年月日 | 協議状況・経過等 |
1999年7月15日 | 研究会「合併に関する研究会」設置 |
2001年10月1日 | 研究会「亘理町・山元町合併問題調査事務研究会」設置 |
2002年11月8日 | 研究会「亘理町・山元町合併研究会」設置 |
2003年4月 | 亘理町,山元町の法定協議会設置に関する住民アンケート(住民50%対象)の結果 |
| 亘理町:「必要・どちらかといえば必要(79.3%)」「どちらかといえば必要ない・必要ない(19.9%)」 |
| 山元町:「必要・どちらかといえば必要(85.7%)」「どちらかといえば必要ない・必要ない(13.2%)」 |
2003年5月15日 | 亘理町,山元町は法定協議会設置で合意 |
2003年7月14日 | 法定協議会設置 |
2005年3月4〜13日 | 合併の是非を問う住民アンケートの結果 |
| 亘理町:「賛成(28.2%)」「どちらかと言えば賛成(16.4%)」「反対(31.8%)」「どちらかと言えば反対(10.4%)」「どちらとも言えない(13.1%)」 |
| 山元町:「賛成(51.4%)」「どちらかと言えば賛成(17.7%)」「反対(13.6%)」「どちらかと言えば反対(5.9%)」「どちらとも言えない(11.4%)」 |
| 合併予定期日:2006年1月1日 |
| 新市名公募上位9点:わたり,亘理,亘山(わたやま),はらこめ,阿武隈(あぶくま),あぶくま,いちご,仙南,亘元(わたもと) |
| 新市名最終候補6点:わたり,亘理,阿武隈,亘山,あぶくま,亘理伊達 |
| 新市名:亘理市(わたりし) |
| 新市役所:現・亘理町役場(新庁舎設置までの間) |
2005年3月16日 | 亘理町長は2町での合併を断念 |
2005年3月24日 | 亘理町議会が「合併関連議案を提案し,議会に委ねるよう求める決議案」を可決 |
2005年3月24日 | 山元町議会が「亘理町長と積極的に協議し,合併実現を求める決議案」を可決 |
2005年3月24日 | 協議会廃止案を2町が否決,協議会を休止扱いに |
2008年6月 | 山元町が亘理町に合併協議を申入れ |
| 山元町は「新設合併」,亘理町は「亘理町への編入合併」を検討 |
2009年3月10〜11日 | 山元町は新設合併を推進へ |
2009年6月10日 | 山元町長が亘理町への編入合併推進を表明 |
2009年8月10日 | 山元町議会が「山元町と亘理町の合併に関する請願(特例法期限内の合併協議の再開と推進)」を”期限は設けずに合併推進”との意見を付したうえで採択,また「亘理町との合併方式を「編入」合併としないことを求める請願(合併協議に慎重)」も採択 |
2009年9月7日 | 山元町長が特例法期限内での亘理町との合併を断念,引き続き亘理町への編入合併推進を表明 |
2009年9月18日 | 山元町議会が山元町長に対する「問責決議案」を可決 |
2010年3月23日 | 山元町長が退職 |
2010年4月25日 | 宮城県山元町長選で亘理町との早期合併を唱えた斎藤俊夫氏が初当選。「新設対等とか吸収編入の形式にはこだわらない」との踏み込んだ姿勢を打ち出し、人口5万規模の「亘理市」実現を主張。 |
2014年4月21日 | 東日本大震災の津波で町の約4割が浸水する被害に遭った宮城県山元町で20日、任期満了に伴う町長選が投開票され、無所属現職の斎藤俊夫氏(65)が無所属で元町長の森久一氏(68)を破り、再選を果たした。投票率は70・44%。
復興に向け、町中心部の3カ所に宅地や商業施設を造成し、被災地域を集約する「コンパクトシティー構想」の是非が最大の争点で、町が進める構想の実現に一定の信任を得た形。得票数は斎藤氏3983票、森氏3789票で、わずか194票差だった。
斎藤氏は「議会や町民の皆さんと今まで以上に連携を強め、将来に誇れる町づくりに全力投球したい」と述べた。−中日新聞− |