都道府県市区町村 >ページの最後へ ▼

都道府県市区町村落書き帳 from 1999.11.21
都道府県や市区町村に関する話題や、地理全般に関して情報提供、雑談、ご質問など、なんでも自由に落書きしてください。都道府県市区町村へのご意見、ご要望、ご感想などもお待ちしています。なお、初めてご利用になる方は、最初に必ずガイドラインをお読みください。


| 都道府県市区町村 | 新着情報 | ランキングデータ | 都道府県データランキング | 都道府県プロフィール | 市区町村雑学 |
| 市区町村プロフィール | 自治体の広報メディア | データベース検索 | 地名コレクション | 面白データベース検索 |
| 市区町村変遷情報 | 市の変遷 | 経県 (経県値&経県マップ) | 国勢調査データ | hmtマガジン | 白桃市町村人口研究所 |
| 全国の市十番勝負 | 戦国市盗り合戦 | パズルとクイズ | 落書き帳アーカイブズ | 参考情報 | サイトマップ |

| 47都道府県のデータ | 北海道 | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 | 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 |
| 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 山梨県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 |
| 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 |
| 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 | 沖縄県 |

落書き帳ガイドライン書込便利機能書込ランキング記事数の推移番の記事へジャンプ
新規書込書込訂正記事検索過去ログメンバー紹介メンバー登録メンバー紹介編集オフ会記録

NEWS 16/9/25 富谷市誕生記念の第五回クイ図五番勝負は10月10日午前0時開始予定です
16/9/22 第13回落書き帳公式オフ会(熊本県小国町/大分県日田市)記録ページを公開
16/9/19 自治体の広報メディア(9月) 新規:25件/更新:2件
16/9/11 地名コレクション 更新 反対語(濁澄橋2件追加)
16/9/10 都道府県データランキング 新規 18-19歳投票率
16/9/7 hmtマガジン 特集更新 市街地乗り入れに成功した鉄道 米国統治下の沖縄
16/8/27 戦戦国市盗り合戦に 総領国別の獲得石高ランキングと総領主変遷 を追加
16/8/25 若年で当選した首長の一覧都道府県別リスト を追加
16/8/24 女性首長の一覧 に生年月日欄追加 および 就任日順リスト を追加

[91517] 2016 年 9 月 26 日 (月) 22:32:12 中島悟 さん
 オフ会とか、「ヶ」とか

御無沙汰しております。と言ってもオフ会には行ってるんですけどね。
皆様が九州にいらっしゃるというのに私が行かないわけにはいかないという変な責任感から、
18日も19日も休みが取れない中での強行参加で、豪雨の中出発してぎりぎり一次会前に到着。
クイズはもう諦めていましたが、まさかのお題ALL九州で俄然有利。思いがけず入賞。
そして朝食の途中での帰宅となりました。オーナーには色々御心配御迷惑すみませんでした。

帰りは慌てていたので、スナフキんさんからもらった地図を忘れてしまいました。
熊五郎さんにも、「GOM」が「KUMA」かなとか聞きそびれました。
EMMさんとは、技が長すぎるとかそんな話する間もありませんでした。
某四国のおじさま約一名様、アナタハン事件勃発かと思いました。
かぱぷうさん、今回酒が飲めなかったのですいかサイダーは有り難かったです。



[91483]mizutohさん
言われて改めて見返すと、確かに役場は吉野「ヶ」里町役場、駅は吉野「ケ」里公園駅と掲げてありました。
ではそれが正式なのかというと、
道路標識では吉野「ヶ」里公園駅になってたり、役場は概ね正しいが吉野「ケ」里町役場もたまにあったり。
で、役場に問い合わせてみると「え?大きい方じゃないの?」オイオイ・・・
ちゃんと調べてもらったところ、戸籍などには吉野「ヶ」里町となっているので小さい方が正しいのだが、
町としてはこの違いは、書体の違いやデザインの違い程度の認識しかないとのことでした。

[91516] 2016 年 9 月 26 日 (月) 20:09:20 伊豆之国 さん
 駅名関係レス諸々

[91500] 白桃さん
[91506] mizutohさん
[91511] デスクトップ鉄さん
旧国名以外が駅名の接頭に用いられる例は?
会津、伊那、知多、木曽、郡上、碧海
何か「大物」が抜けているようですね…それは「津軽」。
「津軽」を冠する駅は、JRに5駅(津軽新城・津軽浜名・津軽二股・津軽宮田・津軽湯の沢…この春までは「津軽今別」も仲間だったのですが<現・奥津軽いまべつ>)、私鉄の津軽鉄道に3駅(津軽五所川原・津軽飯詰・津軽中里)、弘南鉄道に2駅(津軽大沢・津軽尾上)、計10駅あり、旧国名以外の地名では「会津」につぐ大所帯になっています。
このほかで、旧国名・県名以外の地名(郡・市区町村名、旧地名、その他広域地名等)を冠する駅には、郡名に基づくものとしては、複数の駅がある「安曇」「魚沼」「佐久」と言ったところがありますが、それ以外では90年も昔に消えた旧村名をいまだに冠し続けている「千歳烏山」「千歳船橋」([90451])などは、稀有な例と言えるのでしょうか。

次に、デスクトップ鉄さんの「オフ会クイズ」(想定解:[91466]) ですが、その問三
読みがすべてア段の駅
JR以外ではいくつあるのか、調べてみようとしたのですが、全部調べ尽くすのにはよほど根気が要りそうなので、まず東京近辺だけでも、と…。「読み」は共通項が見えやすいよう、ローマ字で示しました。

駅名読み路線所在地
多摩川Tamagawa東急東横線東京都大田区
田奈Tana東急田園都市線横浜市青葉区
長原Nagahara東急池上線東京都大田区
座間Zama小田急小田原線神奈川県座間市
栢山Kayama同上神奈川県小田原市
幡ヶ谷Hatagaya京王本線東京都渋谷区
中河原Nakagawara同上東京都府中市
山田Yamada京王高尾線東京都八王子市
浜田山Hamadayama京王井の頭線東京都杉並区
神奈川Kanagawa京急本線横浜市神奈川区
八坂Yasaka西武多摩湖線東京都東村山市
多磨Tama西武多摩川線東京都府中市
朝霞Asaka東武東上線埼玉県朝霞市
若葉Wakaba同上埼玉県坂戸市
高坂Takasaka同上埼玉県東松山市
多々良Tatara東武伊勢崎線群馬県館林市
Agata同上栃木県足利市
鎌ケ谷Kamagaya東武野田線千葉県鎌ケ谷市
赤坂Akasaka東京メトロ千代田線東京都港区
上毛電鉄群馬県前橋市
富士急山梨県都留市
中川Nakagawa横浜市地下鉄ブルーライン横浜市都筑区
中田Nakada同上横浜市泉区
高田Takata横浜市地下鉄グリーンライン横浜市都筑区
和田河原Wadagawara伊豆箱根鉄道大雄山線神奈川県南足柄市
穴川Anagawa千葉都市モノレール千葉市稲毛区
永田Nagata秩父鉄道埼玉県深谷市
山名Yamana上信電鉄群馬県高崎市
花輪Hanawaわたらせ渓谷鉄道群馬県みどり市
多田羅Tatara真岡鉄道栃木県市貝町
笹原田Sasaharada同上同上
川奈Kawana伊豆急静岡県伊東市
…ざっとここまで調べ上げましたが、まだあるかも知れません…。

「八田」とか「神田」がNGだとすれば、「っ」とか「ん」とかはそれだけで1音に発音されるから、と理解できるのですが、微妙だと思うのが「高茶屋(Takachaya)」(JR紀勢本線・三重県)。拗音(小文字の「ゃ・ゅ・ょ」)を含む場合、前のカナと一緒に1音に発音されるので、「た・か・ちゃ・や」と4音ということになり、ローマ字で書くとわかるように母音は全て”a”。こういう場合の扱いはどうなるのでしょうか?

