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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[39152]2005年3月30日
なお
[39151]2005年3月30日
なお
[39150]2005年3月30日
なお
[39149]2005年3月30日
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[39145]2005年3月30日
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[38621]2005年3月15日
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[38332]2005年3月5日
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[38329]2005年3月5日
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[38168]2005年2月28日
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[38166]2005年2月28日
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[38164]2005年2月28日
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[38163]2005年2月28日
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[38161]2005年2月28日
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[36237]2004年12月31日
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[36236]2004年12月31日
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[36228]2004年12月30日
なお
[36226]2004年12月30日
なお

[39152] 2005年 3月 30日(水)20:45:30なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・緒方町
この町は、大分県の南西部に位置し、南部は祖母山と傾山に接した山間地域で棚田が多く、
北部は県内で最も有名な滝“原尻の滝”で知られる緒方川を中心に開けた、肥沃な平野部からなる農山村地帯です。
古くから農業水利の発達した地域で、江戸時代から緒方五千石と呼ばれる景観豊かな田園地帯です。
健康・福祉が守られ安心して住める町づくりのため各種の福祉、保健、医療施設も整備されています。
また、基幹産業である農業を生かした政策も行われており、米を中心とした農業から、野菜花卉などの施設栽培の拡大を図っています。
「専業農家の経営確立と後継者の確保」「低コストと付加価値を求める農業」も重要な2課題として緒方町が掲げています。
この町は、県内では『チューリップの町』としても有名であり、学校や公園やビニールハウスなど、さまざまなところにチューリップがあります。

≪人口:6,259(6,546)人≫≪面積:147.96(147.96)km2≫≪人口密度42.30人(44.24人)≫
[39151] 2005年 3月 30日(水)20:37:17なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・清川村
大分県の南西部に位置し、中津無礼川が三重地区との、緒方川が緒方地区との、大野川が大野地区との境となっています。
柿木原を中心とした北部畑作地帯の丘陵部)と、奥嶽川流域の水田地帯、標高500m前後の山岳地帯に主に分かれています。
この村は径間日本一で2連アーチの『轟橋』があり、各地から写真をとっていく人が多くいます。
また、巨木の『イチイガシ』や、甘いクリーンピーチなど、産業や環境を生かしたNO1もあります。
県内では『御嶽流神楽』が有名です。
御嶽流の元祖で遠くは熊本にまで舞いが語り継がれていて、村内の国道には神楽のモニュメントが2体も立っています。
御嶽山に神々が舞い降りたという神話が元になったといわれています。

≪人口:2,444(2,521)人≫≪面積:47.18(47.18)km2≫≪人口密度51.8人(53.43人)≫
[39150] 2005年 3月 30日(水)20:16:36なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・三重町
この町は大分県の南西部に位置しており、町の南東部から西部にかけて佩楯山・三国峠・傾山が連なり、
北部には祖母山系に源を発する大野川が、西部には全国名水百選にも選ばれた白山川が流れています。
町域の75%が森林で占められ、中央部から北~東に広がる地域のみが平坦部で、農業地帯や市街地が形成されています。
大野郡の中心都市として国・県の出先機関が集中するこの町は、大野郡の経済・情報・文化・福祉・教育・交通などの面で中心的な機能を有しています。
また、本町は多くの重要文化財や史跡に恵まれた歴史・伝説の町としても知られ、
最近では大型小売店の進出等により商業集積が大きく進行し、都市化の波が大きく押し寄せつつあります。
また、「健康と文化の町づくり」を基本理念に、新世紀に飛躍する町づくりを進めています。
健康の町づくりについては、平成7年度に温水プールを併設した大原総合体育館が完成し、
さまざまな種類のスポーツ場などが大原総合公園に集中していて健康づくりの拠点とし、町内外からたくさんの利用者が訪れています。

