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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[28405]2004年5月18日
TGRS

[28405] 2004年 5月 18日(火)23:29:57TGRS さん
九州の50サイクル地区
[28255]hmtさんにご紹介いただいた、
また、「九州周波数統一史」(昭36 九州周波数統一協議会)という本もあるようです。
この本、読んできました。また都立中央図書館です。

《さっそく余談》都立中央図書館、今年の4月から平日の開館時間が21時までになりまして、非常に便利になりました。でも5月20日~6月3日は特別整理休館日ですので、お気をつけください。(昨日行っておいてよかった~)

さていよいよ「九州のうち50サイクルだったのはどこ?」について。
発電を始めた頃は、それこそいろいろなサイクルの電気があったそうです。それが、明治から大正にかけての群小電力会社の整理統合により、50サイクルと60サイクルの2種に統一されました。
 50サイクル : 九州水力電気、九州電気軌道、日本水電の供給区域に属する北九州・筑豊地区を含む東部及び南部
 60サイクル : 九州電燈鉄道、熊本電気、鹿児島電気の供給区域に属する西部
と書かれてありました。でもこれだとそれぞれの会社の供給区域がわからないとはっきりしませんよね。本文や付図によると、50サイクル地域は、大まかに以下の範囲です。(地名は本文に書かれているとおりに転記します)
 ・北九州 ・筑豊炭田 ・糟屋炭田 ・福岡市東部 ・大分県 ・宮崎県東海岸沿い ・鹿屋地区(大隅半島) ・水俣市周辺
福岡市-北九州-宮崎県までは連続していますが、鹿屋地区と水俣市周辺は、飛び地です。ちなみに電力会社の整理統合時、大分県と延岡地区のほとんどは60サイクル→50サイクルに変更しています。

さて、九州が60サイクルに統一されるまでの経緯をちょっとだけ。

九州で50サイクルと60サイクルとが混在していることの何が問題だったかというと、
 (1) 50サイクルの地域は炭鉱が多いので昼間に、60サイクルの地域は化学工業及び伝統が多いので初夜に電力消費のピークがあり、それぞれが融通し合えないこと。
 (2) 60サイクルは中国地方からの電力融通が受けられるが、50サイクルは受けられないこと。
 (3) 60サイクル地域が中国地方からの電力融通を受けるために北九州にも60サイクルの電線があったが、そのため50サイクル・60サイクルどちらの電線も“細い線”になり不安定であったこと。
なのだそうです。特に戦後すぐは電力が不足していたので、電力融通については大いに困っていたようです。特に北九州は工業地帯ですし。

また、福岡市東部では、かつて東邦電力と九州水力電気との競争地域で、50サイクルと60サイクルが錯雑しており、『九州周波数統一史』の「総論_1.はしがき」には、こんな泣けてくる文章がありました。
九州の電力系統も、日本の電力系統の縮図でもあるかのように東半の50サイクルと西半の60サイクルが殆んど伯仲していた。その中でも福岡県は又九州の縮図で東半は50サイクル、西半は60サイクルであり、福岡市は又その縮図で、東半が50サイクル西半は60サイクルであった。家庭用の電気時計や扇風機でさえ隣の町内へ引越す時には頭をひねったものである。

そこで、北九州地区周波数統一協議会が昭和24年7月に結成され、9月に関係官庁に陳情した結果、「九州に於ける電力の周波数は将来60サイクルに統一するものとする」と閣議決定(昭和24年12月13日)され、

第1期 (昭和26年度まで)
 福岡市の一部、北九州の一部(大分方面への海岸沿い)、大分、宮崎
第2期 (昭和35年6月まで)
 福岡糟屋炭田、筑豊炭田、北九州の大需要家(八幡製鉄、三菱化成等)、水俣地区

という順で60サイクルに統一されたのでした。(鹿屋地区は先行して昭和24年1月に60サイクル化)

なお、この時点でも旭化成延岡工場、新日本窒素肥料水俣工場の自家用送電系統設備は50サイクルで、これらは熊本宮崎の県境(高千穂の奥付近)で繋がっていました。

…というのが、九州が60サイクルに統一されるまでの経緯でした。

なお、九州以外にもサイクルの飛び地は存在していたようで、
 中部電力管内の長野地区 50→60(昭和36年3月までに変更)
 東北電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年2月までに変更)
 東京電力管内の常磐地区 60→50(昭和36年5月現在準備中)
などのサイクル変更があったとのことです。

この本を読んで、日本に於ける周波数についての政府の考え方がいろいろ揺れていたという興味深いことも分かったのですが、落書き帳の本旨から外れるのもこの辺が限度だと思いますので、このへんで。(結局、60サイクルへの統一の経緯のほうが長くなってしまった…)

ちょっと落書き帳っぽいことを言いますと、この本が出版された昭和36年5月現在、北九州市は発足前なのですが、すでにこのあたりのことを「北九州」と呼んでいるんですね。


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