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[74300]〜[74399]



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[74399] 2010年 3月 22日(月)10:17:48スナフキん さん
「南」武蔵小杉駅
[74396]Issie さん
一言,遠い!!!!!
そのようですね。私自身が現調(最近、すっかり行かなくなってしまったな…)してないのですが、知り合いからそのような感想がもれ聞こえてきます。通路は狭く、しかも本設でない部分があり不便なことから、現段階では30分以内なら改札外に出て乗り換えしてもいい、という特例が設けられています。これ、都心在勤の人々にとっては地下鉄相互のラッチ外乗り継ぎで広く認められている措置なので、あまり特別なことのようには感じないかもしれませんけど、JRとして認めるのは初だそう。ただ、評判を聞くに連絡通路が完全竣工しても、この措置は「連絡通路がきちんとできるまで」とせず永久特例にした方がいいような気もします。

結局、あの場所に新駅を作ることを決めたからには、別の名前にはできなかったということに尽きるのでしょう。沿線ならびに周辺の方はご存じの通り、武蔵小杉駅周辺におけるここ5~10年の変貌の激しさは、あえて書くまでもないほどすさまじいものです。この駅の相対的地位が高まり、相応の利用客も見込めるからこそ、湘南新宿ラインや成田エクスプレスを全部止めるほどの大盤振る舞いもできるのですけど…うがった見方をするとそれ、客寄せパンダでは?とも取れます。

地図屋的に最大の関心事は、路線図関係がこの駅をどう表現し直すか、ということ。中でも、人々の目に触れる頻度が高く参照物として最も広く流布していると思われる大判時刻表の仕上がりをすごく気にしていました。結果…東急東横線、新幹線を前後で横断するようになりました(大汗)。新幹線との位置関係を無視して、実際よりも駅は相当南にあるよう(駅があたかも移動したかのように)描かれています。駅自体の実形はともかく、線路形状はやっぱり(というべきか)JR(=旧国鉄)優先で仕上がった格好です。まぁ、悩ましいケースだとは思っていましたが、伝統的に昔からここに居を構えていた東横線を「ウソ表現」するとは思い切ったことをしたものです。さすがに、駅たまを連結しての表現は凡例を増やすことになるので、避けたかったのでしょうか。

考えてみますと、かかる駅に全く関係のない路線が構内を止まらずにズバッと通り抜ける…というケースは、特殊なものを除いては今回が初のようです。今後、同類がワラワラ出現する可能性があるのなら、凡例を増やして「たま連結駅」を考慮してもよかったかもしれませんけど、思いをめぐらしても…同類項、増えそうにありませんね、時刻表が採った今回の措置は、表現上苦しさはあるものの妥当な線だったと思います。

全く同類ではありませんけど、同じ駅名でも延々と歩かされる…ことを揶揄して、以前は埼京線(現在は湘南新宿ラインも)渋谷駅ホームがタイトルのごとく「南」を付して結構呼ばれ、しかもそれで通っていた時代があったような…。
[74398] 2010年 3月 22日(月)02:06:36白桃 さん
消滅した市名~平成の合併の終焉に思う
平成の合併で64の市名が消滅しました。
この中で、市の時代が一番短かったのは前原市でしょうか。
でも、豊栄、浜北、東予は町時代にその名が使用された期間も短かったので、前原よりも記憶から吹っ飛んでしまいそう。
また、岩井や北条あたりは、「そういや、そういう市があったな。」という程度かな・・・。
本荘、小野田、川内、串木野は、辛うじて残したけれど、旧市関係者はきっと不本意だったでしょうね。
平成の合併は、県庁所在地の市名までも変えましたが、大曲、大宮、佐原、徳山、名瀬・・・等々、消えてもらいたくなかった市名もあります。
[74397] 2010年 3月 21日(日)23:51:22【2】今川焼 さん
合併特例法
みなさん仰っているように今日の黄砂はひどかったですね。過去ワースト3くらいに入るかと。朝起きたとき窓の外の景色が黄色のフィルターがかかったように見えましたね。