≪人口:18,215(18,241)人≫≪面積:162.17(162.17)km2≫≪人口密度112.32人(112.48人)≫
[39149] 2005年 3月 30日(水)20:09:38なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・香々地町
香々地町は、大分県の北東部、国東半島の西北部に位置しています。
また、北西は周防灘に面し南部は尻付・薑・大平三山を頂点として真玉地域に、
東部は丘陵をもって東国東郡の国見町に接しています。
中央部にそびえる両子山を中心としてその周囲に600m前後の群峰が連なり、その放射稜が和傘の骨のように海岸部へと走っています。これにより町内はいくつかの谷に分かれ、その間にさらに谷があって、そこにそれぞれ集落が形成されています。
また、この町は自然を生かした公立・民間問わずたくさんの自然体験型の施設があります。
これらの施設は県内のさまざまなイベントでも使われています。
また、両子山の近辺には実相院・霊仙寺・六所神社などの寺社がとくに集中しています。
また、海のほうでは『長崎鼻リゾート』があり、岬であることと「長崎鼻海蝕洞穴」や「江口章子歌碑」などの
観光資源も生かして観光産業へ大きく貢献しています。

≪人口:3,565(3,752)人≫≪面積:37.69(37.65)km2≫≪人口密度94.59人(99.65人)≫
[39145] 2005年 3月 30日(水)19:29:53なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・真玉町
この町は「日本の夕陽百選」の一つにも選ばれた、国東半島の西部に位置する夕陽のきれいな町です。
ここでも過疎化が進行していますが、安らぎと豊かさを実感できる住みよい町づくりを目指し、
定住・交流の促進、福祉の充実、産業の振興、道路・下水道等の生活環境の整備などを推進しております。
平成14年にリニューアルされた「スパランド真玉」は、国東半島で最も歴史のある温泉として、
町民をはじめ県内外の客も多く訪れ、本町の交流拠点としてご好評だそうです。
また、長期滞在型農業体験施設「ヴィラ・フロレスタ」を整備するなど、本町の自然環境や歴史、文化を活かした都市との交流を進めております。
このほかにもこの町内には、六郷満山の伝統ある神社仏閣、海水浴場やカヌー競技場、
歴史のロマンあふれる猪群山ストーンサークルなど歴史的価値の高い文化財も多く残されています。

≪人口:3,747(3,948)人≫≪面積:44.38(44.38)km2≫≪人口密度84.43人(88.96人)≫
[39057] 2005年 3月 28日(月)20:02:05なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・ 豊後高田市
この市は大分県の北部、国東半島の西側の付け根に位置していて、「仏の里」として名高い国東半島西側の中心都市です。
南東部にかけて国東半島の真ん中に位置する両子山や日本三叡山のひとつである西叡山がそびえ、
北には周防灘が広がっています。
気候は温暖で降雨量の少ない瀬戸内海気候に属しており、農作物の栽培に適した環境に恵まれています。
市の中央に流れる桂川の河口に市街地を形成し、国道213号が市の南北を縦貫する国東半島西側の行政・交通・経済・文化の中心地としての機能を果たしいます。
また、「大分北部中核工業団地」などによる産業の振興と地域の活性化を図りながら、“住みやすい街・夢のもてる街”を目指した環境づくりを進めています。

市の商店街は大正時代から昭和30年代まで近隣の商業の中心地として繁栄を誇りました。
その当時ほどのにぎわいではありませんが、その街並みは昭和初期のたたずまいを残し、独特な雰囲気を持っています。
最近では、商店街の中から「豊後高田街並みめぐり」のイベントを年間3~4回開催し、評判を呼んでいます。街並みめぐりは70店舗ほどが参加し、各家の骨董品などを展示し、商店街を歩いてもらおうとするイベントで、
祭事にあわせ、地域文化にも貢献しています。

≪人口:18,111(18,506)人≫≪面積:124.57(124.57)km2≫≪人口密度145.39人(148.56人)≫
[38960] 2005年 3月 25日(金)23:35:45なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・天瀬町
この町には九州横断自動車道が通っており、天瀬高塚インターチェンジがあります。
この自動車道へのアクセス道の整備などを行ってきましたが、高速道路を地域活性化にどのように活かしていくのかが課題となっています。
この町は、今まで基本的に農業を中心とした第一次産業によって発展してきました。
今後も農業は林業と同様に重要な産業であると考えられます。
また、観光は、温泉街や高塚愛宕地蔵尊などに支えられ、町のアイデンティティを形成するほどの主力産業であり、
今後も産業全体の核となります。
この町の産業におけるビジョンは、農業などの基礎部分となる産業の育成を基本としながら、観光を産業活性化の中核としています。
商店街の活性化と農・林業との融合により、活力ある産業の活性化を目指します。

