都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
白桃さんの記事が50件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[102822]2021年10月6日
白桃
[102813]2021年10月5日
白桃
[102803]2021年10月4日
白桃
[102788]2021年10月3日
白桃
[102779]2021年10月2日
白桃
[102558]2021年9月25日
白桃
[102482]2021年9月22日
白桃
[102478]2021年9月22日
白桃
[102447]2021年9月21日
白桃
[102446]2021年9月21日
白桃
[102436]2021年9月20日
白桃
[102426]2021年9月20日
白桃
[102425]2021年9月20日
白桃
[102424]2021年9月19日
白桃
[102406]2021年9月19日
白桃
[102404]2021年9月19日
白桃
[102402]2021年9月19日
白桃
[102390]2021年9月18日
白桃
[102375]2021年9月18日
白桃
[102373]2021年9月18日
白桃
[102341]2021年9月18日
白桃
[102327]2021年9月10日
白桃
[102322]2021年9月8日
白桃
[102316]2021年9月2日
白桃
[102309]2021年9月1日
白桃
[102299]2021年8月30日
白桃
[102280]2021年8月27日
白桃
[102269]2021年8月24日
白桃
[102265]2021年8月23日
白桃
[102255]2021年8月21日
白桃
[102249]2021年8月18日
白桃
[102244]2021年8月15日
白桃
[102241]2021年8月13日
白桃
[102236]2021年8月9日
白桃
[102235]2021年8月8日
白桃
[102232]2021年8月7日
白桃
[102228]2021年8月4日
白桃
[102213]2021年7月30日
白桃
[102205]2021年7月27日
白桃
[102194]2021年7月24日
白桃
[102191]2021年7月20日
白桃
[102188]2021年7月18日
白桃
[102186]2021年7月18日
白桃
[102184]2021年7月17日
白桃
[102182]2021年7月15日
白桃
[102178]2021年7月14日
白桃
[102175]2021年7月13日
白桃
[102166]2021年7月8日
白桃
[102160]2021年7月7日
白桃
[102158]2021年7月7日
白桃

[102822] 2021年 10月 6日(水)15:41:22白桃 さん
名邑三世代.その74(茨城県・後編)
茨城県の「秀邑」と「卓邑」については、ムダ口をたたかず、サラ~といきます。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級日立日立市日立村25,263日立市56,066
二種三級高萩高萩市松原町7,635高萩町19,449
二種三級平磯(ひたちなか市)平磯町7,036平磯町10,604
二種三級龍ケ崎龍ケ崎市龍ケ崎町6,152龍ケ崎町13,848
二種三級久慈(日立市)久慈町5,685久慈町11,111
二種三級宍戸(笠間市)宍戸町5,336宍戸町11,018
二種三級磯原北茨城市北中郷村10,265磯原町13,696
二種三級波崎(神栖市)東下村7,775波崎町15,030
二種三級岩瀬桜川市西那珂村7,202岩瀬町10,935
二種三級岩間(笠間市)岩間村5,610岩間町10,098
三種三級多賀(日立市)河原子町2,822多賀町36,913
参考として
名称現自治体-----1920年(人口)-----1950年(人口)
真壁(桜川市)真壁町7,048真壁町9,785
取手取手市取手町3,888取手町10,780
勝田ひたちなか市中野村3,362勝田町24,033
南中郷(北茨城市)南中郷村8,976南中郷村11,493
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種一級ひたちなか(9)ひたちなか市勝田市43,286ひたちなか市151,673
一種二級岩井(5)坂東市岩井町33,366岩井市43,421
一種二級取手(9)取手市取手町22,582取手市82,527
一種二級つくば(5※)つくば市谷田部町20,570つくば市165,978
一種二級鹿嶋(4)鹿嶋市鹿島町16,132鹿嶋市62,287
一種二級牛久(5)牛久市牛久町16,131牛久市73,258
二種二級大子(0)大子町大子町40,178大子町23,982
二種二級茨城(0)茨城町茨城町30,845茨城町35,296
二種二級八郷(0)(石岡市)八郷30,670八郷町30,551
二種二級那珂(0)那珂市那珂町30,556那珂町45,983
二種二級阿見(4)阿見町阿見町22,326阿見町46,922
二種二級守谷(3)守谷市守谷町11,449守谷町50,362
二種二級総和(2)(古河市)総和村20,703総和町48,007
二種二級三和(0)(古河市)三和村19,269三和町39,718
二種二級神栖(4)神栖市神栖村16,326神栖町48,575
二種三級鉾田(0)鉾田市鉾田町28,657鉾田町28,225
二種三級大宮(0)常陸大宮市大宮町24,594大宮町27,126
二種三級境(6)境町境町22,587境町27,171
二種三級真壁(0)(桜川市)真壁町21,959真壁町20,039
二種三級石下(0)(常総市)石下町19,304石下町24,230
二種三級江戸崎(0)稲敷市江戸崎町13,017江戸崎町20,456
二種三級藤代(5)(取手市)藤代町12,606藤代町33,466
※つくばのDID5回のうち2回は、つくば市成立前に桜村が記録したものです。
続いて、「準卓邑」と(参考)です。
準卓邑
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
東海(4)東海村東海村13,978東海村34,333
美野里(0)小美玉市美野里町14,680美野里町25,040
八千代(0)八千代町八千代村24,438八千代町24,352
伊奈(0)つくばみらい市伊奈村12,010伊奈町25,569
千代田(4)かすみがうら市千代田村11,620千代田町26,660
(参考)
名称現自治体-----1960年(人口)-----2000年(人口)
麻生(0)行方市麻生町20,182麻生町16,587
小川(0)(小美玉市)小川町15,762小川町19,501
利根(4)利根町利根町9,279利根町19,033
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102813] 2021年 10月 5日(火)09:01:19白桃 さん
名邑三世代.その73(茨城県・中編)
茨城県の「準名邑」は以下の6つです。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
北條(つくば市)北條村第一表2,675北條町3,744
真壁※(桜川市)真壁町第一表2,366真壁町7,081
平磯(ひたちなか市)平磯第二表5,839平磯町7,856
龍ヶ崎龍ヶ崎市龍ヶ崎第二表4,255龍ヶ崎町5,807
境町第二表3,497境町4,294
大津(北茨城市)大津第二表3,271大津町3,961
真壁※…「戸口表」の人口では、「準名邑」のレベルまでいってないが、明治12年の「共武政表」では3,035人となっており、「準名邑」に加えました。真壁は陣屋町にして、典型的な在郷町としてとり上げられています。

以下、「準名邑」にも届かないところを参考としてとりあげました。
○は「生まれながらの町」で、[102803]前編に記した「名邑」の12と「準名邑」の6を合わせると40になります。「生まれながらの町」の中には、1908年(明治31年)にもなって3,000人に届いてないところが目立ちます。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
平潟○(北茨城市)平潟村第一表1,880平潟町2,031
鹿島○鹿嶋市宮中村第一表1,803鹿島町2,479
守谷○守谷市守谷町第一表1,725守谷町2,087
鉾田○鉾田市鉾田村第一表1,426鉾田町2,225
筑波○(つくば市)筑波町第一表1,246筑波町3,285
高浜○(石岡市)高浜村第一表1,149高浜町3,276
大子大子町大子村第一表1,040大子町4,276
常磐(水戸市)常磐村第一表4,106常磐村3,361
布川○利根町布川第二表2,994布川町2,962
谷田部○つくば市谷田部第二表2,675谷田部町4,715
取手○取手市取手第二表2,416取手町3,978
江戸崎○稲敷市江戸崎第二表2,398江戸崎町2,956
玉造○(行方市)玉造第二表2,218玉造町2,626
岩井坂東市岩井第二表2,206岩井町3,961
麻生○行方市麻生第二表2,154麻生町3,907
大貫(大洗町)大貫第二表1,969大貫町2,813
豊浦○(日立市)川尻第二表1,720豊浦町3,946
柿岡○(石岡市)柿岡第二表1,709柿岡町3,277
大宮○常陸大宮市大宮第二表1,647大宮町2,607
真鍋○(土浦市)真鍋第二表1,633真鍋町3,254
小川○(小美玉市)小川第二表1,539小川町3,996
石下(常総市)本石下第二表1,169石下町※4,347
宍戸○(笠間市)平町第二表965宍戸町※5,023
松原○高萩市高萩第二表725松原町4,267
相馬○(取手市)藤代第二表595相馬町2,273
東下(神栖市)東下第二表5,103東下村6,698
高鈴(日立市)助川第二表1,667高鈴村3,639
石塚城里町石塚第二表914石塚村3,027
牛久牛久市牛久第二表859牛久村2,459
久慈(日立市)久慈村第三表2,615久慈町4,206
河原子○(日立市)河原子村第三表1,928河原子町2,907
日立日立市宮田村第三表1,143日立村2,692
関本○(筑西市)記載なし関本町4,225
石下町※…「戸口表」第二表に記載の新石下も含まれています。
宍戸町※…「戸口表」第二表に記載の太田町も含まれています。宍戸は後の友部です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102803] 2021年 10月 4日(月)10:04:53白桃 さん
名邑三世代.その72(茨城県・前編)
茨城県と言えば…、水戸黄門、なっとう、稀勢の里、ここ一番にメチャクチャ弱い高安、木内監督、豊田泰光(西鉄ライオンズ)、スカンデルベクの鷲さん、県庁が水戸の街中からエライ遠い場所にある、等々いろいろ思い浮かべるものがありますが、あまり人気の無い、はっきり言って隣の栃木県と人気の無さを張り合っている県です。私は、茨城(き)と栃木(ぎ)のナマリの区別がつきませんが、結城は茨城で、下館から行く真岡がなぜか栃木であることは知っています。そう言えば、高校一年生の初めての地理の授業で、白地図に47都道府県名を漢字で書き入れる、というテストがあって、茨木県、栃城県って書いたヤツがいました。(因みに、このテストの正解者は白桃ただ一人であった、ということは母校の名誉のためマル秘にしておきましょう。 )
人気はありませんが、茨城県は北海道に次いで「農業産出額」 が高く、メロン、くり、れんこん等、収穫量日本一の野菜・果物も多いのです。立派な「農業県」でありますが、鹿島臨海工業地帯なんかもあっていろんな顔を持っています。思い起こせば40年前、白桃まかり間違えば茨城県民(牛久市民か取手市民)になっていたかもしれません。つまり、県南は完全に東京の通勤圏でありますが、袋田の滝や筑波山、ひたち海浜公園のネモフィラを見に行くと小旅行した気分になります。
以上ゴチャゴチャ書きましたが、私にとって茨城県は、「生まれながらの町」がやたらと多い県なんです。その数40は、新潟、千葉に次いで3番目(埼玉と同数)なのです。「在郷町」の多さを物語っているのかもしれませんが、「町の安売り」をした感はぬぐえません。
【明治の名邑】
「市街」の水戸は北関東唯一の「生まれながらの市」であり関東最大の石高を誇る城下町ですが、この時代の人口規模でみると、宇都宮、高崎、前橋に「劣るとも勝らない」のです。これは、水戸藩の形式上の石高(表高)より実際の石高(内高)が常に下回っていたということに関係あるのでしょうか?
「名邑」は筆頭の土浦に続いて湊(後の那珂湊)が入ります。その後は石岡(常府)、古河、結城、太田、稲荷の笠間、下館、水海道と実にシブ~いラインナップです。よりシブい?下妻の上位にくる潮来には「橋幸夫歌手生活引退記念」に「名邑代表」になってもらいましょう。渋すぎるので、19世紀枠として磯浜(「戸口表」では第二表)を加えました。この味付けに、オオワライする者はいないでしょう。人口的には他の「名邑」とまったく遜色なく、どうして第一表でなかったのか不思議です。
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)-----1908年(人口)
市街水戸水戸市水戸19,010水戸市38,435
名邑土浦土浦市土浦町10,295土浦町12,215
名邑(ひたちなか市)湊村9,893湊町13,367
名邑石岡石岡市石岡町8,937石岡町13,780
名邑古河古河市古河町8,647古河町13,381
名邑結城結城市結城町7,999結城町12,080
名邑太田常陸太田市太田町5,474太田町8,676
名邑笠間笠間市笠間村4,991笠間町6,972
名邑下館筑西市下館町4,691下館町7,233
名邑水海道常総市水海道駅4,655水海道町5,460
名邑潮来潮来市潮来村4,330潮来町5,403
名邑下妻下妻市下妻町3,921下妻町5,397
拾玖世紀枠磯浜大洗町磯浜8,496磯浜町13,856

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」「準名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102788] 2021年 10月 3日(日)05:20:27【2】白桃 さん
第五十八回十番勝負始末記
[102786]Nさんの感想文を読んで、その素晴らしい思考回路に驚嘆。でも、あのような早業は自分には到底無理だと落胆。
今回の始末記は、イースゥーチィ(一・四・七)のサンメンチャン(三面張)でいきます。

問七:室蘭市、山形市、魚津市、鹿島市、宮崎市
該当しない市:青森市
副題リンク:閑谷学校
(想定解数:56市)
■都道府県で市制施行日が一番古い市
久しぶりの金メダル。実は、これとホボ同じ問題(共通項、想定解数は当然同じ、お題の魚津、鹿島もいっしょ)を作成していたのです。(経緯は[102303]デスクトップ鉄さん)他に作成していた問題の中には58回十番勝負に似通ったものが出題されるのがあるかも、とは思っていましたが、まさか、コレが出るとは…とにかく♪ビックリ・仰天・有頂天、ルイジアナ・ママでした。
ですから「金」獲得は当然と言えば当然なのですが、領地獲得市を探していたため解答するのに時間がかかり、危うく(私の問題を見て知っていた)勿来丸さんに金を奪われるところでした。勿来丸さんは金を逸したことを残念がっていますが、「原作者」を差し置いて「金」なぞ南砺おこがましいことでしょうか(笑)。

問四:五所川原市、いわき市、袋井市、岡山市、沖縄市
該当しない市:川崎市、松阪市
副題リンク:今帰仁村
(想定解数:51市)
■合併により新たに海岸線をゲットした市(ルーツの市から)
以前、この落書き帳で「平成の合併」によって海に面するようになった、という話題がありましたね。それはともかく、他の何人かの方も仰っていますが、解けると爽やかな心地になる問題でした。副題SVは、進んでいくと海原に出た、という意味でしょうか?

