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キーワード「大隈」を含む記事が100件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108596]2023年8月8日
じゃごたろ
[108588]2023年8月7日
[108583]2023年8月7日
スナフキん
[102178]2021年7月14日
白桃
[100864]2020年11月29日
hmt
[99973]2020年7月9日
hmt
[99385]2020年4月25日
白桃
[98154]2019年8月1日
伊豆之国
[94119]2017年11月2日
みかちゅう
[92902]2017年6月14日
伊豆之国
[92901]2017年6月14日
白桃
[89952]2016年2月6日
白桃
[86370]2014年9月10日
YT
[86112]2014年7月28日
hmt
[85218]2014年3月27日
hmt
[79961]2012年1月5日
hmt
[79331]2011年9月12日
YT
[79273]2011年8月29日
YT
[79270]2011年8月28日
YT
[78349]2011年5月17日
中島悟
[76922]2010年11月28日
YT
[76321]2010年10月11日
YT
[76315]2010年10月10日
YT
[76311]2010年10月10日
hmt
[76307]2010年10月9日
YT
[76303]2010年10月7日
hmt
[76291]2010年10月2日
hmt
[76135]2010年9月3日
hmt
[76077]2010年8月22日
hmt
[75924]2010年8月8日
hmt
[75647]2010年7月25日
hmt
[74304]2010年3月9日
YT
[74055]2010年1月26日
hmt
[73349]2009年12月18日
じゃごたろ
[73309]2009年12月15日
BANDALGOM
[72124]2009年10月3日
YT
[71708]2009年8月18日
桜トンネル
[70216]2009年5月18日
hmt
[69988]2009年5月9日
小松原ラガー
[67589]2008年12月14日
YT
[67112]2008年10月24日
YT
[67042]2008年10月16日
hmt
[66998]2008年10月12日
YT
[66956]2008年10月9日
YT
[66007]2008年8月12日
小松原ラガー
[65176]2008年5月18日
おがちゃん
[65173]2008年5月18日
おがちゃん
[61377]2007年9月29日
伊豆之国
[60601]2007年8月13日
夜鳴き寿司屋
[60373]2007年8月1日
EMM
[59470]2007年6月27日
TAMA
[58957]2007年6月10日
oki
[58940]2007年6月9日
じゃごたろ
[58928]2007年6月9日
みかちゅう
[58917]2007年6月8日
Issie
[58910]2007年6月8日
きまぐれ
[58905]2007年6月8日
リトル
[58902]2007年6月8日
白桃
[58870]2007年6月6日
EMM
[58851]2007年6月4日
みかちゅう
[58841]2007年6月4日
じゃごたろ
[58833]2007年6月4日
k-ace
[58830]2007年6月3日
EMM
[58828]2007年6月3日
Issie
[58826]2007年6月3日
スナフキん
[58820]2007年6月3日
k-ace
[58811]2007年6月3日
みかちゅう
[58802]2007年6月2日
ペーロケ
[57326]2007年3月18日
むっくん
[57098]2007年2月28日
小松原ラガー
[54155]2006年9月24日
かぱぷう
[50551]2006年4月8日
miki
[50550]2006年4月8日
miki
[47740]2005年12月30日
作々
[44794]2005年9月9日
ひげねこ
[43202]2005年7月22日
グリグリ
[41149]2005年5月14日
太白
[40043]2005年4月19日
トライランダー
[36035]2004年12月24日
なお
[32996]2004年9月17日
なお
[32099]2004年8月24日
ペーロケ
[31429]2004年8月5日
らるふ
[31331]2004年8月3日
佐賀県
[30088]2004年7月4日
KMKZ
[29075]2004年6月7日
作々
[27822]2004年5月2日
作々
[26385]2004年3月19日
作々
[25900]2004年3月8日
ちゃっきー
[25862]2004年3月7日
太白
[25844]2004年3月7日
ちゃっきー
[25694]2004年3月3日
作々
[24942]2004年2月17日
作々
[24364]2004年2月1日
花の東京都民
[23477]2004年1月7日
ken
[22291]2003年11月26日
太白
[22106]2003年11月19日
ペーロケ
[21431]2003年10月24日
ありがたき
[20405]2003年9月29日
なお
[19856]2003年9月13日
今川焼
[19784]2003年9月11日
今川焼

[108596] 2023年 8月 8日(火)21:09:51じゃごたろ さん
「おおすみ」と「おおくま」
おばんです、じゃごたろです。

[108583] スナフキん さん
大隈に至っては、Windowsでも候補として出てきてしまいますね。
[108588] N さん
大隈」は苗字で「おおすみ」と読ませるケースがあるようなので、一概に誤りとは言い切れないのかな、と。

私はWin10ですが、「おおすみ」と入力すると「大隅」と「大隈」の両者が候補として出てきますが、逆に「おおくま」と入力すると「大隈」と「大隅」の両者が出てきます。

たぶこれは、Nさんの言われるように、明治期に名字を戸籍に登録する時に「おおくま/おおすみ」が「大隈/大隅」で間違って登録され、結果的にどちらも正しい読みになってしまったのではないかと推測しています。
[108588] 2023年 8月 7日(月)23:25:44N さん
おおすみ
[108583]スナフキんさん
大隈に至っては、Windowsでも候補として出てきてしまいますね。「穴道」はどうひねってもしんじと読むはずがなく(あなみち、ですわね)、同様に「隈」の字も普通に考えればまずすみと読むはずのない漢字で、誤りがどうして全然改まらないのか謎です。
「穴道」の方はよくわかりませんが、 「大隈」は苗字で「おおすみ」と読ませるケースがあるようなので、一概に誤りとは言い切れないのかな、と。大元を辿れば書き間違い・読み間違いなのでしょうけれど。
[108583] 2023年 8月 7日(月)21:54:01スナフキん さん
地名誤変換の話
地図作りを生業にしていると、どうしても気になるんですよね、これ。

アップル純正の日本語変換で、いまだにおかしな候補が混在している(さすがに正しい候補も出てはくる)とハッキリ分かっているのが、旧国名の「おおすみ」と島根県の湖名「しんじこ」。それぞれ「大隈」「穴道湖」が出てきてしまうため、外部で作られた地図の校閲作業をすると一定の確率で変換のしくじりケースが散見されます。大隈に至っては、Windowsでも候補として出てきてしまいますね。「穴道」はどうひねってもしんじと読むはずがなく(あなみち、ですわね)、同様に「隈」の字も普通に考えればまずすみと読むはずのない漢字で、誤りがどうして全然改まらないのか謎です。話題に上っている「ひだ」は、手元のWindows10では「飛騨」と候補が優先表示されますが、スペース(変換)キーを叩き続けると最後の方におかしな候補が出てきますね、類似字形を親切設計のつもりで入れているのかもしれないけれど、認識ミスを拡散させかねない単純な害悪でしかないと思うんですがね…直してほしいものです。
[102178] 2021年 7月 14日(水)07:58:21白桃 さん
本源因子町VS最古因子町(誇大妄想入り)
なにやら、♪無法松の一生(度胸千両入り)みたいなタイトルになりましたが、[102175]の続編です。

「本源因子町」を中心に置いて、現在ある792市を分類しますと、以下のようになります。
タイプO:本源因子町なし・・・53市
タイプS:本源因子町=前身因子町=最古因子町・・・608市
タイプA:本源因子町=最古因子町(≠前身因子町)・・・98市
タイプB:本源因子町=前身因子町(≠最古因子町)・・・29市
タイプW:本源因子町≠前身因子町、本源因子町≠最古因子町、前身因子町≠最古因子町・・・4市
因みに、本源因子町≠前身因子町、本源因子町≠最古因子町、前身因子町=最古因子町、というタイプは地球上には存在致しません。
今朝は、タイプBを見ていくわけですが、その前に
[102175]で書いた
注1(町制施行時における人口)・注2(市制施行時における人口)については、稿を改めて述べます。
について釈明的言及をいたします。
本源因子町や最古因子町を決める際、町制年月日が同じであれば(町制施行時の人口)を比べることになりますが、正確に表現すると、「町制年月日の前に行われた人口調査の結果で判断」しております。その人口調査とは、国勢調査に加えて以下の通りになっております。
「1889年内務省告示現住人口」「1898年日本帝国人口統計」「1903・1908・1913・1918年の日本帝国人口静態統計」
「1950年琉球列島軍政本部による人口調査」「1955・1960・1965・1970年の琉球政府が行った『国勢調査』」
ただし、「生まれながらの町」の「町制施行時の人口」については、「1889年内務省告示現住人口」によります。また、町制年月日と「町制年月日の前に行われた人口調査」日時の間に廃置分合が行われた場合は、町制施行時の境域に組み替えた人口を見ました。
なお、前身因子町を決定する際の(市制施行時における人口)も同様ですが、1950年1月1日に市制施行した日南市の場合、1947年国勢調査人口が油津町、飫肥町ともに11,558人ということで、日南市の前身因子町数だけは2となっています。

さて、前段が長くなりましたが、ここからタイプBの話になります。
タイプBを二つに分けます。
B1は本源因子町より町制施行が早い因子町が存在する、神栖市をはじめとする18市です。
妄想・・・
岩村「大井課長、この度転勤してコチラに配属されました岩村です。」
大井「あっ、これはこれは『ええな高校』の先輩、岩村さんではありませんか。そんな改まったような挨拶はよしてください。これから、よろしくお願いしますね。」
と、二人は表面的には穏やかに挨拶を交わしたが…
岩村の心の中では、(大井のヤツ、オレや明知を差し置いて課長に出世しやがって!アタマに来る。どうせ長島あたりとつるんでウマく上にとりいったに違いない。アイツの下だけには付きたくなかったのにナ)
一方、課長の大井は…(フン、一年先輩というだけで、イバリやがって。先祖がお殿様だか何だか知らないけど、何もできないし、面倒なヒトが配属されて困ったナ)
市名本源因子市本源因子町町制年月日---最古因子町町制年月日
神栖神栖神栖1970.01.01波崎1928.01.01
あきる野秋川秋多1955.04.01五日市1889.04.01
伊那伊那伊那1897.10.15高遠1889.04.01
那珂那珂菅谷1942.09.08瓜連1934.06.10
甲州塩山塩山1928.11.10勝沼1896.03.02
いちき串木野串木野串木野1935.04.01市来1930.04.01
指宿指宿指宿1933.05.01山川1930.01.01
小松島小松島小松島1908.11.01立江1908.07.20
玉野玉野日比1906.04.01八浜1901.02.06
山陽小野田小野田小野田1920.04.03厚狭1918.10.01
嘉麻山田熊田1924.09.01大隈1892.01.18
北杜北杜長坂1955.01.20小淵沢1954.03.31
相模原相模原上溝1926.01.01小原1889.04.01
日立日立日立1924.08.26豊浦1889.04.01
恵那恵那大井1890.12.27岩村1889.07.01
庄原庄原庄原1898.10.01東城1898.02.10
豊田挙母挙母1892.01.29足助1890.12.17
和庄1892.08.02御手洗1889.04.01

タイプB2は、本源因子町と町制年月日が同じで、町制施行時の人口が本源因子町より多かった町が存在する11市です。
妄想・・・
浦和「ヨォオ、岩槻じゃないか。久しぶりだね。元気にしてた?」
岩槻「浦和クンも元気そうだね。こんどまた、一緒のクラスになったね。」
と、一見、仲の良さそうな二人だが・・・
浦和の心の中は…(岩槻のヤツ、あんまり変わってないな。相変わらず、家ン中でお人形遊びやってんのかナ?まったく付き合いにくいヤツだ。)
一方、岩槻は…(小学校の時は自分の方が勉強も良く出来ていたのに、浦和クン、今は立派になって自分とは大違いだ。同じクラスになったけど、イジメられたりしないかな。大宮クンに相談しようかな・・・)
市名本源因子市本源因子町(人口)---最古因子町(人口)
五泉五泉五泉5,648村松6,845
安来安来安来4,576広瀬4,635
太田太田太田3,693尾島6,201
久喜久喜久喜2,332菖蒲4,342
廿日市廿日市廿日市2,845厳島2,976
4,121飯岡7,129
市川市川市川3,697行徳7,639
鴨川鴨川鴨川6,632天津6,991
佐野佐野佐野7,142田沼10,677
佐渡両津1,968相川13,213
さいたま浦和浦和5,843岩槻5,958
注:上記の町はすべて「生まれながらの町」であり、(人口)は「1889年内務省告示現住人口」

おことわり:「妄想」はもちろん冗談ですが、恵那市とさいたま市の関係者を不愉快な気持ちにさせたならお詫びいたします。
[100864] 2020年 11月 29日(日)16:06:13【1】hmt さん
議会の呼び名
「国会」の前身・「帝国議会」が開設されて 130年ということです。参考
これまでの10年ごとの式典に合わせて行われた国会特別参観は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止。

国レベルの議会ではありませんが、議会の呼び方について、こんな過去記事を見付けました。

[80515] グリグリさん
…今更ですが認識したことがあります。「市会」です。
横浜市会の公式アカウントがあるのをみて、ん、市会?市議会ではないの?と疑問を持ってしまいました。
調べてみると(中略)五大都市では今でも市会と呼んでいるんですね。

この記事については、[80518] Issieさんのフォロー記事があります。
引用ばかりになりますが、面白かったので その一部を紹介しておきます。
----------
ごく単純に言えば,現行憲法・地方自治法下の呼称が「市議会」,明治憲法・(法律としての)市制下の呼称が「市会」ということになります。
(中略)ところがなぜか,「五大市」だけが「市会」という呼称に固執したわけです。道府県を含め,ほかは素直に切り替えているのに。
(中略)さらに早いのが,実は国レベルの議会。
明治初め以来の議会開設をめぐる一連の動きの中で,民権派からも,時には政府側からも広く用いられていた「国会」という言葉に対して,1889(明治22)年の明治憲法が採用したのが「帝国議会」という呼称。それが,1946(昭和21)年の現行憲法では「国会」という呼称になりました。ま,「帝国」じゃまずいもんね。
結果として,市会→市議会 という地方議会に対してこちらは 帝国議会→国会 という逆の形の呼称変更になったわけで,面白いものがあります。
(中略)いずれにしても市民にとっては関係のない,どうでもいいことですから。
ここの初期の頃に話題になったように,一般呼称としては「市役所」と呼ばれている建物やその中にある行政機関を横浜市は勝手に「市庁」と呼んでいるようなものかしら。
----------

主題の「呼び名」から外れますが、130年前の 帝国議会の開設(1890) に関係する過去記事の中から雑談を少々。

土佐藩士から明治の元勲になった板垣退助 [70216]。旧姓は 乾でしたが、戊辰戦争(1868)の際の参謀として甲府や会津を平定した際に、甲州人の人望を得るために先祖の「板垣」を名乗りました。
立派なヒゲの百円札 画像 を使った方は少ないでしょうね。【画像などを追記】

明治7年に『民撰議院設立建白書』を提出したが、時期尚早で却下される。
下野した後、明治14年に 10年後の国会開設の詔を機に結成した 自由党の党首として活発な自由民権運動を展開。
有名なのは、「板垣死ストモ自由ハ死セズ」。明治15年 岐阜の自由党懇親会で刺された時のセリフです。
岐阜遭難事件後いろいろあったが、明治23年(1890)帝国議会開設を迎え、立憲自由党>自由党を再興。
明治31年には 大隈重信の進歩党と合同。憲政党を組織して、内務大臣に入閣。
通称・隈板(わいはん)内閣は 日本最初の政党内閣でしたが、激しい内紛で短命に終わりました。

130年前の国会開設時に戻ると、[61303] hmt の末尾
明治22年(1889)には、御殿場経由の山越えや 琵琶湖東側の区間も完成し、東海道線が全通しました。
この頃の伊藤博文の大仕事は、大日本帝国憲法の発布に続く帝国議会の開設(1890)ですが、地方から集まる代議士を汽車で東京に送り込むという約束を、井上【鉄道局長 井上勝】は伊藤のために果たしたわけです。
[99973] 2020年 7月 9日(木)17:46:10【1】hmt さん
国勢調査百年(1)先駆者たち
[99914] ekinenpyouさん
牛塚虎太郎
統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみ【第一部の】PDF (4コマ左中ほど)に記載があります。
※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。

記事の日付を見ると 2020/6/14。少し遅くなりましたが、有用な情報と考え、フォローします。

統計局文書の第一部は下記の「講談・国勢調査はじまり物語」3題プラス付属資料でした。
その壱:国勢調査前史 日本統計【スタチスチック】のはじまり
その弐:国勢調査の実施まで 欧米諸国に於ては前世紀の初以来施行する調査なり
その参:第一回国勢調査 大正九年十月一日 国を挙げてのお祭り騒ぎ

今回は、先駆者4人の紹介です。
1 杉 亨二【すぎ こうじ】3コマ右
国勢調査先駆者の最初は、日本近代統計の祖とされる 杉亨二です。
約150年前の明治4年、徳川家に従い静岡に移っていた 元幕臣の杉亨二は、明治政府にスカウトされました。その際に、我が国が一等国になるために把握しておくべき仕事として提案したのが、国の情勢を 全数調査により実体把握すること でした。

ぬしは わがまま、わたしは きまま、国勢調査は ありのまま

これは、後の国勢調査キャンペーンで使われた都々逸ですが、納税や徴兵のための戸籍制度も整備されつつある時代に、「ありのまま」の実態を全国漏れなく把握する調査は、如何程の予算が必要になるか? 

それを知るための資料として、杉が実施したのが「甲斐国現在人別調」【明治12年(1879)12/31】でした。[76291]でも言及。

これが、明治14年(1881)の統計院設立につながりました。院長は明治政界の大物・大隈重信です。

しかし、杉の構想は 直ちに国家制度として実現するには至りませんでした。
日清戦争の頃 1894年(M27)に スイスの万国統計協会から、1900年の世界人口センサスへの参加要請がありましたが、日本は見送りでした。

それでも、明治35年(1902)には「国勢調査に関する法律」が制定されました。
1905年に最初の国勢調査を実施して、世界の人口センサスに参加することが予定されたのですが、1904年に日露戦争が始まり、流れてしまいました。

更に 10年後の機会 1915年も、欧州で始まった大戦に伴う政治情勢は 日本の参戦(1914)を招き入れることになりました。国勢調査は またも お流れ。
もっとも、第2次大隈内閣は、1916年 内閣訓令第1号「統計の進歩改善に関する件」により、国勢調査への積極姿勢を示しています。

あゆみ第一部 3コマ右に示されている「寸多 知寸 知久」という見慣れない文字。
「スタ チス チック」は、統計局の URLに使われています。stat.go.jp

2 大隈重信 4コマ右
言うまでもなく明治政府の一角である肥前出身の大物政治家[76315]で、落書き帳にも多数登場。
大隈重信関係文書を引用した記事も多数ありますが、国勢調査や統計院・内閣統計局に関連した記事では、[76291]あたりが代表的な記事でしょうか。
統計Today No.14 に、大隈重信が 明治14年(1881)に建議した 「統計院設置の件」という文書がありました。
「国勢」とは、「国の情勢」という意味で、私たちが国勢調査票に書き込む「人と世帯の実態」だけでなく、産業・経済・社会制度・軍事などより広い分野に係るデータを対象とするものと思われます。

大隈は Population Census に国勢調査という言葉を用い、統計の重要性を訴えた人物です。

3 牛塚虎太郎 4コマ左
牛塚虎太郎[99914]は、第一次大戦中の 1916年に 臨時国勢調査局次長となり、第1回国勢調査の実現にを目指しました。
大隈重信から変った寺内正毅総理に対して、「国勢調査実施に関する意見」を提出したのは 1917年5月でした。[99914]にリンクされている文書【全208コマの長文】をダウンロードしたのですが、画面が不鮮明であり、次頁以降が読めませんでした。

それはさておき、牛塚らの尽力により「国勢調査施行ニ関スル建議案」が7月に衆議院で可決され、大正9年(1920)の 第一回国勢調査 実施が決定しました。
大正7年度予算に、国勢調査に関する予算が組み入れられました。
予算案公表の日に、国勢調査の先駆者 杉亨二は、息を引き取ったとか。

なお、牛塚虎太郎が「岩手縣」への表記統一 を行った岩手県知事になったのは、国勢調査成功の後で、引き続き東京市長になるまで、府県の知事を歴任しました。

4 原敬(はら たかし) 5コマ右、4コマ右下
平民宰相、大正デモクラシーなどの言葉と関連する話題で登場する人物であり、『原敬日記』を残しています。
1885年からのパリ在勤時に フランスの国勢調査を経験し、早くから その価値を認識していた人物です。
総理大臣時代の 1920年5月に 国勢院を設置して、牛塚虎太郎に 第一回国勢調査を実施させました。
1921年11月、東京駅で暴漢に襲われ、国勢調査の結果発表を知ることができなかったのは残念でした。
[99385] 2020年 4月 25日(土)11:33:04【1】白桃 さん
名邑三世代.その14(福岡県・中編)
【秀邑】(大・昭の名邑)
福岡県の【秀邑】は、【明治の名邑】にもれた都市や、筑豊の炭鉱の街など数も多く豪華絢爛の顔ぶれです。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種一級八幡北九州市八幡市100,235八幡市210,051
一種一級大牟田大牟田市大牟田市64,317大牟田市191,978
一種一級若松(北九州市)若松市49,336若松市89,574
一種一級戸畑(北九州市)戸畑町33,824戸畑市87,885
一種二級飯塚飯塚市飯塚町28,876飯塚市53,653
一種二級田川田川市伊田町22,371田川市88,418
一種二級直方直方市直方町18,442直方市53,638
二種二級添田添田町添田町28,569添田町25,002
二種二級宮田宮若市宮田村20,275宮田町43,284
二種二級山田嘉麻市熊田村15,569山田町36,379
二種二級二瀬(飯塚市)二瀬村14,997二瀬町24,080
二種二級桂川桂川町桂川村14,900桂川町23,052
二種二級川崎川崎町川崎村14,237川崎町37,638
二種二級中間中間市長津村13,669中間町36,350
二種二級宇美宇美町宇美村11,979宇美町21,972
二種三級幸袋(飯塚市)幸袋町11,477幸袋町13,926
二種三級大隈(嘉麻市)大隈8,639大隈10,290
二種三級行橋行橋市行橋町7,365行橋町15,923
二種三級羽犬塚筑後市羽犬塚町7,090羽犬塚町13,983
二種三級福島八女市福島町5,619福島町10,262
二種三級二日市筑紫野市二日市町5,487二日市町11,209
二種三級香月(北九州市)香月村18,429香月町17,997
二種三級小竹小竹町勝野村15,613小竹町17,221
二種三級志免志免町志免村11,532志免町19,158
二種三級糸田糸田町糸田村10,327糸田町16,375
二種三級水巻水巻町水巻村7,636水巻町31,386
二種三級赤池福智町上野村6,804赤池町16,722
三種二級稲築(嘉麻市)稲築村16,976稲築町44,514
三種二級穂波(飯塚市)穂波村37,235穂波村39,771

「準秀邑」はありません。参考として「秀邑」になれなかった街を挙げます。
参考1:1950年国調時点では1万人を超えた町であったが、1920年国調人口が5千人未満であった
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
八屋豊前市八屋町4,575八屋町13,017
前原糸島市前原町4,482前原町17,129
碓井(嘉麻市)碓井村4,935碓井町12,045
苅田苅田町苅田村4,685苅田町12,256
大野大野城市大野村4,233大野町10,192
那珂(福岡市)那珂村3,854那珂町20,365
古賀古賀市席内村3,307古賀町10,900
参考2:人口では「秀邑」の要件を備えているが、1950年国調時点でも村であった
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大和(柳川市)大和村13,670大和村19,671
三橋(柳川市)三橋村12,999三橋村17,611
水田(筑後市)水田村10,327水田村16,091
庄内(飯塚市)庄内村10,114庄内村21,570
方城(福智町)方城村9,992方城村15,038
須恵須恵町須恵村9,743須恵村19,423
岡垣岡垣町岡垣村8,765岡垣村14,339
夜須筑前町夜須村 8,087夜須村10,732
山川(みやま市)山川村7,324山川村10,720
頴田(飯塚市)頴田村7,040頴田村10,285
三輪(筑前町)三輪村6,172三輪村10,385
参考3:参考2より参考にならない(惜しくない)・・・1920年国調人口が5千人未満であったところ
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
志賀島(福岡市)志賀島村4,878志賀島村12,342
上穂波(飯塚市)上穂波村4,110上穂波村10,644
鞍手町劍村3,897劍村15,004
遠賀遠賀町島門村3,840遠賀村10,181
昭代(柳川市)浜武村3,811昭代村11,049
高田(みやま市)江浦村2,586高田村18,735
春日春日市春日村 2,450春日村14,857

注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[98154] 2019年 8月 1日(木)22:03:14【3】伊豆之国 さん
「令和」最初の「夏の甲子園」出場校決定【西日本編】
前回([98153])に引き続き、今年の夏の甲子園出場校を。今回は西日本編(北陸・近畿・中国・四国・九州・沖縄)です。

県・地域出場校所在地経県領主主な観光地・イベントなど備考
富山高岡商業高岡市4桜トンネル高岡古城公園、瑞龍寺、雨晴海岸など
石川星稜金沢市4EMM兼六園、金沢城公園、ひがし茶屋街など
福井敦賀気比敦賀市4EMM気比神宮、気比の松原、金ヶ崎緑地
滋賀近江彦根市4ぺとぺと彦根城、玄宮園、佐和山城跡
京都立命館宇治宇治市3深夜特急平等院、黄檗山萬福寺、宇治上神社
大阪履正社豊中市1深夜特急高校野球発祥の地、大阪空港(注1)、服部緑地
兵庫明石商業明石市2深夜特急明石公園・明石城、魚の棚、子午線の町
奈良智辯学園五條市4深夜特急新町通り(重要伝統的建造物群保存地区)、栄山寺賀名生(あのう)梅林(五條市HPより)
和歌山智辯和歌山和歌山市4深夜特急和歌の浦、和歌山城、紀三井寺
鳥取米子東米子市4鳴子こけし皆生温泉、妻木晩田遺跡(注2)
島根石見智翠館江津市1桜トンネル柿本人麻呂ゆかりの史跡有福温泉(江津市観光協会HPより)
岡山岡山学芸館岡山市3白桃後楽園、岡山城、吉備津神社など所在地は東区
広島広島商業広島市4桜トンネル原爆ドーム・平和公園、広島城、縮景園所在地は中区
山口宇部鴻城宇部市1まりんぶる~ときわ公園、山口宇部空港
徳島鳴門鳴門市1白桃鳴門の渦潮・大鳴門橋、霊山寺(四国第一番札所)、鳴門市ドイツ館
香川高松商業高松市4白桃栗林公園、高松城、屋島
愛媛宇和島東宇和島市3がっくん宇和島城、闘牛、凸凹神堂([91977])
高知明徳義塾須崎市1ぺとぺと横浪三里・浦の内湾、新荘川(須崎市観光協会HPより)(注3)
福岡筑陽学園太宰府市3かぱぷう太宰府天満宮、観世音寺、九州国立博物館
佐賀佐賀北佐賀市2白桃佐賀城跡、大隈重信記念館、佐賀バルーンミュージアム
長崎海星長崎市3かぱぷう大浦天主堂、グラバー園、平和公園など
熊本熊本工業熊本市4不在熊本城、水前寺公園、江津湖所在地は中央区
大分藤蔭日田市4かぱぷう豆田町、咸宜園、天ヶ瀬温泉
宮崎富島日向市0k_ito美々津(重要伝統的建造物群保存地区)、若山牧水の故郷(牧水記念文学館HPより)
鹿児島神村学園いちき串木野市1スカンデルベクの鷲冠岳薩摩藩英国留学生記念館
沖縄沖縄尚学那覇市4白桃首里城、玉陵(たまうどぅん)、金城町石畳道

(注1) 大阪空港は伊丹市・池田市にもまたがっている
(注2) 妻木晩田遺跡は大山町にもまたがっている
(注3) 明徳義塾は土佐市にもキャンパスがある

決勝戦が同一市内の対決となった地区(県)は、宮城(仙台市…仙台育英VS東北)、秋田(秋田市…秋田中央VS明桜)、栃木(宇都宮市…作新学院VS文星芸大附属)、群馬(前橋市…前橋育英VS前橋商業)、山梨(甲府市…山梨学院VS東海大甲府)、新潟(新潟市…日本文理VS東京学館新潟)、静岡(静岡市…静岡VS駿河総合)、香川(高松市…高松商業VS英明)、熊本(熊本市…熊本工業VS九州学院)、沖縄(那覇市…沖縄尚学VS興南)の10地区でした。

今回は、初出場が3校と戦後最少で、そのうち富島高校は昨年春の「選抜」に出ているため、春夏通じて初出場はわずか2校にとどまった一方、夏の優勝経験校は11校、春を含めると16校を数え、また久しぶりの出場も多く、最長ブランクは秋田中央(旧・秋田市立)の45年ぶり。また、高松商業が23年ぶり、広島商業が15年ぶりと、全国制覇経験も複数ある古豪名門校の復活も目立ちます。中でも、高松商業が23年ぶりの出場と言うのは、「春」は今年も出ており、まだ記憶に新しい3年前の準優勝など、結構出ているだけに、全く意外な気がしました。

♯出場校所在地の観光名所を調べるのに、観光地としては「マイナー」な自治体では、所在自治体のHPなどから調べ上げましたが、私も実際に未踏だったり通過しただけのところがほとんどなので、どれを採用すべきなのかよくわからないところが多くありました。何かもっとよい情報がありましたら、遠慮なくご教示願います。

【1,2】誤字・誤記訂正
【3】コピペが原因のミスの見逃しでした。[98159] ピーくんさん、ご指摘ありがとうございました。
[94119] 2017年 11月 2日(木)11:32:57みかちゅう さん
地名の誤記の話・さらに続き
[94117]鳴子こけしさん
今回タイトルにわざと使った「話し」。名詞として使う場合は「し」は不要。
「動詞を名詞化した時には元の送りがなをそのまま残すのが原則だから、名詞の場合に『話し』と書くことの何が間違っているんだ」という主張を仕事場でした人に対し、私の答えは「慣習で送りがなはいらないことになっている。辞書で『話(名詞)』の項目を見れば送りがなはない」。「慣習」という答えに対して彼は納得せず、「あらゆる動詞に対して名詞化した単語が辞書の項目に立っているわけではなく(名詞化された「話し」は項目に立っていないだけ)、「辞書にない=誤りである」という私の根拠はおかしい、と言い張っていました。
私がその場で示せなかったのですが、文部省(当時)告示の送り仮名の付け方で、通則4の例外として
例外 次の語は,送り仮名を付けない。
として「話」も列挙されています。ただし、その続きに
(注意) ここに掲げた「組」は,「花の組」,「赤の組」などのように使った場合の「くみ」であり,例えば,「活字の組みがゆるむ。」などとして使う場合の「くみ」を意味するものではない。「光」,「折」,「係」なども,同様に動詞の意識が残っているような使い方の場合は,この例外に該当しない。したがって,本則を適用して送り仮名を付ける。
ともあるので、「話し」と表記するのが絶対ダメかと言われると…分かりません。少なくとも一般的には「名詞の場合に『話し』と書くのは正しくない」と扱って問題はなさそうです。


[94118]スナフキんさん
昨今のパソコンにおける日本誤変換エンジン
指摘するのも野暮な話かもしれませんが、わざと「日本“誤”変換」としているのでしょうか? 

それはともかく、以前に話題になったのは「大隅(おおすみ)」と「大隈(おおくま)」です。これもパソコンの日本語変換が固有名詞もフォローしているために、読みが互いに異なっているものも変換できてしまいます。一般的な読みとは異なる方の読みをする苗字は相当少ないはずだし、一般的な固有名詞の際に漢字入力ミスを誘うという点では「余計な機能」というべきでしょう。

「石山坂<改行>本線」
同様の例として「近鉄田原本線」も。直接関係はないですが、朝日新聞(1日付朝刊1面)の説明用地図での表記は「座間市<改行>役所」でした。市役所という一般名詞の単語のまとまりを優先し、普通は「座間<改行>市役所」になるはず。スペースの都合で前者の表記を取らざるを得なかったとも思えず、センスがないなぁと思います。
[92902] 2017年 6月 14日(水)21:29:09伊豆之国 さん
落書き帳参入10周年・苗字ネタ & 八尾市
早いもので、去る8日で落書き帳初書き込みからちょうど10年が過ぎました。少し遅くなりましたが、今回は「記念記事」と言うことで。

[92901] 白桃さん
普通の民家のような鰻屋さん。玄関に、「当店のウナギは大隈産を使用しています。」
大隈ではなく大隅ですよ
同じ鹿児島県ですが、大隅ではなく薩摩の指宿がルーツと言う([79575])、その「鰻」と言う苗字のお笑いタレントも出演していた先週木曜日のTV番組で、「レアな苗字」の話をやっていました。番組放映中は仕事に出ていたので録画を撮って、先日ようやくその全部を見ることができました…。やはりと言うか、この手のネタでは超定番の「新湊」も当然ながら?出てきましたが、「自称・落書き帳の苗字ネタ四天王の一角」の小生には、いささか食傷気味で「今市」インパクトも、と言う感想でしたが…。

さて、大相撲・高安関(「高」は正確には「はしご高」ですが、PCでうまく出せないことがあるので新聞等の表記に従い「高」の字体で表すことにします)が大関昇進を決めましたが、大関昇進後も本名の「高安」で土俵に立つことを決めたそうです(こちら)。高安関は、出身は茨城県土浦市ですが、この「高安」と言う苗字のルーツは、遠く離れた河内国高安(大阪府八尾市高安地区)~私がグリグリさんの「呟き」に出てきた「反対語地名」に反応して([83043])「反対語コレクション」立ち上げのきっかけにもなった地名~にあるようなのです。
高安の父親から“天智天皇(中大兄皇子)の頃からの由緒正しい名前なので残してほしい”と懇願された」(担当記者)という経緯がある。
その決意を応援する“援軍”も現われた。5月末、高安の故郷・茨城から遠く離れた大阪・八尾市にある近鉄「高安」駅前の商店街には、〈高安関、大関昇進おめでとう〉の看板が掲げられた。
この地は、まさに高安の父親がルーツとして挙げた場所。白村江の戦い(663年)に敗れた天智天皇が敵の襲来に備え、「高安城」を築いた地とされている(史書にその名はあるが、明確な遺構は未発見)。
地元の市民グループ「高安城を探る会」の棚橋利光会長(80)は、「高安関には以前から親しみを抱いていたので昇進は嬉しい。全国に高安城の存在を知ってもらう機会にもなる。横綱になっても、高安のままでいてほしい」と力を込めた。本名だからこそ受けられる声援もあるようだ
「高安」と言う苗字の分布状況を「写録宝夢巣 Ver10」で調べてみると、全国の電話帳に1500件余り、最も数が多いのが高安関の故郷・茨城県で、全国の約4分の1が集まっています。出身地の土浦市には少なく、1桁しかないのですが、県南部の神栖市が最多で80件余りあり、「高安さん率」でも県内最多です。数では水戸市がこれに次ぎ、60件ほどあるのですが、人口比率では神栖市に接する鹿嶋市や、水戸市に接する城里町が上位に来ており、笠間市など、水戸市に近い地域にもある程度見られるようです。一方、つくば市・取手市など県南西部にはほとんど見られず、県内でも分布が限られているようです。茨城県に次いで数が多い千葉県では、神栖・鹿嶋両市に近接する利根川下流地方に集中し、銚子・香取両市と東庄町の3市町で県全体の過半数を占めています。
高安氏のルーツの地・大阪にはあまり多くなく、「一族が戦乱などにより故郷を追われ遠方の地に散り散りになった」という説も頷けるようですが、それでも地名がある八尾市には30件余り見られ、大阪府内の「高安さん」の半数近くが集まっています。意外?だったのが、沖縄。実数では、茨城・千葉に次いで全国3位、「高安さん率」では茨城県を抑えて全国最高です。豊見城市が最多で、沖縄県全体の3分の1ほどが集まっています。豊見城市には「高安」の地名があり(もちろん「反対語地名」コレクションにも登録)、ここが沖縄の高安氏のルーツと思われます。
[92901] 2017年 6月 14日(水)00:46:40白桃 さん
1950年国勢調査時における(旧)薩摩藩の小都市の人口
天皇賞馬キタサンブラックの事実上のオーナーが歌った「薩摩の女」の歌詞の一節に
♪雨がふるふる天文館通の~
とありますが、何度聞いても、♪テンモンカ~ンの~、としか、聞こえない。「通」はどこへ行った。
武蔵(タケゾー)よ、お通は、花田橋のたもとで待っているのだよ…。
脱線ついでに、この歌の作曲者、島津伸男さんは、その名が示すように、鹿児島県出身とか。

脱線は続くよどこまでも…
大崎市の岩出山で昼食をとった普通の民家のような鰻屋さん。玄関に、「当店のウナギは大隈産を使用しています。」と書いてあったので、「大隈ではなく大隅ですよ。」といらん指摘をしてしまった白桃。何を隠そう、母方の苗字は大隅で、遠い先祖は鹿児島だとか???。そういえば、大隅or大隈では[58902]の失敗も(汗)。

