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落書き帳アーカイブズ 旧制中学系の高校のリスト関東甲信越編です。

旧制中学データベース(関東甲信越編)



★推奨します★(元祖いいね) YSK いっちゃん
編集:YSK

記事数=14件 更新日:05年06月19日
記事#記事日付
記事タイトル
発言者
[16715]2003年6月13日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/08 茨城県編 深海魚
[16718]2003年6月13日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/09 栃木県編 深海魚
[16719]2003年6月13日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/10 群馬県編 深海魚
[16720]2003年6月13日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/11 埼玉県編 深海魚
[42457]2005年6月19日
いや、母校なので。。。 まて
[16739]2003年6月14日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/12 千葉県編 深海魚
[16751]2003年6月14日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/13 東京都編 深海魚
[16756]2003年6月14日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/14 神奈川県編 深海魚
[16760]2003年6月14日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/15 山梨県編 深海魚
[16876]2003年6月16日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/16 長野県編 深海魚
[29369]2004年6月16日
はじめまして。 早春賦
[29371]2004年6月16日
二重送信すみません。 早春賦
[16901]2003年6月16日
旧制中学 データ・ベース 第二弾/17 新潟県編 深海魚
[22974]2003年12月22日
栃木中学について いっちゃん



[16715] 2003 年 6 月 13 日 (金) 16:02:28 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/08 茨城県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

さて、いよいよ我が地元編。学制改革の際は、当時の公立校は単独継承で移行した為、当時全国的に多用された男子系の 「一高」、女子系の 「二高」 という暫定的名称 (仙台二高 → 仙台二中 の様な例外もありますが。) が今日に至るも健在である点は、これまで申し上げた通り。しかし、太田、鉾田、水海道、竜ヶ崎の各一高では、戦後一時期、単純に街の名前を名乗った時期があり、二高系は当時 「○○女子高」 を名乗っていました。それを敢えて 「第一」 「第二」 に改めたという事は、共学化を意識していたという事ですかね。(ちなみに、バンカラの巣窟とされた私の古巣では、1950年に初の女生徒二名を受け入れています。)

茨城二、三中 (共に 1883年創立) と土浦、下妻の両一高との継承関係については、決め手となる資料が見付からない為、水戸の茨城県尋常中学から分校として派生した時点を以て創立と解釈しました。その系譜からすると、県立中学十校のうち、半数以上の六校が水戸を中心とした 「親戚筋」 となる訳で、これは済々黌を中心に派生した熊本県立中学の陣容に通じるものがあります。日立学区の最難関校である日立学区は 1927年の単独創立。神奈川県立川崎中と同年で、この辺りに何やら工都としての時期的な必然性を感じます。元々は独自学区を代表する存在でありながら、農村部の少子化から、日立学区の外縁部という位置付けに落着いた太田一高の方がよほど先輩格で、こうした一種の逆転現象に、工都を擁する地域ならではの特有の趨勢を感じた雑魚でした。

県内最古参である茨城高が中等教育機関と認定されたのは昭和に入った 1927年。それ以前の自彊舎、弘道学舎、水戸塾、水戸学院が、どの様な内容の学校だったのか気になるところ。ちなみに、男女共学、中高一貫制強化に移行して初の卒業生を輩出した今春の進学実績たるや、案の定、という感じでしたね。水戸界隈では益々人気が高まるだろうな。

県立1878)水戸第一茨城師範学校予備学科、茨城中学、茨城第一中学、県尋常中学、
県中学、県水戸中学、県立水戸中学
1897)下妻第一県尋常中学下妻分校、県立下妻中学
土浦第一県尋常中学土浦分校、県立土浦中学
1900)太田第一県立水戸中学太田分校 / 太田高校
水海道第一県下妻中学水海道分校、県立下妻中学水海道分校、県立水海道中学 / 水海道高校
竜ヶ崎第一県土浦中学竜ヶ崎分校、県立竜ヶ崎中学 / 竜ヶ崎高校
1922)鉾田第一県立鉾田中学 / 鉾田高校
1927)日立第一県立日立中学
1928)県立境中学
1929)麻生県立麻生中学
私立1814)茨城水戸藩弘道館、自彊舎、弘道学舎、水戸塾、水戸学院、茨城中学

次号予告) 栃木県編

[16718] 2003 年 6 月 13 日 (金) 17:19:19【1】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/09 栃木県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

