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MIさんの記事が5件見つかりました

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[102105] 2021年 6月 16日(水)22:42:01【1】MI さん
Re: 津田沼町・西尾町と尼ヶ崎町
[102101] 白桃 さんからご指摘の3市について、それぞれ典拠をあたってみました。

●習志野市 1954.08.01 境界変更/改称/市制 千葉郡 津田沼町, 千葉市の一部
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第683号
地方自治法第7条第1項の規定により、昭和29年8月1日から千葉県千葉郡津田沼町と千葉市の境界を次のとおり変更する旨、千葉県知事から届出があつた。
 千葉郡津田沼町に編入する区域
千葉市大字実籾、愛宕、安生津、長作、天戸、馬加の内字屋敷台、蟹ケ沢、新田台、鳥ケ崎、起天堀、前田、前畑、外畑、内畑、吹上、台畑、米ノ内および小谷津2430
ただし、上区域を千葉市から津田沼町に編入する場合において、上区域内の住民が、上区域内に所有する小作地を除き、上区域内の住民が、上区域外に所有する小作地を加える。
1954(昭和29)年7月27日条例第1号
「津田沼町」を「習志野町」とする。
附則 この条例は、昭和29年8月1日から施行する。
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第684号
地方自治法第3条第4項の規定により、昭和29年8月1日から、千葉県千葉郡津田沼町の名称を 習志野(ならしの)町に変更することを許可した旨、千葉県知事から報告があつた。
1954(昭和29)年7月31日総理府告示第685号
地方自治法第8条第3項の規定により、昭和29年8月1日から、千葉県千葉郡習志野町を習志野市とする旨、千葉県知事から届出があつた。

●西尾市 1953.12.15 境界変更/市制 幡豆郡 西尾町, 平坂町の一部
1953(昭和28)年12月14日総理府告示第246号
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十八年十二月十五日から、愛知県幡豆郡平坂町の区域のうち、大字田貫、大字中畑、大字国森、大字新在家の区域を西尾町に編入する旨、愛知県知事から届出があつた。
1953(昭和28)年12月8日愛知県告示第479号
地方自治法(昭和22年法律第67号)第8条の規定に基づき、幡豆郡西尾町(にしおちょう)を西尾市(にしおし)とし、昭和28年12月15日から施行する
1953(昭和28)年12月14日総理府告示第247号
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十八年十二月十五日から愛知県幡豆郡西尾町を西尾市とする旨、愛知県知事から届出があつた

●尼崎市 1916.04.01 新設/市制 川辺郡 尼ヶ崎町, 立花村の一部
1916(大正05)年3月29日内務省告示第15号
明治四十四年法律第六十八號市制第三條及同年法律第六十九號町村制第三條ニ依リ大正五年四月一日ヨリ兵庫縣川邊郡尼ヶ崎町ヲ廢シ其ノ區域ト同郡立花村ノ内大字東難波村及西難波村ノ區域トヲ以テ尼崎市ヲ置ク

 これらを見比べますと、
「千葉県千葉郡習志野町を習志野市とする」
「愛知県幡豆郡西尾町を西尾市とする」
「兵庫縣川邊郡尼ヶ崎町ヲ廢シ其ノ區域ト同郡立花村ノ内大字(中略)ノ區域トヲ以テ尼崎市ヲ置ク」
ということで、尼崎に関しては「新設」であることがお分かりいただけるものと思います。
 なお、この尼崎は1936(昭和11)年3月23日内務省告示第117号
市制第三條及町村制第三條ニ依リ昭和十一年四月一日ヨリ兵庫縣尼崎市及川邊郡小田村ヲ廢シ其區域ヲ以テ尼崎市ヲ置ク
1936(昭和11)年4月1日尼崎市告示第1号
本年3月23日内務省告示第117号ヲ以テ昭和11年4月1日ヨリ尼崎市及川辺郡小田村ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ尼崎市ヲ設置セラル
 で再度「新設」されているのですね。

#日付の誤りを訂正しました。
[102104] 2021年 6月 16日(水)19:29:21MI さん
Re: テキストリンク機能の改善
[102103] オーナー グリグリ さん
テキストリンク機能(URL直接記述も含め)の仕様を強化し、角括弧など特殊文字を含むURLにも的確に対応できるようにしました。
 早速のご対応有難うございます。[102092]は正しくリンクされておりますし、[102094] ekinenpyou さんのもマーカーを含めてうまく作動しているように思います。なお、
角括弧内は数字限定でかつURLで1組しか現れない
については、例えば今昔マップで4画面にするとこんな感じに3組も角括弧が出てくるのですが、ちゃんと URL 内であると判定してくれています。どうも有難うございました。
 取り急ぎ、確認と御礼まで。
[102099] 2021年 6月 14日(月)15:22:21【1】MI さん
Re: URLの直接記述へのリンク(仕様不十分)
[102097] オーナー グリグリ さん
角括弧は自動リンクなどの意味ある記号としているため適正処理が難しいのですが、URL記述に角括弧が入る条件などからプログラム判定ができる可能性もあるので、検討してみるつもりです。
 [102092]を作成しながら、今昔マップで旧版地形図を2種類(以上)表示する状態だとリンクがうまく効かないことに気づきました。
これはテキストリンクの書式が
[リンクするテキスト:http(s)://........]
であるのに対して url に文字列 "kjmap[1]" 等が含まれるため、"]" の時点で url の末尾であると判断してしまうことが原因だと分かりました。そこで「 https: から =2 までをコピーし」などと記すことで取り敢えず凌いでおりましたが、これはグリグリさんにお願いしなければならないかなと思っていたところでした。ご検討いただけるとのこと、どうも有難うございます。

