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右左府さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[82374]2012年12月24日
右左府
[81171]2012年7月22日
右左府
[81116]2012年7月15日
右左府
[80629]2012年4月29日
右左府
[80613]2012年4月28日
右左府
[80495]2012年4月1日
右左府
[80439]2012年3月27日
右左府
[80402]2012年3月13日
右左府
[80356]2012年3月1日
右左府
[80346]2012年2月28日
右左府

[82374] 2012年 12月 24日(月)12:24:26右左府 さん
Re: 式の展開
[82370] 白桃 さん
ちょうどヒマを持て余してたので考えてみました。

人口も釣り合わすために左辺は自ずと小規模自治体に限られてきますが、有力候補「大川」「平谷」「北山」「三島」などは使い勝手のいいようで意外とうまい掛け合せがありません。
どうも、現存する自治体ですと (A+B)(C+D)=AB+AD+BC+BD 型で人口を釣り合わすのは困難なようです。

ならばと、違う型を幾つか考えてみました。

【1】(A+B)C=AC+BC

(伊+江)東=伊東+江東
左辺:伊江村 4,643 ×東村 1,827 =8,482,761
右辺:伊東市 70,999 +江東区 465,527 =536,526

【2】A+C/D=(AD+C)/D

北+東/栄=(北栄+東)/栄
左辺:北区 333,769 +東栄町 3,692 =337,461
右辺:(北栄町 15,267 +東村 1,827 )/栄村 2,160 ≒7.91

【3】A/B+C/D=(AD+BC)/BD

大/豊+飯/田=(大田+飯豊)/豊田
左辺:大豊町 4,566 +飯田市 104,728 =109,294
右辺:(大田区 694,615 +飯豊町 7,791 )/豊田市 420,848 ≒1.67

(※人口は2011年10月1日の推計人口)

う~ん、美しさの欠片もない……f^_^;)
[81171] 2012年 7月 22日(日)23:52:31右左府 さん
役場巡り/旧雄踏町役場
[81169] 菊人形 さん

 初めまして、私も似た趣味を持つ者です。落書き帳メンバーには他にも役場巡りをされてる方が何名もいらっしゃいますよ。既に私はご投稿の内容に興味津々となっております。
 とはいっても、私が訪ねた役場はまだ200足らずで菊人形さんの足元にも及びませんが……。私の場合、役場巡りに加えて町歩きなども一緒に行っており、一日で訪ねられるのは多くて4か所程度。一応大合併以前の自治体全訪問を表向きは目指してはいますが、マイペースにのんびり進めています。

役目を終えた旧町村の庁舎
 移転や解体は予想以上に多くの所で行われていますね([74337])。姿を消す前にすべて訪ねておきたいと大合併当時は思っていたのですが、今はほぼ諦めています。

 この方面ではまだまだ初心者ですが、宜しくお願いします。

********************************************

 ついでに、今さらながら一つ訂正を……。
 一昨年[74337]にて 「浜松市の旧雄踏町役場は昨年9月私が行った時既に解体工事が進んでいました」 などと書きましたが、これは大嘘です。私が見た現場は解体工事ではなくて改築工事でして、2010年より「浜松市外国人学習支援センター」として引き続き使用されていました。
[81116] 2012年 7月 15日(日)21:56:40右左府 さん
公式フェイスブック情報
> グリグリさん

フェイスブックの自治体アカウントを幾つか発見しましたのでご報告します。
地元紙で秋田県三種町のアカウント開設が報じられており、それをきっかけに辿っていったら見つけられました。
記事によると、三種町のアカウント開設は「県内の自治体では横手市に次いで2番目とされる」とのこと。)

○奥州市
http://www.facebook.com/oshucity

○陸前高田市
http://www.facebook.com/RikuzentakataCity

○大槌町
http://www.facebook.com/town.otsuchi

○横手市
http://www.facebook.com/YokoteCityOffice

○三種町
http://www.facebook.com/mitanetown

○宇多津町
http://www.facebook.com/pages/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E6%B4%A5%E7%94%BA%E5%BD%B9%E5%A0%B4/193751057392624


奥州市が三種町や陸前高田市の記事ににコメントしていたりと、自治体同士のやり取りも見られますね。
[80629] 2012年 4月 29日(日)09:31:53右左府 さん
第三十四回 十番勝負
問七:いちき串木野市
問九:四日市市
問十:福山市
[80613] 2012年 4月 28日(土)23:41:52右左府 さん
第三十四回 十番勝負
問四:青森市
[80495] 2012年 4月 1日(日)23:46:19右左府 さん
「県北」
[80462] Issie さん
まずどれくらいの県で「県北」という地域呼称が行われ,次に「県北」をどのように読んでいるか,という疑問