それから、問一のほうですが、
大河原 JR東日本 宮城
松島 JR東日本 宮城
失礼ながら、今までどちらも「〜ちょう」だと思い込んでいました…。宮城の松島町は「ちょう」で、熊本県にあった松島町(現・上天草市)は「まち」だと覚えていました…。迂闊ながら今ここで宮城のほうも「まち」だと知ったのでした。宮城県の「町」の読みに「まち」「ちょう」が混在していることは以前から知ってはいたのですが、震災報道で「南三陸チョウ」「女川チョウ」が連日のように報道されていたので、それで宮城県は圧倒的に「チョウ」だと染み付いていたのでした…。先日投宿した蔵王町(まち…こちらも「ちょう」だと思い込んでいた)の遠刈田温泉のリゾートホテル([91505])、パンフレットにあった住所の英語表記を見ると"Zao-cho"となっていました。地元でも「ざおうちょう」だと思っている人もいるのでしょうか?

[91515] 2016 年 9 月 26 日 (月) 18:52:19 hmt さん
 謎の駅名・中部天竜(続続編)

[91511] デスクトップ鉄 さん
「大事典」によると、「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称は、三信鉄道買収時(1943/08/01)となっています(鉄道省告示204号)。
(中略)
#鉄道省告示204号は、国会図書館のデジタルアーカイブで読めます。
官報(昭和18年7月26日)のコマ番号3からの記事で、買収した飯田線の営業開始の告示です。中部天龍にちゆうぶてんりうとフリガナを振っています。ここでまた新たな疑問が。「大事典」も中部天竜としていますが、天龍が天竜に変わったのはいつなのか。

昭和18年7月26日鉄道省告示第204号により、私鉄買収【飯田線関係4社、千歳線関係1社】と昭和18年8月1日からの運輸営業開始が告示され、飯田線の中部天龍(ちゅうぶてんりゅう)駅が 4/15コマに記載されていることを確認しました。

これにて、[43937]で記した 三信鉄道の中部天龍(なかっぺてんりゅう)→鉄道省線の中部天龍(ちゅうぶてんりゅう)という変化を 公式文書で確認することができました。感謝。

さて、天龍→天竜については、『時刻表名探偵』(石野哲 1979)p.240-【字体の話】にあるように、昭和29年(1954年)の当用漢字補正資料に基いて国鉄が字体を変更した結果であると思われます。
少し長文ですが、石野さんの本を そのまま引用しておきます。
------------------
「條」は「条」の旧字体である。四条畷駅と五条駅の開業したのは戦前だから、鉄道公報は当然「條」で出ている。戦後の昭和21年11月16日「当用漢字表」が告示されたが、これが新字体となるのは24年4月28日の「当用漢字字体表」の告示によってで、国鉄の駅名も、当用漢字にある漢字は、自動的に新字体に読み替えられた(公報を出し直してはいない)。四條畷、五條も、四条畷、五条となった。さて市名の方だが、五條市の市制は昭和32年、四條畷市は45年で、新字体以後のことである。従って、意識的に「條」の字で市名を決めたことになる。中條、東條という苗字もあるから、「條」と「条」を別字と意識する気持ちもわからないではない。
戦後の開業なのに、意識的に旧字体を使っているのは山陰本線餘部(あまるべ)(餘は余の旧字体)。同じ兵庫県の姫新線余部駅と区別するためで、例外中の例外である。(余部=昭和5年、餘部=昭和34年)。
「竜」は当用漢字ではないが、当用漢字補正資料(昭和29年3月15日)で、将来当用漢字に追加すべきものとされた字=通称「補正漢字」(告示までいかなかったので法律上の効力はない)の一つ。これによれば、「竜」の旧字体が「龍」となっている。国鉄ではこれにならい、戦前に開業した、天龍川、中部天龍、天龍峡、龍王、龍野、本龍野、龍田、肥前龍王、潜龍、龍田口、龍ケ水は、すべて龍の字を竜に読み替えた。戦後開業の「竜」のつく駅は三つあるが、これは鉄道公報を尊重して、龍岡城、龍ケ森、九頭竜湖と使い分ける。結局、「竜」12対「龍」2。
------------------

前述のように、1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。

確かに、三信鉄道の駅が最初にできた地名は静岡県磐田郡佐久間村半場であり、初代佐久間駅は村名に基づくものだったでしょう。
しかし、鉄道は近々延伸され、第2の駅を佐久間にも作ることを考えると「佐久間」の駅名に固執することは賢明でない。
改称するとなると旧村名の「半場」か? 地形図を見ると 天竜川右岸の半場は大部分が山地で、平地は限られている。
駅のある半場の対岸・天竜川曲流部にある中部(なかっぺ)も広い平地とは言えないが、佐久間・浦川と結ぶ街道が通っており、拠点性がある。そんなことから駅名に選ばれたのではないでしょうか。

このようにして、1935年5月には早々と中部天龍駅への改称が実現。でも1936年11月の延伸時に佐久間に作られたのは佐久間水窪口停留場という名でした。これが1941年2月に貨物も扱う一般駅に昇格後、2代目佐久間駅を名乗るようになったのは、1941年11月でした。

混乱した過去記事整理の意味も含め、この駅と隣駅に関係する変化を年表に記し、まとめとします。

1934/11/11 三信鉄道延伸開業:三信三輪【現・東栄】- 佐久間【現・中部天竜】間 (11.1km)
1935/05/24 改称:【初代】佐久間→中部天龍(なかっぺてんりゅう)
1936/11/10 延伸開業:中部天竜-天龍山室【1955廃止】間(7.2km)
  この時佐久間村佐久間に佐久間水窪口停留場開業
1937/08/20 大嵐-小和田間 (3.1km) を最後に三信鉄道全通。私鉄4社により豊橋-辰野間全通。
1941/11/15 改称:佐久間水窪口→【現】佐久間
1943/08/01 伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道を買収国有化。鉄道省飯田線
  4/15コマ:中部天龍ちゅうぶてんりゅう、佐久間さくま
1949/04/28 当用漢字字体表【該当する文字は、これに基づく新字体に変更】
1953/04/16 電源開発【Jパワー】佐久間発電所着工
1954/03/15 当用漢字補正資料に基づく新字体への変更:中部天龍→中部天竜
1955/11/11 佐久間ダムで水没する 旧線・佐久間-天龍山室-大嵐間 (13.3km) を廃止
  東側の水窪谷を遡り大原トンネルで戻る新線・佐久間-水窪-大嵐間 (17.3km) が開業
1956/04/23 佐久間発電所運用開始
1991/04/21 東海旅客鉄道が佐久間レールパーク開館
2009/11/01 佐久間レールパーク閉館