また、この町は五馬台地の宇土遺跡に代表されるように古代から文化の花開いた地域であることがうかがえます。
高塚愛宕地蔵尊は広く信仰を集めており、町を越えて参拝客が多く、天瀬町そして大分県の貴重な文化的財産となっています
これらの歴史的・文化的遺産も町のアイデンティティを形成する重要な要素であり、これらを守りながら、
新たな文化創造活動をさらに活発化させる動きが高まっています。

≪人口:6,190(6,660)人≫≪面積:101.83(101.83)km2≫≪人口密度60.79人(65.40人)≫
[38917] 2005年 3月 24日(木)18:21:40なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・大山町
この町は、大分県の西部に位置しています。
町の中央部を筑後川の上流になる大山川が流れ、その周辺のわずかな平地や山間に38集落があります。
昭和36年には、後の地域の特産物となる作物が『少量多品目栽培』がNPC運動により行われ、それにともなって町民意識が改革され、新たな価値観を創造するようになりました。
それ以後、3次にわたって活動を展開し、自立自助による町づくりは町民の誇りともなっています。
また、大分県が提唱する「一村一品」の元祖の町として全国的に有名となり、多くの人々が訪れます。
その中で、『県内でも最も早い時期にCATV局を開局』をはじめ、インターネットでの情報サービスなど、
大分県の行動のTOPを切る活動を多くしています。
また、都市と農村をつなぐ拠点地域づくりも行われています。
これから、大山ダム建設を契機に町の更なる活性化や定住の促進・生活基盤の整備を行うとのことです。
また、町内には農産物の豊作を祈願する「梅まつり」、初夏の梅・李の収穫、秋の栗の収穫などさまざまな企画もあります。
この町は今まで培ってきた地域資源をばねにして、『時がゆっくりながれ、人々の喜びが共鳴す“大山郷”』を目指しています。

≪人口:3,646(3,910)人≫≪面積:45.72(45.72)km2≫≪人口密度79.75人(85.52人)≫
[38806] 2005年 3月 21日(月)22:49:19なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・上津江村
この村は、東西南を熊本県に囲まれていて、北は中津江地域と接しています。
筑後川の最上流に位置しており、急な地形となっています。
この地区は阿蘇・玖珠・日田・竹田のいずれからも若干距離を置いたところにあり、
安全な暮らしづくりのために、環境整備や直営診療所、村営バスの運行などを行ってきました。
林業を主幹産業としてきたこの村では、財政対策として、第三セクターの『トライ・ウッド』を設立し、
生産までの一貫した体制を展開し、林業従事者の確保を図りました。
農業でも、高冷地特有の環境を生かした特産物づくりを推進し、より品質の高い安全性の高い農作物の生産を目指しています。
観光面においては、九州唯一の国際公認サーキット場の『オートポリス』や『上津江フィッシングパーク』など集客力の強い施設が集まっていて、
週末には多くの客が訪れます。

≪人口:1,211(1,308)人≫≪面積:88.53(88.53)km2≫≪人口密度13.68人(14.77人)≫
[38805] 2005年 3月 21日(月)22:33:53なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・日田市
この市は大分県西部の中核となる広大な盆地を中心とする都市です。
市内の中心を三隈川に玖珠川・大山川・花月川などの支流が流れ込み、筑後川の上流部を形成し、
古くから『水郷日田』して知られています。
農林業を基幹産業としているこの市では、生産基盤の整備を図りながら、地元企業を支援しています。
この支援や水郷である環境を生かした製品(食品含む)の生産が盛んです。
また、環境保全型農業を目指す、『日田式循環型有機農業』に取り組み、良い土壌づくりも進められています。
また、『地産地消』なども進めています。
これらや『ISO14001』の取得を契機に、『環境日本一』を目指したまちづくりも進んでおり
また、古くから栄えた町を保存する活動が高まっており、中津と同様に旧町名を残す運動なども行われ、
独自の文化や歴史を生かした、『天領日田』のなごりを残すまちづくりも進められています。