秋田県では 「県北」「県央」「県南」 の三地域区分・呼称が広く使われています。
そして「県北」の読みは「けんぽく(半濁音)」。

なお、それぞれの指す地域は以下の通り。
 県北……能代市・山本郡、大館市・北秋田市・北秋田郡、鹿角市・鹿角郡
 県央……男鹿市・潟上市・南秋田郡、秋田市(・河辺郡)、由利本荘市・にかほ市(・由利郡)
 県南……大仙市・仙北市・仙北郡、横手市(・平鹿郡)、湯沢市・雄勝郡
 ※県央を秋田市(・河辺郡)のみとし男鹿南秋・本荘由利を県北・県南とする場合もあり。


ちなみに、郡名・市名・旧町名「仙北」は「せんぼく(濁音)」なんですよね。
[80439] 2012年 3月 27日(火)23:25:20右左府 さん
Re: 人口データ更新
[80438] グリグリ さん
連日の更新作業お疲れ様です。

人口データですが、沖縄県渡名喜村の2010年国調人口が誤っています。
 誤)45人 → 正)452人
[80402] 2012年 3月 13日(火)23:06:26右左府 さん
「歳の差」と「都市の差」
[80399] 白桃 さん

“イメージ”は B が一番近いですかね。
実際の都市規模を知識として知っていても、それとは一線を画した序列イメージが頭に染みついています。実際の規模順に並べなさいと言われたらC~Dの順番を答えそうです。

さらに言うと、まだ地理に疎かった10年ほど前はまさに A の通りのイメージを持ってました。

一応、昭和最後の年に生まれ、ついこの間まで学生だった身なのですが……f^^:
[80356] 2012年 3月 1日(木)23:23:20右左府 さん
昭和4年の花巻町・花巻川口町合併について
本題から逸れるのですが、気になったことが一つ。

[80346]拙稿でも引用しましたが、『花巻市史 近代篇』巻末「花巻市制申請書(付、町村沿革)」にある花巻町の沿革に、
昭和四年四月一〇日花巻川口町に花巻町が合併して町名も花巻町(大字花巻、北万丁目、高木、里川口、南万丁目、下根子、西十二丁目、外台)と改め現在に至つている。
とあります。また、「第一章 行政の変遷/第十節 その後の合併」にも旧花巻町・花巻川口町合併の経緯として
昭和四年一月四日両町会において知事の諮問に対して、花巻町の花巻川口町への編入合併を可とする旨の答申をし、併せて名称を花巻町と変更することが決定された。 (「岩手県町村合併史」による)
と書かれています。

つまりいずれも昭和4年の花巻町・花巻川口町合併について “花巻川口町が旧・花巻町を編入、即日改称し新・花巻町となった” としているのですが、 市区町村変遷情報 及び つかんぼやと ではこれについて “新設合併” とされています。
はて、どちらが正しいのか……?


ちなみに、同書によれば合併時の両町の人口等は以下の通り。(「第一章 行政の変遷/第十節 その後の合併」より)

面積(反)人口戸数
花巻川口町9,9629,8421,914
花巻町7,7464,019742
17,70813,8612,656
[80346] 2012年 2月 28日(火)00:42:20右左府 さん
里川口・花巻川口
横から失礼します。

[80334] YT さん、[80332] htmさん ほか
明治22年の町村制で発足した自治体は、『花巻市史』にも「里川口町」と記されていたのでしょうか?

幸いなことに近所の図書館に『花巻市史 近代篇』が所蔵されており、早速確認してきました。


まず、「第一章 行政の変遷/第八節 町村制施行」にて以下のように記されています。(表中の漢数字は算用数字に改めた)

 明治二十二年(一九八九)の町村合併による市町村区域および資力に関する調書である「新町村区域資力調」(岩手県庁所蔵)から、旧町村名、新町村名、面積、人口、個数、合併を要する事由を次に列挙し参考に供したい。(現花巻市分のみを記する)

新町村名旧町村名面積人口戸数合併ヲ要スル事由
(略)
花巻町花巻4041,868401(別記1※)
北万丁目21430249
高木村ノ内53239360
6722,409486
 
里川口町里川口1013,679896(別記2※)
南万丁目211589112
高木村ノ内731
3214,2711,009
(以下略)

【当初は里川口町】説を一応は裏付けますが、あくまで他資料の引用です。(「新町村区域資力調」もやはり県作成の資料?)

