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町村の飛地等一部区域の廃置分合の取扱いについて

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[73436] 2009年 12月 29日(火)22:15:4688 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.15 市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について
市区町村変遷情報の編集作業における、全体的な話について少し述べます。

最近、私自身の作業において、市制町村制施行に関する一連の作業が、そのほとんどを占めています。
私は市制町村制施行・明治の大合併における町村の名称や、町村の全部か一部か等については、主として「幕末以降総覧」を一次資料としております(略称は[55681]冒頭)。今では市制町村制施行の根拠となる各府県令をご紹介いただいていますので、「幕末以降総覧」の記載を基に、府県令を見て修正作業を行っています(作業の効率上の都合)。この市制町村制施行時における独特の事例について2点紹介いたします。

★その1 従前の村のほんの一部を事実上分割する場合
市制町村制施行時前は、町村(特に村)の区域は、かなり錯綜していたようです。従前の村落の形態がかなり複雑であったためでしょう。「幕末以降総覧」では、市制町村制施行時に、A村が、A村(本体)と、A村のほんの一部(B村の中にある小さな飛地であるなど、小字単位にもならないくらいの小さいもの。田数枚程度の規模のことも)に分かれる場合、「A村」「A村飛地」というという表現になっていたり、そもそも「一部」の存在を省いたりしています。
この根拠となる府県令では、「幕末以降総覧」と同様に「A村」「A村飛地」と表現していたり、「一部」の字名や面積を詳細に記したりしています。
●例1・・・兵庫県(M22.2.22兵庫県令第24号)
「幕末以降総覧」「兵庫県令」とも
菟原郡精道村:深江村飛地
菟原郡本庄村:深江村
菟原郡本山村:深江村飛地
菟原郡魚崎村:魚崎村
菟原郡住吉村:魚崎村飛錯地
(注:町村名は抜粋(以下も同様))
このように、深江村、魚崎村の本体(大半)は本庄村、魚崎村となりましたが、他の村に組み入れられた区域があります。しかし、本来の根拠である兵庫県令や「幕末以降総覧」では、表現を簡略化しています。
●例2:和歌山県:(M22.2.22付け和歌山県令第15号)
「幕末以降総覧」
名草郡西和佐村:(名草郡松嶋村 なし)
名草郡四箇郷村:名草郡松嶋村
「和歌山県令」
名草郡西和佐村:名草郡松嶋村ノ内字上新田反別拾弐町弐反三畝拾八歩
名草郡四箇郷村:名草郡松嶋村但字上新田反別拾弐町弐反三畝拾八歩ヲ除ク
和歌山県令では、詳細に記述されています。しかし、「幕末以降総覧」では、この記述を省いており、松嶋村はすべて四箇郷村になったかのように見えます。

この例1・例2の両方とも、いわゆる「本村部分」についても、市区町村変遷情報においては「○○村の一部」と表現するようにしております。藩政村・大字単位の分割ではないので、編集対象から省くという考え方もあるのですが、境界変更とは異なり、新設時の根拠規定そのものに記載されているという観点から、「○○村の一部」という表現で対応しております。
なお、いわゆる「本体」とみなしている部分があることが府県令から読み取れる場合もあるのですが、どちらが「本体」か、という判断を迫られる例もありそうですので、敢えて、本体・飛地等と思われるもの双方ともに「○○村の一部」という表現に統一しています。この考え方は、市制町村制施行時以降の新設合併・編入合併の例でも同様です。
なお、試行品が日の目を見たときには、あくまで概要を示す「わかりやすさ」を重視し、この飛地等の「○○村の一部」は省いて表記しようかと思っています。正確な情報については、現在編集作業を行っている個別の情報に委ねる、と、役割分担をしたほうがよいかと考えています。

★その2 「入会地」の場合
「入会地」については、「幕末以降」「県令」ともに、「A村B村入会地」と丁寧に記しています。この入会地は、A村でもB村でもありませんので、そのままきちんと記載するか、割り切って割愛するかのどちらかになります。
入会地は、薪炭用などの山林や、カヤなどを植えた草刈場ですから、面積は町村本体に比すると小さいでしょう。(明治22年という時代背景をも窺うことができます。)
●例3:富山県(M22.3.19富山県令第37号)
「幕末以降総覧」「富山県令」とも
上新川郡下タ村:蘆生村, 今生津村, 布尻村, 町長村, 吉野村, 吉野村外四ヶ村入会地, 蘆生村今生津村入会地, 布尻村町長村入会地
(注:現時点では、まだ富山県の市制町村制施行時の情報は編集(入力)作業を行っておりません。)

――――――――――――――――
これらは、現時点で私が考える編集方針であり、皆様のご意見をいただければ幸いです。
[73447] 2009年 12月 30日(水)07:43:10oki さん
昔の飛地と来年の勝負
三回連続投稿で申し訳ないのですが、見過ごせない書き込みがあったもので。

[73436] 88 さん 市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について

88さま。市区町村変遷情報の入力、誠に、誠にご苦労様です。
私も、徳島などで天保郷帳~明治合併期の町村変遷について整理をはじめたことがあるので、この作業にどれだけの時間と労力が必要かは分ります。あれだけのデータを入力・整理されていることには、ただただ感謝、との思いだけです。
その上で、あえて言わせていただくのですが(この点については前々から考えていたのです)、少なくとも明治合併期に関しては、本村部分、飛地部分の両方について同じように「○○村の一部」とする現在の表現方法は、改めた方が良いと思います。各村がどのように合併したのかが非常に分りにくくなる場合があるからです。
実例を挙げます。私が現在住んでいる東京都江戸川区(当時は南葛飾郡)における3村の事例です。

小松川村:
西小松川村の一部, 逆井村, 東小松川村の一部
松江村:
西一ノ江村の一部, 東小松川村の一部, 西小松川村の一部
船堀村:
西船堀村, 東船堀村, 西宇喜田村の一部, 桑川村の一部, 西一ノ江村の一部, 東小松川村の一部, 西小松川村の一部