問一:留萌市、横浜市、御殿場市、尼崎市、和歌山市
該当しない市:さいたま市
副題リンク:堀川通り
(想定解数:54市)
■同じ読みで始まる市の中で人口最多の市
思い起こすと今までの十番勝負において、問一にひっかかったり、つまずいたケースが多かったような気がします。何度か言っていますが、「十番勝負はヒントが出た瞬間に別のゲームになる」というのが私の考えですので、極力ヒント前に答えられるようにしたいのですが、それがなかなか難しいのです。今回は9問まではヒントなし(副題リンクもヒントそのものになっているが・・・)で答えることができたので、自分では「なんか好調だな」と感じていました。だけど、この問一にはマイッタさん、成田さん。
あのSVはいったい何だったのか。京都の通りの名を歌った「数え唄」みたいなものがありますが、ソレかな???
とにかく、「Go To キャンペーン」のポスターが貼られていたので、「民泊」特区かな?、いやいや、堀川は京都市電が通っていたので、廃線か?「涙の廃線投手」問題は十番勝負では絶対出ないと思いつつも、尾花沢で解答。あえなく誤答。
でも、「お」から始まる市で人口最少は尾花沢なんですよ。実に惜しかった('◇'))。因みに「ひ」から始まる市で人口最少は東かがわ市ではありません。

さて、「副題リンク」のことですが、この場合のサブ・タイトルってどういう意味なんですかね。「コロナで変化する社会」と何か関係があるのでしょうか?正直言って、今回は「副題リンク」に翻弄トイトイでした。私にとっては邪魔者以外のなにものでもなかったです。これによってNさんらの完答スピードがより速まったのは事実でしょうが、最初からヒントをだすのと同じことで、私は反対です。ヒントづくりに勤しむのはいいのですが、本末転倒にならないようお願いします。

なにはともあれ、今回も楽しくもあり、苦しくもあった十番勝負でした。ご苦労頂いたグリグリさんに御礼申し上げます。
[102779] 2021年 10月 2日(土)06:55:45白桃 さん
「変動」と「推移」
今回の十番勝負の第八ヒント
問十:人口変動千人未満
となっているのを見て、「そう言えば我が研究所?では『人口変動』という言葉をあまり使わないな。」と感じました。
じゃ、この場合、何というか…「人口増減」かな?
もちろん「人口変動」というのもよく使われますし、決して間違っているわけではありません。ただ、「変動」で終わる言葉を見ると「地殻変動」「気候変動」「社会変動」といった地球規模や全国規模で変化し、その変化をはっきり数字で表しにくいモノが多いように思います。また、「景気変動」「為替変動」「物価変動」「株価変動」といった(経済、お金に絡む)変化するのが当たりまえだのクラッカーに使われています。
将棋といえば「棒銀」でしか指さない人文社会系の私ですが、人口がらみでは「人口推移」とか「人口変遷」という使い方が多いです。

朝からワケの分らない書き込み失礼いたしました。
[102558] 2021年 9月 25日(土)05:53:03白桃 さん
十番勝負
問一:善通寺市

もう、グリグリさんって大嫌い!!!!!(笑)
血糖値があがります。
[102482] 2021年 9月 22日(水)23:09:56白桃 さん
土岐市×について
[102479]N さん
あるトコロを見ると一見該当に見えますが、あるトコロを見ると非該当なんですよね。
私も書きながら、「”あるトコロ”はああしているから、こうなっているのですよ。」という説明をオーナーからお伺いしていたのを思い出したのですが、ついつい、書き込み終了ボタンを押してしまいました。
それにしても、ぺとぺとさんは不運でしたね。それに加えて、[102481]が二重投稿になっているし。

それはそうと、Nさん五連覇おめでとうございます。もう六連覇でも七連覇でもご自由にやってください。(心の中では、どうせなら土岐市の毒饅頭はNさんのおクチに入れば良かったのに・・・なんてことは決して思っていません。)

問一考えなくっちゃ!!!
[102478] 2021年 9月 22日(水)21:54:13白桃 さん
ぺとぺとさんの「土岐市」について
オーナーグリグリさん
関係ない者がクレームをつけるのもおかしいのですが、ぺとぺとさんの「問八:土岐市」は正解なのでは。
[102447] 2021年 9月 21日(火)17:43:15白桃 さん
十番勝負
問一:尾花沢市
イマ・イチどころかイマ・ヨンぐらい自信ありませんが・・・
[102446] 2021年 9月 21日(火)08:14:29白桃 さん
十番勝負
問三:鹿児島市
迷走してしまった・・・。
[102436] 2021年 9月 20日(月)18:23:00白桃 さん
事務連絡?
オーナーグリグリさん
[102434]BEAN さんの問二に対する解答が、問三で正答になっています。???
[102426] 2021年 9月 20日(月)08:15:31白桃 さん
十番勝負
問四:倉敷市
自分の考えがあってたらのハナシですが、これは気持ちの良い問題ですね。
[102425] 2021年 9月 20日(月)06:45:10白桃 さん
十番勝負
問五:真庭市
[102424] 2021年 9月 19日(日)22:59:38白桃 さん
十番勝負
問二:南九州市

数えたら一個足りないけど、多分、見落としでしょう。
[102406] 2021年 9月 19日(日)09:01:05白桃 さん
十番勝負
問六:安中市
先頭集団はもうゴールしたか???
[102404] 2021年 9月 19日(日)08:14:53白桃 さん
十番勝負
問九:志布志市
[102402] 2021年 9月 19日(日)07:26:31白桃 さん
十番勝負
問八:那珂川市
かぱぷうさん、お早うございます。
それにしても、気が付くのが遅すぎます。
[102390] 2021年 9月 18日(土)23:31:59白桃 さん
十番勝負
問十:東御市
[102375] 2021年 9月 18日(土)22:29:24白桃 さん
ちょっとブレイク
あ~驚いた。
こんなことってあるんだ!!!
[102373] 2021年 9月 18日(土)22:24:01白桃 さん
十番勝負
問七:宇部市
[102341] 2021年 9月 18日(土)11:03:41白桃 さん
国勢調査人口上位4町今昔ものがたり
先生との進路相談を受けてないのか、台風14号クンの進路はメチャクチャですね。今夜始まる十番勝負における白桃の迷走ぶりを暗示しているのでしょうか?
さて、100年前(正確には、101年前)の第一回国勢調査の話になりますが、人口順位(町のみ)4位までの町の人口を合算してみました。なぜ、4位までにしたかと言うと、都道府県対抗リレーあるいは駅伝でもさせようと思ったからです。適当なバトン、たすき類が見つからず、また、沖縄県には糸満しか町がないので、リレーはあきらめ、単純に4町の合計人口比べに変更しました。
上位8都道府県(大会で言えば、8位入賞)は下の通りです。
道府県Total人口一位二位三位四位
1位東京府224,541渋谷西巣鴨南千住日暮里
2位大阪府179,958豊崎今宮鷺洲鶴橋
3位北海道132,441夕張野付牛網走岩見沢
4位福岡県119,588戸畑飯塚添田後藤寺
5位栃木県109,108足利足尾栃木鹿沼
6位愛知県102,139愛知一宮瀬戸呼続
7位神奈川県86,208小田原保土ケ谷川崎浦賀
8位山口県81.623山口防府徳山小野田
私には栃木県の5位が印象的でした。因みに2020年国勢調査(速報値)では、1位が愛知、2位が福岡、3位が埼玉となっており、大阪府は16位。東京都は38位にまで順位を落としています。なお、1920年第一回の最下位(46位)は山梨県(谷村、市川大門、上野原、鰍沢)で、2020年(第21回)は島根県が最下位(3町しかない大分県が欠場しているので46位)となっています。
Total人口の大会記録は、1930年に東京府チーム(荏原、西巣鴨、渋谷、滝野川)が作った450,564で、この記録は未来永劫、絶対破られないでしょう。
1920年において上位4位に入っているところの殆んどは、後に自ら市になったり、他市に吸収されたりしていますが、以下の16は今もなお町として存続しています。
1920年町名順位人口2020年町名順位人口
青森県野辺地210,240野辺地912,389
岩手県大槌39,254大槌911,013
秋田県小坂314,681小坂74,780
山形県谷地411,000河北317,649
山梨県市川大門26,047市川三郷314,710
山梨県鰍沢44,708富士川※414,225
長野県下諏訪315,608下諏訪319,171
静岡県小山417,563小山518,585
奈良県下市49,475下市155,042
和歌山県湯浅49,470湯浅811,117
鳥取県若桜36,236若桜132,868
徳島県牟岐47,774牟岐143,747
香川県多度津47,444多度津322,459
高知県伊野37,644いの121,394
福岡県添田328,569添田248,805
鹿児島県宮之城314,699さつま120,272
名前も変えず、上位に留まっている下諏訪、多度津は、”いとあはれ”であるが、大きく順位を下げた下市、若桜、牟岐、添田あたりは非常にあわれである。
※富士川の「前身因子町」は増穂であって、鰍沢ではありません。
[102327] 2021年 9月 10日(金)07:15:50【1】白桃 さん
地理の真髄は地誌にあり
小学校一年のとき、彼女(家は酒屋さん)から誕生日プレゼントで貰ったのが「地図帳」で、大学二年のときに地域調査に行った先が「智頭町」。大学で地理を学び、卒業後も学び足りなくて?専攻科(「なにもせんこうか」とも言われる)で一年間地理を探求???、旅行会社に入社(インチキ・クイズキャンペーンに応募してきたハガキを市区町村別に仕分けするのが誰よりも早く、そのことで入社以来はじめて「人間、何か取り柄があるものだ!」と上司に褒められた?)、旅行業協会(出向→移籍)では「四国は国であるから観光客から入国税を取れば良い。」と発言する会長サマの御供で各地の観光資源・地域伝統芸能を視察、そして2002年からは仕事そっちのけで「都道府県市区町村・落書き帳」という本格的?地理?に没頭している私。ですから、「地理」と関わっている時間は相当長い(少なくともお酒を飲んでいる時間よりは)と思います。
ですが、「地理」を「地理学」だと思ったことは一度もありません。
書いているうちに「学」という字にイライラしてきました。
[102325]千本桜さんがそうなるのも当然でしょう。私は、いわゆる「語学」というものは学問では無いのだから、学校教育で学ぶもの、学ばせるものではなく、「ソロバン塾」や「パソコン教室」同様、専門学校などでやれば良いと考えております。(この考えには誰も賛同してくれません('◇')ゞ)。一方、「地理学」は学問として成り立っていない、成り立つものではないのですが、「地理」は学校教育のみならず、一生気軽に学び続けた方が良いモノだと考えています。
では、私の高邁な?思想はこれぐらいにして、
スカンデルベクの鷲さんからご紹介のあった立正大学のHPでは「観光地理学」について
観光地理学は地理学のなかでは比較的新しい研究分野で、地域における観光関連産業の発達、観光地化にともなう生活や文化の変容、観光活動が地域に与える影響などについて研究します。究極的には観光地の地域性を明らかにすることが目的です。近年では、地域活性化の一手段として観光が脚光を浴びていますが、観光地理学では地域資源を活用した地域振興についても考えていきます。
とありますが、これによると、私の卒業論文「蒜山原の観光開発と地域の変容」はまさに「観光地理学」の範疇ですね。しかし、私自身、これを「観光地理(学)」と思ったことは一度もなく、下手な「蒜山地誌」だと今でも思っています。
「観光地理学」は確かに比較的新しい分野には違いないのですが、私の学生時代(50年前)から「温泉地の成立過程」に触れた書物・論文があり、このようなものを系統地理学のなかで「観光地理学」とされていました。近年、「観光学部」「環境ツーリズム学部」等と観光分野に焦点をあてた大学の学部・学科が急増していますが、このような所では、ホスピタリティ関係のカリキュラム以外に「観光地理」が教えられています。その殆どは、各観光地の説明程度に留まっているのではないでしょうか。
一方、上記(立正大学HP)で「地誌学」について
自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明する学問です。
地誌とは何か。日本各地について記述した風土誌、あるいは特定の地域の地形や気候、名所旧跡、物産など、自然・人文の諸事象を記述した百科事典的なものというイメージがあります。しかし、学問としての地誌学は、特定地域における自然(地形・気候・水文など)と人文(都市・経済・歴史・交通など)の諸事象の相互関係を総合的に考察し、地域的性格を究明することにあります。この点で、自然や人文のテーマごとに地域を分析する系統地理学とは異なります。ただし、地誌学と系統地理学は補完関係にあります。
とありますが、これは伝統的(悪く言えば保守的)な説明です。私は地誌とは「人間集団が社会経済的活動を展開する場(地域)の性格を考察し地域像を記述する」ものだと考えています。「自然と人文の諸事象の相互関係を総合的に考察」と言うのが諸悪の根源であります。自然環境、例えば、その地域の地形・気候などは「銭湯の壁のペンキ絵」「舞台の書き割り」に過ぎないとは言いませんが、地誌においては、あくまでも人間集団を主体に置かなければならないと考えます。極論すれば、地誌は「地域における人間集団の生態」を記述するものではないでしょうか。
系統地理学の中には、経済地理学(「産業地理学」と言ったほうが適切?)、歴史地理学、交通地理学、文化地理学、集落地理学、人口地理学、政治地理学、疾病地理学…等々ありますが、どれもこれも、地理「学者」の業績は薄く、それぞれの分野の学者の成果にはとてもかなわないと思います。ましてや、地形学、気候学、水文学という「自然地理学」の分野は、地質学、地球物理学、気象学に太刀打ちできるはずも無く、「今は名のみ」残っているのではないでしょうか。
「地理の真髄は地誌にあり」とタイトルに書きましたが、系統地理学では何にもできないので、残っているのは「地誌」だけ、そういう意味ではありません。「地理」の原点は「地誌」であり、その有効性は「地誌」にしか認められないと思うからです。ただ、「地誌こそ地理の命」と言った地理学者が何人かいましたが、私の勉強不足のためでしょうが、残念ながら本格的な「地誌」にお目にかかったことはありません。現在は情報技術の進歩によって、「地誌を読む」事は殆ど無くなりましたが、死ぬまでに、地域に刻まれた歴史を踏まえた読み応えのある「地誌」にお目にかかりたいものです。
最後に、千本桜さんの質問にお答えします。
添乗員にとって、行く先々の地誌の知識が必要かどうかです。
添乗員のメインの仕事は旅程管理ですが、かつて、私も「旅程管理試験」に関わっていて、「観光地理」的というか「地誌」的問題は、試験に出題されていました。例えば、
白石市の名物は次のうちどれか
A.あーめん  B.いけめん C.うーめん
に毛が生えた程度の問題です。
パッケージツアーの場合はガイドがついていますので、添乗員は必ずしも地誌の知識は必要ありません。と言っても、国内旅行の場合なんか、バスガイドの地誌的説明には、20年前の人口が飛び出してきますので、添乗員は寝ててはいけません。そして、旅程管理上、計画通りにツアーを進行するため、A→Bまでの所要時間とか、イベント(祇園祭など)見学にかかる時間なんかは十分承知していないと時として困ったことになります。(旅程を計画した者が必ずしも「地誌」に円熟している者ではないからです。)

