都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

記事検索

>
キーワード「おおうち おおち」をすべて含む記事が20件見つかりました

… スポンサーリンク …



[107091] 2023年 3月 17日(金)08:24:42【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 25日(木)18:29:02 by オーナー(表組み改善)
白桃 さん
名邑三世代.その88(香川県・前編)
いよいよ、このシリーズも最終コーナーをまわり、直線ホームストレッチにさしかかってきました。が、ゴールのテープを切るのはどうしても”あの街”にしてもらいたいので、ここは、「準名邑」から始めることにいたします。
「準名邑」
香川県は他の府県に遅れて、1890年(明治23年)に市制・町村制が施行されました。それは1888年まで愛媛県に編入されていたため、「県」としての態勢が整っていなかったせいかもしれません。「生まれながらの町」は丸亀、坂出、観音寺、多度津、琴平の五つしかありませんが、1898年(明治31年)に「町」となった三本松や志度なども「生まれながらの町」に匹敵するのではないか、と、依怙贔屓気味に考えております。
土庄と宇多津も1898年町制組で、「名邑」でも良いのではないかと思うのですが、「戸口表」記載が第二表であるため、1915年(大正4年)に町制施行の香西とともに、「準名邑」にとどめております。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口-----1908年人口
中笠居(高松市)香西第一表3,254中笠居村4,161
土庄土庄町土之庄第二表5,007土庄町5,841
宇多津宇多津町宇多津第二表4,269宇多津町6,109
(参考)も多彩です。
仏生山は、黄門様の兄・高松藩初代藩主松平頼重が建立した法然寺の門前町で、菊人形も有名でした。町制施行1898年
白鳥本町は「しろとりさん」として著名な白鳥神社の鳥居前町で町制施行は1910年
淵崎は、あの「土淵海峡」を挟んで土庄と町並みは連担しています。
長尾は琴電長尾線の終着する町、長尾寺(87番札所)があります。町制施行1915年
善通寺は言わずと知れた弘法大師が生まれたところ(とされている)ですが、陸軍の師団が置かれて人口が増え、今でも陸上自衛隊が配置されているので、門前町兼軍事都市といったところでしょうか。尽誠学園の所在地でもあります。町制施行は1901年。
豊浜は香川県西端の地味な街ですが、町制施行は早く1898年。因みに、白桃の観音寺市「経県値」が「訪問」となっていますが、それは豊浜を訪問したからです。小さい頃、予讃線に乗りたくて、父親の出張に豊浜まで付いて行ったんだっけ?
仁尾は古くから開けた港町で、三豊市の「本源・最古因子町」でもあります。町制施行は1924年。
池田(1929年町制施行)と草壁(1917年町制施行)は、現在小豆島町の一部となっていますが、池田を通るとオリーブの香り、草壁を通ると醤油の臭いが???
坂ノ上は1922年に川島町として町制施行、後に旧郡名をとって山田町となり、またその後高松市に編入される。
丹生は1954年に誉水村と合併して大内(おおうち)町となり、翌1955年に三本松町と合併して大内(おおち)町となります。ここは、かつて白桃の本籍地でもあって、小砂(こざれ)地区には白桃の国屋敷があります。
詫間は荘内半島の付け根にある、ちょっとした港町で、町制施行は1942年。ここには、詫間電波(工業高専→現在香川高専詫間キャンパス)があって、野球が非常に弱い。なんで、ここと当たったら超ラッキーとしか言いようがないのです。
平井ですが、ここは平木と言ったり、平井と言ったりよくわからない。町制施行は1919年、後に旧郡名をとって三木町に。お願いだから、東かがわ市の人口を抜かないで!!!。池戸には香川大学農学部があります。
潟元は1933年に屋島町になります。後に高松市に編入。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口1908年人口
仏生山(高松市)仏生山第一表2,328仏生山町4,192
白鳥本(東かがわ市)松原第一表803松原村※4,032
榎井(琴平町)榎井第一表2,830榎井村2,931
淵崎(土庄町)淵崎第一表2,450淵崎村3,875
長尾(さぬき市)長尾第一表785長尾村6,862
善通寺善通寺市善通寺第二表2,959善通寺町18,538
豊浜(観音寺市)和田浜第二表2,564豊浜町5,230
仁尾(三豊市)仁尾第二表7,849仁尾村8,566
池田(小豆島町)池田第二表3,348池田村6,196
滝宮(綾川町)瀧宮第二表1,782瀧宮村3,528
草壁小豆島町下村第二表1,101草壁村3,318
坂ノ上(高松市)川嶋第二表289坂ノ上村4,398
大野原(観音寺市)大野原第三表7,336大野原村7,773
丹生(東かがわ市)丹生村第三表5,792丹生村5,783
柞田村(観音寺市)柞田村第三表5,429柞田村4,843
東浜(高松市)東浜村第三表5,088東浜村6,867
詫間(三豊市)詫間村第三表4,568詫間村8,242
本島(丸亀市)本島第三表4,020本島村4,383
綾川町陶村第三表3,821陶村3,860
上高瀬三豊市上高瀬村第三表2,588上高瀬村3,838
平井三木町平木村第三表1,048平井村6,015
池戸村第三表2,265(平井村)
勝間(三豊市)下勝間村第三表1,781勝間村3,537
潟元(高松市)屋島村第三表1,519潟元村6,215
注1:表中1886年の人口は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の人口は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「準名邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
香川県の「秀邑」は善通寺と仁尾の二つだけですが、「準秀邑」の詫間も、仁尾とはなんら遜色有りません。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種二級善通寺善通寺市善通寺町15,599善通寺町22,535
二種三級仁尾 (三豊市)仁尾村7,028仁尾町11,025
「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
詫間(三豊市)詫間村8,028詫間町11,513
(参考)
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大野原(観音寺市)大野原村6,707大野原村10,344
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
香川県の「卓邑」は三木、香川町、讃岐国分寺、土庄の四つです。高松の次に「都会」かもしれない宇多津は、とうとう無冠に終わりました。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種三級讃岐三木(0)三木町三木町25,415三木町28,769
二種三級香川町(0)(高松市)香川町11,210香川町24,136
二種三級讃岐国分寺(0)(高松市)国分寺町10,194国分寺町23,158
四級土庄(8)土庄町土庄24,879土庄17,711
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
綾南(0)綾川町綾南町15,109綾南町19,262
宇多津(0)宇多津町宇多津町8,503宇多津町15,978
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102842] 2021年 10月 11日(月)14:35:24サヌカイト さん
レスありがとうございました。
 白桃さん、Nさん、[102838]サヌカイトにお付き合いいただきありがとうございます。

