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深海魚さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[21143]2003年10月16日
深海魚
[21139]2003年10月16日
深海魚
[21134]2003年10月16日
深海魚
[21132]2003年10月16日
深海魚
[21125]2003年10月16日
深海魚

[21143] 2003年 10月 16日(木)18:22:48深海魚 さん
横浜鉄道談義
[21142] N-H さん
当時は倉庫のまわりにまぎれもない廃線が何本も敷かれたままになっており、哀愁を誘うものでしたねえ。
お、良いですねぇ。こういう光景でしたら、盆正月を犠牲にしてでも実地踏査に赴きますよ。(笑)

今でもたまにこの 「横浜駅裏ルート」 を通る臨時列車は設定されることはあるようですが、
現在は高島地区が地下化された事から些か興醒めですね。別の 「裏 ルート」 なら、横浜羽沢貨物駅を経由する 「ホーム・ライナー」 がありますが、こちらも専ら隧道区間ですしね。(笑) これらの経路と密接に関係する武蔵野線府中本町以南の貨物専用区間、速達便を設定すれば需要は多そうですが、保安上の問題とか色々と制約があるのでしょうか。
[21139] 2003年 10月 16日(木)17:16:38【1】深海魚 さん
臨時快速 「サロン横浜博」
[21135] 美濃織部さん
陶磁器の産地である市之倉や駄知と言った、現在よりも南の地域を通る計画
何れも後年、東濃鉄道が網羅した地域ですね。あの一帯で中央線から分岐する現存の支線といえば、明智、じゃなかった、明知鉄道を連想します。沿線自治体の内、恵那市と岩村町が木曽川水系、山岡町が庄内川水系、明智町が矢作川水系と多岐に渡り、街と街の間はとにかく丘越え、という陣容が印象的でした。坂を下った直後の終点、明智駅も大技です。(笑)

[21138] N-H さん
私はどうもあのレールについては 「あやしい」 と思っています。
元々が単線仕様だとして、大岡川河口の トラス橋部分で海側に偏って敷かれているのは不自然ですし、車両限界の点でも 「怪しい」 存在ですが、高層 ビルを擁する ウォーター・フロント地区でのこうした 「遺構」 は 「妖しい」 存在でもありますね。ちなみに赤煉瓦 パークに敷かれた線路は明らかに復元物と思われます。一方、遊歩道に化けた線路跡が高架区間となる県庁に近い倉庫街の一角には、純粋な 「遺構」 が残っていますね。

なにを隠そう、この期間限定路線の初日と最終日に乗車しております。
私は、期間中に新宿-桜木町で運転された欧風客車仕様の臨時快速に試乗しました。基本的に個室仕様で、指定された個室は アベックと同室で居た堪れなくなり、心中大泣きしながら展望室に避難すると云うほろ苦い思い出があります。(笑) 鶴見以南では、数年前に地下線化で消滅した高島貨物駅を経由するなど、大技な経路が楽しかったですね。
[21134] 2003年 10月 16日(木)15:30:21深海魚 さん
アクション仮面
[21133] 夜鳴き寿司屋さん
しかし国鉄時代末期には五郎~内子間の区間運転が日に5往復のみ運転されるのみだったそうです。
そうなると、特急や急行からの接続は度外視していたという事でしょうか。或いは急行くらいは五郎に停車していたのかな。起点の五郎に終点の内子、その昔、何かの悲恋伝説でもあったのか、と思わせる陣容ですね。(笑)

野原しんのすけが、市制50周年事業の一環としてイメージキャラクターへの起用と春日部市の住民登録されるそうです。
うーむ、春日部の幼稚園児は皆、「ケツだけ星人」 の様な御馬鹿が日常的である、と云った誤解を招来しないのかな、等と憂いつつも、土曜夜は我が子と TVの前で笑い転げる事が多い深海魚でした。(笑)

どなたが春日部市の方でレスしていただけたらいいように思います。所謂地方ネタということでお願いしたいです。
春日部高出身の知人が複数いるので聞いて見ませう。作者の臼井氏は中心街以南の伊勢崎線沿線が地元だそうですね。
[21132] 2003年 10月 16日(木)14:00:52【1】深海魚 さん
とねちゃん
国土交通大臣をして 「可愛い」 と言わしめた 「たまちゃん」 の再来なるか、今度は取手付近の利根川にて 「とねちゃん」 が登場したそうですね。とすると、出現したのが揖斐川なら 「いびちゃん」、淀川なら 「よどちゃん」、球磨川なら 「くまちゃん」、揚子江なら 「ヤンちゃん」、アムール川なら 「アムちゃん」 ……… 嗚呼、訳が判らない。(笑) 無関係の話ですが数日前の深夜に NHKで再放送された黄河の特集番組は見応えがありましたねぇ。