≪人口:61,442(62,507)人≫≪面積:269.21(269.21)km2≫≪人口密度228.23人(232.19人)≫
[38801] 2005年 3月 21日(月)20:43:57なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・中津江村
この村は、大分県でも西端部に位置し、福岡・熊本・大分県の3県境があります。
空路は大分空港が一番遠く、熊本・佐賀・福岡の空港はともに90㎞圏内で村の東西南北に空港が4つあります。
この村には、200海里の森があり、筑後川上下流域・有明海沿岸・福岡市等の多くの協賛と共同作業で植林されたものであり、
上下流域都市が心を癒す、出会いと交流のテーマでもあります。
ホタルの里『市ノ瀬公園』・地底博物館『鯛生金山』の砂金採りは県内でもかなりの人気と鳴っていて、道の駅の施設整備も進んでいます。
鯛生スポーツセンターでは、2002年のワールドカップをチャンスとして、ベースキャンプ地として各国を誘致しました。
その後、グランドをはじめとする施設についても各国ナショナルチームの高レベルの要望を満たす改装が行われています。
また、昼と朝夕の気温差が大きく、根わさびをはじめコンニャク、椎茸などの特産物が栽培されています。
また、柚子胡椒はドイツからも発注されるまでになっています。
この村の産業形態や情勢も2002年を境に変わりつつあります。

≪人口:1,296(1,338)人≫≪面積:81.91(81.91)km2≫≪人口密度15.82人(16.34人)≫
[38799] 2005年 3月 21日(月)20:27:01なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・前津江村
この村は大分県の西端に位置し、東は大山地区、南は中津江地区、西は福岡県・熊本県
北は日田地区に接し、
若干東西が膨らんだ形になっています。
村内のほとんどが標高500メートル以上という高冷地で、周囲は山岳に囲まれ、峰高く、渓深く水系を異にする4つの渓谷が南から北へと流れています。
福岡県境に釈迦岳・御前岳、中津江村境に渡神岳など、1200m級の山々がそびえ、これらは訪れる人の目を潤す、
津江山系県立自然公園に指定されています。
また、この自然公園内には、雄大な景色・自然・主要産業である農林業を生かした『椿ヶ鼻ハイランドパーク』などの施設もあります。
『川津シャクナゲ園』もその中の一つです。(英国王立園芸協会から国際登録第1号に登録された名花「卑弥呼」もあります。)

≪人口:1,560(1,646)人≫≪面積:78.99(78.99)km2≫≪人口密度19.75人(20.84人)≫
[38760] 2005年 3月 20日(日)18:29:29なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・鶴見町
この町は九州最東端の岬を保有する東西にとても細長い町です。
大分県南東部に位置し、海岸線はリアス式海岸となっており、天然の良港に恵まれています。
そのため、漁業は県内でも一番といわれるほどで、漁獲量県内第一位となっています。
また、この環境を生かしたレジャー産業も盛んになっています。
漁業体験やウォータスポーツなども楽しむことが出来ます。
また、険しい地形を生かした、果実栽培なども行われており、『マリンレモン』のハウス栽培など温暖な気候を生かした栽培が行われています。
--この町に来たときはあちらこちらに魚に関する店があるので、ぜひよってください。(宣伝です。)

≪人口:4,108(4,335)人≫≪面積:20.24(20.24)km2≫≪人口密度202.96人(214.18人)≫
[38623] 2005年 3月 15日(火)21:59:15なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・本匠村
大分県の南部に位置しています。
一級河川『番匠川』の源流となっています。
大分県南部に広がる山林地帯の奥に位置しており、北側は600m級の山々が連なり、
西側は三国峠などを隔てて、(豊後大野市になる)三重町と接しています。
また、南の宇目地区との間には酒利岳があり、直入地区との間には小さな山々があります。
中央部には番匠川が貫流しており、四季の変化に合わせてさまざまな色を出しています。
近年では、このような豊かな環境を生かした町づくりが進んでおり、それに対応した施設などもできています。
特に河川敷にある『大水車』は県内でもかなり有名で、GWや夏などに多くの観光客が訪れています。
まぁ過疎化は進行していますが、人口の減少自体は若干純化する傾向にあります。
ケーブルテレビなど、地域密着型の情報化が進行しています。

≪人口:1,968(2,049)人≫≪面積:123.15(123.15)km2≫≪人口密度15.98人(15.98人)≫
[38621] 2005年 3月 15日(火)21:32:18なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・弥生町
この町は、四方を山で囲まれ、中央部を番匠川が東へ流れています。
毎年この川を舞台に「番匠川ほたるまつり」「番匠川川まつり」「やよいコスモスまつり」が開催されています。
気候は温暖な気候で降雨量は多く、盆地地形のわりに寒暖の差は比較的少なく居住には好適な条件です。
この環境を生かした街づくりの結果、過疎化が小康状態となり、人口が順調に増加しております。