[102839]白桃さん
レスしていただきありがとうございます。
いつか話題になったような気もするのですが
そうだろうなと思い記事検索しましたが、内容が内容でなかなか絞りにくく、完全一致はなさそうだと考えて出しましたが…、やっぱりあったか。検索能力を上げたいです。

石川県高倉村→小木→能都→松波→内浦→能登
と思ったのですが、能都町から旧小木町の一部が松波町に編入された際、旧高倉村の区域はそのまま能都町に残ったようです。残念!
これは惜しいですね。もう少し大きく境界変更していれば…。

あと、香川県で3回ですが、これはどう扱いますか?(私の超地元です。)
丹生&誉水→大内(おおうち)→大内(おおち)→東かがわ
名前が変わっているので、もちろん3回の中に入ります。恥ずかしながら、このことをサヌカイトは知りませんでした。香川は完璧に覚えているつもりだったのに。見逃してしまい申し訳ありません。しかも、白桃さんがことあるごとに強調されていたのに見落としているとは…。この機会にもう一度読ませていただきました。これはまた大内町まで自転車こいで大内町史を借りに行かねば(笑)、と思っていたところだったので、[52670]88さんや、[22885]をはじめとする白桃さんの実経験を知ることができ、行かずに済みそうです。参考:おおうち おおち」の検索結果
 思えば、この「大内(おおち)」。自分の中では最初期に読み方を訂正させた市町村のような気がします。最初に読んでいたのはあながち間違いじゃなかったのか…。

 「茶番」という言葉はあまり良い響きではないです。サヌカイトさんがやっていることは、決して「茶番」ではありません。サヌカイトさんは謙譲語的に使われていると思いますが、これを改めていただければ、第五十八回全国の市・十番勝負において、郷土の大先輩を差し置いて完答順位6位となる大変失礼な偉業を達成したことを許してあげましょう。(笑)
(白桃さんに限らず他の方に対しても)不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。僕としては謙譲というよりもむしろ「まだ皆さんのような素晴らしい記事は書けないから、多少内容がお遊びみたいでも目をつむってくれるうれしいな」みたいな思いで、「茶番」とつけておりました。確かに今考えてみると、「茶番」とつけると、レスを返してくださった方の記事まで、大したものではないみたいな意味にもなりそうです。また、似た内容をこれまでされた方も自分の記事まで「茶番」と言われているようで不快かもしれません。とりあえず、これで100記事目で区切りもいいうえに、自分の印象としても(内容はともかく)落ち着いた調子で書けるようにはなったと思うので、「茶番」の名称は今後使わないようにします。自分のネタ帳にはこれまでの内容に劣らずとも勝らないものが多くあり、そういったものをすべて投稿したら、自主的に「茶番」の看板を下ろそうともとから考えていましたが、今回の白桃さんの記事から「内容も大丈夫」という主旨を"手前勝手に"読み取ったので、少しはましになっているということで決断しました。
 五十八回十番勝負に関しては、もとより白桃さんに勝っているとは思っていませんが(強いて言うなら自分の問一が早かっただけ)、我らが丸亀市の領主である白桃さんにたてつくと、丸亀から(ひいては香川から)追放されてしまいますので、従わせていただきます(笑)。
 ご忠告ありがとうございました。


[102840]Nさん
探していただきありがとうございます。
①島根県木次村→(一部)斐伊村→木次町→雲南木次町→木次町→雲南市
②鹿児島県西襲山村→日当山村→(旧・朝日村部分)隼人町→隼人日当山町→隼人町→霧島市
雲南木次と隼人日当山は聞いたことあるような、ないような、ないようなくらいでしたが、分立と境界変更は全くもって知りませんでした。また、②の隼人のすぐ近くに
 鹿児島県東襲山 = 霧島 境 日当山 → 隼人日当山 = 隼人 → 霧島
もあったので、これで合計4つですね。
一番最初の名前の変遷が新南陽1944/04/01、木次1891/0401、西襲山1930/01/01、東襲山1935/07/10なので、木次以外はずっと同じ場所に住みながら、自治体名称が5回変わった人がまだご存命かもしれないですね。

最後に。「チャレンジ!全国の市十番勝負トライアル」楽しみに待ってます。
[102839] 2021年 10月 10日(日)08:26:09白桃 さん
Re:激動の市町村
[102838]サヌカイト さん
何度も名前が変わった市町村」はどこなのかを探したい(意見を求めたい)と思って書き込みしました。具体的には5回以上名前が変わった市町村(地域)を探します。なお、施行時以降です。
いつか話題になったような気もするのですが、なかなか面白いです。
ひょっとしたら、ココが5回ではないか・・・
石川県高倉村→小木→能都→松波→内浦→能登
と思ったのですが、能都町から旧小木町の一部が松波町に編入された際、旧高倉村の区域はそのまま能都町に残ったようです。残念!