さて、さて。
1950年と言えば「昭和の大合併」が始まる前で、この白桃もまだ生まれていませんが、下表は1自治体あたりの人口トップ10です。(※東京都23区は1市としてカウント)
都道府県人口市町村数自治体あたり
東京6,277,5008772,155
大阪3,857,04715225,375
神奈川2,487,66511721,262
北海道4,295,56727715,507
愛知3,390,58521915,482
沖縄914,9376613,863
鹿児島1,804,11814112,795
宮崎1,091,4278612,691
福岡3,530,16928512,387
長崎1,645,49216010,284
鹿児島、宮崎がこんな上位に来るのが意外ではないでしょうか。
両県が上位に来る理由の一つに、1自治体あたりの面積が大きいことも事実です。
現在の面積を使用しており正確ではありませんが、1950年には以下の通りになっています。
1位北海道283.11㎢
2位宮崎県89.95㎢
3位岩手県67.29㎢
4位鹿児島県65.16㎢
しかし、1自治体あたりの面積が鹿児島県とほぼ同じの岩手県が、1自治体あたりの人口では27位なのですから、鹿児島、宮崎が1950年当時、1自治体あたりの人口が多かった理由を説明するにはこれだけでは十分ではありません。
話を先に進める前に、1950年国勢調査時に、「1町あたりの人口」がどうであったかというと、
1位東京都18町19,056人
2位鹿児島県53町17,937人
3位北海道75町17,664人
宮崎県23町13,940人
なんと、鹿児島県は東京都に次いで2位なのです。(面倒でしたので、宮崎の順位は調べませんでしたが、全国平均が9,885人ですから、かなり上位に来ます。)
鹿児島の53町の内訳は、
3.0万人以上
谷山(40,098人)、頴娃、阿久根、西之表
2.5万人以上
末吉、指宿、垂水、志布志
2.0万人以上
知覧、加世田、高山、出水、川辺、東市来、米ノ津、加治木
1.5万人以上
笠沙、隼人、伊作、大崎、財部、串良、宮之城、大口、中種子、山川、蒲生、伊集院、知名、牧園
1.0万人以上
大根占、栗野、樋脇、根占、和泊、万世、帖佐、高尾野、菱刈、亀津、入来、福山、古仁屋、東串良、横川、岩川、佐多、内之浦、喜界、吾平、国分、市来
1.0万人未満
山野(9,536人)
因みに、谷山は全国10位、頴娃は11位です。また、47の各都道府県「最下位人口の町」の中では、山野の人口はトップなのです。
~以下続く
[89952] 2016年 2月 6日(土)13:07:13白桃 さん
「本源因子町」始末記(3)
◎希少パターン4市
パターン(3)の2市の中でも舞鶴に注目しています。舞鶴市と東舞鶴市の市制年月日は同じですが、市制施行時は東舞鶴が城下町であった舞鶴(西舞鶴)の人口を軽く上回っていました。
因子市数因子町数---本源因子市名本源因子町名最古因子町名パターン
舞鶴24東舞鶴舞鶴舞鶴(3)
12東葛(3)
下関19赤間関長府(12)
沖縄10コザ(13)

◎本源因子町名と最古因子町名が異なるパターン(2)、(7)、(9)、(10)
私が一番関心を持ったのが、この4つのパターンです。鉱工業の勃興/衰退、交通路の変化等いろいろ思いをめぐらすところがありますが、地域の拠点が移動したことは間違いなく、逆転された町の立場にたてば、「世が世であれば・・・」といったところでしょうか。(※町制年月日が同じ場合は人口を記入。)
因子市数因子町数---本源因子市名本源因子町名最古因子町名パターン
116和庄御手洗(7)
佐渡110両津湊(1,968)相川(13,213)(9)
豊田19 挙母挙母足助(10)
庄原17 庄原庄原東城(2)
日立16日立日立豊浦( 2)
佐野16佐野佐野(7,142)田沼(10,677)( 2)
相模原16相模原上溝小原(7)
恵那16恵那 大井岩村(7)
さいたま45浦和浦和(5,843)岩槻(5,958)(10)
市川15市川市川(3,697)行徳(7,639)(2)
鴨川15 鴨川鴨川(6,632)天津(6,991)(2)
北杜15北杜長坂小淵沢(7)
美祢15美祢伊佐大田( 7)
日光24 日光日光(6,606)足尾(11,869)(2)
太田14 太田太田(3,693)尾島(6,201)(2)
久喜14 久喜久喜(2,332)菖蒲(4,342)(2)
廿日市14廿日市廿日市(2,845)厳島(2,976)(2)
14旭(4,121)飯岡(7,129)(2)
玉野14玉野 日比八浜(7)
嘉麻14山田熊田大隈(9)
山陽小野田14小野田小野田厚狭(10)
指宿13 指宿指宿山川(2)
安来13 安来安来(4,576)広瀬(4,635)(2)
小松島13小松島小松島立江(2)
可児13可児今渡兼山(7)
湖西13湖西白須賀(3,889)新居(5,871)(7)
神栖12神栖神栖波崎( 2)
伊那12伊那伊那高遠( 2)
五泉12 五泉五泉(5,648)村松(6,845)(2)
那珂12 那珂菅谷瓜連(7)
あきる野12秋川秋多五日市(9)
甲州12塩山塩山 勝沼(10)
いちき串木野12串木野串木野市来(10)
[86370] 2014年 9月 10日(水)04:38:30YT さん
第一次府県統合と、それそれの府県での人口上位3位までの都市人口
[86367] アクアさん、初めまして。

2.非最大都市規模で非明治政府領を県庁に置いた県

おそらく旧領石高と城下町に比例関係があると仮定して都市規模を算出しているのでしょうが、大隈重信蔵書「府藩県石高人口表」を見てわかるように、石高と人口の相関は必ずしも良くありません。それに第一次府県統合では、各地に散らばっている各藩の飛び地を抹消しているので、単純に藩の石高で統合後の規模に順番を振るのもどうかと思います(旧高旧領取調帳で調べているのでしたらすみません)。

そこで明治6年頃の都市人口による各府県の人口上位3位までの都市と人口をまとめてみました。都市人口は『日本地誌提要』(明治6年1月1日調人口、[68751][68752][68793][68794][68845][68846][68962][68963][68964][68965]参照)を基礎とし、『明治八年 共武政表』(明治5年~8年の本籍人口)の人口を用いると各府県別での都市人口順位が上がる場合には『共武政表』の人口で補正しました(●印をつけた都市)。但し明らかに人口に誤りがある場合(『日本地誌提要』の鹿沼の人口と『共武政表』の気仙沼の人口など)はこの限りではありません。また県庁所在地が4位以下の場合は別途記載しました。

使府藩県M5人口1位人口2位人口3位人口4位以下人口
開拓使123,668箱館28,825小樽3,903札幌1,785
東京府779,361東京595,905千住11,368品川10,293
京都府567,334京都238,663伏水22,334亀岡7,029
大坂府530,885大坂271,992天王寺16,560難波8,128
琉球藩166,789首里44,984那覇14,610久米9,800
神奈川県492,714横浜64,602神奈川10,660八王子7,675
兵庫県198,559神戸・兵庫40,900尼ヶ崎12,404西之宮8,699
長崎県630,487長崎29,656島原18,682福江17,787
新潟県635,484新潟33,152新発田18,312村上17,647
埼玉県426,989成田(忍)7,224岩槻5,077幸手4,294浦和1,750
入間県410,952川越9,357熊谷4,171本庄3,573
足柄県339,582小田原12,710浦賀●7,081鎌倉6,420
木更津県574,652木更津4,381一之宮4,215鶴舞3,126
印旛県456,689船橋9,494古河9,343佐倉6,681流山●1,946
新治県470,509銚子17,688土浦7,788石岡6,938
茨城県366,505水戸19,010那珂湊8,254下館4,947
群馬県382,697前橋15,063高崎11,285沼田3,828
橡木県388,934館林9,007佐野4,960鹿沼●4,201栃木3,968
宇都宮県234,124宇都宮15,061烏山2,435大田原2,284
奈良県418,326奈良21,158郡山14,988御所町3,507
堺県446,85238,838岸和田8,852佐野5,388
安濃津県413,86522,080桑名18,064上野12,385
度会県363,732山田22,473松坂8,781鳥羽4,746
名古屋県604,116名古屋125,193熱田15,211一之宮7,399
額田県606,252岡崎12,969大浜8,885豊橋7,506
浜松県414,928浜松11,103新居6,438横須賀5,516
静岡県368,505静岡31,555沼津10,684島田●7,461
山梨県360,068甲府15,529市川4,095鰍沢3,562
大津県305,232五別所・大津17,924膳所6,371膳所6,371
長浜県271,332彦根24,368長浜5,369高宮●3,754
岐阜県660,896今泉・岐阜10,800大垣10,158八幡5,364
筑摩県550,841松本14,275高山13,081飯田8,944
長野県466,652松代7,976長野6,928小諸6,152
仙台県404,577仙台51,998石巻10,325馬場谷地●4,964
福島県268,576二本松10,435白河7,250福島5,813
平県242,906三春5,0864,241白石●3,313
若松県203,722若松20,588坂下2,972高田●1,987
一関県372,562水沢5,166気仙沼4,377一之関●4,365
盛岡県319,486盛岡21,306遠野●5,175花巻4,426
青森県473,244弘前32,886福山16,092青森10,965
山形県299,291山形17,631新庄8,361谷地6,587
置賜県130,293米沢24,945宮内2,858上小松●2,331
酒田県203,676鶴岡24,964酒田18,619大山3,430
秋田県582,297秋田38,118横手8,169本荘6,423
敦賀県199,819小浜19,271敦賀11,476武生9,416
福井県346,700福井39,784大野9,052坂井9,044
金沢県403,357金沢109,685小松9,970大聖寺9,416
七尾県397,511高岡23,724新湊18,904七尾8,216
新川県480,638富山44,682魚津10,098八尾5,981
柏崎県718,249高田27,460長岡24,067柏崎14,081
相川県103,098相川12,632夷町3,400小木2,602
豊岡県505,073宮津9,398舞鶴9,073出石6,796豊岡4,926
鳥取県385,531鳥取20,782米子10,237倉吉4,809
島根県340,042松江37,808杵築7,674広瀬3,877
浜田県259,611津和野7,088浜田3,943益田●2,503
飾磨県635,791姫路24,521明石14,410赤穂7,134
北条県215,602津山15,411真島(勝山)2,747久世1,749
岡山県387,459岡山32,372日生●3,511牛窓3,219
深津県546,430福山17,643鞆津●8,495笠岡6,415
広島県919,047広島74,305尾道9,722三原8,565
山口県827,53645,318赤間関18,500岩国11,684山口9,279
和歌山県556,919和歌山61,124新宮9,134田辺7,485
名東県750,985徳島48,861洲本7,267由良5,935
香川県559,712高松32,736丸亀13,875坂出6,465
松山県418,561松山26,141今治12,000川江5,860
宇和島県357,413宇和島12,209外海●6,280吉田5,042
高知県524,511高知39,757高岡5,827安芸4,479
福岡県441,175博多20,985福岡20,650秋月5,178
三潴県391,535久留米20,381柳河8,865瀬高3,860榎津2,555
小倉県304,574中津11,538小倉7,459長洲4,500
大分県562,318臼杵10,738大分6,8215,975
伊万里県506,667佐賀21,660厳原8,806唐津7,987伊万里4,005
熊本県513,593熊本44,620長洲5,706川尻4,712
八代県439,444八代9,021牛深7,590御領●6,017
都城県310,121国府17,144加治木9,386都城7,390
美々津県201,798宮崎11,929延岡6,861広瀬●3,884美々津1,881
鹿児島県670,864鹿児島●89,374加世田31,595鹿籠24,902


平県(磐城平:都市規模4位/6藩)
更津県(桜井:都市規模15位/15藩、天領1)
群馬県(高崎:都市規模3位/8藩、天領1)
埼玉県(岩槻:都市規模2位/2藩、天領1)*
額田県(岡崎:都市規模3位/10藩)
豊岡県(豊岡:都市規模8位/9藩、天領2)
大分県(府内:都市規模3位/7藩)

都市規模としては平は1位と大差のない2位、桜井(木更津内)は1位、高崎は1位と大差のない2位、岩槻は1位と大差のない2位、岡崎は1位、豊岡はやや1位と差のある5位(4位は篠山の5,931人)、大分はやや1位と差のある2位です。

1番、2番、3番、それ以下の差異をどの程度考慮するかにもよりますし、また明治22年の市制町村制施行までは「都市域」の定義が曖昧であるため、資料によって集計範囲が異なるという難点がありますが、一部の例外(浦和、流山、榎津、伊万里、美々津)を除き、当時の県庁所在地はその地域の中心となる都市が選ばれていることが判るかと思います。

この掲示板等でも、県によっては人身一心の理由で県名を改めたということが言われていますが、具体的にどのような資料でそのようなことが書かれているのでしょうか?

これは多分中央にはまとまった資料がなくて、個々に地方史をあたらないとわからないと思います。宮武外骨の『[府藩県制史]』における賞罰的県名論も、細かいところで矛盾がありますし。
[86112] 2014年 7月 28日(月)19:43:09【1】hmt さん
1914年7月28日
今日は何の日 7月28日の歴史 に記録された 100年前のできごと。
オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が開戦

オーストリア=ハンガリーの皇位継承者夫妻がセルビア人に暗殺された「サラエボ事件」のちょうど1ヶ月後です。
100年前に大戦の発端になる事件の起きた都市・サラエボは、ご承知のように 1992年ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナの首都です。
そして、この時に新しく組織された政府に対して セルビア人勢力が サラエボ包囲戦を仕掛け、大規模な内戦が4年間も続きました。
イスラム教【以前はオスマントルコ領だった】、セルビア正教、ローマカトリックと 3つの宗教が混在するボスニアの中心地であるサラエボは、1984年冬季オリンピックの開催地としてよりも、戦争に結びついて記憶されています。

20世紀末の記憶はさておき、100年前の世界大戦。

この戦争をきっかけにトルコ(オスマン帝国)・オーストリア・ドイツ・ロシアという4つの帝国が瓦解し、バルカン半島からフィンランドに及ぶヨーロッパ東部地域の地図は大きく変りました。

初等科地理[85960]に続いて、初等科国史 に描かれた大戦前後のヨーロッパ地図を示しておきます。
サラエボは大戦前の図ではオーストリヤハンガリー領内にあり、セルビヤとアドリア海との間に位置します。
大戦後の図は「セルボ・クロアート・スローベン王国」から国名を改めた[23009] 1929年の後なので、「ユーゴスラビヤ」の領域内になります。

【追記】
主戦場がヨーロッパであったために、戦前の日本では「欧州大戦」という呼び方が普通でしたが、英国の対独宣戦(8/4)に呼応して、日英同盟の関係にあった日本も参戦することになりました。
大日本帝国憲法時代ですから 集団的自衛権に関する議論は もちろん不必要でしたが、大隈総理は御前会議・議会の承認・軍統帥部との折衝など一切なしに参戦の方針を決めたそうです。
最後通牒を経て、大正3年8月23日 独逸国に対し宣戦の詔書を布告。

太平洋方面の戦いでは ニューブリテン島[79420]などドイツ領ニューギニアを制圧したオーストラリア軍が最大の成果を得たと言えるでしょうが、日本陸軍もドイツの中国での拠点・青島を攻略し、日本海軍はミクロネシアの島々(南洋群島[71808])を攻略しました。
余談:
1914/12/18の東京駅開業式典では 青島から凱旋した神尾中将に 品川から新規開業の京浜線電車に乗ってもらい、東京駅で歓迎するというイベントがありました。このイベント自体は成功したのですが、その後で来賓を乗せて高島町駅に向った電車が立往生する失態を演じたことを[39140]で記しています。

主戦場である欧州戦線にも陸軍派兵の要請がありましたが、これは拒絶。
しかし、地中海とインド洋には軍艦を派遣して 連合国輸送船団の護衛任務にあたりました。
マルタ島には戦死した日本海軍将兵の墓碑があります。
[85218] 2014年 3月 27日(木)14:45:32【1】hmt さん
大正期・四国の鉄道を考える(1)政友会の鉄道政策・鉄道の軍事的意義
大正9年(1920)5月10日の第14回衆議院議員総選挙で、原敬内閣の与党・立憲政友会は 278議席を獲得。113議席増の圧勝でした。落書き帳で最近話題にした記事 四国の鉄道 の時代背景としては、この時に力を得た政友会内閣の政策があったことを忘れるわけにはゆきません。

国有化後の鉄道は、重工業など産業の発展に伴い輸送量が増大しており、幹線鉄道能力の改善が求められていました。また大都市圏鉄道の強化改良も必要でした。その一方では、まだ鉄道が敷設されていない地方からの新線建設の要望も強く出されており、そのいずれを優先すべきかは、基本的な選択課題でした。

鉄道院初代総裁(逓信大臣兼務)の後藤新平は、欧米列強と同じ標準軌【当時の呼び方は広軌】への改築に意欲的で、1909年から具体的検討が始まりました。朝鮮・満州の鉄道との連絡を視野に入れた計画は、発展途上にあった日本の資本主義からの共感を得るものでした。その一方で、後藤は軽便鉄道政策も積極的に展開して、地方交通線の建設を犠牲にするものでない姿勢も示しています。

しかし、政友会を基盤とする西園寺内閣(1911)・山本内閣になると、広軌改築計画は財源の見込みがないとして打ち切られました。そして政友会が野党になった第2次大隈内閣(1914)になると広軌改築論が復活しました。1916年寺内内閣の鉄道院総裁には後藤新平が戻るなど、政局により方針が変動。
1917年には国有化直前の横浜鉄道・原町田-橋本間で標準軌の実地試験も行なわれました。

しかし、この年の総選挙では政友会が第1党に返り咲き、1918年に政友会の原敬内閣が成立します。
広軌改築論はこの内閣の床次鉄道院総裁により否定され、第一次大戦後の不景気で事実上の終末を迎えました。

このように、後藤総裁時代に種が蒔かれた「改主建従」は 政治の動きに翻弄され、最大のテーマである広軌改築こそ実現しませんでした。しかし、東海道線全線の複線化(1913)、自動連結器への一斉取り替え(1925)、丹那トンネル経由の新線(1934)など幾多の改良が実現したことも事実です。

万朝報記事 は「建主改従」主義の政友会を批判しましたが、冒頭に記したように、有権者は 1920の総選挙で政友会に絶対多数を与えてしまい、後のローカル線問題の原因を作ってしまいました。

もう一つ、現代の視点では忘れがちなのが、鉄道の持つ軍事的意義です。

四国について言うと、善通寺には第11師団があり[65824]、その下に 丸亀・徳島・善通寺・高知の各連隊 がありました。徳島線と土讃線とは、これらの兵力を一体的に運用するのに必要な手段でした。第43回帝国議会衆議院四国循環鉄道建議案T9/7/23議事録 7頁中段の山梨陸軍次官発言参照。それに続いて出てくる“佐賀関方面の防御”という言葉からは、鉄道で行ける四国西端の八幡浜が有する軍事的意義も推察されます。

[85205] デスクトップ鉄さん【川上幸義の四国鉄道史からの引用】
(長浜から大洲に至り、肱川流域を遡って、宇和島ヘ至る)第1案と決定したので、八幡浜は猛運動の結果…

大正8年2月22日の41回帝国議会議事録 6頁上段の石丸鉄道院副総裁の発言では、宇和島・八幡浜・大洲ルートと 大洲に出ない海岸ルートが言及されていますが、八幡浜を通らないルートは見当たりません。
大洲から肱川を更に遡り広見川支流の谷に出るルートの存在は、先に引用したT9/7/23議事録の3頁下段で触れられていますが、それは“第1案と決定”とは程遠い内容です。

要するに、軍事的意義もあった八幡浜経由のルートは、最初から揺らぐことはなかったと思います。
引用文献の記載は、帝国議会の公式記錄と矛盾する内容のように思われます。
[79961] 2012年 1月 5日(木)18:01:30hmt さん
芝浦の新駅
[79942] Issie さん
“普通の人”の感覚ではグルリと一周する“山手線の駅”でいいのでしょう。読売新聞の記事では「並走する京浜東北線も停車する」なんて書かれています。

運賃計算に 「東京山手線内の駅を発着する場合の特例」 と記されています。
もっとも、JR自身によるこの用例は「山手線内の駅」であり、「山手線の駅」ではありません。
「山手線内の駅」は、山手線(品川-新宿-田端)・東北本線の一部(田端-東京)・東海道本線の一部(東京-品川)で構成されるループ線に加えて、ループ線で囲まれた中央本線の一部(神田-代々木)、総武本線の一部(御茶ノ水-秋葉原)に関係する合計 36駅です。昔は「東京電環」という呼び名が使われていました[28537]

運転系統としては、上記のループ線が「山手線」と呼ばれており、乗客への案内にも使われています。
「運転系統としての山手線」に、30番目の駅ができることになります。
1周約 60分に 30駅ですから、大局的には 2分間隔ダイヤで、電車が各駅ごとに居るという形になります。

要するに、「山手線」という言葉は「線路名称」だけでなく、「運転系統としての山手線」や 走っている「山手線の電車」[38388] にも使われ、運賃計算上の用法もあるなど 多義的です。[38397]

読売新聞記事の「並走する京浜東北線も停車する」は、大先輩の「東京横浜間鉄道」[49808]の後身である京浜線電車[39140]に対して礼を失する感もありますが、おそらく 日中の快速も停車する というメッセージを伝えているのでしょう。

陸上の用地を確保できなかったために“海の上に土手を作って”その上を通した区間です。

西南戦争前の陸軍は鉄道の価値を認めておらず、軍事上の要地の高輪に、測量隊が入ることさえ拒否しました。
高輪海岸の土地を手放さない陸軍に対抗した大隈重信の策が、海上鉄路の建設だったそうです。

鹿島の軌跡 にも地図がありますが、フランス式迅速測図 をリンクしておきます。
図の中央でずれている継ぎ目の下に「泉岳寺」があり、その東の海上を鉄道線路が南下して品川の「乗車場」で上陸します。

現在の鉄道は、少し北の「札の辻」【注】の近くで元々の線路から東側に新幹線が離れます。
「東京横浜間鉄道」のルートを引き継いできた在来線も、再開発計画によって 新幹線と並走するように 東にルート変更され(地下の横須賀線は既に東側)、昔の地図だと 泉岳寺海岸の更に沖に 新駅できるのですね。
東京都下水道局芝浦水再生センターの隣接地(港区港南二丁目)で、港区芝浦四丁目にもかかるのかもしれません。駅名としては 著名な地名「芝浦」[42889] が適当なのではないでしょうか。
【注】札の辻
迅速測図では 品川湾[42889]と記載してある付近の交差点です。ここには、江戸時代初期に高札場が設けられましたが、高札場は その後 数百m南の 高輪大木戸に移され、地名だけが残りました。

※ちなみにもう1つの“海上区間”である 神奈川-高島町間
迅速測図 こちらもリンクしておきます。
右の方を見ると、「象の鼻」や不自然な「ずれ」を示す中華街の区画[65179]を 既に見ることができます。
[79331] 2011年 9月 12日(月)02:11:03YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ1
『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)記載の高(ここでは内高のこと)、正税(実際は雑税・見取税を加算した現収納高)と、藩制一覧(資料A)記載の草高(ここでは内高のこと)をまとめましたので、以下大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)の呼高(=内高)と現石(=現収納高)、『統計集誌』、「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)の草高(=内高)と現高(=現収納高)、『明治史要』「知藩事表」(資料D')の現石(=現収納高)と一緒にまとめます。

なお『藩制一覧』記載の現収納高(現石、正租税+雑税等)については収録を見送りました。[79302]に示したように各藩で石高換算のレートが違う上、それぞれの税金一覧に欠落が多々あると推測されるからです。

表高との比較については[76745][76746][76747]を、『明治前期財政経済史料集成』との数値の違いは[79302]を参照してください。また府県、藩預所の内高、現収納高については[79307][79308]『明治二己巳年 租税取調帳』の数字をまとめました。藩の順番は『藩制一覧』の順に従っています。

藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
厳原藩69,57369,57331,13021,13035,413.2220
岩国藩81,22181,22181,221.00000029,63729,63729,637.58690036,310.0000
今治藩43,234.81400043,15043,15043,150.90100022,71622,7162,716.17000022,720.0000
飯山藩35,192.29700035,19235,19235,192.29700011,61911,61911,619.60280511,970.0000
犬山藩42,704.80310042,70442,70442,704.80310013,51113,51115,495.94192012,840.0000
出石藩32,818.64405032,81832,81832,818.64405013,49213,84215,190.48954013,840.0000
岩村藩34,552.60603034,55234,55234,552.60603013,27213,27213,272.61299013,270.0000
一関藩30,347.37000030,34730,34730,347.37000010,85410,85412,254.22399511,210.0000
椿台藩/岩崎藩20,00020,00010,82310,82311,910.0000
岩槻藩33,020.48923033,01433,01433,014.1941309,5799,5799,580.5353208,880.0000
飯野藩21,062.89400021,06221,06221,062.8940009,0127,4969,042.7754607,500.0000
飯田藩20,092.91977020,08220,08220,082.5667909,4409,4409,441.46218510,040.0000
磐城平藩29,939.89400029,53929,53929,939.8940007,6347,6347,634.7249506,760.0000
岡山新田藩/生坂藩15,000.00000015,00015,0005,680.0000
石岡藩29,069.68310029,06929,06929,069.6830105,5005,5005,500.0565405,260.0000
今尾藩17,906.91300020,00020,00020,000.0000005,9377,8005,937.0942007,800.0870
伊勢崎藩25,492.36300025,49225,49225,492.3630005,3745,5025,374.6759705,510.0000
一宮藩16,106.40636013,00016,10613,000.0000005,4725,4655,472.3307305,470.0000
泉藩19,543.51775019,54319,54319,543.5177504,1654,5504,368.8915624,550.0000
岩村田藩15,125.04949013,25013,25013,250.4479003,6603,6603,660.3570244,300.0000
蓮池藩59,659.78487559,65959,65959,659.78480018,58220,43218,582.66250020,430.0000
花房藩43,743.39766035,00035,00035,000.00000011,07711,07711,077.84687914,570.0000
八戸藩40,074.00000040,07440,07440,074.0000007,1219,4377,121.1857009,440.0000
伯太藩14,273.03410074,27374,27314,273.0341006,0736,0736,073.2917356,070.0000
林田藩14,889.67190014,88914,88914,889.6719006,4236,4236,423.0029576,420.0000
半原藩22,228.13700022,22822,22822,228.1330005,9405,9405,940.9205905,940.0000
西尾藩63,205.63154062,60262,60262,602.51154023,77023,77023,770.60590323,190.0000
二本松藩50,000.00000050,00050,00050,000.00000011,87212,86911,872.91682512,860.0000
庭瀬藩20,573.78265020,57320,57320,573.78265010,46610,46610,466.23781010,470.0000
新見藩18,196.14020018,19618,19618,196.1402006,3476,5126,347.4927876,510.0000
西大路藩17,004.50000017,04317,04317,043.6725006,8626,8626,862.6773606,710.0000
新谷藩9,692.6757809,6929,6929,692.6757804,8914,8904,891.0440704,890.0000
西端藩14,008.75433014,00814,00814,008.9994003,3793,2803,379.1925043,280.0000
西大平藩10,416.14540010,41610,41610,416.2744002,8553,2632,855.3321703,250.0000
本庄藩27,223.06100027,51817,51827,518.15500012,93313,27012,933.57529013,270.6140
堀江藩5,484.7083805,4845,4845,484.7883802,7452,2712,745.1605502,270.0000
徳島藩442,735.000000442,735442,735442,735.000000206,359206,359206,359.725000193,173.5400
鳥取藩423,669.702000428,169428,169398,748.288500157,884157,884157,884.128627186,437.5000
若桜藩8,830.0000
鹿奴藩13,250.0000
豊津藩165,617.352000165,617165,617165,617.35200079,54379,54379,543.65987588,170.0000
富山藩145,637.801000159,297159,297159,297.87100066,92566,01066,925.17365066,010.0000
豊浦藩100,972.000000100,972100,972100,972.00000039,97339,97339,973.31250039,972.0000
豊橋藩89,978.87909089,97889,97889,978.87990025,47626,19825,479.54438126,200.0000
徳山藩69,054.00000069,05469,05469,054.00000021,41321,41321,413.74186511,410.0000
鳥羽藩31,813.70900031,81331,81331,813.70900014,86812,91914,868.75625512,920.0000
豊岡藩15,806.30385015,80615,80615,806.3038506,0316,0316,031.5077375,380.0000
斗南藩7,380.0000
千束藩10,172.21260010,17210,17210,172.2126004,8024,8024,802.0242264,800.0000
大網藩/龍崎藩12,425.53838012,42512,42512,425.5383803,3273,8733,327.9438103,320.0000
沼田藩44,154.21279044,15444,15444,154.21279016,58916,58916,589.27880015,110.0000
岡山藩454,117.199600454,117454,117454,117.199600173,755173,755173,755.847890179,585.0000
大泉藩120,000.000000120,000120,000120,000.00000069,36169,36170,552.31353069,379.8100
小浜藩106,599.348200106,599106,599106,599.34820055,32555,32555,325.80221755,730.0000
大垣藩131,106.431580131,106131,101131,106.43158051,99857,99851,998.91628050,320.0000
岡藩91,844.62378091,84491,84498,144.62378034,60624,60644,638.79213052,400.0000
忍藩141,752.473870141,752141,752141,752.47387043,53939,21743,534.16365142,070.0000
大洲藩60,906.00000051,63751,63751,637.10000021,28421,28431,912.11718730,476.9000
大村藩50,454.61356058,97150,45450,454.61356026,32423,00223,545.72680323,060.0000
小城藩82,126.32000082,12682,12682,126.32000026,25326,25326,253.71581027,372.8400
飫肥藩60,595.40650060,59560,59560,595.40650023,81223,81224,301.75595023,340.0000
小田原藩75,532.40314075,53275,53275,532.40314021,78221,78221,782.86534023,410.0000
岡崎藩55,535.90330060,52160,52160,521.91700018,86721,35118,867.22801221,351.5502
大野藩39,320.57700039,32039,32039,320.57700014,88214,88214,882.97157512,630.0000
大多喜藩27,281.93690027,28127,28127,281.9369007,8447,2807,844.9473707,280.8537
大溝藩20,097.67058020,09720,09720,097.6705807,5176,7297,517.6407306,730.0000
岡田藩16,983.95003015,55515,55515,555.1687007,7517,7517,757.7418047,750.0000
小野藩11,099.31300011,09911,09911,099.3130005,2815,2815,281.2260805,280.0000
小幡藩23,070.14100023,07023,07023,070.1450004,1564,1734,156.8287204,170.0000
萩野山中藩13,684.19767013,68413,68413,684.1976703,5203,5203,520.3962894,660.0000
小久保藩11,265.14970011,27011,27011,325.4209003,4073,4533,411.1649364,400.0000
生実藩10,627.70566010,62710,62710,627.7056603,9943,9943,994.6610004,030.0000
大田原藩16,021.49390011,40011,40011,400.0000002,3112,4822,407.5092092,528.4916
小見川藩10,476.02001010,47610,47610,476.0200102,3582,3582,358.3014032,710.0000
和歌山藩539,469.470700539,469539,469539,469.470700279,141279,141279,141.688813274,590.0000
金沢藩1,338,083.5620101,338,0831,338,0831,338,083.562100637,316636,876637,316.968466636,880.0000
鹿児島藩869,593.576640869,593869,593869,593.576640298,709298,719298,709.464650314,002.5000
高知藩495,486.000000495,486495,486495,486.000000247,765247,765247,765.785400193,010.0000
高知支封藩(山内藩)4,720.0000
亀岡藩57,204.07000057,20457,20457,204.07000028,15628,15628,156.94094028,380.0000
唐津藩64,735.86300064,73564,73564,735.86300026,99026,99026,990.16624529,423.6600
亀山藩75,418.98180075,41875,04875,418.98180024,44724,44724,447.91483724,450.0000
川越藩81,562.30091081,56281,56281,562.30091021,51321,51321,513.40449021,660.0000
笠間藩85,310.66480085,31085,31085,310.66480019,65619,65619,956.22440025,180.0000

○鳥取藩:『藩制一覧』:池田徳澄分地(鹿奴藩)30,000石、池田徳定分地(若桜藩)20,000石、池田徳潤分地(福本藩)4,500石の石高を含むとあり、福本藩支配地11,573.2038石(福本藩配分7,073.052石+鳥取藩ヨリ廩米4,500石)を含むと推測される。
○豊津藩:『藩制一覧』の合高212,598.552石より千束藩支配10,000石、御蔵米36,981.2石を除いた残165,617.352石を採用。
○豊浦藩:『藩制一覧』の草高124,063石より清末藩配分23,901石を除いた残100,972石(計算値は100,162石)を採用。
○岡崎藩:『藩制一覧』の草高60,521.917石より諸引4,986.0137石を除いた残55,535.9033石を採用。
○金沢藩:『藩制一覧』の草高1,353,352.87101石より当時変地等引高15,269.309を除いた数値1,338,083.56201石を採用。
[79273] 2011年 8月 29日(月)00:36:09YT さん
永高における貫文と石高の変換
『藩制一覧』の正税、大隈重信文書の『庚午七月写 各藩高並租税調帳』を比較したところ、正税の内、少なくとも永高(貫文)で表される分は、1貫=1/8石で換算しているらしいことが分かりました。

例:久留里藩の場合

『藩制一覧』によると
現米:一萬八百五十五石五斗四升四合
永:二千百六十七貫十七文、此現米二百七十石八斗七升七合(但石八両立)
二口合一萬千百二十六石四斗一合
つまり現米分は
2167.017/8 = 270.877125石
永高分は
10855.5544+270.877125=11,126.421125 石

『庚午七月写 各藩高並租税調帳』によると
久留里藩の正税は、11,126.42112石

『明治史要』「知藩事表」では
久留里藩の現高は、11,126.421石

大隈重信文書の『府藩県石高人口表』では
久留里藩の現石は、11,126石

『統計集誌』「府藩県所轄並石高」の場合、
久留里藩の現高は、11,126石です。

[79270]の数字は、正税における金銭収入や魚納の収入等を無視してますが、もしかしたら少なくとも「永高」分は上の換算式(1貫=1/8石)で変換するべきかも知れません。
[79270] 2011年 8月 28日(日)22:41:08YT さん
府藩県三治時代における藩預所と伊勢神宮領?の謎
以前府藩県三治制時代の表高、内高、収納高の数値を[76745][76746][76747]で比較検討しましたが、藩の石高については大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)、『明治史要』「知藩事表」の三種類の資料の比較を行ったものの、府県については十分な比較検討が出来ませんでした。

最近、大隈重信文書を検索したところ、明治3年より前の藩の石高を掲載した『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)と明治2の府県の石高を掲載した『明治二己巳年 租税取調帳』(資料E)を見つけました。藩に関しては、『藩制一覧』との結果と合わせて比較するとして、まず『明治二己巳年 租税取調帳』による石高と『府藩県石高人口表』、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」による内高、収納高の比較を掲載します。

(B)は大隈重信文書『府藩県石高人口表』、(C)は『統計集誌』「府藩県所轄並石高」、そして(E)は『明治二己巳年 租税取調帳』によります。

『明治二己巳年 租税取調帳』には各府県毎に正租と雑税が掲載されていますが、この内雑税は計算から除きます。また石高に換算できるもの(米、大豆、籾、麦、塩、荏、稈)の石高のみを合算し、貫文で表現される金・銀・銭・調銭や漁は合算しません。正租(合計)、都合(米を除く他の合計:大豆・籾・麦・塩・荏・稈)、外(米・大豆・麦・小麦の合計)は私が資料(E)から計算したものです。収石米(E)と高(E)については合計と記載値にズレが生じましたが、他の数値(都合の大豆・籾・麦・塩・荏・稈、外の米・大豆・麦・小麦)については内訳と合計が完全に一致しており、その合計値も記載値として扱います。

資料では石の下の単位は、斗、升、合、勺、才、毛(弗ではない)となっており、下6桁まで数字がありますが、6桁目がない項目では5桁表示にしています。

使府県呼高(B)草高(C)高(E)現石(C)現高(C)正租(合計)都合米(E)都合(他計)外(合計)
京都府91,275194,53791,275.81154031,05631,05631,055.69720030,751.314100304.38310
東京府23,80527,72923,805.6218104,2984,2983,916.1163303,910.4083305.70800
大坂府111,658101,248111,658.45131038,66558,51638,665.15900038,619.99300045.16600
度会県26,73626,73626,736.1126006,1416,1416,140.9490306,134.9690305.98000
長崎県59,71359,71359,713.14300022,09122,09121,902.98340021,772.388500130.59490
新潟県233,317233,317231,148.73014079,60079,60079,376.22929079,153.382190222.84710
奈良県223,324223,324223,324.19751057,80457,80457,804.97006057,738.44696066.52310
甲府県259,626259,626259,626.56304078,82078,82078,078.76648077,885.947600192.81888
神奈川県285,180285,180285,180.59305059,98359,98357,315.73585057,041.500700274.23515
大津県175,674175,674175,674.16023052,30952,30952,309.86183052,225.21574084.64609
笠松県178,108178,108178,108.35037036,12236,12236,104.56220035,924.728000179.83420
高山県56,81556,81556,815.88800024,28824,28824,288.84200024,274.47500014.36700
久美浜県117,619117,619118,759.62687028,38918,38928,744.01178026,927.1009801,717.1420099.76880
堺県191,230191,230191,230.46332060,73860,73860,738.74000060,597.881000140.85900
日田県138,008138,008139,666.17712038,59038,59039,089.53140039,069.86990019.66150
倉敷県109,85296,00196,001.23079030,61023,51324,335.47930023,120.3768001,199.3370015.76550
伊那県218,516218,516218,516.08234043,98343,98344,384.35927044,252.722320131.63695
佐渡県132,574132,574132,574.72900044,88844,88844,888.10400044,798.51400089.59000
韮山県150,053150,053150,053.91259024,09224,09222,745.53864022,686.14714059.39150
品川県126,645126,645126,645.12946013,66513,66511,868.35328011,843.20078025.15250
浦和県271,084271,084271,084.47153028,95528,95525,717.11224025,517.303740199.80850
宮谷県336,441336,441336,441.51266062,02662,02660,924.79600060,580.374000344.42200
岩鼻県361,082361,082361,082.35613034,49034,49029,336.73542029,263.65242073.08300
若森県269,893269,893269,893.25663038,11838,11836,102.90572035,828.530720274.37500
小菅県136,945136,945136,945.85660041,00241,00139,992.01819039,915.28750076.73069
葛飾県248,298248,298248,298.60329033,55133,55131,678.70467031,396.2701500.91190281.52262
日光県327,695327,695327,695.27951042,66841,66839,946.29725039,876.15425070.14300
福島県197,195197,195197,195.29584026,82126,82126,451.54502026,429.76572021.77930
浜田県117,820117,820117,819.16400053,79153,79154,188.63840054,188.638400
若松県375,111375,111375,111.61100054,80854,80852,373.29670052,373.296700
酒田県429,308429,308247,060.39287068,721.04811068,721.048110
石巻県111,660.14000014,011.85000010,973.7300002,977.0500061.07000
兵庫県109,600191,600109,600.68402039,43639,43639,436.86700039,358.48400078.38300
江刺県120,049120,049120,049.58800012,74412,74410,022.7751708,783.5801701,239.19500
角田県124,111124,111124,111.6400009,9959,9959,826.6549007,355.0212002,471.63370
登米県316,208316,208204,548.00000039,76739,76825,699.72000021,225.3500004,474.37000
胆沢県189,729189,729189,729.01000015,35015,35015,012.6260008,309.7000006,702.92600
白河県230,587230,587230,587.85511021,83921,83920,877.22375020,819.01360037.5066520.70350
柏崎県336,357336,357336,357.49224897,42097,42097,419.55709497,198.592894220.96420
生野県57,51757,51757,517.48640014,14714,14714,147.65690014,103.39290044.26400
五條県109,24319,243
中野県154,472154,472
本保県119,850119,850
箱館開拓使
小計(計算値)7,848,3237,923,2487,269,304.6699281,443,0601,444,8141,475,642.0188741,450,945.76854420,820.072253,876.17808
小計(掲載値or下小計合計)7,796,0927,923,2487,269,304.6099281,511,2851,444,8141,450,845.76854420,820.072253,876.17808
福井藩預109,545.76803014,690.73710014,666.60490024.13220
岡山藩預6,314.2710001,463.9470001,463.947000
彦根藩預34,278.9200009,579.1650009,562.97800016.18700
大垣藩預69,874.73682010,092.04740010,072.24050019.80690
龍野藩預19,044.2740006,166.5290006,161.9630004.56600
松代藩預20,645.6548002,530.1054002,528.6834001.42200
岸和田藩預10,046.7819402,577.0420002,574.9020002.14000
高槻藩預32,301.4225508,306.8063008,301.5753005.23100
津山藩預16,681.6220002,442.5370002,442.1050000.43200
高知藩預19,682.8628005,849.4334005,849.433400
大洲藩預1,354.985000519.831100519.831100
金沢藩預14,368.9374500.000000
人吉藩預590.188300118.037660118.037660
佐伯藩預2,143.724000683.610550682.6109500.99960
名古屋藩預1,356.93200072.62400072.624000
伊勢神宮領?23,334.6040009,167.9680008,989.428000178.54000
小計(計算値)381,565.68469074,260.42091074,006.964210178.5400074.91670
小計(掲載値)381,565.68469074,006.964210178.5400074.91670
合計(計算値)7,650,870.3546181,549,902.4397841,524,952.73275420,998.612253,951.09478
掲載小計の合計7,650,870.2946181,524,852.73275420,998.612253,951.09478
合計(掲載値)7,650,870.4546181,461,241.05127420,998.61225

何度見直しても府県の小計における、都合米収納高の数字のズレ(100石)と内高のズレ(6升)の原因が見つかりません。後者に至っては、そもそも全体の合計が一致しておらず(自分の計算値とは1斗、府県小計と藩預小計とは1斗6升)、都合米収納高の府県小計と藩預小計の合計は原書では完全に計算間違いと思われる値が記載されています。多分いずれも原書の計算間違いと思われます。

さて、ここで問題になるのが、何故藩の石高の一部が府県と一緒の表に掲載されているかです(原資料では、「~藩預」ではなく、「~藩」と書いてあります。)。大藩でありながら、1万石程度の名前がずらっと並ぶのが最初訳が分かりませんでしたが、大隈重信文書の別の資料『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』では、これらの藩領が「~藩預」と表記されており、つまりこれらが藩の預所であることが判明しました。

これらの藩の預所は藩の石高や人口に含まれるのでしょうか?『藩制一覧』では、彦根藩([79223][79224])と松代藩([79220][79221])の預所が別項目となっていましたが、石高を見る限り、このデータは藩の人口・石高に含まれません。

どうも明治2年~明治4年の間に、これら10ヶ所近くの預所は、他の府県(例えば中野県)に吸収されながら消滅したっぽいのですが、その辺の経緯を詳しく書いた本でもあればいいのですが、よくわからない状況です。

あと、原資料最後の項目(名古屋藩の次)が、自分には何と書いてあるのか分かりません。
伊勢国度会?支配????? 右??