・・・古くは、縄文時代の遺跡も確認され、縄文・弥生時代の土器片や祭り道具などが多く見られます。
古代では海部郡穂門郷に属し、古墳時代の土器片も確認されたほか、の横穴古墳群が小倉にあり、
古墳時代を代表する品々が出土しています。
中世では、佐伯氏の根拠地となっていました。その後、佐伯市が佐伯氏の拠点となりました。
産業面では、江戸中期以降、新田開発、製紙、製炭、椎茸生産が盛んとなりました。
-この町の面白い合併暦-
この区域内に過去に明治村が含まれており、合併により昭和村へ・・・そして改称して弥生村となりました。

≪人口:7,206(7,079)人≫≪面積:82.89(82.89)km2≫≪人口密度86.93人(85.40人)≫
[38332] 2005年 3月 5日(土)23:08:27なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・佐伯市
県の東南部に位置しており、日豊海岸国定公園の中にあります。
気候は県内でも温暖なほうで、太平洋側の気候に属しています。
佐伯湾中には大入島をはじめ、多くの島が佐伯湾に点在しておりレジャースポットとして多くの客でにぎわいます。
また、リアス海岸により天然の良港である佐伯港を中心として栄えてきました。
毛利氏2万石の城下町でもあり、戦前は軍港として栄え、戦後は造船・合板・セメント・パルプ等の臨海工業都市として発展しました。
近年、佐伯駅前周辺では、集団店舗や商業施設・広場公園・駐車場などの整備を進めており、
市内中心部を中心として再開発事業により商業施設などの整備を計画しています。
あわせて旧武家屋敷通りに、国木田独歩館と歴史資料館を建設するなど、佐伯の伝統・歴史・文化を体験できる施設整備が進んでいます。

≪人口:48,849(50,120)人≫≪面積:197.40(197.37)km2≫≪人口密度253.93人(247.46人)≫
[38329] 2005年 3月 5日(土)22:38:28なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・上浦町
上浦町は日豊海岸国定公園に指定される大分県南部の豊後水道海域の海岸部です。
典型的なリアス式海岸の四浦半島南岸に位置する上浦町は、ひときわ穏やかに美しい海や山を擁し、
その豊かな自然環境を巧みに利用した施設が多くあります。
上浦町内でも大分百景に数えられる『豊後二見ヶ浦』は初日の出のスポットとして年々観光客が増加傾向にあります。
そのほかにも同じく大分百景の『暁嵐の滝』や『三ツ石』などの景勝地も見所です。
また、『瀬会公園』や『蒲戸崎自然公園』など自然を生かした公園を整備されています。
そして、町内でも最も有名なギネスブックに登録されている長さ65m、最大径1mのジャンボしめ縄の張り替えが行なわれております。

≪人口:2,580(2,714)人≫≪面積:15.67(15.67)km2≫≪人口密度164.65人(173.20人)≫
[38168] 2005年 2月 28日(月)22:45:17なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・山国町
山国町は、大分県の北西部、山国川の源流に位置している山間の町です。
町の中央部を山国川が貫通し、地形的にも深い谷を形成しています。
標高は、200m~1,200mまでと標高差のある変化のある地形となっています。
このため河川は急流であり、美しい河川、渓谷景観を有しています。
国道212号により、東を中津市、西を日田市と接し、英彦山に通じる国道496号によって、福岡県側と連絡し、県道により玖珠町とつながっています。

西暦713年の豊前風上記では、
「高瀬川(山国川)は下毛の奥なる山の国より流れ出で、その源は彦山の東より出る大川なり。
この川に沿って登れば山国谷に至る。この谷深くして村里多く風景宜しき処なり。」
とあり、古来より自然に恵まれた景観のすぱらしい土地であったことがわかる。
天領日田代官直轄地並びに中津藩及び森藩の合計10力村に分けられ明治に至ります。
昭和26年4月に三村合併によって「山国村」が誕生し、昭和33年4月に町政が施行され現在の「山国町」となりました。