さて
[74393]播磨坂 さん
市役所職員の方にお話を伺ったことがあるのですが、「市」になるメリットは保健師(だったかな?)を設置出来るようになることくらいだとおっしゃっていました。最低でも特例市にならないと県から権限を移譲されないし、「市」になるメリットといえば見栄えが良くなることくらいでは、と思ってしまいます。
首長以下の行政職員や議員は、当然そのへんのことはわかっているでしょう。これはもう、そんなことはわからない、また関心もない一般住民に合併賛成で動いてもらうための規定ですね。
合併特例法には有権者の50分の1の請求で合併協議会の設置を請求でき、議会が否決しても6分の1の署名で住民投票に持ち込むことができ、さらに過半数の賛成で合併協議会を設置できるなんて条文があるくらいですから、そういうときには3万人で「市になれる」という一般人受けする規定は効果を発揮するのでしょう。(そういう実例があったかどうかは知りませんが)あとは、イメージとか住所を書くとき郡名を書かなくてよいとかそんなもんです。

ところで、先の篠山市が市制にこだわらなかったのは、近い将来人口増で5万人は確実に超えるだろうという目論見があったからでしょう。新市建設計画では平成20年の目標人口は6万人としていました。しかしバブル崩壊や人口の都心回帰、周辺地域の過疎化で今や合併時の人口を下回ってしまいました。このことが交付税の減少と合わせダブルパンチとなっています。

参考 神戸新聞 検証 平成の大合併 先駆け篠山市の10年
[74396] 2010年 3月 21日(日)22:44:52【1】Issie さん
武蔵小杉第二駅
[74395] じゃごたろ さん
黄砂

浅間山の火山灰が話題になっても黄砂が話題になることはあまりない南関東でも,今日は黄砂で景色が霞んでいました。浅間山の噴火よりも,黄砂が飛来する機会の方がずっと多いのですけどね,例年,西日本ほどひどくないから話題にならないのでしょう。
それでも太陽が直に見られるほどに霞みはしませんでしたけれど。

その黄砂降る中,先週開業した品鶴線(横須賀線・湘南新宿ライン)の武蔵小杉駅に行ってみました。一言,遠い!!!!!
東急東横線から南武線のホームを経由して横須賀線ホームに行ったのですが,実に遠い。いくら連絡通路を歩いても到達しません。新幹線をくぐってようやく品鶴線のガード下に到達してもまだ通路は続き…,つまり南武線との交点にホームがあるのではなく,さらに新川崎方向に行ったところにあるのですね。
これって,昔の横浜線・原町田駅と小田急・新原町田駅との乗り換えよりも遠いように思います(今の町田駅ではない)。
公式には「乗り換えに8分を要する」という案内があるようなのですが,これでよく「同じ駅」だと強弁できるものだ。もっとも,JRには既に「京葉線東京駅」という悪しき先例があります。
ラッチ(改札)内でつながっているから運賃計算上は利用者に都合がよいのだけど,やっぱり「別の駅」だよなぁ…。
[74395] 2010年 3月 21日(日)21:54:33【3】じゃごたろ さん
黄砂
こんばんは、じゃごたろです。

今日は黄砂がひどかったそうですね。北日本に生まれ育った私にとっては、どの程度が普通で、その程度がひどいのかの尺度がありません。でも本日初めて黄砂のなかの日常を体験しました。

[74388] グリグリさん、及び皆々様方
平成の大合併の起点は?

この話題に正解といえるものがあるかどうかはわかりませんが、平成の大合併とともにこの「落書き帳」は隆盛を極めているため、こちらにおわす方々は、それぞれに考えをお持ちだと思っています。皆さんの書き込みを見て、やはりこの落書き帳における総括があってしかるべきと思ったのは私だけでしょうか。。。結構、場が盛り上がるテーマではあると思います。

[74389] 伊豆之国 さん
近年、都市部を中心に「新顔」の温泉(ただ「地下を深く掘ったら熱いお湯が出てきた」だけで、「本物」かどうか怪しいところも多そうですが)が増え、地元に「温泉がない」というところのほうがかえって少数派、ということになりそうですが‥。

