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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[78557]2011年6月14日
むっくん

[78557] 2011年 6月 14日(火)18:27:05むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)島根県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)島根県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。
(1)県令第20号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(2)県令第21号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(3)県令第22号(M22.3.9)(「島根県令規類纂(上巻)」(編:島根県、出版:博広社、M29.4.24)より。
(4)県令第20・21号(M22.3.9)(「現行島根県令訓類纂(上巻)」(編:高橋義比・渡邊善継、出版:積慶堂、M23.6.15)より。
(5)県令第22号(M22.3.9)(「現行島根県令訓類纂(上巻)」(編:高橋義比・渡邊善継、出版:積慶堂、M23.6.15)より。・・・これは掲載されている「現行島根県令訓類纂(上巻)」上では切れていて何のことか良く分からないようになっています。同書では681頁(371コマ)の最終行から716頁(389コマ)の真ん中あたりまでは「町村編成」の項目で、716頁(389コマ)の真ん中あたりからその最終行までが「町村総称及字」の項目で、717頁(389コマ)の初めの行から終わりあたりまでが「境界線」の項目となっています。
ところが同書を読む限りでは、714頁と715頁につながりがなく、また715頁の最後に記載されているM16.4.19島根県乙第51号布達が翌716頁につながるのは不自然です。
そして改めて715頁を読むとこの中身は廃置分合の項目である「町村編成」ではなく「町村総称及字」の項目に含まれるのが自然であると考えられます。
そこで、715頁と716頁を誤って逆にしたと考え、714頁→716頁→715頁と読むと、これらの違和感がなく読むことが出来ます。714頁の最終行と716頁の初めの数行をくっつけて記すと
----------
明治二十二年三月九日島根県令第二十二号
出雲石見両国町村の内左の通改称し明治二十二年四月一日より施行す
島根郡 大蘆浦 改 大蘆村  加賀浦 改 加賀村  御津浦 改 御津村
楯縫郡 平田村 改 平田町
邇摩郡 佐摩村 改 大森村(字赤波を除く)  磯竹村 改 五十猛村
安濃郡 刺賀村 改 刺鹿村
美濃郡 益田本郷 改 益田町
----------
の通りで、未掲載のように見えた島根県令第22号が実は記載されていたことが分かります。
(6)新旧対照市町村一覧第1冊第2冊(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(7)大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(8)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(9)島根県の地名鑑(PDF)島根県HP内)
(10)地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(11)島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)
#明治19年12月現在の町村名を記載。
(12)改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)
#明治13年頃(明治11年6月以降明治13年9月以前)の町村名を記載。
(1)から(9)は総てにおいて参照し、(10)~(12)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(1)から(3)のみを記載しました。

それでは紹介です。

1 新設/市制 松江市 島根郡 松江殿町, (略), 松江新材木町, 末次村(微), 奥谷村(微), 西川津村(微), 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町, 「意宇郡」 松江分の一部, 西津田村(微), 乃木村(微)
は正しくは、
1 新設/市制 松江市 島根郡 松江殿町, (略), 松江新材木町, 末次村(微), 奥谷村(微), 西川津村(微), 「意宇郡」 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町, 松江分の一部, 西津田村(微), 乃木村(微)
ではないでしょうか。
まず根拠たる県令第20号(M22.3.9)では松江に編入されたところの記載しかなく、松江の各町の郡名は分かりません。しかしながら同一コマに記されている甲第42号布達(M19.3.26)で松江の各町の郡名が分かり、さらに
町村の総称あるものは其町村名の上に総称を冠するべし
とあることより、松江の各町には総称たる松江も付いた松江○○町との名称であったと考えられます。
島根県の地名鑑(PDF)42コマでも上記の通りです。
#ちなみに大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では、郡名は上記の通りですが、松江の各町は単に○○町との記載になっており、新旧対照市町村一覧では松江○○町での郡名の記載がありません。

15 村制 島根郡御津村 島根郡 御津村

15 村制 島根郡御津村 島根郡 御津「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

16 村制 島根郡大芦村 島根郡 大芦村

16 村制 島根郡大芦村 島根郡 大芦「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

17 村制 島根郡加賀村 島根郡 加賀村

17 村制 島根郡加賀村 島根郡 加賀「浦」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)

19 新設/村制 秋鹿郡大野村 秋鹿郡 大野村上分, 大野村下分, 魚瀬村

19 新設/村制 秋鹿郡大野村 秋鹿郡 大野村上分, 大野村下分, 魚瀬「浦」
ではないでしょうか。
まず県令第21号(M22.3.9)(4)では魚瀬村となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)では魚瀬「浦」となっています。
島根県の地名鑑(PDF)42コマ、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧でも魚瀬「浦」となっています。
さてどのように考えるかですが、改正島根県町村名よりM13頃現在、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年より明治19年12月現在でも魚瀬「浦」となっています。
以上よりおそらくこれは資料(4)の書き間違えと推測します。