同章ではこの後 「里川口町→花巻川口町改称」 については一切触れられず、大正12年の根子村合併・昭和4年の花巻町合併について触れた「第十節 その後の合併」にて
第十節 その後の合併
一、根子村合併
 大正十二年(一九二三)六月一日花巻川口町と根子村が合併し、人口約九千人の花巻川口町が誕生した。合併の事由、経緯の概要は次の通りである。
(略)
 根子村は、花巻川口町に隣接してその南の方にあつた村である。この合併によつて北上川西岸部の地区であつた根子村はなくなつたが、その地域の下根子、西十二丁目、外台は町の大字として残された。
と、突如「花巻川口町」が現れています。


章は変わって、 「第二章 明治期の諸相/第八節 町政の一面」。ここでは歴代町長の施政について記されており、
 第八節 町制の一面
 明治二十二年(1989)の町村制実施によつて、里川口村、南万丁目村、高木村の一部が合併、里川口町と改称された。
 里川口町の初代町長は柏葉富次郎、……(略)
 明治三十五年(一九〇二)病で退職した柏葉のあとに六月から二代目の町長として松川他次郎が就任した。……(略)
と、やはり【当初は里川口町】説に立った記述に始まります。

改称があったと思しき時期の町政に関する記述の中でそれに触れた箇所は見当たりませんが、その後の三代目町長時代に触れた段落にて
 里川口町(明治三十年十月三十日、花巻川口町と改称)の三代目の町長は菊池末治である。……(略)
とあり、[80320] むっくん さんがご覧になった資料と一致する 【明治30年10月30日改称】 がさらっと書かれていました。

本書中で 「里川口町→花巻川口町改称」 を明記した箇所は他に見当たらず、これが唯一の記述と思われます。町村制に触れた箇所でもなく括弧書きだけの記述ではありますが、それなりに意味はあるものではないでしょうか。


……と、以上は【当初は里川口町】説に沿った記述なのですが、一か所これに反する記述を見つけました。
巻末の 「史料/四、花巻市制申請書(付、町村沿革)」 に、昭和29年の花巻市新設の際県に提出された市制申請書とともに合併前の各町村の概要・沿革が書かれています。その中の 花巻町 の項に、
 (略)明治二年盛岡藩に属し、同三年盛岡県同五年岩手県管轄となり現在に至つた。当初は花巻村、里川口村、高木村、北万丁目村、南万丁目村、根子村は夫々一戸町役場の下にあつたが、明治二二年町村制実施に際し、花巻川口町(里川口村、南万丁目村と高木村の一部を合併)花巻町(花巻村、北万丁目村と高木村字小舟渡を合併)根子村となり更に大正一二年郡制廃止とともに同年六月根子村が花巻川口町に編入し、次いで昭和四年四月一〇日花巻川口町に花巻町が合併して町名も花巻町(大字花巻、北万丁目、高木、里川口、南万丁目、下根子、西十二丁目、外台)と改め現在に至つている。
と、【当初から花巻川口町】説が現れているのです。
なお、申請書は原文の引用と思われるのですが、その後に続くこの「町村沿革」が申請書の一部なのか著者が添えたものなのかは不明です。

市史ですらこうした扱いの “里川口・花巻川口問題”、なかなか一筋縄ではいきませんね。

***********************************

(※)引用した表中「合併ヲ要スル事由」を以下に記します。(ひらがなは原文ではカタカナ)

別記1:本村は花巻北万丁目及高木村の内北上川以西字小船渡の一部落を合併す其地勢南は里川口町東は高木村の内飛地字小船渡西は湯口村に境し従来里川口町と共に花巻の総称あれとも延長なる坂路を以両地を隔て随て民情相協はす人民亦分離して一町をなさんことを冀望し資力に於て両町とも不足なきを以て各独立とす

別記2:旧村里川口南万丁目の二村は連軒櫛比して一町をなせり而して高木村の内字中川原は里川口村に接続し瀬川其間を貫通し所謂花巻川岸なるもの此地ナリ故に従来船舶の出入貨物運漕里川口町に関係し交通上尤至便の地なるにより村民の意向と郡戸長聯合会の意見を聴き之を合併す


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