ロータリーコレの編集作業をしていて、通称ロータリーとして地元奈良県から唯一掲載されている「片塩ロータリー」の詳細が空白なのが気になったので調べてみることにしました。
片塩ロータリーは大和高田市の中央部に位置し、東方向~南方向の国道166号と北方向の市中心部への道路の大きな三差路交差点です。(厳密には旧道を含めて4枝交差点。)私が車を運転するようになった平成の初めから、ずっと名前は片塩ロータリーですが、いたって普通の交差点でした。これまでもに何度も通りながら、「どこがロータリーやねん!」と心の中でつぶやきつつスルーしてきましたが、地名コレクションの編集者の一人になって、これ以上見過ごすことができないと思い名前の由来を調べてみました。
交差点から北の中心部への(通称)中央道路は、昭和20年代に川替えされるまでは高田川が流れており、奈良県の南北の幹線道路である国道24号が交差点の東から南へと曲がっていました。当時は舗装もされておらず、交差点もごく普通の小さな三差路であったようです。
昭和29年の中央道路開通前の写真 を見ると、のんびりとした川沿いの道が写っています。写真は昭和20年代後半の交差点から北向きの撮影です。
高田川の川替えによって跡地に新たに中央道路が作られ、片塩ロータリーは国道24号と大和高田市中心部との分岐の交差点として整備されたようです。
昭和34年の写真 を見ると、大きな交差点の真ん中に丸い花壇があります。これは「ロータリー」かと思って見ましたが、通過交通は丸い花壇を外回りしていません。直進車がまっすぐ突っ切っています。これでは右折車との交錯が生じるので、ロータリー交差点になりません。
そして
昭和37年の写真 を見ると丸い花壇は三角の中央島へと変わっています。三差路の通行形態に合わせて中央島を整備して交通流を整えたのではないかと思われます。これで右折交通は間違いなく内回りすることになりました。
同じ形体ですが、
昭和39年の写真 では、交通量がかなり増えてきています。写真正面の東から右折して左の市街へと向かう車が内回りしているので確実にロータリーではありません。
そして、
昭和43年の写真 横断歩道橋ができて、三角の中央島には橋脚が建てられました。信号こそありませんが、現在の片塩ロータリーの形状になりました。ここから50年以上、基本的に交差点の形は変わっていません。
以上のことから、「片塩ロータリーは、一度もロータリー交差点としては運用されていなかった。」という結論に至りました。
では、なぜ片塩ロータリーと言われているのか。それも単なる通称ではなく、交差点名が「片塩ロータリー」なのです。結論から言うと「よくわからない」というのが結論です。ここからは推測になってしまいますが、昭和34年の写真の交差点内の丸い花壇がロータリーと言われる由来なのではないかと思います。(と言うか、それしか考えられない。)もしかしたらロータリーのように右折車両を外回りさせてロータリーとしての運用をしたかったのかもしれませんが、交差点の大きさに比べて中央島が小さすぎたので、みんな内回りで曲がってしまったのではないかと推測しています。当時は未舗装なので、今のように路面標示で車を誘導することはできませんから…。
当時の奈良にはロータリー交差点なんかありませんから、単に「丸い中央島があるからロータリー」で名前が定着してしまったのではないか。と、由来を調べると言いながら推理する事になってしまいました…。