[91514] 2016 年 9 月 26 日 (月) 13:41:56 山野 さん
 姉妹都市提携の解消

皆さん、今日は。
文字数は多いが、中身は大した事の無い内容ばかりの「山野」です。

(本題)
篠山市はギリシャのとある地区と、姉妹都市提携してたそうだが12年前から音信普通の為提携休止を検討中だとか。
他にも。相模原市の場合、7月末提携していたというカナダのある都市の市長から提携解消の通告が来たとか。
まぁ、此処で書く様な内容でもありませんが。

(序で)
さて、来月10日「富谷市」が発足します。告示済みの此処は置いといて、
そろそろ国勢調査の確定値が出る時期だと思うんだが、もう1つの単独市制候補の結果はどうだろうか。
速報値では「5万29人」という何とも微妙な数字だったN町。
前回の国調時の速報値で「5万80人」という、これまた何とも怪しい数値が出て来た町があったが、
その後の再調査で「水増し」が発覚し、帳消しになったH町(確定値:4万9800人余)がありました。
今回の速報値では「4万9200人余」。
さて、此の微妙な数値のN町の是非は、どちらになるだろうか。

[91513] 2016 年 9 月 26 日 (月) 13:18:39 Takashi さん
 川崎市内陸部の工場群

[91482] ニジェガロージェッツさん

お住いの川崎市についてのご説明もございましたが,小生のような部外者にとって,川崎市の工場地帯のイメージは川崎区のそれにありました。

ここの落書き帳に出入りされている皆様でも川崎市の工業地帯のイメージは川崎区のそれにあることは市民の私でも当然のことと考えております。

実際、川崎区の主に臨港部にいわゆる京浜工業地帯の大工場群が立ち並んでおり、それらのおかげで川崎市の工業生産額の78%を川崎区が絞めています(2014年)。

その一方で川崎市の幸区から高津区にかけての多摩川沿いの平坦地に1930年代から大企業の工場が進出し、そのいくつかは現在撤退したものもありますが、東芝三菱ふそうNEC富士通富士通ゼネラルは今も操業中です。

この結果三菱ふそう、NEC、富士通の工場のある中原区の工業生産額は川崎市全体の12%を占めるようになりこれは川崎区に次ぐ2位の額となっています。

とは言ってもリンク先の地図を見ればおわかりのようにそれぞれの工場が互いに近いところにあるというよりは工場進出後に宅地化された地域の中に大きな工場があるという感じなのであまり工場地帯というイメージは受けないと思います。

[91512] 2016 年 9 月 26 日 (月) 11:04:23【1】 Takashi さん
 中部天竜

[91507] hmtさん
[91511] デスクトップ鉄さん

1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。

1936年に現在の浜松市天竜区佐久間町佐久間に佐久間水窪口駅→佐久間駅ができることとの兼ね合いで1935年に改称したものであるものとうかがえます。それにしても天竜がなぜ付くようになったのかは未だにわからないのですが。

中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。

この辺りの25000分の1地形図の図幅名として「佐久間」を使用できないのはすぐ北の地域をカバーする25000分の1地形図の図幅名が浜松市天竜区佐久間町佐久間を範囲に含む「佐久間」であることが影響しているものと思われます。中部天竜駅と佐久間駅の間に25000分の1地形図がカバーするエリアの境界線があるのですね。また、中部(なかっぺ)が図幅名に用いられたのはここのエリアを含む25000分の1地形図でもっとも大きな集落の名前を採用したものではないかと思われるのですが、地形図だけでは本当に大きいかどうかはわかりません。

[91511] 2016 年 9 月 26 日 (月) 09:42:52【2】 デスクトップ鉄 さん
 中部天竜他

[91503] Takashi さん
[91507] hmt さん
Wikipediaの記事は、「停車場変遷大事典」(JTB、1998)に準拠しています。
訓読みの「なかっぺ…」から音読みの「ちゅうぶ…」に改称した時期について、[43937]では戦時買収に伴うものと記しましたが、Wikipediaによると 1942年【買収の前年】届出とあり、出典も記されていました。
「大事典」によると、「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称は、三信鉄道買収時(1943/08/01)となっています(鉄道省告示204号)。Wikipediaの記事は、その正誤表である梁山泊会所告示(5)に、「S17(1942).03.24届出。<典拠:三信鉄道営業報告書>」とあるのを引用して、
1942年(昭和17年)3月24日 - 中部天竜駅(ちゅうぶてんりゅうえき)への改称を届出[2]
としていますが、これは、佐久間から中部天竜への改称(1935/05/24)を届け出た日です。「なかっぺ」から「ちゅうぶ」への改称日は、買収時の1943/08/01が正当で、「日本鉄道旅行地図帳7号東海」(新潮社、2008)の改称日もこの日になっています。鉄道省が「中部」の読みを知らずに、「ちゅうぶ」とした可能性もあります。
前述のように、1934年三信鉄道開業時は佐久間駅で、所在する佐久間村からの命名です。なぜ、これを中部天竜に改称したのかも疑問です。中部(なかっぺ)村は、1989年3月の市町村制施行時に佐久間村を構成した旧村ですが、25000分の1地形図の 図幅名に使われるくらい著名な地名だったのでしょうか。

#鉄道省告示204号は、国会図書館のデジタルアーカイブで読めます。
官報(昭和18年7月26日)のコマ番号3からの記事で、買収した飯田線の営業開始の告示です。中部天龍にちゆうぶてんりうとフリガナを振っています。ここでまた新たな疑問が。「大事典」も中部天竜としていますが、天龍が天竜に変わったのはいつなのか。

[91500] 白桃 さん
[91506] mizutoh さん
会津、伊那、知多、木曽、郡上、碧海
木曽を除くと郡名ですね。南北や上下に分かれているところもありますが。
ただこの場合、旧郡名の「碧海」が冠された駅名という捉え方とは別に、以前名鉄西尾線を保有していた「碧海電気鉄道」の会社名を接頭語に使用したという考え方も可能です。
西尾口駅は、1928年碧電西尾口(仮駅)として社名を冠して開業、その後1933年碧海西尾口に、1944年西尾口に改称されました。碧海古井、碧海堀内、碧海桜井は1926年の開業時から「碧海」でした。したがって、「碧海」は会社名ではなく、郡名と思われます。