と書いてあり、多分「右国所」、つまり伊勢の国直轄領で、伊勢神宮領のことだとは思うのですが、誰か分かる方教えて下さい。
[78349] 2011年 5月 17日(火)23:38:10【1】中島悟 さん
佐賀県を代表する顔とは?
佐賀には「七賢人」というのがあります。曰く、
鍋島直正・佐野常民・島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・大隈重信

まあ、島はどちらかというと北海道でしょうけどね。
個人的には、名君鍋島・赤十字の佐野・早稲田の大隈を推してみます。


PS:確認のため検索を行ったところ、佐賀観光協会のほうで12賢人に増えてました。
   ああ、治水の神様成富兵庫茂安を忘れてた・・・
[76922] 2010年 11月 28日(日)20:23:28【1】YT さん
天保5年(1834年)の旧国別領民人口と石高の比較
ところで天保郷帳の作られた天保5年(1834年)当時の領民人口調査(原則として士分・又者人口を除く)が、国立国会図書館所蔵の写本『天保五年甲午諸國人数帳』に記録されています。『天保五年甲午諸國人数』には石高も記録されていますが、『天保郷帳』の石高との比較を表にまとめてみました。旧国名に続く4列(石高、領民人口、男、女)は『天保五年甲午諸國人数帳』記載のもの、続く村数と石高は『天保郷帳』解読篇で再集計されたもの、最後の2列の村数と石高は『天保郷帳』原本記載のものです。

旧国人数帳 石高領民人口村数郷帳解読篇 石高村数郷帳原本 石高
総数25,696,86927,063,90714,053,45513,010,45264,06430,557,956.29158464,05330,558,917.841139
総数(写本原本)25,786,89514,053,45013,010,457
畿内1,555,5222,077,2691,065,9221,011,3473,6511,615,527.1999253,6511,615,527.199925
畿内(写本原本)1,559,122
 山城224,297488,726251,522237,204477230,131.760865477230,131.760865
 大和500,497360,071184,694175,3771,354501,361.6915601,354501,361.691560
 河内276,329224,822113,402111,420545293,786.634500545293,786.634500
 和泉161,692207,211104,938102,273320172,847.986000320172,847.986000
 摂津392,707796,439411,366385,073955417,399.127000955417,399.127000
東海道5,893,1106,169,3633,178,5832,990,78015,3556,652,142.55079015,3556,652,134.556760
東海道(写本原本)5,933,109
 伊賀100,54089,24345,37043,873182110,096.536000182110,096.536000
 伊勢621,027499,958251,392248,5661,325716,451.4927001,325716,451.492700
 志摩20,06141,88820,54221,3465621,470.3980005621,470.398000
 尾張521,480643,977326,305317,6721,008545,874.7930001,008545,875.793000
 三河383,413440,264219,314220,9501,292466,080.7468001,292466,080.746800
 遠江328,651360,818183,150177,6681,094369,552.5751801,094369,552.575180
 駿河237,937253,848131,403122,445780250,538.753090780250,538.753090
 甲斐253,023318,474160,667157,807769312,159.329490769312,159.329490
 伊豆83,791144,59574,21370,38228484,171.29362028484,171.293620
  伊豆國附諸嶋320.000000320.000000
 相模258,216294,009153,766140,243671286,719.756890671286,719.756890
 武蔵1,167,8631,714,054907,101806,9533,0421,281,431.0700803,0421,281,431.068820
 安房93,886144,58173,32071,26128095,736.23907028095,736.239070
 上総351,113364,240185,501178,7391,194425,088.4534101,194425,080.453410
 下総568,331402,093207,830194,2631,623681,063.1727101,623681,062.631660
 常陸903,778457,321238,709218,6121,7231,005,707.9407501,7231,005,707.489030
東山道6,453,9055,446,5832,846,2232,600,36014,6857,953,291.81172314,6917,954,049.255308
東山道(写本原本)6,473,9052,846,2182,600,365
 近江826,829511,948278,984232,9641,516853,095.6221201,516853,095.305590
 美濃645,101607,269312,793294,4761,602699,763.3216601,602699,764.321660
 飛騨44,46993,76548,76045,00541456,602.30900041456,602.309000
 信濃615,818808,073413,009395,0641,607767,037.5771401,615767,788.077600
 上野591,804451,830236,087215,7431,217637,331.6391001,217637,331.633100
 下野681,702342,260179,155163,1051,365769,904.9715731,365769,905.027038
 陸奥1,921,9341,690,509886,029804,4804,5192,874,139.0598104,5192,874,239.059880
 出羽1,126,248940,929491,406449,5232,4451,295,417.3113202,4431,295,323.521440
北陸道3,008,1892,640,8441,342,2301,298,6148,9103,622,276.9696508,9103,622,488.969650
 若狭88,28184,36642,49441,87225591,018.82220025591,018.822200
 越前684,271397,823203,879193,9441,533689,303.8198701,533689,304.819870
 加賀438,281230,461118,070112,391768483,665.848700768483,665.848700
 能登239,208197,70498,81698,888666275,369.990210666275,369.990210
 越中611,000402,411206,085196,3261,376807,908.4618201,376808,008.461820
 越後816,7751,224,947620,607604,3404,0511,142,454.5358504,0511,142,555.535850
 佐渡130,373103,13252,27950,853261132,555.491000261132,565.491000
山陰道1,332,2361,569,651818,364751,2874,2141,499,296.4367604,2141,499,296.436760
 丹波293,445292,808151,230141,578880324,136.268670880324,136.268670
 丹後145,821159,21180,86878,343388147,614.804460388147,614.804460
 但馬130,673184,32395,88188,442623144,313.084030623144,313.084030
 因幡170,728136,20471,34864,856553177,844.624000553177,844.624000
 伯耆194,416191,175100,51890,657754217,990.822280754217,990.822280
 出雲282,489315,270165,593149,677504302,627.465000504302,627.465000
 出雲(写本原本)160,593
 石見102,499264,948140,086124,862451172,209.768320451172,209.768320
 隠岐12,16525,71212,84012,8726112,559.6000006112,559.600000
山陽道2,376,1153,065,3521,610,2581,455,0944,8133,211,546.8107104,8133,211,546.810710
 播磨568,517600,731314,174286,5571,796651,964.8135001,796651,964.813500
 美作259,353164,01888,58675,432628262,099.098000628262,099.098000
 備前289,224318,647171,184147,463673416,581.854000673416,581.854000
 備中324,455347,415184,735162,680484363,915.614210484363,915.614210
 備後295,678360,656186,924173,732494312,054.932000494312,054.932000
 安芸269,478578,516301,475277,041436310,648.489000436310,648.489000
 周防202,787436,198226,672209,526152489,428.677000152489,428.677000
 長門166,623259,171136,508122,663150404,853.333000150404,853.333000
南海道1,546,0022,577,2511,348,7941,228,4574,4511,889,261.9064504,4511,889,261.906450
南海道(写本原本)1,545,6992,577,2491,348,792
 紀伊397,668520,902269,129251,7731,337440,858.3777101,337440,858.377710
 淡路70,428123,50064,03659,46425197,164.78400025197,164.784000
 阿波193,862459,244235,998223,246455268,894.329000455268,894.329000
 讃岐186,394432,648227,256205,392377291,320.256400377291,320.256400
 伊予429,163585,651306,754278,897955460,997.639340955460,997.639340
 土佐268,487455,306245,621209,6851,076330,026.5200001,076330,026.520000
西海道3,531,7903,449,7321,808,1711,641,5617,4383,990,900.7920967,4383,990,900.892096
西海道(写本原本)3,531,8303,449,7341,808,173
 筑前606,941335,803175,868159,935901651,782.278440901651,782.278440
 筑後331,497307,206175,574131,632710375,588.897800710375,588.897800
 豊前273,801247,176130,454116,722677368,913.640500677368,913.640500
 豊後369,546475,985246,856229,1291,473417,514.2271501,473417,514.227150
 肥前572,284699,154361,249337,9051,400706,470.7231961,400706,470.723196
 肥後563,857743,544379,617363,9271,116611,920.2911001,116611,920.291100
 日向309,954245,476130,812114,664483340,128.761790483340,128.861790
 大隈170,833103,09655,38347,713230170,833.451000230170,833.451000
 薩摩315,005248,364129,264119,100258315,005.600120258315,005.600120
 壱岐18,07227,21514,46812,7475032,742.9210005032,742.921000
 対馬016,7138,6268,0871400.0000001400.000000
松前蝦夷067,86234,91032,9525470.0000005300.000000
琉球71123,711.81348071123,711.813480


以上のように、『天保五年甲午諸國人数帳』と『天保郷帳』とでは石高の値が全然違います。おそらく『天保郷帳』の石高が内高(実高)なのに対し、『天保五年甲午諸國人数帳』の石高は表高によるものも混ざっているからでしょう。なお『天保五年甲午諸國人数帳』の方は写本でして、合計が一致しなかったりするのは仕方ありません。

『天保五年甲午諸國人数帳』では琉球の人口は除外されています。が、『薩摩政要録』という薩摩藩の藩政史料に文政9年(1826年)の薩摩藩の人口調査が残っており、文政9年の琉球の戸籍上の総人口は本琉球(14万0565人)と道之島(7万7667人)を合わせて21万8232人です。内、士分の者や被差別民・服役者を除いた領民人口は15万2232人です。
[76321] 2010年 10月 11日(月)17:48:54YT さん
桁間違い、模写間違い、計算間違い
[76320] 中島悟さん

山藩の草高が封高のわずか1/7というのは一体どういう事情なんでしょう?
また、椎谷藩と麻生藩ですが、草高が封高の10倍というのもちょっと考えられないのですが?

結論から言うと、『統計集誌』に採用されている数字が間違っているからと思われます。[76316]でも書いたように、

飛地、元諸藩封高、草高、現高などは資料によって異なる数字が出てくるのですが、ここではあくまでも『統計集誌』記載の数字を用います。各府藩県の数字を合計すると、記載の総数と一致します。

であり、人口と同一資料からの数字ということでまとめました。実際、以下の資料を使って草高を比較してみると:

A. 『藩制一覧』
B. 『府藩県石高人口表』
C. 『統計集誌』「府藩県所轄並石高
D. 『明治史要』「知藩事表」

津山藩
 10万4576石9斗1升3合 (『藩制一覧』)
 10万4576石 (『府藩県石高人口表』)
 1万4576石 (『統計集誌』「府藩県所轄並石高」)
 10万石 (『明治史要』「知藩事表」)

椎谷藩
 1万0746石1斗1升7合7勺6才 (『藩制一覧』)
 1万0746石 (『府藩県石高人口表』)
 10万7146石 (『統計集誌』「府藩県所轄並石高」)
 1万石 (『明治史要』「知藩事表」)

麻生藩
 1万4582石2斗5升8合5勺 (『藩制一覧』)
 1万1769石 (『府藩県石高人口表』)
 11万7169石 (『統計集誌』「府藩県所轄並石高」)
 1万石 (『明治史要』「知藩事表」)

どれが正しいかはともかくとして、この三藩に関しては『統計集誌』「府藩県所轄並石高」が桁間違いをやらかしてしまったことは明らかです。正しい数字は、大隈重信関係文書の『府藩県石高人口表』と比較すると得られそうです・・・と思ったのですが、『府藩県石高人口表』も色々誤記があるので、正しい実高を得る作業については放り投げた経緯があります。

ただ、この手の桁間違いが起こる点に関しては、当時の漢数字の書き方に問題があります。ちゃんと十万七百四十六石だとか、拾万七百四拾六石、拾万○七百四拾六石、一○○七四六石と書いてあれば良いのですが、中には一万○七四六石、一万七四六石と書くケースが見られます。こうなってくると1万なのか10万なのか、前後から判断するしかありません。また「十」と「一」というのも間違いを誘発する原因となります。

今回のケースの場合、多分手書きによる模写を繰り返してくる過程で、10万と1万の混同を誘発する書き方が間に挟まり、結果間違った数字になってしまったと思われます。

また別の問題として、「意外と計算間違いが多い」という問題もあります。よく「昔の人は算盤・計算が得意」なんて言説がありますが、江戸時代の史料を読むと、案外計算間違いが多くてびっくりします。こういう計算間違いは、模写の際に生じた可能性もありますが、自分の中では「昔の人も言うほど計算は得意じゃなかった」という結論になっています。
[76315] 2010年 10月 10日(日)19:57:43【2】YT さん
府藩県三治制時代の人口統計(3) 山陰道・山陽道・南海道・西海道・北海道
使府藩県人口(B)人口(C)人口(D)順A順B順C順D管轄国郡(C)・備考
篠山藩58,50758,73558,5072215420999丹波5摂津1但馬1
亀岡藩49,22851,81449,5727871210109丹波3備中1
福知山藩29,30431,13631,037193122211164丹波1近江1
園部藩36,89535,82836,895127117212158丹波3
柏原藩18,47518,55118,47588155213197丹波3
綾部藩18,51118,42618,516212180214212丹波3
山家藩11,66111,67011,661172227215264丹波1
宮津藩73,67471,13671,83124160216112丹後4近江4
舞鶴藩48,97848,89349,11718194217144丹後1
峰山藩10,05510,77610,055245190218229丹後1近江1常陸1下総1
久美浜県166,586166,593166,58629321939丹波4丹後5但馬6
出石藩35,31635,21335,3166126220163但馬4
豊岡藩19,51819,03619,03645189221238但馬2
村岡藩15,47615,69015,482146239222278但馬1
生野県94,38794,38794,38730022340但馬1丹波1播磨6美作2
鳥取藩373,065371,669378,734381822460因幡8伯耆6播磨3
松江藩291,694295,829296,7501752022561出雲10
広瀬藩26,37026,36426,370271128226161出雲2
母里藩8,2158,2258,205276216227239出雲1下野2
津和野藩65,26369,26813169228石見4。明治4年6月25日、浜田県へ編入
浜田県228,863228,863298,12627822941石見6隠岐4
姫路藩222,661223,762222,6612672623069播磨5
明石藩76,00476,17476,0042064723192播磨2美作1
龍野藩50,87951,05150,87910872232110播磨3美作1
赤穂藩34,64335,55834,643211147233184播磨2
三日月藩19,45519,64019,455244170234200播磨3
林田藩11,79511,79525184235223播磨1。Cは人口不記載
三草藩9,3719,3539,371249214236253播磨4
小野藩8,1468,1678,14666205237243播磨1
安志藩9,8129,3869,812217209238248播磨3
山崎藩10,24710,41010,247168194239218播磨1
福本藩195明治3年11月23日、鳥取藩へ編入
津山藩106,437106,464106,3371304824093美作11讃岐小豆島
鶴田藩32,56733,61332,573112132241138美作5
真島藩26,79625,97627,159184133242178美作2
岡山藩358,337350,909358,327501724358備前8備中5
生坂藩9,09710,1269,09714268244247備前3
足守藩17,45217,51017,453210148245185備中2
鴨方藩27,69327,79627,48187154246196備中3
庭瀬藩21,50221,88621,50229145247187備中3
高梁藩26,24526,33226,245115164248199備中4
新見藩17,27817,17917,27830185249222備中4
成羽藩17,83517,39717,930141234250274備中1
岡田藩17,46517,48017,47265163251204備中1美濃1摂津1河内1
浅尾藩7,2467,1857,177218235252270備中3河内1摂津1
倉敷県237,506214,597237,68029125342備中10備後2美作3讃岐13島
福山藩180,534185,863187,3001913725476備後6
広島藩514,157914,174914,157264925551安芸8備後8
山口藩552,671565,368608,4751651025653周防6長門5
岩国藩87,95190,39387,635264257105周防2
徳山藩54,47955,8534393258周防2。明治4年6月19日、山口藩へ編入
豊浦藩75,21876,88775,218415225994長門2
清末藩10,94611,05211,062234177260215長門1
和歌山藩528,408540,969528,40873826150紀伊7伊勢7大和2
新宮藩54,47461,67754,474256105262149紀伊4
田辺藩55,07663,10555,076109110263153紀伊4
徳島藩714,022123,046714,022371526456阿波全国淡路全国
高松藩293,775305,197299,2231002926566讃岐8
丸亀県135,096134,285135,1021805926643讃岐4播磨1近江2。明治4年4月10日、丸亀県を設置。
A、Bでは丸亀藩
多度津藩116明治4年2月5日、倉敷県へ編入
松山藩211,882211,882211,8821762426765伊予10
宇和島藩169,512169,526169,5121485026879伊予1
大洲藩104,24897,758104,2595695269104伊予5
今治藩74,99475,10274,994389270131伊予2
吉田藩53,91354,16053,91396123271160伊予1
西條藩58,39861,03658,388223107272141伊予3
新谷藩14,35114,35714,35132212273251伊予3
小松藩15,16515,15515,165203215274254伊予2
高知藩516,866516,545516,867761127557土佐全国
高知新田藩77明治3年9月25日、高知藩へ編入
福岡藩366,924367,478388,4091891427652筑前14
秋月藩33,08433,58733,084207101277136筑前3
久留米藩262,085241,495262,0851572227886筑後5
柳河藩120,180127,326119,7081662827970筑後5
三池藩9,0399,0929,039250248280271筑後1岩代1
豊津藩111,397117,843117,835392728168豊前5
中津藩100,40399,148100,4031364328283豊前3備後1筑前1
千束藩5,7925,8665,80447217283257豊前1
岡藩76,40477,58276,404545828480豊後3
臼杵藩27,92378,98678,24414955285100豊後3
杵築藩51,53552,24751,53523396286135豊後2
日出藩20,92520,93620,829272153287192豊後1
府内藩33,22433,32633,224192112288162豊後1
佐伯藩67,55067,68767,554224131289175豊後1
森藩14,21214,24914,244275200290227豊後3
日田県195,455195,456195,45528629144豊前3豊後7筑前1日向5
佐賀藩425,762425,7622191229254肥前9。Cは人口不記載
小城藩41,18333,43841,1835879293115肥前3
島原藩174,296175,055175,0442535129490肥前1豊後1豊前1
平戸藩149,143145,826149,1432683929578肥前2壱岐全国
唐津藩62,70563,22962,7067975296113肥前1
蓮池藩31,35931,46231,35921102297139肥前5
大村藩122,174120,553125,0395778298114肥前2
鹿島藩13,72313,77113,79286149299189肥前2
福江藩62,05645,75162,275194161300214肥前5五島1
長崎県265,946264,259267,65429730145肥前3肥後1筑後1
熊本藩719,990730,531719,990156530247肥後10豊後3
宇土藩153明治3年9月4日、熊本藩へ編入
人吉藩53,57754,15253,57726983303121肥後1
延岡藩122,277125,750122,27715468304106日向2豊後3
飫肥藩48,18148,83748,1815986305127日向2
佐土原藩26,42026,75726,420222106306301日向1
高鍋藩43,33443,34943,334106120307150日向1
鹿児島藩772,354896,817896,80875730849薩摩全国大隈全国日向1
厳原藩83,77183,79283,77116330981対馬2肥前3筑後1豊前2
箱館開拓使3101C、Dは人口不記載
合計31,778,59530,089,40131,866,389

なお、『統計集誌』(C)と『明治史要』(D)は、府藩県別の人口と合計が一致しますが、『府藩県石高人口表』(B)は合計が一致しません。『府藩県石高人口表』(B)の内訳は、
内訳人口(B)
3府合計1,476,338
266藩合計22,077,377
40県合計8,224,880
合計31,778,595
となっていますが、こちらも3府のみ合計が一致します。
[76311] 2010年 10月 10日(日)17:21:42hmt さん
国勢調査 (6)ローマの ケンスス・近代的センサスは 1790年の アメリカから
少なくとも紀元前第3ミレニアムには、古代オリエントや古代中国で ある種の「国勢調査」が行なわれ、約2000年前の日本[76300]や 古代ローマ[76308][76309]の戸口調査も話題になりました。

統計局・人口センサスの歴史 には、
これらは、徴税、徴兵、使役などの特定の目的のための情報収集として行われてきたため、すべての人口を調査する必要はなく、例えば、世帯主、納税者、徴兵年齢の男子など、目的を達成するために必要な特定の人だけの調査が行われました。その意味では、現代の国勢調査とは性格の異なるものです。
と記されていますが、人頭税目的ならば、すべての人口を調査すると思います。
もっとも、人頭税主体の税制下では、隠蔽のために、人口統計自体の信頼性が疑われるという問題があります[72127]
古代からの戸口調査と近代的センサスとの性格の違いは、支配者のための調査か、国民のための調査かという点にあると思われます。

[76309] Issie さん
ローマの戸口調査は「土地税と人頭税からなる統一的な財政組織」を設定するためのものだったようです。
戸口調査に当たって「本籍地」に戻らなければならないというのは,ローマによる征服以前から,…行われていたものだそうです。

参照された河出の本によると、次のように記されているので、土地税を主体とするものだったのでしょうか。
課税のためには、臣下の担税力を調べるために戸口調査(ケンスス)が行われる。
申告は、自分の土地財産のある、一般には父祖の故郷で行われる。

このケンススの実施を担当したローマの行政官が cencor(ケンソル)。
共和制ローマにおいてはコンスル(執政官)経験者が任命されるものであったそうです。で,その選出が5年ごと。

共和政ローマの[政務官 によると、「ケンソル」は 元老院議員のお目付け役のような、重要な政務官だったようです。
元々は、ローマ市民権保持者を確定して「count」する仕事でしょうが、いずれにせよ古代ローマ国家の中枢に関わる役目です。

5年に一度 臨時に任命される役職 ということでは、1920年の第1回国勢調査でも26万人、今回は80万人が任命された 統計調査員[76308]と同じですが、「ケンソル」の人数は2人。
徴税目的の戸口調査(ケンスス)【ローマ市民権と無関係】の実施を担当したものではないようです。
統計局・「国勢調査」の名前はいつできた? にも、 市民登録・税の徴収・人口調査を行った役人と書いてあるのですが、…

上記ページには、「国勢調査」という四字熟語が公式使われたのは明治29年で、“詮査斯”、“詮察斯”のように、英語のセンサスを漢字に当てはめたようなものもあったことを伝えています。
明治14年の大隈建議は、“現在の国勢を詳明し”と表現していました[76291]

古代の戸口調査はさておき、近代的センサスが最初に行われたのは、1790年のアメリカ合衆国でしょう。
これは、1787年に制定された合衆国憲法の規定に基づくものでした。
下院議員及び直接税は、合衆国に加入する各州の人口数に応じてこれを各州に配分するものとする。
人口数の算定は 合衆国議会の第1回の開会から3年以内に行い、以後10年ごとに法律の定めるところによりこれを行う。

ここでも税金が出てきますが、それは徴税の目的でなく、集めた直接税を配分する目的でした。
下院議員定数と共に、国勢調査の目的は、国民の利益であることが明らかにされました。

19世紀になると、1801年にイギリス、フランス、デンマーク、ポルトガルでも近代的人口センサスが行われ、以後も 各国が続きました。アジア最初が フィリピン(1877)なのは、米国の影響でしょうか。

日本も 1900年センサスを前に勧誘され、法律も大隈内閣時代の 1902年に制定されたが、戦争を含めた経済的事情のために、第1回は原敬内閣時代の 1920年、にずれ込みました。

ようやく実現した国勢調査。「文明国の仲間入り」を合言葉に国を挙げての一大行事になったようです。
第1回国勢調査ポスター には、次のように記されていたそうです。
国勢調査は社会の実況を知る為に行ふので課税でも犯罪を探す為でもありません
課税に「ぜいきん」とルビを振るなど、分かりやすい文章が評判になったとか。

記念切手は知っていましたが、記念鉄瓶は初見。時代を感じます。
[76307] 2010年 10月 9日(土)04:37:19【6】YT さん
辛未政表、壬申政表、日本政表、日本全国戸籍表、戸籍局年報、藩制一覧、明治史要
[76303] hmt さん

統計調査支援活動協議会 によると、辛未政表に続いて 壬申政表が刊行され、以後明治6年政表、明治7年政表、明治8年以降の分は 単に「日本政表」と題して 明治11年分まで毎年刊行された とあります。この中には 人口統計も含まれているものと 推察しますが、近代デジタルライブラリーの検索では、残念ながら ヒットしませんでした。

これらについては、明治5年より前の人口統計が載っていることを期待して、以前調べたことがあります。残念ながら『辛未政表』と『壬申政表』は、共に官員や諸費用程度の内容しか掲載されていません。また、『日本政表』の内容は、1号が明治6年と明治7年調の「日本全国人員」、2号が「刑事裁判ノ部」「陸海軍裁判ノ部」「警察ノ部」「家禄賞典禄之部」「府県賦金之部」で構成されており、どっちかというと刑罰だとか裁判だとか、治安維持に関する統計がメインの構成となっており、人口統計も『日本全国戸籍表』と『戸籍局年報』(共に『国勢調査以前日本人口人口集成』の巻1と別巻4に収録)以上の内容はありません。

明治5年から明治9年までの本籍人口について、『日本全国戸籍表』と『戸籍局年報』を参考に族籍、性別、戸主・家族・弟子別人口をまとめると以下の通りです。なお明治5年、明治6年、明治7年の本籍人口は、皇家3名(明治天皇、皇后、皇太后)が皇族に計上されていないので、実際の本籍人口もここに示す人口から3人を引いた値(それぞれ3311万0825人、3330万0672人、3362万5675人)となります。また明治19年以降は、本籍人口から皇族を除くのが普通となり、『日本帝国統計年鑑』でも皇族分を減らした人口が過去の本籍人口となっております。さらに『日本帝国静態人口統計』などでは、明治初期の本籍人口が色々修正されることとなりますが、ここではとりあえず無視します。

族籍内訳明治5年明治6年明治7年明治8年明治9年
皇族皇家(男)11111
皇家(女)22223
皇家合計33334
戸主(男)78889
戸主(女)44222
戸主合計1112101011
家族(男)756810
家族(女)1111131312
家族合計1816192122
1514151720
1717171717
合計3231323437
華族戸主(男)459485484477467
戸主(女)213
戸主合計459485486478470
家族(男)841902921927966
家族(女)1,3661,4421,4841,4911,529
家族合計2,2072,3442,4052,4182,495
1,3001,3871,4051,4041,433
1,3661,4421,4861,4921,532
合計2,6662,8292,8912,8962,965
士族戸主(男)258,939327,158403,828405,521403,661
戸主(女)131092,3813,6655,200
戸主合計258,952327,267406,209409,186408,861
家族(男)375,762440,613534,906542,640545,388
家族(女)647,453780,688942,150944,545940,535
家族合計1,023,2151,221,3011,477,0561,487,1851,485,923
634,701767,771938,734948,161949,049
647,466780,797944,531948,210945,735
合計1,282,1671,548,5681,883,2651,896,3711,894,784
戸主(男)166,87381,5191,651933
戸主(女)2372339
戸主合計166,87581,5561,674972
家族(男)167,53492,1352,1181,267
家族(女)324,665170,1903,4542,067
家族合計492,199262,3255,5723,334
334,407173,6543,7692,200
324,667170,2273,4772,106
合計659,074343,8817,2464,306
地士戸主(男)646644
戸主合計646644
家族(男)1,0691,098
家族(女)1,6011,638
家族合計2,6702,736
1,7151,742
1,6011,638
合計3,3163,380
戸主(男)75,92573,87569,25664,88119,490
戸主合計75,92573,87569,25664,881
家族(男)38,42538,51038,38935,93814,991
家族(女)60,16058,86257,04554,29223,720
家族合計98,58597,37295,43490,23038,711
弟子(男)37,32736,42233,74526,9188,229
弟子(女)9
弟子合計37,33636,42233,74526,9188,229
151,677148,807141,390127,73742,710
60,16958,86257,04554,29223,720
合計211,846207,669198,435182,02966,430
旧神官戸主(男)20,89515,4181,8406118
戸主(女)437218157
戸主合計20,93815,4901,85862615
家族(男)31,24623,3022,72978641
家族(女)50,29337,3274,3271,35360
家族合計81,53960,6297,0562,139101
52,14138,7204,5691,39749
50,33637,3994,3451,36867
合計102,47776,1198,9142,765116
戸主(女)6,0685,6324,2483,5091,067
戸主合計6,0685,6324,2483,5091,067
家族(男)31
家族(女)64
家族合計95
弟子(女)3,5533,6943,4232,672646
弟子合計3,5533,6943,4232,672646
31
9,6219,3267,6776,1851,713
合計9,6219,3267,6806,1861,713
平民戸主(男)6,326,5716,308,5856,373,2696,473,1336,562,703
戸主(女)170,752253,329270,936283,482291,418
戸主合計6,497,3236,561,9146,644,2056,756,6156,854,121
家族(男)9,292,4779,449,8949,586,1609,695,1639,863,821
家族(女)15,047,47115,094,70615,284,47615,448,71015,654,417
家族合計24,339,94824,544,60024,870,63625,143,87325,518,238
15,619,04815,758,47915,959,42916,168,29616,426,524
15,218,22315,348,03515,555,41215,732,19215,945,835
合計30,837,27131,106,51431,514,84131,900,48832,372,359
樺太人員1,1551,1551,2071,207
1,2031,2031,1671,167
合計2,3582,3582,3742,374
16,796,15916,891,72917,050,52117,250,42017,419,785
16,314,66916,408,94616,575,15716,747,02916,918,619
合計33,110,82833,300,67533,625,67833,997,44934,338,404
明治5年には族称が皇族、華族、士族、平民に統合されることが決定されたのですが、実際に卒、地士、旧神官、僧、尼などの族籍が廃止されるまでタイムラグがあったことが分かります。

以前も書きましたが([76164])、現在自分は府藩県三治制時代の人口統計を取りまとめようとして、トラブっているところです。自分の把握した範囲では、府藩県三治制時代の人口統計をまとめた資料は4つあるようです。

(1) 大隈重信関係文書より『府藩県石高人口表』(pdf) 統計院設置の大隈重信の遺品です。明治2年1月1日調とは書いてありますが、実際には明治2年~3年のものが混ざっており、『藩制一覧』の数字と共通点が多いです。なお合計しても数字が合いませんし、開拓使、一部の府藩県の人口が掲載されていません。使府藩県の実態としては、明治4年(1871年)5月頃のようです。

(2) 『藩制一覧』 「明治二、三年ニ渡リ、各藩ヨリ上申セシモノ」とあり、調査年月がばらばらです。人口の数字を見比べると、実は以下の『統計集誌』の数字から藩知事(華族)と死刑の人口を減じたものと一致する藩が、大体半数を占めます。また藩のみが対象で、使府県が掲載されていません。

(3) 『統計集誌』「府藩県所轄並石高」第5号9~22頁, 「人員表」第8号96~107頁

表をまとめたのは野村文夫ですが、人口表の説明によると、「左ノ表ハ第五号集誌ニ掲載セル日本府藩県所轄並石高ノ続ニシテ呉文聡君ノ寄送ニ係ルモノナリ 此等ノ事実今ヨリ観レハ統計上ノ調査ニ非ラザルモ当時ノ大勢ヲ知ラシメン為メニ之ヲ表章ス 而シテ年月ノ久シキ書中誤謬ノ廉アルモ計ル可ラス 若之ヲ発見セラレタル諸君ハ速ニ報道アラン┓ヲ乞フ」とあります。府藩県所轄並石高の方は、「原石高ハ元治元子年ヨリ明治元辰年マテ五ヵ年ノ平均ナリ 而シテ其他ハ多ク明治三年庚午年ノ調査ニヨルト雖 間ニハ明治二年巳年ノ調査ヲ以テ之ヲ補フモノアリ」という説明がありますが、人口表の方は調査年月が不明です。使府藩県の呼称は、(1)と同様に、明治4年(1871年)5月頃のようです。
族籍別人口は、
華族2,251
士族1,094,890
830,707
神職146,950
僧尼227,448
平民27,265,638
穢多443,093
非人77,358
死刑1,066
合計30,089,401
徳島藩の人口など不審な点がありますが、人口の合計が大体一致しています。なお朝日山藩、斗南藩、林田藩、佐賀藩、中野県、江刺県 (死刑1名のみ)、本保県、および箱館開拓使に関しては人口が欠落しています。

(4) 『明治史要』より「使府県戸口概表」 一応廃藩置県の明治4年7月14日調となっています。近代デジタルライブラリーで閲覧可能です。開拓使の人口が欠落していますが、他の府県すべての人口が掲載されています。

このうち取りまとめに苦労しているのが、『藩制一覧』の数字です。『藩制一覧』には、一橋藩、田安藩、高知新田藩、狭山藩、吉井藩、多度津藩、高須藩、長岡藩、宇土藩、谷地藩 (山形藩)、鞠山藩 (敦賀藩)、福本藩、喜連川藩、盛岡藩 (白石藩)などの項目もあります。

【追記】
『戸籍局年報』のうち、一部は大熊重信文書にありました。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/10383

虫食い状態ですが、明治5年調1月29日調の日本全国戸籍表も閲覧できます。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/27474

※内容の一部を修正
[76303] 2010年 10月 7日(木)20:55:37【1】hmt さん
国勢調査 (4)政表・日本全国戸籍表・日本帝国人口統計
明治35年に制定された 国勢調査に関する法律[76281]から始めたこのシリーズ。
2007年の統計法[76291]から 崇神天皇[76300]【記紀によればBC1世紀だが、実際は3世紀頃?】へと、時代がめまぐるしく動いていますが、また明治に戻ります。

[76291]で、太政官政表課設置に触れました。
「政表」とは、政策用統計表というような意味でしょうが、私が「政表」という言葉を初めて知ったのは、この落書き帳でした。
検索してみると、[58062] oki さんの記事が最初で、以後[62925][62939]など、すべて「共武政表」についてのものでした。