あと、香川県で3回ですが、これはどう扱いますか?(私の超地元です。)

丹生&誉水→大内(おおうち)→大内(おおち)→東かがわ

それから、老婆心ながらご忠告というか注文を。
「茶番」という言葉はあまり良い響きではないです。サヌカイトさんがやっていることは、決して「茶番」ではありません。サヌカイトさんは謙譲語的に使われていると思いますが、これを改めていただければ、第五十八回全国の市・十番勝負において、郷土の大先輩を差し置いて完答順位6位となる大変失礼な偉業を達成したことを許してあげましょう。(笑)
[102175] 2021年 7月 13日(火)09:03:48【1】白桃 さん
「本源因子町」「前身因子町」「最古因子町」
[102160]白桃
白桃はこれまで勝手に「造語」を作ってきました。その中でも、ややこしいのが、市の「本源因子町」「最古因子町」「初代前身町」です。詳しい?説明は[99882]にありますが、この3つが異なる市が四つあります。その一つは
因みに「初代前身町」・「本源因子町」・「最古因子町」三つが異なるのが、湖西市です。
初代前身町=鷲津、本源因子町=白須賀、最古因子町=新居
ですが、あとの三つを探してみねぇかにっこう?
※なお、本日をもちまして、「初代前身町」を「前身因子町」に名称変更します。
答えが出ているのも同然ですが、残りの三市は美祢市、可児市、日光市です。

これに関連して、改めて以下を説明させていただきます。
・・・・・・
「因子町」とは(※「因子市」も「因子町」に準拠)
現行の市を構成する旧町で、
(1)町村制施行と同時に誕生した町(の名称)
……(例)長野県岩村田町
(2)一つの村が単独で、あるいは複数の村の合併により町制施行となった町(の名称)
……(例)香川県三本松町(三本松村が単独町制施行)・香川県大内(おおうち)町(丹生村と誉水村が合併)
(注:三本松町と大内(おおうち)町が合併して成立した大内(おおち)町は因子町ではない。)
(3)村が町を編入合併して成立した町(の名称)
……(例)静岡県引佐町

「直系」と「傍系」
○「市と市」あるいは「町と町」が新設合併した場合は、いずれの旧市(旧町)も直系
……倉敷市の場合:旧)倉敷市、児島市、玉島市は直系
……東かがわ市の場合:旧)大内(おおち)町、白鳥町、引田町は直系(直系の因子町は、三本松町、大内(おおうち)町、白鳥本町、引田町の四つ)
○編入合併の場合は、編入した旧市(旧町)が「直系」で、編入された旧市(旧町)は「傍系」となる。
……岡山市の場合:岡山市は直系で、旧)西大寺市は傍系
……神栖市の場合:旧)神栖町は直系で、旧)波崎町は傍系
○「市」と「町」の合併においては、「新設」「編入」の如何を問わず、旧市が「直系」で、旧町が「傍系」となる。
……北杜市の場合:北杜市は直系で、旧)小淵沢町は傍系
……嘉麻市の場合:旧)山田市は直系で、旧)稲築町は傍系

「本源因子町」とは
◎直系の「因子町」のうち、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、町制施行時における人口(注1)が最も多い因子町。(ただし、「本源因子市」が所謂「生まれながらの市」である場合や、「村」から「町」を飛び越して単独市制施行となった場合は「本源因子町」はない。)
……真庭市の場合:直系の因子町である勝山、久世、落合、呰部、湯原の5町のうち、町制施行が早いのは1896年2月26日の勝山と久世であるが、町制施行時における人口(注1)が多いのは久世。よって真庭市の「本源因子町」は久世町となる。

「前身因子町」とは
◎既存の市を含まない合併によって市制を施行したとき、これに関わった中で、市制施行時における人口(注2)が最も多い直系の町を「前身町」とし、その前身町の因子町のこと。
……佐久市の場合:1961年4月1日市制施行の佐久市の直系の町は、野沢、中込、浅間の3つ。市制施行時における人口(注2)が最も多い浅間町が「前身町」となり、その浅間町の因子町である岩村田町が佐久市の「前身因子町」となる。
……日南市の場合:油津町と飫肥町(これについては稿を改めます。)

「最古因子町」とは
◎現行の市を構成する因子町で、直系、傍系にかかわらず最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、町制施行時における人口(注1)が最も多い因子町。(ただし、最も早く町制施行をしても、その年月日が市域内における本源因子市の市制施行年月日より遅い場合は「最古因子町」とはならない。)
……豊田市の場合:「本源因子町」である挙母町の町制年月日は1892年1月29日、「傍系因子町」の足助町の町制年月日は1890年12月17日。よって豊田市の「最古因子町」は足助町となる。
……宇部市の場合:宇部市の市制施行は1921年11月1日。宇部市における唯一の因子町である船木町(楠町の前身)の町制年月日は1917年9月1日。よって宇部市の「最古因子町」は船木町となる。
……佐世保市の場合:佐世保市の市制施行は1902年4月1日。市域内で最も早く町制施行の早岐町の市制施行は1923年4月1日なので、早岐は「最古因子町」とはならず、佐世保市の「最古因子町」は無いことになる。
・・・・・・
注1(町制施行時における人口)・注2(市制施行時における人口)については、稿を改めて述べます。
[99989] 2020年 7月 16日(木)06:31:23【1】白桃 さん
「町」として国勢調査にその名が登場しない「町」
いつものように、ややこしいタイトルで申し訳ありません。
前橋町、丸亀町、内藤新宿町のように第1回国勢調査より前に消滅した「町」を除き、第1回国勢調査以後誕生した「町」でありながら、一度も「町」としてその名を残さない「町」を集めました。
なお、南淡町のように、法人格が変わっても、その町名が【同音同字】で存続したケースは除外しました。また、(初代)阿知須町は二代目と、(二代目)新湊町及び(二代目)稲荷山町は初代と連続していないことから該当としています。
1.「町」が改称した「町」、「市」・「町」からの分立による「町」、「町」を含む合併によって成立した「町」の該当は以下の19です。(モレがあったらご指摘ください。)
町名---前身町名「町」として存在した期間---消滅後名
社郷高畠町1954.10.01-1955.04.01高畠町
塙笹原塙町1955.03.10-1955.03.31塙町
美野皆野町1943.09.08-1946.12.01皆野町
江戸川流山町1951.04.01-1952.01.01流山町
新湊(高岡市)1951.01.01-1951.03.15新湊市
礪波出町1952.04.01-1954.04.01砺波市
埴科屋代屋代町1955.04.01-1955.06.01屋代町
稲荷山稲荷山桑原町1955.12.01-1959.06.01更埴市
中津川中津町1951.04.01-1952.04.01中津川市
瑞浪土岐瑞浪町1951.04.01-1954.04.01瑞浪市
南大阪古市町1956.09.30-1959.01.15羽曳野市
藤井寺道明寺藤井寺町1959.04.20-1960.01.01美陵町
明神広谷町1956.09.30-1957.03.31養父町
出雲今市町1941.02.11-1941.11.03出雲市
石見吉田町1941.02.11-1943.07.15益田町
斐上横田町1957.09.20-1958.11.01横田町
新加茂(加茂町)1951.01.01-1954.04.01加茂町[74025]参照
柳川柳河町1951.04.01-1952.04.01柳川市
菊池隈府町1956.09.01-1958.08.01菊池市
※中津川は町村制施行時に「中津川町」でしたが、「町」として国勢調査に登場したのは全て「中津町」の名でした。