これは、「温泉法」に関してということで[74120] に書き込んでいますが、採取時に25℃以上であれば例え純水であっても温泉とされる定義を紹介しております。そして現在のボーリング技術では、基本的にどこを掘っても温泉がでるということが。要はボーリングするお金の問題となりますが、その法律とは別に、伊豆之国さんが感じられる方が通常かと思います。

さて、タイトル。
昨日、及び本日も滋賀県に滞留していますが、黄砂の洗礼を初めて目の当たりにしました。テレビのニュースでは見たことがあるのですが、実体験は思った以上にきついですね。普段風邪でもあまりマスクをしない私ですが(マナー違反であるという、つっこみは無しですよ)、今日はコンビニでマスク購入してそとを出歩きました。

そして、黄砂の向こうに太陽が見えました。日蝕観察でも肉眼では絶対にみないように、といわれている太陽が、なんの抵抗もなく、白く丸いものを空中に観察することができました。。。ちょっと怖いですね。
[74394] 2010年 3月 21日(日)21:37:43【1】にまん さん
温泉
[74389] 伊豆之国 さん

微妙なところもありますが、
校名所在地温泉
花咲徳栄加須市大利根鉱泉
自由が丘北九州市河内温泉
なんてのがあります。
加須のほうは、写真を見る限り「最近」できたものではなさそうです。

正直なところ、いまや温泉が存在しない市町村を探す方が難しいと思います。

(最後の言い回しが少し変だったので訂正)
[74393] 2010年 3月 21日(日)20:53:27播磨坂 さん
合併特例
お久しぶりです。
平成大合併といえば、明治・昭和両大合併と比べると、明確な目標もなく、何となく合併を推進したという感が否めませんが…

[74392]今川焼 さん
特にアメの効果を発揮したのが、合併特例債の創設などを定めた1999年の改正と人口要件の緩和を定めた1998年(4万人特例)と2000年(3万人特例)の改正だと思います。

これってよく言われますが、「市」になることにそんなにメリットがあるんでしょうか。市役所職員の方にお話を伺ったことがあるのですが、「市」になるメリットは保健師(だったかな?)を設置出来るようになることくらいだとおっしゃっていました。最低でも特例市にならないと県から権限を移譲されないし、「市」になるメリットといえば見栄えが良くなることくらいでは、と思ってしまいます。
[74392] 2010年 3月 21日(日)18:16:20今川焼 さん
篠山市は平成の大合併第1号…かどうかはともかく
[74388] オーナー グリグリさん
いわゆる“平成の大合併”というのは、平成の時代において各種優遇策を盛り込んだ合併特例法というアメと、合併しない市町村への地方交付税減額というムチにより、小規模自治体を合併へと追い込む一大キャンペーンのことだったと理解しています。
で、少々くだけた言い方をすると平成の大合併の起点は、そのアメを最初に食べた市の誕生時点をとるか、アメに釣られて(あるいはアメがあることを前提として)合併協議を進めた市が最初に誕生した時点をとるかということでしょうかね。

以前[67558]でも書いたのですが、現篠山市である多紀郡各町の合併の取り組みは、篠山市誕生記録集にもあるように、昭和の大合併当時から何度も繰り返されてきました。
6回目の合併協議が始まったのは1990年代、折しも南隣の三田市では1986年の福知山線新三田までの複線電化完成を機に、10年連続人口増加率日本一を達成し、人口3万人台から11万人台へと大きな発展を見せていました。
そしてようやく国鉄篠山線廃止(1972年)以来の地元悲願であった新三田-篠山口間の複線化工事が始まり、「次は多紀郡だ」という人口増加への期待が膨らみました。しかし、多くの新住民受け入れには水資源確保という課題があります。そこで三田市内にある青野ダムを水源とする県営水道の導入が検討されましたが、県からは導水管敷設に多額の工事費を要する県水導入には合併による財政基盤の強化が必要と指摘され、そのことが直接の合併協議のきっかけになったようです。