ところが、この共武政表は 陸軍参謀局が編集した 明治8年のものが第1回で、明治15年までに 合計4回編纂された後、「徴発物件一覧表」と改称されたとあります[63434] okiさん。太政官政表課とは別の部門で作られた「政表」なのですね。

そこで改めて調べてみると、統計センターの年表 に、「辛未政表」 刊行が出ていました。
辛未とは 編纂された明治4年の干支で、発行は 明治壬申(5年)4月となっています。
近代デジタルライブラリーにも 収録されていましたが、政府最初のこの統計書には、官員や諸費用しか掲載されていません。
人口統計は 資料がなかったのでしょう。
官省開拓使東京府職員合表として集計された 官員の総数 を見ると 5904人で、士族がその中の 4462人を占めています。

統計調査支援活動協議会 によると、辛未政表に続いて 壬申政表が刊行され、以後明治6年政表、明治7年政表、明治8年以降の分は 単に「日本政表」と題して 明治11年分まで毎年刊行された とあります。この中には 人口統計も含まれているものと 推察しますが、近代デジタルライブラリーの検索では、残念ながら ヒットしませんでした。

上記ページには、明治12年末現在で行なわれた 試験的実地調査・「甲斐国現在人別調」[76291]も 紹介されていました。

太政官統計院は、「日本政表」や「甲斐国現在人別調」の後、明治15年に 第1回「統計年鑑」 を編集、刊行しました。
統計年鑑は、明治19年から 「日本帝国統計年鑑」、昭和12年から 「大日本帝国統計年鑑」と改称されて 昭和15年の第59回まで 毎年刊行。戦争で中断した後、昭和24年に「日本統計年鑑」の名で復刊しました[67072]。2010年版は 第59回 です。

明治政府による人口統計の最初は、内務省戸籍寮が 明治5年1月現在でまとめ、明治7年に刊行した 日本全国戸籍表 であると思われます。
近代デジタルライブラリーの 書誌情報によると、明治7年と8年との 2冊があるようですが、画像は後者と思われます。
3府・60県・開拓使・琉球藩 という管轄分人口表と並んで、国分(84国+樺太+琉球)人口表も出ています。

残念ながら大きな表の下の方が切れているのですが、明治8年1月1日調の総人口は、皇族34 + 華族 2896 + 士族 189万6371 + 卒 3334 + 僧 18万2029 + 旧神官 2765 + 尼 6186 + 平民 3190万0488 + 樺太 2374 で、合計 3399万7449人であったことがわかります。
府県別では、新潟県の 138万8333、名東県 134万9672、愛知県 123万4005、千葉県 105万5373が 100万人超でした。

明治中期までの人口統計は、軍部が非常時に動員できる「人的資源」を把握しておく目的で始めた 共武政表→徴発物件表 の流れ もありましたが、概ねは 戸籍事務に伴なう仕事 とされてきました。

これが大きく変ったのは、明治31年(1898)でした。
新たな 戸籍法 の実施に伴ない、戸籍事務は司法省の所管に移り、人口統計事務は、内閣の直属として統計局が扱うことになったのです[63726]
この時の首相は、明治8年 第1回統計表[67042]や、明治14年 統計院設置の建議[76291]でお馴染みの 大隈重信であり、大隈内閣総理大臣は、自ら筆を執って 明治三十一年日本帝国人口統計の緒言 を記しています。
この大物政治家の意気込みがあってこそ、明治35年に 国勢調査に関する法律[76281] が成立し、1920年の第1回国勢調査も実現したのでしょう。

明治31年は 「静態統計」だけでしたが、翌年には 「動態統計」の編纂も始まりました。
「動態」というのは、人口変動の要因となる 出生・死亡・結婚・移動に関する統計で、現在は 厚生労働省大臣官房統計情報部が所管しています。平成21年人口動態統計(確定数)の概況
[76291] 2010年 10月 2日(土)19:29:16【1】hmt さん
国勢調査 (2)“有史以前”の統計行政 から 新しい統計法(2007)まで
「国勢」という言葉は、いつから使われたものでしょうか。
統計Today No.14 に、大隈重信が 明治14年(1881)に建議した 「統計院設置の件」という文書がありました。
現在の国勢を詳明せざれば 政府則ち施政の便を失ふ 過去施政の結果を鑑照せざれば 政府其政策の利弊を知るに由なし 故に 現在の国勢を詳明し 過去施政の結果を鑑照するは 是れ政府に在て 欠くべからざるの務なり

「国勢」とは、「国の情勢」という意味で、私たちが国勢調査票に書き込む「人と世帯の実態」だけでなく、産業・経済・社会制度・軍事などより広い分野に係るデータを対象とするものと思われます。

この建議により太政官に設置された「統計院」(内閣制度発足の明治18年以降は内閣統計局)により、明治15年(1882)を第1回とする「統計年鑑」がまとめられたことは、既に国土面積統計の変遷に関する記事[66993]で記しました。

大隈重信といえば、明治8年統計寮から発表された「第1回統計表」[67042]の時にも登場しました。
この「統計寮」は、明治4年太政官制度の下で発足した大蔵省統計司が改称したもので、租税・戸籍等に関する統計を所轄する機関でした。
もっとも、統計寮とは別に、太政官正院には「政表課」が設置されており、政策決定用のデータを整える 統計院>内閣統計局は、こちらが発展した組織でしょう。

人口調査についていうと、明治12年末現在で実施された「甲斐国現在人別調」が、統計院によって明治15年にまとめられています。画像
これは、明治時代の人口統計に使われた戸籍依存のものでなく、調査員による実地調査で、まさに後に行われる国勢調査のテストでした。

調査項目は、居住地及び住居の持借の別、姓名(家主は族籍も記入)、家主と家族の続柄、男女の別、身上(配偶関係)、年齢、生国、宗旨、職業など。
今年の調査票にないのが、族籍(士族・平民など)と生国、宗旨【江戸時代の人別帳を思い出します】。持家借家の別は、今年の調査票にもありましたね。
戸籍では「戸主」ですが、この調査では「家主」と呼んでいるようです。現在は「世帯主」。

調査に人手がかかるだけでなく、統計院での集計にも1年半かかったそうで、当時の予算事情や統計スタッフの不足から、山梨県でのテストを全国の実地調査に拡大するには至りませんでした。

しかし、明治28年(1895)に、万国統計協会から1900年の世界人口センサスへの参加勧誘があり、これが国勢調査実施を促進することになり、貴族院・衆議院で国勢調査に関する建議が可決されました。
[76281]で触れた明治35年法律第49号は、議員立法で成立したものだそうです。

1905年が日露戦争で実施できず、1910年の事情はよくわからないが、1915年も第一次世界大戦で実施できず。
このようにして、わが国の国勢調査は、1920年が第1回ということになりました。

国勢調査の目的は、大隈重信の建議に示されているように、政策決定の基礎となる資料の収集です。
戦前の「国勢調査に関する法律」[76281]は極めて短く、国勢調査の目的は記されていません。
戦後の国勢調査は、昭和22年の旧統計法 に基づいて行なわれてきましたが、この法律の目的にも、大隈が書いた政策の文字はありませんでした。

2007年に 統計法が全面的に改正され[68817]、ようやく下記の文言が法律の目的に書き込まれました。
公的統計が国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報であること

2010年の調査は、人口減少社会になって最初の国勢調査になるだけでなく、この新法に基く、最初の国勢調査でもあるわけです。
[76135] 2010年 9月 3日(金)14:24:38hmt さん
3府72県へ (1)廃藩置県を踏切板とした 中央集権体制への飛躍
明治4年(1871)7月。
大久保利通が目指した組織改革は実現せず、三藩提携による中央集権化が機能しない政治空白状態に陥っていました。
これを打開すべく、薩長の謀議により、「廃藩置県」が断行されました(7月14日)。
公家出身の政府トップ(三条実美・岩倉具視)でさえも、直前の 12日になって知らされたくらいで、突然 知藩事の職を失った(元)殿様たちにとっては、まさに寝耳に水の出来事でした[76083]

廃藩置県断行は 膠着状態を打開し、意見が対立したままになっていた制度取調会議も再開されました。
そして、中央官制改革の基本が決まり、明治4年7月29日に、いわゆる 太政官三院制 が発足したのでした。法令全書第385号

太政官三院とは、本官である太政官を構成する 正院・左院・右院ですが、中でも正院は 天皇を輔翼する三職(太政大臣・左右大臣・参議)で構成される 最高機関であり、これを頂点とする 明治中央集権国家が誕生 したわけです。この官制は、8月に修正が加えらたものです。 法令全書第400号

正院の具体的なメンバーを見ると、太政大臣三條実美・(左大臣欠員)・右大臣岩倉具視。参議が西郷隆盛(薩摩)・木戸孝允(長州)・板垣退助(土佐)・大隈重信(肥前)の4人で構成されています。まさに薩長土肥ですが、板垣は西郷が、大隈は木戸が それぞれ 信任する仲間として 引き入れた参議ですから、やはりこの政権の中核は 廃藩置県謀議に加わった薩長だったわけです。

左院【188-189コマ】は立法機関ですが、国権の最高機関である現在の国会(日本国憲法第41条)とは異なり、正院に従属する存在でした。正副議長は後藤象二郎(土佐)と江藤新平(肥前)。

右院は各省長官で構成される各省の統括機関です。
「省」は、既に 版籍奉還後の明治2年7月8日に制定された 職員令(しきいんりょう)で、太政官に 六省(民部、大蔵、兵部、刑部、宮内、外務)が発足していました 法令全書第622 。もっとも 明治2年のこの制度は、祭政一致の古代に復帰する幻想を描いたもので 神祇官が太政官の上位にあるというものでした。明治4年の三院制の下では、神祇省・大蔵省・工部省・兵部省・司法省・宮内省・外務省・文部省の八省に改められています。八省の名は第387号達【189コマ】の宛先に見ることができます。

八省の中で注目すべき存在が、三院制発足直前(7月27日)に廃止した 民部省【184コマ375-376号】を統合して 巨大官庁になった大蔵省です。この改革は大蔵省次官井上馨が提案し、最終的には廃藩置県前の6月に大蔵省長官に就任していた大久保利通も同意したものとされます。
三院八省制度の建前から言えば 正院の配下にありますが、大久保大蔵卿と 井上大蔵大輔とが率いる 大蔵省は、財政はもとより、殖産興業・戸籍・地方行政と広い分野の実務を掌握し、内政の実権を握ることになりました。これも薩長コンビでした。

ついでに、他の7省トップを見ると、外務卿副島種臣と文部卿大木喬任とは肥前、兵部大輔山縣有朋と工部大輔伊藤博文とが長州、司法大輔佐々木高行が土佐。薩長土肥以外では、宮内卿徳大寺実則が公家、神祗大輔福羽美静が津和野藩の出身。

このようにして 地方行政を握った大蔵省は、明治4年10月28日から11月22日にかけて 11件の布告を出して、全国を 3府 72県に改めます。
これが「第1次府県統合」と呼ばれるもので、Issieさんのページ に 太政官布告の全文が収録されています。
これら 11件の布告は、“従来ノ府県被廃更ニ左ノ通府県被置候事”というスタイルで記されています。
つまり、第1次府県統合と呼ぶものの、編入方式の統合ではなく、すべての府県は 新設方式によって 生まれ変わりました。

新設75府県を対象に出されたのが、府県官制 と、県治条例 です。
府知事・県令(11/2県知事から改称)以下の上級官吏の任免権は 中央が握り、下級官吏の任免についても 中央への事後報告が 義務付けられました。こうして地方官は政府の統治下に組み込まれ、府県は中央政府の手足として働くことになりました。

県治条例は、中央の監督下での地方行政、県令の権限を示しています。
令(カミ)県内の人民を教督保護し条令布告を遵奉施行し租税を収め賦役を督し賞刑を判じ非常の事あれば鎮台分営へ稟議し便宜処分するを掌る 但県内互市場あれば貿易事務を兼掌す 管内の事務不挙あれば上下に対し其責に任ず…

248コマの「県治事務章程」には、中央に決済を求める上款31条、県内で処理可能な下款16条が列挙されています。

こうして、10月14日の廃藩置県を踏切板として、11月の第1次府県統合・府県官制・県治条例によって、地方行政についても中央集権体制への飛躍が実現したのでした。

付言すると、第1次府県統合が行なわれた最中の明治4年11月12日、大久保大蔵卿は 岩倉使節団の一員として 横浜を出港 しています。
つまり、大久保を含む密議から始まった廃藩置県を踏切板とした 中央集権体制への飛躍は、留守政府(地方行政に関しては井上馨)の手によって遂行されたのでした。
[76077] 2010年 8月 22日(日)15:01:20hmt さん
廃藩置県 (5)西郷隆盛の建白に基づき 「御親兵」という 政府直属軍は生まれたが…
徳川からの政権交代を勝ち取った明治政府。しかし、徴税対象となる直轄地は800万石しかなく、軍隊も「藩」に握られています。
まだまだ残されている殿様の力を考えると、廃藩置県にる中央集権化には、なかなか踏み込めません。
…となると、薩長等有力藩の協力を頼みとする中央政府強化策を取る他はないのか。

明治3年12月に、政府への協力約束を 鹿児島藩から取り付けるための 岩倉勅使一行が派遣されました[76076]
病気を理由に出てこない「国父」島津久光の代理として 勅書を受け取ったのが 藩主の島津忠義ということは、実力者の殿様が誰なのかを、明白に語っています。
この一行には、勅使・岩倉具視に 大久保利通が随行しただけでなく、兵部省の 山縣有朋(長州)も加わっていました。

彼等を鹿児島に迎えて会談した 西郷吉之助(隆盛)の建白書 が、早稲田大学図書館所蔵大隈重信関係資料にあります。
24ヶ条にも及ぶ長文で、私には十分に理解できていないのですが、拾い読みすると、朝廷(つまり中央政府)が「空名」になっていて、諸藩が兵威を以て上を動かし、「尾大」になっている現状を批判しています。尾大に しているのは誰だ と言いたくなるところなのですが…

とにかく、そういう現状を打破するための方策として、諸藩より 精兵を朝廷に献ぜしめて、近衛兵というか 朝廷(中央政府)直轄軍を作る。もし従わない時には此兵を以て征伐する(pdfの5/11頁)。
これが「御親兵」つまり有力藩の献兵による 政府直轄軍の創設 を提起した くだり なのですね。
[75924]では 山縣が 政府直属軍を提案した と書いていました。山縣は 確かに政府直属軍創設の構想 を持っていたのですが、それは前月(明治3年11月) 徴兵規則 による国民軍でした。師走の鹿児島会談で提起された「御親兵」構想は、西郷からのものだったので 訂正します。

後年、山縣は 西郷の御親兵構想について、これを自らの構想を実現するワンステップであると考え、直ちにこれに同意したと語っているそうです(徴兵制度及自治制度確立の沿革)。
士族の軍隊と国民軍、限られた有力藩からの献兵と 広く府藩県からの徴兵。どうも違うようですが、山縣はとりあえず西郷構想で直属軍を作り、次第に自分の土俵に持ち込めばよいという、柔軟な考えを持っていたのでしょう。

西郷建白書の冒頭に近い部分に、府藩県の制度を同一に定め、勝手に斟酌するように改めるのを禁止する。軍制も亦然り(2/11)。とあります。これだけ見れば、藩の独自性を排除して 府県と同じにする 廃藩置県と 同じようでもありますが、表面的にはあくまでも府藩県三治制の徹底であり、藩の廃止など 論外と思われます。

地方制度以外にも、外国との交際・鉄道反対論(8/11)に至るまで、いろいろ書いてあるようです。

西郷の打ち出した御親兵構想には、鹿児島藩側の事情もありました。
鹿児島藩では、明治2年に士族全員を常備軍に編成し、下級士族を優遇するなどして戊辰戦争の兵力をそのまま維持していました。このやり方は 国父さま 島津久光の方針によるものでしたが、その結果は 1万3000人余という 諸藩の中で最大の兵力を保有することになりました。これは余剰人員である武士階級解体に結びつく 全国的な潮流に反するだけでなく、鹿児島藩自身にとっても大きな負担になっていました。この兵力を献兵として差し出せば、藩の負担は軽くなり、士族の身分も保証されます。

岩倉勅使の本来の目的である島津久光の協力・上京については、少し渋ったものの、とりあえず西郷を代理として送り、久光自らは来年上京することで同意。年が開けて明治4年正月、岩倉勅使の山口訪問で毛利の協力も取り付け。ここで西郷・大久保・木戸が薩長土提携で合意。京都へ戻る岩倉と別れて高知に赴き 板垣に会い、ここに三藩提携が成立しました。

こうして、限られた有力藩による中央政府強化 という 大久保構想は実現した かと思われました。
西郷構想の御親兵は、歩兵・砲兵・騎兵で構成され、総数8000人が 明治4年6月には 東京に集結。三藩の力を誇示しました。
島津久光にとって、このすぐ後に、廃藩置県という大逆転が起こるなどという展開は、思ってもみないことです。

ところが、政府の外では、殿様コンプレックスで廃藩置県に踏み切れない 大久保・西郷を 結果的に 廃藩置県に駆り立てることになる 状況の変化が、出始めていました。
例えば 明治4年1月頃、鳥取藩知事・池田慶徳による3項目の建議があります。第1に郡県制の実行。第2に全国的廃藩、第3に知藩事の東京在住。
# 池田慶徳は、水戸の徳川斉昭の五男で幼名五郎麿ですから、徳川慶喜(幼名七郎麿[73497])の異母兄になります。
同じ頃、徳島藩知事・蜂須賀茂韶の「廃藩建言」があり、少し遅れて3月には熊本藩知事・細川護煕…ではなかった細川護久の人材登用論、4月には名古屋藩知事・徳川慶勝(高須4兄弟[76076])の州制度提起(政治統一化五策の一つ)が出ています。

このような個々の動きは、更に 藩制度の改革を目指す集団 へと発展しました。すなわち、明治4年4月には、高知・熊本・徳島・彦根・福井・米沢の6藩指導者が藩政改革のために集まり、5月には 諸藩会議の開設と 割拠主義の鹿児島藩への働きかけ とが確認されました。
このグループのリーダーは高知藩で改革を進めていた大参事・板垣退助で、奥羽列藩同盟の時に列藩を結びつけた米沢藩の 宮島誠一郎 が、今度の諸藩連携でも働いたようです。
[75924] 2010年 8月 8日(日)12:22:18hmt さん
廃藩置県 (1)廃藩置県と軍制改革
「府県」という制度が作られた 明治初年のことを記しています。

都道府県は、市町村を包括する広域の地方公共団体である というのが、地方自治法での位置付けです。
しかし、「地方自治」が憲法に示されたのは 1947年のことです[75012]
明治から昭和戦前にかけての府県には、国の統治組織の一環という性格が強く存在し、府県知事は官吏でした。

その 戦前の府県 にしても、約 80年間ずっと同じだったわけではなく、特に最初の数年間は、目まぐるしい変革を経ています。
その変化は、地方制度という枠 を超え、わが国が 近代国家に生まれ変わるプロセスの 一環でした。
それ故に、「府県」をテーマとする 今回のシリーズの記事も、「明治維新」全体の動き と連動しながら記述してきました。
今回取り上げる 廃藩置県 も、タイトルに記したように、軍制改革 と密接な関係を持つものでした。

過去記事 を復習しておきます。
17世紀初頭に作られた 江戸幕府による日本統治のシステム。19世紀後半には、すっかり変った世界情勢に 対応できない状態 になっていました。
そこで最後の将軍・徳川慶喜が、変革の中で 徳川権力の生き残りを図って 打った手が 大政奉還(慶応3年10月)[75494] でした。しかし、この企ては 倒幕派による巻き返し 王政復古クーデターに敗れ、軍事的にも 鳥羽伏見の戦いで敗北。翌年4月には 江戸も新政府の手中に入りました[75495]

政治的な駆け引きも いろいろありましたが、結局のところ、薩長を旗頭とする 倒幕派諸藩の軍事力 がモノを言った感じです。
こうして、政体書(慶応4年閏4月)という形で発表された 新政府の地方組織として、「府県と藩」が登場しました[75494]

徳川家から召し上げた領地を主とする 政府直轄地 には、箱館府・京都府・大津県・笠松県…が設けられました[75497]
戊辰戦争に敗れた 奥羽越列藩同盟の諸侯から 没収した地 にも、翌明治2年には県ができました。[75516]で、涌谷県・栗原県・若松県を挙げています。

しかし、このように「府県」の置かれた 政府直轄地は、まだ当時の日本の 一部に過ぎませんでした。
大部分の諸侯の支配地は 「藩」となり、新政府の地方支配は、間接的なものとして出発しました。

次の一歩を進めたものは、薩長土肥を初めとする 版籍奉還願 です。これにより、明治2年6月には、「版籍奉還不願出候面々」を含めて、各藩の封土版籍が 政府の手に帰しました。「藩」も 形式上は 府県と同列 の行政区画になり、政府の影響力は大きくなりました。しかし、藩の独自性はまだまだ残っていました[75521]

明治3年の師走に 大蔵大輔の大隈重信が建議して 太政官に認められた「全国一致之政体」は、軍事・教育・司法・財政の4法を確立する必要を唱えるもので、府藩県三治制でなく、共通の機構による中央統治を目指すものでした。

このような全国均質な体制を実現する上で 最大の障害になるのは、まだ各藩ごとに抱えていた 大勢の武士団です。
これは 藩の力を裏付ける軍事力 でもありますが、同時に 藩にとって 大きな財政的負担 でもあります。
新政府最初の地方組織「藩」は、近代国家の 軍制と財政とを整備 する上で、問題を投げかける存在でした。

さて、近代国家の軍制として、国民軍を作ることが必要 であることを 最も強く認識していたのは、慶応2年(1866)の 四境戦争 を戦った 長州藩 だったでしょう。[75494]で 幕府側の立場から “第二次長州征伐”と記した この戦争は、長州側から見ると 大島口・芸州口・石州口・小倉口の四境から攻撃してきた 幕府軍に対する 防衛戦争 でした。高杉晋作の創設した 奇兵隊などによる 百姓出の兵士が 戦争のプロであるはずの武士で構成された幕府軍を破った実績は、国民軍の評価を裏付けました。

周防国の蘭方医出身で、徹底的に合理的な考え方を進め、四境戦争の勝利をもたらしたのが 大村益次郎でした。
余談ですが、このところの暑さ。「お暑いですね」という 時候の挨拶をする時に 思い出すのが、「夏は暑いのが当たり前です」と 無愛想な応答をしたいう この合理主義者です。村医者・村田良庵時代の逸話のようですが、これでは 評判は良くなかったことでしょう。

それはさておき、大村益次郎は、明治政府内で 新しい政府直属軍の創設(農兵論)を主張し、薩長土を主体とする藩兵論の 大久保利通と論争しました(明治2年6月兵制会議)。

大村の主張は、この段階では通りませんでしたが、新しい軍制構想は、兵部大輔になった 彼により第一歩が踏み出され、大村益次郎暗殺(明治2年11月)後も、山田顕義 そして 山縣有朋へと主導権が移りながら 進展しました。

その山縣有朋が 明治3年師走に 西郷隆盛に提案したのが、天皇と中央政府を守る 政府直属の軍隊で、これを 薩長土の献兵で組織しようとするものでした。
こうして、翌明治4年2月に入京した 西郷を中心とする「御親兵」 が正式に発足しました。

まだ国民軍ではありませんが、ともかくも 政府直属軍が発足したわけで、この兵力を背景に 明治4年7月14日に断行されたのが、「廃藩置県」でした。
[75647] 2010年 7月 25日(日)15:33:31【1】hmt さん
長野県北佐久郡軽井沢町・明治以降の町村合併図 (2)旧軽井沢・北軽井沢・中軽井沢・信濃追分
中山道第一の難路・碓氷峠越えは、碓氷新道(1884)や鉄道(1893)の開通によって改善され、峠の上にあった宿場町・軽井沢の機能は 必然的に南側の「新軽井沢」に移りました[75646]

碓氷峠越えに大変革があったのと同じ時代、明治19年(1886)に この地を訪れた 宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーによって、北側の 旧街道付近が自然豊かな避暑地として絶賛され、2年後に最初の別荘が建てられました。
こうして、旧軽井沢は、別荘や西洋式ホテルの建つ 保養地として発展することになりました。
「旧軽井沢」[67564] という地名は、旧街道付近に生まれたので 「旧」が付く地名 になっていますが、実は全く「新しい機能」を備えた町として、新たに開発された地域なのでした。

「かるいざわ」という呼び方に変ったのは、外国人が「かるいさわ」を発音しにくかったからだと伝えられています。

「北軽井沢」は便乗地名ではありますが、かなりの歴史があります。
群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢が行政地名になったのは 1980年代のリゾート地ブームの頃のようです。しかし、1928年?の 草津電気鉄道時刻表(1939年草軽に改称) において、既に「北軽井沢駅」が掲載されています。なお、北軽井沢になる前の駅名や大字名は、地蔵川や地蔵堂でした。

リゾート地・軽井沢の便乗地名というと、「中軽井沢」もあります。
ここの本来の地名は、もちろん中山道・浅間三宿の一つであった「沓掛」です。明治9年に沓掛村から長倉村になった後、明治22年の町村制で軽井沢村・峠町と合併した名が東長倉村ですから、この頃までは沓掛がこの地方の中心地だったと思われます。
鉄道駅は軽井沢より遅れましたが、それでも明治43年に沓掛駅が開業しています。

さて、大正4年(1915)この駅に降りた学生服姿の男が、沓掛の区長を訪れて別荘地を買収したいという話を持ちかけました。
こんな若造を信用できるものかと思いながらも、旧軽井沢が避暑地として発展しているのを横目で見ながら、取り残される危機感を抱いていた地元にとっては、悪くない話です。

大隈重信の秘書という触れ込みのこの男が 堤康次郎でした。彼は粘り強く地元を説得し買収に成功しました。グリーンホテル・観翠楼史 によると、1918年沓掛区有地の山林 60万坪を36000円で買収。続いて沓掛~千ヶ滝通り七間道路の敷設工事開始。1920年には国有地の鬼押し出し六里ヶ原80万坪を手に入れています。これは群馬県。
沓掛が堤康次郎の事業の第一歩であったことや、箱根土地・国土計画・コクドという会社名は、学園都市関連で[46290]に記しましたが、西武グループ再編により、会社名はプリンスホテルになっているようです。

プリンスと言えば、1957年以来、当時の皇太子と妃とは、千ヶ滝の プリンスホテルのコートで テニスを楽しまれたはずです。
(最初の出会いの地とされる軽井沢会テニスコートは旧軽井沢ですが。)
千ヶ滝の 軽井沢プリンスホテル(現在のものと別)は、1928年の朝香宮沓掛別邸跡に 1947年に開業したもので、「プリンスホテル」の名の起源とか。

それはさておき、堤康次郎を初めとする開発関係者の大部分は、当初から「沓掛」や「長倉」という地名よりも、「軽井沢」というブランドの方がはるかに価値がある考えていたと思われます。
そのような次第で、1923年(大正12年)に東長倉村が町になった時に選ばれた名は「軽井沢町」でした。

戦後になってから、1951年の大火で沓掛の宿場町は失われ、1956年には、せっかく守り続けられてきた駅名も、独特の味わいのある「沓掛」という名から、通りは良いが平凡な「中軽井沢」に改称。
信越本線時代の中軽井沢は特急停車駅でしたが、新幹線になった現在は、それも過去の栄光になりました。

浅間三宿のもう一つは追分。名前が表しているように、北国街道が中山道から分岐する追分です。
さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿
追分村から明治22年の西長倉村を経て、昭和17年(1942)に軽井沢町に編入。
[74304] 2010年 3月 9日(火)02:21:14【1】YT さん
『昭和十年 全国市町村別面積調』
[74296] hmt さん

[73992] YT さんが 昭和10年(1935)の市町村面積を、いずれ表にまとめたい と表明されています。
当然、昭和10年の人口のデータも入力されるはずなので、このデジタルデータを取り込み、「都道府県市区町村」サイトのデータベース検索で活用できるようになれば、戦前の市区町村データの活用という点で、画期的なものになるのではないかと期待しています。

すみません。

現在人口入力の方は、北海道の戸町役場連合の取り扱いで躓いていて、佐賀県、福岡県について明治31年のデータを入力した段階で中断しています。最近は府藩県三治制時代の三つの人口統計(『大隈重信関係文書』(pdf)、『藩制一覽』、『統計集誌』)という、明治2年~3年当時の府藩県別人口の違いの比較に浮気をしています。

[73992]でも書きましたが、統計局の解説によると、『昭和十年 全国市町村別面積調』とは、
参謀本部陸地測量部が5万分の1地形図に基づいて測定した20世紀前半以前における唯一の全国市町村別面積に関する資料である。
とのことです。こちらの方を打ち込むのは、まだ先になりそうですが、某図書館の書庫でコピーしたものを、さらにスキャンしてpdf化たものを以下のサイトにアップしておきます。

http://touch.moe-lovers.net/up_lsize/download/1268068581.pdf

「今すぐダウンロード」の右に打ち込むパスワードは、『area』の半角小文字4文字です。
pdf圧縮の扱いに慣れていないので、ファイルサイズは約39 Mbytesと巨大です。

なお、オリジナルの印刷物自体に文字のカスレがあります。

『昭和十年 全国市町村別面積調』の編者の蜂須賀幾次郎は初期の国勢調査の編集にも関わっている人で、没後50年経っていると思われますが、このような本の場合、著作権者が誰なのか不明で、もしかしたら法に抵触するかもしれませんが、まあ自分の責任の範囲でアップします。何か問題があったら消します。

さまざまなpdfファイルから文字、数字を摘出するソフトを探しているんですが、どうもこの当時のフォントをちゃんと認識してくれないのか、自分が買ったソフトは正常に動作してくれていません…
[74055] 2010年 1月 26日(火)13:02:44【1】hmt さん
貴社の記者が汽車で帰社
[74011] じゃごたろ さん
青森県と岩手県との境界の馬淵川(「まべちがわ」で変換できない、、、)に架かる橋である「青岩橋」や「青岩大橋」

本筋の「組み合わせ地名」ではなく、漢字変換について。
最近 「Google 日本語入力」 を利用しています。2009年12月3日に公開されたフリーソフトです。紹介記事 窓の杜ASCII

ベータ版ですが、これが なかなか賢く、気に入ったので、ちょっと ご紹介しておきます。

特徴は、大きく言って2つあります。
一つは、入力の途中でも 気を利かせて 変換候補を「サジェスト」する機能。
同様の機能が既に検索で使われていますが、これが漢字変換の入力にも適用されました。
もう一つは、 Web上の大量のデータから自動的に作成する 鮮度の良い辞書。

「まべちがわ」を例に説明すると、「まべち」まで入れたところで 馬淵川 と 馬淵大橋 との2候補がサジェストされます。

以下、この記事を書きながら、変換に関わる比較的最近の事例につきテストを行い、サジェストされた実例を記します。

最近も[73349]で言及されている「大隅」。 MS-IME の影響[58826]が大きいと思われますが、この落書き帳の中で 「大隅・大隈」問題[60373] と命名されているくらい メジャーな話題(主な記事) になっています。
Google-IME では「おおす」で大隅半島がサジェストされ、大隈半島と誤入力するおそれはなさそうです。

パソコンを買い替えて 小美玉市、東御市なども一発変換できるようになった[71934] という記事がありましたが、Web から常に新しい情報を取り入れている Google-IME ならば、もちろん 「おみた」、「とうみ」 までを入力しただけでOKです。
それ以後に誕生した伊佐市も一発変換。

但し 新鮮な情報を取り入れていることが裏目に出ると、「日光」でなく「日航」になってしまいます。[70308]と同じ結果。
でも、初回は「人選」だけが suggest された「じんせん」[70496]も、2回目からは 「仁川」が最初に出ましたから、日光も2回目からは OKです。

このように、サジェストは Web辞書に基づくものだけでなく、個別PCの記憶 も利用しているので、皆さんが試みた場合、この記事と同じ結果になるとは限らないこと をお断りしておきます。

日生[72956]や 玄界[72179]も suggest が出るし、常陸府中[72801]も 日立不忠 にはなりません。
さすがに、小千谷市「ひ生」[70446] は無理。
志賀町[68918]は、「しかま」まで入力した段階でトップに出ました。もちろん飾磨も suggest されますが2番目。
ブルートレインも 「ぶるーと」で suggest のトップ。2番手は「ブルーと」で 「ブルーとレイン」[68837]になる余地を残しています。

きりがないので このくらいにしますが、タイトルに示した有名なフレーズ[31323]は一発変換OKでした。

そうそう、褒めているだけでなく、Google IME にも もちろんある ミスの事例 を紹介しておきましょう。
私の住所を入れたら、「かつせ」が「勝頼」になっていました。
「さんずい」を どこに忘れてきたのだろう? 誤記でも何でも、Webにあれば見境なく拾ってしまいます。

【追記】
MS-IMEで登録した単語をGoogle日本語入力に引き継ぐ方法
[73349] 2009年 12月 18日(金)21:39:23【2】じゃごたろ さん
冬来たりなば
こんばんは、じゃごたろです。
冬来たりなば春遠からじ、とはいいますが、どうやら今日は今シーズン初の真冬日(最高気温が氷点下)のようで、「春」の前に来るのは「真冬」なのです。

さて、いろいろと。

[73318] 伊豆之国 さん
八王子‥八王「寺」と書いてしまう人が結構いるようです。
奈良県には「王寺町」というのもありますし、近畿圏では間違いやすいかもしれないですね。
もっとも地名のほうは江戸時代までは「松坂」と書かれたので、歴史的にはこちらが「正統」なのですが‥。
「大阪」ももとは「大坂」。「坂」から「阪」へ変えるのは縁起かつぎのようですね。


[73311] oki さん
簡単なところでは、源頼朝や徳川光圀を読めない人はまずいないでしょうが
話はそれますが「圀」の字は、国字(日本で作られた字、例えば「凧」「辻」「働」など。「働」は中国に逆輸入されているようですが)ではなくてもともと中国で発明された文字なのに本国ではすぐに廃されて、日本の人物の名前に生き残っているということらしいです。陳舜臣の「中国の歴史」(講談社文庫)にある唐の武則天に関する記述の中で、
武則天は自分の名の照に「※」という新しい字をあてるなど、約二十の則天文字をつくっていました。それも廃されたのです。則天文字は現在、十七字が確認されています。「國」の字にあてた則天文字の「圀」だけはどうしたわけか日本に生き残り、水戸黄門徳川光圀の名に使われました。
とあります。

※・・・「明」の下に「空」と書く文字。


[73305] みかちゅう さん
「隅(大隅)・隈(阿武隈)」
これはPCの文字変換をすればわかると思いますが、「おおすみ」「おおくま」とどちらを入力するとしても「大隅」「大隈」の両者が候補として出てきます。これらは明治になって誰でも名字を名乗れるようになった際に誤った字で登録してしまって、それがそのまま正しい名字の読みになったということなのでしょう。


[73298] Issie さん
地名をどこまで知っていればそれが「常識」か,という線引きはなかなか難しいですね。
確かにどこまで知っていれは「常識」かは難しいでしょうが、以前も書き込んだことがありますが四十七都道府県の名前と位置を知っているのが常識になって欲しいものだと思いますね。たいがい知らぬ中の会話で、どこへ行った行かない、というのが共通の話題になりやすいと思いますし。


[73273] Issie さん
両A面
この単語、死語になっているかと思いきや、CDシングルのレンタルで二曲ともシングルカット扱いということで「両A面」と表記していることがあったりします。


他にも幾つか書き込みたいこともあるのですが、この一年の目標は
誰にも噛みつかずに来年のオフ会を迎えること
なので、ぐっとこらえて、、、


最後に、今晩東京12chでやってた「怪-1グランプリ」。放送されたあの橋で話は知りませんでしたが、「名所」であることは確かに知っていました。。。
[73309] 2009年 12月 15日(火)11:12:27【1】BANDALGOM さん
栃木に始まり、栃木に終わる
[73296]拙稿

栃木県議会が昨日14日、栃木市・大平町・藤岡町・都賀町の廃置分合議案を可決したことが確認できました。
でるでるさん、よろしくお願いします。

中継は一般質問のみという栃木県議会、昨日の本会議については読売新聞にも出ていたものの、「合併に伴う条例案など16議案」というのが引っ掛かります。
「条例案」という記述、それに議案の数が知事の議案説明と合わないこともあり、心もとないものがありました。

毎日新聞の更新待ちかと思いましたが、合併協サイトで早くも更新されていました。

明日は愛知県議会、18日は新潟県議会と山口県議会、21日は静岡県議会、22日は埼玉県議会が最終日です。


[73305]みかちゅうさん
新潟県の「潟」や那覇市の「覇」はいい年した大人でも怪しい人は多いはず。
新潟県の「潟」を正しく書けたのは5年前のことです。
大学時代までは「湯」の右側の上に縦棒一本を付けていて、その後も「、、、、」のところを「ノノ」にしていました。

「隅(大隅)・隈(阿武隈)」
これはよく見ますね。
昔、電話局が「タウンページ」「ハローページ」とともに配付していた「テレホンガイド」の市外局番表で「大隅」が「大隈」になっていましたし、高校時代に泊まった夷隅郡のペンションのマッチでも「夷隈」になっていました。


[73306]山野さん
自分の町(読み)を基準にて他所の町を間違って読んで、覚えてしまっている事。
私も大阪府柏原市はある時期まで「かしわばら」だと思っていました。
中学生ぐらいでしょうか、「かしわら」だと知ったのは。


[73307]いっちゃんさん
落書き帳上の私の出身地は「こやま」と読まれることが多いのですが・・・。
小学校時代、クラスに「こやま」姓の人がいて、かの遊園地のCMソングをひねって「こやまゆうえんち~♪」とからかわれていたのを思い出します。

【1】誤字訂正
[72124] 2009年 10月 3日(土)03:51:30【2】YT さん
琉球の不自然な人口増加
[72118] hmtさん

明治治12年(1879)の本籍人口[72084]が、明治5年からの7年間で何倍になったのか、調べてみました。
全国では1.08倍ですが、トップは沖縄県の1.86倍。