2.「村」の単独町制、複数の「村」の合併によって成立した「町」
該当するのは96あります。以下はその一部です。
町名---前身村名「町」として存在した期間---消滅後名
藤里藤里村1951.04.01-1951.04.02瀬峰町
国分寺小金井国分寺村1954.04.01-1954.04.29国分寺町
桑絹桑絹村1961.07.01-1965.09.30小山市
鵜方鵜方村1951.01.01-1955.01.01阿児町
宝塚小浜村1951.03.15-1954.04.01宝塚市
北木島北木島村1952.04.01-1955.04.01笠岡市
阿知須井関村1940.11.03-1944.04.01山口市
赤河内赤河内村1956.09.30-1956.09.30日和佐町
大内(おおうち)丹生村1954.04.01-1955.03.15大内(おおち)町
板櫃板櫃村1922.10.01-1925.04.28小倉市、八幡市
「藤里町」については同日改称説もあります。[95669]
「国分寺小金井町」が長く続いていたら、栃木県だか東京都だか郵便配達の方は困ったでしょう。
「桑絹町」の前身である桑絹村は、桑村と絹村の合併で成立。蚕をたくさん飼っていたのでしょう。
「鵜方町」ってかなり「都会的」だと思ったのですが・・・
「宝塚町」の前身・小浜村より1950年国調人口が多かったのが良元村。宝塚町と小浜村の合併で宝塚市成立。
「北木島町」は北木島村の単独町制。3年後に笠岡市に吸収される。余談ですが、CMは面白いが漫才はつまんない(と私は思う)「千鳥」の大悟は北木島出身。ド田舎出身を強調しますが、それほどでも。因みに「千鳥」は行けなかった?笠岡高校に由来とか。
「阿知須町」は山口市と合併するも、1947年に分立。ですが、また山口市に。
「赤河内町」は[82393][82394][82395]をご参照ください。
丹生と誉水の合併で出来た「大内町」が「おおうち」で、一年後、三本松と合併して出来た「大内町」が「おおち」だなんて、88さんに教えてもらうまで知りませんでした。確かに、大内町史にも その通りの官報(写し)が掲載されていました。
「板櫃町」の前身・板櫃村の第1回国調人口は17,469人。該当する96件の前身村の人口では最多です。
[99882] 2020年 6月 5日(金)11:31:53白桃 さん
「前身町」「本源因子町」「最古因子町」
♪「港町・涙町・別れ町」のようなタイトルになりましたが、最近「前身自治体」とか「前身町」とか白桃は自分の造語を多用していますので、以前記事にした「本源因子町」等との違いについて改めて説明させていただきます。
まず、「前身町」。
[89946]では、
「市の前身自治体」とは、既存の市を含まない市制施行時に関係した自治体のうち、
市制施行前国勢調査時に一番人口の多かった「町」を指します。(町優先ルール)
と定義していますが、「市の前身自治体」を「市の前身町」に置き換えてもOKです。で、この「前身町」を遡っていくことにします。具体例を出しますと、大内、白鳥、引田の3町で成立した東かがわ市の「前身町」は「大内町(おおちちょう)」となるのですが、この大内町は、三本松町と大内町(おおうちちょう=丹生・誉水の2村が合併)の合併によって出来た町なので、その「前身町」は三本松町になります。その理由は、大内(オオチ)町成立前の1950年国勢調査時には大内(オオウチ)町は存在していなかったからです。そして、この三本松町を遡ると村になってしまいますので、三本松を取りあえず、東かがわ市の「初代前身町」と呼ぶことにしましょう。
次に本源因子町(かなり長くなりますが[89946]を再掲します。)
「因子町」とは
現行の市を構成する旧町で、
(1)町村制施行と同時に誕生した町(の名称)・・・(例)香川県丸亀町
(2)一つの村が単独で、あるいは複数の村の合併により町制施行となった町(の名称)
・・・(例)香川県三本松町、香川県大内(おおうち)町(※三本松町と大内(おおうち)町が合併して成立した大内(おおち)町は因子町ではない。)
(3)村が町を編入合併して成立した町(の名称)・・・(例)静岡県引佐町
(※「因子市」も「因子町」に準拠)
「直系」と「傍系」
・「市と市」あるいは「町と町」が新設合併した場合は、いずれの旧市(旧町)も直系。
編入合併の場合は、編入した旧市(旧町)が「直系」で、編入された旧市(旧町)は「傍系」となる。
・「市」と「町」の合併においては、「新設」「編入」の如何を問わず、旧市が「直系」で、旧町が「傍系」となる。
「本源因子町」とは
直系の「因子町」のうち、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。(ただし、「本源因子市」が所謂「生まれながらの市」である場合は「本源因子町」はない。)
次に最古因子町
最古(最多人口)因子町
現行の市を構成する因子町で、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。
今、見返せば、(最多人口)は誤解を生じるので外した方が良いですね。「本源因子町」と「最古因子町」が違う例として、小松島市があります。本源因子町=小松島、最古因子町=立江
因みに「初代前身町」・「本源因子町」・「最古因子町」三つが異なるのが、湖西市です。
初代前身町=鷲津、本源因子町=白須賀、最古因子町=新居
~~つづく
[95728] 2018年 4月 28日(土)01:24:31白桃 さん
大内(おおうち)町から大内(おおち)町へ
[95707]MIさん、[95705][95727]ekinenpyouさんの記事に関連しますが、
[51678]88さんから以下のことを教えて頂きました。
● 総理府告示 第三百二十三号
   町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十九年四月一日から、香川県大川郡誉水村及び丹生村を廃し、その区域をもつて 大内町 ( おおうちちよう ) を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 昭和二十九年三月二十九日
内閣総理大臣 吉田  茂
及び
● 総理府告示 第三百五十八号
   町の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、香川県大川郡大内町及び三本松町を廃し、その区域をもって 大内 ( おおち ) 町を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十年三月十五日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十年三月十五日
内閣総理大臣 鳩山 一郎
これは、大内町史下巻にも書かれていますが、町史では、「おおうち」時代を第一次大内町、「おおち」時代を第二次大内町、とするのみで、「おおうち」から「おおち」になった経緯、理由は書かれておりません。
「平成の合併」で登米(とよま)町→登米(とめ)市、山武(さんぶ)町→山武(さんむ)市のケースは記録と記憶に残ると思いますが、わが故郷のケースはなんか忘れられそうで、なんだかな~…。
[89946] 2016年 2月 5日(金)22:27:41【2】白桃 さん
「本源因子町」始末記(1)
先だってから始めた「本源因子町」等のまとめを書き込みます。

