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じゃごたろさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65682]2008年7月6日
じゃごたろ

[65682] 2008年 7月 6日(日)14:56:10じゃごたろ さん
保存される自治体名
こんにはち、じゃごたろです。
南の地域から徐々に梅雨明けの便りを聞くようになりましたが、梅雨明け前の地域でも真夏のような暑さですね。本日は薄曇りの陽気です、昨日よりはちょっとマシといったところでしょうか。

さて昨日は久しぶりに県内での活動を実施してきました。今回新たに「道路元標」もその目的に追加しました。この道路元標ですが、東京の日本橋にある国道の起点を示すものが有名ですが、これはここに限ったことではありません。いろいろな都市に国道の起終点を示す道路元標が存在します。ですが実はこの「道路元標」、各市町村に設置されているのです。とはいっても大正時代の話ですが。

大正8年に公布された(旧)道路法では「道路元標」は道路の付属物とされ、さらに(旧)道路法施行令でその設置に関して触れられています。

(旧)道路法施行令第九条

道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク

長野県では大正11年に、当時存在した全市町村の道路元標の位置が定められ、告示されています。何しろ80年以上の前に定められたものですから、それらの中には道路工事や区画整理の過程で逸失したものもあるでしょうが、全市町村に道路元標が設置されたはずでして、現在でも多くのものが残されているようです。それ探しに行くという活動です。

収集する上でまずは、その位置をある程度狭い範囲に特定することが必要となってきます。先に述べたように位置は告示されていますから、それを現在の位置に変換するのが第一に肝要となります。大正11年と比較して、現在では存在しない自治体が多いですから。

以下南佐久郡にフォーカスしての話ですが、簡単なのは当時から合併等を経験していない自治体です。例えば南牧村。道路元標の位置は「大字海ノ口1693番地先」となっており、これはネット上の地図でも簡単に調べられました。

次は旧自治体名が地名として残されている場合。大日向村は現在の佐久穂町に含まれますが、佐久穂町の住所で調べることが可能です。「佐久穂町大日向」の地番を調べていくことで、おおよそ位置を限定することができます。これよりもちょっと手数がかかるのが、自治体名は消滅したがその字名が残されているものです。例えば畑八村がその一つです。畑八村は現在の佐久穂町の一部ですが、「畑八」という地名は見られません。しかし道路元標の位置は「大字畑字竹ノ下658番の2地先」とあり、「畑」は佐久穂町内に見られる地名です。これを頼りにして位置を知ることができました。

最も困難なのが住居表示を行っている地域です。大正時代の資料では地番しかわかりませんから、住居表示された地域のどこであるかを地図上で特定するのが難しいです。それでも諏訪地域では、ブルーマップ等の地籍情報を含む地図を閲覧することができて、おおよその場所を特定することができましたが、このような地図は一般の図書館でも所蔵している所が少なく、調査するのに手間がかかったりします。基本的に道路元標は役場や枢要な辻に設置されていることが多いので、現在の支所等の公的施設や、交差点を目安にすることになります。

一部不明な位置も残っていますが、これらの前準備を終えて収集活動へと移りました。昨日は南佐久郡の一部を訪れましたが、その勝敗はというと、

発見できた道路元標・・・川上村、南牧村、北牧村、小海村、南相木村、海瀬村、大日向村、畑八村、栄村
発見できなかった道路元標・・・北相木村、穂積村、青沼村、切原村、臼田町

と、9勝5敗でした。5敗の中でも、実際は存在するのに見つけられなかっだけというのもあるかもしれません。もっとたくさん発見できてもいいのじゃないかと思う反面、これだけ残されているのも喜ぶべきではないか、とも思ったりします。

地名としては現存せず、これまでは文献資料としてのみ触れることが可能であった旧自治体名が、こういう形で実物として実際に接することができたわけです。そして今後も県内に活動を広げていきたいと思うのでした。


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