≪人口:3,277(3,462)人≫≪面積:119.85(119.85)km2≫≪人口密度27.34人(28.89人)≫
[38166] 2005年 2月 28日(月)22:36:56なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・耶馬溪町
耶馬溪町は大分県・福岡県境となっている山国川の中流~上流に位置しています。
奥耶馬渓などの険しい渓谷にある紅葉が秋になると綺麗な紅色に染まります。
その知名度は全国有数であり、九州の代表的な紅葉スポットとなっています。
特に、春は若葉もみじ、秋は錦もみじで美しい景色に包まれた渓谷の中程にあり、展望台より夫婦岩、烏帽子岩仙人岩等周囲の景勝八景が一目で望めるポイントがお勧めです。
また、擲筆峰など雄大な自然が広がり、渓石園などの美しい庭園もあります。
それらや避暑地である環境を生かしてアウトドア用の施設も充実しています。
また、町内には多くの史跡・文化財があり、九州にも数少ない最古の山城である『長岩城址』、古くから伝わる『やんさ祭り』『桧原まつ』もあります。
産業の基盤は主に観光で、雄大な自然を生かした街づくりも行われています。

≪人口:5,131(5,459)人≫≪面積:183.70(183.70)km2≫≪人口密度27.93人(29.72人)≫
[38164] 2005年 2月 28日(月)22:19:32なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・本耶馬溪町
本耶馬溪町は、大分県・福岡県との県境となる山国川の中流に位置しています。
山国川沿いの市町村のなかで沿岸平野と内陸山間部の境界に位置している。
英彦山系の小山群が連なり標高100m~500m余りに及ぶ急峻な山間部に小平野が開け、村域の87%が林野で耕地は5%と少なくなっています。
山岳地帯は、溶岩浸触により「青の洞門」をはじめ、いたるところに奇岩奇峰が起状しており、
河川は町北部を山国川が横断し、これに多くの支流がそれぞれ合流していて、これらの河川流域に沿って121もの集落が点在しています。
明治以前は、豊前国中津藩と、天領日田代官の下にあったが明治4年の廃藩置県により中津県、更に小倉県、福岡県と変わり、明治9年8月に現在の大分県管轄となった。
その後、多くの合併を繰り返して、現在に至っています。

≪人口:3,690(3,910)人≫≪面積:85.46(85.46)km2≫≪人口密度43.18人(45.75人)≫
[38163] 2005年 2月 28日(月)22:11:32なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・三光村
大分県の最北端に位置している小さな農山村です。
南部の八面山(標高659m)を主峰とし、ここから北西部に向けて平坦地が開けている。
また、八面山を水源として犬丸川が村を流れています。
奈良時代からこの地には、華やかな仏教文化が開花していました。
702年に九州最古の飛鳥像とされる銅造観音菩薩立像が伝わって来ました。また、当村域は古代から中世にかけて、宇佐宮の神領でした。
そのため、猪群が和気清麻呂を守護したといわれる猪山社、宇佐宮上宮の第三殿を造営するために斧立神事を行った斧立社等、宇佐宮と密接に関係する神社が存在しています。
また、当村のシンボルである八面山は英彦山・求菩提山と同様に修験の霊山として著名である。
発足当時当初8,200余人あった人口も、高度成長期には減少の傾向をたどりました。
しかし、最近まで緩やかな増加傾向にあり、現在も減少幅は大きくありません。
現在、豊かな自然を十分に生かすとともに、積極的な工場誘致、及びさまざまな村おこし事業等によって、村の活性化を図っています。

≪人口:5,528(5,713)人≫≪面積:46.02(46.02)km2≫≪人口密度120.12(124.14)人≫
[38161] 2005年 2月 28日(月)22:00:07なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・中津市
中津市←(県内最大規模の城下町)
大分県の西北端で、中津平野のほぼ中央部に位置しています。
西側は山国川を挟み福岡県と隣接していて、北には瀬戸内海の周防灘が広がっています。
人口も県内有数の多さで、昔から県北の中核都市として機能してきていて、豊前地方でも有数の商業及び農業の中心地として発展してきました。
また、明治時代に入っても福沢諭吉等先覚者の輩出もあり、製糸工場・紡績工場が相ついで立地し、地域の繁栄に寄与しました。
県都の大分市まで82km、北九州市へは52Kmの距離にあり、古くから交通の要衝としても繁栄してきたまちです。
近年ではさらに交通整備が進み、2004年末には大手自動車企業の工場の操業が始まり、地域経済発展に多大な期待が寄せられています。

≪人口:67,252(67,083)人≫≪面積:55.58(55.58)km2≫≪人口密度1210.00(1206.96)人≫
[36238] 2004年 12月 31日(金)08:41:48なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・野津町
-野津町-(吉四六さんとおへまさんの町)
この地域では頓知やユーモアに満ちた吉四六物語を作り上げた地域です。
やはり臼杵市と同様にキリスト教が広く普及して広い範囲が江戸時代は臼杵藩に属していました。