 上述のとおり、url 記述に "]" が入るときは必ずその前に "[" もあることを利用すれば、プログラム判定できるような気がします。さもなければ url 記述全体をダブルクオートで括るとか、または "]" の直前に特別な文字(たとえば "\")を付加するとか、考えられると思います。どうぞよろしくお願いします。

#文字の欠落を修正しました。
[102098] 2021年 6月 14日(月)15:21:56【1】MI さん
日宇村から佐世保市への境界変更などの詳細
[102094] ekinenpyou さんから戴いたヒントを手掛かりに、明治36年11月24日長崎県告示第583号を確認することが出来ました。どうも有難うございました。
長崎縣告示第五百八十三號
東彼杵郡日宇村福石免字下拼ノ本、鹽濱、羅漢、上羅漢、カシケ浦、吉原、川ヶ浦、下川ヶ浦、乘越、上大野、長ノ谷、戸井ノ谷、白拼、馬ノ内、三ヶ浦ヲ割キ佐世保市ニ編入ス
佐世保市庵ノ浦免字高崎、立石、雨ノ浦、後ノ谷、黒岩、東野崎、透山、西ノ久保、野崎ノ中、西野崎、古屋敷ヲ割キ北松浦郡山口村ニ編入ス
(中略)
右市制第四條町村制第四條ニ依リ縣參事會ノ議決ヲ經明治三十七年四月一日ヨリ施行ス
 明治三十六年十一月二十四日 長崎縣知事 荒川義太郎

 なお、上記に2つある「拼」の漢字は、県公報ではいずれも「手偏に亠廾」と印刷されていますが、前者について朱書きで「拼」に訂正してあるものです。後者に訂正はないのですが、「昭和時代の佐世保」中の三浦町に「字白拼」が記載されていることから同様であると判断しました。
 それぞれの「小字」の位置については【させぼ街ナビ情報】インターネット版「佐世保市小字地図」で確認できます。利用条件に同意して御覧ください。ただこの小字地図には「拼」ではなくどちらも「椪」の漢字が用いられています。
 また、[102092]で示したように『佐世保郷土誌』では佐世保市から北松浦郡山口村への境界変更は3月31日としていましたが、告示によると4月1日施行が正しいことになります。3月31日まで佐世保市に所属し、翌日から山口村へ変更されたという解釈だったのかもしれませんが、施行日としては4月1日正当になると思います。

#「字(アザ)」と「字(ジ)」を混乱しないように一部修正しました。
[102092] 2021年 6月 12日(土)16:01:50【2】MI さん
日宇村から佐世保市への境界変更
[102084] ekinenpyou さん
※なお日宇村はS2.4.1に佐世保市へ編入消滅しておりますが
(駅が佐世保市と日宇村の境界付近にあった影響か?)それ以前に所在地表記の変更があったようで
鐵道停車場一覽. 大正6年3月31日現在(左上)では既に佐世保市白南風町となっております。
 今昔マップで1901(明治34)年測図と1924(大正13)年測図(この時点で日宇村は存続)のものを並べてみますと、佐世保駅は開業当初たしかに日宇村に位置していたのが佐世保市に変わっており、駅を含む一帯で境界変更が行われたことが分かります。
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.163213&lng=129.728144&zoom=16&dataset=sasebo&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=kjmap[1]&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
(※urlに "[" や "]" が含まれており、うまくリンクできないときは https: から =2 までをコピー(ctrl+C)し、新規タブ(ctrl+T)のアドレスバー(ctrl+L)に貼付け(ctrl+V)、Enter を行って下さい)
 しかしこの境界変更については、変遷情報はもちろん当方のデータベースにも収録されていないことが分かりましたので、ちょっと調べたところウィキペディアの日宇村に、
・1904年(明治37年)4月1日 - 福石免の一部を佐世保市に編入
とあり、その典拠として『長崎県東彼杵郡誌』(1917)p650が挙げられていました。
明治三十七年四月福石川に沿ひ福石山の上部を境界として福石免の内鹽濱外十四字を割きて佐世保市に編入のことあり今の福石町・潮見町・白南風町・三浦町即ち是なり
 さらに検索すると『佐世保郷土誌』(1919)p36で日付が明記されており、
明治三十七年四月一日日宇村福石免の内十五箇字を割きて本市に編入す
またその前日には、佐世保市から北松浦郡山口村への境界変更もあることが分かりました。
明治三十七年三月三十一日本市庵の浦免の内十一箇字を北松浦郡山口村に分讓す

 なお、上記ウィキペディアにはこの境界変更が明治36年11月24日付「長崎県公報」に掲載の県告示第583号であると記され、その画像データへのリンクも記されているのですが、現在使用できなくなっており、当方も確認できないでおります。以前、長崎県立長崎図書館は明治23年~昭和10年の県公報を jpg 画像化しネット上で公開していたのですが、一昨年ミライON図書館へ移転すると同時にHPリニューアルが行われた際、「作業容量および予算の兼ね合いもあり」公開をとりやめたということです。以前不思議に思って問い合わせたところ、そのような返答を戴きました。現在は目次のみ Excel ファイルで公開されています。

※「広報」を「公報」に訂正しました。


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