[91510] 2016 年 9 月 26 日 (月) 09:37:44 白桃 さん
 Re:碧海古井

[91509]ぺとぺと さん
それにしても、なぜ1駅だけ改称しなかったのでしょうね。所在自治体も同じなのに。2駅を改称した理由よりもそちらの方が気になります。
あのあたりはよく知らない土地にもかかわらず、横合いから口を出してすみません。
最初は同名回避からではないかと単純に考えていましたが、美濃加茂市の「古井駅」は「こび」と読むのですね。(初めて知りました。)
それに、変更になった「桜井駅」は奈良県桜井市にも、大阪府箕面市にもあるので、同名回避というのは理由になりません。
結局、南桜井駅ができたときに、「碧海桜井」をいっそのこと「桜井」で良いのじゃないか、ついでに「碧海堀内」を安城市が造った公園に敬意を表し「堀内公園」にしたのではないでしょうか。
つまり、「碧海古井」については改称する積極的理由がなかった。
まさか、安城町が成立したときに加わった「古井村」より、安城市成立後にが編入した「桜井町」を重んじた訳ではないでしょう。

[91509] 2016 年 9 月 26 日 (月) 07:18:05 ぺとぺと さん
 碧海古井

[91506]mizutohさん
実際、同路線にかつて存在した「碧海」の付く2駅も2008年に改称されています。
全て改称されたのだと勘違いしていましたが、1駅だけ残っていたのですね。それにしても、なぜ1駅だけ改称しなかったのでしょうね。所在自治体も同じなのに。2駅を改称した理由よりもそちらの方が気になります。

[91508] 2016 年 9 月 26 日 (月) 03:21:26【1】 ニジェガロージェッツ さん
 神戸市についての書き込みを続けます

I. 長田区について

[91496] ペーロケ さん
その頃はちょうど新長田駅前の再開発ビルが建設中で、周囲も焼野原から復興に向けて加速していた頃と記憶しています。すべて元通りにはならないけど、街が発展する、いい方向へ向けて進んでいる、と、当時の私の目にはそう感じていました。しかし、見た目には綺麗な建物が建ち、街が発展しているように見える一方で、ケミカルシューズ業界がそれほどまでに元気がない状態のままとはショックです。


当時,でるでるさん,両毛人さんと共に,新長田駅前から大丸新長田店(平成25年1月閉店,同年9月,東急プラザ新長田開店)に入り,新長田一番街から大正筋商店街へ向った記憶があります。いずれも,当時神戸市が進めていた新長田駅南地区震災復興再開発事業のエリア内です。皆さんと一緒に歩いた平成15年9月当時では,新長田一番街では再開発着手前(平成19年頃完成),大正筋では再開発ビルが完成間近(平成15年11月頃完成)で,まだ復興途上の夢のあった時代でした。
神戸市の計画では,新長田駅から大正筋の南端までの7〜800メートルほどの空間に,10棟以上の再開発ビルをつなげ,地下,地上,2階の三層構造での商店街の建設で,その通りのものが完成しました。しかし,そもそも人口の減少している長田区において,商店街においても人通りはまばらで,地上1階のメインストリートでさえ,各商店の経営難からシャッター街になろうとしているさまで,特に2階部分には人通りはなく,当初より分譲は埋まらず,今では非常に厳しい状況になっています。市では対策として,売れなかった店舗を格安の家賃での賃貸に切り替えたため,不動産価格の暴落が起こり,既に分譲で購入した商店にとっては,本来ならば最終手段として店舗を売却することも出来たものが,それも無理となって困窮している状況と言われています。これを,学者は「復興災害」と呼んでいます。

なお,ペーロケさんに新長田でお会いしたあの日に,皆さんには「長田村」と揶揄される,長田区のディープな部分をご案内していません。
この新長田駅南再開発事業区域からは,ケミカルシューズ業界は完全にシャットアウトされました。事業区域内の若松町3,4丁目一帯は,昔からケミカルシューズの卸売問屋が集積していた地域で,「長田村」[91427]のコアとなる部分を形成していましたが,震災では一様に焼け野原となり,再開発を機に神戸市はこれを潰した格好です。これも長田のシューズ業界凋落の大きな原因となったと言われています。

II. 灘区について

東灘区と灘区の違いを一言で表す、となるとなかなか難しいです
灘区と東灘区の違いを一言で表すと,インナーシティ(灘区)と,そうでない街(東灘区)です。
灘区の区域は,昭和4年に神戸市に編入されたのですが,その翌年の昭和5年国勢調査では区人口85,909人だったのが,神戸市が人口100万人を突破した昭和14年(後述します)には16万人になっています。つまり,街並みのベースとしては,戦前期に市街地化が完了した地域であり,数次にわたる神戸大空襲による市街の破壊を経た直後の,昭和20年11月1日の人口調査でさえも70,636人の人口が記録され,昭和45年国勢調査の170,730人が最盛期人口となりました。
その後は震災に至るまで人口は減り続け,その推移は,程度の差こそあれ,インナーシティ問題がより深刻であった長田区のそれ(拙稿[7736])に似ています。

一方,東灘区においては,昭和50年代に人口増加の停滞を経験したものの,大幅な減少はありません。平成になってからは六甲アイランド完成による人口増加がありますが,それを差し引いても,震災による減少以外では微増傾向が続いています。

このように,人口推移を見れば,両区の性質が全く異なっていることが窺えます。これは数値化されたその街の履歴ですから,その違いは街並みに表れます。灘区が東灘区よりも古い市街地であることから,今でも庶民的な雰囲気の残る街並みが感じられます。
また,神戸市全体の発展から見た場合,灘区は「中央5区」,すなわち,戦前の神戸市域を形成した,現在の須磨区,長田区,兵庫区,中央区,灘区の一つであり,神戸市街と一体となっての発展した経緯から,昔の葺合区(現在の中央区東部)の延長にある街の印象が濃いと感じます。実際,震災前は葺合区脇浜海岸通に川崎製鉄阪神製造所と神戸製鋼所脇浜工場が,その東隣の灘区日出町に神戸製鋼所岩屋工場と続き,西郷の酒造地を挟んで,東には神戸製鋼所神戸製鉄所がある,鉄鋼の街の印象があります。

東灘区は戦前期には神戸市外で,酒造業も栄えた裕福な土地柄で,特に住吉村は関西財界のお歴々が居を構える「お金持ちの村」として有名でした。神戸市編入は昭和25年のことですが,街並みのベースには戦前の裕福な時代ものがあり,今でも高級住宅街として認識されています。

ですから,小生には,ペーロケさんのように灘区と東灘区を同じようなイメージにはどうしても持てないでいます。確かに,海岸沿いには工業地帯で,共に酒造地がある。住宅地には南から阪神,JR,阪急が並行して走り,阪急線の北側には灘区に神戸大学を筆頭に学生街が,東灘区に甲南大学を筆頭に,などと,表面的には似ているのかもしれません。