さて、アメの役割を果たす“合併特例法”ですが、1965年施行、2005年失効の旧合併特例法(市町村の合併の特例に関する法律)は何度か改正を繰り返していますが、特にアメの効果を発揮したのが、合併特例債の創設などを定めた1999年の改正と人口要件の緩和を定めた1998年(4万人特例)と2000年(3万人特例)の改正だと思います。
篠山市は“4万人特例”のおかげで予定しなかった市制施行を果たし、また合併特例債のおかげで県水導入や多くの公共施設の整備にも成功しました。ですが、この“4万人特例”は地元が要望したものではなく、篠山市誕生前に突如施行されたもので、その後適用例はなく2000年の潮来市誕生を前に“3万人特例”へと衣替えされています(こちらは潮来市側から要望があったようですが)。また、合併特例債などを定めた改正法の公布は2000年の7月ですが、適用は4月1日市制施行の篠山市にまでさかのぼるとされ篠山市はその恩恵に浴しています。
どうも篠山市は合併を推進したい国によって都合良く“平成の大合併のモデルケース”に仕立てられた感があります。そして結果は前にも書いた通り、二階に上げてはしごを外された状態(お手本から反面教師へ転落)という悲惨な状況に陥ったのですが。そういえば総務省の合併相談コーナーでは、“平成の大合併”とは銘打っていませんが市町村変遷のデータの区切りは、篠山市誕生前日の1999年3月31日で区切られていますね。

と、まぁ篠山市の合併のいきさつを大まかに言えばだいたいこんなところです。平成の時代に国が推進した合併政策がどのようなものであったか、その特徴を端的に示す代表例として、“平成の大合併”第1号と記録するかどうかはともかく、記憶にはとどめておきたいものです。
[74391] 2010年 3月 21日(日)11:40:01BANDALGOM さん
Re:平成の大合併 ラストラン
いよいよ、「平成の大合併」のラストランが始まりました。
1992年4月22日付の朝日新聞の記事を(約2カ月後に図書館で)見て以来、18年にわたって合併ウォッチャーを続けてきたわけですが、一つの時代が終わるということになります。

一関市・藤沢町をはじめ、4月以降の合併を目指すところがまだあるものの、合併の枠組みをあれこれ想像したり、合併協定調印や議会の動向を追ったりするのが一つの楽しみであったこともあり、それがなくなるかと思うと、一抹の寂しさを感じます。

3月7日には古河へ行き、古河駅から新古河駅まで歩きました。
一応「全国京都会議」加盟の小京都ということで、それらしい所を回り、茨城・埼玉両県境を歩いて越えましたが、間もなく消滅する「北川辺町」の看板などを、合併前に撮っておきたいということで、この日に行ってきた次第です。


[74387]グリグリさん
近江八幡市の合併は波乱含みですねぇ。今朝の新聞にも安土町の6割の住民が反対しているということがニュースになっていました。反対派議員は再度分離を目指すと言っているようです。
1週間前に選ばれたばかりの、旧安土町の近江八幡市議は合併反対派が多数ということですし、今後の動向が注目されるところです。

果たして、再度分離へと動くのか、それとも「安土八幡市」あたりへの改称を目指すのか・・・。
近江八幡市がそもそも旧国名を冠したのは、福岡県にあった八幡市との同名回避による措置だったわけですし、個人的には「安土八幡」に改称した方がいいのではないかと思います。

しかし、同じように合併が決まってから波乱が起きた、青森市・旧浪岡町や安中市・旧松井田町などで、その後分離の動きが見られないことを考えれば、このまま落ち着くのかな、という気もします。


[74379]はやいち@大内裏さん
総務省は週明け火曜日3/23付けの官報で中之条町・六合村の廃置分合を告示します。
現在の特例法の期限内の合併を「平成の大合併」とするならば、まさに「平成の大合併」最後の告示ですね。
告示日は23日か24日になると予想していましたが、大本命は23日と思っていましたし、その通りになりました。

「ラストラン」の中でもピークとなる23日に、最後の告示が行われるということも、「平成の大合併」の終わりを象徴する出来事のように思います。


[74382][74388]グリグリさん
[74385]じゃごたろさん
この落書き帳においては「平成の大合併」とは、いつからはじまったことになるのでしょうか?
落書き帳の中での基準は、考え方の個人差もあるので、一概には言えないと思いますが、私は2001年の新潟市と黒埼町の合併を第1号と考えています。