これに先立って、くどいようですが、白桃造語とルールの説明。

「因子町」とは
現行の市を構成する旧町で、
(1)町村制施行と同時に誕生した町(の名称)・・・(例)香川県丸亀町
(2)一つの村が単独で、あるいは複数の村の合併により町制施行となった町(の名称)
・・・(例)香川県三本松町、香川県大内(おおうち)町(※三本松町と大内(おおうち)町が合併して成立した大内(おおち)町は因子町ではない。)
(3)村が町を編入合併して成立した町(の名称)・・・(例)静岡県引佐町
(※「因子市」も「因子町」に準拠)

「直系」と「傍系」
・「市と市」あるいは「町と町」が新設合併した場合は、いずれの旧市(旧町)も直系。
編入合併の場合は、編入した旧市(旧町)が「直系」で、編入された旧市(旧町)は「傍系」となる。
・「市」と「町」の合併においては、「新設」「編入」の如何を問わず、旧市が「直系」で、旧町が「傍系」となる。

「本源因子町」とは
直系の「因子町」のうち、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。(ただし、「本源因子市」が所謂「生まれながらの市」である場合は「本源因子町」はない。)
「本源因子市」とは
直系の「因子市」のうち、最も早く「市」となったところ。市制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子市。

最古(最多人口)因子町
現行の市を構成する因子町で、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、施行時において人口が多い因子町。

ここで、
現在の市名をA
本源因子市名をB
本源因子町名をC
最古因子町名をD
とすると、
パターン---現在の市名(A)比較して代表例市数
1A=B=C=D倉敷市、歌志内市406
2A=B=C日光市、五泉市16
3A=C=D舞鶴市、柏市2
4A=B、C無、D有新潟市、小樽市41
5A=B、C無、D無那覇市、岡谷市10
6A=B、C=D出雲市、串間市251
7A=B、C≠D呉市、那珂市9
8Aはいずれとも同じではない、B=C=D霧島市、妙高市34
9Aはいずれとも同じではない、B≠C、C≠D、D≠B佐渡市、あきる野市3
10Aはいずれとも同じではない、B=Cさいたま市、いちき串木野市5
11Aはいずれとも同じではない、C=D北九州市、匝瑳市11
12Aはいずれとも同じではない、B≠D、C無下関市1
13Aはいずれとも同じではない、C無、D無沖縄市1

