄駅「芦花公園」(京王線)は、出所が固有名詞なので少々問題。

「芦屋市」は「葦屋郷」の時代はさておき、「芦屋村」の時代から「芦」を使っていたようです。1889年の合併時には、打出村と芦屋村の勢力が拮抗していて、どちらの名も使えず「精道村」になった模様。
ところが、1940年に(町を経ないで)市になった時には「芦屋市」。
古老曰く
「打出村の代表の一人が席を外してるスキに多数決で決めてしまいおって…」

うまく地理の話題につなぐことができました。
[41432] 2005年 5月 20日(金)23:18:34にまん さん
山陽小野田市
山陽小野田市の改称問題ですが、みなさんの意見では厚狭市の評判が良いようですが、隣町出身者の感覚では、厚狭市はかなり違和感が有りますね。すぐに慣れそうではありますが。おそらくかなり高い確率で採用されることはないでしょう。

というのも、確かに山陽小野田市は全域が旧厚狭郡ですが、地元で「厚狭」といえば旧山陽町の厚狭地区(厚狭駅周辺)を指すイメージが非常に強く、旧山陽町の埴生地区でさえ、厚狭というイメージはではありません。ということは新市の名前として厚狭を使うというのは、人口で多数を占め山陽小野田市の中心である旧小野田市の賛同を得られないでしょう。

それじゃぁ、どんな名前がいいか。。。と考えると、あまり適当な名前ってないですね。合併時の候補にも上っていた長陽市か朝陽市(宇部小野田地区の地域名として使われることあり)か、周防灘市(市内に周防灘サービスエリアあり)か、実態は吸収合併だからいっそのこと小野田市としてしまうかといったところでしょうか。
半分以上冗談ですが、市内にはセメント町、硫酸町(旧小野田市)、火薬町(旧山陽町)という地名があって、お菓子にもセメン樽(最中)、ダイナマイト羊羹なんていうシロモノがあるくらい化学工業に特色の有る町ですから、いっそのこと「化学市」なんてのも候補に入れてみたいところです。

結局のところ宇部市との合併問題がくすぶっていますから、合併するまでの暫定ということで山陽小野田市のままいくというのが、無難なんでしょうね。
旧市町名を並べたにしては、すわりのよい名前ですし、個人的にはそれほど違和感は感じません。
[42163] 2005年 6月 9日(木)23:43:16【2】hmt さん
西洋版・裏表の国名
[42151] Issie さん
創作当初は「トランスヨルダン Transjordan 」という名前でした。
Transjordan とは要するに「川向こう」という意味ですね。

1950年からの国名 al-Mamlaka al-Urdunniya al-Hashimiya の日本名は、「ヨルダン・ハシミテ王国」と思っていたのですが、外務省の頁を確認してみたら、「ヨルダン・ハシェミット王国」になっていました。近年、日本名を変更したのかな?

「向こう側」国名としては、ずっと昔のことですが、「トランシルバニア(Transylvania)公国」というのがありました。ルーマニア中部・北西部。
「森の彼方」という意味のこの地名、ローマ帝国からの視点かと思ったら、そこまでは遡らず、マジャール人がハンガリー平原からカルパチア山脈の方を呼んだ地名のようです。

「トランスバール共和国」というのもありました(1852-1877,1880-1902)。
南アフリカに植民したオランダ人の子孫など(ブール人、英語読みはボーア人)は、ナポレオン戦争後に流入したイギリス人にケープ地方を奪われ、1836年に大移動を開始し、バール(Vaal)川を渡った「向こう側」の奥地に新天地を開拓しました。この国(Transvaal)の最初の名は、「南アフリカ共和国」で、1954年には、その姉妹国の「オランニエ自由国」(英語ではオレンジ)も建国しました。
ところが、奥地だった所は1867-8年以降、金鉱やダイアモンドが発見された宝の山になり,セシル・ローズ(ローデシアという地名の由来)に代表されるイギリス人が入ってきて、国立公園に名を残すクリューゲル大統領の「トランスバール共和国」と衝突しました。そして、ボーア戦争に発展。結果はイギリスの勝利に終わり,「トランスバール共和国」は「オランニエ自由国」と共にイギリス領南アフリカに編入されました。「南アフリカ連邦」(1910-1961)を経て、現在は「南アフリカ共和国」。

20世紀の裏表国名
アパルトヘイト政策により、南アフリカ共和国内に作られたアフリカ人自治地域に、トランスカイ(Transkei)とシスカイ(Ciskei)がありました。一応は「独立国」?だったそうですが。

# シス(こっち側)、トランス(向こう側)というペアは、元・ケミストにとっては、なつかしい名前です。


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