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hmtさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99973]2020年7月9日
hmt

[99973] 2020年 7月 9日(木)17:46:10【1】hmt さん
国勢調査百年(1)先駆者たち
[99914] ekinenpyouさん
牛塚虎太郎
統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみ【第一部の】PDF (4コマ左中ほど)に記載があります。
※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。

記事の日付を見ると 2020/6/14。少し遅くなりましたが、有用な情報と考え、フォローします。

統計局文書の第一部は下記の「講談・国勢調査はじまり物語」3題プラス付属資料でした。
その壱:国勢調査前史 日本統計【スタチスチック】のはじまり
その弐:国勢調査の実施まで 欧米諸国に於ては前世紀の初以来施行する調査なり
その参:第一回国勢調査 大正九年十月一日 国を挙げてのお祭り騒ぎ

今回は、先駆者4人の紹介です。
1 杉 亨二【すぎ こうじ】3コマ右
国勢調査先駆者の最初は、日本近代統計の祖とされる 杉亨二です。
約150年前の明治4年、徳川家に従い静岡に移っていた 元幕臣の杉亨二は、明治政府にスカウトされました。その際に、我が国が一等国になるために把握しておくべき仕事として提案したのが、国の情勢を 全数調査により実体把握すること でした。

ぬしは わがまま、わたしは きまま、国勢調査は ありのまま

これは、後の国勢調査キャンペーンで使われた都々逸ですが、納税や徴兵のための戸籍制度も整備されつつある時代に、「ありのまま」の実態を全国漏れなく把握する調査は、如何程の予算が必要になるか? 

それを知るための資料として、杉が実施したのが「甲斐国現在人別調」【明治12年(1879)12/31】でした。[76291]でも言及。

これが、明治14年(1881)の統計院設立につながりました。院長は明治政界の大物・大隈重信です。

しかし、杉の構想は 直ちに国家制度として実現するには至りませんでした。
日清戦争の頃 1894年(M27)に スイスの万国統計協会から、1900年の世界人口センサスへの参加要請がありましたが、日本は見送りでした。

それでも、明治35年(1902)には「国勢調査に関する法律」が制定されました。
1905年に最初の国勢調査を実施して、世界の人口センサスに参加することが予定されたのですが、1904年に日露戦争が始まり、流れてしまいました。

更に 10年後の機会 1915年も、欧州で始まった大戦に伴う政治情勢は 日本の参戦(1914)を招き入れることになりました。国勢調査は またも お流れ。
もっとも、第2次大隈内閣は、1916年 内閣訓令第1号「統計の進歩改善に関する件」により、国勢調査への積極姿勢を示しています。

あゆみ第一部 3コマ右に示されている「寸多 知寸 知久」という見慣れない文字。
「スタ チス チック」は、統計局の URLに使われています。stat.go.jp

2 大隈重信 4コマ右
言うまでもなく明治政府の一角である肥前出身の大物政治家[76315]で、落書き帳にも多数登場。
大隈重信関係文書を引用した記事も多数ありますが、国勢調査や統計院・内閣統計局に関連した記事では、[76291]あたりが代表的な記事でしょうか。
統計Today No.14 に、大隈重信が 明治14年(1881)に建議した 「統計院設置の件」という文書がありました。
「国勢」とは、「国の情勢」という意味で、私たちが国勢調査票に書き込む「人と世帯の実態」だけでなく、産業・経済・社会制度・軍事などより広い分野に係るデータを対象とするものと思われます。

大隈は Population Census に国勢調査という言葉を用い、統計の重要性を訴えた人物です。

3 牛塚虎太郎 4コマ左
牛塚虎太郎[99914]は、第一次大戦中の 1916年に 臨時国勢調査局次長となり、第1回国勢調査の実現にを目指しました。
大隈重信から変った寺内正毅総理に対して、「国勢調査実施に関する意見」を提出したのは 1917年5月でした。[99914]にリンクされている文書【全208コマの長文】をダウンロードしたのですが、画面が不鮮明であり、次頁以降が読めませんでした。

それはさておき、牛塚らの尽力により「国勢調査施行ニ関スル建議案」が7月に衆議院で可決され、大正9年(1920)の 第一回国勢調査 実施が決定しました。
大正7年度予算に、国勢調査に関する予算が組み入れられました。
予算案公表の日に、国勢調査の先駆者 杉亨二は、息を引き取ったとか。

なお、牛塚虎太郎が「岩手縣」への表記統一 を行った岩手県知事になったのは、国勢調査成功の後で、引き続き東京市長になるまで、府県の知事を歴任しました。

4 原敬(はら たかし) 5コマ右、4コマ右下
平民宰相、大正デモクラシーなどの言葉と関連する話題で登場する人物であり、『原敬日記』を残しています。
1885年からのパリ在勤時に フランスの国勢調査を経験し、早くから その価値を認識していた人物です。
総理大臣時代の 1920年5月に 国勢院を設置して、牛塚虎太郎に 第一回国勢調査を実施させました。
1921年11月、東京駅で暴漢に襲われ、国勢調査の結果発表を知ることができなかったのは残念でした。


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