野津町は多くの山々に囲まれており、東西に野津川が注ぎ込んでいます。
国道も臼杵からこの町を通って三重などの国道502号線が接続されており、新市内における南部・西部地区のアクセスの重要部にも位置しています。
この町は北側を中心として農業がかなり盛んで、兼業・専業を問わない場合は町民の約半分が農業を営んでいます。
当然のごとく農業が主産業のひとつであり、畑作・稲作のみならず、みかんをはじめとした果樹園や酪農も盛んです。

コメントによる紹介:最初の一文の通り、吉四六さんの発祥の地です。
          今や大分県全域に語り継がれる大分の代表的な物語の1つとなっています。
          実はですね、これは実在の人物『廣田吉右衛門』という人の物語で、
          88年間の人生を歩んでいるのですが、これで終わりではありません。
          11代に渡って襲名され、長い時代の物語となりました。
          ただ何代目が有名な話のじんぶつなのかは定かではありません。
          ☆もっと詳しい情報は“吉四六さん”で検索してください。

≪人口:9163(9700)人≫≪面積:139.19(139.19)km2≫≪人口密度:65.83(69.69)人≫
[36237] 2004年 12月 31日(金)08:20:45なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・臼杵市
-臼杵市-(昔から息づく大仏の町)(なごり雪の町)
~歴史~
古くからこの地域には人々が住んでおり、縄文時代の遺跡も複数個見つかっています。
この地域の支配者が大神氏から大友氏に代わる中世には臼杵磨崖仏をはじめ国・県指定の石仏も多く作られました。
戦国の世になりますと、キリスト教の影響を大きく受け、丹生島城を期にして南蛮貿易が盛んになり、西洋文化との交流が活発に行われました。
江戸時代には臼杵藩の中心地としてこの時代が終わるまで推移しました。
この地域では武家屋敷や商屋の町並みが形成され、稲葉氏5万石の城下町としての佇まいをいまも残すほどです。
その後合併を繰り返しまして、現在の臼杵市が1954年に成立しました。

~現況~
中心部はリアス式海岸に囲まれた三角州となっています。
気候は温暖で海と山に囲まれ自然の幸に富んでいます。
主に造船業が盛んでありフンド-キンなど醸造業も古くから盛んで大仏やかぼすなどの特産物、
さらには近年の臼杵を舞台とした映画の公開などと観光業がかなり盛んです。
行政サービスが充実してきており、財政状況をバランスシート・サービス形成勘定で明示・
早くから財政改革に取り組み、住民へ対しての公開政治が進んでいます。
市民評価を取り入れた「市サービス検証システム」を構築中であり、(合併後も継続)
01年放送開始のCATVの双方向性を、医療・福祉・行政サービスなどの分野で活用しています。

≪人口:34822(35786)人≫≪面積:151.87(151.83)km2≫≪人口密度229.29人(235.70人)≫
[36236] 2004年 12月 31日(金)07:51:12なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・野津原町
-野津原町-(大分の自然豊かな教育に結構貢献してる町)←少年自然の家とか博物館が中部地区では絶対訪れるのです。
大分県のほぼ中心に位置しています。自然環境やそれを活用した産業も盛んです。
以前は大分市などの都市化により過疎化が進んでいましたが、市街地の進行に伴って現象は純化を示しました。
近年では、IC工場が建てられ、食品工場も進出しまして、看護科学大学も設置されました。
平坦地は狭く、77.7%(縁起がいい)の自然に囲まれていて、壮大な山々に囲まれています。
大分川が流れており、下流地域への水の供給の源となる『大分川ダム』もあり、10万人以上のUSERを潤しています。
七瀬川(大分川の支流)も流れていて、蛍などが良く見られます。
この地形により町民5000人は平坦地から標高500mに及ぶ山間部にまで生活域が及んでいます。
産業振興や生活環境は決してしやすい環境ではないのですが、独自の文化や壮大な自然環境を生かしたまちづくりがされています。
ちょっとしたコメント:今市の石畳は地名になるほどのものですので、一度見物にきてみてはいかがでしょうか?