埼玉、栃木、群馬の三県立高校は、宮城県立と同様、旧中系および高女系の別学制度が残っていますが、栃木県の場合、石橋、今市の二校は既に共学化されている模様ですね。一方、烏山の様に自然豊かにして比較的静かな街でも、烏山高、烏山女子高の並立制が見られる辺りに固有の印象を覚えます。

栃木県といえば、1873年の栃木、宇都宮両県の統合に際し、県都を宇都宮とする代わり、県名に 「栃木」 の名を残すという バーター措置が採られた様ですが、栃木高が宇都宮高の前身から派生したのは 1896年ですから、旧栃木県の筆頭校には成り得なかった訳です。同校が栃木中学を名乗るのは 1901−48年ですが、実は宇都宮高の前身でも、1879年の一時期に、栃木県全域を代表する意味合いか、「栃木中学」 を名乗っており、この辺りの命名感覚、落書き帳では広域性の意味合いの是非を巡り、物議を醸すかも知れませんね。

両毛地区で少し意外に感じたのは、足利高の創立年が佐野高より 20年遅いという事。もっとも、県境を隔てた群馬県尋常中学新田分校あらため太田中学が 1897年に開学している事から、あるいはこちらに集約されたのか、とも思われます。

ところで、でるでるさんの母校も結構な老舗だけれど、旧中系ではないのでしたっけ?

県立1879)宇都宮県師範学校附属予備学校、栃木中学、県第一中学、県中学、県立第一中学、県立宇都宮中学
1896)栃木県尋常中学栃木分校、県第二中学、県立栃木中学
1900)真岡県第三中学、県立真岡中学
1901)佐野県第四中学、県立佐野中学
1902)大田原県立大田原中学
1907)烏山私立烏山学館、私立烏山中学、県立烏山中学
1921)足利県立足利中学
1924)石橋(詳細不明)
不詳)今市(詳細イマイチ不明)

次号予告) 群馬県編

[16719] 2003 年 6 月 13 日 (金) 17:57:21【1】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/10 群馬県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

群馬県立嚆矢である前橋高創立時の 「第 17番中学」 なる名称の意味が良く判らないのですが、どうも、関東地方あるいは全国規模で シリアル・ナンバーを付す感覚に基いた命名と見られ、「第四大学区 15番変則中学」 を名乗った創立時の鳥取西高と同様か、とも思います。県尋常中学時代の 1897年、沼田、高崎、藤岡、富岡、太田と五分校が一気に開校しており、この年は群馬県の中等教育史にとっては意義深い年ですね。この時の高崎高の前身名は 「群馬分校」。「群馬は広域地名に非ず。」 という両毛人さんの主張が想起されます。それにしても、渋川、前橋、高崎、藤岡、富岡と分布頻度が密だなぁ。

ちなみに桐生中学の県立移管は 1921年です。甲子園で活躍した桐生一高は私立ですが、茨城の感覚だと、こちらが古参の県立か、などと一瞬勘違いしてしまいます。(笑)

県立1877)前橋第17番中学利根川学校、県中学、県尋常中学、県前橋中学、県立前橋中学
1897)太田県尋常中学新田分校、県太田中学、県立太田中学
高崎県尋常中学群馬分校、県高崎中学
富岡県尋常中学甘楽分校、県富岡中学、県立富岡中学
沼田県尋常中学利根分校
藤岡県尋常中学多野分校
1917)桐生町立桐生中学、県立桐生中学
1920)渋川県立渋川中学
1921)館林県立館林中学

次号予告) 埼玉県編

[16720] 2003 年 6 月 13 日 (金) 18:48:10【2】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/11 埼玉県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

さて困った。首都圏の一翼を担う埼玉県の旧制中学がこんなに少ない筈はないのだけれど、中々情報が集まらない。川口、本庄、秩父も旧中系と聞きますが確証無し。立教新座高は立教高を名乗っていた 1960年に都内から移転した経緯があり、埼玉県の事例に該当するか否かは微妙ですね。何れにしても、西武線沿線が余りに手薄なので、情報を広く募集します。