長くなるので、改めて書きます。(多分)
[85036] 2014年 1月 31日(金)00:55:44【1】白桃 さん
濁音が入る市
今回の十番勝負、問二の共通項は「都道府県で読みに濁音が入る市で人口最大の市」でしたが、改めて思ったのは濁音が入る市って結構多いナということです。(ざっと数えたら320市でした)
濁るか濁らないか、でよく話題にあがるのが茨城県ですが、市の読み方になるとあんまり話題にならないようですね。
私は小さい頃、防府市を「ぼうふ」って読んでました。他でも濁らないのに濁って読みそうになるのが、浦添、滝川、須崎、南国、合志、松阪、甲賀・・・伊勢崎に至っては、♪伊勢佐木町ブルースのおかげで今でも「いせざき」市でございます。
その逆で、濁るのに清音で読んでしまいそうなのが、赤平、須坂、大田、菊川、井原、潟上、有田、稲城、このあたりですね。
ここでふと思うのが、地元の方は100人が100人全員、ちゃんと読んでいるのか?、ということです。私が住んでいた香川県の(旧)大内町(三本松と大内の二町が合併後)は正式には「おおち」なんですが、みんな「おおうち」って言っていたような気がします。濁る、濁らないになると、もっと微妙になるのではないでしょうか?
それと、旭川市を「あさひがわ」って言う方は滅多にいないと思うのですが、滝川市を「たきがわ」、菊川市を「きくかわ」って言う方は結構多いのでは。都市もメジャーになると呼び方のユラギ?が少なくなる???
考えてみれば、有名な♪北上夜曲のおかげで、誰も北上市を「きたがみし」とは言わないが、あの曲が流行っていなければ、北上川を「きたがみがわ」って言う人もいるのではないでしょうか。・・・ここで、♪ナンゴクトサを後にして、だのに何で「なんこくし」なのか?と大きな疑問。
とにかく、濁音の入る市で人口最多は名古屋、最少は夕張。これはノー・タイムで答えられますが、二つ濁音が入る23市で人口最多(国分寺市)、最少(尾花沢)は・・・となるとちょっと難しい。因みに三つ濁音が入る市で人口最多&最少は(一つしかないから当然)同じ市です。さて、どこでしょう???・・・いつの間にかクイズになってしまった。
[80461] 2012年 3月 30日(金)19:24:22白桃 さん
半濁音の村その3
昨日に引き続き、地名好きさんのHPで市町村制施行時に成立したものを愛知県まで見ていました。
新規:
(福井県)雲浜(うんぴん)村・・・・・現:小浜市
(岐阜県)越波(おっぱ)村・・・・・・現:本巣市
(岐阜県)乙原(おっぱら)村・・・・・現:下呂市
(岐阜県)西乙原(にしおっぱら)村・・現:郡上市
以上、グリグリさんご確認お願いします。
一点、疑問なのが、リストに挙げられている静岡県伝法村ですが、(でんぼう)ではないでしょうか?

以下は、独り言・・・
今さら言うのも変なのですけれど、昔の市町村の「正式な読み方」って何かに定められているのでしょうか???
前にも書きましたが、私が育った大内(おおち)町のことを町長さん自身も「おおうちちょう」って言ってましたし、隣の鶴羽村の正式読みは「つるは」らしいのですが、みんな「つるわ」って言ってました。(高徳線の駅名も「つるわ」です。)
[77628] 2011年 2月 11日(金)10:00:49白桃 さん
三土忠造
1月には京葉線からほとんど毎日見えていた富士山が、二月に入るとほとんど見えなくなりました。なんか、損している感じ。

今週、職場の人(出身は福岡県)と話していたら、
「私の父母は、(注:おじいさん、あばあさん、だったかもしれません、なんせ、飲酒中の会話でしたから)両方とも、香川県のナントカ郡の出身で、お墓にもその地名が書かれていたけど、思い出せない・・・」
白桃「ミトヨ、アヤウタ、ナカタド・・・」
相手「う~ん、違うな。近所にミツチチュウゾウの家があって、「誉れ」という字があったような・・・」
なんてことはない、相手の方のお父様?お母様?のご出身は大内郡誉水村(→大川郡誉水村→大川郡大内-おおうち-町→大川郡大内-おおち-町→東かがわ市)だったのです。三本松町の隣村です。
そして、明治~昭和の有名な政治家、三土忠造は東かがわ市出身なんです。余談ですけど、紀行作家の宮脇俊三さんは甥にあたるとか。
相手「白桃さん、一度そこへ行きたいので、連れていってヨ!」
と言われたので、
白桃「いつでも結構ですよ。行きましょう。」
と答えておきましたが、どうなることやら。なんせ、飲酒中の会話でしたから。(笑)

ようやく、人口増加県の国勢調査速報が出ました。
習志野-流山、木更津-成田、袖ヶ浦-白井、の順番が推計人口と違っておりました。
[74472] 2010年 3月 28日(日)08:18:51白桃 さん
「ほんまち」と「ほんちょう」と「もとまち」
都市名の省略について:
[74459]Issie さん
「スカ」(横須賀)はいかが?
これはよく聞きますね。
その他、今川焼さん、なると金時さん、小松原ラガーさん、右左府さん、ぺとぺとさん、ご教示頂きありがとうございました。

意味合いが違うし、都市とも言えないけれど、東讃のリトルトーキョーである三本松も、幼少のころクチが回らず「さんまつ」と言ったりしてました。また、三松(さんしょう)と略して、屋号に○○三松堂としているお店もありました。関係ないと思いますが、日本で初めて女性博士になった三本松出身の保井コノさんは、サンショウ藻の研究をしてました。
旧大内(おおち)町に関しては、住民の99%が省略とは逆で「おおうちちょう」と余計な「う」を付けたしてました。

だんだん話がそれて、しかもローカルな話題になって恐縮ですが、「松原村」から「白鳥本町」となった自治体を、白鳥村と区別するために「ほんちょう」とか「ほんまち」と呼んでおりました。旧自治体の正式名称は「しろとりほんちょう」なんですが、小学校の名称は「ほんまちしょうがっこう」が正解です。

この落書き帳において、「ちょう」と「まち」の問題はクラシックとなっておりますが、旧自治体の「本町」の呼び名は、群馬の「藪塚ほんまち」、新潟の「村上もとまち」、香川の「白鳥ほんちょう」とヤヤコシヤ!

そろそろ、サービス出勤時間だ・・・
[61198] 2007年 9月 17日(月)10:16:24白桃 さん
「大内」のこと
[61194]千本桜さん
大字名というものが一定の区域に対して与えられた名称であることを思えば、ここに位置する、この区域に大内という大字名を与えるのはいかがなものかと考えてしまいます。
同感です。
私は、3歳までが三本松町民で、18歳まで大内町民でした。すなわち、15年間も大内町民でしたが、この「大内」という名前、あんまり親しみを感じていません。大内という名が旧郡名からとったもので、もともと「引田」のような藩政村名でなかった、ということもありましょうが、11年間三本松(地区)に住んでいたこと、通った学校が、三本松小学校、大川中学、三本松高校と、どこにも「大内」という名が出てこないことも理由になるでしょう。
ですから、松崎(まっさき)にある工業団地(というほど大それたものではありません)の住所が「大内」になったことについて、「違和感がある」というより、「なんでまた?」というのが正直な気持ちです。
大体、日常会話で「大内町(おおうちちょう)」は出てきても、大内(おおちおおうち)なぞという言葉は滅多に出てきません。引田(相生も含む)や白鳥(福栄も含む)の人たちが、旧大内町の人の住んでいる地名を話すときも、「大内」という名前ではなく、「三本松のし」、「誉水のし」、「丹生のし」と言ってましたね。逆に、旧大内町の人が、福栄の西山に住んでいる人を「白鳥のし」と言うことはありましたが・・・。
もっとも、現在の東かがわ市に住む数少ない若い人たちが、今後この「大内」をどう扱っていくのかということに関心がないわけではありません。