以上挙げた3村のいずれにも、「西小松川村の一部」、「東小松川村の一部」が出現しており、「西一ノ江村の一部」は2村にあります。
落書き帳のメンバーの皆さんであれば、小松川村は西小松川村と逆井村の合併村、松江村は西一ノ江村と東小松川村、船堀村は東西船堀村で、ほかはすべて狭小な飛地だろうと見当がつくと思います。しかし、市区町村変遷情報を閲覧しているのは常連メンバーだけではないはずで、この種の情報にあまり詳しくない人が見た場合、以上のような表記法だと、東小松川村や西小松川村がどのように合併したのか、混乱を来す畏れが強いのではないでしょうか。
そのような事態を回避するには、例えば次のような表記が求められるのではないかと思います(あくまで例です。実際の表記法はさらに工夫する必要があります)。

小松川村:
西小松川村(本体), 逆井村, 東小松川村(飛地)
松江村:
西一ノ江村(本体), 東小松川村(本体), 西小松川村(飛地)
船堀村:
西船堀村, 東船堀村, (以下すべて飛地 西宇喜田村, 桑川村, 西一ノ江村, 東小松川村, 西小松川村)

あるいは、変遷情報の表にはあえて飛地の村を表示せず、「本体」の表記も省略して、これらを「詳細」部分だけに記述してもいいのかもしれません。いずれにせよ、現在の表記法は改善した方が良い、と考えます。
なお、ここには例がありませんが「どちらが本体か、という判断を迫られる」微妙な場合は、その場合に限って「○○村(一部)」などの表現を使えばいいと思います。
また、関連して言うと、変遷情報の参考文献としては「幕末以降総覧」などの刊本しかあげられていませんが、少なくとも明治合併時のデータについては、府県令でのチェックを行なっているのですから、その旨を明記するとともに、デジタルライブラリーの該当府県令へのリンクを張っておいた方が良いのではないでしょうか。「飛地」が現在のどの地域に該当するのか気になる人には、元データである府県令を見てもらうことにしても良いですし。

もちろん、これ以上88さんの負担を増やすのは本意ではないので、ご自身がもっともやりやすい手法をとっていただければと思いますが、以上の点も考慮してもらえれば有り難いです。

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本日、ネット環境のない実家に帰省しますので、今年の書き込みはこれが最後です。いろいろと楽しませていただいて有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。
前回の十番勝負は見送りましたが、今回は参加したいと思っています。帰京してからの参戦なので、完答できれば御の字でしょうが。

では、皆様良いお年を。
[73497] 2009年 12月 31日(木)21:59:28【1】88 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.16 市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について 2
[73447] oki さん
市制町村制施行時・明治の大合併時の、飛地の取扱いについてのご意見、どうもありがとうございます。
少なくとも明治合併期に関しては、本村部分、飛地部分の両方について同じように「○○村の一部」とする現在の表現方法は、改めた方が良いと思います。各村がどのように合併したのかが非常に分りにくくなる場合があるからです。
ご懸念はごもっともです。私自身、この点は問題があると思っていますので、基本的には全面的に同意します。しかし、その手法を採るには、大きく分けて2つの点で問題があり、方針として踏み切れなかったのです。これさえクリアできれば、対応したいのが本音です。
言い訳っぽくなってしまいますが、以下に述べます。

●1 「本体」「一部」「飛地」の判断基準及び表現方法について
[73436]でご紹介した兵庫県の例で具体的に書きます。M22.2.22兵庫県令第24号自体が「深江村」「深江村飛地」、「魚崎村」「魚崎村飛錯地」と表現していますので、本体云々については判断することはありません(仮にクレームがあっても「県令の表現どおり」と開き直ることができます)。
もっとも、この場合でも、
(1)「本体」と記載するか否か(ex. 深江村 or 深江村(本体) or その他)。
(2)「飛地」「飛錯地」の違いは何か。他の例で、これ以外の表現はないか。
(3)飛地ではないが他村に組み込まれる場合は「一部」でよいか。また、この場合、飛地か、飛地ではないか、はどのような方法で確認するのか。
同じく、和歌山県の例で述べます。M22.2.22付け和歌山県令第15号では「松嶋村ノ内○○」が西和佐村に、「松嶋村但○○ヲ除ク」が四箇郷村に、であるので、「松嶋村但○○ヲ除ク」の方が面積も広いと推察し、松嶋村本体であると「判断する」ことになります。
(4)本当に「本体」は四箇郷村となったのでよいのか(判断の確認)。仮に、今回の松嶋村の例はともかく、面積が大きくても表現しやすいので「△△村ノ内□□」という例があるのではないか。
(5)「本体」と表現するか否か(ex. 松嶋村 or 松嶋村(本体) or その他)。
(6)「松嶋村ノ内○○」は「松嶋村の一部」と表現するのでよいか。また、これは飛地なのか、飛び地でないのか。これをどのような方法で確認するのか。

兵庫県・和歌山県の例はほんの一部ですので、他府県の検証を含めて、表現方法の統一化などの検討が必要です。

●2 市制町村制施行時・明治の大合併時より後の市区町村変遷情報との整合について
上記1をクリアしたとして、方針が2つ考えられます。
例えば、H18.3.1付けで山梨県西八代郡上九一色村が、北部(梯,古関)は甲府市へ、南部(富士ヶ嶺,本栖,精進)は南都留郡富士河口湖町へと分かれて編入して消滅した件についての表現を、どうするか、です。
(a)市制町村制施行時も、それ以外も統一する。
・何らかの基準(人口、面積、旧町役場の位置、等)により、北部または南部どちらかが「本体」と判断する
→2分割は昭和の大合併では多数あり、3分割や4分割もある。同様に行おうとすると、現実には判断することが困難である。
(b)市制町村制施行時と、それ以外を別の方針とする。
←市制町村制施行は、それ以前の町村の状況が江戸時代の所有形態や村落状況などが複雑なままで特別な状況であることも背景にある。それ以降の合併と同一視することは適当ではない。
・本例ではそのままとする
実は、現在では「上九一色村(北部)」「上九一色村(南部)」と表記されています。実は、これは、グリグリさん or でるでるさんが市区町村変遷情報の黎明期に編集を行ったものであり、「一部」という表現は、私が編集作業に参加してから私が独自に使用を開始したような気もします。