ナンバー・スクールの開校時期を見ると、一中と二中、三中と四中が同時開校という独特の パターンですね。一中開学が 1895年というのは、隣接都県と比べて遅い方ですが、これは、東京への近接性ゆえ、独自の中等学校を設置する必要性にあまり迫られなかった事情の産物でしょうか。ちなみに最古参格である不動岡高の前身が県立に移管したのは 1921年です。

県立1886)不動岡私立埼玉英和学校、私立埼玉尋常中学、私立埼玉中学、県立不動岡中学
1895)浦和県第一尋常中学、県第一中学、県立浦和中学
熊谷県第二尋常中学、県第二中学、県立熊谷中学
1899)川越県第三中学、川越中学
春日部県第四中学、県粕壁中学
1922)松山県立松山中学
私立1874)立教新座立教学校、立教尋常中学、立教中学 / 立教高校

次号予告) 千葉県編

[42457] 2005 年 6 月 19 日 (日) 00:05:40 まて さん
 いや、母校なので。。。
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

旧制中学 データ・ベース 第二弾/11 埼玉県編に
「川口、本庄、秩父も旧中系と聞きますが確証無し」
とのことですが
本庄は1922創立旧制本庄中学→県立本庄
ホームページにて確認できます。

[16739] 2003 年 6 月 14 日 (土) 01:43:08 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/12 千葉県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

千葉県立で特徴的なのは、千葉、佐倉、佐原、木更津の各校の様に、「一高」 時代を挟んで、現行校名が断続するという点、そして東葛飾、匝瑳、長生、安房の様に、広域を代表する意味合いで所在市に隣接する郡名を名乗っている点でしょうね。(現行郡名ではないけれど、長狭はどうでしょうか。) 未確認ですが、大多喜高も該当例でしたっけ。(藩校系との指摘もあった様に記憶しますが。)

銚子には県立、市立それぞれ 「銚子高校」 がありますが、県立が高女系、市立が旧中系という陣容。通常は中学の方が、設立者は上位区分となる事が多く、その意味では特異的と言えます。甲子園でも御馴染みの成田高は、1948年の新制移行時に成田高女を統合していますが、私立でこうした例も珍しいですね。他には鹿児島高くらいではないかな。

なお、佐倉、長生、長狭各校の県立移管時期は、それぞれ 1899、1923、1928年です。

県立1792)佐倉佐倉藩学問所、温故堂、成徳書院、県立佐倉中学 / 佐倉高校、佐倉一高
1878)千葉千葉中学、県尋常中学、県千葉中学、県立千葉中学、千葉高校、千葉一高
1888)長生私立上埴生学館、県立長生中学
1900)木更津県千葉中学木更津分校、県木更津中学、県立木更津中学 / 木更津高校、木更津一高
佐原県佐原中学、県立佐原中学 / 佐原高校、佐原一高
成東県立佐原中学成東分校、県立成東中学
1902)安房県安房中学
1918)船橋東華学院、船橋中学院、船橋市立船橋中学院、県立船橋中学
1922)長狭十箇町村組合立長狭中学、県立長狭中学
1924)匝瑳県立匝瑳中学
東葛飾県立東葛飾中学
市立1937)銚子銚子市立銚子中学 / 銚子市立一高
私立1887)成田成田英漢義塾、成田中学
1925)千葉敬愛関東中学 / 千葉関東高校
1937)市川市川中学

次号予告) 東京都編

[16751] 2003 年 6 月 14 日 (土) 10:27:45【2】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/13 東京都編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

さすがは帝都、該当例が群を抜いて多いですが、その規模ゆえ、旧府立ナンバー・スクールの殆どが新制移行直後 「第○新制高校」 を名乗っているあたりは、然もありなんという感じですね。旧中同士での併設、統合例もある為、新旧両制校が一対一対応という事にはなりません。「都立復権」 の象徴的存在として紹介される事の多い日比谷高の場合、新制後初めて、過去の校地である日比谷の名称を冠するあたり、同地区に対する思い入れの強さを感じますが、それにしても、旧制史での 「第一」 呼称例がやたら多く、関係者が 「一中の栄光再び」 と喝破したのも何となく判る様な気がします。

単なる語呂合わせですが、19中系の国立高校が府立、都立両時代を擁し、これに県立、道立が加われば完璧かな?(笑) 青山高の旧制時代に併設された多摩中学というのは、渋谷界隈に位置したそうです。なぜ 「多摩」 を名乗ったものやら。