以上、長々と述べましたが、あくまでも白桃の「個人的所感」です。
※途中誤って記事終了ボタンを押してしまいました。
[102322] 2021年 9月 8日(水)07:42:21白桃 さん
名邑三世代.その71(石川県・後編)
現在はどうか知りませんが、「旅行業務取扱管理者」(私が関わっていた頃は「旅行業務取扱主任者」)の試験に、著名な観光地・温泉地が何県にあるか、という問題がやたら多く出されていたのですが、旅行会社の人間はともかく、旅行者は足利が栃木であろうが群馬であろうが、津和野が島根だろうが山口だろうが、そんなことは、あんまり気にしていないと思うのです。ましてや、温泉につかりながら、山中温泉のこの宿は何という市にあるのだろう、と考えている人はマズ、いないと思います。そんな事を考えていたら、お風呂から戻らないのを心配した添乗員によって発見されます。(もちろん、死体となって)
私も、温泉の大浴場でそんなことを考えることは全くありません。たとえ、ソコが杖立温泉であったとしても。というのは、温泉地に泊っても温泉に入らないことがあるし、入ったとしても、ウルトラマン同様5分以内に出なければいけないからです。
では、ソロソロ行かなくっちゃんは北海道。
[102299]の続きになります。
石川県の「準名邑」は以下の三つです。
準名邑現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
宇出津能登町宇出津第二表4,401宇出津町5,877
津幡津幡町津幡第二表3,146津幡町3,540
羽咋羽咋市羽咋第二表3,137羽咋町3,950
参考としては以下の通りです。
(参考)現自治体-----1886年戸口表人口---1908年人口
安宅(小松市)安宅第二表2,081安宅町2,126
飯田(珠洲市)飯田第二表1,847飯田町2,498
高浜(志賀町)大念寺新第二表1,743高浜町2,378
穴水穴水町穴水第二表1,573穴水町6,660
高松(かほく市)高松第二表3,623高松村7,192
山中(加賀市)山中第二表2,393山中村3,617
小木(能登町)小木第二表1,679小木村5,412
富来(志賀町)富来第二表1,669富来村2,402
山代(加賀市)山代第二表1,622山代村2,373
木郎(能登町)松波第二表1,464木郎村7,040
田鶴浜(七尾市)田鶴浜第二表1,329田鶴浜村1,286
志雄(宝達志水町)子浦第二表1,290志雄村1,562
寺井野(能美市)寺井第二表1,230寺井野村5,818
櫛比(輪島市)門前第二表461櫛比村3,737
野々市野々市市野々市村第三表2,002野々市村2,051
上記うち、「準名邑」の宇出津、津幡、羽咋と、(参考)に記した安宅、飯田、高浜は”生まれながらの町”です。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「秀邑」の前にブレイク…小木ですが、その変遷がややこしいので注目しています。
1921年:小木町→1955年3月宇出津町などと合併し能都町に→1955年10月に小木地区が松波町に組み込まれる→1958年松波町が内浦町に改称→2005年能都町・柳田村と新設合併により能登町に
小木には悪いですけど、なんか、主体性なくウロウロしていた感ありです。
さて、大浴場から出てきたところで、この有名な温泉は何市にあるのかジックリ考えてみましょう。(笑)
一番単純温泉は
粟津温泉・・・粟津村→1940年小松町、安宅町ほかと合併して小松市に
次に
山代温泉・・・山代村→1913年山代町→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
山中温泉・・・山中村→1913年山中町→2005年加賀市と新設合併で加賀市に
少しややこしいのが、
片山津温泉・・・1942年作見村・塩津村が合併し片山津町に(温泉は両村にまたがっていた)→1958年大聖寺町ほかと合併して加賀市に
そして
和倉温泉・・・1889年端村→1934年田鶴浜村ほかと合併して和倉町に→1939年和倉地区が七尾町ほかと合併して七尾市に
※1934年の合併の際に端村の一部にすぎなかった和倉が、中心だと思われる田鶴浜を差し置いて、なぜ町名となったのか不思議です。なお、和倉地区が抜けた後の和倉町は田鶴浜町となりますが、これは単なる「改称」としてはいけないと考えます。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
ですが、残念ながら「秀邑」も「準秀邑」もありません。
わずかに参考として
名称現自治体---920年 (人口)---1950年(人口)
七塚(かほく市)七塚村6,692七塚町9,990
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
石川県の「卓邑」は、この期に市となった珠洲、羽咋と二種二級の津幡(実質的には卓邑トップ)、四種の山中、野々市、内灘、根上(明徳に五連続敬遠された方や不適切発言の多い元首相の出身地)、能都の八つです。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種三級珠洲(3)珠洲市珠洲市35,827珠洲市19,852
一種三級羽咋(9)羽咋市羽咋市29,556羽咋市25,541
二種二級津幡(5)津幡町津幡町21,836津幡町34,304
四種山中(8)(加賀市)山中町13,650山中町10,195
四種野々市(6)野々市市野々市町8,758野々市町45,581
四種内灘(6)内灘町内灘村7,290内灘町26,560
四種根上(5)能美市根上町10,470根上町15,426
四種能都(5)能登町能都町19,348能都町11,433

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
高松(2)(かほく市)高松町10,639高松町10,826
現在のかほく市においては、高松も七塚も「秀邑」「卓邑」ともに逸しています。なお、かほく市の「前身因子町」は宇ノ気です。
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102316] 2021年 9月 2日(木)05:12:30白桃 さん
♪湊町十八番地?
[102312]ピーくん さん
[102314]ぺとぺと さん
「ナゾナゾ」にお付き合い頂きありがとうございます。
私の想定解は、ぺとぺとさんがお考えになっていた通り、(A)が「港」で、(B)が「湊」です。
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例
能代港町→能代市
境町→境港町
もっとも、「湊」は小湊、湊、というのが多く、「湊」をくっつけることはあっても、「湊」をとりはずすことは難しいです。
国語的には「港」も「湊」も殆ど同じように用いられていますが、「湊」のほうが古めかしいばかりではなく、「港」はもともと、「船が進む水路」を表すのに対し、「湊」は「船が集まる場所」の意であるそうです。(※ただ、違うというか、殆ど真反対な説明をしているものもあり、「個人の感想」に留めて置きましょう。)(笑)
以下は参考のために接尾に「湊」「港」が付く「町」を挙げました。
町名現在の自治体町(名)になった年「町」時代の最高人口(調査年)
青森県(八戸市)1924年12,587(1925年)
小湊青森県平内町1928年9,790(1950年)
大湊青森県(むつ市)1928年14,861(1955年)
茨城県(ひたちなか市)1889年14,723(1935年)
那珂湊茨城県(ひたちなか市)1939年20,274(1950年)
千葉県(富津市)1889年5,197(1947年)
小湊千葉県(鴨川市)1928年4,237(1950年)
天津小湊千葉県(鴨川市)1955年12,591(1955年)
新潟県佐渡市1889年2,131(1898年)
新湊富山県射水市1889年24,330(1940年)
大湊三重県(伊勢市)1889年2,662(1940年)
2,768(1918年)
大阪府(堺市)1915年6,442(1918年)
兵庫県(南あわじ市)1927年3,195(1950年)
神湊福岡県(宗像市)1906年2,571(1950年)
長崎県島原市1889年6,355(1920年)
7,167(1913年)
土崎港秋田県(秋田市)1889年18,047(1940年)
能代港秋田県能代市1889年25,756(1935年)
船川港秋田県男鹿市1894年16,865(1950年)
境港鳥取県境港市1954年33,256(1955年)
※上表の最高人口(調査年)について
1901年に夷町と合併して両津町となった新潟県の「湊町」は、1898年「日本帝国人口統計」です。
1920年4月1日に堺市に編入された大阪府の「湊町」は1918年「日本帝国人口静態統計」です。
三重県の「大湊町」と長崎県の「湊町」は、国勢調査開始以前に最高人口を記録した可能性があり、「日本帝国人口静態統計」の現住人口を併記しました。
※現在の自治体の市部が( )となっているのは、当該市の「前身町」ではないことを示しています。
・茨城県「湊町」が改称した「那珂湊町」は、「那珂湊市」の前身町ではありますが、「ひたちなか市」の前身町ではありません。ただし、「湊町」は「ひたちなか市」の「本源因子町」かつ「最古因子町」となります。ややこしい白桃ルール、ドーモすみません。
・その白桃ルールに従いますと、「島原市」の「前身因子町」・「本源因子町」・「最古因子町」(「三冠因子町」)は、「島原町」ではなく「湊町」になります。

以下は、ピーくんさんへのメッセージです。
早くから、私のことを心配していただいたこと大変恐縮しております。下馬評ではそんなに評価が高くなかったにもかかわらず、ベスト4になった西条農業、お見事でした。私の母校もクジ運よくベスト4に残りましたが、予定通り準決勝で敗退。西条農業の場合は、広島新庄相手に本当に惜しかったですね。つい最近のことですが、かつて西条農業で教えていた友人(校長か教頭だったかも?)に、祇園北のことも教えてもらいました。ただ、綾瀬はるかの名はでなかったですね。(笑)
[102309] 2021年 9月 1日(水)07:58:19【1】白桃 さん
朝からナゾナゾなどどうでしょう?
合併して「市」や新しい「町」になるときに、元の自治体名にくっつけたり、元の自治体名からとりはずした事例がある漢字一字(A)があります。いっぽう、(A)と「訓読み」では同じ読み方の漢字一字(B)は、私の知る限り、合併して「市」や新しい「町」になっても元の自治体名からとりはずした事例はありません。(三本松町→大内町、三本木市→十和田市のように、名称自体がまるっきり変わるケースは除外します。)
さて、(A)と(B)はどういう漢字でしょう???
ヒント:
ヘンな話ですけど(A)と(B)は同じヘンです。This is 3 WATER HEN.
[102299] 2021年 8月 30日(月)08:34:12白桃 さん
名邑三世代.その70(石川県・前編)
何回か経験したことなんですが・・・
「香川県の出身です。」と言うと、「県庁は松山でしたか?」 と香川県民や高松市民がガックリくるような質問を受けるのです。では、その香川県民百万人(昔はイタんだよ)のウチの百人に「金沢は何県の県庁所在地か」と尋ねてみたら、どうでしょう。多分、正確に答えられるのは10人いるかいないか、だと思います。「北陸県」という珍答もあるカポネ。ま、それぐらい金沢は誰でも知っていると思いますが、石川県の知名度は香川県と同等クラスではないでしょうか。そして、「金沢があって、ちょっと先の方へ行くと加賀屋のある温泉地がある。」ってなるぐらい能登は忘れ去られています。ま、「♪能登はいらんかいね」と坂本冬美によって売りにだされているのも致し方ないでしょう。
与太話はさて置き、石川県は当落書き帳にとって「最重要県」でありますから、前・後編なしの一編で終わらすことは出来ません。よってムダ話を続けます。('◇')ゞ
47~48年ぐらい前の話です。西洋史研究室にいた者が彼女とこっそり飛騨高山への旅行を計画していたのですが、彼女の親にバレて行けなくなってしまい「もう宿のキャンセル出来ないんで、白桃、かわりにオレの名前で行ってくれないか?」と頼まれました。「エッ、一人でか?!」となにか違和感を感じつつも承諾したのですが、案の定、高山の宿では「お一人ですか?」とヘンな目でみられました。で、せっかくだからその帰りに寄ってみよう、ということで訪れたのが私の金沢初参上です。なぜか兼六園を見物してまして、歩き回っているうちに”つっかけ”の鼻緒が切れてしまい、真夏の暑い最中、ハダシで金沢の街をウロウロしてました。で、どういうわけか、スリッパを求めに金沢大学の地理学教室に向かったのです。偶然、そこには大学の先輩で助手?をやっている先生がいて、私以上にラフな恰好(ステテコ???)のソノ先生と、いろいろ地理学方法論のハナシで盛り上がり…いやいや、そういうことは全くなく、しばし世間話をしてたような記憶が残っています。その先生は、ずっと後に岡山に教授として戻ってくるのですが、五年ほど前に岡山で再会しました。アレ、金沢の話がいつの間にか岡山のはなしに…になってはいけません。
ではアラタメまして。金沢はわが国では数少ない「都市観光に耐えうる」美しい都会だと思います。私は、上に書いた学生時代も含めて少なくとも5回は訪れているのですが、そのたびに新しい感動を覚えます。と、お世辞はこのあたりに本題に入りましょう。
【明治の名邑】
簡単に言えば、石川県は【特選市街】金沢と8つの【名邑】ということになります。
札幌、仙台や福岡が「別格市街」にとどまっているのに対して金沢は堂々の「特選市街」。ま、加賀百万石の威力はたいしたものです。名邑筆頭は「市街」になりそこねた小松。これに輪島、七尾と能登勢が続きますが、その後はすべて加賀の街。大聖寺はその名からして門前町と間違えられそうですが、城下町、宿場町として栄えていました。「城下町」と言っても「一国一城令」によって「城」を構えることは無く、陣屋があるのみ。幕末には10万石になったから、「日本最大の陣屋町」と言った方が格好いいかも。次の「名邑」の名称は「上金石」としていますが、これは、上金石町が金石町となるのが1920年(大正9年)なので仕方ありません。なお、「戸口表」時の「金石」が1889年の町村制施行時に「上金石町」と「下金石町」に分離し、「大野町」はその「下金石町」が改称したものです。美川、松任、鶴来と現在の白山市にある街が三つ入りますが、名邑代表は、当時は松任を凌いだらしい美川にしときましょう。余談ですが、アノ看板(「美川県一」)はもう無くなっていますね。鶴来は松本清張の「ゼロの焦点」に登場します。
名邑/種別名称現自治体---1886年(人口)---1908年(人口)
特選市街金沢金沢市金沢97,653金沢市110,994
名邑小松小松市小松11,721小松町14,505
名邑輪島輪島市輪島9,840輪島町11,376
名邑七尾七尾市七尾8,965七尾町11,382
名邑大聖寺加賀市大聖寺8,944大聖寺町8,920
名邑上金石(金沢市)金石9,110上金石町7,282
大野(金沢市)(金石)大野町2,222
名邑美川(白山市)美川5,524美川町5,753
名邑松任白山市松任5,154松任町6,873
名邑鶴来(白山市)鶴来3,590鶴来町4,488
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

「準名邑」からは後編に・・・
[102280] 2021年 8月 27日(金)15:20:44【1】白桃 さん
ヤーレン・ソーメン・ウーメンと白石
[102273]千本桜 さん
クイズ ここはどこでしょう
は、別解が無いか、台湾までにも思いをはせたのですが、やはり、全世界中を探しても白石以外は該当しませんネ。(笑)
[102279]千本桜 さん
白石うーめんは短いのはわかりますが、私は味音痴で「三輪そうめん」と「白石うーめん」の味の違いが、よくわからないのです。白石うーめんを食べたことのある白桃さんに解説をお願いしたのですが、いかがでしょうか。
初めて千本桜を見に行ったとき、車で送って頂いた白石蔵王駅で買った記憶があるのですが、私も味音痴でして、「三輪そうめん」との味の違いどころか、「うーめん」の味自体も殆ど記憶にありません。※「一ノ蔵」と「浦霞」の味の違いは分かります…('◇')ゞ
それに、香川県育ちの私は三大素麺の筆頭?「三輪そうめん」を食べたことが無いかもしれません。「揖保乃糸」でおなじみの「播州素麺」、地元の「小豆島素麺」、それから(島原の乱後、荒廃した島原半島に移民した小豆島の人たちによって広まったといわれる?)「島原素麺」は良く食べますが、どれも美味しいです。もっとも、私のお気に入りは隣県徳島は半田の「半田素麺」です。スダチをかけるとなお美味しい。

