[106051]全角2文字さん
くだんの利尻島も、稚内方面からの玄関口となっている鴛泊に対する、利尻町の中心の沓形の優位性が問題となるのでしょうか。この記事にも合併後の町役場が問題となって合併自体が立ち消えになったとありますし。
利尻町と利尻富士町の2町のこれまでの経緯が
記事から良く分かりました。ありがとうございます。昭和の大合併時に既に1町合併構想があったわけですね。役場所在地の位置が最大の問題であったようですが、確かに考えてみれば島の中央には利尻富士がそびえており、移動するには島の周囲を廻らざるをえないことを考えると、面積以上に時間距離の問題が大きいのは納得できます。そもそも道路や移動手段が発達していなかった昔は、旧4村の結びつきは余り強くなかったでしょうし、島の西側と東側に分かれてしまっても不思議ではありません。同じような地理的条件でも屋久島は1町に合併しましたが、屋久島はやはり世界遺産に登録された事が大いに影響しているように思います。
一方、鹿児島県の島嶼地域、種子島や奄美大島、徳之島などが市町村数が多い件ですが、これについては私なりにもう少し考察してみました。
これらの島については、長崎県の対馬や壱岐、五島などや島根県の隠岐、新潟県の佐渡などが市町村合併が進んで1島1自治体になったために、そのように感じたように思いますが、これら他各県の島嶼地域は平成の大合併において1島1自治体になっています。(対馬は2島+α)
島名 | 合併年 | 合併前 | 合併後新市名 |
佐渡島 | 2004 | 15市町村 | 佐渡市 |
隠岐(島後島) | 2004 | 4町村 | 隠岐の島町 |
対馬 | 2004 | 6町 | 対馬市 |
壱岐島 | 2004 | 4町 | 壱岐市 |
五島(福津島) | 2004 | 5市町 | 五島市 |
これらの島嶼地域の自治体は、何れも平成の大合併の2004年に誕生しています。それに対して鹿児島県の島嶼地域は、先に述べた屋久島こそ口永良部島とともに2006年に合併して屋久島町となっていますが、合併があまり進まなかった事が現在の状況を生んでいると言えそうです。奄美大島は2006年に1市1町1村の合併で奄美市が誕生していますが、元々は1島1自治体を目指したものの、島南部の自治体が合併に反対で法定協議会に参加せず、北部で法定協議会設置後も離脱が相次ぎ現在の状況になったようです。合併すれば名瀬を中心とした北部中心の開発になることを南部地域の町村が懸念したことが主な原因と考えられています。
同様に徳之島においても三町合併に向けて2004年に法定協議会が発足しましたが、2005年の住民投票の結果、徳之島町が反対多数で三町合併は破綻。種子島は法定協議会発足時に西之表市が不参加となり、残り2町も南種子町の反対多数により合併が実現しませんでした。
こうして見ていくと、島嶼地域の問題というより全国共通の市町村合併における問題を局所的に見ていただけである事に気付きました。確かに島嶼地域は周囲を海に囲まれているため、島外市町村との移動が制限されるという特殊な状況ではありますが、島内での合併を考える上では結局の所、合併問題三点セットと言われている「新しい庁舎の位置」「新市名」「議員特例」が問題になるのは本土と同じ事だといえます。
こうなってくると、同じ九州の島嶼地域でも長崎県の壱岐、対馬、五島などは合併が進んだのに、なぜ鹿児島県では進まなかったのかという疑問が出てきます。両県の島嶼地域の町村の財政状況に大差はなかったはずなので、合併によるアメの部分が必要なかった訳ではないと思います。ただ、鹿児島県では平成の合併により、市町村数は96から43に半減しているのに、合併を行っていない単独市町村の大半が島嶼地域であるというのは、やはり鹿児島県における地域事情があるようにも思えます。
長崎県と鹿児島県の島嶼地域の合併における違いを見たとき、一番違いを感じるのは行政主導の差ということでしょうか。つまり県の指導がどれくらい徹底していたかではないでしょうか。長崎県の島嶼地域では合併ありきの議論がなされ、住民の意向調査としてアンケートは行われたものの住民投票は行われていません。これが良い事かどうかは議論の余地があると思いますが、基礎自治体の強化と効率化のために合併問題を感情論にしなかったのが合併が進んだ理由であるといえます。もちろん、合併することがそれぞれの地域にとって本当に良いのかという問題はありますが、過疎化による人口減少を見据えて、先手を打って行政体力の強化は行えたと思います。
一方の鹿児島県ですが、本土部では合併が進んだのに島嶼部では進まなかった理由、それは多分に鹿児島県の島嶼地域の歴史が影響しているのではないかと思います。明治以前の琉球王国と薩摩藩による支配の歴史の問題から始まり、第二次大戦後は奄美諸島以南は一時アメリカ統治下に置かれていたという特殊な事情があります。それらのこともあり、奄美地域振興には補助金等で国の関与が大きく、歴史的な確執も相まって鹿児島県としてはあまり口出しができなかったのではないかと思われます。
現在のところ、合併をしなかったことで地域に重大な問題が生じているわけではなく、地域の住民の選択であれば、それは尊重されるべきものだとは思いますし、どちらが正しい選択なのかは分かりません。
ただ、一つの島なのだから、仲良くまとまったら良いのに…。と思うのは、やはり部外者の勝手な見方なのでしょうか。