震災後は,灘区は復興の過程でインナーシティ問題を克服しつつあると推測され,人口は復興後も増え続けており,今では昭和57年頃の人口にまで戻っています。最盛期の17万人まではさすがに無理でしょうが,場合によっては14万人を超えるところまで回復すると思料します。
以下,両区の人口データを提示します。比較の参考までに長田区の人口も添えておきます。
---------------------------------------
調査日灘区人口東灘区人口うち六甲Is.備考長田区人口
1930.10.185,90960,102昭和5年国勢調査181,015(林田区)
1935.10.1128,18670,240昭和10年国勢調査216,213(林田区)
1940.10.1155,49887,191昭和15年国勢調査229,356(林田区)
1945.11.170,63655,349人口調査112,992
1950.10.1114,40183,937昭和25年国勢調査167,109
1955.10.1138,214108,464昭和30年国勢調査189,806
1960.10.1155,694134,342昭和35年国勢調査202,266
1965.10.1168,973155,898昭和40年国勢調査214,325
1970.10.1170,730171,109昭和45年国勢調査210,066
1975.10.1157,892183,836昭和50年国勢調査185,971
1980.10.1142,312183,284昭和55年国勢調査163,949
1985.10.1133,746184,738昭和60年国勢調査148,590
1990.10.1129,578190,3545,136平成2年国勢調査136,884
1995.1.1124,538191,716震災95.1.17直前の推計人口129,978
1995.10.197,470157,59914,200平成7年国勢調査96,807
2000.10.1120,505191,30414,833平成12年国勢調査105,467
2005.10.1128,050206,03717,711平成17年国勢調査103,791
2010.10.1133,451210,40818,837平成22年国勢調査101,624
2015.10.1136,130213,727平成27年国勢調査速報値97,952
2016.9.1136,627214,190推計人口97,271
【註】東灘区人口は,1945年までのものは武庫郡御影町,住吉村,魚崎町,本山村,本庄村の,1950年のものは東灘区と武庫郡本山村,本庄村のそれぞれ合計値。六甲アイランド人口は町丁別人口より算出できるものは提示した。埋め立て途上の1985年の人口は不明だが世帯数1の記述あり。
また,灘区と東灘区(および兵庫区)との境界は,昭和47年6月1日の「六甲山移管」により,山域で灘区が拡大する形で変更があった。
戦前の長田区人口は林田区のもので代用した。ただし林田区と長田区ではその区域が大幅に異なる[75507]
---------------------------------------

ところで,余談ですが,震災後に新都心「HAT神戸」として生まれ変わった,製鉄所の跡地である中央区脇浜海岸通から灘区日出町にかけて,脇浜海岸通は町名をそのままに1,2丁目に分割したものの,日出町は摩耶海岸通と改称したうえで1,2丁目に分割されています。
なんで町名変更したんでしょう?「日出町」のほうが画数も圧倒的に少なく,悪い名前でもなかったろうに。

追記1:
「神戸市が人口100万人を突破したのは昭和14年?」

国勢調査では,神戸市人口が100万人を超えたのは,昭和35年調査で初めて達成したことですが,神戸市では,それを昭和14年であると言っています。(近代神戸略年表)
これは,神戸市の推計人口によるもので,昭和14年10月1日のものを下表に提示しておきます。
市区昭和14年10月推計人口昭和15年10月国調人口面積km2
神戸市【8区】1,006,100967,23483.06
林田区242,200229,35610.60
灘区160,000155,49819.48
兵庫区152,100149,3634.00
葺合区129,400123,8467.56
須磨区109,600113,21224.74
神戸区92,70079,8507.68
湊東区67,80062,3822.04
湊区52,80053,7276.96

現在の「中央5区」に相当する,狭い旧市域のみでの100万人です。しかも面積の4割ほどは山域です。
昭和15年国調人口では,100万人を割りましたが,その後,昭和16年4月に明石郡垂水町(昭和15年国調人口23,140人,面積31.99km2)を須磨区に編入し,同年の10月推計の神戸市人口は1,003,200人(面積115.05km2)となり,再び100万人を突破しました。しかし,昭和17,18年の推計人口は公表されず,昭和19年2月22日人口調査では,918,032人に減少しています[75507]

次に再び人口100万人の回復が記録されたのは,昭和31年10月1日の推計人口になります。昭和30年国調人口と合わせて,次に提示しておきます。
市区昭和30年10月国調人口昭和31年10月推計人口面積km2
神戸市【8区】981,3181,003,807492.42
兵庫区213,427217,985223.31
長田区189,806192,5088.60
灘区138,214141,00518.43
東灘区108,464112,15028.21
垂水区95,22597,341170.80
生田区81,54083,1098.20
須磨区80,08382,67025.38
葺合区74,55977,0399.49
【註】神戸市および兵庫区の昭和30年国調人口,面積には,昭和30年10月15日編入の有馬郡長尾村(同人口2,013人,面積13.07km2)を含む。現市域と比べると,北区淡河町は美嚢郡淡河村,上淡河村で市外である。


追記2:
ペーロケさんへ

お忙しい中,拙稿へのレス恐縮です。拙[91491]では,ペーロケさんのご質問の真意がわからず,特に後半ではきつい表現になってしまいました。
小生へのレスなど全く急ぎませんから,どうぞ,お時間のある折に,お考えが纏まってから,ご寄稿いただければ幸いでございます。
拙稿[91386][91427]にしても,投稿まで2週間以上の時間をかけて書いています。

記事訂正【1】昭和30年,昭和31年の神戸市各区人口表,および昭和16年以降の説明文を追加記載

[91507] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:54:30 hmt さん
 謎の駅名・中部天竜(続編)

[91503] Takashiさん
駅名の接頭語ではないのですが、飯田線「中部天竜駅」の「中部」が登場したので、フォローしておきます。
タイトルに続編と書いたのは、2005年の過去記事[43937]を踏まえたものだからです。

[91503]に記されているように、「中部」は駅の対岸にある地名です。
地名としての読み方は、現在では「なかべ」が普通に通用しているようですが、元々は[43384]で示されている「なかっぺ」が現地での正式の読み方であったようで、25000分の1地形図の 図幅名は 「なかっぺ」となっています。

開業当初は「なかっぺ」と読んでいたらしいのですが、

Wikipediaにあるように、1934年に三信鉄道が開業したした当初は、【初代の】佐久間駅で、翌年に中部天竜駅(なかっぺてんりゅうえき)に改称したようです。
訓読みの「なかっぺ…」から音読みの「ちゅうぶ…」に改称した時期について、[43937]では戦時買収に伴うものと記しましたが、Wikipediaによると 1942年【買収の前年】届出とあり、出典も記されていました。

タイトルは、落書き帳にも度々登場している『時刻表名探偵』(石野哲 1979)p.218から借りたものです。
この本には、逆順のように思われる 中部【地名】天竜【修飾語】の語順の謎が示されていますが、名探偵も「…謎は残る」と結んでいます。

[91506] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:49:08 mizutoh さん
 駅名の接頭語と旧碧海郡

[91493]こちらこそまだ未熟者ですが、同じ福岡の者としてよろしくお願いします。

[91500]白桃さんの記事を読み、接頭語が用いられた駅名が気になり調べたところ、名古屋鉄道西尾線に「碧海古井駅」(愛知県安城市)があるのを発見しました。碧海と言えば、安城・刈谷・高浜・知立・碧南の5市を含む広域地名で、旧郡名でもあるものとして知られています。全国でも、旧国名、現存する自治体名などが接頭語となる例は数多見受けられますが、名自治体名や自治体内の地名にも現存しない旧郡名が接頭語として用いられる例はかなり珍しいのではないかと思います。実際、同路線にかつて存在した「碧海」の付く2駅も2008年に改称されています。
ただこの場合、旧郡名の「碧海」が冠された駅名という捉え方とは別に、以前名鉄西尾線を保有していた「碧海電気鉄道」の会社名を接頭語に使用したという考え方も可能です。