この人口統計は1月の数値ですから、3月に行なわれた 琉球処分 で沖縄県が設置される直前です。
沖縄にとっては、激変の時代だったのでした。

実のところ琉球の人口変動には相当不自然な点があります。

琉球の人口に関しては、薩摩藩の藩政史料により1632年ごろより本籍人口の統計が残っています。人口は薩摩藩の指導の下で琉球王国がまとめたものですが、これら沖縄・奄美の人口は、徳川吉宗以降に幕府がまとめた全国人口調査には含まれて居ません。つまり当時の幕府の認識では琉球も奄美も、国外でした。一方で蝦夷地は、1807年以降は樺太を含めすべて日本の領土であることを主張し、統計でもアイヌ人の人口までカウントするようになります。

元号西暦本琉球(沖縄群島)道之島(奄美群島)
寛永9年1632年108,958
寛永13年1636年111,669
万治2年1659年112,764
寛文5年1665年110,241
寛文年間1670年頃110,21131,377
寛文12年1672年116,483
延宝5年1677年122,213
貞享元年1684年129,995
元禄3年1690年128,567
元禄12年1699年141,187
宝永3年1706年155,10849,472
宝永4年1707年155,261
正徳3年1713年157,760
享保6年1721年167,672
享保14年1729年173,969
宝暦11年1761年188,530
明和9年1772年174,21174,910
寛政12年1800年155,65074,593
文政9年1826年140,56577,667
嘉永5年1852年132,67885,125

その後第一次琉球処分により琉球藩が成立し、薩南諸島こと奄美群島は統計上薩摩国の一部となっています。どういうわけか明治12年の第二次琉球処分(沖縄県成立)後は、奄美群島は統計上大隈国の一部となっています。この辺はどういう根拠で移動したのかは定かではりません。

元号西暦本籍人口現住人口備考
明治5年旧暦1月29日1872年3月8日166,789166,789第一次琉球処分,明治6年2月調の数字で代用
明治6年1月1日1873年1月1日166,789166,789実際は明治6年2月調
明治7年1月1日1874年1月1日167,073166,766
明治8年1月1日1875年1月1日167,320167,156
明治9年1月1日1876年1月1日167,572167,218
明治10年1月1日1877年1月1日167,822
明治11年1月1日1878年1月1日168,064
明治12年1月1日1879年1月1日310,545第二次琉球処分,明治13年1月調の数字で代用
明治13年1月1日1880年1月1日310,545
明治14年1月1日1881年1月1日356,801357,266入寄留人口のみで現住人口を計算
明治15年1月1日1882年1月1日358,880359,584入寄留人口のみで現住人口を計算
明治16年1月1日1883年1月1日360,770361,877入寄留人口のみで現住人口を計算
明治17年1月1日1884年1月1日363,836364,701
明治18年1月1日1885年1月1日366,864367,874
明治19年1月1日1886年1月1日372,508373,587
明治19年12月31日1886年12月31日377,290378,809
明治20年12月31日1887年12月31日373,145375,280
明治21年12月31日1888年12月31日372,437374,266
明治22年12月31日1889年12月31日378,852381,142
明治23年12月31日1890年12月31日405,031406,622

と、まあ明治23年までの琉球藩、沖縄県の人口変遷をまとめましたが、『日本全国戸籍表』などに記載の明治5年と明治12年の人口は、実は明治6年と明治13年の数字で代用されています。そして明らかに人口増加のおかしい点があります。すなわち第二次琉球処分の前後の2年間(明治11年~明治13年)で、ほぼ本籍人口が倍増しています。いくらなんでも2年間で人口(しかも本籍人口)が倍増することは、たとえ本土から集団移住があったとしてもありえないので、解釈は一つしかあり得ません。つまり本土からの役人が介入したことにより、それまで隠されていた人口が明らかにされたということです。

人口が隠蔽された原因ですが、おそらく税の主体が人頭税であったことが考えられます。これに対し本土では地租が税金の主体であり、人頭税が敷かれた藩は余り多くありません。そのため比較的本土の本籍人口は実態を反映していると考えられています。

また本土での人口調査のきっかけは、元々はキリシタン取締りのための宗門人別改帳の導入にあるわけですが、琉球では薩摩藩と清国の二重支配構造のために、余り寺請制度が徹底されなかったのでしょう。
[71708] 2009年 8月 18日(火)18:51:00【2】桜トンネル さん
高校&大野市
こんばんは。夏休みがあと1週間もない桜トンネルです。

さて、それでは本題です。[71616]でk-aceさんが
予選見ている中でこんな高校名見つけました。りんくう翔南高校(泉南市)。府立高校です。泉南高校と砂川高校が統合されてできた高校のようです。
と書いてあったことからふと、「ひらがな・カタカナの高校がある市ってどのくらいあるんやろう」と思って調べてみました。また、そのついでにその高校が出来た年などについても調べてみました。ただ、公立のみの該当としています。私立をいれてしまうと該当するところが多くなりそうだったので・・・。
では以下、集めた結果です。間違いなどがあれば、ご指摘よろしくお願いします。

市名高校名現校名になった年種類統合(旧)高校名
むつ市むつ工業高校1964年開校
大崎市田尻さくら高校2008年開校
郡山市あさか開成高校1996年開校
いわき市いわき海星高校1995年名称変更小名浜水産高校
いわき光洋高校1993年開校
磐城桜が丘高校2001年名称変更磐城女子高校
いわき総合高校2004年名称変更内郷高校
磐城翠の杜高校2004年開校
さくら市さくら清修高校2006年統合氏家高校、喜連川高校
太田市太田フレックス高校2005年開校
上尾市上尾鷹の台高校2008年統合上尾東高校、上尾沼南高校
さいたま市いずみ高校1999年名称変更与野農工高校
市原市鶴舞桜が丘高校2005年統合鶴舞商業高校、市原園芸高校
柏市柏の葉高校2007年統合柏北高校、柏西高校
流山市流山おおたかの森2008年統合流山中央高校、流山東高校
小田原市小田原総合ビジネス高校2008年統合小田原城東高校、湯河原高校
川崎市向の岡工業高校1962年開校
横浜市霧が丘高校1975年開校
みなと総合高校2001年開校
横浜サイエンスフロンティア高校2009年開校
小矢部市となみ野高校2001年開校
富山市富山いずみ高校2002年名称変更富山女子高校
魚津市新川みどり野高校2001年開校
富士吉田市ひばりが丘高校2004年開校
岐阜市華陽フロンティア高校2000年名称変更華陽高校
土岐市東濃フロンティア高校2004年開校
伊賀市あけぼの学園高校1998年名称変更伊賀高校
伊勢市伊勢まなび高校2004年名称変更伊勢実業高校
いなべ市いなべ総合学園高校2001年名称変更員弁高校
津市みえ夢学園高校1997年名称変更津実業高校
京都市京都すばる高校2003年名称変更商業高校
大阪市咲くやこの花高校2008年統合扇町高校、此花総合高校
門真市門真なみはや高校2001年統合門真高校、門真南高校
東大阪市かわち野高校2004年統合加納高校、盾津高校
みどり清朋高校2008年統合池島高校、清友高校
寝屋川市北かわち皐が丘高校2008年統合東寝屋川高校、四條畷北高校
高槻市槻の木高校2003年統合高槻南高校、島上高校
枚方市枚方なぎさ高校2004年統合枚方西高校、磯島高校
茨木市北摂つばさ高校2007年統合茨木東高校、鳥飼高校
泉南市りんくう翔南高校2009年統合泉南高校、砂川高校
神戸市六甲アイランド高校1998年統合赤塚山高校、神戸商業高校
奈良市西の京高校1978年開校
広島市美鈴が丘高校1988年開校
福山市芦品まなび学園高校2000年統合府中高校、戸手高校、自疆高校、神辺高校
北九州市ひびき高校2003年名称変更戸畑中央高校
大牟田市ありあけ新世高校2003年統合三池農業高校、大牟田商業高校、大牟田南高校
沖縄市コザ高校1945年開校

全部合わせて40市ありました。大阪が学校の統合でひらがなのつく高校が増えたことがよく分かります。他は名称変更や新しく開校したところが多くありました。

そして、次に市立高校のあるところを調べてみました。[2741]深海魚さんがある程度まとめられていますが、統合でなくなっていることもあったり、新しく開校したところもあるようなので、まとめてみました。(本当は十番勝負対策用として、集めただけなのですが・・・。)
では以下、集めた結果です。間違いなどがあれば、ご指摘よろしくお願いします。

旭川市1校旭川北都商業高校
岩見沢市1校岩見沢緑陵高校
帯広市1校帯広南商業高校
北見市1校北見似頃高校
釧路市1校釧路北陽高校
札幌市9校札幌新川高校、札幌啓北商業高校、札幌清田高校、札幌旭丘高校、札幌星園高校
札幌藻岩高校、札幌開成高校、札幌平岸高校、市立札幌大通高校
士別市1校士別東高校
滝川市1校滝川西高校
函館市1校市立函館高校
秋田市2校市立商業高校、市立御所野学院高校
北秋田市1校市立合川高校
能代市1校市立能代商業高校
酒田市1校市立酒田中央高校
山形市1校市立商業高校
盛岡市1校市立高校
石巻市2校市立高校、市立女子高校
仙台市5校市立仙台工業高校、市立仙台商業高校、市立仙台高校、市立仙台第二工業高校、市立仙台図南萩陵高校
伊勢崎市1校市立伊勢崎高校
太田市1校市立商業高校
桐生市1校市立商業高校
前橋市1校市立前橋高校
川口市3校市立川口高校、市立川口総合高校、市立県陽高校
川越市1校市立川越高校
熊谷市1校市立女子高校
さいたま市4校市立浦和高校、市立浦和南高校、市立大宮北高校、市立大宮西高校
柏市1校市立柏高校
千葉市2校市立稲毛高校、市立千葉高校
銚子市1校市立銚子高校
習志野市1校市立習志野高校
船橋市1校市立船橋高校
松戸市1校市立松戸高校
川崎市5校市立商業高校、市立川崎高校、市立高津高校、市立橘高校、市立川崎総合科学高校
横須賀市2校市立横須賀高校、市立横須賀総合高校
横浜市12校市立金沢高校、市立桜丘高校、市立鶴見工業高校、市立戸塚高校、市立東高校、市立港高校
市立みなと総合高校、市立南高校、市立横浜工業高校、市立横浜サイエンスフロンティア高校
市立横浜商業高校、市立横浜総合高校
新潟市3校市立高志高校、市立明鏡高校、市立万代高校
金沢市1校市立工業高校
小松市1校市立高校
長野市1校市立長野高校
甲府市1校市立甲府商業高校
北杜市1校市立甲陵高校
中津川市1校市立阿木高校
大垣市1校市立大垣第一女子高校
岐阜市1校市立岐阜商業高校
関市1校市立関商工高校
静岡市3校市立高校、市立商業高校、市立清水商業高校
沼津市1校市立沼津高校
浜松市1校市立高校
富士市1校吉原商業高校
豊橋市1校市立豊橋高校
名古屋市14校市立菊里高校、市立北高校、市立工業高校、市立工芸高校、市立向陽高校、市立桜台高校、市立西陵高校
市立中央高校、市立富田高校、市立名古屋商業高校、市立翠高校、市立名東高校、市立山田高校
市立若宮商業高校
京都市9校市立音楽高校、市立西京高校、市立銅駝美術工芸高校、市立塔南高校、市立日吉ヶ丘高校
市立伏見工業高校、市立堀川高校、市立紫野高校、市立洛陽工業高校
東大阪市1校市立日新高校
大阪市26校市立高校、市立生野工業高校、市立泉尾工業高校、市立泉尾工業第二高校、市立市岡商業高校
市立扇町高校、市立扇町総合高校、市立生野第二工業高校、市立工芸高校、市立此花総合高校
市立咲くやこの花高校、市立桜宮高校、市立住吉商業高校、市立工芸第二高校、市立中央高校
市立鶴見商業高校、市立天王寺商業高校、市立西高校、市立汎愛高校、市立東高校、市立東商業高校
市立東淀工業高校、市立南高校、市立都島工業高校、市立都島第二工業高校、市立淀商業高校
岸和田市1校市立産業高校
堺市5校市立工業高校、市立堺高校、市立商業高校、市立第二工業高校、市立第二商業高校
明石市1校市立商業高校
芦屋市2校市立高校、市立芦屋高校
尼崎市5校市立尼崎工業高校、市立尼崎産業高校、市立尼崎高校、市立城内高校、市立尼崎東高校
伊丹市1校市立伊丹高校
姫路市3校市立琴丘高校、市立飾磨高校、市立姫路高校
西宮市2校市立西宮高校、市立西宮東高校
神戸市13校市立科学技術高校、市立楠高校、市立神戸工科高校、市立神戸工業高校、市立神港高校
市立兵庫商業高校、市立神戸西高校、市立須磨高校、市立須磨翔風高校、市立長田工業高校
市立葺合高校、市立摩耶兵庫高校、市立六甲アイランド高校
奈良市1校市立一条高校
大和郡山市1校市立高田商業高校
海南市1校市立海南下津高校
和歌山市1校市立和歌山高校
松江市1校市立女子高校
井原市1校市立高校
岡山市1校市立岡山後楽館高校
倉敷市3校市立倉敷翔南高校、市立真備陵南高校、市立玉島高校
玉野市2校市立玉野商業高校、市立玉野備南高校
広島市8校市立安佐北高校、市立大手町商業高校、市立沼田高校、市立広島工業高校、市立広島商業高校
市立舟入高校、市立美鈴が丘高校、市立基町高校
尾道市1校市立尾道南高校
呉市1校市立呉高校
福山市1校市立福山高校
下関市1校市立下関商業高校
徳島市1校市立高校
鳴門市1校市立鳴門工業高校
高知市1校市立高知商業高校
北九州市1校市立高校
福岡市4校市立博多商業高校、市立福岡女子高校、市立福岡西陵高校、市立福翔高校
嘉麻市1校嘉穂総合高校市立大隈城山分校
久留米市2校市立久留米商業高校、市立南筑高校
長崎市1校市立長崎商業高校
熊本市2校市立千原台高校、市立必由館高校
別府市1校市立別府商業高校
出水市1校市立出水商業高校
指宿市1校市立指宿商業高校
鹿児島市3校市立鹿児島商業高校、市立鹿児島女子高校、市立鹿児島玉龍高校
鹿屋市1校市立鹿屋女子高校
霧島市1校市立国分中央高校

結果、91市ありました。阪神地区では市立高校が多いので、もっと多いのではないかと勝手に思っていたのですが、そんなに多くないことに驚きました。見たところ、県庁所在地などの大きい都市が目立ちますが、合併できた北秋田市や北杜市などがあるのには驚きました。

以下、レスです。

[71622] k-aceさん

予想問題が載ってる・・・。でも、想定解数が少なすぎるので、たぶん出題されないとは思いますが・・・。

[71638] 日本人さん

前回から急に室蘭市の使用頻度が増えたわけはきちんとあるのですが、とあるアニメの映画を久々に見てから急に使いたくなってしまいました(桜トンネルさんや、ぺとぺとさんならわかっていただけそうですが・・・。それとも『謎』ですか?)。

書き込み訂正で「謎」についてのコメントを付け加えられたようですが(映画と言う言葉も付け加えられたような気がするのですが、その辺はあまり覚えていません。)、そのようなことをしなくても分かります(笑)。崎守埠頭のやつですね。でも、その崎守埠頭ですが、実際にはないと思っていましたが、本当にあることを知ったときは驚きました。
ちなみに、実は僕も使用頻度を増やしたい市があるのですが、今回は未解答県庁所在地を潰すことに集中していたので、1回も使うことが出来ませんでした。今回は2問該当するのがあったのですが・・・。ひとまず、未解答県庁所在地をなくしてからとなりそうです。ただ、この市を解答していこうと思ってからもう2年近く経ってしまっているのですが、まだ1回しか使うことが出来ていないとは・・・。

[71688] スナフキんさん

この夏の移動を含め、皆さんの経県値上積み具合はいかがでしょうか。

ゴールデンウィーク以来全くありません(笑)。しかし、これから生涯経県値も増えることがあるので、また大きく伸びる予定です。そのおかげで、今年の夏(7月から9月)だけの経県値が37点となる予定です。

#500回書き込みがあと14記事までになりました。特に記念に何かしようとは考えていませんが、たぶん500回記念も十番勝負関係の書き込みになると思います。しかし、それはこれからの書き込み頻度に関わってくるので、どうなるかは分かりませんが・・・。

訂正【1】:[71709]Issieさん、[71713]MasAkaさん、[71714]ぺとぺとさん、[71715]MasAkaさん、[71716]ぺとぺとさん、[71717]紅葉橋律乃介さんからの情報を追記しました。皆さん、ありがとうございました。
訂正【2】:[71729]右左府さんからの情報を追記しました。ありがとうございました。
[70216] 2009年 5月 18日(月)23:37:10【1】hmt さん
太極旗 と “乾” さん
本筋の方位地名ではないのですが、[38319][70177]に続いて、みたび八卦の話。
レソトの国旗[70181]の記事もあり、地理に関係した八卦として、太極旗 = 大韓民国の国旗 に使われている八卦につき記しておきます。

太極旗では、巴模様の「太極」の周囲に八卦を配していますが、4つだけですね。
左上の「乾」(2進数で書けば111)は天を、それと相対する右下の「坤」(000)は地を表し、右上の「坎」(010)と、左下の「離」(101)は、月と日を表すとされています。

なお、八卦の爻(こう)の陰「- -」を2進数の「0」、陽「-」を「1」とする対比は、ドイツ人ライプニッツによりなされています。
上の爻が、2進数の位取りでは下位になるので、「艮」は001、「巽」は011になります。

太極旗は、李氏朝鮮が外国と関係を持つようになった19世紀末に作られたようですが、昔は現在のデザインと少し異なるものが存在したようです。

四隅の八卦ですが、地図でいえば北西になる左上に「乾」(ケン)があるので、方位と一致しているのかと思ったら、違うんですね。右下の「坤」(コン)は方位では南西だし、「坎」(カン)と「離」(リ)の方位は北と南です。

太極旗における八卦は、先天図 の中の4つを取り、左に45度傾けた配置としているようです。
もともと、先天図において陽が極まった「乾」(111)が置かれる上は南であり、北が上になっている地図とは違っています。

「乾」が出たついでに、地理から外れますが
[70166] Issie さん
最新の百円札の肖像は “乾” さん

“最新”と言っても、B百円日銀券 の発行は、1953年なんですね。1957年には百円銀貨が発行されているので、広く流通した期間は比較的短かったのかな。現在の百円白銅貨は1967年から。

問題のお札に描かれた立派なヒゲの肖像は板垣退助。
これだけ生えていると、くちひげ髭・あごひげ鬚・ほおひげ髯のどの字を使ったらよいのかわからない。
自由民権運動の先駆者ということで、戦後間もない1948年発行の 五拾銭政府紙幣 にも使われています。
それが5~6年後には百円札だから、インフレの激しさがわかります。

“乾” さんは、土佐藩士時代、戊辰戦争(1868)までの旧姓。
倒幕の東山道先鋒総督府参謀として甲府や会津を平定しましたが、先祖が武田信玄の宿将・板垣信方ということで、甲州人の人望を得るために「板垣」を名乗りました。岩倉具視(五百円札)のすすめとか。

山本勘介を武田の軍師として推薦した板垣信方の子孫が、なぜ“乾”を名乗っていたかというと、「功名が辻」に記されたエピソードによると、武田家滅亡後の関ヶ原の戦いの時に、牢人していた信方の子【孫の間違い?】正信が、山内一豊の家老・乾彦作のところに陣借りに来た縁によるとか。

もっとも、遠江国周智郡乾村で、乾正信を名乗っていたのが、掛川で山内一豊に仕えていたという説もあり、こちらならば、方位地名の話につながります。

板垣退助で有名なのは、「板垣死ストモ自由ハ死セズ」。1882年に岐阜の自由党懇親会で刺された時のセリフです。
明治15年4月12日東京日日新聞(明治ニュース事典による)
諸君歎ずるなかれ。板垣退助死すとも日本の自由は滅せざるなり。諸君励めよや。(中略)皆曰く、負傷如何に気分は如何にと。君曰く胸に二箇所の突疵を受けたり(後略)

明治31年、自由党は対立していた大隈重信の進歩党と合同して憲政党となり、日本初の政党内閣である第1次大隈内閣発足。
板垣は内務大臣で「隈板内閣」と呼ばれましたが、内紛が激しく短命。
土佐閥の代表政治家でしたが、政治的にはあまり成功しなかったようです。

大相撲の力士に、八百長禁止誓約書を書かせるなど、政治以外の面での活動もあります。

【追記】
乾猪之助→乾退助正形→板垣退助正形と変遷した名前は、明治5年5月7日 太政官布告49号 (従来通称名乗両用相用来候輩自今一名タルベキ事)で通称を選び[43834]、最終的には「板垣退助」になりました。
[69988] 2009年 5月 9日(土)00:59:38小松原ラガー さん
【第二十二回】政令指定都市岡山市誕生記念 全国の市十番勝負 感想
小松原ラガーです。遅ればせながら十番勝負の感想をば。

【総評】
回を重ねるごとに、自分のレベルが伸び悩んでいて皆さんにどんどん追い越されているのだなぁと痛感します。元々今回は諸般の事情により、そんなに参戦できない予定だったのですが、時間が取れない中、いつもと変わらず、いや、いつも以上に取り組んじゃったのかな?というところです。問題のほうですが、今回は第一ヒントの前に2問回答でき、自分でも「あらま!」と感心した次第です。あとはヒント後の回答ですが、今回は惜しかったです。誤答もなく、久々に十問完答のチャンスだったのですが、問四が最後まで解ききれず、もったいないことをしました。あ~ぁ。ただ、ヒントが出てからの話ですが、全体的には問題は簡単なほうだったのかなぁと感じます。(それにしても今回は皆さんの誤答の数がかなり少なかったように思うのですが、気のせいでしょうか?)
以下、個別にコメントを。

【詳細】
問一:人吉市でGET。[69457]
いつものことですが、残り想定解の数とのにらめっこなのですが、まずは問一から取り組みました。なんとなく地図を眺めていたのと、富山市や静岡市などが入っていることから面積関係かとも思いましたが、それにしてはそんなに面積の大きくない市も含まれており、もう一度しげしげと地図を眺めてみて、複数隣接とピンと来ました。多少余裕があったので、地道に洗い出す作業を進めたのですが、高松市はしっかり漏らしていました。というか、既に高松市が正答として出ていたのですが、慌てて再度確認した次第でした。どこでも良かったのですが、私の友人の出身地、最近(といっても3年以上前?)に宿泊した人吉市で答えました。

問三:山武市でGET。[69458]
実は、最初何のことかさっぱりわからなかったのですが、とある方の回答をきっかけに、なぜか「文字系」だとGUESSしました。案の定、「岡山市政令指定都市化記念」(表現は多少違いますが)から「あっ、『岡』の字と『山』の字ね。」とわかり、後はデータベース検索だったか、とにかく、この時点でもまだ余裕があったので「おか」でも「やま」でもない読み方の山武市で回答しました。

以降はヒントのあとです。

問二:鹿屋市でGET。[69614]
この辺りから、だんだん余裕がなくなってきて、アナグラムの「レールも無いのよ」も解けたため、せっせと探そうとしましたが、「そうそう、昔、大隈線というJRがあったよね。」と思い出し、鹿屋、志布志、垂水辺りだけを地図で確認して、未回答を確認し鹿屋市で回答しました。他の地域はろくに探しもしていません。^^;
アナグラムの解き易さは、私には甘口カレー級でした。^^;

問八:長崎市でGET。[69615]
問四とか問七が気になっていて、ほったらかしにしていたのですが、何のことはない、この問題こそアナグラムが瞬間に解けました。「大きくマイナス」と閃き、「じゃ、人口ね。」というわけで、ランキングテータのこの表の登場ですが、共通項は「▲3000人」だったのですね。てっきり701位以降(700位台)かと思ったのですが、結果的には同じことだったので、良かったです。既出解を避けていくと・・・あらま、減少数第2位の長崎市が残っているではありませんか。ということで、長崎市で回答しました。

問五:鹿嶋市でGET。[69621]
これぞ、おこぼれにありつきました。アナグラムから「頭とお尻で」と解き、「さぁ、どこで・・・」って既出を避けようとする中で、[69621]でも書きましたが、桜トンネルさんの回答のあとでくはさんが同じ鹿島市回答をされておられました。「じゃ、鹿嶋市だ。」と鹿嶋市で回答させていただきました。ということで、横取り(くはさんはそうではないと仰っておられますが)の1問でした。

問六:常滑市でGET。[69628]
結構やられました。中辛と辛口の間くらいのカレー級です。^^;第一ヒントのアナグラムは解けました。ちゃんと「地名コレクション」とわかったのですが、そこからが一苦労。このページから探せったって、一体何のことやら。「半島」? 「海岸」? 岡山だから「丘」? いやいや、「町名の○○ヶ丘」? 結構考え込んでしまいましたが、ある時点で「グリグリさんご本人のコレクションでは?」とGUESSし、百交差点なども含めて洗い出して、「はさま」にたどり着きました。既出解をリストからはずしていき、常滑市で回答です。いや、本当に、こんなもん、ヒントもなしにスパッと回答できる方々、恐れ入ります。です。

問九:山口市でGET。[69703]
アナグラムは「桜が共通」と読めました。但し、変な方向に走ってしまいました。市の花が桜、桜祭りがある、など「植物としての桜」で一生懸命考えてしまいました。煮詰まって、煮詰まって、煮詰まった頃に「あっ、グリグリさん、郵便局にも興味を持ってはったような・・・」と閃き、「桜&郵便局ね。」と気づきました。該当しない市がなぜか?なるほど、簡易郵便局は除外ということもわかり、日本郵便のHPか何かでせっせと探して山口市で回答しました。

問七:郡山市でGET。
この時点で、問四と問七が残り僅かになってきており、「やばいなぁ・・・」と思いながらも、一向に前に進まず。「投票所無害」いや違う、「無投票以外」とわかったのは第二ヒントの「市長の選挙」が解けてから。幸いにしてこのサイトを見つけて、後はにらめっこ。なるほど、大垣市や宍粟市は確かに違うと確信しましたが、「はて、他に条件が無いと該当する市が多すぎるのでは・・・?」と、再度考え中モードに。更にしげしげと眺めて「4月なわけね。」と気づきました。サイトの情報だけでなく、実際にもう一度Googleで「○○市 市長選挙」などと検索しながら確かめつつ、郡山市で回答しました。(何せ、この時点でもまだ誤答をしていなかったので、結構慎重になりました。)

問十:相生市でGET。[69781]
これは誤答なしできた完答間近で答えるにはちょっとやらしい問題だなぁと感じました。「二重丸の位置」から市役所の位置とわかり、市役所の住所か何かかとも思いましたが、さしたる共通項を見出せず。悶々としておりましたが、「海から近い」で共通項の方向性は一挙に解決。ただ、線引きがどうやって決めているのか、取り様によっては何とでも取れるので大変困りました。いつもMapionBBを使っているのですが、キョリ測か何かで一つ一つ測ったのだろうかとも考え、気が遠くなりそうになりましたが、線引きもいい加減なまま、「これだけ近けりゃ、まぁ大丈夫では無いだろうか?」と相生市で回答しました。

ここまでで9連勝。残るは問四。但し、想定解の残りも希少。さぁ、どうなる?

問四:SoldOut!!!
やられました。アナグラムは一度「密度が近似値」と解けました。「データ検索」も見た瞬間です。「密度」とくれば「人口密度」だろう、というのもOK。但し、「近似値」というのが何のことかさっぱりわかりませんでした。想定解の数が47市ということで、都道府県に一つということも最初は意識していたのですが、途中からすっかり忘れてしまい、ドツボにはまってしまいました。これが回答できていれば十問誤答なしの完答だったのですが、皆さんの応援の甲斐もなく^^;撃沈しました。あ~ぁっ、もったいない。
因みに、第一ヒントのアナグラムですが、「密度が近似値」と解けたあとも、いや他に・・・、と考えましたが何回やっても「知事がきつね丼」にしか至らず、ドンブリものに嫌悪感を示した、とそこまで言えば嘘ですが^^;、きつね丼の悪夢となりました。

以上ですが、今回は9勝0敗で正答数ランキングもメダルランキングも39位。前回が6勝(3敗)にも関わらず正答数ランキング36位、メダルランキング38位だったことを考えると、解答数も勝率的にも今回のほうが良かったのに、全体順位では下がってしまっています。この辺りが、回を重ねるごとに全体のレベルが上がっているという明石なのではないでしょうか。これで通算成績が120勝34敗。ちょっとだけ率が良くなりました。^^;

ともあれ、いつもながら楽しませていただき、グリグリさんはじめ皆さんには感謝いたしております。有難うございました。
[67589] 2008年 12月 14日(日)06:29:32【2】YT さん
明治初期の鹿児島の人口
[67581] むっくんさん
詳しい解説ありがとうございます。特に明治初期の行政区分については、私の知らないことが多かったので大変参考になります。
ただ、西南戦争の人口に対する影響は、それほど多くなかったと思います。

まず明治初期の鹿児島郡の本籍人口をまとめますと、以下のようにほとんど人口に変動が認められません。

年号本籍人口史料備考
明治4年以前89,272薩隅日地理纂考鹿児島郷(85,435)と吉田郷(3,837)の合計
明治8年以前89,374共武政表
明治11年1月1日96,382鹿児島県治一覧概表
明治12年1月1日91,747日本全国郡区分人口表
明治13年1月1日92,845日本全国人口表
明治14年1月1日93,242日本全国人口表
明治15年1月1日94,041日本全国戸口表
明治16年1月1日91,750日本全国戸口表
明治17年1月1日97,631日本全国戸口表
明治18年1月1日93,276日本全国戸口表
明治19年1月1日94,778日本全国民籍戸口表

また鹿児島藩の場合は、士族、卒族の大盤振る舞いが行われたため、純粋な帰農の率は少ないと思われます。嘉永5年(1852年)の鹿児島藩の本土の身分別人口は以下の通りですが、広い意味での武士階級は、士人躰から足軽・下人まで約24万人いることになります。

身分薩摩国大隈日向国三国合計
士人躰4,4874,487
人躰外士4,9724,972
士妻子8,7128,712
郷士人躰10,9507,6874,19722,834
人躰外郷士19,1529,6364,88933,677
郷士妻娘27,14713,9137,34048,400
郷士不明(合計不一致)400400
家来人躰4,4273,4222,43710,286
家来人躰外7,9314,1892,71814,838
家来妻娘11,5316,3854,57222,488
飯隈山2222
人躰外飯隈山3030
飯隈山妻娘5252
福昌寺役人・同妻子1818
妙音寺地神盲僧・同家内33
諸士家来・郷士家来・家中・足軽・諸座附・寺社門前53,63911,2378,75873,634
寺社家・出家7602861281,174
苗代川1,1511,151
三町・野町 (町民)7,7373,4933,24314,473
在郷 (農民)190,55982,70633,989307,254
浦浜 (漁村民)36,86811,1651,36049,393
笠野原838838
半浦194194
塩屋531531
赦免居付・公義流人・遠島者33133166
不明 (合計不一致)22
総数390,477155,81773,735620,029
穢多・慶賀3,0541,2949925,340

上の表の他、奄美諸島に1,566人、江戸に594人、京都に37人、伏見に8人、大坂に86人、長崎に13人の藩士・妻子・座付士・下人・郷士格等がいます。

これが明治3年頃の鹿児島藩では、総人口896,817人中、華族9人、士族244,700人、卒族95,569人、神職3,408人、平民547,191人、穢多5,940人という身分別構成となります。つまり郷士や家来・使用人といった半士半農クラスですら鹿児島藩では士族に格上げされ、更に卒族も大盤振る舞いされています。

ところで鹿児島県治一覧概表に記載されている行政区分は第二回共武政表記載の人口の一年前に相当する明治11年1月1日調です。確かに鹿児島(郷)の中には鹿児島(町)に相当する区分はなく、六日町以下塩屋町までが実質鹿児島の細かい区分に見えます(今町の記載はありません。また鹿児島郷内の鹿児島という記載もありません)。

そこで鹿児島郡を構成する町村を本籍人口を中心に表にまとめてみました。

地名明治6年1月1日明治11年1月1日明治12年1月1日明治13年1月1日明治14年1月1日明治17年1月1日明治19年12月31日
日本地誌提要鹿児島県治一覧概表第二回共武政表第三回共武政表第四回共武政表都府名邑戸口表市街各邑及町村二百戸以上戸口表
鹿児島×32,06720,17120,67049,36048,778
六日町287
中町889
金生町707
築町120
今町×340
泉町/和和泉町556
潮見町930
生産町647
易居町804
呉服町770
大黒町269
船津町2,128
薪町/新町1,998
住吉町1,147
堀江町1,027
車町401
泉和屋町617
恵比寿町417
栄町439
柳町717
浜町611
小川町803
向江町1,641
東之町357
中之町413
西之町611
塩屋町/塩屋村1,624
六日町~塩屋町合計21,270
荒田村1,771
中村2,266
郡元村1,788
宇宿村1,603
西田村2,085
武村1,056
田上村2,348
西別府村902
上伊敷村1,989
下伊敷村2,391
小野村1,782
永吉村1,244
犬迫村2,942
小山田村2,808
比志島村1,150
吉野村5,552
坂元村27,2401,519
川上村1,422
岡之原村974
本名村1,460
東佐多村<200
西沙汰村<200
本城村<200
宮ノ浦村<200
野町<200

×は記載なし、○は記載ありです。

第3回共武政表(20,171人)と第4回共武政表(20,670人)の「鹿児島」の人口はほぼ第2回共武政表の六日町~塩屋町の合計(21,270人)と一致します。一方で第2回共武政表の「鹿児島」の人口32,067人の意味が不明です。これらの人口を明治17年以降の「鹿児島」の人口と比較すると、後者は第2回共武政表の「鹿児島」の人口と六日町~塩屋町の合計を足した約5万人に近いようにみえます。明治19年の市街各邑及町村二百戸以上戸口表には鹿児島以外の人口の少ない町村の人口が記載されていますが、それらを合計しても39,052人にしかなりませんし、本名村を除く吉田郷の他の村の人口の総計はせいぜい1,000人程度です。

本籍人口に大きな変動がないと仮定すると、明治12年1月1日の段階での鹿児島郡の総人口91,747人から、鹿児島以外の村の人口約4万人を引いた約5万人が明治17年以降の統計で鹿児島として扱われている地域の人口ということになります。そして明治11,12年頃の段階では六日町~塩屋町までの人口約2万人とは別に約3万人が暮らす「鹿児島」という区分が本来ならあったものの、鹿児島県治一覧概表などは肝心の鹿児島郡鹿児島(郷)内の「鹿児島」という区分の記載を怠り、さらに第3回、第4回共武政表の数字も肝心の鹿児島中心分の人口を合算し忘れた数字ではないかと、現在のところこういう推論に私は達しております。

一つ良くわからないのは日本地誌提要で約3万人近くの人口がいるとされている鹿児島坂元村ですが、おそらく明治19年の段階で1,519人しか住んでいない坂元村とは別に鹿児島中心部を内包する「鹿児島坂本村」があり、両者を併せて「坂元村吉」(薩隅日地理纂考での表記)と称していたのではないかと想像しております。区分上、または名称上の混乱があり、鹿児島県治一覧概表以降しばらく鹿児島中心部の約3万人の統計が欠落したのではないでしょうか。

どなたか鹿児島について詳しい方のご意見をお願いいたします。

#追記

明治22年の鹿児島市と比較すると、鹿児島県治一覧概表に登場する東之町、中之町、西之町に相当する町名がありませんが、鹿児島県治一覧概表には山下町, 平之馬場町, 新照院通町, 山之口馬場町, 加治屋町, 東千石馬場町, 西千石馬場町, 新屋敷通町, 樋之口通町, 上龍尾村, 下龍尾村, 長田町, 冷水通町, 春日小路町, 清水馬場町, 稲荷馬場町, 池之上町, 鼓川町, 松原通町, 薬師馬場町, 鷹師馬場町, 西田町, 下荒田町, 上之園通町, 高麗町に相当する町が記載されてません。また西田村, 荒田村を別途併合したことになるようです。
[67112] 2008年 10月 24日(金)02:22:33YT さん
江戸時代の諸国人数帳等のチェック
ところで江戸時代の全国人数調査は、総人口が19回分、旧国別人口が12回分伝わっていますが、速水融作成『国勢調査以前日本人口統計集成』、関山直太郎『近世日本の人口構造』、高橋梵仙『日本人口史之研究』を比較しても少しずつミスプリントのせいで値が異なります。また国別人口の合計と総人口が一致するのは、寛政4年、寛政10年、天保11年の3回分のみです。宝暦6年については高橋梵仙のが抜き出した数字、弘化3年に関しては勝海舟の『吹塵録』で採用されている男女別人口の合計で、旧国別人口と総人口とが一致します。そして残る享保6年、寛延3年、天明6年、文化元年、文政5年、文政11年、天保5年についてはどういじっても総人口と国別人口の総和が一致しません。人数が一致しない点については勝海舟もその旨を記載していますが、困るのは後の参考書ですら数字が一致していない点です。やはり原資料とのチェックは難しいのでしょうか。

先ほど大隈重信文書を検索したところ、寛延3年(1750年)の全国人口調査を載せている『宮中秘策』が収録されていました。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_02537/index.html

寛延3年(1750年)の全国人口調査結果25,917,830人が読み取れます。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_02537/wa03_02537_0001/wa03_02537_0001_p0017.jpg

ただ書道がからきし駄目な私にはこの行書体?がつらく、チェックに時間がかかりそうです。某図書館で『宮中秘策』を見つけたときにはどの頁に何が書かれているのかすら把握できず、コピーをあきらめていました。
[67042] 2008年 10月 16日(木)23:06:51hmt さん
国土面積統計の変遷(2) 明治8年 第1回統計表 の謎
[66998] YT さん
大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。

リンク先からView Openすると、84コマの大きなpdf文書が現れました。なんと!左縦書きですね。
(4コマ)明治8年5月 統計寮
総例 昨年中我寮に於て作為せし諸表を蒐輯して1冊とし之を第1回統計表とす

[66993]を書いた時は、統計院(明治18年12月統計局)による「第一統計年鑑」(明治15年)が最初の公表だと思っていましたが、それよりも前に統計寮による資料があったのですね。

(9コマ)第13 庁位置戸口面積表【説明】
戸数人口は明治5年戸籍表に拠ると雖も社寺は原書に従て之を除き庁の位置は6年末の査定に従ふ…
面積は仮に耕地山野の両反別(5年の調査に係る)を以て推算表出す
(48、49コマ)第13 庁位置戸口面積表【本表】
東京府、京都府、大坂府の3府に続いて、茨城県、磐前県、石川県、岩手県、浜松県、…広島県とイロハ順で60県。
総計面積 3,478,490町17087、戸数 6,886,994、人員 31,912,264となっています。

明治15年統計院の面積算出は“伊能忠敬ノ大国三万六千分ノ一ヲ本トシテ算出シ”[66997]と、現在の面積調と同じく地図に基づいて測定する方法でしたが、こちらは“耕地山野の両反別”調査に基づくというから、いわば「検地方式」のようです。

面積には、“(明治)5年の調査”を使っていますが、他の項目では明治6~7年のデータもあり、府県別は明治8年という発行の時期を反映したものとなっています。
具体的な例で説明すると、明治5年の“耕地山野の両反別”調査の際に存在した(第一次)香川県は消滅しており、讃岐の値は、阿波・淡路と共に名東県に含まれています。

[66998]で指摘されているように、当時は開拓使が管轄していた 北海道 が除外されています。
もちろん、千島も含まれていません(千島樺太交換条約[43845]は第1回統計表の発行と同じ明治8年5月)。
沖縄は、明治5年に琉球王国を廃止して設置した琉球藩の時代。明治12年3月の琉球処分[9303]より前で、これも除外。
そして、もう一つ除外されていたのが小笠原。幕末の回収後に始まった日本統治も、生麦事件の影響で早々と撤退。明治8年は、ようやく明治丸を派遣して再度小笠原領有の動きを始めた時期でした。[26683]

第1回統計表の面積単位に使われた「町」は、1町=10反=100畝(せ)=3000歩です。
1歩(1坪)は1間四方で、メートル法ならば33分の60mの2乗ですから、約3.3058m2。地価について“3.3平方メートルあたり○○円”という表現は今でも使われています。
律令時代には、長さの単位「町」と関連した「1町四方の面積」すなわち3600歩でしたが、中世以後3000歩に変化。

[67006]同様に、事実上現在と同じメートル法換算が通用すると考えると、面積の1町=0.009917355…km2(約1ヘクタール)。
63府県総計 347万8490町17を換算すると 3万4497.4 km2

アレレ!?
北海道などが除外されているにしても、この面積は明らかに小さすぎます。
明治15年統計年鑑面積[66996] から北海道千島琉球小笠原を除いた 18541.14方里、つまり 285968.74km2の 12%しかありません。
区域の変化のなさそうないくつかの県を選んで、県の面積も比較してみましたが、いずれも9~13%程度であり、何か共通の問題がありそうですが、解決の糸口は見えず謎のまま。

どこかで一桁間違えた? まさかね。
[66998] 2008年 10月 12日(日)16:32:31YT さん
明治5年?明治8年の府県別面積
いやあ、調べればもっと古いデータが存在するものですね。
さっき大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。人口の方は明治5年の府県別本籍人口と一致します。

第一回統計表

ただ旧国別面積は不明ですし、北海道が除外されています。

[66996]で述べた明治15年の統計年鑑ですが、北海道本地と千島三十島に関しては、旧国別面積が示されておりません。というわけで北海道の旧国別面積のデータは入手できておりません(郡の面積を足せば概算できますが)。

他の史料では、[66954]のリンク先の『日本地誌提要』(明治7年,人口は明治6年1月1日調)にせよ『共武政表』(明治8年(データの年次は主に明治6年頃)、12年(版は明治11年、人口は明治12年1月1日調)、13年(版は明治12年、人口は明治13年1月1日調)、14年(版は明治13年、人口は明治14年1月1日調))にせよ、東西南北の幅は書いてあっても面積は測定していないようです。

それにしても属島の数が[66993][66996]でなんでこんなに違うんでしょう?