ところで、白石は千本桜さんが仰る通り、こじんまりした上品な「城下町」ですが、他の城下町とは大きく異なる点があります。それは、「一国一城令」が出された後も明治維新まで存続することによって城下が整備されたということと、その領主(正確には「領主」と言えないかも)は伊達の「家臣」である片倉家であったことです。このことは、徳川幕府の伊達家に対する特別な扱いを意味するとともに、陪臣でありながらも片倉家の唯一無二とも言える存在感を示しているのではないでしょうか。
徳川幕府は「一国一条令」後もいくつかの大大名に対して例外処置を行っていますが、特に伊達家に対しては、「白石城」ばかりではなく、伊達領内に実質上は城砦に等しい「要害」を残すことを黙認しているのです。(「要害」より規模が小さいものに「所」があります)
参考として以下に、仙台藩の21の要害とその所在地及び、明治19年調「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」における現住人口を記しておきます。「城下町」とは言えないまでも、「要害」の所在地は後に地域の中心地となったところが多いです。
---明治19年名称戸口表記載現住人口町村制施行後の変遷
白石城白石第一表5,251白石町→白石市
要害
岩谷堂岩谷堂第一表3,341岩谷堂町→江刺町→江刺市→(奥州市)
人首人首村第三表2,911米里村→(江刺町)
上口内福岡村第三表2,346福岡村→(北上市)
金ヶ崎西根村第三表4,172金ヶ崎村→金ヶ崎町
水沢水沢第一表5,408水沢町→水沢市→奥州市
高清水高清水第二表2,269高清水村→高清水町→(栗原市)
宮沢記載なし宮沢村→(古川市)
佐沼佐沼第一表5,820佐沼町→迫町→登米市
岩出山岩出山第一表4,017岩出山町→(大崎市)
登米登米第一表5,408登米町→(登米市)
涌谷涌谷第一表7,793涌谷町
不動堂不動堂村第三表1,321不動堂村→不動堂町→小牛田町→美里町
岩沼岩沼第一表5,040岩沼町→岩沼市
船岡舟岡第二表1,784船岡村→船岡町→柴田町
川崎前川村第三表1,394川崎村→川崎町
角田角田第一表4,197角田町→角田町
金山金山第二表1,782金山村→金山町→(丸森町)
平沢記載なし円田村→蔵王町
亘理亘理第二表3,447亘理町
坂元坂元村第三表2,674坂元村→(山元町)
新地谷地小屋村第三表1,466新地村→新地町
【訂正1】片桐家→片倉家(だいぶ前の大河ドラマ「独眼竜政宗」では西郷輝彦が片倉小十郎役を演じていました。因みに、政宗(渡辺謙の正室・愛姫はナントカ教会合同カントカで世間を騒がせた桜田淳子ちゃん…もう60歳すぎてます。でした。)
【訂正2】「要害」を残すことを認めていました。→「要害」を残すことを黙認しているのです。
[102269] 2021年 8月 24日(火)04:55:02白桃 さん
名邑三世代.その69(秋田県・後編)
[102255]にて、
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。
と書きましたが、白桃にとって秋田(県)はまったく縁もゆかりもないわけではありません。まず、義理の姉(兄嫁)は能代出身です。それから、学生時代四畳半の下宿の壁には、後にナントカ協会の合同カントカで世間を騒がせた秋田出身のアイドルのポスターを貼っていました。そして、リハビリでお世話になった女性インストラクターは、(別にこちらから聞いたわけでは無いのですが)秋田大学を卒業したとか仰ってました。この方は多分、医学部保健学科だと思うのですが、秋田大学と言えばかつて鉱山学部がありました・・・とムリヤリ、鉱山の話にもってきました。
そうなんです。秋田県の市町村人口の推移を語るとき、鉱山を忘れてはならないのです。
以下は、「準名邑」にもなれない秋田県の街々です。
現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
岩崎(湯沢市)岩崎第一表1,215岩崎町2,370
矢島(由利本荘市)矢嶋第一表1,184矢島町6,253
毛馬内(鹿角市)毛馬内第二表2,680毛馬内町4,909
扇田(大館市)扇田第二表2,662扇田町4,029
象潟にかほ市塩越第二表2,409象潟町3,578
十二所(大館市)十二處第二表2,312十二所町4,258
檜山(能代市)檜山第二表1,764檜山町3,142
鷹巣北秋田市鷹巣第二表1,500鷹巣町2,501
大森(横手市)大森第二表1,500大森町2,481
西馬音内羽後町西馬音内第二表1,392西馬音内町4,161
牛島(秋田市)牛島第二表1,206牛島町2,094
院内(湯沢市)院内銀山町第三表3,039院内町11,185
神宮寺(大仙市)神宮寺村第三表2,792神宮寺町3,546
刈和野(大仙市)刈和野村第三表2,031刈和野町2,269
阿仁合(北秋田市)小沢鉱山第三表2,021阿仁合町9,206
船越(男鹿市)船越村第三表2,007船越町2,677
金沢(横手市)金沢村第三表1,729金沢町6,265
平沢(にかほ市)平沢村第三表1,669平沢町3,570
稲庭(湯沢市)稲庭村第三表1,617稲庭町2,313
米内沢(北秋田市)米内沢村第三表1,443米内沢町4,241
北浦(男鹿市)北浦村第三表1,286北浦町7,061
金浦(にかほ市)金浦村第三表1,271金浦町3,194
沼舘(横手市)沼舘村第三表1,175沼舘町4,511
天王潟上市典農村第三表3,558天王村5,788
鹿渡(三種町)鹿渡村第三表3,184鹿渡村6,010
八森八峰町八森村第三表3,127八森村7,924
尾去沢(鹿角市)尾去沢鉱山第三表2,836尾去沢村4,444
大湯(鹿角市)大湯村第三表2,146大湯村5,104
小坂小坂町小坂村第三表1,939小坂村14,975
花岡(大館市)花岡村第三表1,485花岡村2,069
船川港男鹿市記載なし船川港町5,128
横堀(湯沢市)記載なし横堀町2,294
二ツ井(能代市)記載なし二ツ井町1,803
上の表で1908年(明治41年)の人口をみますと、鉱山のあった院内(銀山)、小坂、阿仁合は驚くほどの数字を示しています。鉱山のあるマチの人口統計は、(労働を強いられた)外国人労働者が多いことや短期間にヒトが入れ替わるなどの理由であまり正確でないかもしれませんが、とにかく人口が急増、激減するのが鉱山の街の人口推移の特徴と言えるでしょう。
上記の表で、岩崎、矢島、毛馬内、十二所、檜山は「生まれながら町」ですが、ちょっとソレにしては…と言う感じです。♪秋田名物八森ハタハタ~で有名な八森にも複数の鉱山が存在しており、それなりに賑わっていたようですが、八森が町制施行となるのはズウーと後のことです。話は逸れますが、西馬音内の盆踊りはナカナカのものです。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【秀邑】(【大・昭の名邑】)
秋田県の「秀邑」は以下の五つです。小坂は勿論、尾去沢、花岡も「鉱山の街」として有名です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級小坂小坂町小坂町14,681小坂町13,109
二種三級矢島(由利本荘市)矢島町6,867矢島町10,139
二種三級船川港男鹿市船川港町6,739船川港町16,865
二種三級尾去沢(鹿角市)尾去沢村5,690尾去沢町10,322
二種三級花岡(大館市)花岡村5,668花岡町10,523
以下は参考です。増田も𠮷乃鉱山によって繁栄しました。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
六郷(美郷町)六郷町6,986六郷町9,374
増田(横手市)増田町6,726増田町9,666
天王潟上市天王村6,558天王村11,385
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
秋田県の「卓邑」は、後に市となる三つの【前身因子町】です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
二種三級鷹巣(9)北秋田市鷹巣町27,240鷹巣町21,818
二種三級天王(0)潟上市天王町11,847天王町21,687
四種象潟(9)にかほ市象潟町14,966象潟町13,288
象潟や 雨に西施が ねぶの花(芭蕉)
「北秋田」 大館の酒 ねぶたいな(白桃駄句)
(参考)
名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
羽後(0)羽後町羽後町27,716羽後町19,485
平鹿(0)(横手市)平鹿町20,850平鹿町14,941
五城目(0)五城目町五城目町20,025五城目町12,372
比内(2)(大館市)比内町18,350比内町12,095
さーびす問題:メンナイチドリとヒナイジドリ、食べられるのはどっち???
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102265] 2021年 8月 23日(月)16:09:03白桃 さん
Re:はりぼて準名邑
[102260]千本桜 さん
準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。
いつもお世話になっております。仰っていることは良く理解できますし、ご提案のようなことを考えたこともないわけでは無いのです。ただ、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(以下、「戸口表」)を全面的に信頼しているわけではありませんが、「戸口表」以上に町場の規模を正確に伝える資料・データが見当たらない(正直、今から探す気が無い。)ので、もう一歩前に踏み出すことを躊躇しているのです。
「名邑」(「明治の名邑」)の定義は[99245]にても公表しておりますが、「準名邑」については、ぼやかしています。ただ、非公開文書(笑)には、以下の要件を備えたところと書かれています。
1.「明治期」に「町」となる。(ただし、他地域と比較して、当該地域・当該都邑が特に配慮すべき状況下にある場合などは、昭和初期までに町制施行している場合でも可とする、ことがある。)
2.「戸口表」第一表に記載され、その現住人口が2,500人以上、もしくは、「戸口表」第二表に記載され、その現住人口が3,000人以上となっている。(お酒がはいって気分がよいと、アバウト2,500人となる。)

以下に示した仙南地方に焦点を合わせると、白桃の内規ではご案内の通り丸森と亘理が「準名邑」になるのですが、どちらも町村制が施行された直後の明治22年末の内務省告示による現住人口(もちろん、町場の人口ではない)と「戸口表」現住人口(町場の人口であるはず)が大差がないことから、仰る通り丸森や亘理の「戸口表」現住人口は町場の人口ではないのでは、と言う気持ちが強まっています。(◎は第一表、○は第二表、△は第三表、に記載されたところです。)
明治22年内務省告示-----明治19年戸口表---明治12年共武政表---明治8年共武政表
白石町6,886白石◎5,251白石4,508白石驛3,313
七ヶ宿村2,512
小原村2,283小原村△2,070
越河村2,612
齋川村1,900齋川村△1,736
大平村1,689
大鷹澤村2,147
白川村2,305
福岡村3,891
宮村2,972宮村○2,716
圓田村4,130
大河原町4,297大河原○2,489大河原驛2,030大河原驛1,447
村田村4,639村田○1,758村田驛1,631村田村1,200
槻木村6,540入間野村△1,290
金ヶ瀬村2,366平村△1,492金ケ瀬驛1,411金ケ瀬驛1,063
船岡村3,269舟岡○1,784舩岡村1,181
沼邊村2,597
富岡村2,457
川崎村3,845前川村△1,394
角田町6,044角田◎4197角田3,829角田本郷3,105
丸森村4,852丸森○4,404丸森4,070
金山村2,062金山○1,782
筆甫村1,089
大内村3,144大内村△1,415
小齋村1,761小齋村△1,575
枝野村2,168
藤尾村3,417藤田村△1,530
尾山村△1,213
櫻村2,233佐倉村△1,550
東根村2,045
北郷村3,044
西根村3,265
舘矢間村3,390舘山村△1,169
大張村1,595
耕野村1,464
亘理町3,614亘理○3,447小堤2,847亘理驛1,712
坂元村3,357坂元村△2,674
山下村5,028山寺村△1,687
吉田村2,674吉田村△1,488
逢隈村5,650
荒濱村3,135荒濱○2,692高須賀2,301荒濱港1,555
[102255] 2021年 8月 21日(土)12:11:14白桃 さん
名邑三世代.その68(秋田県・前編)
「もう勉強はアキタ・ケン」と言いますが、飽きるほど勉強をしたことがない白桃です。でも、地図や人口統計は一日中眺めていても飽きることがありません。
秋田県については、オフ会で湯瀬温泉に一泊する前、鷹巣、大館を歩いたぐらい、あとは角館を観光しただけなので、白桃にとってはもう殆ど知らない土地なのであります。そこで、”行稼ぎ”にムダ話です。日本文理と敦賀気比の対戦を見てたオバさんが、「新潟と福井、となり同士なんだ。」と言ったので、「隣じゃないよ。」と教育的指導をしました。すると、「間に富山があるか?」と石川県民が聞いたら怒りそうなセリフ。ま、「都道府県をまたがない移動は良いのよ。」と大きな勘違いをしているヒトなので仕方ありません。
【明治の名邑】
秋田以外に能代港が「市街」になります。そして、惜しくも「市街」を逸したもう一つの「港」・土崎港が名邑筆頭で、大舘、本庄、湯沢、大曲と「戦後生まれの市」が続きます。角館が「名邑」に入るのは当然として、「戸口表」ではナント横手は「第二表」掲載となっているのです。これはイクラナンでもオカシイ。その代わりと言って良いのかどうか、「第一表」に横手前郷が名を連ねているのです。イクラちゃんもおかしい。当然、オフ会でお世話になった鹿角の本源因子町である花輪ととともに横手を、強権発動を行使して「拾玖世紀枠」として「名邑」に追加しました。名邑代表は地味ながら岩城氏の城下町・亀田にお願いしましょう。
亀田に着いたのは、十時近かった。駅は寂しかった。だが、その前の町並みは家の構造がしっかりしていた。古い家ばかりである。想像していたより、ずっと奥ゆかしい町だった。
と、松本清張が「砂の器」で書いていますが、当時は駅前にも家並みがあったのでしょうか???
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街秋田秋田市秋田29,225秋田市36,294
市街能代港能代市能代10,737能代港町17,826
名邑土崎港(秋田市)土崎9,274土崎港町15,176
名邑大舘大館市大舘7,165大舘町9,685
名邑本荘由利本荘市本庄7,080本荘町10,617
名邑湯沢湯沢市湯沢6,567湯沢町8,983
名邑大曲大仙市大曲5,131大曲町8,218
名邑角館仙北市角館3,839角館町5,886
名邑亀田(由利本荘市)亀田3,028亀田町4,450
拾玖世紀枠横手横手市横手8,111横手町14,329
(横手市)横手前郷2,375(横手町)
拾玖世紀枠花輪鹿角市花輪5,780花輪町7,749
続いて「準名邑」
準名邑現自治体---1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
六郷(美郷町)六郷第二表4,388六郷町7,580
浅舞(横手市)浅舞第二表4,166浅舞町6,841
新屋(秋田市)百三段新屋第二表4,022新屋町4,556
増田(横手市)増田第二表3,884増田町6,517
五城目五城目町五十目第二表3,874五城目町5,301
角間川(大仙市)角間川第二表3,371角間川町4,008
その他、(参考)として忘れてはならない所が多いのですが、後編にまわします。
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102249] 2021年 8月 18日(水)13:42:03白桃 さん
大三沢町
[102101]白桃
他の自治体の一部と一緒になって「市」になったのが、多分、以下の三例しかないと思います。
市名変更年月日変更種別変更対象自治体名/変更内容
習志野市1954.08.01境界変更/改称/市制千葉郡 津田沼町, 千葉市の一部
西尾市1953.12.15境界変更/市制幡豆郡 西尾町, 平坂町の一部
尼崎市1916.04.01新設/市制川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部
[102145]白桃
今もって「自治体の一部」が絡む廃置分合・境界変更の扱い、というか、それがどう扱われてきたのか良く分かりません。
等、尼崎市の成立が特殊例なのか?と疑問を投げかけていましたが、そう言えば、市制ではありませんが、1948年(昭和23年)2月11日に、三沢村、六戸村の一部、下田村の一部、浦野舘村の一部でもって大三沢町が成立しています。
詳しくは調べてないのですが、このときの官報公示は
青森県上北郡三沢村を廃し同郡大三沢町を置く
となっているようです。また、当落書き帳では「新設/町制」となっていますが、私には「三沢村が3つの村と境界変更を行い、町制施行」と思えるのですが、どうなんでしょう。「三沢村が廃されて」なので、廃置分合(合体)になるのでしょうか。
コロナと雨に呪われた今夏の高校野球のようにすっきりしません。
[102244] 2021年 8月 15日(日)19:13:14白桃 さん
「白」の読み方・「条」と「條」
「しろもも」か「はくとう」かではありません。
「しろ」かしら、「しら」かしら、という話です。