ただ、このように消滅したように思われた広域地名を持つ旧碧海郡5市が平成の大合併の際に対等合併・新設市制し「碧海市」を設置するという構想も一部では噂されていたそうですから、ほとんど現存しない地名が地域のつながりに関わっているという見方もできそうです。

[91505] 2016 年 9 月 25 日 (日) 23:46:08 伊豆之国 さん
 "Supertown"歩き & 「(にわか)領地」訪問はお預け(天気予報に振り回されたみちのく独り旅)

去る21日より2泊3日で、宮城・岩手両県の旅。今回はその道中記を。
今回の道中、夏休み中に本業の多忙(八王子市の物件([91416])もその一つなのですが)で取れなかった休暇をこの時期になってようやく取れたことによるものでした。けれども折からの台風の接近を初め、とにかく天気予報がころころ変わり、直前になって宿と泊まる日だけは決めてきてネットから予約は取り、訪れる場所は既に決めていたものの、スケジュールははっきり言って出発当日の朝まで「ほとんど白紙状態」だったのでした。
初日は、ともかく「晴れ間は出る、雨の確率は低い」と言うことで、「町歩き」を。東京駅から新幹線で、福島駅で降りて在来線に乗り換え、白石駅で下車。40年ほど昔、その白石市にある「小原温泉」に一泊し、「蔵王のお釜」を見たり、遠刈田温泉にあるこけし工房を見学したりした記憶が残っているのですが([90481])、 そのとき素通りした、伊達家重臣・片倉家の城下町、白石の市街地の町歩きから。(「にわか領主」である)掛川城と同様、木造で平成7年に天守閣が再建された白石城(白石市HPより)、市内で唯一残ったと言う武家屋敷豪商の屋敷を回り、名物の「温麺(うーめん)」(私は小原温泉に泊まったときよりも前、子供のころから知っていたのですが、実際に味わったのは40何年ぶり…)をご馳走。でも、駅前通から中心市街の印象はというと、人影もまばらで店じまいして久しいような商店も目立ち、やはり千本桜さんが危惧されていた通り([90177])
白石は仙南の中心都市から脱落
と言うのも案外当たっているような感じも見受けられ、新幹線の駅が白石駅に併設されなかったこと、その新幹線駅「白石蔵王駅」も町外れの田んぼの中にあって利用客数も伸びず、1日の乗降客数は1000人にも満たず「閑散駅」の地位に甘んじたままになっているようです。
ところで、この白石城主として、戦国末期より明治に至るまでこの地を治めてきた片倉氏。伊達政宗の幼少時代から後見人として仕えてきた初代・片倉小十郎景綱の子、二代目小十郎重長は、優れた武勇で名を轟かせ、「大坂夏の陣」ではあの真田信繁(幸村)と激闘を繰り広げ、「鬼小十郎」と恐れられた武将でした。その信繁が死を前にして、重長を「敵ながら大した者だ」と褒め、自らの子女をその重長に託し、そのとき預かった阿梅は、後に重長の後妻となっています(白石市HPより)。私が白石駅で降りて町のほうに出たとき、「『真田丸』ゆかりの町」の幟が立っていたのを見て、「何でやねん?」と怪訝に思ったのですが、白石城のすぐ下にあった「探訪ミュージアム」を見てきてその関係を知ったのでした。
白石駅からは再び「鈍行」で大河原駅で降り、いよいよ千本桜さんの地元、”Supertown”大河原の市街地に出ます。駅前の印象では、白石のそれよりも栄えている印象で、白石川に架かる橋を渡って旧街道沿いの中心街へ。豪壮な商家もあり、「町」としては結構栄えているな、という印象を受けましたが、明らかに店じまいしたような感じの商店も多く、千本桜さんがおっしゃる通り([90177])、人口こそ微増しているものの、繁栄に「陰り」が見えているような雰囲気にも思えたのでした。それから繁昌院にお参りした後、白石川を再び渡って、この町のシンボルでもある土手の桜並木へ。曇り勝ちの天気で、遠くに見えるはずの蔵王連峰は雲の彼方でしたが、桜の葉が青々と茂り、薄暗い土手の道を延々と歩いて行くのも、心地よい気候とあいまって、それはそれでまた風情があるものだな、と思ったのでした。やがて町境を越えて柴田町に入っても桜並木はなお続き、右手からは東北本線の線路も並行。今も結構な本数が走っている長い編成の貨物列車と、2〜4両の短いローカル鈍行列車との対比に、今の東北本線の地位と役割が見えてきたのでした。今年の春にできたばかりの陸橋「しばた千桜橋」を渡って東北線と県道を越え、新幹線がなかった頃にはいつも気になっていた風景であった、「伊達騒動」を基にした小説「樅の木は残った」で名高い船岡城址へ。足元を見ると、真っ赤な彼岸花が今まさに花盛り…。曇り空で方角もよくわからず、ともかく坂道を下りて平地に出ると、「しばたの郷土館」があったので、資料館の中を見学。市街の中心部、船岡駅の方角と思しきほうへ向かって歩き、やが県道が見えてそちらに出て、駅に向かって歩くことに。交差点を左折したところが駅なのですが、この船岡駅の駅舎、「第一印象」では「昔の役所か、学校か、武道場か?」と言ったように見えて、これが「駅」だとは一瞬信じられないような戸惑いを抱いたのでした…。船岡駅周辺の印象も、柴田町自体が槻木との「中心が2つある町」であるせいなのか、大河原よりは少し小さい、むしろ仙台のベッドタウンの色彩が強い、と言った感じに見受けました。
船岡駅から東北線で白石駅に戻り、バスで遠刈田温泉のリゾートホテルに。夜遅くに露天風呂に入ると、外は雨…。雨は翌朝起きたときも降り続いていましたが、直行バスで仙台に戻ったころにはすっかり上がっていて、仙台駅からは市内の観光地巡りのバスで青葉城址へ。伊達政宗の銅像の前で、「(戦国市盗り合戦の)初代青葉城主の座を目指しての挑戦([91287])」を「宣言」したのでした(笑)…。既にお昼を過ぎたので、名物の「牛タン」定食で空腹を満たすことに。先のバスが片道の環状ルートで、仙台駅に戻るまでに行きの倍の時間がかかるため、待っていたタクシーに乗り、仙台駅からは仙石線で、これまで何度も訪れているとは言え、やはり「定番」の松島を目指したのですが、既に雨が降り出し、松島海岸駅に着いた頃には本降りになっていたため、湾内一周の観光船で再び松島海岸に戻ることに(塩竈行きの船もあったのですが、30分後の出航で、しかもこの天気では近くの名所巡りも億劫で…)。本塩釜で降りての鹽竈神社への「(にわか)領地獲得御礼」参りも、「この雨の中、しかも前日からの長い歩きで足がガタガタでは…」と、この時点でほぼ断念(翌日に回すことも決して不可能ではなかったのですが、どう見ても日が暮れてからになりそうなので)。仙台駅に戻り、新幹線で2日目の宿泊地・花巻へ、と言うことにしたのですが、荷物を預けていた仙台駅の構内の広さに道に迷い、次に北上・新花巻に停まる列車まで1時間待ち。この間に宿に「予定より遅れる」旨の電話を入れ、地下の売店で「どうしても買っておきたかった」名物「九重」([60404])を買い、北上駅で「鈍行」に乗り換えて花巻駅へ。この時間帯にバスがないので、タクシーで花巻温泉へ。この豪華な高級ホテルの和室が、直前のネット予約で1万円を切る値段で、しかも一泊2食付で泊まれるとは、「価格破壊もここまで進んだとは…」と驚いたものでした。ホテルでは隣接する同一グループの宿と合わせて温泉の「梯子」、館内には昔の風景も展示され、この地を走っていた「軽便電車」(HP,[73249])の写真も…。ちなみにこのホテル、同じグループの経営する3軒のホテルが渡り廊下でつながっていて、実質的には1軒の巨大ホテル。しかし、渡り廊下でつながっている各棟は、傾斜地に建っていることもあって、渡り廊下でつながる同じレベルの階が、それぞれ「1階」「2階」「3階」と異なっていて、ちょうど私がこの旅に出る直前に話題になった「建物の階数の数え方論争」を思い出していたのでした。
ところで、花巻と言えば、その花巻東高校出、「二刀流」の日本ハム・大谷選手。でも、楽天に入れなかったことで、「もし楽天に入っていれば、田中マー君がメジャー入りしてからこんなに弱くなるようなことはなかったのでは…」と複雑に思っている東北人も多いのでは、と妙なことも思ったりしたのでした…。
翌朝、起きてみたら外は雨でしたが、9時過ぎに宿を出た頃には上がり、時折晴れ間も出て汗ばむ陽気。送迎バスで新花巻駅に出て、宮澤賢治記念館を見学。地図を見て新花巻駅の近くにあることを知り、歩いても行けなくはない距離でしたが、駅前は閑散としていて本当に何もないような殺風景、どの方向へ歩いたらよいのかよくわからないので、駅前で待っていたタクシーを使うことに。「雨ニモ負ケズ」や童話の世界で子供の頃から親しんでいた賢治でしたが、文人としてだけではなく、鉱物、農業、天文、音楽など、幅広い分野の知識を豊富に備えた「マルチ人間」だったと言うことを、今更ながらその多芸多才ぶりに感心したのでした。
新花巻駅に戻り、新幹線とは対照的な狭いホーム1本だけの釜石線乗り場から「鈍行乗り継ぎ」で平泉へ。過去2度訪れているのですが、今回は実に30年ぶり、もちろん世界遺産になってからは初めて。毛越寺はその当時の印象がすっかり抜け、中尊寺にしても、金色堂まで続く長く薄暗い参道のイメージぐらいしか残っていなくなっていて、実際に歩いてようやく当時の記憶が蘇ってきた、と言う感じだったのでした。  
本堂を過ぎ、拝観券の売り場まで来て、財布を見ると…残り1千円を切っている!金色堂だけは何とか見られる金額なのですめが、宝物殿・秘仏拝観と共通券が買えない…。ここまできたのに万事休すか…」と慨嘆…身軽で歩くために、平泉駅のコインロッカーに重いバッグを預けていたのですが、その中に万札が入っていたのでした…。でもすぐに振り返って横を見ると、信用金庫のATMがあり、郵貯カードも使える!これぞまさに「地獄で仏」。郵貯カードを持ってきていたので、必要金額を引き出し、無事共通券を買って、大震災以来5年ぶりに公開された秘仏→宝物殿→金色堂の順に拝観を済ませ、土産物屋が軒を並べる、バス停のある麓に戻ってみると、既に雨が本降りに。参道を歩いているうちは鬱蒼と茂る並木が雨除けになっていて、雨天になっていたのを感じさせなかったのでした。
予定外のタクシー利用が続いたことなどもあって、平泉駅から鈍行乗り継ぎで、帰りの新幹線は仙台駅からと決めることに。ここまで昼食抜きできたこともあり、最初の乗り継ぎ駅・一ノ関駅で、既に冷え切っていた売れ残り?の駅弁。一ノ関駅からは小牛田行きとまたも細切れ、しかも悪評高い「701系」の長椅子式車両。でも空腹に耐え切れず、昨年の東海道中([88822])と同様、弁当を頬張るのを強行。小牛田駅で仙台方面へと乗り継ぐのですが、仙台行きの電車が出発する直前、忘れ物に気づき、さっき乗ってきた電車が折り返して一ノ関行きになる電車に大急ぎで戻ると、その忘れ物が無事すぐに見つかり、結局次の電車に乗り換えて仙台駅に。新幹線に乗り換えて東京駅に着き、新宿で小田急に乗り換え…。嗚呼、帰り道は遠刈田、いや遠かった…。