(b)の方が現実的であるとは思います。しかし、将来の市区町村変遷情報の検索等のプログラム化・データベースとしての機能の活用を考えたときに、ダブルスタンダードというのを避けたい気持ちもあります。


この件につきましては、okiさんをはじめ、皆様のご意見をさらにいただければ幸いです。引き続き検討したいと思います。
[73753] 2010年 1月 7日(木)23:37:47【4】むっくん さん
Re:市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について
[73436][73497]88さん
市制町村制施行時等における飛地・入会地等の表記方法について、以下に私見を書きたいと思います。

市区町村変遷情報においては、市制町村制施行時もそれ以外のときも、各村の「本体」がどのように合併したのかが分かることが最も重要なのではないかというのが私の考えです。
とするならば、A村が市制町村制施行に際し複数の村(B村,C村,D村)に分かれたのであるならば、A村の本体がB村,C村,D村のいずれに行ったのかが一目で分かることがまず必要だと思います。そのため、
(1)「本体」と記載するか否か
ということに関しては勿論Yesで深江村(本体)などと表記した方が利便性が高いと思います。
もちろん一つの村の各字ごとに分かれる2分割や3分割や4分割がなされたためにどの部分が本体かが判断できない場合もあると思います。
その場合、例えば愛媛県(市制町村制施行時)の#124久米郡久米村のところでは、「南土居村の一部(字上組)」とでも表記すればよいのではないでしょうか。

そして「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法としては、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.(香川・愛媛県の部分はM23.6.))(第1冊第2冊)を使うのが良いのかもしれません。
明らかに本体とわかる部分には「○○村の一部」に相当する「○○村ノ内」との記載がありません。そして、どの部分が本体かが判断できない場合では複数箇所に「○○村ノ内」との記載となっています。
また本来は「一部」区域が存在するので「○○村ノ内」と書くべきところでも省略されている箇所もあります。これはおそらくかなり小さな区域なのではないかと推測します。
飛地については「飛地」全体である時は「○○村飛地」と記載されているようですが、東京府のように飛地でも一部区域にとどまる場合は「○○村ノ内」という表記になっているようです。
私が今まで見てきた範囲(少なくとも西日本の各府県)では上記のような編集方針であると私は推察します。

(2)「飛地」「飛錯地」の違いは何か。他の例で、これ以外の表現はないか。
大阪府では府令には記されていませんが「共有地」「錯雑地」という表現があります。(詳細は後述)
また徳島県では「飛入地」「差込地」という表現があります。(参考:県令第30号(M22.6.29))

(3)飛地ではないが他村に組み込まれる場合は「一部」でよいか。
に関しては「一部」でよいと思います。
またこれに関連してですが、飛地ではない一部地区及び飛地を含むところも「一部及び飛地」ではなくて「一部」とした方が「本体」の変遷を主とする立場からは分かりやすいのではないかと思います。
例えば愛媛県(市制町村制施行時)の#139周布郡小松村のところでは、「玉之江村の一部及び飛地」ではなくて「玉之江村の一部」との記載となります。
#ただし[73754][73755][73756]では県令第64号との照合の便宜を考え、「一部地域及び飛地」という表現にしています。

(3)(6)飛地か、飛地ではないか、はどのような方法で確認するのか。
飛地か飛地ではないかを、一々調べるのは実際上無理があると思います。
そこで主要部分の変遷に比して重要性が落ちることに鑑み、県令に記載があるところのみを市区町村変遷情報に記載すれば充分なのではないでしょうか。

最後に
兵庫県・和歌山県の例はほんの一部ですので、他府県の検証を含めて、表現方法の統一化などの検討が必要です。
ですが、一例として大阪府の市制町村制施行時の状況を紹介します。
大阪府史第七巻(編:大阪府史編集専門委員会、出版:大阪府、1989)には附図「市制町村制施行直前行政区画図(明治22.3.31)」があり、ここでは大阪府の市制町村制施行前(M22.3.31)と市制町村制施行直後の区域が記載されています。
ここでは例えば、(ア)唐崎村三島江村共有地、(イ)佐井寺村飛地、(ウ)千林村今市村錯雑地、といった共有地や飛地や錯雑地が記載されています。
しかし(ア)は唐崎村(本体)や三島江村(本体)と共に島上郡三箇牧村となり、(イ)は佐井寺村(本体)と共に島下郡千里村となり、(ウ)は千林村(本体)今市村(本体)と共に東成郡古市村となりました。そして(ア)(イ)(ウ)の類例もいずれもその本体の村々と共に同一村を構成することになりました。
ところが合併根拠の府令第17号では記載されていません。
これは、同一村を構成することになったために記載する実益がなくなり、意図的に省略されたものと推測されます。
このような事例をも念頭においておく必要もあります。

・余談1
本筋からずれますが、三重県のように自治体名ではない区域が根拠たる県令に書かれている場合があります(拙稿[70709]参照)。この場合をどのようにするかです。

・余談2
入会地は、薪炭用などの山林や、カヤなどを植えた草刈場ですから、面積は町村本体に比すると小さいでしょう。
大きさという観点でみますと、大阪府島上郡大冠村の一部となった“辻子村外2村錯雑地”は辻子村(本体)よりも面積は大きくなっています。同じようなことが「入会地」の場合についてもあるかもしれず、入会地の面積は町村本体に比すると小さい、とは必ずしも言えないかもしれません。

