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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[97002]2018年11月16日
hmt
[97012]2018年11月20日
hmt
[97013]2018年11月20日
ekinenpyou
[97016]2018年11月21日
グリグリ
[97031]2018年11月25日
むっくん

[97002] 2018年 11月 16日(金)18:54:02【1】hmt さん
地名ではなく、温泉名だった「宝塚」
「宝塚」を話題にした機会に、この名が「地名になった」のは意外に新しいことを記しておきます。

[96956]で紹介されたFAQの回答には、「その近くで物を拾った人には幸運が舞い込むと信じられていた古墳」があり、これが市名の由来という説が記されています。

自治体名としての「宝塚」が出現したのは、宝塚市成立の約3年前、1951/3/15の町制/改称でした。
兵庫県川辺郡小浜村→宝塚町。
変遷情報を明治合併の 1889年まで遡っても、「宝塚」という旧村名は見当たりません。
「宝塚」が地名になったのは何時からか?

古墳の呼び名から地名になる間を繋ぐ名前としては、「宝塚駅」が思い浮かびます。
阪鶴鉄道宝塚駅(国鉄>JRの前身)は 1897年12月開業。阪急の前身・箕面有馬電気軌道の開業は 1910年。

駅名より更に古いのが温泉名でした。阪急の創業者・小林一三が、宝塚音楽学校創設【1913年】の頃を回顧した『宝塚生い立ちの記』を 青空文庫で読んでみると、「四十年前の宝塚風景」として次のように記されていました。
宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日のような地名ではなく、しかもその温泉は、すこぶる原始的な貧弱極まるものであった。その温泉の位置はやはり現在の旧温泉のある附近…武庫川の岸にささやかな湯小屋…。その湧出する鉱泉を引いて、初めて浴場らしい形を見せたのは、明治二十五年のこと…。
その後、阪鶴鉄道の開通とともに、宝塚温泉は急速な発達を遂げたが、1910/3/10 【阪急の】電車開通当時は、武庫川の東岸【左岸】すなわち現在の宝塚新温泉側はわずかに数軒の農家が点在するのみで、閑静な松林のつづく河原に過ぎなかった。

その宝塚温泉も、明治時代に栄えたのは武庫川西岸の旧温泉側【武庫郡良元村】であったようです。
駅側の 新温泉は、阪急が乗客誘致のために明治末の 1911年に開業したものです。
私は 1950年代末期頃 大理石を使った豪華な大浴場を利用した経験がありますが、炭酸泉に溶食されていました。
炭酸カルシウムの大理石が炭酸水に溶けるのは、ケミストならずとも常識でしょう。
小林一三さんは偉大な事業経営者ですが、材質選定が不適切と実感したのでした(笑)。

それはさておき、宝塚温泉としては、広く事業を展開した新温泉が栄えました。
小林さん本人は「無理にこしらえた新都会」と記していました。
蒸気加熱設備のない室内プールで失敗しても、これを温泉客寄せの 少女歌劇場に転用し、花嫁学校につなげるなど、事業展開の才能には舌を巻きます。

「タカラヅカ」の名は温泉から脱皮し、新しい舞台芸術として 広く知られる名前になりました。
新温泉のある東岸側・川辺郡小浜村が 1951年に「川辺郡宝塚町」を名乗ることになったのも当然でしょう。

変遷情報を見ると、昭和合併時代の 1954/4/1に 宝塚市が誕生しています。
1950年国勢調査人口では、武庫川右岸の武庫郡良元村 21687人、左岸の川辺郡小浜村 15090人で、居住者は良元村の方が多いのですが、新市名は、一足先に小浜村から改名していた 全国区の「宝塚」になりました。

突然ですが、ここで女性首長の情報です。

宝塚市になって消滅した兵庫県武庫郡良元村の 最後の村長は女性でした。
岡田幾(おかだ いく) 1951/7/5当選 1954/4/1良元村消滅 

岡田指月(しげつ)の名で俳誌「白扇」を共宰する女性俳人でした。
合併問題の渦中にあった村長就任時の句:身をすててゆくや茨の夏の道
宝塚市誕生を喜ぶ句:春光に産声高し宝塚
安堵して村長職を辞任する時の句:戦ひは終りて安き日永かな
出典 近代宝塚歴史紀行

【追記】
この記事は小林一三『宝塚生い立ちの記』の冒頭文「宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日のような地名ではなく」に基づいて書いたものです。
その後、1672年の検地記録に「川面村の小字として宝塚東・宝塚南・宝塚北が記されている。」という異説が記されていることを、Wikipediaで発見しました。しかし、この点については 未修正です。ご承知ください。
[97012] 2018年 11月 20日(火)14:47:17【1】hmt さん
女性首長
[97010] グリグリさん
女性首長一覧の更新漏れ:兵庫県良元村の岡田幾村長(1951年就任1954年廃村)[97002]

参考文献:「レジーム再編と女性首長」という論文です。その 6コマに女性町村長の経歴一覧表がありました。
しかし、岡田幾さんの年齢は記載は見当たらず。

なお、この表では 千葉県安房郡神戸村早川村長の初当選が 1947年となっていますが、これはグリグリさんの 女性首長の一覧・冒頭説明にあるように、1948年が正しいようです。[91257]参照