白石・白鳥
苗字では「シライシ」「シラトリ」さんがいますが、白石区、白石市、白石町(佐賀県)は「シロイシ」で、岐阜県にあった白鳥町、香川県にあった白鳥町は「シロトリ」で自治体名では「シロ」が優勢です。

白子・白根
千葉県の白子町は「シラコ」ですが、三重県にあった白子町(現:鈴鹿市)は「シロコ」です。また、白根市(現:新潟市)は「シロネ」ですが、山梨県にあった白根町(現:南アルプス市)は「シラネ」でやぎろしい。
※「やぎろしい 」は讃岐や播磨の方言で、「むさ苦しい」という意味なのでしょうが、白桃は「グチャグチャしてて、面倒だ」という感覚で使用していました。

自治体の表記でいつも悩むのが、「条」と「條」です。 「三条市」を「三條市」で答えたり、「五條市」を「五条市」で答えたりすると、十番勝負では誤答になりますから、氣をつけましょう。

とにかく、日本語はムズイというかウザイというか・・・
[102241] 2021年 8月 13日(金)13:11:43白桃 さん
「高校野球拳庁」所在地(甲子園出場回数と人口)
「夏の甲子園」が開幕しましたが、雨のため開会式は一日遅れて、今日も2日連続で順延しています。

市町村域にある高校(注1)の春の選抜・夏の全国選手権大会に出場した回数を調べ、その「のべ回数」によって都道府県ごとに順位をつけてみました。
順位の付け方:
のべ出場回数が同じ→出場高校数が多いほうを優先
出場高校数が同じ→春(選抜大会)の出場回数が多いほうを優先
春の出場回数が同じ→出場が新しいほうを優先
注1:甲子園に出場したときは他所にあった高校の場合でも、現在の所在地でカウント。また、閉校となり後身となる高校もない場合は閉校時の所在地でカウント。
多賀城※・・・仙台育英硬式野球部は多賀城キャンパスにあるので、仙台市ではなく多賀城市でカウント
注2:人口は2020年国勢調査速報値の千人の位を四捨五入
★は「町」
金メダル(回数)(万人)-----銀メダル(回数)(万人)---銅メダル(回数)(万人)
札幌86198旭川3233函館2325
八戸3422青森2328弘前1717
盛岡3629花巻179一関1411
仙台54110多賀城※426気仙沼36
秋田8131能代75由利本荘57
山形4625酒田1310鶴岡1212
伊達226福島1428郡山1333
土浦3414水戸2227取手1610
宇都宮5952佐野1112足利1014
桐生4811前橋3533高崎3337
さいたま40132加須1211熊谷919
銚子226千葉2098木更津2014
特別区129974国分寺5013町田4743
横浜109378相模原2373川崎16154
新潟3679長岡2027新発田79
高岡2917富山2841射水79
金沢8046小松711輪島42
福井5626敦賀396小浜103
甲府5319甲斐78市川三郷★51
松本6124長野2437上田1715
岐阜7740瑞浪124大垣1216
静岡8169浜松2779島田1210
名古屋188233岡崎738大府79
松阪3116四日市2231伊勢1512
大津3235彦根2611近江八幡158
京都162146宇治918長岡京88
大阪81275富田林3811熊取★324
神戸103153西宮6649姫路2653
天理536五條343大和郡山128
和歌山12736海南215有田173
鳥取3919米子3315倉吉135
松江3020浜田175出雲1517
岡山7473倉敷3947玉野56
広島1171201521三原109
下関3826宇部2516岩国1813
徳島4425鳴門375三好172
高松6542丸亀1911善通寺183
松山6251今治3115西条1410
高知8233須崎412四万十23
北九州8294福岡39161柳川166
佐賀5023唐津1012鳥栖57
長崎4441諫早2113佐世保1324
熊本9174八代1112山鹿75
大分3448別府1912津久見182
宮崎2440延岡2012日南185
鹿児島9459いちき串木野103日置15
那覇4132糸満146豊見城76
上表の通り、八戸、伊達、土浦、桐生、銚子、高岡、松本、松阪、天理、下関、北九州の11市は「県庁所在市」を押さえ、「野球拳庁所在市」となっています。また、三重県の津市、奈良県の奈良市、山口県の山口市は県庁所在地でありながらメダルを逸しています。(津市:5位、奈良市:6位、山口市:7位、オマケで東広島市と東かがわ市は7位です。)

「人口」(p)に比べて「出場回数」(n)が多いところ:
上表で「出場回数」10回以上でn≧3pとなっているのは、
多賀城(仙台育英)、伊達(聖光学園ほか)、桐生(桐生ほか)、銚子(銚子商ほか)、国分寺(早実)、敦賀(敦賀・敦賀気比)、小浜(若狭)、瑞浪(中京)、富田林(PL学園ほか)、熊取(大体大浪商)、天理(天理)、五條(智辯学園)、和歌山(智辯和歌山ほか)、海南(海南)、有田(箕島)、浜田(浜田ほか)、鳴門(鳴門ほか)、三好(池田)、善通寺(♪尽誠はワン・ツゥ・パンチ)、須崎(明徳)、津久見(津久見)、日南(日南学園ほか)、いちき串木野(神村学園)ですが、
メダル獲得市町以外でも
(回数)(万人)---回数内訳
山口県柳井市153柳井(11),柳井商工(3),柳井学園(1)
島根県江津市142石見智翠館(12),江津工(2)
福島県石川町121学法石川(12)
和歌山県新宮市103新宮(10)
宮崎県高鍋町102高鍋(10)
岩手県二戸市103福岡(10)
となっています。”かつて”を含め「常連校」が目につきます。
[102236] 2021年 8月 9日(月)03:02:09白桃 さん
名邑三世代.その67(青森県・後編)
青森県は一編で終わらせるつもりでしたが、このシリーズ、一年半近く惰性的に続けているうちに、(参考)として取り上げたいところが段々多くなって、原稿が長くなってきました。ですから逆に、初めのほうで書いたワ行やヤ行の県に対しては、一編で終わらせたことを申し訳なく思っています。
さて、地図や地理に疎い人でも、県の形を見れば県名が口に出てくる青森県の続きです。
【大・昭の名邑】=【秀邑】
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
二種三級三本木十和田市三本木町7,861三本木町20,352
二種三級五戸五戸町五戸町6,497五戸町11,157
二種三級大畑(むつ市)大畑村6,570大畑町12,448
二種三級大鰐 大鰐町大鰐村5,875大鰐町11,315
二種三級大湊(むつ市)大湊村5,735大湊町14,424
三本木はもちろん、五戸、大畑、大鰐、大湊。ま、順当なところでしょう。
余談ですが、大鰐は白桃にとって青森県唯一の宿泊経験地です。

準秀邑名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
大三沢三沢市三沢村7,015大三沢町24,790
大三沢(三沢)は町制施行が遅いばかりに、白桃ルールによって「秀邑」を逸しました。

参考名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
川内(むつ市)川内町10,236川内町9,391
小湊平内町中平内村5,370小湊町9,790
東通東通村東通村7,387東通村10,761
天間林(七戸町)天間林村6,644天間林村13,829
十和田(十和田市)法奥沢村6,141十和田村10,034
浦野舘(東北町)浦野舘村5,993浦野舘村10,464
甲地 東北町甲地村5,840甲地村11,564
六ヶ所六ヶ所村六ヶ所村5,802六ヶ所村10,702
川内は、大正初期には銅山によって栄え、1920年国勢調査では田名部や大湊の人口を上回っていました。
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

~よりみち:♪「みちのく風雪みちくさ旅」~
その昔、白桃は超有名な歌手が事実上の代表を務める音楽事務所に出入りをして(別に歌手になりたいわけでは無かった)いました。その歌手、~仮にキタサン(喜多さん?)としときましょう~は、数多くのGIレースを勝った馬を持っていましたが、なぜだか、私はいつもその馬の馬券を買っていません。それで、文句を言いたいわけではありませんが、キタサンが紅白歌合戦のトリで歌った曲の歌詞に文句をつけたいのです。2番の終わりが「小樽、函館、苫小牧」で、3番の終わりが「留萌、滝川、稚内」となっており、これも気になるところがあるのですが、問題は1番の終わり。「津軽、八戸、大湊」。これは千本桜さんも仰っているのですが、ここの「津軽」はつがる市のことではなく、「津軽地方」の意で広域名称です。そして八戸という都市名がきて、シメが旧町名の大湊。みもじ、よもじ、ごもじ、にしたいのはわかりますが、ものずごくアンバランス。私は、こう提案します。現在のむつ市で小回りにするなら、「田名部・川内・大湊」。もっと広くして、下北半島周遊コースにすれば、「大間・大畑・大湊」→これがイイなおすけ。

【卓邑】(【昭・平の名邑】)
寄り道したので早く帰りましょう。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級三沢(9)三沢市三沢市36,570三沢市42,495
二種三級平賀(4)平川市平賀町25,574平賀町22,861
二種三級浪岡(2)(青森市)浪岡町24,233浪岡町20,873

準卓邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
木造つがる市木造町29,105木造町19,988
木造は、本来なら(参考)程度にとどめておくべきなのですが、あまりにも可哀想なので「準卓邑」にしました。