---------------
さて、色々述べてきました。
議論を発展させるには、実例を交えてみるのもいいのかもしれません。
というわけで、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・愛媛県でどうなるかを見てみました。修正依頼(実はこちらが主だったりする)もついでに行いつつですが。。。

次稿に続きます。

【1】「飛地」「飛錯地」以外の表記法について追記
【2】誤字修正
【3】「本体」「一部」「飛地」の判断基準の方法について追記
【4】誤字修正
[74035] 2010年 1月 24日(日)14:27:36【1】88 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.17 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について
飛地・入会地等の表記方法について
[73436]拙稿に関して[73447] okiさんからご意見をいただいていましたが、[73497]拙稿を受けてさらに[73753] むっくんさんでご意見をいただきました。
okiさん、むっくんさんに共通するのは、
★「従前の村の本体(主たる地域)の異動をわかりやすくする。表記上は、『本体』と『一部』とは明確に区別する」
ということに尽きるようです。これには、[73497]拙稿でも述べたように、私自身も基本的には異論はありません。
[73497]拙稿で触れた、
将来の市区町村変遷情報の検索等のプログラム化・データベースとしての機能の活用
については、今後の市区町村変遷情報の発展方向として重視しているのですが、具体化した際の微調整で済むと推測されることから、その時点での対応とし、現在の市区町村変遷情報の充実及びそれに付随しての検討課題の洗い出しとの観点で、まずは実行してみようと思います。懸念は当面ないものと思います。
>グリグリさん、でるでるさん、こう判断して試行してみます。将来のデータベース構想と整合しない面があれば、調整したいと思います。

お二方から、いろんな提言をいただきました。それを受けて、まずは見本として、香川県の市区町村変遷情報の編集作業を行ってみました(市制町村制施行時市制町村制施行時以降)。市制町村制施行時の廃置分合の根拠は、M22.12.12.28付け(香川)県令第84号です。それ以降の廃置分合も、昭和20年までは香川県立図書館で香川県報(公報)の香川県告示のマイクロフィルムを閲覧しコピーして持ち帰り、S22.5.3以降の官報に搭載されているものは官報情報検索サービスにより自治省告示等を確認しています。その他にも、適宜資料を参考としています。
以下にこれまで議論されてきた内容を反映してみた例を示します。
○市制町村制施行時(M23.2.15)の異動
(1)「飛地」と県令に明記されている例
 ・・・なし
(2)一部が他の市町村に含まれることになる例
・香川郡東浜村(本体は香川郡東浜村へ、一部は高松市へ)
・香川郡中村(本体は香川郡栗林村へ、一部は高松市へ)
・香川郡出作村(本体は香川郡多肥村へ、一部は香川郡百相村へ)
・山田郡高野村(本体は山田郡坂ノ上村へ、一部は山田郡三谷村へ)
・大内郡湊村(本体は大内郡白鳥村へ、一部は大内郡松原村へ)
・那珂郡津森村(本体は那珂郡六郷村へ、一部は那珂郡丸亀町へ)
(3)二分割される例
・三野郡本大村(川西と川東に二分割)
(川西は豊田郡一ノ谷村大字本大を経て観音寺市本大町(地図)
(川東は三野郡本山村大字本大、三豊郡豊中村大字本山(地番に乙を付す)、三豊郡豊中町(同)を経て三豊市豊中町本山(地番に乙を付す)(地図)

○市制町村制施行時以降の異動
(1)「飛地」と県告示等に明記されている例
 ・・・なし
(2)一部が他の市町村に含まれることになる例
 ・S30.1.1付けで綾歌郡川津村の本体が坂出市へ、一部が綾歌郡飯野村へ(川津村消滅)
 ・S30.4.10付けで三豊郡紀伊村の本体(大字丸井,大字福田原及び大字青岡)が三豊郡大野原町へ、一部(大字木之郷)が観音寺市
 ・S30.5.3付けで綾歌郡飯野村(本体)が丸亀市へ、綾歌郡飯野村(一部)が綾歌郡宇多津町へ(飯野村消滅)
 ・S33.3.31付けで仲多度郡象郷村(大字上櫛梨の一部、大字下櫛梨の一部)が善通寺市へ、仲多度郡象郷村(大字苗田の全部、大字上櫛梨の大半、大字下櫛梨の大半)が仲多度郡琴平町へ(象郷村消滅)
(3)二分割される例
 ・・・なし
(4)その他の例
 ・S24.1.1付け三豊郡観音寺町の一部(大字伊吹)が分立して三豊郡伊吹村発足

――――――――――――――――
市制町村制施行時以降の異動で、(2)の(3)の違いは微妙ですが、香川県では(3)は該当なしと判断しました。
三豊郡紀伊村は、M23.2.15に三野郡 丸井村, 福田原村, 青岡村, 木之郷村 の4村の合併。S30.4.10付けの廃置分合で、大字数では「三豊郡大野原町:観音寺市=3:1」なので、「紀伊村の本体は大野原町へ」「紀伊村の一部は観音寺市へ」という「判断」。現在はすべて観音寺市で、観音寺市大野原町丸井、観音寺市大野原町福田原、観音寺市大野原町青岡及び観音寺市木之郷町(参考地図)

綾歌郡飯野村は、M23.2.15に鵜足郡 東分村, 西分村, 東二村 の3村の合併。S30.5.3付けの廃置分合で、大字西分及び大字東二はすべて丸亀市へ。大字東分は「丸亀市:綾歌郡宇多津町=6:4」くらいの面積比で2市町に分かれ、大字数も鑑みてあわせて「丸亀市:綾歌郡宇多津町=2.6:0.4」くらいなので、「飯野村の本体は丸亀市へ」「飯野村の一部は宇多津町へ」という「判断」。現在は丸亀市飯野町東分、丸亀市飯野町西分、丸亀市飯野町東二及び綾歌郡宇多津町大字東分(参考地図