一般的には篠山市が第1号とされていますし、長らく「市制施行は5万人以上」とする地方自治法の規定が厳格に適用されてきたところへ、5万人未満での市制施行が認められたという点では、篠山市が第1号とする考えもありとは思います。

しかし、篠山市が誕生した1999年の合併は1件だけ、翌2000年はゼロ、そして2001年に一気に5件の合併が行われ、その後毎年複数の合併があったことを考えれば、「篠山市を入れない」を支持するところです。
[74390] 2010年 3月 21日(日)11:34:33おがちゃん さん
北埼玉郡
こんにちは。おがちゃんです。

いよいよ明後日は大合併最後の山場となりますが、消滅する北埼玉郡についてある歌を思い出しました。

某太鼓ゲームの曲で「きたさいたま2000」と言う曲です。
この曲は北埼玉郡についてのことが歌われている曲で、北埼玉郡に所属する3つの町のことや、北埼玉郡が北関東3件全てに隣接していることなどが歌われています。
因みに、3つの町のことはモールス信号となっておりますのでこの曲を聴くにはモールス信号の知識も必要となってきます。
さらに言ってしまうとこの曲は某太鼓ゲームの中でも難しい曲の3本指に入る曲です。プレイするのはもっと難しいです。

#おまけに3月28日には六合村までもが消えてしまうのですね。最強の難読地名かと思ったのですが・・・。
[74389] 2010年 3月 21日(日)11:22:02伊豆之国 さん
甲子園と温泉
実は前々から考えていたことなのですが‥。

甲子園の選抜高校野球が今日から始まりましたが、その「甲子園出場校の地元の市区町村に温泉がある」ところはいくつあるか、というものです。今回の出場校について、私の知る限りのところを調べてみました。

校名所在地温泉
北照小樽市朝里川温泉
盛岡大附属盛岡市繋温泉
秋田商業秋田市秋田温泉
山形中央山形市蔵王温泉
東海大望洋市原市養老渓谷温泉
帝京板橋区板橋温泉
日大三高町田市ロテン・ガーデン
東海大相模相模原市藤野やまなみ温泉(旧藤野町)、美女谷温泉(旧相模湖町)
敦賀気比敦賀市敦賀トンネル温泉
中京大中京名古屋市大名古屋温泉
三重松阪市香肌峡温泉
神港学園・神戸国際大附属神戸市有馬温泉
天理天理市奈良健康ランドプラザホテル(大和温泉)
智辯和歌山・向陽和歌山市加太淡嶋温泉花山温泉
開星松江市松江しんじ湖温泉、玉造温泉
関西岡山市苫田温泉(→第6回オフ会
広陵広島市湯来温泉
今治西今治市鈍川温泉
宮崎工業宮崎市青島温泉(→[73231]hmtさん)
興南那覇市ロワジールホテル那覇(三重城温泉)

近年、都市部を中心に「新顔」の温泉(ただ「地下を深く掘ったら熱いお湯が出てきた」だけで、「本物」かどうか怪しいところも多そうですが)が増え、地元に「温泉がない」というところのほうがかえって少数派、ということになりそうですが‥。
このほかにも、近年できた日帰り施設などがあるところがありそうです。何か情報がありましたら遠慮なくお知らせください。
[74388] 2010年 3月 21日(日)11:07:36【2】オーナー グリグリ
平成の大合併の起点は?
[74385] 2010 年 3 月 21 日 (日) 00:51:49【2】 じゃごたろ さん
さて、平成の大合併も残す日数もあとわずか。このサイトでも何かしらの総括的なものがあってもいいのかな、なんて思ってたりもしますが、誰もそんなこと考えていなかったりするかもしれないですね。
そうですね。平成の大合併の前後の統計情報を一覧表にしてみたいと思っています。[48292]の関与率も面白いですね。ぜひ、書き込みをお願いします。一覧表をまとめる際に取り込めればいいですね。他には、合併による(人口、面積)増加ランキング(合併情報で組み替えないランキング)なども面白いかなと思っています。日光市のように合併前の母体を旧日光市にするか旧今市市にするかなど、少し扱いに悩みそうですが。人口密度の下落ランキングも考えられます。