大隈重信文書、自分は詳しい経緯を知りませんが、貴重な一級史料のようですね。
[66956] 2008年 10月 9日(木)01:41:03YT さん
明治2年の府藩県石高人口表
[66954]で書いたように関山直太郎氏の『近世日本の人口構造』(1958年)、『近世日本人口の研究』(1948年)によると、呉文聴の手記が廃藩置県前の府藩県別人口を記す唯一の文書だと解説されていたので、それを信用したのですが・・・いやはや、これはネットの発達のお陰なのでしょうか。早稲田大学図書館が所蔵する「大隈重信関係資料」の中に明治2年調の府藩県別人口をまとめた『府藩県石高人口表』が存在することが判りました(リンク先にpdfファイルがあります)。どうも関山氏はこの史料や明治8年版の「共武政表」、『日本地誌提要』などの存在に気付かなかったようです。

呉文聴の手記が明治4年調、大隈重信文書が明治2年調として、『藩制一覧』の数字はどちらとも違うように見えるのですが、もしかして明治3年調なのでしょうか?

ちなみにこちらのサイトに引用されている石高と領内人口のデータですが、元文献を辿ると西村睦男「藩領人口と城下町人口」歴史地理学第111号(1980年12月),1~15頁という論文です。領内人口は西村氏が明治12年版の共武政表の人口を元に 『旧高旧領取調帳』にしたがって飛び地を別個に独自集計したもので、また城下町人口も原則明治12年版の共武政表のデータを用いています。ただ鹿児島など一部の都市については、<ただし,なかには,たとえば鹿児島の人口が,20,171と記されているように,城下町時代の人口の比べて少ないと思われるものがあり,反対に多すぎると思われるものもある。これらについては『統計集誌,306号』による明治19年の人口を用いた。>そうです。そもそも明治8年の共武政表のデータを使っていれば鹿児島の人口は89,374人なわけで、もしかしたら明治8年度版のデータが広く知られるようになったのは最近のことなのかも知れません。

2ヶ月ほど前に、日本の総人口の経年変化として、元となるセンサス人口ぐらいを簡単にまとめようとして文献を当たり・・・を繰り返していくうちに、ほぼ毎週新しい史料にぶつかり、未だ終りが見えない状況です。
[66007] 2008年 8月 12日(火)14:37:12小松原ラガー さん
うなぎ
小松原ラガーです。

[65851] ペーロケ さん
[65856] 小松原ラガー
[65857] EMM さん

少し前に話題になった「うなぎ」ですが、本日の某全国系の新聞に記事が載っていました。国内最大の生産地、鹿児島県でも、どうも鰻池のある薩摩半島側ではなく、大隈半島側の大崎町、志布志市が主力産地な模様です。記事によると2001年に鹿児島県がうなぎの生産量日本一になったようですが、
1.養殖池で使う地下水が豊富
2.稚魚が取れる
3.土地を確保しやすい
という条件が整ったためとのこと。それでも零細の業者は後継者不足から少なくなっており、大手寡占の傾向が強くなっている模様です。(20年間で120あった業者が40まで減っているとのこと。)
1.はともかく、2.が結構肝心なことだったりして。3.はこの地ならではという感じがしますが。

まだ、人工養殖が実用化されていないために、川(海?)で取った稚魚を養殖するしかないことと、近年、池を暖めるための重油の高騰、餌となる魚粉の高騰で経営も厳しくなっているようです。記事に乗っていた業者では、冬場に重油を使わない方法も模索しているようです。餌やりを春から秋までにして冬は本来の習性に任せてうなぎに冬眠をさせるというのもので、出荷までに2年(通常は10ヶ月)かかるが、より自然に近い形になるとのこと。確かに、重油代も、餌代も節約できるのは間違いない模様ですが・・・。

記事に乗っていた企業ではあと数年でグループ会社で全国生産量の1/3を目指しているようで、まだまだ規模拡張傾向のようでした。

#しかし、加工場では生きたうなぎが70分で蒲焼化されてしまうとのこと。
#もはや漁業ではなく工業だと思うのは私だけ・・・?

P.S.
これだけ暑いと冬眠ならぬ夏眠したいくらいです。はい。
[65176] 2008年 5月 18日(日)15:29:33【3】おがちゃん[日本人] さん
第一回海までの距離が短い市町村大会ラスト予選&決勝&秦野市
[65173]のつづきで、北海道、本州、四国、九州、沖縄島以外の島を調査してみました。(大きい島しか見ていません。(マピオンの、広域で見られる島のみ。)
では、ルールをおさらいしましょう。
(1)市でも町でも村でも、参加していい。
(2)市役所、町役場、村役場から、最も近い海までの距離を出場させる。
(3)決勝戦に進出するのは、一位のみ。
(4)距離については、マピオンのキョリ測を使う。
(5)距離が間違っている可能性もあるが、ご了承ください。
では、このルールで最終予選を開始します。
市町村名最も近い海最も近い海までの距離
1礼文町礼文水道26m
2利尻町礼文水道167m
3利尻富士町利尻水道376m
4奥尻町奥尻海峡217m
5粟島浦村日本海87m
6大島町太平洋203m
7利島村太平洋316m
8新島村太平洋358m
9神津島村太平洋104m
10三宅村太平洋419m
11御蔵島村太平洋211m
12青ヶ島村太平洋483m
13小笠原村太平洋105m
14淡路市大阪湾103m
15洲本市紀伊水道438m
16海士町日本海469m
17西ノ島町日本海63m
18小豆島町瀬戸内海432m
19土庄町瀬戸内海40m
20直島町瀬戸内海171m
21上島町瀬戸内海9m
22大崎上島町瀬戸内海18m
23江田島市瀬戸内海28m
24上関町瀬戸内海90m
25姫島村瀬戸内海315m
26対馬市日本海263m
27平戸市日本海68m
28天草市日本海300m
29西之表市大隈海峡337m
30屋久島町種子島海峡405m
31宇検村焼内湾265m
32徳之島町太平洋123m
33天城町東シナ海328m
34和泊町太平洋124m
35与論町東シナ海70m
36伊平屋村東シナ海216m
37栗国村東シナ海414m
38渡嘉敷村東シナ海301m
39座間味村東シナ海207m
40久米島町東シナ海338m
41宮古島市東シナ海373m
42石垣市東シナ海367m
43竹富町東シナ海215m
44与那国町東シナ海367m
調べ忘れたのがあるかもしれませんが、ここまで調べました。では、ランキングに直してみましょう。(トップ10まで)
順位市町村名最も近い海最も近い海までの距離
1上島町瀬戸内海9m
2大崎上島町瀬戸内海18m
3礼文町礼文水道26m
4江田島市瀬戸内海28m
5土庄町瀬戸内海40m
6西ノ島町日本海63m
7平戸市日本海68m
8与論町東シナ海70m
9粟島浦村日本海87m
10上関町瀬戸内海90m
なんと、10位まで、100m以内になってしまいました。そのなかでも、瀬戸内海パワーは強いですね。5島入っています。
1位に輝いたのは、上島町の、9mです。相当な接戦を繰り広げた中で一位の座を手に入れたのは凄いと思います。改めて、島は強いと感じました。
負けてしまった自治体もよくがんばりました。
では、いよいよ決勝戦です。
決勝進出メンバーをおさらいしておきましょう。
代表自治体
1北海道代表長万部町
2東北代表深浦町
3関東、中部代表能登町
4近畿代表太地町
5中国、四国代表尾道市
6九州、沖縄代表鹿町町
7離島代表上島町
この、7地方の代表が戦います。
スタート!!
代表自治体最も近い海最も近い海までの距離
1北海道代表長万部町太平洋74m
2東北代表深浦町日本海28m
3関東、中部代表能登町日本海34m
4近畿代表太地町太平洋5m
5中国、四国代表尾道市瀬戸内海5m
6九州、沖縄代表鹿町町日本海22m
7離島代表上島町瀬戸内海9m
では、これを、ランキングにしてみましょう。
順位代表自治体最も近い海最も近い海までの距離
(金)1近畿代表太地町太平洋5m
(金)1中国、四国代表尾道市瀬戸内海5m
(銅)3離島代表上島町瀬戸内海9m
4九州、沖縄代表鹿町町日本海22m
5東北代表深浦町日本海28m
6関東、中部代表能登町日本海34m
7北海道代表長万部町太平洋74m
このような結果で、「第一回海までの距離が短い市町村大会」優勝自治体は、太地町と、尾道市です。銅メダルは、上島町です。やはり、5mは短かったですね。4位、5位、6位、7位の自治体も代表としてよくがんばりました。
これで、「第一回海までの距離が短い市町村大会」を閉会します。
最後に、興味のない人には長い文章を大変失礼しました。

ではでは。
【1】決勝戦も追加しました。
【2】文字訂正しました。
【3】文字訂正しました。
[65173] 2008年 5月 18日(日)13:44:11おがちゃん[日本人] さん
海までの距離が短い市町村大会予選&神戸市
こんにちは。日本人です。もうすでに、「くだらない話題を長引かせるな」と考えている方もいると思いますが、ラストまで続けてしまいます。
[65170]のつづきで、九州、沖縄地方を調査してみました。
では、ルールをおさらいしましょう。
ルール
(1)市でも町でも村でも、参加していい。
(2)市役所、町役場、村役場から、最も近い海までの距離を出場させる。
(3)決勝戦に進出するのは、一位のみ。
(4)距離については、マピオンのキョリ測を使う。
(5)距離が間違っている可能性もあるが、ご了承ください。
では、このルールで予選を開始します。
市町村名最も近い海最も近い海までの距離
1芦屋町日本海255m
2鹿町町日本海22m
3東彼杵町日本海238m
4大村市日本海427m
5西海市日本海73m
6太良町有明海71m
7荒尾市有明海227m
8芦北町八代海171m
9津奈木町八代海393m
10阿久根市日本海184m
11鹿児島市鹿児島湾497m
12三島村鹿児島湾236m
13十島村鹿児島湾259m
14垂水市鹿児島湾321m
15錦江町鹿児島湾296m
16大隈鹿児島湾472m
17臼杵市臼杵湾69m
18日出町別府湾312m
19国東市豊後水道288m
20国頭村東シナ海262m
21豊見城市東シナ海430m
22糸満市東シナ海53m
23与那原町太平洋476m
これが、九州、沖縄代表として、決勝に出るために予選に出場した、23市町村です。
では、これを、ランキングにしてみましょう。(トップ10)
順位市町村名最も近い海最も近い海までの距離
1鹿町町日本海22m
2糸満市東シナ海53m
3臼杵市臼杵湾69m
4太良町有明海71m
5西海市日本海73m
6芦北町八代海171m
7阿久根市日本海184m
8荒尾市有明海227m
9三島村鹿児島湾236m
10東彼杵町日本海238m
ランキングの結果はこのようになりました。結果、1位に輝いたのは、鹿町町でした。
2位の糸満市も、3位の臼杵市も、4位の太良町も、5位の西海市もがんばりました。5市町村が100mをきるのはやはり凄いと思います。ただ、そのため、100m~200mが、2市町村しかないのは、残念です。負けてしまった市町村もよくがんばりました。
最終予選は、島の市町村予選です。

ではでは。
[61377] 2007年 9月 29日(土)15:19:35【2】伊豆之国 さん
京奈・京滋&唐津市
東京地方は昨日の夏が戻ったような暑さから一転、冷たい雨が降って肌寒い位に。いよいよ秋本番を思わせます。
さて、
[61300][61318][61327]ドラえもんさん、[61301][61360]小松原ラガーさん、[61309][61355]桜トンネルさん、[61313]ソーナンスさん、[61314]じゃごたろさん、[61317]リトルさん、[61321]日本人さん、[61324]かすみさん、[61328]faithさん、[61335]第2町人さん、[61352]むっくんさん、[61363]ニジェガロージェッツさん
「京奈」について、いろいろとご意見・ご指示をいただき、誠にありがとうございました。予想を超える反響の多さに、私としても大変恐縮すると共に、ちょっと戸惑っています。
言うまでもなく、京都・奈良と言えば共にわが国を代表する古都であり、国際的な大観光地です。そしてこの2つの都市をセットにして訪れる観光客は内外を問わず極めて多いと思います。ですから両都市間のつながりも決して小さくはないと思うのですし、これらから一文字ずつ取った「京奈」という表現があってもおかしくはないのに、実際にはこういう表現をあまり聞かない。このことについて、私は前回の書き込み[61297]の中で、この素朴な疑問を提示したわけでした。
ここで、私なりに皆さんのご意見を総合すると、
「京奈」と言う呼び方は聞いたことがありません。(中略)「京奈」ときくと真っ先に「京奈和自動車道」を思い出します。
[61309]桜トンネルさん)
そして、「京奈」という表現が一般的でない理由としては、
それはやはり京都と奈良の結びつきの弱さがあるのではないかと思います
[61313]ソーナンスさん)
といった意見に集約されるのではないでしょうか。
ちなみに本サイトの書き込み検索で「京奈」を検索すると、私の前回記事[61297]以前のものもいくつか出てきましたが、そのほとんどは「京奈和自動車道」に関するものでした。
ところで、上記に挙げた関西在住諸氏からの書き込みの中で、
ちなみに「京津」という言葉は、各人の移動範囲が拡大した現在ではあまり使われなくなってきていますね。今の主流は「京滋」でして、使われるのはせいぜい京阪電車の京津線ぐらいなのではないでしょうか。
[61352]むっくんさん)
というように、「京滋」という表現が出ていましたが、「京滋」というと、オールドファン(私もその仲間に入るかも)には、かつての夏の甲子園高校野球の「京滋代表」を思い浮かべる人がいるかもしれません。夏の「甲子園」が今のように各府県1代表(東京・北海道は2代表)になる前は、2つの府県で1つの代表を争う地区がいくつかありました。その中で、京都府と滋賀県は「京滋」代表として、この両府県で代表を争っていました。滋賀県代表は、かつてなかなか夏の甲子園で勝てず、「野球弱小県」の代名詞のようにいわれていた時期がありました。滋賀県勢にとって、強豪ひしめく京都の代表に勝つことには困難が伴い、そして京都の代表に勝って甲子園行きを果たしても、「京都に勝った」ことで燃え尽きてしまったのか、本番で勝てなかったのでしょうか。滋賀県代表が初めて「夏」で勝ったのは、1府県1代表になった頃(確か昭和50年代)だったと思います。その後は滋賀県勢も次第に力をつけ、今から6年前には近江高校が準優勝を果たしています。(ちなみにその近江高校を破って全国制覇したのが、我が地元・東京都町田市にある日大三高です。)
[61325]佐賀県さん
お尋ねは「唐津市にある温泉」とはということだと思うのですが、私は唐津の温泉について書き込んでいないし…。
伊豆之国さん、大変申し訳ありませんが、お尋ねの趣旨がわかりませんでしたので、再度書き込んでいただけないでしょうか
私も[61284]の書き込みを改めて見たのですが、言われてみると文章の趣旨が不明確でした。
そこで、改めて「唐津市の温泉」について、自分で調べてみることにしました。
まず、本サイト中の「市区町村プロフィール」から佐賀県唐津市を引いてみて、それから「観光」→「宿泊」とたどってゆくと、市街地にあるこの旅館に天然温泉の露天風呂があることが分かりました。
また、「唐津市 温泉」でGoogle検索すると、市内に天然温泉を利用した旅館や日帰り施設がいくつかあることも分かりました。(その多くは合併による新市域にあるようです。)
ともかく、「唐津市に温泉がある」ことは確認できました。
なお、前回例示した「ロイヤル」「シーサイド」の両ホテルは、やはり天然温泉ではないようでした。
ところで、週刊誌の記事によると、早稲田大学が佐賀県唐津市に中高一貫制の系列校「大隈記念・早稲田佐賀学院(仮称)」を開校する計画があり、そのことは地元ではかなり知れ渡っていて、「唐津市内に住宅を探す人が増えている」ということが書いてありました。
 ※1:誤記訂正
 ※2:「京滋」の引用先を明示、関係記事一部追加訂正
[60601] 2007年 8月 13日(月)23:53:01夜鳴き寿司屋 さん
薩摩仙台市
先日、台湾のE航空会社の台北から大阪に向かう便に搭乗したのですが、現在どこを飛行しているかの地図を見ていたところ、表題のような記載がありました。これは薩摩川内市のことだとおもいます。最もこんなケアレスミスを喜ぶのは地理ファンだけの事でしょうか?

また「牛深市」という表記も懐かしさを覚えました。ちなみに飛行コースですが台湾を出て尖閣諸島を経て大隈半島、宮崎、土佐清水、徳島を通り、淡路島から旋回して関西空港に着陸するものでした。

台北ですが、地名に「松山区」や「三重市」、「中山区」「板橋」といったどこかにあったような地名が散見しておりました。
[60373] 2007年 8月 1日(水)21:03:12EMM さん
鶴見問題・原因解明
[60366]を書いた後、あることを発見し、それにより今回の文字化け問題の直接の原因と、間接的な原因に到達しました。
[60366]の文中の「鶴見」と、[60364]の文中の「鶴見」をよーく見比べて下さい。
落書き帳のフォントサイズでは分かりにくかったのですが、エクセルにコピーしてフォントを拡大したら、「鶴」の字が違ったんです。
[60366]の文中の「鶴」の字は、つくりの中のうかんむりとふるとりがくっついている。文字コード4461。
[60364]の文中の「鶴」の字は、つくりの中のうかんむりとふるとりが離れている。文字コード972A。
この文字コード97○○あたりは、MSゴシックやMS明朝では拡張文字(本来のJISコードには含まれない文字)になります。
どうやら、落書き帳の書き込みのcgiがこのあたりの文字コードの文字を処理する場合、IEではうまく処理できずに文字化けする、Mozilla系ブラウザだとうまく処理できて文字化けしない…と言うことのようです。
(どちらの系統のブラウザでも、表示する分には問題ないようです)
試しに「鶴」と似た文字コードの「髙」(いわゆるはしごだか)を書き込んでみてプレビューしたらIEではやっぱり文字化けしました。
[60363]スピカさんの方の文字化けは、「鶴見」ではなく何か別の拡張文字が悪さしているのではないかと思われます。
以上が直接的な原因。
では間接的な原因…パソコンによって症状が出たりでなかったりした原因ですが、いつぞやの「大隅・大隈」問題と同じ原因でした。
つまり、私の自宅のパソコンのATOK、デフォルトの状態では普通の「鶴見」の上に普通じゃない「鶴見」が表示されるようになっていて、それに気付いていなかった。
さらに、それ以外の「鶴」の字を含む単語ではだいたい普通の「鶴」の字の方が上にあるか、そもそも普通の「鶴」の字しかないかだったので症状が起きなかった…と言うことでした。
大変お騒がせしました。

と言うことでスピカさん、文字化けした段落の中に「通常の字体じゃない漢字」が混ざってませんか?
別にその字体でなくてもよい内容であれば通常の字体で入力すればIEでも文字化けしませんが、その字体にこだわりたい場合は現時点ではIE以外のブラウザを使わないと文字化けしちゃうようです。

それとグリグリさん、上記の症状はcgiの調整で回避可能なものでしょうか、難しいものでしょうか?
[59470] 2007年 6月 27日(水)22:07:47TAMA さん
南おお『隈』
ついに、NHKの気象情報で『南大隈町』と表記されて
謝罪してましたよ。
TV局が間違ってはいけませんね。。
[58957] 2007年 6月 10日(日)04:06:40oki さん
幕末の勝浦
幕末時に「勝浦」を名乗っていたところは次の通り(旧高旧領取調帳による)。

幕末時現在
上総国夷隅郡勝浦勝浦市
紀伊国牟婁郡勝浦村東牟婁郡那智勝浦町
讃岐国鵜足郡勝浦村仲多度郡琴南町
土佐国吾川郡勝浦浜村高知市
筑前国宗像郡勝浦村福津市
阿波国勝浦郡小松島市、徳島市、勝浦郡

以上のうち、高知市を除く地域は今でも勝浦があります。
区画として最も大きい阿波国勝浦郡が、知名度で最低に近いのは残念な限り。平家物語には、摂津から暴風雨をついて上陸した義経が、地元民にここはどこだと尋ねたところ「勝」浦と聞いて大いに喜び、勇躍屋島に乗り込んで平家に大勝した、という逸話もあるのですけどね。
旧横瀬町と生比奈村が合併して誕生した勝浦町はもちろん、徳島市勝占町も元来は勝浦郡に属します。

私の父は、「勝浦」を「かつら」と発音します。京都の桂女も、「勝浦女」と表記されたことがあるようです。高知市にあるはずの勝浦浜村は、旧高旧領では浦戸村と併称されており、「よさこい」にいう「月の名所は桂浜」は、この勝浦浜村と見て間違いないでしょう。
要するに、勝浦=桂ということで、日本語にはこの手の表記は珍しくないと思います。大隅=大隈などというのはかわいいもの、と言うべきでしょうか。
[58940] 2007年 6月 9日(土)17:29:10【1】じゃごたろ さん
諸々
こんばんは、じゃごたろです。
雨ですねぇ。。。最近は熱帯地方のスコールのような短時間の豪雨が降る頻度が高くなった気がします。今日は朝から、しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんですが、肌寒いです。

[58938] スピカ さん

東京に住んでいる人ではありませんけど、単なる「緑」ではまず地名や自治体名を連想しません。「緑区」になってはじめて、ああどこかの政令指定都市の区なんだなと思ってしまいます。


[58930] 白桃 さん
小林(市)旭(市)の♪「恋の山手線」(小島貞二作詞)あたりがルーツではないでしょうか。
私みたいな若造にはよくわかりませんが、「自動車ショー歌」とはどっちが先なのでショー歌。。。


[58928] みかちゅう さん
「おおすみ」に関しては余計な機能といってしまうほうがいいように思います。
[58870][58830]でEMMさんが触れられているように、「大隈」で「おおすみ」と読むとされる名字があるらしい、いう可能性からいうと、「余計な機能」というのはちょっと語弊があるかと思われます。。。


[58918] 千本桜 さん
そうでしたか。私はまた、行先案内板に関しては通行の誘導をするためのものであると思っていました。
まあ「誘導」と「制御」とは意味が違うのでしょうが、行先案内板の機能としては、「誘導」もあれば「制御」もあるし、「制御のための誘導」もあると思いますので、あまりこれらの単語の差異を重要視することもないんじゃないかと思います。

私だけの考えかもしれませんが、追加で。。。
「制御」というとなんか強制的で、「誘導」の方がある程度自分の意思が通るというイメージもあるかもしれませんが、避難訓練の時の誘導、混雑する駐車場での誘導、旅行会社の添乗員の誘導、などなど。結局、個々の自由な行動を許すと混乱するため、それを「制御」するために「誘導」するものだと思っています。。。
[58928] 2007年 6月 9日(土)11:14:44みかちゅう さん
地名に見る誤字・誤変換
[58917]Issieさん
「いばらぎ」と打っても「茨城」と変換できたり,「おおすみ」で「大隈」が出てくるのは,IMEの「間違い」ではなく「親切心」と,私は理解したい
前者は読みが誤りでも正しい漢字が出てくるのだから、ひらがなで入れたのを漢字に変換するという意味では結果的に目的を達することができます。しかし後者は正しい読みで入れたのに間違った漢字が出てくるので大きな問題であると考えます。しかも「隅」と「隈」はパソコンの画面上では区別しにくいにもかかわらず、印刷したときにははっきりミスだとわかってしまいます。結局は自分で注意しなさいというところなのでしょうが、「おおすみ」に関しては余計な機能といってしまうほうがいいように思います。

[58919]牛山牛太郎さん
中には、よく間違えられるものもありますが、「そんなアホなっ!」というのもありますね。
だれでも知っているような字のミスが多い上に読み方も関係なく似たような字が取り違えられているので、どうやらOCR認識したのをチェックせずにそのままアップしてしまったのでしょう。いちいちチェックしている時間はないし、ざーっと目を通すだけでは細かい字の違いなどに気づくはずがありません。もちろん「書いてある内容は推測がつくからいいだろう」という考えもあるでしょうが、あまりにも誤字が多いとねぇ・・・。

大阪県・京都県っていうのは性質が違いますね。都道府県の一覧を作っている際になんとなく全部に「県」とつけてしまうのでしょうか。
試験の答案で「大阪県」と解答してくるのも時々見られますが、こちらもつい「県名を答えるんだから、○○県と答えなきゃな」という考えが先行してしまうのでしょう。まさか本気で「大阪県」なんて思っていることはないだろう、と思っているのですが…。
[58917] 2007年 6月 8日(金)23:22:18【1】Issie さん
ジェータヴァナ・ヴィハーラ または ぎをんしやうじや
[58911] じゃごたろ さん
京都の「祇園」は「祗園」という字ではないという話題がありましたが

私は“しめすへん”を「ネ」で書こうが「示」で書こうがどちらも「同じ文字」と理解することにしているので,どこが違うのだろうと一瞬思ったのですが,よく見ると“へん”の違いではなく“つくり”の違いなのですね。
いや,これは確かに全く別の文字だ…。

思ふに,
 1)「ぎをん」の「ぎ」を書くに当たつて,その“しめすへん”にふさはしいのは“新字体”「ネ」よりは“旧字体”の「示」でなくてはならない,などといふ“思ひ込み”がある。
 2)パソコン上で漢字を探すと,確かに「示へん」を使つた「祗」といふ字があるではないか…
 3)きつと,この字に違ひはなからむ…
…なんて思考が働いてゐるのでせうね。

でも,決して笑える話ではありません。
以前にも話題になっているのですが,
房総の上総国に「すえ郡」という郡がありました。おおよそ,小糸川流域をその領域としていました。
明治半ばの郡制施行の際に,小櫃川流域を領域とする 望陀(もうだ <まぐた)郡 と,浦賀水道沿岸の 天羽郡 と合併して,実は“どこから拾ってきた地名か,わからない”,恐らくは神話由来の「君津郡」という郡の一部になりました。

この郡は,古代には「周淮郡」と表記されていたようです。「淮」の“へん”は“さんずい”。ここんとこ,大事です。
読み方は「すえ郡」または「すゑ郡」。“さんずい”の「淮」の音は「ワイ」または「ヱ」ですから,これに問題はありません。
ところが,いつの頃からか,この郡は「周准郡」とも表記されるようになりました。“にすい”の「准」。
“さんずい”の「淮」とよく似た字ですが,これは「準」の異体字で,つまり「ジュン」と読むべき文字であって,要するに,「周准郡」と書いて「すえ郡」と読もうとするのは,明らかな間違いです。

気になって確認してみたら,「準」という字は「淮」と「十」が組み合わさった字なのではなくて,「隼」という字に“さんずい”がついた文字なのですね。「隼」の音が シュン または ジュン であるから,これに“さんずい”のついた「準」も ジュン と読むのでした。
この成り立ちから,「十」の上には“さんずい”の「淮」が乗らなければならないはずなのだけれども,いつしか「十」の上に“にすい”の「准」が乗り,あるいは「十」を省いて「准」だけでも使用される(しかも,「准后」「准三宮」などというように頻繁に)。

かくて,「すえ郡」には,「周淮郡」と「周准郡」の両方の表記が行われるようになった。
しかもそれで終わらずに,「准」の音に由来すると思われる「すす郡」または「すず郡」という読みさえ行われるようになって…

明治の初めには,漢字表記で「周淮郡」「周准郡」,読みで「すえ郡」「すす郡」がともに行われ,この組み合わせで都合4パターンが存在していたようなのです。
結局,これを整理することがないまま,「君津郡」に統合されてしまいました。

大隈/大隅」vs「おおくま/おおすみ」の混同なぞ,たいした話ではないのです。

私はIMEに「正しい」漢字変換なんて期待していません。
読みが「正し」かろうが,そうでなかろうが,速やかに求める漢字に変換されることが何よりも大事なのであって,IMEはそのための手段に過ぎない。
そもそも,入力する際にいつも「正しい」読み方で入力するとは限らない。
欲しいのは,たとえば「茨城」という漢字であって,それが「いばらき」であろうが「いばらぎ」であろうが,その漢字になりさえすればいいのであって,逆に「いばらぎ」と打って「茨城」が得られなければ,そのストレスの方がはるかに大きく感じます。
「いばらぎ」と打っても「茨城」と変換できたり,「おおすみ」で「大隈」が出てくるのは,IMEの「間違い」ではなく「親切心」と,私は理解したいと思っています。
結局,IMEは決して辞書ではないのです。辞書である必要もない。
要は,私たちがIMEに“騙され”ないように,自分の「国語力」を磨かなくてはならないのであって,IMEのせいにするなど“お門違い”のことなのだと,私は思います。
だって,パソコンやワープロに頼らず,自分の手で書いていた頃は,誤字は全く自分のせいになっていたでしょ。

…そんなことより,Windows 付属のIME,いくら教えても物を一向に憶えようとせず,どうでもよい特別な用字ばかりを記憶する「馬鹿さ加減」を何とかして欲しいと,切に思うのでした。
[58910] 2007年 6月 8日(金)14:34:52きまぐれ さん
続「萩」と「荻」
[58873]どなたからも「レス」がないので私自身から。
ネットで調べた範囲ですけれど、白川郷荻町を萩町と誤入力しているケースが見られたのです。
白川郷は昭和51年(1976年)に「白川村荻町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、さらに「白川郷と五箇山の合掌造集落」として1995年に世界文化遺産に登録されています。萩町が一般化することに危惧を感じているのです。
大隅が大隈と誤記されて一般化し、「大隅半島」が「大隈半島」ともなり、大隈さんと大隅さんが混用されているのだと思います。
「隅田川」を「隈田川」と書けば、誤記ときづく人が多いと思いますが、知名度がないから「荻町」を「萩町」と間違えて入力するのです。地元の人に成り代わって、「くれぐれも、白川郷荻町を萩町と間違わないようお願いします。」
[58905] 2007年 6月 8日(金)11:08:45リトル さん
検索+m2
[58870] EMMさん
[58902] 白桃さん
"大隈半島"の検索結果の一番上に某超大手旅行代理店が…
→間違ったorアバウト検索の人を誘導する為にわざと登録しているんでしょうか?
考えますね。

[58903] 般若堂そんぴん さん
~という部分の一部の文字がブラウザによっては正しく表示されません
→「平米・立米記号」は多用するのにCADなどでも文字化けが多く泣かされますね。
ITに弱い私は図面などでは、半角の「m」「2」の2文字で書き、化けぬようにしています。

皆様がさまざまな丹後に飯能して志摩って~日南去ってまた日南
→上手い!山田君1枚やって呉!