私立については、該当例はもっと多いと思うのですが (学習院高等科、芝、攻玉社あたりはどうだろう?) 現在のところ、確証が持てるのはこの程度。有名大学の系列校でも、創立時は全くの別物という例も散見されるのが興味深いですね。立教大や中央大の附属の様に、旧中継承校が他所に移転した際、跡地に別枠の系列校が新設される、などの例もあり、公立とは別の意味でのややこしさも感じます。それにしても、芝浦工大附属の前身 「東京鉄道中学」 とは何だろう。岩倉高校の様な陣容だったのかな。鉄としては気になるところです。(笑)

国立1888)筑波大附属師範学校尋常中学科、附属尋常中学 / 東京教育大附属高
都立1878)日比谷府第一中学、府中学、府尋常中学、府中学、府第一中学、
府立第一中学、都立第一中学 / 第一新制高校
1888)戸山私立補充中学、私立共立中学、府城北尋常中学、府立城北中学、
府立第四中学、都立第四中学 / 第四新制高校
1901)立川府立第二中学、都立第二中学 / 第二新制高校
両国府第三中学、府立第三中学、都立第三中学 / 第三新制高校
1918)小石川府立第五中学、都立第五中学 / 第五新制高校
1922)新宿府立第六中学、都立第六中学 / 第六新制高校
墨田川府立第七中学、都立第七中学 / 第七新制高校
1923)小山台府立第八中学、都立第八中学 / 第八新制高校
1924)上野東京市立第二中学
1928)北園府立第九中学、都立第九中学 / 第九新制高校
1937)西府立第十中学、※府立第18中学、※府立玉泉中学 / 第十新制高校
1940)青山府立第15中学、※東京市立多摩中学、都立第15中学 (※統合)、都立青山中学
江戸川府立第16中学、府立江戸川中学、都立江戸川中学 / 江戸川新制高校
葛飾野府立七中併設第17中学、葛飾中学
国立府立第19中学、府立国立中学、都立国立中学
豊多摩府立第13中学
1941)大泉府立第20中学
1942)城南府立第22中学、都立城南中学 / 城南新制高校
不詳)大森府立第23中学
九段東京市立第一中学
江北府立第11中学
石神井府立第14中学
千歳府立第12中学
文京東京市立第三中学
武蔵丘府立第21中学
私立1871)開成共立学校、東京開成中学
1885)成城文武講習館、成城学校、私立成城中学
1888)暁星暁星学校、暁星中学
1891)海城海軍予備校、(日比谷中学併置)、海城学校、海城中学
1895)麻布麻布尋常中学、麻布中学
1896)早稲田早稲田中学
1901)早稲田実業早稲田実業中学、早稲田実業学校
1909)中央大附属目白中学、杉並中学 / 中央大学杉並高校
1910)巣鴨巣鴨学舎、巣鴨中学
1912)明治大附属明治明治中学
1913)日本大第一日本大中学、日本大第一中学
1919)明治大附属中野中野中学
1922)芝浦工大附属東京鉄道中学
成城学園成城第二中学
1929)日本大第三日本大附属赤坂中学、日本大第三中学
1941)桐朋山水中学
不詳)日本大第二(詳細不明)

次号予告) 神奈川県編

[16756] 2003 年 6 月 14 日 (土) 11:39:48 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/14 神奈川県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

ここも、首都圏の主要地域を構成する割に、特に私立で該当例が少ないですね。アタリをかけようにも、公式ページで沿革に言及していない所も少なくない訳で、Google で校名、続いて 「旧制」 などの語句で絞込み検索をかけると、一瞬おっと思う頁が見付かるのですが、良く見れば我が過去ログではありませんか。ううむ、恐るべし Googleの検索機能。疲れて集中力を欠いた挙句、「フェリス女学院」 でも検索してしまった雑魚でした。(笑)

県立一中の創立時期が遅れたのは、あるいは埼玉県同様、東京への近接性ゆえと勘ぐるのですが、千葉県は然にあらず。微妙な距離の差が影響しているのでしょうか。一方、藩校の継承先とされ、城址の立地がイカニモという雰囲気の小田原高が最古参というあたり、武蔵対相模の地勢を反映した結果の様にも思えます。横浜において、「一中/一高」 「二中/二高」 「三中/三高」 というのは判り易い改称ですが、恐らく 「横浜緑ヶ丘」 に改称後の事とは思いますが、四半世紀ほど以前、「横浜三高」 の名が人気漫画で登場した記憶があります。(音楽コンクールに出場した生徒の所属校、という設定。) 実在の校名を避けるべき漫画において、実在か否かの調査の御苦労が偲ばれますね。