[21128] 月の輪熊さん
[21107] で今川焼さんが言わんとしているのはこのことではないでしょうか。
その事に気が付いて訂正しようと思ったら早速この御指摘。ナイス・ツッコミです。(苦笑) 茶屋町駅では瀬戸大橋線開業で高架化される以前、電鉄の ホーム跡が原型の侭に バス発着所として利用されていましたね。

信楽線は戦時中に鉄材供出のために一度廃止され、復活を遂げています。
これは完全に失念していましたね。(汗)

白河~磐城棚倉の白棚線は鉄材供出による廃線後、鉄道が復活せずに バス専用路線となったものですが。
久慈川水系の棚倉の中心街から阿武隈川水系の平坦地にかけ登坂が続く辺りは相変わらず専用道が確保され、往時の雰囲気が偲ばれるのですが、(国道 118号線の バイパス全通に伴い、高架橋から俯瞰が効く様になりました。) 表郷村の中心地区や白河市域では並行する国道 289号線の バイパスに転用され、渋滞の可能性がある一般道路から分離された専用道ならではの定時性は、以前ほど確保されていないのかも知れません。

棚倉を含む東白川郡一帯におけるここ一番の拠点都市は白河と思われ、白棚線を鉄道で存置した方が、塙や矢祭からの通勤・通学需要を集約出来た様にも思えます。(この方面に居住する生徒の為に、白河の公立高校では スクール・バスを運行しているそうです。) 一方石川郡の場合、水郡線の経路に従い郡山志向が強まるか、やはり白河の影響が強いのか、少々悩ましい処ですね。

なお、118号線経由を介して矢吹 I.C.から東北道に乗る事が多い私にとって、棚倉を過ぎて件の登坂後に阿武隈川水系の平坦地が広がると、東北に来たという実感を覚えます。冬季は冠雪の那須岳も遠望され、良い雰囲気ですね。

[21129] スナフキんさん
この両島、相当にお互いライバル意識を持っているらしいことをよく耳にします。
稚内には天北線の廃止前に何度か訪れた事がありますが、何れも昼行移動の際は急行 「天北」 を利用したので、抜海-南稚内の御約束の車窓風景をしみじみ見た事が無く、オロロン街道の試乗も含めて是非、風景撮影に行きたい場所です。一方の礼文島といえば、島内所在の Y.H.の アグレッシブな陣容は学生時代、仲間内では伝説と化していましたね。実際に利用した友人によると、フェリーが香深港に到着した時点で、「感動的な出会い」 があったそうです。(笑)

地図編集もそこまで落ちたか、と肩を落としたくなることが時折ありますね。
実は、私も地図屋なのですよ ……… とは言っても、少し離れた作業現場までの道順を模式的に描く程度の話なのですが、勤務先ではそれなりに好評を得ています。(笑) それゆえ、地図編集作業の難しさのほんの一端を垣間見た積もりですが、近年の都市図ですと、主要都市の場合、高速道高架橋の複数階層化や地下鉄の伸張などから、平面で表現し得る内容が限界に来ている様な印象も受けますね。用務で首都圏方面に車を出す場合、カーナビに頼らない私は、広域地図に加えて市街詳細地図の二冊を携行する場合が一般的です。
[21125] 2003年 10月 16日(木)10:24:08【1】深海魚 さん
レス諸々
[21100] ジューンさん
JR中央線も建設時は、東濃の中心の御嵩を通って名古屋に至る計画だったそうです。
東濃地区の中央線を見ると、木曽川とは微妙に異なる経路が特徴的で、当初は違和感を覚えたものですが、あの一帯では木曽川は相応に渓谷気味の様子で、古虎渓での難所越えがあるにせよ多治見を経由したのは必然的かも知れませんね。御嵩町中心部は木曽川から少し離れますが、国道 21号線の経路が御指摘の計画の名残りの様な印象を受けます。

[21102] なおさん
確かに、地図を見ると島と言う感じなのですが、実際いると島とは感じません。
国道 205号線の針尾 バイパスも、早岐瀬戸を二度越える形で掠めていますね。利用者の大半にとって、島を経由している認識や実感は乏しい様に拝察します。

