2月以降のhmt投稿は、「全国の市町村数」を柱にしてきたつもりですが、実際は脱線も多いようです。
最近の
[99248]も、埼玉県ローカル、しかも市町村数ではなく、郡を主役とするものでした。
関係記事
[99248]を見ると、明治12年の郡区町村編制法施行時の郡名・郡役所を紹介したことだけでは、物足りません。
そこで、明治4年から9年に遡る「埼玉県の成り立ち」や、明治29年に行なわれた「郡の再編」を加えて、「明治時代における埼玉県の略歴」という形にまとめておくことにしました。
素材は落書き帳の過去記事も使いましたが、最近になって「府県及北海道境域沿革一覧」という資料の存在を知ったので、これも利用することにしました。▲
埼玉県の境域沿革概要
日付 | | 根拠 | 記事 | 沿革 |
M4/11/14 | 1871 | 布告594 | [36047] | 埼玉県を置く(県庁:岩槻) 埼玉、葛飾の内、足立の内 |
M4/11/14 | 1871 | 布告594 | [36047] | 入間県を置き横見、入間、…高麗、多摩の内 14郡を管す |
複数回? | 1871-1872 | | | 【入間県】多摩郡の内を神奈川県管轄に属せしむ |
M4/11/14 | 1871 | 布告594 | | 印旛県を置き下総国9郡を管す |
M6/6/15 | 1873 | 布告214 | | 印旛県を千葉県に編入 |
M6/6/15 | 1873 | 布告214 | [36081] | 入間県を廃し熊谷県を置く |
M8/8/30 | 1875 | 達 | [36159] | 葛飾郡金杉村外42村を埼玉県に属せしむ |
M8/11/10 | 1875 | 布告167 | [36159] | 足立郡舎人町を東京府に編入 |
M9/8/21 | 1876 | 布告112 | [36111] | 熊谷県を廃し新座郡以下13郡を埼玉県に属せしむ |
M9/9/28 | 1876 | 内務省布達甲37 | | 葛飾郡の内、寄巻村の内一部東京府管下葛飾郡下小合村に編入 |
M10/3/2 | 1877 | 内務省布達甲5 | | 栃木県管下内野村飛地分割→埼玉郡小野袋村と群馬県海老瀬村 |
M12/3/17 | 1879 | 埼玉県達甲14 | [99248] | 郡区町村編制法施行 18郡設置 |
M13/5/5 | 1880 | 布告22 | | 下総国葛飾郡の内→埼玉県中葛飾郡、 |
| | | | 武蔵国葛飾郡の内→北葛飾郡 |
| | | | 埼玉県埼玉郡及び足立郡の内→北埼玉郡・南埼玉郡・北足立郡 |
M17/7/14 | 1884 | 埼玉県達甲43 | ● | 戸長役場位置及び所轄町村改定 |
M17/10/31 | 1884 | | [44653] | 秩父事件 |
M23/9/25 | 1890 | 勅令213 | [22470] | 埼玉県庁を武蔵国北足立郡浦和町に移す |
M24/6/9 | 1891 | | [54575] | 新座郡榑橋村→東京府北豊島郡大泉村 |
M28/4/1 | 1895 | 法律24 | ★ | 東京、埼玉、千葉、茨城の境界変更 江戸川を境界とする |
M29/4/1 | 1896 | 法律40 | [90597] | 郡の再編 北葛飾郡と中葛飾郡を統合→武蔵国北葛飾郡、 |
| | | | 13郡→北足立, 入間, 比企, 児玉, 大里の5郡に統合】 |
M40/3/16 | 1907 | 法律8 | [36159] | 北足立郡保谷村を東京府管下北多摩郡に編入 |
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埼玉県達全書
大部分は市制町村制の施行前に行なわれた県域の変更ですが、千葉県との境界について、市制町村制施行後の変更があったことを知ったので、説明しておきます。
[36159]に記したように、1875年に下総国葛飾郡金杉村(現・松伏町)ほか42ヶ村の千葉県から埼玉県への移管は、河川がらみの埼玉県域修正の中で最大規模のものでした。
その後も呼び方の変化などはありましたが、今回の作業により、明治28の法律による再修正を知りました。
★東京、埼玉、千葉、茨城の 江戸川境界への変更
都道府県変遷情報にも収録されていない変遷の存在に驚き、調べてみました。
13項目にも及ぶ変更には「編入」という廃置分合用語が使われており、妙見島のような有名地名も含まれています。
しかし その実体は、大字規模ではない ように思われました。江戸川改修に伴う小規模地域の府県変更の集合体と理解し、都道府県変遷情報の対象から除外されている現状に、一応納得しています。
最後のあたりに記された M24年大泉村への合併、M29年の郡再編、 M40年の保谷村 は変遷情報収録済みです。