ちなみに、逗子開成高の前身 「第二開成中学」 とは、東京の御三家 「開成」 の分校です。

県立1822)小田原藩校諸稽古所、集成館、文武館、小田原学校文武館、小田原講習所、
六郡共立小田原中学、県立第二中学、県立小田原中学
1886)秦野三郡共立学校、中郡共立学校、組合立奈珂中学、県立秦野中学
1897)希望ヶ丘県尋常中学、県中学、県第一中学、県立第一中学、県立第一横浜中学、
県立横浜第一中学 / 横浜一高
1902)厚木県第三中学、県立厚木中学
1908)横須賀県立第四中学、県立横須賀中学、※横須賀明徳中学
1914)横浜翠嵐県立第二横浜中学、県立横浜第二中学、横浜二高
1921)湘南県立湘南中学
1923)横浜緑ヶ丘県立横浜第三中学 / 横浜三高
1927)川崎県立川崎中学
私立1903)逗子開成私立第二開成中学、私立逗子開成中学
1920)浅野浅野中学

次号予告) 山梨県編

[16760] 2003 年 6 月 14 日 (土) 12:32:56 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/15 山梨県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

肝心の甲府一高を創立年不詳としたのは、公式頁で淵源とされる甲府学問所の創立年が、寛政年間としか判らない為です。ちなみに、師範学校の予備学科設立は 1877年、中学教則に基く山梨県中学の創立は 1880年です。

判り難いのは 1901年、甲府市内と思しき分教場に設けられた山梨県第二中学を巡る状況です。この二中は、翌年に現在の山梨市内に移転し、日川高の前身となりますが、これに伴い、当初は山梨県中学 (一中) の分校扱いだった谷村の校舎が大月に移転後、より近い中学との連携の方が得策と判断したのか、二中の分校として再編されています。

甲府一高は 1968年から総合選抜に組み込まれました。その際、高女系の二高が西高と改称した様に、改称の予定があったらしいのですが、従前の ステイタスを重んじたOBの強い意向もあって、一高の名を残したそうです。

県立1900)都留県中学都留分校、県第一中学都留分校、県第二中学都留分校、県立都留中学 / 都留一高
1901日川県第二中学、県立日川中学
1922)身延県立身延中学
1923)韮崎県立韮崎中学
不詳)甲府第一甲府学問所、官学徽典館、山梨師範学校中学予備学科、県中学、山梨学校、徽典館、
県尋常中学、県中学、県第一中学、県立山梨県第一中学、県立甲府中学

次号予告) 長野県編

[16876] 2003 年 6 月 16 日 (月) 14:31:55【1】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/16 長野県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

長野県で特筆すべきは、やはり長野県中学を巡る変遷の複雑さですね。過去ログで既述しましたが、長野、上田、松本、飯田の各地で独自に設立された四校を (この内、松本の第17番変則中学は、開智学校の併設だそうです。) 長野を本校とする県中学として編成するも、文部省の 「一県一中学令」 に際して、1886年、なぜか県都の本校ではなく、松本の支校を残して、その他が廃校となりました。規制緩和後の 1893年、今度は松本の支校扱いで、長野、上田、飯田の各校が尋常中学として復活する訳ですが、その際、長野が本校扱いとなったの見方もあり、その辺の詳細は不明です。また、長野、上田、飯田の各校では廃校時期の前後を正式に継承関係と見なしている様です。こうした統廃合の経緯から、長野と松本との競合関係を感じる訳ですが、文教政策上は、官立高校や複数の中学を擁した点から、向学精神の気風に基き、城下町である松本をより重視したのではないか、と推定します。

長野中学は、新制移行後暫く 「長野北高」 を名乗り、その頃、池田満寿夫さんを輩出しています。この間、市立の中学および高女を前身とする長野市立高校を統合しますが、その際、市立高校の被服科が分離され、市立では珍しい 「ぢょしこお」 皐月高校として、現在に至ります。この統合、北高が現行名に改称した 1957年と思いきや、実は 1949年の事とか。

