[81419] KTさん
現在の矢吹町東の内は、旧矢吹町と広戸村にまたがっていることが分かります。
調べていただいてありがとうございます。早速、KTさんが提示された境界線を繋いでみました。自然な流れの境界線で納得いたしました。東の内の西半分が旧矢吹町ということは、旧矢吹町大字大和久(江戸期~明治22年の大和久村)の一部だったのでしょうね。
5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)
その地形図に注記(表記)してある集落名についてお尋ねします。矢吹町に合併した広戸村の区域は現在、境町、本郷町、南町、東の内、田内、子ハ清水の6つに区分されています。しかし、昔の5万分の1地形図は集落注記の数が今より少なかったですから、その区域内に注記された集落名はせいぜい2個程度かなと推測します。もし、私が明治41年に生きていたら、そして5万分の1地形図に注記する集落名を選択する立場の人間だったなら、現在の本郷町の家屋密集地を指して「柿之内」と注記し、田内の家屋密集地を指して「田内」と注記する。この2つで集落注記はOKかなと思いました。境町、本郷町、南町、東の内、子ハ清水は注記されていないと踏みましたが、実際のところ、5万分の1地形図「須賀川」(明治41年測図)ではどのようになっていますか。