57 新設/村制 能義郡布部村 能義郡 布部村, 宇波村, 「下田原村」, 菅原村

57 新設/村制 能義郡布部村 能義郡 布部村, 宇波村, 菅原村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)116コマによるとM8.9.5に下田原村と菅沢村が合併して菅原村となり「下田原村」は消滅したことになっています。

96 新設/村制 出雲郡出西村 出雲郡 「下」阿宮村, 出西村, 神氷村, 求院村, 併川村

96 新設/村制 出雲郡出西村 出雲郡 阿宮村, 出西村, 神氷村, 求院村, 併川村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)
島根県の地名鑑(PDF)159コマによるとM8.9.5に上阿宮村と下阿宮村が合併して阿宮村となったことになっています。

111 町制 楯縫郡平田町 楯縫郡 平田「町」

111 町制 楯縫郡平田町 楯縫郡 平田「村」
ではないでしょうか。
参考:県令第22号(M22.3.9)
地方行政区画便覧より明治19年1月現在では、M22には存在しない平田村上ヶ分(楯縫郡)と平田町(楯縫郡)となっているのが気にかかるところです。しかし、島根県統計書明治20-21年(編・出版:島根県、M23.8.30)で平田分署の町数がM20が1でM21が0となっていることより明治21年に平田村上ヶ分(楯縫郡)と平田町(楯縫郡)が合併して平田村(楯縫郡)が成立したと推測でき、矛盾はないようです。

122 新設/村制 神門郡古志村 神門郡 上古志村, 古志「村」

122 新設/村制 神門郡古志村 神門郡 上古志村, 古志「町」
ではないでしょうか。
まず県令第21号(M22.3.9)(4)、島根県の地名鑑(PDF)42コマでは古志「村」となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では古志「町」となっています。
また、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)より明治19年12月現在でも古志「町」となっています。
さて古志「村」or古志「町」を判断するために島根県統計書明治20-21年(編・出版:島根県、M23.8.30)を見てみます。すると、M20.12.31での神門郡、楯縫郡、出雲郡の併せた町数は6、M21.12.31での神門郡、楯縫郡、出雲郡の併せた町数は4とあります。
この減少した2町がどこかを次に考えますが、減少した町の一つは上述の#111町制 楯縫郡平田町でも書いたとおり、平田町(楯縫郡)であると分かります。そしてもう一つはM21に下塩冶村(神門郡)と合併して消滅した塩冶町(神門郡)であると考えられます。
次にM21.12.31末での神門郡、楯縫郡、出雲郡に所属する町(楯縫郡平田町,神門郡塩冶町を除く)を考えます。ここでの4町とは、神門郡今市町、神門郡古志町、神門郡大津町、出雲郡直江町としか考えられません。
とすると、古志「村」ではなくて古志「町」と記載されている方が正しいと考えられます。

124 新設/村制 神門郡園村 神門郡 東園村, 西園村, 外園「村」

124 新設/村制 神門郡園村 神門郡 東園村, 西園村, 外園「浦」
ではないでしょうか。
県令第21号(M22.3.9)(4)、新旧対照市町村一覧では外園「村」となっています。
しかし県令第21号(M22.3.9)(2)、島根県の地名鑑(PDF)77コマ、大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では外園「浦」となっています。
さて判断ですが、地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)より明治19年12月現在でも外園「浦」となっていることより、外園「浦」と記載されている方が正しいと考えられます。

126 新設/「村」制 神門郡杵築町 神門郡 杵築東村, 杵築南村

126 新設/「町」制 神門郡杵築町 神門郡 杵築東村, 杵築南村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

130 新設/村制 神門郡「遥」堪村 神門郡 浜村, 入南村, 菱根村, 「遥」堪村

130 新設/村制 神門郡「遙」堪村 神門郡 浜村, 入南村, 菱根村, 「遙」堪村
ではないでしょうか。
参考:県令第21号(M22.3.9)

131 新設/村制 神門郡高浜村 神門郡 「失」尾村, 日下村, 里方村, 平野村, 常松村, 八島村, 江田村

131 新設/村制 神門郡高浜村 神門郡 「矢」尾村, 日下村, 里方村, 平野村, 常松村, 八島村, 江田村
ではないでしょうか。
県令第21号(M22.3.9)(4)では「失」尾村となっています。
しかし、県令第21号(M22.3.9)(2)、島根県の地名鑑(PDF)77コマ、新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑大日本全国各府県市町村新旧対照一覧では「矢」尾村となっています。
そして地方行政区画便覧より明治19年1月現在、島根県統計書明治19年より明治19年12月現在でも「矢」尾村となっています。

次稿へ続きます。


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