「松本深志」 と聞いて、「松本人志」 さんや 「マツモトキヨシ」 を連想するのは、私くらいのものだろうか?(笑) それと野沢北高校、佐久市に編入されて久しい為、「野沢」 と聞くと、どうしても野沢温泉村を連想し、当初は飯山北高と混同していました。

県立1875)上田第16中学区予備学校、町立上田変則中学、郡立小県中学、県中学上田支校、
県尋常中学上田支校、県中学上田支校、県上田中学 / 上田松尾高校
1876)松本深志第17番変則中学、第18番変則中学、公立松本中学、東筑麻中学、県中学松本支校、
県尋常中学、県尋常中学松本本校、県松本中学
1882)飯田下伊那中学、県中学飯田支校、県尋常中学飯田支校、松本中学飯田支校、
県飯田中学 / 県飯田東高、県飯田高松高校
1883)長野上水内中学、県中学長野本校、県尋常中学長野支校、県立長野中学、
※長野市立中学 / 長野北高、※長野市立高
1895)諏訪清陵郡立実科中学、郡立諏訪中学、県立諏訪中学、県諏訪中学
1901)野沢北県立上田中学野沢分校、県立野沢中学
1903)飯山北県立長野中学支校、県立飯山中学
1920)伊那北県立伊那中学
1922)須坂県上高井中学、県須坂中学 / 須坂西高
1923)木曽県木曽中学 / 木曽西高
松本県ヶ丘県松本第二中学
屋代県立埴科中学、県屋代中学 / 屋代東高
1924)岩村田岩村田町立岩村田中学
1941)岡谷南岡谷中学
不詳)大町大町中学
松本美須々ヶ丘松本市立中学 / 松本市立高

次号予告) 新潟県編

[29369] 2004 年 6 月 16 日 (水) 20:44:06 早春賦 さん
 はじめまして。
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

成城学園の歴史をたどっていたらココにたどり着きました。
さて長野県の旧制中学一覧に大町中学 設立不詳と書かれていましたので、
訂正してみたいのですが…
大町中学、現長野県大町高校は1901年 明治34年
長野県下第六番目の認可を受け
長野県松本中学大町分校として設立されました。
同時設立として上田中学野沢分校があります。

大町分校の設立は困難を極め、池田、東穂高と三つ巴の争いになりました。
それを制したのが大町でした。年間町予算の半分を誘致に使い
ロケーション、また県下随一の中学松本中学の分校ということもあり
他の中学より期待が大きかったのです。
大町中学は南北安曇の教育の中核を持って任じ
100周年を近年迎えました。

よかったらこのデータをとりあげてくれませんか?
野沢がのっているのに大町がないとは…
よろしくお願いいたします。

[29371] 2004 年 6 月 16 日 (水) 20:51:27 早春賦 さん
 二重送信すみません。
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

焦って二重書き込みしてしまいました…
申し訳ありません。
地名、学校の歴史が好きな自分はこのサイトは本当に面白いです。

ついでに大町中学の校名一覧を書いておきます。

松本中学大町分校→長野県立大町中学→長野県大町中学→長野県大町南高校→長野県大町高校

と変遷をたどってきています。
校歌が早春賦の作者、吉丸一昌作詞であります。

吉丸は大町の厳しい自然を見てあの素晴らしい名曲、早春賦が出来上がったのです。

[16901] 2003 年 6 月 16 日 (月) 23:10:35【4】 深海魚[雑魚] さん
 旧制中学 データ・ベース 第二弾/17 新潟県編
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

概観すると、1900年前後五年ずつくらいの間に、組合立または分校として設置され、三−四年を経て独立した県立中学に昇格する例が多い様ですね。県都嚆矢の存在である新潟高の前身が 1892年創立とは、日本海側屈指の主要都市にしては、いささか遅い気がします。これは、新潟の街自体の成因過程に因るのかな。藩校系である長岡、高田両校の存在も影響したかも知れません。(共に県立移管は後回しですが。) 新潟市街といえば、信濃川で分断された地勢ゆえに、中央停車場の立地を巡り紛糾した事が想起されますが、県立中系の新潟高と市立中系の新潟南高が、同様に川を挟んだ位置関係にある事を意識するのは、勘ぐり過ぎでしょうか。(笑) なお、市立中を継承する市立高が県立に移管して 「新潟南」 に改称したのは 1953年の事です。