象郷村の例は、さらに複雑な例です。
(那珂郡象郷村は、M23.2.15に従前の苗田村,下櫛梨村,上櫛梨村が合併して発足し、それぞれ旧村名が象郷村の大字となりました。そして、S33.3.31付けの廃置分合です。
――――――――――――――――
● 総理府告示 第七十一号
市町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、香川県仲多度郡象郷村を廃し、その区域のうち次の区域を琴平町に、その他の区域を善通寺市に編入する旨、香川県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十三年三月三十一日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十三年三月三十一日
内閣総理大臣 岸  信介
仲多度郡琴平町に編入する区域
仲多度郡象郷村
大字苗田、
上櫛梨字上村、久保、木ノ股、楠、塞、土福、小路、大歳、薬師、
川西 1453甲の1から1454まで、1455の4、1455の6から1455の10まで、1459の2、1463の1から1463の6まで、1463の90、1463の17、1463の18、1463の21、1463の22、1463の25、1463の26、1464、
下櫛梨字北川、堀池、山南、山根、元日、馬場西、
船磐 277から345まで、351、352の1、353、355から363まで、365の1、366の1、367の1、1,490の2、1,490の5から1,490の19まで、1490の22から1490の25まで、
松ノ内 758の2から758の5まで、775の1から779の3まで、781から784まで、795、797から840まで、
川原 841の1から845の3まで、907から908の3まで、910から922の2まで、
平石 923甲から927の1まで、927の3から930まで、952から1040の2まで、
泉田 1291から1295まで、1308の1から1321まで、1325から1339の3まで、
上新田 1340の1から1340の7まで
――――――――――――――――
原文縦書きですが、適宜改行を補ったり、「一、四五三」との表記の地番を「1453」とする等見やすく補正しました。
#地番区域が小字単位ではなく大字単位であることもよくわかります。

さすがに市区町村変遷情報でこの地番を列挙することは適切ではないので、仲多度郡琴平町の詳細情報では、これを簡略化して、
象郷村の一部:大字苗田、大字上櫛梨字上村、久保、木ノ股、楠、塞、土福、小路、大歳、薬師、川西の一部、大字下櫛梨字北川、堀池、山南、山根、元日、馬場西、船磐の一部、川原の一部、平石の一部、泉田の一部、上新田の一部
としていました。
つまり、再度整理すると、・・・
・大字苗田はすべて琴平町へ(琴平町大字苗田)。
・大字上櫛梨の大半は琴平町へ(琴平町大字上櫛梨)、一部は善通寺市へ(善通寺市櫛梨町)。
・大字下櫛梨の大半は琴平町へ(琴平町大字下櫛梨)、一部は善通寺市へ(善通寺市櫛梨町)。
参考地図はこちら
総理府告示だけを見ると、大字上櫛梨と大字下櫛梨は、本体(大半)が善通寺市となったようにも解釈できますが、実態は上記地図のとおりで、琴平町が主です。
象郷村は、大字単位で見ると異動先は「善通寺市:琴平町=0.2:2.8」くらいであり、象郷村の本体は琴平町へ編入されたと判断します。
――――――――――――――――
三豊郡紀伊村、綾歌郡東分村、仲多度郡象郷村はすべて「本体」「一部」パターンと判断しましたが、象郷村の例では、総理府告示で地番を表示して例示した方が「本体」で、残余が「一部」に相当するものでした。こういう調査をするのは、全国的にはなかなか大変です。しかし、どこかで線を引かねばなりません。役場の所在地で判断するのも一つの方法ですが、判断材料としては弱いですし、調査自体が困難です。
上記に述べたような手法で、市区町村変遷情報の編集作業を全国展開をしてよいものかどうか。しばし、他府県への反映は保留し、皆様のご意見・ご感想をお伺いしたいと思います。
市区町村変遷情報の編集作業については、自明・唯一の「正しい」方針というものは存在せず、正確で、わかりやすく、利用しやすいものを追求して試行錯誤しているのが現実です。今後とも、皆様のご意見をお待ちしております。
[74123] 2010年 2月 10日(水)00:38:0888 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.18 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について(続)
[74035] 拙稿で、市区町村変遷情報における市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について、例として香川県の市区町村変遷情報(M23.2.15付け市制町村制施行時市制町村制施行時以降)の編集結果を具体的に示してみました。投稿後、「これでは具体的過ぎてルールがわかりにくい」、また、「やはり少し複雑すぎてわかりにくい(*)のでルールを変更しよう」と思いましたので、ここで改めて編集方針(案)をまとめてみました。ルール変更分の反映は、数日後に行いますので、よろしければ見比べてみてください。
(*)「市制町村制施行前の町村名等」「変更対象自治体名/変更内容」の欄に、町村名と併記して大字名を羅列するのは、「市区町村の変遷」の観点から、やはりバランスが悪いと感じました。

以下の記載例では、市区町村の変遷の「施行後:施行前」を表しています。
なお、根拠法令である府県令や総務省告示が確認できること(不可の場合は諸文献により確認できること)を条件とします。
●1 新設合併・編入合併の場合
■(1) 本体と一部(数筆、田数枚等)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち2%程度がB村へ、他の98%がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(一部)

■(2) 本体と飛地に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち飛地がB村へ、他がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(飛地)
(注:「飛錯地」などの場合もあり)

■(3) 本体と一部(概ね大字単位以上)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村の3つの大字のうち2大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村の一部

■(4) 2分割や3分割等であり、どの部分が「本体」であるかを判断することが不明な場合
ex.A村・B村・C村で、C村の2つの大字のうち1大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合
(C村は消滅、どちらの大字が主たる部分か判明しない場合)
A村:A村,C村の一部 / B村:B村,C村の一部

●2 境界変更の場合
■(5) 一部(数筆、田数枚等明らかに大字未満)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部がA村へ境界変更する場合
市区町村変遷情報対象外
※ただし、他の市町村の新設・編入と同一告示が根拠となる場合のみ、例外的に対象

