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[98633]2019年12月1日
hmt

[98633] 2019年 12月 1日(日)12:28:04hmt さん
切断・高台移設で水没を免れた アブシンベル神殿
この落書き帳は、都道府県市区町村というタイトルが示すように 国内の近代・現代における自治体を主な対象にしていますが、外国ネタも あります。
この秋における hmtの記事を振り返ると、30年前に終結した 冷戦時代のヨーロッパ に関係する記事が 多数を占めていました。

場所は アフリカ大陸へと変りますが、東西陣営の対立構造を背景とした同じ頃【1945-1989, 年表[98523]】に行なわれ、後の「ユネスコ世界遺産」制度誕生にも影響した 国際的な文化財保護事業「アブシンベル神殿」について記してみます。

動機になったのは、最近放送された TVドキュメンタリーで、下記 第3節の題材として利用しました。
明日の深夜に再放送される予定です。

1 エジプト・ナイル川・ナセル

世界最長・エジプトのナイル川と言えば、毎年夏の洪水で流域に肥沃な土壌をもたらし、数千年前に古代文明を育んだことで知られていました。
機械技術の発達した19世紀。灌漑水路を深く掘り下げ、通年灌漑が可能になり、農業生産が激増。

こうなると、ナイル川の洪水は 農業生産に不可欠なもの ではなくなりました。
増加した流域の人々が洪水を見る目は、「自然の恵み」から「制御すべき対象」へと変化します。
ナイル川上流のアスワン[45172]にダムが作られ、1902年に完成しましたが、更に上流のヌビア地方に 一段と大きなダムを建設する計画は、英国統治の時代からありました。

中東最初の社会革命により 国王を追放(1952)した ナセル政権による アスワンハイダムの建設決定は 1954年。
当初のアメリカによる資金援助予定は、ナセルのソ連寄り政治姿勢から拒否されました。

ナセルは、1956年にスエズ運河国有化を宣言。株主のイギリスは、フランスと共にイスラエルを唆してシナイ半島に侵攻する第二次中東戦争を起させ、軍事的優位に立ちました。
そして英仏は、停戦に応じないエジプト制裁を名目としたスエズ運河占領を目論みました。

しかし、国際世論は侵略者側に厳しく、国連の緊急特別総会で 米国とソ連による 即時停戦を求める決議 が採択され、エジプトは スエズ運河国有化に成功したのでした。

安保理では英仏が拒否権を行使したのですが、米国は 1950年の朝鮮戦争に際して国連総会で採択された平和のための結集決議を利用し、多国間主義による国際紛争解決の原則を維持したのでした。

2 アスワンハイダム アブシンベル神殿の水没対策

政治的にはエジプトの勝利で決着した通称スエズ戦争の後に実行された アスワンハイダム計画。
旧ダムの 6.4km上流に造られた 高さ111m、全長3,600mの 巨大ロックフィルダム。ナイル川の河口から900kmにあり、治水・用水と 210万KWの発電。1960年 建設開始、1970年 完成。

162Gm3の水を貯える 5250km2のダム湖【ナセル湖】による水位上昇により、アブシンベル神殿【BC1250年頃】などのヌビア遺跡は、水没の危機に面しました。

ユネスコが中心になって世界中から集めた 遺跡を守る対策は如何に? 
防水堤案や水中保存案は破損の危険ありと判断。大工事のジャッキアップ案も実現し難い。

スゥエーデン提案の「切断して高台に移設する案」が実現可能として採用されました。
…と言っても、神殿は一枚岩の砂岩から彫り出された一体の彫刻で、その重量は 25万トン。
輸送に必要な約1000個のブロックへの切断を 文化財破壊行為と反発する考古学者も多数。
歌仙絵切断[98547]とはスケールが違う話です。

3 技術的問題と資金問題

技術責任者のヨースタらによる改良:スゥエーデンの得意とする特殊鋼を使った薄刃鋸による手作業により、切断により破損する断面を4mmまで低減【チェーンソーでは40mm】。
その他多くの改良が考案され、1036個のブロックへの切断・約60m上の高台への移転・組立工程を施す水没対策工事により、遺跡の価値低下は 最小に抑えることができました。

アブ・シンベル神殿は、年2回(2月と10月)だけ神殿の入り口から朝日が差し込み、神殿奥の神々を照らすという神秘的な現象を示す仕組みになっていました。高台への移設後も、この現象を再現することも課題でしたが、見事に成功しました。但し移設の影響により、日付が1日ずれる結果になったそうです。

技術的問題以上に高い壁は、水没対策の資金問題でした。
ソ連から得た資金援助は「エジプト人に必要なパンの為」のもので、水没する「ヌビア遺跡の石の為」ではありませんでした。
ここで活躍したのが、エジプトの初代文化大臣サルワト・オカーシャです。

世界中からの募金を集めたいが、「アブシンベル神殿」だけでは世界的知名度が不足。
そこで登場した助っ人が「ツタンカーメンの宝物」です。
1961年11月、米国で開いた特別展に ジャクリーン来場。ケネディ大統領 14億円相当の拠出承認。
そして、1965年 日本で開かれたツタンカーメン展に門外不出だった「黄金のマスク」登場。
日本の美術展史上最大の入場者数 293万人を記録し、4億円の資金が集まりました。

4 世界遺産

このようにして、サルワトの許に集った資金により、1968/9/22 アブシンベル神殿の高台移設完了。

「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」は、1972年のユネスコ総会で採択。
世界遺産第一号(1978年登録)は ガラパゴス諸島など12件。

世界遺産リストに登録される対象は、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件です。
「移動が不可能な有形の不動産」が対象となっているそうですが、2年目(1979)の登録になったアブシンベルは、高台に移設された「不動産」でした。移築工事の写真

蛇足:不動産については「曳家」などの技術も存在します。
臨時的な「移動の可否」よりも、恒久的な「土地への固着」が重視されるのでしょう。


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