設立母体である組合を構成する自治体数が半端ではない佐渡、新発田の両校ですが、前者の後身である佐渡高の位置は意外や両津市に非ず、丁度対象的な位置関係にある佐和田町でした。当時の佐和田町の地勢が両津市と互角だったのか (現在でも要衝性は窺えますね。) あるいは勉学環境を求めた結果、街を敬遠したのか。両津高は確か高女系でしたね。

創立時から 「県立」 を冠しつつ、1913年のみ郡立を名乗った糸魚川中学や、藩立−私立−町村立−郡立−県立と移行した長岡、高田両中学の経緯はなかなか興味深いところです。

県立1866)高田高田藩学修道館、公立普通高田学校、私立高田尋常中学、町村立高田中学、
中頚城郡立中頚城中学、県高田中学、県立高田中学
1869)長岡国漢学校、長岡洋学校、新潟学校長岡分校、私立長岡仮学校、町村組合長岡学校、
私立長岡学校、古志郡町村立長岡尋常中学、古志郡立長岡中学、県立長岡中学
1892)新潟県尋常中学、県中学、県新潟中学、県立新潟中学
1896)佐渡佐渡郡全町村組合佐渡中学、県立佐渡中学
1896)新発田67箇町村組合立北蒲原尋常中学、県立新発田中学
1900)柏崎県立高田中学柏崎分校、県立柏崎中学
1900)村上県立新発田中学村上分校、県立村上中学
1901)小千谷県立長岡中学小千谷分校、県立小千谷中学
三条県立新潟中学三条分校、県立三条中学
1903)糸魚川県立高田中学糸魚川分校、県立糸魚川中学、西頚城郡立糸魚川中学、県立糸魚川中学
1906)県立新潟中学巻分校、県立巻中学
1911)村松県立村松中学
1924)六日町県立六日町中学
1926)十日町県立十日町中学
1939)新潟南新潟市立中学 / 新潟市立高
私立1921)新潟明訓新潟夜間中学講習会、私立新潟夜間中学、明訓中学

次号予告) 静岡県編

[22974] 2003 年 12 月 22 日 (月) 12:48:19 いっちゃん さん
 栃木中学について
ARC 旧制中学データベース(関東甲信越編)

[22968]faithさんの書き込みを拝見して、私も半年前の話題について少々

[16718]深海魚[雑魚] さん

栃木県といえば、1873年の栃木、宇都宮両県の統合に際し、県都を宇都宮とする代わり、県名に 「栃木」 の名を残すという バーター措置が採られた様ですが、
実は宇都宮高の前身でも、1879年の一時期に、栃木県全域を代表する意味合いか、「栃木中学」 を名乗っており、
ご指摘の通り、「宇都宮」「栃木」両県の統合は1873年ですが、県庁が栃木から宇都宮に移転するのは10年以上経った1884年のことです。そして初代「栃木中学」が宇都宮に移ったのは1885年ですので、ご指摘の1879年は統合栃木県の県庁所在地である栃木の町(厳密に言えば都賀郡薗部村なんですが)にあるので「栃木中学」を名乗っただけです。 ですから、
この辺りの命名感覚、落書き帳では広域性の意味合いの是非を巡り、物議を醸すかも知れませんね。
とありますが、何の疑問も無いのです。(実際、物議が醸された形跡は無いようですが・・・。)

ちなみに、その宇都宮高の前身である初代「栃木中学」は、実は現栃木高が所在する場所にありました。
栃木高が宇都宮高の前身から派生したのは 1896年ですから、旧栃木県の筆頭校には成り得なかった訳です。
確かにそうなんですが、2代目「栃木中学」→現「栃木高校」出身者だけは、栃木高が本家で宇都宮高が分家であると内心ほくそえんでいるのです。
ちなみに、私は栃木高OBです。

ところで、この「落書き帳」海外ネタではアメリカが多いんですが、その他の国々(特にヨーロッパ)の情報がもっとあればいいかな。
ドイツの連接都市のLRTの話題とか、パリの区とか、ロンドンの「シティ」から「グレーターロンドン」への変遷とか、どなたか詳しい方いらっしゃいません?あるいはそんなHPがあったら教えてください。

ヨーロッパ好きのいっちゃんでした。



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