参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
板柳(3)板柳町板柳町21,860板柳町16,840
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102235] 2021年 8月 8日(日)23:35:03白桃 さん
名邑三世代.その66(青森県・前編)
♪「津軽海峡冬景色」のせいか、白桃の青森県に対するイメージは暗くサビシイと言う感じがどこかにあるのですが、都市に関しては、人口下降一直線とはいえ、まだまだ捨てがたいものがあります。
【明治の名邑】
「市街」は「生まれながらの市」弘前、明治期に市制施行の青森に加え、八戸が入っています。県庁となった青森の人口は1908年には弘前を約1万人上回っています。「名邑」は、黒石を筆頭に七戸、鯵ヶ沢、野辺地、三戸、五所川原、田名部と続くのですが、着目したいのは1886年時の名称です。これは、1988年(明治21年)に作成された「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」をそのまま。転載しているのですが、黒石・鯵ヶ沢・三戸がそのままになっているのに対し、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」が付いているのです。これは単なる偶然や気まぐれ?ではないと思っています。というのは、翌年1989年に施行された町村制において、青森と八戸に加え、黒石・鯵ヶ沢・三戸が「町」となり、七戸・野辺地・五所川原・田名部は「村」のままであったのです。白桃は、鯵ヶ沢と野辺地を同格にしておりますが、当時は格差があったのでしょうか。気になっているからというわけではないのですが、名邑代表はへのへの野辺地にしております。('◇')ゞ
名邑/種別名称現自治体-----1886年(人口)---1908年(人口)
市街弘前弘前市弘前28,170弘前市37,487
市街青森青森市青森14,920青森市47,206
市街八戸八戸市八戸10,520八戸町16,109
名邑黒石黒石市黒石6,197黒石町7,423
名邑七戸七戸町七戸村4,997七戸町7,029
名邑鯵ヶ沢鯵ヶ沢町鯵ヶ沢4,806鯵ヶ沢町5,038
名邑野辺地野辺地町 野辺地村4,506野辺地町8,486
名邑三戸三戸町三戸3,590三戸町4,934
名邑五所川原五所川原市五所川原村3,290五所川原町5,346
名邑田名部むつ市田名部村3,216田名部町6,987
続いて「準名邑」
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
木造つがる市木造村第一表2,651木造町3,831
五戸五戸町五戸村第一表4,846五戸村6,328
川内(むつ市)川内村第一表3,236川内村5,067
藤崎藤崎町藤崎村第一表3,021藤崎村4,504
以下は(参考)です。
三本木村※は、1910年に三本木町となっています。
名称現自治体-----1886年戸口表(人口)---1908年(人口)
三本木十和田市三本木村第一表2,101三本木村※6,567
(八戸市)濱通村湊第一表2,622湊村7,868
大畑(むつ市)大畑村第一表2,412大畑村4,328
深浦深浦町深浦村第一表2,377深浦村3,741
金木(五所川原市)金木村第一表2,359金木村4,939
油川(青森市)油川村第一表2,296油川村3,709
小中野(八戸市)小中野村第一表2,064小中野村3,741
板柳板柳町板屋ノ木村第一表2,042板柳村4,825
鶴田鶴田町鶴田村第一表1,996鶴田村5,007
十三(五所川原市)十三村第一表1,444十三村1,489
浪岡(青森市)浪岡村第一表1,139浪岡村2,506
尾上(平川市)尾上村第一表899尾上村3,165
大鰐大鰐町大鰐第二表722大鰐村4,015
柏木町(平川市)柏木町第二表716柏木町村3,977
甲地東北町甲地村第三表3,774甲地村5,287
大湊(むつ市)大湊村第三表1,393大湊村5,240
注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。
注2:現自治体欄が(  )となっている「名邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
[102232] 2021年 8月 7日(土)07:23:29白桃 さん
東京都特別区部&市部の人口推移
[102230]ぺとぺと さん
昭和50年から55年にかけての東京都の人口減少要因としては、上記に加えて所謂ドーナツ化現象による影響が大きいのではないかと推測されます。この間、特別区は減少しているのに対し、特別区以外の市部は逆に増加しています。周辺の神奈川、千葉、埼玉も増加です。
仰る通り東京都の人口減少の要因には、都心から近郊への人口流出によって起きる「ドーナツ化」(「ドーナッツ化」とは言わないですね(笑))が挙げられますね。もちろん、特別区部から都下の市町村だけに人口が流れても東京都全体の人口は減少しないので、本来は周辺県への人口流出を考察しないといけないのですが、東京都の市部の動向をみてお茶を濁すことにしました。('◇')ゞ
ドーナツ化を表現するには地図を描かないといけないのですが、不幸にも私にはそういう技術を持ち合わせてないので、大変苦労して作ったのが下の表です。
表の説明:
1955年国勢調査以降、5年間毎の人口推移をみたもので、○は5年前から増加していることを表しています。●は減少です。◎は国勢調査間(13回)の中で最も人口増加率が高かったことを示しています。
表の並びですが、多摩市以降は1975年~1980年の人口増加率順になっています。
例として特別区部をみますと、人口が一番多かったのは2020年。人口増加率が最高だったのは1955年~1960年。最低は1975年~1980年で、その増加率は-3.41%。参考として、2015年~2020年の増加率は5.09%となっています。
(注)人口増加率に用いた人口について
2010年までは、2010年の境域に組み替えた人口(YTさんに作成していただいたもの)。2015年はナマの国勢調査人口。2020年は「速報値」人口です。
人口最高年増加率最低年6065707580増加率8590950005101520増加率
特別区部20201980-3.415.09
多摩1995200045.490.37
羽村2010202027.15-2.67
八王子2010201520.030.36
町田2015202015.71-0.19
青梅2005202014.90-2.76
日野2020199514.662.14
武蔵村山2015200012.50-0.51
東大和2015202012.13-1.42
あきる野2015202010.25-1.96
稲城202020159.636.32
市部202020158.031.98
昭島202020006.532.25
東村山201020155.961.32
東久留米201519955.69-1.20
府中202020205.331.02
福生199520204.64-3.34
立川202020153.296.12
国分寺202020153.235.39
調布202019952.635.96
清瀬202019952.211.86
狛江202020101.135.68
小金井20201980-0.254.00
三鷹20201990-0.264.61
西東京20201980-0.473.69
国立20202015-0.544.77
小平20201980-1.014.72
武蔵野20201995-1.863.71
見にくくて恐縮ですが、特別区部の人口減少は前回1964年の東京オリンピック、♪あの日ローマで眺めた月が今日は都の夜を照らす~…終了後から見られますので、東京のド-ナツ化はこの頃から始まったと言って差し支えないでしょう。減少率がピークを迎えたのは奇しくも1975年~1980年です。注目すべきは、この期に武蔵野など特別区に近い6市が減少を記録していることです。そして、この期に増加率上位にきているのは、多摩、羽村、八王子など特別区部から遠い所ばかりです。因みに、1969年に「新宿の女」でデビューした宇多田ヒカルのお母さんは、1979年に引退し、八王子でも、船橋でも、川崎でもなく米国に移りましたから、ドーナッツは作りませんでした。
特別区部の人口減少が一転、増加しだすのは20世紀終末で、逆ドーナツ(逆チキータではない)化現象となるわけです。これは言うまでもなく地価の変動が大きく作用しており、不便な割には地価が高くなった郊外都市を離れ、都心への回帰が始まったからでしょう。そういえば、徳島から出てきて「どうしても23区内に住みたい!」と言いながら田無あたりをウロウロしていたあの方、どうしたのだろう???
「速報値」によりますと、羽村、青梅、武蔵村山、東大和、あきる野、東久留米、福生、そしてあの町田までもが減少を示し、稲城、調布、狛江などの特別区に近いところが堅実に増加し、特別区部までも5%を超える増加率となっています。個人的には、首都圏における「核都市」の一つである立川の人口増加率が6%を超え、また、武蔵野が15万人を突破したことに注目しています。
[102228] 2021年 8月 4日(水)18:21:17白桃 さん
Re:人口変遷/大正から令和
[102227]グリグリさん
昭和45年から昭和55年の10年間はすべての都道府県で人口が増加していることです。第二次ベビーブームの時期によるものと思いますが、大正9年から昭和5年を除けば、全都道府県で増加はこの10年間だけです。
当研究所は都道府県の人口推移にはあまり関心を示さないのですが、少し気になったので書き込みます。上記は決して間違ってはいないのですが、少し乱暴でテストの解答で言うなれば、模範解答とは言えないですね。
そもそも、都道府県の人口推移を10年単位でみたことが乱暴さに繋がったので、グリグリさんの「自責点」ではありませんが、まず、確認しないといけないことは第二次ベビーブームは1970年代前半ということです。
昭和45年(1970年)~昭和50年(1975年)にはベビーブームにもかかわらず、秋田、山形、島根、佐賀、鹿児島の5県で人口を減少させています。やはり、まだ高度経済成長期の「向都離村」の余韻があったのだと考えられます。
ところが、昭和50年(1975年)~昭和55年(1980年)の5年間では46道府県全てにおいて人口を増加させているのですね。逆に減少させたのは東京都だけ。つまり、明らかな「Uターン現象」がみられたのです。これによって、「昭和45年から昭和55年の10年間はすべての都道府県で人口が増加」という結果となったのです。早く言えば、東京が貰い過ぎたお金をほんの少しだけ46道府県に返した、と言えるのではないでしょうか。
「Uターン」はなぜ起きたか、これを説くのは難しいのですが、田中角栄「日本列島改造論」が少なからず影響を与えているものと考えられます。
なお、私は「ジ」が頭に付く、政党、球団、旅行会社は好みではありませんが、田中角栄の「日本列島改造論」については、もう少し評価を与えても良いのでは、と言う気がしています。もっとも、反体制?の教授から勧められた列島改造に深く関係する某特殊法人に入らなくて良かったと、つくづく思っています。
あまり、参考にもならないと思いますが、こういう論文が地理学評論に掲載されています。
[102213] 2021年 7月 30日(金)02:44:11白桃 さん
名邑三世代.その65(愛知県・後編)
中途半端に、愛知県の「準秀邑」から始めます。
「準秀邑」
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
東浦東浦町東浦村8,848東浦町16,173
富田(名古屋市)富田村8,084富田町11,201
尾張旭市旭村7,122旭町12,040
今伊勢(一宮市)今伊勢村5,968今伊勢町11,295
以下は参考です。
名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
萩原(一宮市)萩原町6,618萩原町9,625
豊浜南知多町豊浜町6,295豊浜町9,129
河和美浜町河和町5,079河和町9,347
吉田(西尾市)吉田村7,157吉田町9,398
明治安城市ほか明治村10,951明治村15,325
高岡(豊田市)高岡村9,398高岡村16,555
横須賀(西尾市)横須賀村9,089横須賀村11,500
六ツ美(岡崎市)六ツ美村8,845六ツ美村11,092
依佐美刈谷市ほか依佐美村8,482依佐美村12,452
扶桑扶桑町扶桑村8,347扶桑村10,549
阿久比阿久比町阿久比村7,776阿久比村12,061
幸田幸田町幸田村7,740幸田村13,319
日進日進市日進村7,518日進村10,880
上郷(豊田市)上郷村7,059上郷村10,950
富士松(刈谷市)富士松村6,859富士松村10,956
豊明豊明市豊明村6,403豊明村11,646
猿投(豊田市)猿投村5,940猿投村10,784
天白(名古屋市)天白村5,249天白村12,699
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」等は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

【卓邑】(昭・平の名邑)
愛知県の「卓邑」は、この期に市となった尾張旭、豊明、日進に加え、「疑惑の5万人」東浦、現在人口増加進行形の幸田、金魚の弥富、上野介も仁吉もゆかりの吉良、名前は美しいが昔の名前は何だっけ?の美浜、ちょっと前の朝ドラの名前と間違いそうな阿久比、愛妻の新妻?佐屋(古妻は佐織)、昔は桑畑もあり養蚕が行われていたらしい扶桑。さらにDIDで卓邑入りしたところでは、お城と会議が有名な清洲、三冠因子町の師勝を差し置いて北名古屋市の代表市庁舎を置く西春、代表市庁舎が西春にあっても死活問題でもなさそうな師勝、 瑞祥町名の大治、何といってもイチローの豊山、蜂須賀小六に「♪まちぶせ」されてた石川ひとみの出身・美和、七宝焼きの七宝、そして、田舎だから?と大学が撤退した三好の合計19です。
卓邑/種別名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
一種二級尾張旭(7)尾張旭市旭町18,577尾張旭市75,066
一種二級豊明(7)豊明市豊明町15,366豊明市66,495
一種二級日進(2)日進市日進町11,187日進市70,188
二種二級東浦(7)東浦町東浦町20,425東浦町45,168
二種二級幸田(2)幸田町幸田町 16,467幸田町 33,408
二種二級弥富(7)弥富市弥富町 15,784弥富町 36,575
二種三級吉良(0)(西尾市)吉良町 19,386吉良町 21,656
二種三級美浜(4)美浜町美浜町19,327美浜町26,083
二種三級阿久比(0)阿久比町阿久比町12,918阿久比町24,028
二種三級佐屋(2)愛西市佐屋町 12,026佐屋町 29,802
二種三級扶桑(6)扶桑町扶桑町 11,344扶桑町 31,728
四種清洲(7)清須市清洲町10,153清洲町19,122
四種西春(7)(北名古屋市)西春村8,765西春町33,391
四種師勝(7)北名古屋市師勝村7,839師勝町 42,337
四種大治(7)大治町大治村6,455大治町 27,073
四種豊山(7)豊山町豊山村4,612豊山町13,001
四種美和(6)(あま市)美和町7,374美和町23,969
四種七宝(6)(あま市)七宝村 6,433七宝町22,436
四種三好(5)みよし市三好町9,161三好町47,684
続いて、「準卓邑」
準卓邑名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
長久手(4)長久手市長久手村6,639長久手町43,306
東郷(4)東郷町東郷村6,200東郷町 36,878
大口(3)大口町大口村10,163大口町20,633
オマケの参考
参考名称現自治体---1960年(人口)---2000年(人口)
鳳来(0)(新城市)鳳来町21,420鳳来町14,355
南知多(0)南知多町豊浜町8,958南知多町23,250
注1:(人口)は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「卓邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。
注3:名称の後の(数字)は1960年~2000年の9回の国調でDIDが存在した回数
[102205] 2021年 7月 27日(火)22:41:52【1】白桃 さん
名邑三世代.その64(愛知県・中編)
少し間があきましたが、愛知県の【秀邑】から再開します。
【秀邑】(【大・昭の名邑】)
愛知県の「秀邑」の数は37と北海道に次いで多く、その中身も充実しており、少なくとも層の厚さでは福岡県をも凌いでいるのでは。
この期に市となった豊川、刈谷、碧南、春日井のうち豊川と碧南は市制施行時に三町が関与した「多核」市であり、特に碧南については、「本源因子町」の大浜が「明治の名邑(19世紀枠)」になっているので、秀邑名も「碧南市」としたほうが良いかもしれない。春日井の人口増は合併が大きく関わっているが、刈谷は純粋な人口増であります。
秀邑の二種について現行の市ごとにまとめると分かりやすい?。
安城(安城市)、古知野・布袋(江南市)、蒲郡・三谷・形原(蒲郡市)、稲沢・祖父江(稲沢市)、起・木曽川(一宮市)、一色・平坂・幡豆(西尾市)、田原・福江(田原市)、小牧(小牧市)、矢作・岩津(岡崎市)、高浜(高浜市)、二川(豊橋市)、守山(名古屋市)、大府(大府市)、岩倉(岩倉市)、横須賀・上野(東海市)、新川(清須市)、佐織(愛西市)、八幡(知多市)、甚目寺(あま市)、御津・小坂井(豊川市)、高蔵寺(春日井市)。現在では市に成っているか、市に含まれているところが多い中で、唯一、町を継続しているのが、騎手ではない武豊です。
秀邑/種別名称現自治体---1920年(人口)---1950年(人口)
一種二級豊川豊川市豊川町8,981豊川市55,178
一種三級刈谷刈谷市刈谷町8,648刈谷市30,868
一種三級碧南碧南市新川町8,177碧南市42,724
一種三級春日井春日井市勝川町7,954春日井市48,167
二種二級安城安城市安城町18,520安城町35,188
二種二級古知野江南市古知野町13,326古知野町21,137
二種二級蒲郡蒲郡市蒲郡町11,715蒲郡町26,080
二種二級稲沢稲沢市稲沢町11,706稲沢町22,857
二種二級(一宮市)起町10,766起町25,517
二種二級一色(西尾市)一色村14,994一色町22,164
二種三級田原田原市田原町12,467田原町17,836
二種三級祖父江(稲沢市)祖父江町12,019祖父江町15,701
二種三級小牧小牧市小牧町11,864小牧町18,392
二種三級福江(田原市)福江町11,108福江町15,802
二種三級矢作(岡崎市)矢作町11,055矢作町15,970
二種三級高浜高浜市高浜町10,831高浜町19,120
二種三級二川(豊橋市)二川町10,830二川町14,860
二種三級木曽川(一宮市)木曽川町9,688木曽川町16,852
二種三級守山(名古屋市)守山町9,060守山町33,951
二種三級大府大府市大府町8,774大府町20,427
二種三級岩倉岩倉市岩倉町8,534岩倉町13,029
二種三級横須賀(東海市)横須賀町8,420横須賀町14,614
二種三級布袋(江南市)布袋町7,801布袋町10,397
二種三級新川(清須市)新川町5,871新川町14,235
二種三級三谷(蒲郡市)三谷町5,240三谷町12,615
二種三級武豊武豊町武豊町5,101武豊町11,479
二種三級佐織(愛西市)佐織村9,229佐織町11,626
二種三級八幡知多市八幡村8,931八幡町14,802
二種三級平坂(西尾市)平坂村8,607平坂町14,108
二種三級岩津(岡崎市)岩津村8,118岩津町13,280
二種三級幡豆(西尾市)幡豆村7,881幡豆町12,331
二種三級甚目寺あま市甚目寺村7,357甚目寺町10,402
二種三級上野東海市上野村7,311上野町15,274
二種三級御津(豊川市)御津村6,968御津町10,750
二種三級形原(蒲郡市)形原村6,040形原町10,807
二種三級高蔵寺(春日井市)高蔵寺村5,896高蔵寺町10,929
二種三級小坂井(豊川市)小坂井村5,574小坂井町11,261
注1:人口は国勢調査人口
注2:現自治体欄が(  )となっている「秀邑」は、現自治体の【前身】ではないことを示します。

祝:ソフトボール優勝!!!
[102194] 2021年 7月 24日(土)01:17:25白桃 さん
「生まれながらの町」が複数存在する市の因子町状況(静岡~大分)
昨日、うやむやのうちにオリンピックが開幕しましたが、「私の夏」はハッキリと終わりました。

[102184][102191]3台口バスツアー3号車です。
※因子町のあとの印について
☆・・・本源・前身・最古の「三冠」因子町
◎・・・本源・最古の因子町
@・・・本源・前身の因子町
○・・・本源因子町
◇・・・前身因子町
●・・・最古因子町(傍系因子町)
△・・・直系因子町
無印・・傍系因子町
なお、現住人口は「1889年内務省告示現住人口」です。