参考までに:釈迦に説法となりますが、藩政村「白鳥」は、旧白鳥村にあったもので、旧白鳥本町にあったものではありません。また、「三本松のし」の「し」は、「市」ではなく「住人」という程度の意味です。

閑話休題:昨日までお台場で4連投の仕事。富士見?の白桃さんもさすがに体に相当なガタがきています。
オフ会の話題も出ておりますが、只今禁酒中の私、逡巡してます。って書いても誰も信用してくれない(現にこれが全くのウソであることをご存知の落書き帳メンバーの方がいます)ので、はっきり宣言します。
「たとえ、地の果てで行われようとも絶対、参加します。」(笑)
[52670] 2006年 7月 25日(火)21:53:5188 さん
さぬき市・東かがわ市
[52666] なると金時 さん
さらにいうと、生まれたのは香川県立津田病院(現在は東かがわ市)。
すみません、旧津田町はさぬき市です・・・まあ、県民にもよく間違われますが(淋)。
それにしても、隠れ香川県出身者がここにも! (ちょっと違うか)
ちなみに、なると金時さんは経県値が香川県=●訪問(歩いた)になっていますが、即日、徳島県へ歩かれましたか?(笑)


さて、ほんとの東かがわ市ネタです。
[51678] で提起した、
旧「香川県大川郡大内町」は、なんと読む?
についての調査結果です。自分で提起しておきながら自分での回答なのですが、[22885] [51683] [51825] 白桃さんへの回答にもなります。

1985(S60)年にあの香川県大川郡大内町は「大内町史」を発行しているのですが(今回私も入手しました)、
東かがわ市役所勤務の知人 → 旧大内町役場の当時の町史担当者 → 町史編纂委員の一人の島田治氏(現東かがわ市文化財保護審議会長、香川県話し言葉研究会主幹)
のルートで、聞き取りした結果です。
――――――――――――――――――――――――――――――
誉水村+丹生村のときは→大内町(おおうちちょう)だったが、倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう。平安時代中期の字書。編者は源順(みなもとのしたごう)。漢字を意味によって分類したわが国最初の漢和辞典。)に『於布知(おふち)』と記載されていたため、それを知った猪熊信男氏の指摘により、大内町+三本松町のときに大内町(おおちちょう)と変更した。
――――――――――――――――――――――――――――――
というのが真相のようです。

これだと、1899(M32)年に郡再編で「大内郡+寒川郡=大川郡」になる前の「大内郡」は各種文献では「おおちぐん」となっていますが、大丈夫? ちょっと不安になってしまいました。自治体名の読み方も奥が深そう・・・。
[51825] 2006年 6月 20日(火)07:45:13白桃 さん
内、外、雑(187)
広島県5月推計人口が発表になり、広島市は国勢調査速報より1517人増加でした。

内掛け・外掛け、はあります。大内がり・大外がりもありますが、競馬で「大外をまわる」とは言いますが、三本松あたりを散策しても、「大内をまわる」とは誰も言いません。それにしても、「おおうち」と「おおち」の件まだ気になってます。

「人口ハイアンドロー」は佐倉vs立川でつまづきました。ずっとやっていると好勝負?に巡り会います。米沢vs小山とか…(笑)
[51683] 2006年 6月 7日(水)07:15:18白桃 さん
「大内」問題
[51678]88さん
旧「香川県大川郡大内町」は、なんと読む?
(1)なぜ、当初は「おおうちちょう」なのか?
(2)なぜ、三本松町との合併時に「おおちちょう」としたのか?
それとも、『とある方』は、明確に答えていただけるでしょうか? この件に関する過去ログは無いようですので・・・。
残念ですが、明確に答えることができません。それどころか、丹生プラス誉水の時点は「おおうち」だったということ自体、知りませんでした。(汗)
ということは、三本松は「おおうち」町と合併して「おおち」町になったのですね。「おおうち」成立のとき2歳、「おおち」成立のとき3歳だった白桃ですが、ちょっと古い記憶をたどってみましょう。
その頃、大内山(おおうちやま)という長身の大関がいました。関係ないか?

追伸:昨日、88さんから、金陵100万本を以ってしても届かないプレゼントを頂きました。今朝起きて、夢ではなかったことを確認いたしました。(笑)
あらためて御礼申し上げます。
[51678] 2006年 6月 7日(水)00:26:5788 さん
旧「香川県大川郡大内町」は、なんと読む?
超ローカルネタなので、『とある方』に直接メールでお伺いしてもいいのですが、なんせ、「落書き帳三大聖地」ですので、こうして公に質問します。

今は亡き、「香川県大川郡大内町」(現東かがわ市)に関してです。この落書き帳の読者ならば、この自治体名を正式には
おおちちょう」
と読むことは、今さら言うまでもないでしょう。もっとも、[22885]『とある方』
住民の99%が「おおうちちょう」って呼んでいましたよ。
という、これ以上ない、明確な証言もありますが。

でも、私は、例えば、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
県道10号線高松長尾大内線は「たかまつながお『おおうち』せん」と読むのが正当
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
というウワサも何回か聞きました。