すぐ書かぬと忘れそうで…
連投すみませぬ…
リトル
[58902] 2007年 6月 8日(金)07:22:06白桃 さん
おおすみ重信町
[58870]EMM さん
#そういえば、"大隈半島"の検索結果の一番上に某超大手旅行代理店が…
こりゃ、ひどい!
さっそく、この旅行会社(「旅行代理店」という名称は不適切です)の会長さんに次のように「指導」をしときましょう。
「いつも白桃をイジメていただいて有り難うございます。ところで、会長様は学生時代「地理」を専攻していたとお伺いしておりますが、困ったもんですネ。」
しかし、私も大隈と大隅では大失敗をしたことがあります。
ある国家試験の会場手配の関係で、ソノ大学担当者に電話で
「ここにあるオオスミさんの銅像・・・」と思わず言ってしまいました。(汗)
[58870] 2007年 6月 6日(水)07:50:28【1】EMM さん
「おおすみ」の件、も少し
[58851] みかちゅうさん
最近の年金納付記録の消滅問題の原因には、けっこうこの手の漢字間違いが含まれていそうだとか。手書きのを入力する際に間違えるというのは当然ありうることなのですが、同様のミスが電話帳の作成の際にも起こっている可能性があります。果たして「大隈」と書いて「おおすみ」、あるいは「大隅」と書いて「おおくま」と読む方がどれだけいるのでしょうか…。手書き時代の戸籍での表記は(俗字等は本人の申請で改められるものの)絶対なわけですが、電話帳の表記にどれほどの信用があるのかも気になります。
確かに電話帳に間違いがあったという話は佐久間英さんの著書にもありましたし、それらしきものを見たこともあります。
が、現状では電話帳に「大隈」で「おおすみ」と出ているものを間違いと明確に断定するだけの材料がない…と言うのもあります。
なので「ある」「なし」については慎重に論ずるべきかもしれません。
(ただ、調査するとしても読みベースの調査は難しい…。それでもいろいろ調べている間に「大隈(おおすみ)は○○県の名字」と言うことを書いたHPがあったので、その件を重点的に調べれば何かつかめるかも。ただし、その県には「大隈」さん自体が2ケタに届くか届かないかぐらいしかいないみたいで、その数を見たら誤字臭い雰囲気も漂ってきたような…)

一方で、ATOKやMS-IMEで「おおすみ」を変換すると「大隅」より「大隈」の方が上に出てくるのはどうにかした方が良い、と思います。
試しにYahoo!で「大隈 "おおすみ"」を検索してみたら、出てくるページことごとく「大隅の変換間違い」か「おおくまの読み間違い」でした。
しかも、その中には鹿児島県内の企業や団体(しまいには大隅町関係のものまで!)も多数含まれる始末。
そう言うHPって「大隅」と「大隈」が混在しているんですよ。
たぶん「単文節か長文か、後ろに続く単語がどんな種類か、固有名詞か否か」などでどっちが先に出てくるか変わってきて、それを気付かないままUPしちゃってるんじゃないかと。
もし「おおすみ」と読む「大隈」姓が本当に誤字由来だったら論外ですが、あるにしても「その読みで辞書に登録しなければならないほどの数がいるのか?」というのはあると思います。
信じられないほどの数の誤字(例:Yahoo!で「"大隈半島"」で検索した結果)を生み出している事を考えると、「入れるべきではない」単語なのではないでしょうか。
(必要な人はユーザー単語登録すれば住む話ですし…)

#そういえば、"大隈半島"の検索結果の一番上に某超大手旅行代理店が…
困っちゃいますねぇ…白桃さん、ご指導方よろしくお願いするわけには…難しいか。
[58851] 2007年 6月 4日(月)23:40:35みかちゅう さん
「おおすみ」関係
「おおすみ」に関するコメント、ありがとうございます。

[58820]k-aceさん
実は、「犬吠埼」も「犬吠崎」だと思っていました
崎・埼・碕の混同もけっこうありますね。地名の正確さという観点からは書き分ける必要があるでしょうが、どの字も「さき」と読むには違いないわけで…。でも「おおすみ」の場合とは違い、どの字でも「さき」と読めるという意味では大して問題がないといえるでしょうか。観光地図などではあまり意識されていないようなことも多いですし。あ、でも「埼玉」と「宮崎」はきちんと書き分けてくださいね。

[58826]スナフキんさん
IMEの単なるミステイクが今の今まで続いているとも考えにくく、意図的である可能性があります。
[58841]じゃごたろさん
辞書を作成するさいに、多分この漢字と似ているからこういう読み間違いをするだろう、なとど『親切心』から間違った読みが登録しているのでしょう
プログラムのミスなのか、誤読対策に意図的に入れているのかは気になるところですね。親切心で入れているのなら、正しい読みを変換の際に表示されるように一工夫してくれればいいのに。普通の人にとっては大きなお世話な機能かもしれないけれど。なお「いばら“ぎ”けん」は「茨城県」って変換されてしまいます。変換ソフトやバージョンによってもかなり違うのは予想されますが、こういう誤読のフォローがなされている単語ってけっこうあるんでしょうか。

[58828]Issieさん
律令時代来,「おほすみ国」は「大隅国」と表記するのが「正しい」とされているようです。
昔は「大隈」と普通に書かれていた、というわけではなかったのですね。一般的に鹿児島県の「おおすみ」を「大隈」と表記しているのは単なるミスと考えてよさそうですね。

[58830]EMMさん
件数的には「おおくま」と比べると圧倒的に少ないんだろうとは思いますが、具体的なところは分かりません
最近の年金納付記録の消滅問題の原因には、けっこうこの手の漢字間違いが含まれていそうだとか。手書きのを入力する際に間違えるというのは当然ありうることなのですが、同様のミスが電話帳の作成の際にも起こっている可能性があります。果たして「大隈」と書いて「おおすみ」、あるいは「大隅」と書いて「おおくま」と読む方がどれだけいるのでしょうか…。手書き時代の戸籍での表記は(俗字等は本人の申請で改められるものの)絶対なわけですが、電話帳の表記にどれほどの信用があるのかも気になります。

戸籍の電算化の際に俗字は一般の字に統一するという扱いがなされつつありますが、手書きの原本はどうなるのでしょう。苗字にしか見られない「珍しい字」も公の場からはぼちぼち見納めとなってしまうのでしょうか。
そういえば住基ネットではどういう扱いがされているんだろう。全国一律のデータベース、私的に検索できたら楽しめるんだろうなぁ。発覚したら処分を受けるだろうけど。
[58841] 2007年 6月 4日(月)09:01:22じゃごたろ さん
re: 名字・名前の読み書きの「揺れ」は地名の比でなく
こんばんは、じゃごたろです。

[58830] EMM さん
大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
個人的な見解としては、これは戸籍登録上のミスに由来するのではなだろうか、と思ってます。「大隅(おおすみ)」と登録しようと思ったのに、何らしかのミスで「大隈(おおすみ)」と登録されてしまい、現在に至っているのでは、と。


[58811] 2007 年 6 月 3 日 (日) 01:04:01 みかちゅう さん
「おおくま」で変換しても「大隅」は出ないからでしょう。
ところで私のPCでは「おおすみ」でも「おおくま」でも「大隅」「大隈」の両者が候補として表示されてしまいます。みかちゅうさんの辞書とは違うようですね。

で、以前にも触れたことがあったと思いますが、これは現在のPCの日本語変換の功罪を顕著にあらわしていますよね。あくまてもPCの日本語変換とは、いかに早く入力できるか、ということに主眼が置かれていて、「間違った読みでも変換できてしまう」ケースが見られます。辞書を作成するさいに、多分この漢字と似ているからこういう読み間違いをするだろう、なとど『親切心」から間違った読みが登録しているのでしょうが、知らない人にとってはそれが本来の読みや漢字であると誤解されてしまうおそれがありますね。
[58833] 2007年 6月 4日(月)00:09:55【1】k-ace さん
「おおすみ」&リンク
[58830] EMM さん
大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
須崎さんのホームページ大隈を検索するとその読みの中に「おおすみ」が記載されていますし、ATOKでは「大隈(おおすみ)」は「固有人姓」のみ登録があり「固有地名」での登録はありませんでした。
MS-IMEでの扱いがどうなっとるかは分かりません。
大隈」と書いて「おおすみ」と読む方がいらっしゃるんですね…。知りませんでした。全国の大隈(おおすみ、おおずみ)さん、すみませんでした。


[58832] 小松原ラガー さん
確かにリンクされていますね。但し、リンクのアドレスが旧の http://glin.jp のままですが・・・。これって、気が付いてしまうと「直してくれ~。」と大阪書籍に言いたいものですね。
私もURLのことが気になりました。で大阪書籍のHPに「その他のお問い合わせ,ご連絡」というところがありましたので、つい先ほどURLを直してほしい(実際はもう少し丁寧に書いていますが)と書いて送っておきました。
[58830] 2007年 6月 3日(日)23:31:57【1】EMM さん
名字・名前の読み書きの「揺れ」は地名の比でなく
[58820] k-aceさん
[58826] スナフキんさん
[58828] Issieさん

大隈」を「おおすみ」と読むのは名字の話のようです。
須崎さんのホームページ大隈を検索するとその読みの中に「おおすみ」が記載されていますし、ATOKでは「大隈(おおすみ)」は「固有人姓」のみ登録があり「固有地名」での登録はありませんでした。
MS-IMEでの扱いがどうなっとるかは分かりません。

#件数的には「おおくま」と比べると圧倒的に少ないんだろうとは思いますが、具体的なところは分かりません。
すぐ手に取れるところにあった電話帳を見た限り、金沢市・福井市・高岡市には見られません。

##名字ではこういう事例、結構あります。
例えば「たつみ」さんには「辰巳」「辰已」「辰己」が見られますし…(まるで間違い探し)
「已」は「い」、「己」は「き」「こ」で、これを使って「たつみ」と言うのはどう考えても間違いなのですが、「いや、わしゃ戸籍でこういう字になっとるし、こう書いてたつみと読むんじゃ」と言われればそれまでなのです。
[58828] 2007年 6月 3日(日)22:54:30【2】Issie さん
半径千キロの円
[58820] k-ace さん
小学校・中学校・高校の地図帳の「東京から1000kmの円」って東京のどこを基点にしているんでしょうか?

学校で使う「検定済み教科書」としての地図帳は多くがB5版で,最近はA4版のものも出るようになってきたけど,いずれにしても,見開きB4またはA3の大きさでは,“半径1000kmの円”を描けるような地図は,相当に縮尺の小さい(対象地域をかなり小さく縮小して描いている)地図ということになりますね。
東京中心となると,東アジア全域や北西太平洋全域が入るような地図になるでしょうか。

…とすると,すでに「東京都」全体がかなりの程度まで縮小されていて,先の磨り減った鉛筆やマーカーでマークしようものなら“点1つ”で東京都全体(島を除く)を覆ってしまうかもしれません。
ここまで縮小されれば,もはや「東京のどこ」を求めるのは無意味だと思われます。丸の内の旧都庁や東京駅,皇居にしても,新宿淀橋の現都庁にしても,それは尖らせた鉛筆の芯の先端程度の違いもないでしょう。
東京湾(これも,恐らくはごく大雑把にしか描けないと思いますが)の奥の“然るべき位置”を中心に描くことになるのだと思われます。
敢えて言えば,こういう時こそ「日本経緯度原点」の出番なのかもしれません。

なお,地図帳の後ろに掲載されている統計表の気候データにある「東京」の 北緯35度41分・東経139度46分 とは,大手町の気象庁の位置です。

大隈」=「おおくま」だけだと思っていました。「おおすみ」とも読むのですね。

「読むこともある(かもしれない)」というだけです。
Windows のおまけについているメジャーなIMEで,デフォルトで早い順位に出てきてしまうので,つい「大隈」と“誤変換”してしまいがちなのですね。
だからといって,南九州の「おほすみ(大隅)国」を「大隈国」と書くことがある,というわけではありません(だからといって,「書くことが決してない」というわけでも,必ずしもありません。あるかもしれない)。
とりあえず,律令時代来,「おほすみ国」は「大隅国」と表記するのが「正しい」とされているようです。
[58826] 2007年 6月 3日(日)22:33:48スナフキん さん
「おおすみ」の話
[58811]みかちゅうさん
[58820]k-aceさん
「おおすみ」問題ですが、どうやっても隈の字は「すみ」とは読みません、明らかな誤りです。念のためと思って手元にある漢和辞典を調べましたが、間違いありません。

しかし、MS-IMEでは確かに「おおすみ」と入力すると候補に「大隈」が出てきます。しかもこれ、つい最近始まった話ではなくて、確かWindows95の頃からずっと引きずっている話だったと記憶しています。ということは、IMEの単なるミステイクが今の今まで続いているとも考えにくく、意図的である可能性があります。

ひとつ気になったのは、先ほど調べた漢和辞典にはこんなことが書いてありました。「隈」の字には「山の入りくんだすみ」という字義があるようです。この意味をそのまま素直に読みとして定着させてしまった、いわゆる「慣用」の可能性がどこかに潜んでいるかもしれません。それは地名としてか人名としてか、ちょっとそこまでは調べていませんが…。

ただいずれにせよ、鹿児島県の大隅国は「隈」の字では間違いです。みかちゅうさんが指摘されている比率ですが、ネットの検索結果は、恐らく字体が似ているために混同してそのまま流れている誤りだと考えられます。そして数が多すぎるのは、IMEがおおすみ→大隈を基本的な日本語変換ソフトであるIMEが長いこと設定していること、「隅」と「隈」の字とがあまりにもよく似ていることが大きな原因と思われます。
[58820] 2007年 6月 3日(日)19:34:50【1】k-ace さん
「大隅・大隈」&東京の中心など
こんばんは、k-aceです。

[58811] みかちゅう さん
地図の書き方を説明する際に出てくる半島名に「おおすみ半島」というのがあります。みなさん、当然漢字でかけますよね? もちろん「大隅」です。しかし、「大隈」が落書き帳の書き込みで大量に引っかかります(検索結果)。手書きでもないのにこんなに出るものか、と思って試しに「おおすみ」で漢字変換すると「大隈」も不思議なことに出てくるんですよねぇ…。
拙稿[58807]で「大隈半島」(野馳(後)、「大隅半島」に修正済み)って書いたんですが、その時の話をば。
「おおすみ」と打つとなぜか「大住」が最初に出てきました。で、普通は「大隅」が最初に出てくると思って、無意識にEnterを押したんですが、違ったので打ち直してみたら「大隈」が出てきたんですが、それを「大隅」と誤認し、それで打ったまま投稿してしまいました(汗)
大隈」=「おおくま」だけだと思っていました。「おおすみ」とも読むのですね。
実は、「犬吠埼」も「犬吠崎」だと思っていました(今回、地図で確認して「犬吠埼」と間違えずに書きましたが…)。


[58814] geo さん
[58815] Issie さん
小学校・中学校・高校の地図帳の「東京から1000kmの円」って東京のどこを基点にしているんでしょうか?


[58818] 稚拙 さん
すみません、[57274] 2007 年 3 月 15 日 (木) 10:12:12 かわっちょ さん
の書き込みの「中学校「歴史」教科書(大阪書籍)」のうしろに
「の指導書」と書いてあるのを見落としていました。
[58503] 稚拙 さんの書き込みは、[57274] かわっちょ さんの書き込みに対する反応だったんですね…。
[58811] 2007年 6月 3日(日)01:04:01みかちゅう さん
大隅だっけ、いや大隈だっけ?
地図の書き方を説明する際に出てくる半島名に「おおすみ半島」というのがあります。みなさん、当然漢字でかけますよね? もちろん「大隅」です。しかし、「大隈」が落書き帳の書き込みで大量に引っかかります(検索結果)。手書きでもないのにこんなに出るものか、と思って試しに「おおすみ」で漢字変換すると「大隈」も不思議なことに出てくるんですよねぇ…。ひょっとして苗字では両者の混同がけっこうあるんでしょうか?

ちなみにYahoo検索では「大隈半島」が正しい「大隅半島」の半分もあります。すなわち、正:誤=2:1。グーグル検索なら3:1ぐらいです。全てが間違って書かれているのではないにしろ、あまりにも多すぎます。「大隈重信」を間違えている数が圧倒的に少ないのは、「おおくま」で変換しても「大隅」は出ないからでしょう。

社会科の試験の採点の際にはもっと複雑なんですよね…。何せ手書きの文字を判断していくので「隅」の旁が怪しいものも多数でてくるんです。「大隈重信」とともに小中学生レベルの基礎用語だけに出題回数も多くなりがちなもので困ります。
[58802] 2007年 6月 2日(土)16:52:33ペーロケ さん
日本列島の描き方
 日本列島の形って本当に美しく(特に埋め立てられる前の海岸線の形)、何時間見ても飽きないんですけど、いざ描くとなると本当に難しい形をしておりますね。4大島のみですが、日本列島のポイントをちょっと整理してみました。(今回は細かい半島は無視しました)

北海道

 経線に対して左右対称の菱形ではなく、やや左上~右下へ傾いている。宗谷岬から右側(オホーツク海沿岸)は平均するとだいたい斜め45度程度であるのに対し、左側ではほぼ垂直、むしろ天塩町あたりは右に反り返っている。逆に、襟裳岬から広尾方面の海岸線はほぼ垂直であるのに対し、日高方面の海岸線は30度くらいしか傾いていない。また、釧路は苫小牧と同緯度ではなく、むしろ札幌に近い。南北方向では、北側に大きく迫り出しており、南側はあまり出ていない。渡島半島は襟裳岬よりも迫り出している。
 渡島半島は、北海道本体に直接つながっているのではなく、苫小牧~室蘭~積丹半島~石狩を結ぶ菱形の「二の腕」を介してつながっている「節足動物の腕」である。また、渡島半島の先にある亀田半島と松前半島は、松前半島の方が大きく、南へ迫り出している。
 知床半島はしっかり角が出ているが、根室半島は「オマケ」程度の大きさと考えて良い。野付半島は上級者向け。
 北海道は縮尺が他の地方と統一されていないことが多く、大きさが小さく見られがち。下に見える青森県は渡島半島の幅程度しかないことを考えて位置を決める。

本州

 東北地方は上に北海道があるせいか実際より細く見られがちであるが、西日本各県に比べて大きい。長さ、幅共に中国地方の倍程度ある。
 陸奥湾はりんごの形をしている。それを三角形のとんがり帽子とともに蓋をしているのが右側の下北半島。付け根の部分は津軽半島に比べて非常に細長い。尻屋崎を忘れずに。その尻屋岬から東海岸は青森県は凹、岩手県は凸、宮城県は凹+尖端+大きな凹、福島県は凸、茨城県は凹、千葉県の九十九里浜は凹と、円弧を組み合わせて描くことができる。本州東南部は房総半島、三浦半島、伊豆半島と半島が続く。このうち、三浦半島はかなり小さく角ばっており、伊豆半島は房総半島のおよそ半分で楕円形。房総半島は菱形に近い。東京湾の形もポイント。川崎~木更津間がくびれている。御前崎より西はほぼ東西に平行となり、伊勢湾に続く。三河湾は半田市付近が、伊勢湾は名古屋市付近がとがっている。知多半島は細長く、右曲がり。志摩半島は角ばっている。志摩半島から新宮市付近まではほぼ凹の円弧。新宮市から潮岬を経て白浜まではほぼ凸の円弧。西海岸には、白浜半島を除けば半島は3つ並んでいる。大阪市の緯度は津市と同程度。名古屋ではない。大阪湾はきれいな楕円形。その延長で淡路島も描ける。明石市付近のふたこぶを経由し、播磨灘へ。姫路市付近から児島半島まで、多少の凹凸はあるものの水平ではなく微妙に南下している。児島半島から玉島まで少し北上するも、以降呉市付近まで微妙な南下が続く。広島湾で多少北上するも、逆に柳井まで一気に南下、しかし、上関から宇部市の凸を経て下関まで緩やかな円弧が続く。
 一方、日本海側は津軽半島から深浦、男鹿半島以外は目立った半島がなく、微妙な凹凸さえ気にすれば富山湾付近まで一気に円弧を描くことができる。新潟市付近の微妙な膨らみは意外と大きいので注意。黒部市までやってきた海岸線は富山湾でがくんと落ち込み、栓抜きの形をした能登半島が突き出す。能登半島を過ぎるとしばらく緩やかな円弧が続き、二つのこぶを経て若狭湾のリアスゾーンに突入。四角い丹後半島以降は若狭湾よりもやや北の位置で水平になる。大山付近で凸の反動で落ち込んだ後、弓ヶ浜へ。島根半島以降は萩市まで一気に斜めに下る。その後ちょっと水平に描いた後、角島で直角に曲がり、下関へ繋ぐ。

四国

 四国は本州以上に傾いている。ひょうたん型ではあるが、左側の方が大きい。また、胴の部分が結構長い。香川県は高輪半島よりも大きいが平べったい。高輪半島から佐田岬までは円弧と考えてよいが、伊予市付近まではほぼ垂直である。土佐湾は左右対称ではなく、足摺岬のほうがはるかに南にある。また、蒲生田岬から室戸岬までは凹の円弧、足摺岬から八幡浜までは凸のリアスである。

九州

 上が広く、下が狭い四角形。福岡県は二つ角があるように描くとうまく描ける。有明海を挟んだ長崎県はかなり複雑なため難易度が高い。大村湾を囲むように西彼杵半島を書き、角のような長崎半島と餅のような島原半島を付け加えると考える。東海岸には円形の国東半島がポイント。南部には三角形の足が付いた大隈半島が右、台形の薩摩半島が左であり、互いに差し合っている形になっている。また、桜島は大隈半島にくっついている。
[57326] 2007年 3月 18日(日)08:47:40【6】むっくん さん
過去の地域別人口
[57281][57296][57308](モリモリさん)による過去の人口データの書き込みにおいての1900年(明治33年)の総人口の部分(5500万人)が国土交通省国土交通省港湾局開発課による新世紀港湾ビジョンについて・コラム(18)(PDF)の明治末期の4500万人という数字とかけ離れていていて???と思いました。そこで、私も手持ちの過去の人口の資料を紹介したいと思います。
種本は『人口から読む日本の歴史』(著:鬼頭宏、講談社、2000)で、以下にこの本の表1より引用します。
#ちなみにこの種本は上記PDFの資料とされている「日本二千年の人口史」(著:鬼頭宏、PHP研究所、1983)の増補改訂版です。

(単位:万人)                                   
時代&年北海道東奥羽西奥羽北関東南関東北陸東山東海畿内畿内周辺山陰山陽四国北九州南九州沖縄合計
縄文早期
8100B.P.0.170.030.250.720.040.310.210.010.020.010.030.020.080.112.0
縄文前期
5200B.P.1.430.491.263.020.422.550.480.040.130.050.090.040.140.4210.6
縄文中期
4300B.P.3.241.432.397.152.467.231.280.040.230.050.070.020.140.3926.1
縄文後期
3300B.P.3.610.771.683.481.572.220.740.110.310.090.170.270.240.7716.0
縄文晩期
2900B.P.2.751.200.390.380.510.620.640.080.120.110.100.050.300.337.9
弥生
1800B.P.2.870.473.935.972.078.515.443.027.031.774.893.014.056.4659.5
奈良
725218364225124946503544283422451
平安初期
800198455246184158604654344228551
平安前期
9003719737354364252723146304930644
平安末期
11503328718971334350753347324830684
安土桃山
16000.7733471130864310822814041826380471277
江戸
172122361052213942591262642703381172431842391303128
175032201022143912591282712573201242451872391413101
175632171012113872661322692603291272491932431423128
17863188971773482531332722453211302571992381493010
17923188981703462631292592433141312561992401492987
179831911021703522721362752463121382662042391493057
180451921041663492771352782423121392672112451513075
182271981091623473011392972483251482822242461583191
182882021141603613121542952523261502912282501603263
183482031131503503171462942493221532962322531613248
184081811001553612881392822323121392802262481593110
184691931091593733041432922403211452922332551613230
明治
187312231120166356331139282204302134291246286214173330
188016248130208376348140311236345104309262301225353596
*116251128189393348151303222323140309262301225353596
189042295146249483386163351277382110333287339248414131
*242298142228502386175341271349149333287339248414131
190095346164289563391182393324417115366301390272474654
大正
1920236393187345768385215471444477117380307486330575596
昭和
19504306362675191305518287741645661151528422737472708390
197553467824558027045312801110117886813560240478945210411194
平成
199556973624769432585623081271128696113963941885948312712557
200056873824370233425613101292128998213863641586348213212693

#1873年までは国別。1880年からは府県別。*1は1880年の国別、*2は1890年の国別。
#1920,1950,1975,1995,2000年は国勢調査による。2000年の値はむっくんが追記しました。
#1880年、1890年の国別と府県別の値の食い違いについては原本でも未修正のまま。

16地域の国別(府県別)構成は次のとおり。
北海道:蝦夷(北海道・1890年までは千島、樺太を含む)
東奥羽:陸奥(青森・岩手・宮城・福島)
西奥羽:出羽(秋田・山形)
北関東:常陸・下野・上野(茨城・栃木・群馬)
南関東:安房・上総・下総・武蔵・相模(千葉・埼玉・東京・神奈川)
北陸:佐渡・越後・越中・能登・加賀・越前・若狭(新潟・富山・石川・福井)
東山:甲斐・信濃・飛騨(山梨・長野)
東海:伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・美濃(静岡・愛知・岐阜)
畿内:大和・山城・摂津・河内・和泉(京都・大阪・奈良)
畿内周辺:近江・伊賀・伊勢・志摩・紀伊・淡路・播磨(滋賀・三重・和歌山・兵庫)
山陰:丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見(鳥取・島根)
山陽:備前・備中・美作・備後・安芸・周防・長門(岡山・広島・山口)
四国:阿波・讃岐・伊予・土佐(徳島・香川・愛媛・高知)
北九州:筑前・筑後・肥前・壱岐・対馬・豊前・豊後(福岡・佐賀・長崎・大分)
南九州:肥後・日向・大隈・薩摩(熊本・宮崎・鹿児島)
沖縄:琉球(沖縄)


私はこの表を見るまで、基本的には今まで日本の人口は単調増加しているものと思っていました。ところが、縄文晩期に著しい人口の落ち込みがあることを知りました。これは大きな驚きでした。
また日本の人口は今減少に向かっていますが、この表から他にも1721年から1750年にかけて、1756年から1792年にかけて、1828年から1840年にかけてと3回も人口が減少していていることが読み取れ、現在の日本の人口減少は記録上では少なくても4回目であることが分かります。

他に特筆すべきこととしては、江戸時代中期からの北関東の人口減少です。大いなる人口減少装置とも揶揄された江戸が人々を吸い寄せる力は絶大ですね。

#この表を数値ではなくグラフで見たい方にはここここが必見です。少し分析的に知りたい方は、参議院常任委員会調査室・特別調査室が編集・発行している立法と調査260号(PDF)を読まれると理解が進むものと思われます。
#B.P.とはBefore Presentの略で、例えば表中の8100B.P.はこの本が発行された西暦2000年の8100年前である紀元前6100年のことだと考えられます。
[57098] 2007年 2月 28日(水)23:46:47小松原ラガー さん
とりあえず港と島達度
小松原ラガーです。

記憶が曖昧でいい加減な申告なのですが、港と島達度とを。

【港】
函館、青森、名古屋、鳥羽、大津、加太、友が島、大阪城公園、香住、神戸(中突堤)、須磨、明石、岩屋、大磯、江井、福良、鳴門観光、徳島、高知、土庄、新岡山、宇野、高松、鹿島、鹿児島(櫻島桟橋)、桜島、山川、根占、ハウステンボス、長崎空港、・・・

書き出して改めて記憶がボロボロなのを痛感しました。函館、青森は青函連絡船、名古屋は名古屋港遊覧。鳥羽、大津、大阪城公園、香住も同じく遊覧。(大阪城公園は正式な名称がわかりません。利用したのは水上バスです。)神戸は少なくとも遊覧船と小豆島、徳島には行っているのは確かですが、遊覧で中突堤は確実として、それ以外は神戸港のどこかは記憶がはっきりしません。須磨は淡路島(大磯)に渡るルート、明石、岩屋も。江井は淡路島なのですが、微妙です。ただ、江井の海水浴場には幼い頃によく行ったので、その頃は本州側から江井への航路があったものと思います。(今もある?)福良、鳴門観光は共に観潮船、土庄は微妙です。ひょっとしたら小豆島の別の港かも。ただ、淡路島、小豆島は何度となく行っているので、漏れている可能性があります。新岡山も小豆島に渡るときに利用した、かな?という感じです。宇野、高松は宇高連絡線、鹿島は愛南町(旧西海町)、ということはそこに渡るための港も使っているはずですが、名前がわかりません。根占は大隈半島から薩摩半島の山川港へ渡るルートですが、ひょっとしたら大根占かも。ハウステンボスは帰りに船に乗ったのは間違いないのですが、その行き先が長崎空港だったかどうか・・・非常に怪しいです。

というくらい非常にいい加減です。しかも、遊覧もミソもクソも一緒に列挙してしまって申し訳ありません。(もし集計される方がおられましたら、私の申告は参考記録以下にして下さい。あてになりません。)

【島】
北海道、本州、四国、九州、ミキモト真珠島、友が島、淡路島、小豆島、大毛島、島田島、天橋立(にある島)・・・

あれ?これくらいかな?

あとは人工の島を入れると、地元だけでもポーアイ、六アイ、神戸空港、第三工区とか、それに空港を加えると関西空港、長崎空港とかがOKになるのでしょうが、これまたベリベリ非常~~に記憶がいい加減です。

だめだこりゃ・・・;_;
[54155] 2006年 9月 24日(日)01:08:15【2】かぱぷう さん
乗り換えなしで行ける市(少ない方)福岡県版
福岡県全27市の内、鉄道系ネットワークの無い市は大川・宮若・嘉麻の3市。このあたりが怪しそうです。では、解析開始。

大川市は西鉄バスによって佐賀・柳川・久留米の3市にいけます。
宮若市は高速バスの若宮ICバス停を利用すれば実に13市に到達可能。一般路線バスでも13市とは別の1市に行くことができます。
どうやら福岡県版グランプリは、1市のみにしか行けない嘉麻市に決定!という結論で間違いなさそうです。
西鉄バスに後藤寺(田川市)~上山田線という路線があったり、福岡~筑豊特急の上山田までの路線があったりしたのですが、5年ほど前に廃止になりました。現在の嘉麻市域には西鉄バスの一般路線「上山田~飯塚線」と「大隈(旧・嘉穂町)~飯塚線」、それに「大隈~桂川駅線」の3ルートが存在するのみです。


では、9月から住民登録している筑紫野市は?
誰も聞いていないのは分かっちゃいますが数えてみますか(^^;

JR:30市
  北九州・宗像・福津・古賀・福岡・春日・大野城・太宰府・鳥栖・久留米・筑後・大牟田・荒尾・玉名・熊本・八代・
  神埼・佐賀・小城・武雄・佐世保・鹿島・諫早・長崎・うきは・日田・由布・大分・別府・飯塚
+西鉄電車:2市
  小郡・柳川
+高速バス:14市
  宮若・直方・八女・山鹿・合志・熊本・霧島・鹿児島・佐世保・嬉野・大村・雲仙・島原・朝倉

=計46市と相成りました。なかなかやるではありませんか!二日市に特急が止まるのと高速筑紫野バス停の存在がかなりデカいようです。筑紫野市、那珂川町とともに「筑紫地区」の枠でくくられる大野城・春日・太宰府の3市を大きく引き離しています。
[50551] 2006年 4月 8日(土)10:48:46【1】miki さん
「定期市」コレクション・更新願い<2>
地名好きさん、「定期市」コレクションで更新されていない箇所を見つけましたのでお知らせします。
<今回は六日町&六日市、六日市場までです...。>
四日市場 よっかいちば 花泉町→花泉町老松四日市場 よっかいちば 一関市
四日市 よっかいち 真田町→真田町長四日市 よっかいち 上田市    
四日市場 よっかいちば 高遠町→高遠町長藤四日市場 よっかいちば 伊那市
五日市 いちかいち 名川町→下名久井五日市 いちかいち 南部町
五日町 いつかまち 志津川町→志津川五日町 しづがわいつかまち 南三陸町
五日町 いつかまち 嘉穂町→大隈町五日町 いつかまち 嘉麻市
六日町 むいかまち 江刺市→江刺区六日町 むいかまち 奥州市
六日市場 むいかいちば 衣川村→衣川区六日市場 むいかいちば 奥州市
六日町 むいかまち 平鹿町→平鹿町浅舞六日町 むいかまち 横手市
六日町 むいかまち 南魚沼市
大字六日町→南魚沼市では「大字」が廃止されました。
六日市 むいかいち 六日市町 自治体名,大字六日市→六日市 むいかいち 吉賀町
「六日市」はもう自治体名ではありません。旧自治体名ですね。なお、吉賀町では「大字」が廃止されました。
[50550] 2006年 4月 8日(土)10:16:46【3】miki さん
「定期市」コレクション・更新願い<1>
地名好きさん、「定期市」コレクションで更新されていない箇所を見つけましたのでお知らせします。
<今回は三日町&三日市までです...。なお、必要な所には町域名や大字を付け足しましたのでよろしくお願いします。>
http://uub.jp/nam/teikiichi.html
二日町 ふつかまち 栃尾市→長岡市
二日市 ふっかいち 浜坂町→新温泉町
三日市 みっかいち 大迫町→大迫町亀ケ森三日市 みっかいち 花巻市
三日町 みっかまち 江刺市→江刺区愛宕三日町 みっかまち 奥州市 
三日町 みっかまち 前沢町→前沢区三日町 みっかまち 奥州市
三日町 みっかまち 古川市 三日町1,2丁目,付近には「七日町」「十日町」がある→古川三日町 ふるかわみっかまち 大崎市 古川三日町1,2丁目,付近には「古川七日町」「古川十日町」がある
三日市 みっかいち 仁賀保町→中三地三日市 みっかいち にかほ市
三日市 みっかいち 福岡町→福岡町三日市 ふくおかまちみっかいち 高岡市
三日市場 みっかいちば 塩山市→塩山三日市場 えんざんみっかいちば 甲州市
三日市 みっかいち 神辺町→神辺町川北三日市 みっかいち 福山市
三日町 みっかまち 嘉穂町→大隈町三日町 みっかまち 嘉麻市
[47740] 2005年 12月 30日(金)23:57:04作々 さん
帰鹿中
お疲れ様です。

本日から正月休みということで、ただ今帰省中です。
地元に帰ってくるのは約1年ぶりのことです。(実際には奄美や徳之島に行ったので、空港には2回降りてますが。)
鹿児島空港には足湯のコーナーが出来ていました。
今回は久し振りに大隈半島をまわって、桜島フェリーに乗って鹿児島市まで帰ってきました。

途中、福山町は11月7日に霧島市になったにもかかわらず、旧国分市との境、垂水市との境ともに「福山町」の標識が残っていました。
大隈まわりで帰ってきた目的のひとつはいろんな角度からの桜島が見たかったというのがあったのですが、残念ながら霧掛かっていて、福山あたりからはまだあまり良く見えず。

垂水に入って、せっかくなので牛根境で境川を激写。
途中で立ち寄った道の駅たるみずには、全長60メートル(日本一)の桜島と錦江湾が望める足湯がありました。

そしてそのまま桜島町に入り、フェリーに乗っていざ、鹿児島へ(桜島も鹿児島市だけど…)。
鹿児島港北埠頭に今年できたドルフィンポートには、つい最近足湯が出来ました。

というわけで、最近足湯コーナー完成ラッシュの最近の鹿児島を見てきました。
ちょと疲れた…。
[44794] 2005年 9月 9日(金)15:17:25ひげねこ さん
経國値
私も経國値を計算してみました。

◎:住んだ(5点)×3=15点
筑前 武蔵 相模

○:泊った(4点)×69=276点
北見 天塩 釧路 十勝 石狩 胆振 後志 渡島 陸奥 陸中
陸前 羽後 羽前 岩代 磐城 下野 上野 信濃 飛騨 美濃
近江 越後 佐渡 越中 加賀 能登 若狭 常陸 下総 上総
安房 甲斐 伊豆 駿河 遠江 三河 尾張 伊賀 紀伊 山城
大和 摂津 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨
美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 讃岐 阿波 伊予
土佐 壱岐 豊後 肥前 肥後 日向 大隈 薩摩 琉球

●:歩いた(3点)×6=18点
根室 日高 越前 伊勢 筑後 豊前

△:降りた(2点)×1=2点
和泉

▲:通過した(1点)×2=2点
河内 丹波

×:かすってない(0点)×3=0点
志摩 淡路 対馬

合計313点でした。

やってみると、経県値とはまた違った面が見えてきます。
畿内や周辺が薄いですね。奈良県内はけっこう泊ったものの、それ以外では大阪市内と京都市内、神戸市内だけだし。
河内は関西本線と近鉄大阪線で通り抜けただけ、丹波も丹後や但馬が目的地で列車で通っただけです。
和泉は関西空港で飛行機に乗り換えたことがあるので、▲になりました。
筑後や豊前が●なのは、私のルーツが筑前で、親戚の家を基点にすると日帰り圏内だからでしょう。
[43202] 2005年 7月 22日(金)19:23:08【3】オーナー グリグリ
各都道府県で真っ先に閃いた人物
[43188] 2005 年 7 月 22 日 (金) 00:02:59 いっちゃん さん
[43193] 2005 年 7 月 22 日 (金) 01:41:46 太白 さん
各都道府県で真っ先に閃いた人物
面白いので私もやってみました。やっぱり、すぐに思い浮かぶのは昔のアイドル、作家、戦国武将、スポーツ選手あたりと、政治家、俳優が少々かな。三重県、香川県、愛媛県が苦しかったです。西日本がやはり弱い。関東も弱い。

北海道渡辺淳一青森県小比類巻かおる岩手県宮沢賢治宮城県福原愛
秋田県桜田淳子山形県高橋みゆき福島県野口英世茨城県永作博美
栃木県立松和平群馬県萩原朔太郎埼玉県ユミン千葉県阿部勇樹
東京都夏目漱石神奈川県斉藤由貴新潟県上杉謙信富山県室井滋
石川県室生犀星福井県水上勉山梨県武田信玄長野県島崎藤村
岐阜県野口五郎静岡県徳川家康愛知県鳥山明三重県御木本幸吉
滋賀県浅井長政京都府湯川秀樹大阪府小坂明子兵庫県谷崎潤一郎
奈良県住井すゑ和歌山県有吉佐和子鳥取県司葉子島根県竹内まりや
岡山県宇喜多秀家広島県井伏鱒二山口県高杉晋作徳島県板東英二
香川県中西太愛媛県高浜虚子高知県宮尾登美子福岡県タモリ
佐賀県大隈重信長崎県前川清熊本県石川さゆり大分県平松守彦
宮崎県今井美樹鹿児島県西郷隆盛沖縄県南沙織

いっちゃんさんとのダブりは、福島県(野口英世)、岐阜県(野口五郎)、徳島県(坂東英二)、鹿児島県(西郷隆盛)、沖縄県(南沙織)の5県。太白さんとのダブりは、長野県(島崎藤村)、山口県(高杉晋作)、長崎県(前川清)、大分県(平松守彦)の4県です。しかし改めて全体を眺めてみると、無茶無茶偏りがあるというか一貫性がないですねぇ。おそらく皆さんに馴染みのない人も何人か混ざっていると思います。

あと4時間あまりで第八回の十番勝負を開始しますが、第七回よりは人口密度が少なそうですね。
[41149] 2005年 5月 14日(土)02:21:13太白 さん
まとめレス
[41147] くは さん
私は鹿児島が▲だった時期があります。国道222号で都城市から日南市まで走ったのでした。
確かに、極めて合理的なルートですね!