さて、「平成の大合併」とはどの時点を始まりとするのでしょうか?
すみません、[74382]で2001年からとしたことに深い考慮はありません。篠山市以降とするのが常識的というのは承知していますが、どうなんでしょうねぇ。2001年としたのは、国勢調査人口の切れ目になるので統計的な処理が便利かなと言う思いがあります。まぁ、それも大して重要な要素ではないですが。ということで、「平成の」と言うだけに平成以降の合併件数をまとめてみました。

合併件数合併後の自治体合併特例法
1989年(平成元年)0
1990年(平成2年)0
1991年(平成3年)3熊本市,北上市,浜松市
1992年(平成4年)2水戸市,盛岡市
1993年(平成5年)1飯田市
1994年(平成6年)1ひたちなか市
1995年(平成7年)2鹿嶋市,あきる野市改正(10年延長,住民発議制度...)
1996年(平成8年)0
1997年(平成9年)0
1998年(平成10年)0改正(市の要件:4万人特例)
1999年(平成11年)1篠山市改正(市を含む合併特例)
2000年(平成12年)0改正(市の要件:3万人特例)
2001年(平成13年)5新潟市,西東京市,潮来市,さいたま市,大船渡市
…以下省略…

1995年の特例法改正後とするなら、鹿嶋市、あきる野市も入りますが、鹿嶋市、あきる野市はその前のひたちなか市などのグループ(?)に入る感じなので、1998年の4万人特例の改正後とすれば篠山市以降となります。また、2000年の3万人特例以降とすれば2001年の新潟市以降となります。さて、篠山市を入れるか入れないか、皆さんはどう思われます。なお、特例法の改正経緯はこちらの青森県のページに要領よくまとめられています。
[74387] 2010年 3月 21日(日)10:26:08【2】オーナー グリグリ
3/22, 3/23の合併情報について更新作業を行いました
明日22日のあま市誕生、明後日23日の新設3件、編入6件の合併に基づく情報更新を行いました。ちょっと早いですがご了解のほど。

埼玉県北埼玉郡、静岡県富士郡、同浜名郡、熊本県鹿本郡、宮崎県宮崎郡が消滅します。また、本日の近江八幡市、および、明日のあま市の新設合併による市制施行は休日の市制施行となります。あま市は柳川市に次いで2例目の振替休日の市制施行となります。詳しくは尾花沢市って何が特別?(休日に市制施行した市)をご覧ください。なお、雑学名称を「祝日に…」から「休日に…」に変更しました。

過去記事でも議論されていますが、近江八幡市の合併は波乱含みですねぇ。今朝の新聞にも安土町の6割の住民が反対しているということがニュースになっていました。反対派議員は再度分離を目指すと言っているようです。

追伸:市の変遷は、市区町村変遷情報が過去情報に更新されたタイミングに同期して自動更新されます。
[74386] 2010年 3月 21日(日)08:52:01miki さん
雑学更新メールについて
[74383]山野さん
それについて3/9にグリグリさんの方にメール送ったのですが...少し早かったみたいですね。
メールは再送信しましたが、今度から時期を考えて送信しますね。
[74385] 2010年 3月 21日(日)00:51:49【2】じゃごたろ さん
「平成の大合併」の定義
こんばんは、じゃごたろです。
現在滋賀県におります。経県値稼ぎの宿泊であることは明白ですね。
すでに今日になりましたが、近江八幡市の一部となった旧安土町を通過する予定ですが、標識が変更されているかどうか。あとは明日まで活動日程を延ばしてあま市をどうしようかと思ってます。

