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伊豆之国さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[89037]2015年11月7日
伊豆之国
[89003]2015年11月2日
伊豆之国
[88891]2015年10月13日
伊豆之国
[88885]2015年10月12日
伊豆之国
[88846]2015年10月4日
伊豆之国

[89037] 2015年 11月 7日(土)15:58:11【1】伊豆之国 さん
五番勝負
問一:東京都府中市/東京都稲城市

【※解答部分には手をつけず追記】
こういった場合では、このような丁寧な表現にしてよいのでしょうか?
[89003] 2015年 11月 2日(月)12:00:04伊豆之国 さん
五番勝負
…いやぁ、「まだ十番勝負より易しい」なんてとんでもない!今回は「参加賞狙い」で尾張賀茂…

問三:愛知県南知多町

「秋休み」にはここまでたどり着けませんでした。
[88891] 2015年 10月 13日(火)22:27:23伊豆之国 さん
三分坂
[88886] あきすて さん
ずいぶんと久しぶりですね…

さて、
3分の読みは、十進だと"さんぶ(sambu)"、六十進だと"さんぷん(sampun)"と変化するところに面白く感じてます
この「分」の読みに関連して、以前から度々引用させていただいている「江戸の坂 東京の坂」(横関英一氏著・昭和45年初版…[83731])という本の中に、「三分坂と江戸銭値」と題して、東京・赤坂にある「三分坂」の読み方と、江戸時代の金銭価値に関する記事が紹介されていました。
この記事によると、「江戸名所図会」や、明治末期に東京市により編纂された「東京案内」などの地誌でいずれも「三分坂」に「さんぶざか」と読み仮名を振り、「東京案内」では「急坂なのでここを通るときに車力賃三分を割り増しした」といった説明文が付けられています。しかし、横関氏は「三分坂」を「さんぶざか」と読むのは明らかに誤りだと断定し、その根拠として「江戸時代に『三ぶ』と言えば金一両の4分の3にもなり、(この本が出版された当時では)2万円に相当する大金で」、「近道するためにたかがこのくらいの坂を上るくらいでそんなにお金を取られることなど絶対にありえない」として、「『三分』は「さんぶ」ではなくて『さんぷん』と読むべきであり」、「『三ぷん』とは『銀一匁の10分の3』」、つまり「分(ふん)」とは
(3)重さの単位。一匁の十分の一。0.38グラム
([88888] オーナー グリグリ さん)のことで、「金一両を銀60匁として、『銀三分』は20文に相当し、(出版当時では)せいぜい100円程度に過ぎない」とし、その後に江戸末期の諸物価との比較や、「もし『三ぶ坂』が正しいとしたらどういうことになるのか」といったくだりがかかれ、また江戸時代に著された書物をいくつか紹介し、いずれも「三分」に「さんぷん」と読み仮名を付けていること、「三分ン坂」「銀三分」と表現して「金三ぶ」と間違えないように親切に書いている例があることなどいくつか例証を挙げ、最後に文化年間に詠まれた

 秤目に積もりて見れば銀世界 三分坂に足らぬ初雪

という狂歌を紹介して、常識から見ても「三分坂」は「さんぷんざか」でなくてはならないと「ダメ押し」を加えています。

…「初雪」といえば、もう北海道では平地でも初雪の便りがちらほらという時季になって来ましたが、一昨日、「富士山で初冠雪が観測された」というニュースがありました。3週間ほど前、三保の松原から見た富士山は、山頂にも雪がなくて黒々とした印象でしたが([88822])、今朝の出勤途中の電車の窓から見えた富士山は、すっかり雪化粧していました…。
[88885] 2015年 10月 12日(月)20:10:38伊豆之国 さん
実質「市」
[88883] 白桃 さん
「町」から「昇格」した三つの自治体はさて、どこ(石川)、どこ(徳島)、どこ(長崎)でしょうか?


その町とは…
石川県:今頃がまさに「旬」の果物が前に付くと、初夏の花に変身します。
徳島県:「色名&植物名」の字が付きます。
長崎県:名古屋市某区とは「姉妹都市」(?)です。

…いかがでしょうか?

滋賀の12
滋賀県で唯一「市の地位を剥奪される」市は、「天下分け目の関ケ原」のお隣、新幹線が停まる市ですね…。

♯遅くなりましたが、
[88860] N さん
[88862] かぱぷう さん
ご当地ならではの情報をいただき、ありがとうございました。
[88846] 2015年 10月 4日(日)21:12:10伊豆之国 さん
西鉄福岡市内線
昨日の某公共放送の「中洲産業大学教授・森田一義氏」の番組で、「福岡と鉄道~発展を支えた天神の市電・西鉄大牟田線・新幹線」と題して、福岡市の鉄道の話が放映され、番組ではその森田氏が故郷・福岡に「帰郷」し、「2本の市電が敷かれ、更に西鉄電車のターミナルにもなったことで急発展した『天神』」「市電の線路跡の面影が残っている場所」「かつて大牟田線で活躍し、今は廃車解体を待つ電車(最近まで宮地岳線→貝塚線で走っていた『313型』)」「通勤新幹線・博多南線」などの映像が出てきました。
番組の中では、「博多駅が現在の位置に移ったのは昭和30年代になってからで、その当時はまだ田園地帯の真っ只中だった」という話も出ていました。「博多駅は移転した」ということは、その昔どこかで見た記憶はあったのですが、それが本当のことだった、ということがここで初めてわかったのでした。

…福岡市内線の全廃は、昭和54年。私が初めて九州、そして福岡市を訪れたのはその9年後だったので、もうその頃には「市電」の面影はほとんどありませんでした。
私も頻繁に出入りしている「鉄」系ブログから、廃止直前の福岡市内線の写真と記事をリンクしておきます。その1,その2,その3

>ご当地「福岡熱愛」のかぱぷう さん、遠慮なく反応をどうぞ…。


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