[81937] hmt さん
リンクしていただいたページは残念ながら再生できなかったのですが、平凡社の事典で確認したら少し違いました。
日本歴史地名大系 29巻I p.246(西宮市のうち)田近村
中世の村名。西昆陽庄に含まれ、武庫川と仁川の合流点付近。16世紀初の洪水のため全村流失し、村民は対岸の西昆陽村に移住した(西昆陽部落有文書)。このため戦国期に活躍した田近氏と称する土豪も西昆陽を拠点としている。
再生できませんでしたか。年代はだいぶ違っていますが、大筋では同じような記述ですね。
鳴尾に代る競馬場予定地として逆瀬川に作られていた厩舎を移し、仁川を本格的に阪神競馬の立地としたのは、JRA設立後の 1956年でした。これに伴い、競馬場に隣接する「田近野」も付帯施設用地として使われ、このことが 「尼崎市から西宮市への境界変更」を実施させた動機ではないかと推察します。
リンクしたページでは、境界変更の経緯についても、触れられていまして、それによると、戦国期ころに開設され西宮市域の広い範囲に水を供給していた百間樋用水の取水口が、田近野町近くにあり(地図で確認すると宝塚市美幸町にあるようです)、江戸期から村々が用水の利用料を支払っていて、西宮とのつながりが強かったからとされています。
直接言及されてはいませんが、境界変更時点でもなんらかの費用負担があって、それを解消するためだったことが推測されます。
件のページは、問い合わせ先が西宮市広報課となっていますので、内容はかなり信頼のおけるものだと思います。