市名---因子町現住人口---因子町現住人口---因子町現住人口
浜松浜松☆13,630気賀5,804二俣3,509
舞阪2,047金指1,034
静岡蒲原6,405由比6,364清水△5,798
江尻5,144興津4,914入江△3,133
沼津沼津☆10,2304,249
磐田見付◎6,657中泉◇3,376
藤枝藤枝☆7,957岡部4,674
島田島田☆9,422金谷6,186
湖西新居●5,871白須賀○3,889
牧之原相良☆8,287川崎△7,774
名古屋熱田18,310鳴海6,415枇杷島2,402
清水1,334
半田亀崎◎6,051半田◇5,247
清須西枇杷島◎4,813清洲◇2,105
久居△3,3863,199
鈴鹿白子☆5,161神戸△3,552
伊勢宇治山田☆27,122神社2,604大湊2,302
亀山亀山☆6,7094,301
京都伏見17,197柳原5,0232,456
大阪東平野12,281平野郷7,647玉造7,318
西浜6304安立2,403天保612
岸和田岸和田☆4,701岸和田浜△4,109
神戸御影3,608湯山1,909
姫路網干7,451飾磨△5,250
豊岡豊岡☆6,247出石5,331
洲本洲本☆8,319由良7,305
淡路岩屋◎5,551志筑◇4,758
橿原今井◎3,326八木△3,197
米子米子☆13,373淀江3,421
出雲平田◎6,112今市◇5,413杵築4,521
安来広瀬●4,635安来@4,576
津山津山☆11,627津山東3,667
福山福山☆15,1089,308
尾道尾道☆18,134瀬戸田2,671
廿日市厳島●2,976廿日市@2845
竹原竹原☆7,378忠海△6,747
松山三津浜7,211道後湯之1,419
宇和島宇和島☆11,742吉田3,992
大洲大洲☆3,466長浜2,994
福岡箱崎3,824西新3,013
久留米田主丸3,288御井2,465
大牟田大牟田☆9,612三池6,223
八女福島☆4,657黒木2,229
みやま上瀬高☆2,953下瀬高△2,552
豊前八屋☆4,196宇島3,489
島原湊☆6,979島原△5,098
熊本川尻4,820隈庄4,126小島3,878
高橋2,188植木1,639
八代八代☆9,9684,637
玉名高瀬☆3,877大浜△1,767
宇城小川◎3,610松橋◇2,427
山鹿山鹿☆6,736来民3,454
大分大分☆10,804佐賀関7,323西大分△5,333
鶴崎△4,836
日田隈☆5,029豆田△4,335
若干の補足:
浜松市の金指…井伊谷村に編入され引佐町に。「町」が「村」に編入されるという唯一の例
静岡市の江尻…東海道江尻宿。江尻町より辻が分立し辻村→辻町。
静岡市の入江…江尻町と辻町を編入
静岡市の清水…入江町ほかと合体し清水市に。後、興津町を編入。清水、入江、江尻、興津は旧清水市系の因子町。
湖西市…………◇(前身因子町)は鷲津
橿原市…………◇は畝傍ですが、橿原市の中心は鳥居前町・畝傍でも寺内町・今井でもなく八木でしょう。カルメン・マキも♪山羊にひかれて、って歌ってる。
大牟田市の大牟田…「生まれながらの町」でありながら、白桃選【明治の名邑】には入っていない。
大分市の大分・西大分…1907.04.01に合体し大分町に。
[102191] 2021年 7月 20日(火)02:24:15白桃 さん
「生まれながらの町」が複数存在する市の因子町状況(千葉~岐阜)
[102184]の続きです。
※因子町のあとの印について
☆・・・本源・前身・最古の「三冠」因子町
◎・・・本源・最古の因子町
@・・・本源・前身の因子町
○・・・本源因子町
◇・・・前身因子町
●・・・最古因子町(傍系因子町)
△・・・直系因子町
無印・・傍系因子町
なお、人口は「1889年内務省告示現住人口」となっています。

市名---因子町現住人口---因子町現住人口---因子町現住人口
千葉千葉☆21,599土気本郷2,811
松戸松戸☆5,158小金2,651
市川行徳●7,639市川@3,697八幡△2,449
佐倉佐倉☆7,443臼井△3,688
野田野田☆6,207関宿4,399
我孫子我孫子☆3,714布佐△2,998
成田成田☆5,459滑河2,149
茂原茂原☆6,146帆丘3,532
香取佐原☆11,495小見川5,315
銚子本銚子☆15,587銚子△7,730
飯岡●7,129旭@4,121
館山北条☆4,989館山△4,040
富津佐貫◎4,186湊△3,230
鴨川天津●6,991鴨川@6,632
横浜神奈川15,882保土ヶ谷4,668戸塚3,371
横須賀横須賀☆17,171浦賀13,546
藤沢藤沢大坂☆5,345藤沢大富△1,759
伊勢原伊勢原☆2,881大山△1,941
新潟沼垂8,774新津6,451白根5,593
亀田5,249小須戸3,489
長岡長岡☆9,829長岡本△6,861与板6,179
寺泊5,406橡尾4,322草生津△3,090
千手△2,762新△2,136
上越高田☆20,122直江津△9,530名立1,981
柏崎柏崎☆8,595石地2,512宮川1,693
椎谷1,076
燕☆4,198地蔵堂3,466
村上村上☆8,032岩船△3,165村上本△2,610
瀬波△1,695
佐渡相川●13,213小木4,236川原田2,210
五十里2,095湊@1,968夷△1,814
1,255
五泉村松●6,845五泉@5,648
糸魚川糸魚川☆5,706能生3,720
見附見附☆6,5093,387
富山東岩瀬7,217八尾7,128東水橋5,148
四方5,020新庄3,661西水橋2,564
上瀧1,949
高岡伏木6,305戸出4,108中田2,640
福岡1,725
射水新湊☆17,068小杉4,057大門2,070
南砺井波◎5,631城端△4,781福光◇4,410
福野△2,909
黒部生地◎5,684三日市◇3,104
小矢部石動☆8,539津沢△2,623
金沢上金石7,188下金石2,299
白山松任☆5,630美川5,580鶴来3,786
小松小松☆12,683安宅△2,276
坂井三国◎10,432丸岡◇3,753
長野長野☆26,345松代7,471
千曲屋代☆3,552稲荷山△2,671
岐阜東加納3,283西加納1,205
恵那岩村●2,942明知1,339
海津今尾◎3,018高須△2,610
飛騨船津◎5,564古川◇5,261
若干の補足:
松戸市の小金…柏町などと合併して東葛市となるが、ひと月半後には旧町域の大半が「境界変更」によって松戸市に編入
市川市の行徳…行徳からだと市川中心部(市川・本八幡)へ出るよりは、浦安/新浦安に出る方がはやい
館山市の北条…JR館山駅の所在は北条である
富津市の佐貫…大貫町との合併で大佐和町となる。大佐和町の◇(前身因子町)は大貫である。なお、富津市の◇は富津町。ややこしや
佐渡市の新……1901年に真野村ほかとの合併によって、真野村となる。その後、約50年間は「村」であったという珍しい経歴
南砺市の福光…五万人に満たない小都市でありながら、「生まれながらの町」が四つ。贅沢というかタコ足というか。◎井波は門前町の雰囲気が色濃く残る木彫の町。△城端も門前町であるが、井波よりは軽く明るい。やはり南砺の中心は◇福光ですね。洗練された小都会は一見の価値あり。宿泊した△福野では、寿司を買って箸を貰わなかった大失敗。
海津市の高須…白桃選【明治の名邑】でありながら、今尾に本源・最古を譲る。因みに海津市の◇は城山町(後の南濃町)
飛騨市の船津…いわずと知れた後の神岡。・・・ほんの一瞬だけですが、何を血迷ったか東大の地理に進もうと「チャート式地理」という参考書を買って勉強していたのですが、その参考書の編者だか著者のひとりだか、である尾留川正平さんが船津生まれだと言うのを今日初めて知りました。なお、東大の地理、実は理学部にあるということを、高3の夏休みに初めて知り受験を諦めました。冗談は東大には通じても京大には通じませんので…あとは(略)。また、平易なことを重々しく書く特技を持つ米澤穂信氏も神岡にゆかりがあるようですね。
ついで:
[102190]ピーくん さん
三本松高校ベスト8進出おめでとうございます。
その日、ライブを見て勝敗は知っていても、翌朝の新聞を見てしまうって、高校野球ファンあるあるでしょうか?(笑)
甲子園のベスト8ですから、香川のベスト8になってもアンマリ…と言いたいところですが、今夏はクジ運が非常に良いようです。実力以上の結果です。それと、驚いたのはレギュラーのうち二人は大阪の子、5~6人が高松近辺の子らしい。大阪からやってきた生徒が卒業しても東かがわ市に残ってくれれば良いのですが、そうもいかないでしょうね…
[102188] 2021年 7月 18日(日)14:20:03【1】白桃 さん
Re:1898(明治31)年11月21日
[102187]MI さん
[99302]に記したとおり、1898(明治31)年11月21日正当です。
早速教えて頂き有難うございます。[99302]は見逃していたかもしれません。失礼いたしました。
なお、これによって[102178]白桃の記事を次の通り訂正させていただきます。
タイプS:本源因子町=前身因子町=最古因子町・・・609市
タイプA:本源因子町=最古因子町(≠前身因子町)・・・97市
結局、川之江が四国中央市の「三冠因子町」になったのですが、四国中央市の「本源因子市」は伊予三島市になります。
(川之江と三島(伊予三島)は「町」になった日も、「市」になった日も同じですが、町になった際の人口は川之江が多く、市になった際の人口は伊予三島が多い、ということです。)
[102186] 2021年 7月 18日(日)10:06:57白桃 さん
川之江が「町」になった日はいつなのか?
以前にこの話題が出ていたのであれば申し訳ないのですが、
川之江(愛媛県四国中央市)が「町」になった日について、変遷情報では1898年11月21日になっていますが、私の記録?では1898年12月21日になっています。念のため愛媛県の資料を見たのですが、やはり、1898年12月21日となっています。
地球上の人類の99.9999999999%にとって、一か月の開きはどうでも良いことだと思いますが、四国中央市、特に旧川之江市関係者と旧伊予三島市関係者、そして白桃にとっては、かなり重大なことなんです。というのは、三島(伊予三島)が町となったのは1898年11月21日でまず間違いないことから、川之江の町制施行年月日(この時期については、「町制施行」というのは不適切かも)次第で四国中央市の「本源因子町」「最古因子町」が変わってくるからです。余談ですが、川之江から三島に郡役所が移った際、川之江では大騒動が起こったとか。
上記に関して、確固たる情報をお持ちの方は是非、お教えいただきますようお願い申し上げます。
[102184] 2021年 7月 17日(土)04:12:59白桃 さん
「生まれながらの町」が複数存在する市の因子町状況(岩手~埼玉)
町村制(明治21年法律第1号)施行と同時に「町」を名乗ったところの数は、白桃の「明治の名邑」の数よりは多いけれど、当然ながら「因子町」数よりはグッと少ないのです。かと言って、「生まれながらの町」が立派だとか、尊敬に値する、とは言い切れません。なにせ、県によって数のバラツキが激しい。「なっとう県」は40もあるのに、「うどん県」は5つしかありません。「ほうとう県」や「イモじょうちゅう県」に至ってはゼロなんですから。
「生まれながらの町」の評価?はさておき、境域にこんな町が複数存在する市が139ありました。下は、岩手県から埼玉県までの該当市を列挙したものです。
※因子町のあとの印について
☆・・・本源・前身・最古の「三冠」因子町
◎・・・本源・最古の因子町
@・・・本源・前身の因子町
○・・・本源因子町
◇・・・前身因子町
●・・・最古因子町(傍系因子町)
△・・・直系因子町
無印・・傍系因子町
なお、人口は「1889年内務省告示現住人口」となっています。
市名因子町人口---因子町人口---因子町人口
奥州水沢☆7,570岩谷堂△5,867前沢5,152
花巻里川口☆4,619花巻2,507大迫1,918
宮古宮古☆5,152鰍ヶ崎△3,697
石巻石巻☆16,944渡波4,001
大崎古川☆7,862岩出山4,242
登米登米◎7,085佐沼◇3,708
栗原若柳◎6,463岩ケ崎△2,900
由利本荘本荘☆9,099矢島5,359亀田4,896
大館大館☆7,273十二所3,734
能代能代港☆11,427檜山2,764
湯沢湯沢☆7,186岩崎1,516
鹿角花輪☆5,992毛馬内△4,017
酒田酒田☆20,973松嶺2,792
いわき平☆7,414小名浜△4,421四倉2,589
福島福島☆16,965飯坂3,408
伊達梁川◎5,169保原◇4,376
つくば谷田部☆4,037筑波2,972北條2,831
日立豊浦2,487河原子2,057
ひたちなか湊◎11,241平磯5,828
土浦土浦☆10,610真鍋△2,578
取手取手☆3,192相馬2,223
筑西下館☆6,074関本3,517
石岡石岡☆10,498高浜2,850柿岡2,806
笠間笠間☆6,846宍戸3,988
北茨城大津◎3,572平潟△1,796
行方麻生☆3,172玉造△2,238
栃木栃木☆19,073藤岡3,120
佐野田沼●10,677佐野@7,142犬伏△5,496
葛生4,896堀米△2,446
日光足尾●11,869日光○6,606今市◇5,125
真岡真岡☆5,449久下田4,155
大田原大田原☆4,788佐久山2,860黒羽4,410
川西3,092
さくら喜連川◎5,587氏家◇4,491
高崎高崎☆23,993吉井4,891倉賀野3,531
2,704金古2,337
前橋前橋☆27,512総社2,957
太田尾島●6,201太田@3,693薮塚本3,399
木崎2,748
伊勢崎伊勢崎☆5,4252,365
渋川渋川☆3,676伊香保1,198
藤岡藤岡☆6,466鬼石2,466
安中安中☆7,132原市△4,046松井田3,050
坂本2,361板鼻△2,305
富岡富岡☆7,336一ノ宮3,485妙義2,148
さいたま岩槻●5,958浦和@5,843与野△4,166
大宮△2,996
川口川口☆3,745鳩ヶ谷2,481
越谷越ヶ谷☆3,284大沢△2,170
上尾上尾☆2,491原市△1,753
久喜菖蒲●4,342栗橋2,677久喜@2,332
加須加須☆3,263騎西2,203
本庄本庄☆6,732児玉3,534
日光市について
日光市の「本源因子市」は旧)日光市、「前身因子市」は旧)今市市ですが、いずれの旧市も「直系因子市」なので、ふたつの旧市の「直系因子町」は合体によって成立した日光市の「直系因子町」となるという決まりにしています。よって、日光市の「本源因子町」は日光町と今市町に絞られます。両町はともに「生まれながらの町」ですが、1889年の人口が多い日光町に軍配があがります。一方、「前身因子町」は前身因子市である今市市の前身、今市町に決まり、「最古因子町」は1889年の人口が最多の傍系、足尾になるという筋書きです。因みに、日光市と同様に、本源・前身・最古の三役(因子町)がそれぞれ違う市が可児、湖西、美祢ですが、三つの因子町すべてが「生まれながらの町」というのは日光市だけです。