余談ですが、第1回統一地方選挙で当選した前任の村長は、強権発動による米の強制的供出割当がらみにより、僅か1年で失脚辞任。
食料不足時代ならではの事件でしたが、これが5人目の女性首長誕生につながったようです。[91257]の資料(1)参照

上記参考文献(選挙研究29巻 2013年)には、女性町村長だけでなく、女性知事や女性市長の一覧表もあります。
[97013] 2018年 11月 20日(火)18:55:55ekinenpyou さん
Re:地名ではなく、温泉名だった「宝塚」など
以下、小ネタを投稿しておきます。

[97002]hmtさん
自治体名としての「宝塚」が出現したのは、宝塚市成立の約3年前、1951/3/15の町制/改称でした。
兵庫県川辺郡小浜村→宝塚町。
変遷情報を明治合併の 1889年まで遡っても、「宝塚」という旧村名は見当たりません。
「宝塚」が地名になったのは何時からか?


(察するに過去ログに言及が無いかもしれないので)自治体名ではなく、大字地名としての
「宝塚」のルーツを少し調べてみました。

宝塚温泉|宝塚温泉物語 第2章 宝塚温泉 その誕生より

大正4年11月には行政区画として宝塚町が誕生

とありましたので(原文は「ヽ」のある「塚」)、当時の官報をあたり
T4.11.13広告(右ページ真ん中下、大字新設)で

武庫郡良元村大字伊孑志村の一部を分離してT4.11.10より(大字)宝塚町を設置とありました。
(官報の大字に括弧がついておりますので、「大字宝塚町」ではなく「宝塚町」?)

改正新旧対照市町村一覧(T2)(右3段目)→最近検定市町村名鑑(T7)(右下)
比較により、良元村に「宝塚」が追加されている点も確認

なお、良元村のその他の大字が「村」まで地名表記に含めていた関係で?単なる「宝塚」ではなく
「宝塚町」が公称地名だったようです。
【参考】武庫郡誌(良元村)(左上)・付近の甲東村(左上)との双方の区画表記の違いに注目

[97012]hmtさん
岡田幾さんの年齢


[97002]でご紹介いただいたリンク先には生年月日1890(M23).2.22とありますから当選時の年齢はわかります。
(就任日は明記が無いですが、恐らく現職の宝塚市長と同じ年齢で就任??)
[97016] 2018年 11月 21日(水)19:26:58【3】オーナー グリグリ
女性首長 情報追加
[97014]で、
岡田幾村長を含め、計6名の女性首長が新たに見つかりました。情報整理して女性首長一覧に追加したいと思います。
と書きましたが、新たに見つかった6名は次の通りです。Webでざっと調査した情報を反映しました。

都道府県町村名町村長当選年月日退任年月日備考
千葉県?郡東村田中 彌壽1951(S26)長生郡と夷隅郡のどちらか不明
秋田県山本郡金岡村信太 ヒサ1951(S26)
三重県桑名郡伊曾島村松平 則子1951(S26)
兵庫県武庫郡良元村岡田 幾1951(S26).7.51954(S29).3.31
岐阜県恵那郡福岡村(町)伊藤 美津1965(S40)参考文献では福岡町
山口県熊毛郡上関町加納 簾香2003(H15).4.272003(H15).8.19後援会長らの有罪判決で辞職

上記のうち、兵庫県武庫郡良元村の岡田幾村長と山口県熊毛郡上関町の加納簾香町長については、ある程度掲載できる情報が確認できましたので、女性首長一覧に追加しました。残りの4名については、まだ情報が不十分で調査が必要です。皆さんのご協力をいただければと思います。

[97015] Nさん
尼崎市の稲村市長は若年首長でもあるので、そちらの任期更新も必要です。
また、福岡市の高島市長も再選しています。
ご指摘ありがとうございました。更新しました。
[97031] 2018年 11月 25日(日)18:14:40【1】むっくん さん
Re:女性首長 情報追加
[97016]グリグリさん
女性首長への情報追加提供です。

信太 ヒサ(しだ ひさ)さん(秋田県山本郡金岡村)
秋田魁年鑑(1955年版)(編・出版:秋田魁新報社, 1955)によると、M22(1889).1.23生まれとありました。
そして、職員録(昭和30年)(編・出版:大蔵省印刷局、1955)ではS29.11.15現在で村長、職員録(昭和31年)(下)(編・出版:大蔵省印刷局、1956)ではS30.11.15現在で村長ではありません。これより、任期は1期と考えられます。

田中 彌壽さん(千葉県夷隅郡東村)
職員録(昭和30年)(編・出版:大蔵省印刷局、1955)ではS29.11.15現在で村長、職員録(昭和31年)(下)(編・出版:大蔵省印刷局、1956)ではS30.11.15現在で村長ではありません。これより、任期は1期と考えられます。

伊藤 美津さん(岐阜県恵那郡福岡村(町))
福岡町史通史編下巻(編・出版:福岡町、1992)p246では、首長在任期間はS40.8.20-S43.2.28とあり、任期は1期と考えられます。

岡田 幾さん(兵庫県武庫郡良元村)
宝塚市史第6巻(編:宝塚市史編集専門委員、出版:宝塚市、1979)p602では、首長在任期間はS26.7.10-S29.3.31とありました。

(訂正)岡田幾さんの首長在任最終日をS30.3.31→S29.3.31と訂正。


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