[21107] 今川焼さん
JR瀬戸大橋線の茶屋町~児島間 (下津井電鉄)
瀬戸大橋線 (本四備讃線) は児島を出ると橋梁部となり、旧下津井を代替する固有の駅が無い為、解釈上は微妙かな。

北近畿タンゴ鉄道宮福線の福知山~大江間 (北丹鉄道)
終着駅は 「南有路」 でしたっけ。子供の頃、地図を見る度に、なぜ加悦鉄道と繋げないのかと感じていました。

愛知環状鉄道の岡崎~新上挙母間 (名鉄挙母線・岡崎市内線)
あ、これは完全に失念していました。

[21111] faithさん
京阪の京津線や、南海の天王寺線のルートの一部は地下鉄になって再利用されていますね。
これは地下鉄移行を前提とした廃止でしょうか。南海天王寺線はあれだけの短距離路線で良くぞ存続したものと感じます。部分廃止後は他線への連絡性も乏しい様で、限られた沿線住民の為の存在、という感じの線形でしたね。

[21113] カッパーさん
信楽高原鉄道もその例ですか?(元国鉄信楽線)
三セク移行後に事故で長期間運休という事で、復活例とは異なりそうです。犠牲者多数を出した衝突事故の現場付近は、信楽高原と琵琶湖の盆地との高低差を克服する登坂を伴う森の中で、標高差は結構大きい様子ですね。あの事故の直後、茨城県では、電源車を伴っての機関車牽引によると思しき常磐線特急の大洗直通が急遽中止されています。

[21116] 夜鳴き寿司屋さん
国有化と改軌工事に伴い大洲起点が五郎起点に変更され60年近く軌道敷は放棄されていましたので。
予讃線 バイパス化以前の内子線列車は、伊予大洲まで乗り入れていましたっけ? あの一帯の中心となる大洲から見て、五郎で方向転換する内子線の線形には、多少違和感がありました。

また大阪の阪急千里線の吹田~大阪間は大正時代までの東海道線を再利用した路線だそうですが、
国鉄線の転用例としては、廃止された南部縦貫鉄道の野辺地-西千曳も該当しますね。

[21118] 美濃織部さん
東濃地方は岐阜市よりも名古屋市のほうが、圧倒的に結びつきが強いと思います。
経済的にはそうでしょうね。他方、行政上の諸手続きに基く岐阜志向も少なくはないと思いますが、大概は合同庁舎などの出先機関で間に合うのかな。

[21120] M.F さん
東急玉川線→新玉川線 (現:田園都市線) のような例は対象外でしょうね。
玉電廃止は新玉川線開業が前提でしたか。幼少時、首都高の高架下に線路が残っているのを見た記憶があります。

[21121] EMMさん
つまり、富山高校と富山中部高校は同一学区内で並び立っているのです。
伝統性、立地条件等の要因で、何れか一方に人気が集中しない様、事前に何らかの均衡化措置は講じられていないのか、両校の並立性を見るとつい勘ぐってしまいますね。

高岡学区では高岡高校に上位クラスが集中しますので、富山県のトップの座はは高岡高校が守っています。
「高岡中部」 と称した時期もありますね。やはり旧制中学系である新湊高は、その頃 「高岡東部」 を名乗っていました。

砺波学区の上位 クラスが高岡高校、新川学区の上位 クラスが富山高校・富山中部高校を受験するようになり、
結局、交通事情が許す限り、ほぼ自由に進学先を選べる状況の様ですね。

「現在の第1・第3学区からの受験生が大勢金沢市内の高校に押し寄せ、金沢市内の学生があぶれてしまうのでは」
七尾高校や小松高校が人気処かと思われますが、それでも大局的には金沢志向が強まりつつあるのでしょうね。

「奥能登から金沢の親戚の家に引っ越して、わざわざ金沢泉丘高校を受験した」
流石は県立一中系、グリグリ様を輩出されただけの事はあります。(笑) 県都の公立伝統校を隔地から志向する例として、岩手県普代村から盛岡一高を受験した、なんて話も聞いた事があります。地元の水戸でも、複数の高校でかなり広域から生徒を集めており、私の同窓生でも通学時間が片道二時間を越えていた例が散見されました。

[21122] あんどれさん
武州鉄道は蓮田~川口を結ぶ予定で設立され、現在の川口市内に入ったところで延伸を断念、廃線となったものです。
まず郊外部の敷設ありき、然るに市街部分で挫折、というところが、往年の地方私鉄らしい陣容ですね。


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