♯書き込みの途中で誤操作したため、いったん削除した上で改めて書き込みし直しました。

[91504] 2016 年 9 月 25 日 (日) 20:03:30 futsunoおじ さん
 ひすいを「日本の石」に選定

日本鉱物科学会は24日、「日本の石」に翡翠(ひすい)を選定したとのことです。これは同学会が一般社団法人化したことを受けた記念事業で、最終候補5種類から総会に出席した会員による審査・投票によるものです。 (日経新聞読売新聞

なお5月の日本地質学会選定「県の石」では、ひすいは「ひすい輝石岩」として新潟県の石として選定されています。 (都道府県の石

[91503] 2016 年 9 月 25 日 (日) 17:38:24 Takashi さん
 西に中国勝山あれば東に……

[91500] 白桃さん

でも、忘れてはならないのが「中国」で、真庭市の中心駅?である「中国勝山駅」ひとつしかありませんが、私、以前[5554]で、
普通なら「美作勝山」となるべきところを「中国勝山」としたのは、「ミマサカカツヤマ」となると同じ美作の主邑、津山と間違うのでは
と書き込みましたが、某インターネット百科事典によると、「美作なんてケチくさいこと言わないで、中国地方の勝山でいこう」と町会議員が言ったかららしいです。

の記事を読んで思い浮かぶのはJR飯田線の「中部天竜駅」です。

……ただ、この中部天竜駅の中部は中部地方に由来するものではなく、駅の対岸にある静岡県浜松市天竜区佐久間町中部に由来するもので、しかもこの読みは「なかべ」と読むそうです。某インターネット百科事典によると開業当初は「なかっぺ」と読んでいたらしいのですが、手元に参考資料がないためその真偽はちょっとわかりませんでした。

[91502] 2016 年 9 月 25 日 (日) 12:31:13 オーナー グリグリ
 第五回クイ図五番勝負(開催予告)

富谷町が10月10日に市制施行することを記念して、第五回クイ図五番勝負を10月10日午前0時に開始することとします。富谷市誕生に合わせて深夜の開催となりますが、多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

[91501] 2016 年 9 月 25 日 (日) 11:03:47【1】 オーナー グリグリ
 1日の記事数ランキング

[91492] 白桃さん
昨日は、祝日、しかも全国的に雨模様であったせいか、20件をカル〜く超える記事投稿がありました。
そこで、オーナーはじめ皆様にお伺いしますが、落書き帳史上、最多記録は何年何月何日か、お判りになったら教えてください。
[91495] ニジェガロージェッツさん
2007年4月1日の174件では。記事番号[57501][57675]まで。57604は缺番
[91500] 白桃さん
四月バカと十番勝負開始日が重なったのですね。それにしても多いです。