≪人口:5035(5094)人≫≪面積:90.74(90.74)km2≫≪人口密度55.49(56.14)人≫
[36228] 2004年 12月 30日(木)22:04:39【1】なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・佐賀関町
-佐賀関町-(全国名高い“関サバ”“関アジ”の産地)
~歴史~
佐賀関半島部は豊予海峡を経て、愛媛県佐田岬半島と相対しています。
歴史は古く、神武天皇が東征の際、立ち寄られたという伝説があります。
また、昔から九州・四国・瀬戸内地域・近隣との交流が盛んであり、
海上交通の要所で海部郡佐加郷と呼ばれておりました。
また、瀬戸内海航行の取締りにあたる関司が置かれ、現在の地名の由来となっています。
数次の合併を経て明治40年に神崎村・佐賀関町・一尺屋村の三町村となり、
昭和30年1月1日この三町村が合併して現在の佐賀関町が誕生し、現在に至っていりました。

~現況~
リアス式海岸による天然の良港を生かし、水産業・銅の精錬により発展してきました。
高度経済成長期を過ぎて第2次産業の発展が停滞してくると、人口が急減しました。
しかしながら、関アジ・関アジのブランドを生かして、水産業の町づくりを進めています。
海上交通として国道197号線の『国道九州四国フェリー』が三崎町に出航し大分の東の玄関口となっています。
周囲は海に囲まれているので、海洋性の気候であり、瀬戸内気候に属しています。

≪人口:12028(12860)人≫≪面積:49.42(49.39)km2≫≪人口密度:243.38(260.38)人≫
[36226] 2004年 12月 30日(木)21:33:50なお さん
大分ん市町村58のプロローグ・・・大分市
自分の故郷の自治体の合併直前の紹介をする流れがありますので、
以前合併後自治体の紹介をしていたので、便乗したいと思います。

-大分市-(僕の住んでいるまち)
古代の坂門津から現在の新産業都市形成まで、瀬戸内ルートを主幹にした「海の道」を媒介に市史を刻んだ東九州の要地であります。
豊後国府以来、現代まで1300年にわたり現在の大分県とほぼ同じ区域の政治を担ってきています。

~これまでの道~
古代、亀塚古墳(現住の地区に存在)など別府湾沿岸に古墳が営まれ、豊後での古代勢力形成の中核となりました。
その後、全国に建立された64か国の国分寺のうち3指に入る壮大な七重塔を持った豊後国分寺が造営されました。

戦国の世になりますと、東九州初の商業地である府内町が形成され、いち早くキリスト教を導入しました。
また、日本で最初に西洋文化の摂取に努めた英傑大友宗麟の出生・繁栄の中心地でもあります。

江戸の世になりますと、府内町は東九州最大の商業地となり、藩分立の中にも鶴崎、三佐、戸次など藩を超える地域づくりが展開されました。

明治時代には県庁が置かれ、1911年に現在の本庁地区をもって大分市が市制移行しました。
ほぼ同時期に鉄道などの交通機関が整備されて、都市的なシステムがおおよそ整備されていきました。
第二次世界大戦で大きな被害をうけました。
しかし、飛躍的な復興をとげ、1963年には鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町と対等合併を行いました。
翌年には新産業都市に指定され、戦後日本の高度経済成長の典型的な事例として現在も産業が興隆しています。

~現況~
大分県の県庁所在地であります。
鉄道3線や高速道路など県内外からの主要幹線道が合流する要地に位置し、
豊後水道を経由して内外に通じる海上交通の要衝も占め、東九州における経済活動の動脈を形成しています。
さらに、将来の太平洋国土軸と地域連携軸とがクロスする位置にもあります。
高崎山自然公園・田ノ浦海岸や霊山・九六位山などの山々が大分市の周囲を囲んでおり、
その合間から流れる大野川・大分川が貫通し、乙津川などの分流へ分かれたりなどしてまして海に注ぎ込まれます。
海岸部では鉄鋼や石油に関する工業がかなり発達しており、内陸では上の自然に溢れた環境を生かした精密工業が盛んです。
それらを運搬するのにも良いU字型の湾も自治体を超えて有しております。
官庁街や商業地・工業地帯の周りの平野部に広く住宅が広がり、丘陵地には大規模団地が形成されています。

≪人口:443977(436470)人≫≪面積:360.97(360.74)km2≫≪人口密度:1229.96(1209.93)人≫
()は国勢調査当時、()なしは2004年10月1日現在です。


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