[40800][41146]更級14 さん
自治体の飛び地コレクションに載っていない飛び地…奈良県生駒郡平群町大字信貴畑の一部です。周囲を三郷町に囲まれています。(Mapion・Yahoo!)
情報ありがとうございます。早速追加します。

白河あたりから川崎あたりに通勤で、栃木・茨城・埼玉・東京が▲の人とか、いませんかね…。新幹線を使えば新白河~川崎は約2時間で、ありえない所要時間ではないと思います。
その場合、東京は△になってしまいます。だからこそ、東京の▲を取るのは難しい…。

[41137] じゃごたろ さん
いい数値化の案ってありませんかね?
これだけ皆さん参加しているのは、いっちゃんさんとじゃごたろさんの設定したルールが「シンプルで分かりやすい」ことが大きいと思うので、より精緻なルールにする際は、参加しやすさとのバランスをどう考えるかだと思います。じゃごたろさんが言われるように、単なるお遊びですし、アバウトでいいんじゃないでしょうか。せいぜい、◎のポイントを+1するとか、(前にどなたかが書いていたと思いますが)「延べ1ヶ月くらいか、それ以上は滞在した記憶がある」「勤務地がある」などは◎にすることを認めるとか、その程度じゃないでしょうか。 
#人が考えた案の問題点を指摘するのは簡単ですし、誰にでも出来ることですが、現状を改善するような、具体的な対案を建設的な形で出すことは、結構難しいですね。


#かすみさんへ>

前に1度書いたのですが、過去ログに埋もれてしまったようなので…
「峡谷」コレクションの中で、鹿児島県大鳥峡の所在地が、「大隈町」になっています。
[40043] 2005年 4月 19日(火)00:56:18トライランダー さん
みんなの滋賀新聞 ならびに 人口と鉄道
アーカイブス「地元の言論機関 -地方紙の研究-」に補足
株式会社みんなで作る新聞社が、4月29日に「みんなの滋賀新聞」を創刊するそうです。
http://www.shiga-np.jp/

[40035] ふぁいん さん
早速のご返答ありがとうございました。つくば市の存在、完全に忘れていました。
ちなみに鹿屋市も、かつては大隈線が走っていました。

人口の少ないほう、先ほどから地図で探していたら、
  http://rnk.uub.jp/rnk.cgi?T=cktv&S=j のデータでは福井県大野郡和泉村でした。越美北線が通り、終着駅の九頭竜湖駅が属していました。
 あまりにあっけなく見つけたので、今度は私鉄の通る最少人口町村を探しますね。
[36035] 2004年 12月 24日(金)21:25:12なお さん
クリスマスが今年もやぁって来る~♪  というわけで認X度を報告しましょうか。
MERRY CHRISTMAS!!
お久しぶりです。(2週間ぶりですが・・・・。

早速ですが、今年もアメリカの南の島にいってきます。(昨年よりかは近いですね。
ネットサービスがあれば書き込みましょうか?(去年より滞在に余裕がありますし。

自分で2005年の人口を予測してみようというネタをまいてくださった方がいました。
ただ、書き込みが最近できずに波に乗り遅れて結局やれずじまいでしたので、国勢調査5ヶ月前を目安にして見ましょうかね。
[35789]において229さん、書き込んでくださってありがとうございます。

~気がついた!!~
修学旅行が終わったら、宣言をしていたのに・・・・。
忘れてました!!認県度!!・・・・ということで更新します。
◎(5点)→大分
○(4点)→東京・京都・大阪・香川・愛媛・広島・山口・福岡・熊本・長崎・宮崎
●(3点)→千葉・兵庫・奈良・佐賀・鹿児島
△(2点)→岡山
▲(1点)→なし
×(0点)→1道28県

ということで7点UPで・・(ジャカジャカジャカン)・・・(ジャン!)66点

認旧国度は~
◎・・豊後
○・・日向、武蔵、和泉、豊前、筑前、肥後、肥前、長門、安芸、伊予、讃岐、摂津、山城
●・・下総、大隈、筑後、播磨、周防、和泉、大和
△・・備前
▲・・備後、備中、河内
×・・それ以外すべて
ということで・・・・・・・・87点です。(点数UPは6点くらい?

ちなみに認国度は変わりません。


最後に・・・・
それでは、MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEAR!!
[32996] 2004年 9月 17日(金)21:23:25なお さん
認認!!(?)
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/gokisichidou.htm にあった国を基準として

JAPANESE認国度・・・?をしてみました結果・・・
◎・・豊後
○・・日向、武蔵、和泉、豊前、筑前、肥後、肥前、長門、安芸、伊予、讃岐、摂津
●・・下総、大隈、筑後、播磨、周防、和泉
△・・備前
▲・・備後、備中
×・・それ以外すべて
となりました。
一応pointが75点でした。
都道府県内に2つも3つ国があるところに多く行っているため、
割合的にも旧国で28.56%、都道府県31.91%と比較的旧!認国度が高くなっています。

また、修学旅行により
認県度・・奈良(×→●),京都(×→○),瀬戸内海!?(△→○)により7点UPとなり、66点となります。
JAPANESE認国度のほうも山城(×→○),大和(×→○),播磨(×→▲)により9点UPとなり84点となります。

ただ・・・・JAPANESE認国度は統一基準がありませんからねぇ・・・・
容易に点数をつけるのはよしたほうが良かったかもしれません。
※特に東北地方の5カ国存在もありますから・・・・
[32099] 2004年 8月 24日(火)19:16:35【1】ペーロケ[愛比売命] さん
岡コレ、丘コレ
[32048]作々さん、[32044]両毛人さん
 今日は時間があったので、鹿児島県だけ、「おか」コレクションを作ってみました。本当はもっとあるのですが、あんまり多いとウンザリする人が続出でしょうし、ほんの一部だけ掲載します。立ち上げ宜しくお願いします>グリグリさん

名称読み方市町村標高(m)備考参照記事
◎岡
●鹿児島県
鳥神岡とがみおか大口市404
今村岡いまむらおか川内市186
小毛野岡こげのおか樋脇町164
須杭岡すくいおか宮之城町240
弥三郎ヶ岡やさぶろうがおか宮之城町281
有年ヶ岡ゆうねんがおか祁答院町212
◎丘
●鹿児島
黒崎丘くろさきおか東町259
田原丘たばるがおか宮之城町268
鳶巣丘とびすがおか大口市384
西ノ丘にしのおか笠沙町360
亀ヶ丘かめがおか大浦町387
惣陣ガ丘そうじんがおか国分市,福山町484

 なんとなくですが、薩摩半島は「岡」、大隈半島は「丘」が多いような気がします。

p.s.両毛人さん、新規追加の件は失礼しました。
[31429] 2004年 8月 5日(木)19:50:51らるふ さん
青森と鹿児島の似県簿
さて、この両県の似ているところは・・・。

青森県

本州の北端に位置し、津軽・下北半島に抱かれた陸奥湾岸の小平野に県庁所在地(県名と同名市)がある。
その半島のひとつ下北半島から陸奥湾側の海上に突き出た部分にある「恐山」が活火山として、今でも活動している。
東北の経済的中心である宮城県からは間に1県(岩手県)を挟み、県庁所在地青森市に向けてJR及び高速道路が伸びている。
JRについては新幹線が整備中(部分開通で、並行在来線は第3セクターに)である。
高速道路については必ずしも上記JRとは並行せず、岩手県とさらにもう1県(秋田県)を少し通り貫けて県内に入る。

鹿児島県

九州の南端に位置し、薩摩・大隈半島に抱かれた鹿児島湾岸の小平野に県庁所在地(県名と同名市)がある。
その半島のひとつ大隅半島から鹿児島湾の海上に突き出た部分にある「桜島」が日本を代表する活火山として、今でも活動している。
九州の経済的中心である福岡県からは間に1県(熊本県)を挟み、県庁所在地鹿児島市に向けてJR及び高速道路が伸びている。
JRについては新幹線が整備中(部分開通で、並行在来線は一部を残し第3セクターに)である。
高速道路については必ずしも上記JRとは並行せず、熊本県とさらにもう1県(宮崎県)を少し通り貫けて県内に入る。

さらに付け加えると
県東部には、八戸・志布志の石油基地、三沢・鹿屋の自衛隊空港基地がある。
県西部は、津軽平野(弘前盆地)・川内平野(川内盆地)と盆地的な平野が中心地域で、平野・盆地コレクションにそれぞれ収集されている。


まあ、こんなところです。前々から漠然と思っただけで放ったらかしにしていたら、佐賀県さんの[31331]を見て「これをチョッと変えればできるやんか!」と思ったのが正直なところで、失礼ながら佐賀県さんの文章をかなり引用しています。(どうか御許しを・・・)
「間に1県を挟む」という発想は私には思いつきませんでしたが、経済的中心に対して1県挟む(または挟まれる県についても)ということが、県の特性(あるいは県政?)に影響を与えることもあるような気がします。
[31331] 2004年 8月 3日(火)13:05:19佐賀県 さん
長崎県 vs. 鹿児島県
 ちょっと時間があるので書き込みます。

 もう、2年ほど前の書き込みになるようですが、[2675]でらるふさんが徳島県と和歌山県の(地形を中心とした)似ている点について書き込まれていました。(アーカイブズ「いざ対決!ライバル都市」にも収録されています。)
これを読んだ当時、「なるほど~」と思いながら読んだ記憶がありますが、私も以前から長崎県と鹿児島県について「似ているな」と思っていた点がいくつかあるので書いてみたいと思います。

長崎県:
 県土は九州の西端に位置し、長崎・西彼杵・島原等の半島を中心とした本土部と、壱岐・対馬・五島列島を中心とした離島部で構成される。
 本土部では海上に突き出た雲仙普賢岳が日本を代表する活火山として、今でも活動している。
 九州の経済的中心地である福岡県からは間に1県(佐賀県)を挟み、県庁所在地である長崎市に向けてJR(県名及び県庁所在地名と同じ「長崎」本線)及び高速道路が伸びている。JRについては新幹線も整備(予定)中である。
 高速道路については必ずしも上記JRとは平行せず、JRと離れていて県庁所在地からいくらか福岡寄りの地域に空港がある。
 この、空港のある周辺地域(大村・諫早市)は、県全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず人口増加傾向にある。

鹿児島県:
 県土は九州の南端に位置し、薩摩・大隈半島を中心とした本土部と、種子島・屋久島・奄美大島を中心とした離島部で構成される。
 本土部では海上に突き出た桜島が日本を代表する活火山として、今でも活動している。
 九州の経済的中心地である福岡県からは間に1県(熊本県)を挟み、県庁所在地である鹿児島市に向けてJR(県名及び県庁所在地名と同じ「鹿児島」本線)及び高速道路が伸びている。JRについては新幹線も整備中である。
 高速道路については必ずしも上記JRとは平行せず、JRと離れていて県庁所在地からいくらか福岡寄りの地域に空港がある。
 この、空港のある周辺地域(国分市付近)は、県全体の人口が減少傾向にあるにも関わらず人口増加傾向にある。

 ちょっと強引な部分もあるかもしれませんが、いかがでしょうか?
 もちろん、両県とも個性的で魅力のある県ですので、全体的に「同じ」とか「似てる」とは決していえませんが、なかなか面白い関係ではないでしょうか?
[30088] 2004年 7月 4日(日)06:10:29KMKZ さん
○羅
[30011]作々 さん
古代、姶羅郡(文献によって吾平、姶良などもあり)は現吾平町近辺にあったと推定されています。
古代朝鮮半島南部には、新羅、加羅(伽耶・任那とも)、耽羅(現在の済州島)など、羅で終わる地名が多いですね。また、古代の武蔵国にも郡名が羅で終る郡が2郡ありましたが、両方とも朝鮮半島南部からの渡来人が開拓した郡だそうです。羅で終る古代からの地名は朝鮮半島南部からの渡来人と関係がある地なのかと妄想してしまうのですが、大隈国の姶羅郡も同様かもしれませんね。

【武蔵国新羅郡】(後の新座郡)
現在の埼玉県新座市、志木市、朝霞市、和光市、東京都西東京市の一部(旧保谷市市域)、練馬区の一部。
新羅からの渡来人が開拓

【武蔵国幡羅郡】(読みは古くは「はら」で江戸時代以降は「はたら」)
現在の埼玉県熊谷市の一部、深谷市の一部、妻沼町。
新羅系の秦(はた)氏が開拓

PS
過去ログから推察するに、薩摩出身の作々さんは長州の毛利氏発祥の地にあった大学のキャンパスに通われていたようですね。
[29075] 2004年 6月 7日(月)20:49:00作々 さん
鹿屋
お疲れ様です。

先日お知らせした通り(拙稿[28880])、新規の大隅中央法定協議会(鹿屋市、吾平、輝北、串良の3町)の発足が決まったようです。前身の大隈中央合併協議会は垂水市の財政事情を理由とした離脱で休止状態になっていましたが、今月2日に、残る1市3町の枠組みで2006年1月1日合併を目標に協議会を設置することで合意に達したとのこと。
そしてその場で、新市名称を「鹿屋市」とすることも決まったようです。

何だか鹿屋のごり押しのようにも映ってしまいます。もう少し大隅の雄として、懐の深いところを見せてほしかったなぁ、と思ってしまいます。
個人的には、もしかしたらもう一度名称募集が行われるかもしれないと思って、
本命・鹿屋市、対抗・大隅市、大穴・姶良市
まで考えていたんですけどね。
まぁ(どうせ出来レースなら)無駄な募集をしないだけいいという考えもありますでしょうが。
来月上旬にも第1回の協議が行われるとのことです。
ソースです↓。
http://www.mbc.co.jp/newsfile/news-v/00045155_20040607.shtml
[27822] 2004年 5月 2日(日)01:38:39作々 さん
祝日レス+地元PR
お疲れ様でございます。

[27808] miki さん、[27819] 月の輪熊 さん
南九州市、確かに多いようですね。
月の輪熊さんも書いてらっしゃる姶良郡の「南九州市構想」についての記事は、まだ地元にいた高校生時分に読んだ記憶があります。京セラ、ソニーに代表される国分隼人テクノポリス、溝辺の空港、鹿児島市と空港、国分の間にあり、ベッドタウンとしての成長が著しい姶良。読んだ当時は「20万人都市」というのに結構わくわくしたものでしたがいつの間にかに立ち消えていましたね。
まぁ今となっては私もあのころとは考えも変わり、もしこの話があっても絶対反対派でしたけどね。「南九州市」という鹿児島県のどこででも候補に挙がってしまうような曖昧なネーミングもそうですが、それ以上に広域合併は…という感じなんで。本当は霧島市も2つぐらいに分断してしまいたい気持ちです(ほかにも薩摩川内市は3つにとか…)。

で、南九州市。対抗意識というよりはもうちょっと言い方をやわらかく(?)変えて、肖ってということなんでしょうね。100万人規模の大都市北九州市みたいに南九州を代表する都市になれますように、という。
それにしても南九州市や、方角+薩摩/大隈という名称のパターンは結構よく見るのに、方角+鹿児島というパターンは余り目立ちません。(大隈中央の東鹿児島市(大隈市)や日置地区の西鹿児島市(日置市)なんてのもありましたが。)元々「北薩」や「南薩」という言い方はありますが、それにしても比べて少ないかなという感じがします。
これも鹿児島県本土が薩摩、大隈という両半島(もしくは国)から成っていて、きれいに分けられるからなのかしら。

そう言えば、京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏は私の小学校の偉大なる先輩です。母校には創立110周年の記念か何かで贈られたピアノがありました。鹿児島県に研究所や工場が多いのも鹿児島出身だからということもひとつの所以でしょうね。


[27809] special-week さん
嬬恋村のキャベツと言えば小学校の社会化の授業のときに刷り込まれた一大ブランドで、その嬬恋村はもしかしたら、その年代にとっては県都よりも有名かもしれない地名ですからね。その名前が消えるとすると淋しいですね。嬬恋の名前はキャベツに残るのでしょうが。


[27821] 両毛人 さん
楽しかったようで、羨ましい限りです。
色々とお話をお聞かせください。


吹上浜砂の祭典が加世田市で1日開幕しました。簡単に言うと札幌雪まつりの雪像が砂の像になった感じですが、もう17回目を数えるようです。5日まで開かれます。
http://373news.com/2000picup/2004/05/picup_20040501_11.htm
[26385] 2004年 3月 19日(金)22:26:28【1】作々 さん
単独(ひとり)になって考えたいときだって、あるんだ
お疲れ様です。

最近揺れに揺れている大隅中央合併協議会に関する本日の動き。果たして大隈地方の核となる(ならなくてはならない)この地域はどうなるんだか…。(地元にいないため情報量が少なくもどかしいです…。)

①垂水市長は昨日の市議会の決議を受け、本日離脱を表明しました。当面は単独で財政の立て直しを図り、その後今後の方針を決めるとのこと。
http://www.mbc.co.jp/newsfile/news-v/00041850_20040319.shtml
http://373news.com/2000picup/2004/03/picup_20040320_3.htm

②吾平町では合併か単独かを問う住民投票条例の制定を求める署名が提出され、町長に本請求されています。町長は3月の臨時議会で提出する予定とのこと。
http://www.kagoshimashinpo.com/politics.htm#politics_3691
[25900] 2004年 3月 8日(月)12:35:10ちゃっきー さん
いつも夜咲くあざみ・・・
グリグリさん、自分色登録ありがとうございました。
自分色のコンセプトは『トリコロール』としてみました。
愛車の猫(ライオン?)の出身地&サッカー日本代表が98年にW杯初出場した記念の地にちなみまして。

またHNは、『チャイルドプレイ』から採ってみました。
ひらがなで書くとかわいらしいでしょ。笑

今後とも皆様よろしくお願いします。

[25862]太白さん
「大隅市」はできても「大隈市」ができる可能性は少ないのでは?
よく見たら、字が違ってました・・・
うっかり侍でした。

[25870]まがみさん
タイトルはご想像のとおり、『アザミ嬢のララバイ』からでした。
かつて横浜のあざみ野に15年間住んでいました。
住み始めた頃は開発初期だったので、信号もなく、ほんとうにアザミやススキの野原ばかりでした。
ちなみに今は吉祥寺に住んで8年になります。
武蔵野市に住んでるとは言いません
(抽象市名に対するささやかな抵抗として 笑)
[25862] 2004年 3月 7日(日)15:26:10【2】太白 さん
「逆」認市度選手権
[25808] 両毛人 さん
[25812] かすみ さん
[25850] N-H さん
みなさん、結構渋いところもしっかり押さえていらっしゃいますねえ…。
個人的には、▲とか●より、主要都市なのに「×」が一番多いのはどこか、という点に非常に興味があるので、あとで集計してみます。現在のところ、浦添・今治あたりが有力ですが、[25804]に書かなかった都市として、釧路、帯広、弘前、石巻、江南、西尾、東海、箕面、池田、河内長野、都城なんかも「意外と行ってない」候補になりそうです。よろしければ、これらの都市の中で「かすったこともない市」を教えてください。

茂原市をよろしく
では、今度九十九里に行くときには、千葉東金道路ではなく千葉外房道路を使うようにします(←▲狙いですが…)。

[25844] ちゃっきーさん
鹿児島県に『大隈市』が誕生したら『大隈重信』(読み方は違いますけど)で、1つ増えることになりそうですね。
重箱レスですみませんが、「大隅市」はできても「大隈市」ができる可能性は少ないのでは?
[25844] 2004年 3月 7日(日)03:48:42ちゃっきー さん
春は菜の花
[25832]
新潟県は入ってこないと思いますよ.あるいは別解があるのでしょうか?(別解歓迎!)
こんばんは
グループの回答はこんな感じでしょうか

岐阜県山県市:山県有朋(M22.12.24~M24.5.6)
             (M31.11.8~M10.19)
大阪府池田市:池田勇人(S35.7.19~S39.11.9)
兵庫県三木市:三木武夫(S49.12.9~S51.12.24)
山形県村山市:村山富市(H6.6.30~H8.1.11)
和歌山県橋本市:橋本龍太郎(H8.1.11~H10.7.30)

新潟県三条市:三条実美(M22.10.25~M22.12.24)
 →内大臣三条実美が内閣総理大臣兼任
静岡県伊東市:伊東正義(S55.6.12~S55.7.17)
 →内閣官房長官伊東正義が内閣総理大臣臨時代理

歴代の代数には入っていないのですが、総理大臣不在(病床・死去)のため、臨時に天皇から任命されたという点で上記2名を入れてみました。
総理外遊中も通常、官房長官若しくは副総理などが総理大臣職を臨時に行なう場合があるのですが天皇からは任命されないということで除きました。

鹿児島県に『大隈市』が誕生したら『大隈重信』(読み方は違いますけど)で、1つ増えることになりそうですね。

首相官邸のHPから『内閣制度と歴代内閣』のページにリストが載っています。
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html


[25831]まがみさん
私も中島みゆきの大ファンです。
彼女のセカンドアルバムが出た日が私の生まれた日で、運命的なものを感じてしまいました。笑
でも、いまだコンサートのチケットは取れず・・・
[25694] 2004年 3月 3日(水)22:54:53【1】作々 さん
鹿児島市~福岡(博多)へのアクセスについて
お疲れ様です。

最近、騒音問題など色々言われていますが
とにもかくにも、3月13日、九州新幹線が一部開業します。
いよいよカウントダウンということで、ここでひとつ書いてみようかなと思いました。
テーマは鹿児島市から福岡市(博多)へのアクセスについて。
正直自分に文才があるとは到底思えないので、うまく纏まらないかと思いますが、ご容赦ください。

これまで、公共機関としては、鹿児島から福岡へは在来線(特急つばめ)、飛行機、高速バスなどの手段がありました。
中でも飛行機は、JASとJAC(日本エアコミューター)で一日10便(3月)が運航。
鹿児島-福岡間をわずか40~50分で飛んでいます。

しかし、県の人口の30%を占める鹿児島市民にとっては、
空港まで車(バス)で1時間は掛かるというというのは、
どうにも面倒なものでありました。

空港が現在の位置に移転したのは1972年のこと。
初代鹿児島空港(鴨池空港)は、その名のとおり今の鹿児島市鴨池町にありました。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=31.33.6.127&el=130.33.24.311&la=1&sc=3&CE.x=257&CE.y=257
(ターミナル跡~現:春田屋アポロ(スーパー))
滑走路は現県庁前の通りを走っていたそうです。
その移転の話が持ち上がったのが1960年代後期。
航空需要の急激な拡大により、空港を拡張する必要性に迫られたためです。
当初は、鹿児島市北西部~松元町のあたりに作るという計画なんかもあったらしいのですが、
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=31.37.4.210&el=130.28.34.303&la=1&sc=3&CE.x=292&CE.y=212(大体この辺?~横井原)
大隈地方の住民の声や当時の県の実力者・二階堂進氏(鹿児島県肝属郡高山町出身)の力添えなんかもあり、
最終的に県央の姶良郡溝辺町まで引っ張ってこられたということのようです。
(私の生まれる前の話です。身をもって経験したわけではなく、すべて聞いた話に過ぎないので悪しからず)

さて、新幹線の開業によって、県民の足は大きく変わるかと思われます。
これまで3時間50分掛かっていた鹿児島~博多間が1時間半近く縮まり、2時間10分台で行けるようになります。
同じ区間を我が「駅すぱあと」では2時間27分(乗車105分、他42分)だそうで。
多くの鹿児島県民にとって、福岡は第一の都会です。(東京の前に聳え立つ大きな壁?)
実は大きな不安を感じつつも、わくわくしながらそのときを迎えようかと思います。
(やっぱり最後はぐだぐだになってしまった、失礼!)
[24942] 2004年 2月 17日(火)20:27:41作々 さん
今夜もひっそりと地元鹿児島情報
地元にいないからこそ、地元の変貌には大きな興味が出るものです。
というわけで、今夜も地元鹿児島県の市町村合併情報。

南隅地域合併協議会(大根占、根占、田代、佐多の4町)は本日行われた第8回評議会で
前回までに10に絞られていた新名称から、さらに次の3つに絞り込みました。

なんぐう町、南州町、南大隅町
(因みにそのほかの7つは、きもつき、錦江、黒潮、南隅、南陽、みなみ大隅、みなみ)

私の地元は鹿児島市内なので、この地域のことは実はあまり知らないのですが
この中なら、南州町が個人的にはいいかなぁ。

「なんぐう」も漢字で「南隅」ならよかったのにと思うし、
大隈町というのも、大隅町があって(合併してなくなるかもしれないけど)
さらに鹿屋を中心として大隅市になろうとしてるし。

情報源は佐多町HPです。
http://www.satsuma.ne.jp/satachou/
[24364] 2004年 2月 1日(日)18:34:48【2】花の東京都民 さん
しましま
こんばんは。

[24361]いっちゃんさん
多少情報が古いのですがお許しください。

6位淡路島161,983人
7位天草下島90,790人
8位佐渡島74,949人
9位奄美大島73,647人
10位宮古島46,154人
11位福江島45,310人
12位対馬43,257人
13位石垣島41,777人
14位種子島37,271人
15位小豆島36,865人
16位天草上島36,153人
17位江田島・東能美島・西能美島34,861人
18位壱岐島34,519人
19位徳之島29,156人
20位中通島26,938人
21位平戸島24,134人
22位倉橋島24,116人
23位屋代島24,043人
24位隠岐島後18,367人
25位沖永良部島15,325人
26位屋久島13,426人
27位長島11,266人
28位大崎上島10,636人
29位久米島9,793人
30位伊豆大島9,693人
31位八丈島9,476人
32位喜界島9,268人
33位芸予大島9,024人
34位大三島8,675人
35位利尻島8,502人
36位伯方島8,356人
37位伊良部島7,053人
38位与論島6,210人
39位家島5,647人
40位伊江島5,131人
41位中島4,788人
42位礼文島4,375人
43位奥尻島4,301人
44位下甑島4,016人
45位三宅島3,831人
46位大崎下島3,696人
47位弓削島3,523人
48位下蒲刈島3,212人
49位坊勢島3,110人
50位上蒲刈島3,032人
51位新島2,560人
52位岩城島2,479人
53位生名島2,304人
54位神津島2,276人
55位北木島2,187人
56位芸予豊島(とよしま)2,085人
57位小笠原父島1,913人
58位伊是名島1,895人
59位西表島1,887人
60位与那国島1,801人
61位加計呂麻島1,752人
62位南大東島1,473人
63位備讃豊島(てしま)1,471人
64位多良間島1,401人
65位伊平屋島1,336人
66位佐木島1,321人
67位伊吹島1,167人
68位粟国島968人
69位白石島913人
70位走島904人
71位百島892人
72位本島870人
73位池間島817人
74位祝島775人
75位怒和島762人
76位岡村島740人
77位渡嘉敷島725人
78位佐島721人
79位平郡島708人
80位大津島640人
81位津和地島629人
82位渡名喜島616人
83位座間味島611人
84位式根島603人
85位波照間島595人
86位広島581人
87位北大東島575人
88位津堅島554人
89位頭島550人
90位粟島524人
91位真鍋島491人
92位小浜島486人
93位睦月島474人
94位芸予大島454人
95位小笠原母島428人
96位浜比嘉島421人
97位阿多田島370人
98位古宇利島347人
99位柱島320人
100位利島317人
101位男木島313人
102位阿嘉島311人
103位二神島293人
104位魚島287人
105位櫃石島285人
106位女木島277人
107位御蔵島275人
108位浮島274人
109位竹富島262人
110位久高島259人
111位請島249人
野忽那島249人
113位大隈黒島245人
野島245人
115位青ヶ島237人
116位大飛島231人
117位与島230人
118位中之島197人
119位佐柳島196人
120位八重山黒島193人
121位大下島189人
122位与路島188人
123位高島183人
124位口之島177人
125位口永良部島167人
男鹿島167人
127位来間島166人
128位情島158人
129位大多府島154人
130位牛島152人
131位高見島151人
132位石島149人
大隈硫黄島149人
134位備讃六島142人
135位宝島127人
136位小手島120人
137位大隈竹島119人
138位犬島105人
139位岩黒島102人
とりあえず挙げてみました。抜けている島がまだあると思いますがもう思いつきませんで。
何かお気付きになりましたら、どうぞご意見・ご要望をお寄せください。
※構成が汚くてすみません。
[23477] 2004年 1月 7日(水)02:02:40ken さん
○州は中国風雅称なんでしょうね。
[23465] 夜鳴き寿司屋 さん
美濃を「美州」なんては呼びませんので。
[23471] EMM さん
のご紹介のサイトにありますように、美濃は濃州ですね。

このページでは大隅が空欄になってますが、
隅州は比較的一般的だと思うのですが、なんで空欄なんでしょうね。

薩摩の島津の殿様は基本的には薩摩守ですが、大隈守を名乗っている時期もあり、隅州候と、呼んでたりしますね。
志摩の志州や、伊賀の伊州よりは、隅州は一般的だと思いますが。

基本的には、濃尾平野とか、芸予海峡とか、土讃本線とか、で使われている字に州をつけるのでしょうが。
越美北線、越美南線のように、美の字が出てきたり、例外も。

音が同じところはなかなか定着しませんよね。たんしゅうとか。
[22291] 2003年 11月 26日(水)15:21:25【1】太白 さん
伊豆市の方が先に申請?
[22224] 稲生 さん
よくわからないのが伊豆市と御前崎市の順番です。・・・まさか、五十音順なのでしょうか?
直接のお答えには全くなっていませんが…。
何か、夕張市と岩見沢市の市制施行(同日)の際に、内務省への申請の担当者がその場でじゃんけんだかくじ引きで順番を決めた、という話を過去ログで読んだ覚えがあるのですが、検索しても引っかかりません。私の記憶違いでしょうか…。

[22218] なきら さん
両方とも私
いやいや、そういう意図は全くなくて、よくある間違いだと思いますけど…。例としては「大隈半島」「佐田岬と佐多岬」の方がよかったでしょうか…。

[22118] TGRS さん
私の住んでいるところ
おそらく血眼で捜した太白さん
(遅レスですが)いいえ、(紹介文を書くにあたっては)特に探しませんでしたよ。「青森を離れて十数年」と書いておられるのに、近況についてはほとんど語らないので、(文脈から首都圏在住だと思っていましたが)敢えて触れていないのかと思っておりました。
[22106] 2003年 11月 19日(水)01:55:58ペーロケ[愛比売命] さん
忘年会など
 12月5日の件ですが、[22087]TGRSさんは津軽からのご参加ですか!!楽しみです。そういえば、まがみさんも関西から参加とのことで、遠方から来られる御二方は、宿の方は既に手配されているのでしょうか??現在、私なりに近くでお手ごろな宿を探しているところですので、もしよろしければ、私の方で一緒に予約しておきましょうか??宿が同じであれば迷う心配もありませんし、宿で○次会と称して夜通し地理について語り合う場になればいいかと思っております。他にも宿の一括予約を希望される方はメールでお知らせくださいね。>遠方より参加されるみなさん!

[22056]般若堂そんぴんさん
すみません,米沢牛ってほとんど食べたことが無いのです(涙).
 地元の人って意外と地元の高級食材を食べないもんでしょうね。私も山口在住でありながら、意外とフグの刺身(透明なやつ)を食べたことはないですよ。隣県の駅前で「フク汁」にありついたのが、人生初のフグでした([21621]参照)

曜日によっては般若堂が無料で運転手を務めさせていただきます(ただし,下手です.おまけに「出羽の早曲がり」…[8310]参照…ですし/笑).
 私も伊予生活が長いもんで、「早曲がり」には十分慣れておりますよ(笑)。しかし、雪道でも「早曲がり」をされるとなれば、かなりビビってしまいそうですが。愛媛では雪が1cmでも積もると街は大渋滞、高速道路は通行止めになるくらい、雪に対して非常に弱いもんで。。。

[22070][22091]軒下提灯さん
 この形式のクイズは面白いですね。私は一見、「大隈半島」か「奥尻島」かと、すっかり騙されましたが、言われてみれば下北半島ですね。本当に難問ですが、それにしてもニジェさんの鮮やかな推理もお見事です!!

[22097]キュッキュさん
 函館の方がおられたとは、私の中ではなんともタイムリーです。拙稿[22074]では、「山口県」と「渡島支庁」の類似点というより、ほとんど「下関市」と「函館市」の比較になってしまいましたが、函館には、都市規模といい風景といい市電といい、松山にも似ているようでなんだか身近に感じてしまうのですね。

#さて、似ている都道府県シリーズ、次はどことどこにしようかな??
[21431] 2003年 10月 24日(金)18:57:58ありがたき さん
そういえば、こないだは羽の上で景色が見えなかったっけ(TT)
[21429]じゃごたろ さん
夜の天文館。久しぶりに繁華街という雰囲気に包まれました。しかし平日のせいないのか、景気のせいなのかはわかりませんが、道行く客足よりも、通りに立って客を呼ぶお姉さん達の方が幾分多かったような気もします。

出張お疲れ様でした。

わたしは、プライベートで3度ほど鹿児島に行きました。最初の訪問ですっかりとりこになり、2度目はおととしのG.Wに種子島と指宿方面に、3度目は今年の夏に霧島と大隈半島・佐多岬方面に行っております。夜の鹿児島市繁華街には今年はじめて行ったのですが、確かに心持ち寂しい感じがありました。やはり、不況のあおりだそうです。


機体は北に向かって離陸した後に右旋回すると、窓の外には錦江湾に浮かぶ桜島。山頂からは西風に乗って噴煙がたなびき、その向こうには開聞岳の特徴のある姿が重なる。そして霧でかすむ海の向こうには、種子島か屋久島か、と思われる島影。いやー、絵になります。

その島影ですが、霧で霞んでいてやはりはっきり輪郭できなかったんでしょうか?蛇足ながら、丸ければ屋久島、細長ければ種子島といった感じですね。
こんど鹿児島に行くときは、屋久島にも行ってみたいです。
[20405] 2003年 9月 29日(月)17:26:27【3】なお[KN] さん
案のデータ化
先ほどの東日本・西日本の境界についてuttさんを見習い人口と面積をデーターとシェアにまとめたものです。

東日本東日本
番号人口面積人口密度 番号人口面積人口密度
160286819181697.01331.80 167296546196176.05343.04
279737269253927.26314.02 247846096123945.80386.02


シェア(%)
東日本西日本
番号人口面積シェア積 人口面積シェア積
147.25348.08422.72152.74751.91627.384
262.49867.19941.99837.50232.80112.301

人口密度のバランスは非常によいのですが、パターン2の場合人口・面積のバランスが非常に悪くなります。やはりフォッサマグナは文化だけではなく、人口や面積的なバランスでも境目なのですね。
シェア積の理想はおよそ22%ですね。
僕はパターン1を推薦します。

道州制の枠組みの変更版も提示しときます。

名称自治体・地域構成道州庁
北海道北海道札幌市
東北(とうほく)道青森・秋田・山形・岩手・宮城盛岡市
福越(ふくえつ)道新潟・福島会津若松市
毛野(もうの)州栃木・群馬両毛地域
常総(ひのうさ)州茨城・千葉土浦市・つくば市
東京(とうきょう)特別州埼玉・東京・横浜・川崎・三浦半島新宿区
富士(ふじ)州山梨・伊豆・駿河・秩父御殿場市(小田原市)
東海(とうかい)州長野南部・遠州・愛知・美濃・伊賀・志摩・伊勢・秩父多治見市
北陸州富山・石川・越前・長野県北部・飛騨金沢市
近畿(きんき)道伊賀・奈良・和歌山・河内・和泉・摂津・神戸大阪市
京都(みやこ)州京都・滋賀・若狭京都市
山陰(さんいん)道兵庫北部・鳥取・島根米子市
瀬戸内(せとうち)州高知・播磨・香川・徳島・岡山・広島・愛媛・下関以外の山口福山市
西海九(せいかいきゅう)州下関・福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・大隈・薩摩熊本市
沖縄特別州奄美・沖縄那覇市

富士州は富士山噴火の際を考えて小田原にも置いてみました。
[19856] 2003年 9月 13日(土)10:49:18今川焼 さん
京都、大隈(補足、訂正)
[19816] まがみさん
無意識に京都=京都市、という感覚で書いてしまっています。
そうでした、私もこれまで「京都」と書いたものもすべて「京都市」を指しています。でも私の経験上では「京都」と言って、京都市以外を指すことってほとんどないように思います。

京都府内に限らず滋賀県をも勢力下に収めているのですから。
京都市内に住んで、京都新聞を読んでいると同じ京都府北部の丹後地方あたりより、むしろ滋賀県の方が身近に感じられました。(京都新聞って“京滋新聞”みたいですから)それに京都市は水道水を滋賀県(琵琶湖)に依存していますから。

[19844] TKS-H さん
このために、この落書き帳でも大隅半島、大隅国、大隅線となるはずの箇所が、大隈半島、大隈国、大隈線となっている例が多々あります。
思わず「汗」でした。拙稿[19784] で「大隅線」を「大隈線」としておりました。
オオスミの変換候補によもや大隈が含まれているとは考えられず、その字は当然に大隅のはずだと誤認してしまい、実は大隈という文字をバンと選んでいたということなのでしょう。
いや~まったくTKS-H さんのお見通しのとおりでした。でも「大隈」って「おおくま」以外に「おおすみ」と読む場合もあるんですね。


#3ヶ月間かけてようやく過去ログを全部読み終えました。
[19784] 2003年 9月 11日(木)00:10:06今川焼 さん
柊野(ひらぎの)と柊野(くきの)
[19699] 般若堂そんぴん さん
北大路バスターミナルから京都産大前に至る路線に「柊野別れ」
でご指摘の柊野の読みは、「ひらぎの」。
一方、[19762] 太白さんご指摘の飛び地
39.鹿児島県薩摩郡宮之城町柊野(鶴田町)
は、「くきの」です。

どうしてこんな全く違う読み方をするのでしょうか。
柊の読みは「ひいらぎ」で、愛知県半田市の柊町(ひいらぎちょう)、兵庫県山東町の柊木(ひいらぎ)、京都市高倉御池上ルの柊町(ひらぎちょう)など、いずれも「ひいらぎ」またはその転訛で理解できます。
で、そういえばかつて国鉄大隈線に難読駅の柊原がありました。こちらの読みは、「くぬぎばる」です。地図を見れば鹿児島県垂水市の錦江湾沿いです。

柊(ひいらぎ)が「くぬぎ」に転訛したとは考えにくいから、鹿児島では櫟(くぬぎ)に柊の字を当てるのか、それともヒイラギでもクヌギでもない植物に柊の字を流用しているのか興味は尽きません。むかしは(今もかもしれませんが)日本は広かったということでしょうか。


京都市の柊野について
[19776] まがみさん
「冬」や「別れ」の文字が、なんとなく物悲しい雰囲気を醸し出しているのが絶妙です。
柊野は、昔は京都七野のひとつといわれ、柊の生い茂る荒地だったそうですから…。今は静かな郊外の住宅地だったと思います。地図を見ていたら十数年前京都に住んでいたとき柊野の鴨川公園へソフトボールの練習に行ったことを思い出しました。

それからもう一つ余談ですが、Mac OSX(テン)ユーザーの方には「ヒラギノ」といえばOSに付属のフォントとしてお馴染みですね。ヒラギノフォントの販売元の大日本スクリーンは京都の会社ですから、ほかにも「ダイゴ(醍醐)」「ケアゲ(蹴上)」「オイケ(御池通)」と京都の地名から名づけたフォントを出しています。以前は「フナオカ(船岡山)」「キョウゴク(京極)」というのもありました。( )内はもとになった地名。


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