落書き帳には記事数の推移という分析メニューがあることはご存知だと思いますが、見栄えやレイアウトを少し改善しました。上記の最多記録を含め、この機会に書き込み数が100件以上の年月日を洗い出し、要因(イベント)や記事番号を一覧にしてみました。まず、年月日順です。

年月日記事数イベント記事番号
2003年2月28日(金)111記事番号10000番達成[9939]-[10049]
2003年3月2日(日)101[10147]-[10247]
2003年3月9日(日)100[10778]-[10878]
2003年4月13日(日)111[12993]-[13104]
2003年4月23日(水)113[13759]-[13874]
2005年5月5日(祝)128第七回十番勝負(0時開始)[40638]-[40767]
2005年7月23日(土)136第八回十番勝負(前日22時開始)[43240]-[43376]
2006年7月16日(日)118第十二回十番勝負(8時開始)[52185]-[52303]
2006年10月29日(日)134第十三回十番勝負(6時開始)[54628]-[54761]
2007年4月1日(日)174エイプリルフール&第十五回十番勝負(12時開始)[57501]-[57675]
2007年7月16日(月)147第十六回十番勝負(10時開始)[59781]-[59927]
2007年10月7日(日)109第十七回十番勝負(20時開始)[61537]-[61645]
2008年4月5日(土)148第十九回十番勝負(9時開始)[64219]-[64366]
2008年8月17日(日)107第二十回十番勝負(7時開始)[66062]-[66168]
2009年1月1日(祝)104第二十一回十番勝負(0時開始)[67817]-[67920]
2009年7月26日(日)100第二十三回十番勝負(前日22時開始)[70979]-[71078]
2009年11月28日(土)106第二十五回十番勝負(9時26分開始)[72971]-[73076]
2010年4月3日(土)115第二十七回十番勝負(7時開始)[74549]-[74663]
2011年1月1日(祝)123第三十回十番勝負(0時開始)[77154]-[77276]

やはり十番勝負イベントがほとんどですが、2003年の3月と4月は月の記事数が2000件を超えている月です(月別推移を参照)。ついでに記事数の多い順に並べ替えてみました。

順位年月日記事数イベント記事番号
12007年4月1日(日)174エイプリルフール&第十五回十番勝負(12時開始)[57501]-[57675]
22008年4月5日(土)148第十九回十番勝負(9時開始)[64219]-[64366]
32007年7月16日(月)147第十六回十番勝負(10時開始)[59781]-[59927]
42005年7月23日(土)136第八回十番勝負(前日22時開始)[43240]-[43376]
52006年10月29日(日)134第十三回十番勝負(6時開始)[54628]-[54761]
62005年5月5日(祝)128第七回十番勝負(0時開始)[40638]-[40767]
72011年1月1日(祝)123第三十回十番勝負(0時開始)[77154]-[77276]
82006年7月16日(日)118第十二回十番勝負(8時開始)[52185]-[52303]
92010年4月3日(土)115第二十七回十番勝負(7時開始)[74549]-[74663]
102003年4月23日(水)113[13759]-[13874]
112003年2月28日(金)111記事番号10000達成[9939]-[10049]
2003年4月13日(日)111[12993]-[13104]
132007年10月7日(日)109第十七回十番勝負(20時開始)[61537]-[61645]
142008年8月17日(日)107第二十回十番勝負(7時開始)[66062]-[66168]
152009年11月28日(土)106第二十五回十番勝負(9時26分開始)[72971]-[73076]
162009年1月1日(祝)104第二十一回十番勝負(0時開始)[67817]-[67920]
172003年3月2日(日)101[10147]-[10247]
182003年3月9日(日)100[10778]-[10878]
2009年7月26日(日)100第二十三回十番勝負(前日22時開始)[70979]-[71078]

最近の十番勝負では100件を越えることはなくなりましたが、難易度が高くなっていることもあるのかもしれません。書き込み件数はひとつの目安としていますが、数が多ければいよいと言うことでもないでしょう。白桃さんが最多書き込みに興味を持たれたように、最近は書き込みがそこそこ活性化しているようにも感じています。今後ともよろしくお願いいたします。

[91500] 2016 年 9 月 25 日 (日) 03:03:55【1】 白桃 さん
 旧国名以外が駅名の接頭に用いられる例は?

杖立オフ会以降、デスクトップ鉄さんのHPにハマって夜も眠ることができません。(~j~)
特に、「旧国名が接頭語に用いられる駅名」に関するデータと解説は「凄い」の一言に尽きます。で、今夜はデスクトップ鉄さんの向こうを張るつもりは毛頭ありませんが、タイトルにある駅について触れてみようと思います。
旧国名以外と言っても、「上州」「信州」など旧国名の派生語、あるいは「群馬」などの県名、北海道の旧支庁名、「伊豆急」「西武」の電鉄会社名も除外しましょう。

ちょっと中休み…
「伊豆」が接頭語につく駅の数は???、と聞かれたら答えは簡単。伊豆きゅう(九)です。

本題に戻って、一番多いのは、やはり「会津」でしょうね。
次が「伊那」、それから「知多」「木曽」「郡上」あたり。
でも、忘れてはならないのが「中国」で、真庭市の中心駅?である「中国勝山駅」ひとつしかありませんが、私、以前[5554]で、
普通なら「美作勝山」となるべきところを「中国勝山」としたのは、「ミマサカカツヤマ」となると同じ美作の主邑、津山と間違うのでは
と書き込みましたが、某インターネット百科事典によると、「美作なんてケチくさいこと言わないで、中国地方の勝山でいこう」と町会議員が言ったかららしいです。そんじゃ、私も対抗して、「東かがわ市駅」にするぐらいなら「四国三本松駅」に改称するよう市長に直訴しよう。(※三本松駅に改称の動きがあるわけではありません。)

[91495] ニジェガロージェッツ さん
2007年4月1日の174件では。記事番号[57501][57675]まで。57604は缺番
早速お知らせいただき、どうもありがとうございます。四月バカと十番勝負開始日が重なったのですね。それにしても多いです。


過去の書込みへ [91400] 〜 [91499] →

【免責および注意事項】 営利目的で、本サイトが提供している情報を許可なく、無断で直接的あるいは間接的に利用することを禁じます。 営利目的、非営利目的に関わらず、本サイトが提供しているデータ、文章、デザイン、画像等を許可なく、これらを無断で複製、複写、翻訳、転載することを禁じます。 本サイトで提供している情報は、最新かつ正確に掲載するよう努めますが、各自の責任と判断のもとにご利用いただき、万一これらの情報を利用されたことで生じた損害については、一切責任を負うことはできません。 本サイトへのリンクは自由に張って構いませんが、URLはこちらのリンク先一覧の中からお選びください。


都道府県市区町村 >ページのトップへ ▲

Copyright(C) 1999-2016 M.Higashide プライバシーポリシー