『北朝鮮収容所死者数』
滋賀県版
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第2次世界大戦後、旧ソ連が現在の北朝鮮に開いた「第53送還収容所」で死亡した日本人抑留者869人の名簿が、ロシア連邦国立公文書館(モスクワ)に保管されていることが分かり、2015年4月2日の朝刊で読売新聞が名簿の一部を含め報道を行いました。また、この報道を受けて菅官房長官が同日午前の記者会見で、第53送還収容所で死亡した日本人抑留者869人の名簿について、ホームページなどで公表する方針を明らかにしました。
第53送還収容所は、ソ連が戦後、朝鮮半島北部の興南(現在の北朝鮮・咸興市興南地区)に設置、1947年4月にソ連領内のナホトカに移設されました。死亡者名簿はソ連閣僚会議(政府)の送還業務全権代表部が作成し、ロシア連邦国立公文書館(モスクワ)が保管してきたものです。名簿には、1946年11月20日から1948年5月25日までの死亡者の氏名、生年、出身都道府県、死亡日などのほか、軍人・軍属と民間人の区別、死因や埋葬場所なども含まれています。
送還収容所とは、ソ連軍参謀本部の指令で1946年11月から各地に設置したもので、強制労働を課した捕虜収容所とは役割が異なり、日本人捕虜や民間人を日本に送還する拠点となったものです。ナホトカ港に第380、南樺太の真岡港に第379、中国・遼東半島の大連港に第14、北朝鮮には興南港の第53と元山港の第51の収容所がありました。日本軍時代の捕虜収容所や学校、病院などが転用され、共産主義教育も行われました。
公開された情報から、都道府県別の死者数、民間人の内数、死亡時の年代別人数について整理しました。
出典:ロシア連邦国立公文書館(モスクワ)(読売新聞2015年4月2日報道より)
北朝鮮「第53送還収容所」死者数【死者総数】
降順(人)
1 | 東京都 | 51 |
2 | 熊本県 | 38 |
3 | 福島県 | 33 |
4 | 千葉県 | 32 |
5 | 北海道 | 31 |
| 新潟県 | 31 |
| 広島県 | 31 |
8 | 鹿児島県 | 29 |
9 | 福岡県 | 26 |
10 | 長野県 | 25 |
11 | 埼玉県 | 24 |
| 大阪府 | 24 |
13 | 岡山県 | 23 |
14 | 山形県 | 22 |
| 神奈川県 | 22 |
| 山口県 | 22 |
17 | 愛知県 | 20 |
| 兵庫県 | 20 |
19 | 群馬県 | 19 |
20 | 栃木県 | 18 |
| 愛媛県 | 18 |
| 大分県 | 18 |
23 | 岐阜県 | 17 |
| 香川県 | 17 |
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25 | 佐賀県 | 15 |
26 | 秋田県 | 14 |
| 静岡県 | 14 |
| 島根県 | 14 |
29 | 石川県 | 13 |
| 三重県 | 13 |
31 | 長崎県 | 12 |
32 | 茨城県 | 11 |
33 | 青森県 | 10 |
| 和歌山県 | 10 |
| 高知県 | 10 |
36 | 奈良県 | 9 |
| 徳島県 | 9 |
38 | 宮城県 | 8 |
| 山梨県 | 8 |
40 | 岩手県 | 7 |
| 福井県 | 7 |
42 | 滋賀県 | 6 |
| 京都府 | 6 |
| 鳥取県 | 6 |
| 宮崎県 | 6 |
46 | 富山県 | 4 |
47 | 沖縄県 | 3 |
| 合計 | 869 |
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出典:ロシア連邦国立公文書館(モスクワ)(読売新聞2015年4月2日報道より)
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