[74382] グリグリさん
平成の大合併 ラストラン

さて、平成の大合併も残す日数もあとわずか。このサイトでも何かしらの総括的なものがあってもいいのかな、なんて思ってたりもしますが、誰もそんなこと考えていなかったりするかもしれないですね。なんか無駄にもってまわった言い回しですね。実は私は以前[48292]で書き込んだ「関与率」を、3/31までの合併で再計算するつもだったりしてたのですが、ここに書き込みができればいいなと思ってます。

さて、重要な疑義を一つ。

平成の大合併が2001年の新潟市と黒埼町の合併からとすれば、1999年誕生の篠山市までで671市ありました。
篠山市の誕生が「平成の大合併」の端緒としてマスコミでは扱われることが多いようです。「合併特例法(正式には『市町村の合併の特例等に関する法律』)」には幾つかの曲折があるようですが、1995年の改正と、2000年の改正があります。マスコミの報道は1996年の改正をもって平成の大合併とするもの。1996年に改正され、それをもとに合併協議がされて初めて実ったのが篠山市であったというものですね。一方グリグリさんの書き込みは、2000年の改正をもってするものとされていると受け取りました。

さて、「平成の大合併」とはどの時点を始まりとするのでしょうか?

たぶん「どっちでもいい」と感じる方が多いかもしれません。しかし、数値データを扱って何かしらの結果・結論を求めようとするととても重要な「定義」です。大げさに言うと、これなくしては「平成の大合併」を総括できない、ってことにもなるんじゃないかと?

大上段に構えた感じで書き込みましたが、結局のところ、この落書き帳においては「平成の大合併」とは、いつからはじまったことになるのでしょうか?
[74384] 2010年 3月 20日(土)22:13:21リトル さん
■小休止中…
皆さん、御無沙汰しています。
寂しいので、少し近況報告+レスなどさせて下さい。、

1/15に十番勝負に解答し、そろそろ「十番勝負の感想」「昨年のオフ会関係」「以前から書き溜めた記事」「発見した地名コレクションの提案」と順次書き込んで行こうと思った矢先の1月後半。「大至急、吹田市内の巨大工場の測量」という仕事が始まってしまいました。
それ以来「始発バスで通勤し帰宅は最終バス」で休み無しの生活が50日以上続いております。
(「スーパーボウル」「JRダイヤ改正」「オリンピック」等々とは無縁の生活です)
近づいている次回十番勝負(4/3~)の時期は、まだまだ奮闘中と思いますので…今回も後半に「落ち葉拾い」になりそうです。

▲高速道
本日の15:00、第二京阪道路の残り区間(枚方東IC~門真JCT)が本日開通しました。
費用が1兆円も掛かった、との事ですが、ここの開通によって新名神(草津JCT~亀山JCT)と同様に「名神高速(特に京都南・吹田付近)の混雑緩和」が望め効果は大きいと思います。
私なども、仕事での京都南部~大阪南部の移動がかなり便利になりそうです。

今日も京滋バイパスを通って吹田市の現場に行ったのですが、早朝に「帰る頃にはここも、もう全線開通か」と思いつつ、取り付け口の久御山JCTの行き先案内板をのんびり眺めていたのですが…。
皮肉にも、その後通った名神高速道路が「3連休初日」「京都周辺の行楽」「第二京阪道開通」「事故多発」による大渋滞でえらい目に会いました…。
・カリカリしても仕方ないので、車内で相棒と他の車のナンバーを見て「北海道・青森以外は沖縄までほぼ全国見たな」「鈴鹿ナンバーって初めて見たかも」「奈良は大和にしたらあかんのかな?」などと盛り上がっていました。

▲阪急摂津市駅
そんな状況なので、[74342]かすみさんが書かれた、
今日は阪急摂津市駅~の開業ですね。メンバーの中にも足を運んでいる人がいそうです。
→については、直接、新駅には行けませんでしたが…、駅から3km以内で仕事をして、行き帰りには数百mまで近づきました。

▲御当地グルメ
[74374]スナフキん さん
→私も御当地グルメは大好きなのですが…「たまたま最近、一軒のお店で売れた創作メニュー」「町興しの為に無理矢理作りだしたメニュー」などには、どうも抵抗があります。考えすぎでしょうか?