■(6) 一部(概ね大字単位以上)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部(大字単位)がA村へ境界変更する場合
A村:A村,B村の一部

つまり、表現の使い分けは次のとおりです。
C村(本体):明らかに「本体」である(他の村等へ分離される部分が僅かに存在する)
→変遷を主眼として見るときには、単にC村と読み替えても大勢には影響しない
C村(一部):明らかに「一部」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村(飛地):明らかに「飛地」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村の一部:概ね「大字単位」以上である(他の村等へ分離される部分が大半であったり、大半部分はそのまま存続する)
→変遷を主眼として見るときには、当該情報に関しては村の一部分であるが、概ね近世村単位であることも多いので注意に値する

「C村(一部)」と「C村の一部」を使い分けするのが、現在までの入力作業を極力生かし(手直し箇所が少ない)、「本体」「一部」の意図を明確に表現でき、表示も鬱陶しく感じない程度のシンプルさを維持できるのがミソです。
皆様のご意見をいただければ幸いです。
[74139] 2010年 2月 11日(木)17:27:59【1】oki さん
市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法
[73436] [73497] [74035] [74123] 88さん
[73753] [73754] [73755] [73756] むっくん さん

しばらく本業が疾風怒濤でROM状態になっていましたが、上記の点は気になっていました。遅くなりましたが、私の考えを述べておきます。

最初の前提として、88さんが市区町村変遷情報を整理・入力されている基本的な目的は、「確実な資料をもとに、全国の自治体の廃置分合の変遷を明らかにする」ことだと思います。そして、現時点では明治大合併期が起点になっていますが、全国統一の史料が存在する天保郷帳(天保国絵図)の時点までは遡ることが可能である、と考えています。
この場合、常に天保郷帳時点の近世村に立ち戻って考えることが可能な状態にしておく、ことがベストであると思っています(これはかなり難しいことですが)。

以上を前提とした場合、第一に、市制町村制施行時とそれ以降とで分けて考える必要があると思います。第二に、市制町村制施行時に関しては、1.「本体と飛地等に分かれる場合」と、2.「本体が複数部分に分割される場合」を区別することが必要と考えます。

まず市制町村制施行時について。
1.本体と飛地等に分かれる場合:
「飛地等」としたのは、、むっくんさんが引用された徳島県の「差込地」などの例があるためです。飛地とは限らないので、一般化して「微少部分」と表現した方が良いと思っています。
いくつかの府県令を見ましたが、「微少部分」は、「番地単位」、「反別面積」、「字単位」で記載されることが多く、あるいは徳島のように「飛入地、差込地」等の表現をとっているため、本体と混同することはまずないと考えられます。
また、山梨県の場合、「山梨県令達全書」に「飛地ハ各其所在市町村ノ地籍ニ編入ス」とだけあって、飛地の具体的な記載がありません。この場合、飛地情報は不明なわけです。これから考えれば、微少部分の情報は県令等に記載のある場合、とせざるを得ないと考えます。
市区町村変遷情報での表現は次のようになるでしょうか。

香川郡多肥村:香川郡 出作村(本), 上多肥村, 下多肥村
(詳細情報で「出作村のうち字松ノ上、松ノ下、下町を除く」と記述)
香川郡百相村:香川郡 百相村, 出作村(微)
(詳細情報で「出作村(微少部分)は、字松ノ上、松ノ下、下町」と記述)

(本)は本体、(微)は微少部分の略です。(本体)、(微少部分)と記述しても構いませんが、見た目がうるさくなるので簡略な記載とし、どこかに注を付けておけばいいと思います。後でも示しますが、微少部分と「○○村の一部」との混同を避けたいので、(一部)などの記述には賛成できません。

市制町村制施行時により問題となるのは、微少部分ではなく、本体が分割されてそれぞれが「一部」となる場合で、これには主に次の2つの要因があると思います。
1)近世村そのものがいくつかの集落からなっており、町村制施行にあたって近世村の範囲が分割される場合
2)明治維新~町村制施行までに複数の近世村が合併して1つの村になっていたが、町村制施行にあたって元の近世村単位で分割される場合

1)の事例は少なからずあると思います。実際のところ、近世村が1つの集落から成る事例というのは畿内やその周辺を除くとあまり多くなく、複数の集落から成っているのが通例だからです(枝村が分割される場合もこれに含めます)。
事例を挙げます。現在の八戸市にあった浜通村ですが、明治合併時に、浜通村のうち湊、白銀の部分が大久保村と合併して湊村に、鮫、持越沢などが金浜村と一緒になって鮫村を構成しています(県令はこちら)。
現在は八戸市大字湊町、大字鮫町などに当たる場所です。

近世村県令の記載明治合併村現在の住所
浜通村浜通村ノ内湊湊村八戸市大字湊町など
同上浜通村ノ内白銀同上八戸市大字白銀町など
大久保村大久保村同上八戸市大字大久保
浜通村浜通村ノ内鮫鮫村八戸市大字鮫町
同上浜通村ノ内持越沢同上
同上浜通村ノ内二子石同上
同上浜通村ノ内白浜同上鮫町白浜の地名あり
同上浜通村ノ内深久保同上
同上浜通村ノ内種差同上八戸市大字鮫町字種差
同上浜通村ノ内法師浜同上鮫町法師浜の地名あり
同上浜通村ノ内大久喜同上鮫町大久喜の地名あり
金浜村金浜村同上八戸市大字金浜

浜通村は、湊、鮫など複数の集落からなる広大な村でしたが、これらの集落は実際上それぞれが村であり、浜通村はその総称と考えられています。
この場合、変遷情報での表現としては次のような形態をとれば良いと思います。

湊村:浜通村の一部、大久保村
(詳細情報で「浜通村のうち湊、白銀」と記述)
鮫村:浜通村の一部、金浜村
(詳細情報で「浜通村のうち鮫、持越沢、二子石、白浜、深久保、種差、法師浜、大久喜」と記述)