オマケ:一昨日、フレッシュ・オールスターを観戦。最後の最後になって漸く「さんぼんまつ」の名前が三度アナウンスされました。
アナ「代打の三好は香川県出身です。」
白桃「エッ、そこまでで終わりなの???!!!」
解説者(佐伯さん)「サンボンマツ高校ですよね。」
解説者が尽誠学園(善通寺市)OBの佐伯さんで良かった。佐伯さんありがとう。
[102182] 2021年 7月 15日(木)00:37:13【1】白桃 さん
Re:ちょっとしたクイズ
[102181]なると金時 さん
Q 豊後高田(ぶんごたかだ)のように、濁音で始まって濁音で終わる市を答えよ
てのがあって面白かったのでご紹介します。
意外に少ないんですよね。
答えは[75448]
[102178] 2021年 7月 14日(水)07:58:21白桃 さん
本源因子町VS最古因子町(誇大妄想入り)
なにやら、♪無法松の一生(度胸千両入り)みたいなタイトルになりましたが、[102175]の続編です。

「本源因子町」を中心に置いて、現在ある792市を分類しますと、以下のようになります。
タイプO:本源因子町なし・・・53市
タイプS:本源因子町=前身因子町=最古因子町・・・608市
タイプA:本源因子町=最古因子町(≠前身因子町)・・・98市
タイプB:本源因子町=前身因子町(≠最古因子町)・・・29市
タイプW:本源因子町≠前身因子町、本源因子町≠最古因子町、前身因子町≠最古因子町・・・4市
因みに、本源因子町≠前身因子町、本源因子町≠最古因子町、前身因子町=最古因子町、というタイプは地球上には存在致しません。
今朝は、タイプBを見ていくわけですが、その前に
[102175]で書いた
注1(町制施行時における人口)・注2(市制施行時における人口)については、稿を改めて述べます。
について釈明的言及をいたします。
本源因子町や最古因子町を決める際、町制年月日が同じであれば(町制施行時の人口)を比べることになりますが、正確に表現すると、「町制年月日の前に行われた人口調査の結果で判断」しております。その人口調査とは、国勢調査に加えて以下の通りになっております。
「1889年内務省告示現住人口」「1898年日本帝国人口統計」「1903・1908・1913・1918年の日本帝国人口静態統計」
「1950年琉球列島軍政本部による人口調査」「1955・1960・1965・1970年の琉球政府が行った『国勢調査』」
ただし、「生まれながらの町」の「町制施行時の人口」については、「1889年内務省告示現住人口」によります。また、町制年月日と「町制年月日の前に行われた人口調査」日時の間に廃置分合が行われた場合は、町制施行時の境域に組み替えた人口を見ました。
なお、前身因子町を決定する際の(市制施行時における人口)も同様ですが、1950年1月1日に市制施行した日南市の場合、1947年国勢調査人口が油津町、飫肥町ともに11,558人ということで、日南市の前身因子町数だけは2となっています。

さて、前段が長くなりましたが、ここからタイプBの話になります。
タイプBを二つに分けます。
B1は本源因子町より町制施行が早い因子町が存在する、神栖市をはじめとする18市です。
妄想・・・
岩村「大井課長、この度転勤してコチラに配属されました岩村です。」
大井「あっ、これはこれは『ええな高校』の先輩、岩村さんではありませんか。そんな改まったような挨拶はよしてください。これから、よろしくお願いしますね。」
と、二人は表面的には穏やかに挨拶を交わしたが…
岩村の心の中では、(大井のヤツ、オレや明知を差し置いて課長に出世しやがって!アタマに来る。どうせ長島あたりとつるんでウマく上にとりいったに違いない。アイツの下だけには付きたくなかったのにナ)
一方、課長の大井は…(フン、一年先輩というだけで、イバリやがって。先祖がお殿様だか何だか知らないけど、何もできないし、面倒なヒトが配属されて困ったナ)
市名本源因子市本源因子町町制年月日---最古因子町町制年月日
神栖神栖神栖1970.01.01波崎1928.01.01
あきる野秋川秋多1955.04.01五日市1889.04.01
伊那伊那伊那1897.10.15高遠1889.04.01
那珂那珂菅谷1942.09.08瓜連1934.06.10
甲州塩山塩山1928.11.10勝沼1896.03.02
いちき串木野串木野串木野1935.04.01市来1930.04.01
指宿指宿指宿1933.05.01山川1930.01.01
小松島小松島小松島1908.11.01立江1908.07.20
玉野玉野日比1906.04.01八浜1901.02.06
山陽小野田小野田小野田1920.04.03厚狭1918.10.01
嘉麻山田熊田1924.09.01大隈1892.01.18
北杜北杜長坂1955.01.20小淵沢1954.03.31
相模原相模原上溝1926.01.01小原1889.04.01
日立日立日立1924.08.26豊浦1889.04.01
恵那恵那大井1890.12.27岩村1889.07.01
庄原庄原庄原1898.10.01東城1898.02.10
豊田挙母挙母1892.01.29足助1890.12.17
和庄1892.08.02御手洗1889.04.01

タイプB2は、本源因子町と町制年月日が同じで、町制施行時の人口が本源因子町より多かった町が存在する11市です。
妄想・・・
浦和「ヨォオ、岩槻じゃないか。久しぶりだね。元気にしてた?」
岩槻「浦和クンも元気そうだね。こんどまた、一緒のクラスになったね。」
と、一見、仲の良さそうな二人だが・・・
浦和の心の中は…(岩槻のヤツ、あんまり変わってないな。相変わらず、家ン中でお人形遊びやってんのかナ?まったく付き合いにくいヤツだ。)
一方、岩槻は…(小学校の時は自分の方が勉強も良く出来ていたのに、浦和クン、今は立派になって自分とは大違いだ。同じクラスになったけど、イジメられたりしないかな。大宮クンに相談しようかな・・・)
市名本源因子市本源因子町(人口)---最古因子町(人口)
五泉五泉五泉5,648村松6,845
安来安来安来4,576広瀬4,635
太田太田太田3,693尾島6,201
久喜久喜久喜2,332菖蒲4,342
廿日市廿日市廿日市2,845厳島2,976
4,121飯岡7,129
市川市川市川3,697行徳7,639
鴨川鴨川鴨川6,632天津6,991
佐野佐野佐野7,142田沼10,677
佐渡両津1,968相川13,213
さいたま浦和浦和5,843岩槻5,958
注:上記の町はすべて「生まれながらの町」であり、(人口)は「1889年内務省告示現住人口」

おことわり:「妄想」はもちろん冗談ですが、恵那市とさいたま市の関係者を不愉快な気持ちにさせたならお詫びいたします。
[102175] 2021年 7月 13日(火)09:03:48【1】白桃 さん
「本源因子町」「前身因子町」「最古因子町」
[102160]白桃
白桃はこれまで勝手に「造語」を作ってきました。その中でも、ややこしいのが、市の「本源因子町」「最古因子町」「初代前身町」です。詳しい?説明は[99882]にありますが、この3つが異なる市が四つあります。その一つは
因みに「初代前身町」・「本源因子町」・「最古因子町」三つが異なるのが、湖西市です。
初代前身町=鷲津、本源因子町=白須賀、最古因子町=新居
ですが、あとの三つを探してみねぇかにっこう?
※なお、本日をもちまして、「初代前身町」を「前身因子町」に名称変更します。
答えが出ているのも同然ですが、残りの三市は美祢市、可児市、日光市です。

これに関連して、改めて以下を説明させていただきます。
・・・・・・
「因子町」とは(※「因子市」も「因子町」に準拠)
現行の市を構成する旧町で、
(1)町村制施行と同時に誕生した町(の名称)
……(例)長野県岩村田町
(2)一つの村が単独で、あるいは複数の村の合併により町制施行となった町(の名称)
……(例)香川県三本松町(三本松村が単独町制施行)・香川県大内(おおうち)町(丹生村と誉水村が合併)
(注:三本松町と大内(おおうち)町が合併して成立した大内(おおち)町は因子町ではない。)
(3)村が町を編入合併して成立した町(の名称)
……(例)静岡県引佐町

「直系」と「傍系」
○「市と市」あるいは「町と町」が新設合併した場合は、いずれの旧市(旧町)も直系
……倉敷市の場合:旧)倉敷市、児島市、玉島市は直系
……東かがわ市の場合:旧)大内(おおち)町、白鳥町、引田町は直系(直系の因子町は、三本松町、大内(おおうち)町、白鳥本町、引田町の四つ)
○編入合併の場合は、編入した旧市(旧町)が「直系」で、編入された旧市(旧町)は「傍系」となる。
……岡山市の場合:岡山市は直系で、旧)西大寺市は傍系
……神栖市の場合:旧)神栖町は直系で、旧)波崎町は傍系
○「市」と「町」の合併においては、「新設」「編入」の如何を問わず、旧市が「直系」で、旧町が「傍系」となる。
……北杜市の場合:北杜市は直系で、旧)小淵沢町は傍系
……嘉麻市の場合:旧)山田市は直系で、旧)稲築町は傍系

「本源因子町」とは
◎直系の「因子町」のうち、最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、町制施行時における人口(注1)が最も多い因子町。(ただし、「本源因子市」が所謂「生まれながらの市」である場合や、「村」から「町」を飛び越して単独市制施行となった場合は「本源因子町」はない。)
……真庭市の場合:直系の因子町である勝山、久世、落合、呰部、湯原の5町のうち、町制施行が早いのは1896年2月26日の勝山と久世であるが、町制施行時における人口(注1)が多いのは久世。よって真庭市の「本源因子町」は久世町となる。

「前身因子町」とは
◎既存の市を含まない合併によって市制を施行したとき、これに関わった中で、市制施行時における人口(注2)が最も多い直系の町を「前身町」とし、その前身町の因子町のこと。
……佐久市の場合:1961年4月1日市制施行の佐久市の直系の町は、野沢、中込、浅間の3つ。市制施行時における人口(注2)が最も多い浅間町が「前身町」となり、その浅間町の因子町である岩村田町が佐久市の「前身因子町」となる。
……日南市の場合:油津町と飫肥町(これについては稿を改めます。)

「最古因子町」とは
◎現行の市を構成する因子町で、直系、傍系にかかわらず最も早く「町」となったところ。町制施行が同年月日の場合は、町制施行時における人口(注1)が最も多い因子町。(ただし、最も早く町制施行をしても、その年月日が市域内における本源因子市の市制施行年月日より遅い場合は「最古因子町」とはならない。)
……豊田市の場合:「本源因子町」である挙母町の町制年月日は1892年1月29日、「傍系因子町」の足助町の町制年月日は1890年12月17日。よって豊田市の「最古因子町」は足助町となる。
……宇部市の場合:宇部市の市制施行は1921年11月1日。宇部市における唯一の因子町である船木町(楠町の前身)の町制年月日は1917年9月1日。よって宇部市の「最古因子町」は船木町となる。
……佐世保市の場合:佐世保市の市制施行は1902年4月1日。市域内で最も早く町制施行の早岐町の市制施行は1923年4月1日なので、早岐は「最古因子町」とはならず、佐世保市の「最古因子町」は無いことになる。
・・・・・・
注1(町制施行時における人口)・注2(市制施行時における人口)については、稿を改めて述べます。
[102166] 2021年 7月 8日(木)16:43:35白桃 さん
尼崎の場合はやはり特殊例なのか?
[102161]むっくん さん
私も実質としては境界変更だとは思いますが、尼ヶ崎町の廃止を伴う以上、新設/市制とせざるを得ないと思います。
むっくんさんから、こういうご意見が出てくるのではないか、と半分惧れて、半分期待しておりました。(笑)
参考にならないかもしれませんが、大正九年三月内閣統計局刊行の 郡市町村廃置分合表. 自大正3年1月1日至大正7年12月31日には、「単独市制」の八王子や岡崎などとともに尼崎が記載されています。「市制施行」自体が「廃置分合」にあたるのかどうかは別にしても、この表には、【𦾔郡市】として「川邉郡尼崎町」が、【新郡市】として「尼崎市」が、あるだけで、立花村云々は全く出てきませんが、ただ理屈を通すために「境界変更/市制」にしてはいけないように思えてきます。しかしながら、私が当初から引っかかっているのが、立花村が存続していることです。
「廃置分合」のうちの「合体」が
2つ以上の地方公共団体を廃し、その区域をもって1つの地方公共団体を置くこと
という定義が、明治期から変更されていないとすれば、立花村が存続している以上、これは単なる「合体」とも言えない、のではないでしょうか。あるいは、一つの地方公共団体と別の地方公共団体の「一部」の「合体」というのが当時は「有り」だったのでしょうか?
そういう事例を他に見出せない限り、尼崎の市制施行は、特殊な【新設(合体)/市制】であったとして、あきらめざるを得ないのではないでしょうか。
[102160] 2021年 7月 7日(水)16:31:03【1】白桃 さん
ワクチンを打ってくれなかった白桃
[102158]白桃
今から、ワクチン接種にいってまいります。
大谷クンの試合観戦を我慢してまで、節酒、いや接種会場に行ったものの、「コロナに罹って重症化した方は、治ってから6か月待った方が良いでしょう。」と恩納の先生に言われました。そんなことは初耳です。人工呼吸の処置をしてくれた病院や四週間に一度通っている浦安にある佐倉発祥の準天童大学病院でも確認していたのですが、そんなことは誰も教えてくれなかった。
コロナに関して詳しいことは誰も判らない現状なので、ま、しょうがないか。
とはいえ、まったく予定が狂ってしまったので、臨時の人口関連クイズを
例題:次のうち、五年間(2015年国勢調査確定人口~2020年国勢調査速報値)で、人口が増加したムラはどこでしょう。
A.天童(山形県) B.佐倉(千葉県) C.浦安(千葉県) D.恩納(沖縄県)

上の答えは、甲斐なしが三好正解入道。南砺なれば、恩納はムラではなく、ソンですから。

では、まともな問題を。
白桃はこれまで勝手に「造語」を作ってきました。その中でも、ややこしいのが、市の「本源因子町」「最古因子町」「初代前身町」です。詳しい?説明は[99882]にありますが、この3つが異なる市が四つあります。その一つは
因みに「初代前身町」・「本源因子町」・「最古因子町」三つが異なるのが、湖西市です。
初代前身町=鷲津、本源因子町=白須賀、最古因子町=新居
ですが、あとの三つを探してみねぇかにっこう?

※なお、本日をもちまして、「初代前身町」を「前身因子町」に名称変更します。
※行を追加
[102158] 2021年 7月 7日(水)10:07:20白桃 さん
「御坊」抜き
[102157]千本桜 さん
なるほど、そういうことでしたか。
御坊は、2015年国勢調査時点で人口2万以上3万未満であった67市の中では、減少率5.294%と低い方から数えて9番目と「健闘」しています。2万5千人未満になると、豊後高田(3.111%)に次ぐ順位です。豊後高田も御坊も、「昭和の大合併」期に成立した「零細中年市の期待の星」といったところでしょうか。とは言っても、減少率0.937%の大河原町の足元にも及びません。もっとも、比較するのが無謀でしたね。

今から、ワクチン接種にいってまいります。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示