そこで、です。まずは下記をごらんあれ。出典は、官報情報検索サービス です。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
● 総理府告示 第三百二十三号
   町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十九年四月一日から、香川県大川郡誉水村及び丹生村を廃し、その区域をもつて 大内町 ( おおうちちよう ) を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 昭和二十九年三月二十九日
内閣総理大臣 吉田  茂
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
● 総理府告示 第三百五十八号
   町の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、香川県大川郡大内町及び三本松町を廃し、その区域をもって 大内 ( おおち ) 町を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十年三月十五日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十年三月十五日
内閣総理大臣 鳩山 一郎
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

原文はルビですが、明らかに、「おおうち」「おおち」と読めます。正式に「おおうち」町だった時期があることになります。これならば、上記の
住民の99%が「おおうちちょう」って呼んでいましたよ。
も、わかります。当初の「おおうちちょう」が、住民に定着してしまっているのでしょう。
「大内」は、古来より「おほち」なのですが、所詮は「発音の問題」「発音を表記しようとするときの問題」なのかもしれませんが、上記告示から勝手に理由を解釈すると、こうなります。

・大内町発足時に難読の「おおち」を避け、通常読みの「おおうち」とした。
(または、大内町域は旧大内郡の一部であることから遠慮して、「おおち」の読みを避けた。)
(または、「おおち」となるべきところ、単に誤植や勘違いで「おおうち」となった。(官報の訂正は出ていない))
・新大内町発足時に、やはり従来からの(本来の)「おおち」とした。

大内町役場に(7年前から)2年間ほど勤務した経験がある者に聞いたところ、時期はさておき、こういう「『(読み方の)改称』は承知している」とのことです。
また、旧大内町役場勤務、現東かがわ市役所勤務の知人(知人も、そのお父上も生粋の三本松人)に、下記のことを質問しようかと思っているのですが・・。
(1)なぜ、当初は「おおうちちょう」なのか?
(2)なぜ、三本松町との合併時に「おおちちょう」としたのか?
それとも、『とある方』は、明確に答えていただけるでしょうか? この件に関する過去ログは無いようですので・・・。
[22885] 2003年 12月 19日(金)14:02:09白桃 さん
御礼、他
[22850]稲生さん
浜北市について、なんとなく良くわかりました(変な日本語ですが)。本当に有難うございました。

[22871]なきらさん
(邑智町と大内町のこと)白桃さんに遠慮して黙っておりました。書いてしまってごめんなさい。でも、白桃さんも、三本松ではないので、残念でもないかな?
旧大内町(おおちちょう)は、住民の99%が「おおうちちょう」って呼んでいましたよ。かくいう白桃も家に配られた町の広報誌「おおち」を目にしてもしばらくは気が付きませんでした。その下にある、今月の人口ばかり気にしてましたから。(笑)
話を勝手に変えて恐縮ですが、選抜21世紀枠に八幡浜(やわたはま)がリストアップされてました。この高校に惜敗した三本松は、これで完全に出場の夢がたたれました。実は、密かにしつこく狙っていたのです(恥)。地域性を考慮したら、済美の出場が決定的な愛媛勢からではなく、香川から選んでも良かったのでは…、もうしつこいナ!21世紀枠については批判的な意見もありますが、もし、八幡浜が出場できたら一番に応援したいです。

先日、気象庁のお兄さんが冬型気圧配置を説明しているなかで、「熊本県は日本海側に属する」と地図入りで触れてました。へェ~、と思いました。

(蛇足)12月に入ってから、なんだかんだと飲む機会が増えて生活が乱れっぱなし。今週も、(月)は稲毛海岸、(木)は蘇我で一夜をすごしました。そのかわり、と言ってはなんですが、今日は昼間から自宅にいる白桃です。どこの誰がいつごろ「忘年会」なる悪習を思いついたのか、ヤレヤレ。
[9530] 2003年 2月 20日(木)21:46:47miki さん
4/1の雑学訂正・東かがわ市編
1.http://uub.jp/zat/color.html
から香川県 大川郡 白鳥町 しろとりちょう を削除。
2.http://uub.jp/zat/animal.html
から香川県 大川郡 白鳥町 しろとりちょう を削除。
3.http://uub.jp/zat/okawa.html
から香川県 大川郡 大内町 おおちちょう を削除。
4.http://uub.jp/zat/yamato.html
から
2 大内
秋田県 由利郡 大内町 おおうち・まち
香川県 大川郡 大内町 おおち・ちょう

2 白鳥
岐阜県 郡上郡 白鳥町 しろとり・ちょう
香川県 大川郡 白鳥町 しろとり・ちょう
を削除。
5.http://uub.jp/zat/news.html
に香川県 東かがわ市 ひがしかがわし を追加。
6.http://uub.jp/zat/mutsu.html
のひらがなの入った市に
香川県 東かがわ市 ひがしかがわし を追加。
7.http://uub.jp/zat/shikobi.html
に東かがわを追加。
8.http://uub.jp/zat/taira.html
の4文字の市に香川県 東かがわ市 ひがしかがわし を追加。
※四文字の市(20市)にするのも忘れずに。
[5765] 2002年 12月 2日(月)11:10:38白桃 さん
地名と人名の読み方は難しい?
[5702]Firoさん
私の祖父の旧姓、六車の読み方は「むぐるま」です。「ろくしゃ」と読ませる六車さんもいます。

[5744]TNさん、[5732]いなさん
常連のお一人、黒髪さんの読み方は、「こくはつ」さんです(冗)。でも、白髪さんという方がいたならば、やっぱり「はくはつ」さんでしょうね。

ついでに
白桃の本籍地(この「本籍地」も何かの役にたっているのかな?)は香川県大川郡大内町ですが、大内は、「おおち」と読みます。町民ほとんど、「おおうちちょう」と呼んでますけど。秋田県の大内町は「おおうち」ではないでしょうか。山口県にも前に大内町がありましたが、中世の大内氏ゆかりの地なので「おおうち」だったのでしょう。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示