次に2)の事例では、先にも話題になった八幡浜浦があります。県令の記載では、西宇和郡八幡浜浦が「字本浦」、「字栗野浦」、「字向灘浦」に三分され、字本浦は単独で八幡浜町になり、字栗野浦は矢野町などと合併して神山村、字向灘浦は大平村などとともに矢野崎村を構成したことになっています。ところが、天保郷帳では栗野浦、向灘浦は八幡浜浦とは別の独立した村です(国絵図はこちら)。(※向浦ではなく向灘浦です)。
時期は特定できませんが、明治合併期までに八幡浜浦、栗野浦、向灘浦が合併して八幡浜浦を構成し、合併時に分かれたようです。
町村制施行時までに先行して合併が進められた山梨、岡山、宮城などの諸県では、このような事例が少なくないと思います(明治大合併期に下九一色村と上九一色村に分裂した九一色村もそうですね)。
この場合には、基本的に近世村単位で分割がなされるはずで、それぞれを「○○村の一部」とし、詳細欄にそこに含まれる地域(=近世村)を記述すればよいと思います。例えば次のように。

八幡浜町:八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字本浦」と記述)
神山村:矢野町, 八代村, 五反田村, 国木村, 八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字栗野浦」と記述)
矢野崎村:大平村, 高野地村, 八幡浜浦の一部
(詳細情報で「八幡浜浦のうち字向灘浦」と記述)

この場合、どこが八幡浜浦の本体か、にこだわる必要はなく、すべて「○○村の一部」とすればいいと思います。もともと独立した村だったわけですから。

以上の考え方で問題が生じるとすれば、「微少部分」が比較的大きい場合、あるいは微少部分なのか上記1)のような近世村内集落なのか区別できない場合はどうするか、です。端的に言うと、「分らない場合はすべて『○○村の一部』の表現をとる」ということで良いと思います。
詳細な歴史的経緯を調べているのでは、88さんに非常な負担がかかります。88さんが分る範囲で判断し、判断がつかない場合は「○○村の一部」としておいた上で、その旨を落書き帳に明記しておく。その部分は他の人が調べて88さんに報告する、とすれば良いと思います。
もちろん、私も調べて報告するようにします。現在、自発的に市区町村変遷情報をチェックされているむっくん さんも、これまで同様にフォローしてくれるでしょうし、ほかの方からの情報も入ると思いますので、それらをもとに88さんが判断して必要な場合に修正を加える、という仕組みにするのはいかがでしょうか。

以上のようにする場合、本体分割(または分割区分不明)を意味する「○○村の一部」と、「本体 対 微少部分」との混同は避けたいところです。したがって、「本体」の表現は常に「微少部分」との対の形で使用し、[74123]で88さんが提起された「○○村(一部)」の表現は使用しない方が良いと考えます。


次に市制町村制施行時以降の変遷ですが、本質的には上記と同様です。ただ、明治合併期以降は近世村が複数集まって一つの市町村が構成されているのが原則ですから、「微少部分とは近世村の範囲が分割された地域」と定義しておけば良いと思います。
つまり、大合併期以降の市町村が分割される場合、「近世村の範囲以下の部分とそれ以外」になる場合は「○○村(微)と○○村(本)」とし、それ以外(近世村単位で分割される場合)はすべて「○○村の一部」の表現でよいと考えます。例えば、徳島県の次の事例のように。

「○○村(微)と○○村(本)」の例
1954.03.31
新設 那賀郡富岡町:那賀郡 中野島村, 富岡町, 宝田村, 長生村, 大野村(本)
(詳細に「大野村は字妙見を除く」と記述)
編入 那賀郡羽ノ浦町; 那賀郡 羽ノ浦町, 大野村(微)
(詳細に「大野村(微少範囲)は字妙見」と記述)
※字妙見は、大野村を構成する3つの近世村(上・中・下大野村)のうち下大野村の小字で、那賀川以北の部分です

「○○村の一部」の例
1955.01.01
編入 徳島市:徳島市, 名西郡 入田村の一部, 名東郡 新居町
(詳細に「入田村の一部は大字入田」と記述)
編入 名東郡国府町:名東郡 国府町, 名西郡 入田村の一部
(詳細に「入田村の一部は大字矢野」と記述)

また、ここでも「判断がつかない場合は『○○村の一部』」の原則を適用します。つまり、[74035]で88 さんが事例にあげた仲多度郡象郷村は次の通り。

1958.03.31
編入 仲多度郡琴平町:仲多度郡 琴平町, 象郷村の一部
(詳細に次のように記述
「象郷村のうち次の部分を含む:
 大字苗田の全域
 大字上櫛梨の本体(字川西の一部を除く部分)
 大字下櫛梨の一部(字船磐、川原、平石、泉田、上新田の各一部を除く部分)
 大字上櫛梨、下櫛梨の残余は善通寺市へ」
編入 善通寺市:善通寺市, 仲多度郡 象郷村の一部
(詳細に次のように記述
「象郷村のうち次の部分を含む:
 大字上櫛梨の微少部分(字川西の一部)
 大字下櫛梨の一部(字船磐、川原、平石、泉田、上新田の各一部)
 大字上櫛梨、下櫛梨の残余は琴平町へ」

象郷村の場合は分割形態が複雑なので、琴平町に編入された部分を象郷村(本)、善通寺市部分を象郷村(微)とするより、上記のように両方とも象郷村の一部とし、それぞれの範囲を「詳細」に記述する方が良い、と私は考えます。が、皆さん色々な意見があると思いますので、決着がつくまではとりあえず「象郷村の一部」にしておけば良いのでは、という意味を含めています

かなりゴチャゴチャして分りにくい記述になってしまったので、もう一度簡潔に書きます。

明々白々に微少部分と本体に分かれる場合は「○○村(微)と○○村(本)」に。
それ以外はすべて「○○村の一部」
詳しいことは「詳細情報」に記述。

以上、ご参考になればと思います。
[75399] 2010年 6月 24日(木)23:15:16【1】88 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.19 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について(完結編)
たいへん遅くなりました。

昨年末から提起していた、市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法についての完結編です。
過去の関連記事はこちらです。oki さん、むっくん さん、いろいろとご意見をいただき、ありがとうございました。また、取りまとめが遅くなってしまい失礼いたしました。
次のとおり方針を確定させていただきます。
(大量の編集作業実施に際し微修正はあるかもしれませんが、基本スタンスは変えないつもりです。)

――――――――――――――――――――
正直言って、ほぼ[74139] okiさんの意見のとおりです。
「近世村」(≒大字)に主眼を置く、ということです。

1 市制町村制施行時(県令等で判断)
(1) ○○村(本)、○○村(微)
・ 「飛地」「飛入地」「差込地」等、明確に表現で「本体地域」「微小地域」を判断できる場合
・ 「地番」「反別面積」「字(小字)」など、範囲等が「本体地域」「微小地域」であることを推認できる場合
(2) ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
・ 近世村自体が2以上の集落で成り立っており、市制町村制時に分割される場合
・ 元々2以上の近世村が、市制町村制前に合併していた場合
・ 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
(※(1)か(2)かを迷うような場合は、「(本)」「(微)」ではなく、「○○村の一部」を選択する)

2 市制町村制施行時以降(府県告示、自治省告示等で判断)
(1) ○○村(本)、○○村(微)
・ 「近世村の範囲未満の部分」(○○村(微))と「それ以外」(○○村(本))となることが表現から判断できる場合
(2) ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
・ 近世村単位で分割される場合
・ (近世村単位ではないものの)大字単位で分割される場合
・ 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
(※(1)か(2)かを迷うような場合は、「(本)」「(微)」ではなく、「○○村の一部」を選択する)

――――――――――
[74035] 拙稿で、前回での案に基づき、香川県の市区町村変遷情報の編集作業を試行したことを述べました。
今回、改めまして、上記方針に合わせて再修正しました。この香川県の例と同様に、各府県へと展開していく予定です。どんな感じになるか、参考までにご覧ください。
市制町村制施行時(香川県)市制町村制施行時以降(香川県)

★市制町村制施行時(M23.2.15)
1 ○○村(本)、○○村(微)
(1)「飛地」と県令に明記されている例
 ・・・事例なし
(2)「地番」「反別面積」「字(小字)」など、範囲等が「本体地域」「微小地域」であることを推認できる場合
・(旧)香川郡東浜村・・香川郡東浜村は東浜村(本)、高松市は東浜村(微)
・(旧)香川郡中村・・香川郡栗林村は中村(本)、高松市は中村(微)
・(旧)香川郡出作村・・香川郡多肥村は出作村(本)、香川郡百相村は出作村(微)
・(旧)山田郡高野村・・山田郡坂ノ上村は高野村(本)、山田郡三谷村は高野村(微)
・(旧)大内郡湊村・・大内郡白鳥村は湊村(本)、大内郡松原村は湊村(微)
・(旧)那珂郡津森村・・那珂郡六郷村は津森村(本)、那珂郡丸亀町は津森村(微)
2 ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
(1) 近世村自体が2以上の集落で成り立っており、市制町村制時に分割される場合
・(旧)三野郡本大村・・豊田郡一ノ谷村は「本大村の一部」(川西)、三野郡本山村も「本大村の一部」(川東)
(川西と川東に二分割)
(2) 元々2以上の近世村が、市制町村制前に合併していた場合
 ・・・事例なし
(3) 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合
 ・・・事例なし
★市制町村制施行時以降
1 ○○村(本)、○○村(微)
(1) 「近世村の範囲未満の部分」(○○村(微))と「それ以外」(○○村(本))となることが判断できる場合
・S30.1.1付け(旧)綾歌郡川津村・・坂出市は川津村(本)、綾歌郡飯野村は川津村(微)
・S30.5.3付け(旧)綾歌郡飯野村・・丸亀市は飯野村(本)、綾歌郡宇多津町は飯野村(微)
鵜足郡飯野村(後の綾歌郡飯野村)は近世村である東分村,西分村及び東二村の3村の合併。このときに元の東分村が分割され、丸亀市へ編入された(旧)飯野村は現在の「丸亀市飯野町東分」「丸亀市飯野町西分」「丸亀市飯野町東二」。宇多津町へ編入された(旧)飯野村は現在の「綾歌郡宇多津町大字東分」(その後一部境界変更あり)(参考地図)
2 ○○村の一部、○○村の一部(※(本)(微)の区別をしない)
(1) 近世村単位で分割される場合
・S30.4.10付け(旧)三豊郡紀伊村・・三豊郡大野原町は「紀伊村の一部」(大字丸井,大字福田原及び大字青岡)、観音寺市も「紀伊村の一部」(大字木之郷)
※現在の「観音寺市大野原町丸井」「観音寺市大野原町福田原」「観音寺市大野原町青岡」「観音寺市木之郷町」(参考地図)
(2) (近世村単位ではないものの)大字単位で分割される場合
 ・・・事例なし
(3) 「本体地域」「微小地域」を推認することが困難なくらい大きい場合(※迷った場合はこちら)
・S33.3.31付け(旧)仲多度郡象郷村・・善通寺市は「象郷村の一部」(大字上櫛梨の大半、大字下櫛梨の大半)、仲多度郡琴平町も「象郷村の一部」(大字苗田の全部、大字上櫛梨の一部、大字下櫛梨の一部)
(4) その他
・S24.1.1付け、三豊郡観音寺町の一部(大字伊吹)が分立して三豊郡伊吹村発足
※大字伊吹は近世村では豊田郡伊吹島村

――――――――――
久々に、市区町村変遷情報の(一定規模の量の)編集作業及びちょっと長文の投稿となりました。「忘れかけていた『感覚』」を少し思い出しました。


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