▲母音
私的でつまらない事ですが…。
[74260]k-aceさんが、母音に関する記事を書かれていました。
(壱)母音を一種類のみ使う市区町村~
(弐)母音を四種類以上使い、かつ、母音の被りがない市区町村~
私の苗字は偶然、同じ母音だけ、名前はそれ以外の4つの母音で構成されているので、
・姓は「(壱)母音を一種類のみ使う~」
・フルネームは「(弐)母音を四種類以上使い~」となります。
(但し苗字が複数文字の為、「母音の被りがない」とはゆきませんが。)

▲落書き帳の書き込み文字数がそろそろ10万に届きそうです。
多ければ良いと言うものではありませんが、嬉しいものですね。

では仕事に戻ります…
リトル
PS,今日は暖かかったですね、こちらは夕方で24℃でした。
[74383] 2010年 3月 20日(土)21:45:15山野[山野] さん
変遷情報への反映
グリグリさんへ
「近江八幡市」他、後続の合併について。
先週でしたっけ?開設されたばかりの「市の変遷」の方にも反映した方が良いかと思いますがどうでしょうか。
[74382] 2010年 3月 20日(土)21:14:46オーナー グリグリ
平成の大合併 ラストラン
明日から3日間連続して合併があります。とくに23日は、新設合併3件、編入合併6件と平成の大合併の最後のピークとなります。新しい市として22日に「あま市」、23日に「姶良市」が誕生し、合計786市になります。平成の大合併が2001年の新潟市と黒埼町の合併からとすれば、1999年誕生の篠山市までで671市ありました。その後、115市も増えたことになります。

さて、明日21日の近江八幡市と安土町の新設合併の情報を更新しました。
[74381] 2010年 3月 20日(土)14:30:36ニジェガロージェッツ さん
神戸市16区
タイトルのふざけた本題に入る前にレスを一つ。

[74360] 油天神山 さん
要はMapionの改訂を待っているうちにズルズルと更新が滞ってしまったのですね。
やはりそうでしたか。私も[74332]で地図をリンクするのに油天神山さんのコレクションに合わせてMapionで探したのですが,地図情報が古いままになっていたので,Yahooの地図で代用しました。それでコレクションへの登録を見送っておられるのかなと薄々感じていました。
ただ,それを明確に記しておられた[72948]は見逃してしまっており,大変失礼致しました。


さて,ここから本題。
最近神戸の街情報を当たっているうちに,神戸市の区が次のように16もあるページを複数目にしました。
神戸市 (灘区 葺合区 神戸区 湊東区 湊区 湊西区 林田区 須磨区 兵庫区 生田区 長田区 垂水区 東灘区 北区 中央区 西区)
(例えば,こことか,こことか,こことか)

これはねぇ,地元では絶対にやらない間違いですから,どこかの一覧のようなものを張り付けての結果だと推測するのですが,もしかしたら,昔に廃止された区を現存するかのようにズラズラ並べて悦に浸っているニジェのような変態が居るのかもしれません。
ただ,本当にこんな区割りをしたらどうなるのか,いろいろ連想していると面白くなり,つい遊んでしまいました。

16の区から成るパラレルワールドの神戸市は,現行世界と同じように周辺の町村を編入していきましたが,区政だけが狂っています。次のような変遷を辿りました。

昭和6年9月1日 神戸市に区設置。灘区,葺合区,神戸区,湊東区,湊区,湊西区,林田区,須磨区の8区
そして早くもその翌月,湊西区の衛生組合から兵庫区への改称の陳情が寄せられる。ここまでは現行世界でも同じ。並行世界ではこの対応から狂いが生じる。

昭和8年1月1日 湊西区より旧兵庫津地区を兵庫区として分区。9区制に。

昭和16年4月1日の明石郡垂水町の須磨区への編入を皮切りに,昭和33年2月1日の美嚢郡淡河町の編入まで神戸市域は西,北,東の3方向に拡張するがそれも同じ,但し北神各町村の編入先は兵庫区ではなく湊区へ。

昭和20年5月1日 神戸区より旧生田宮村,北野村,中宮村,花熊村,宇治野村の範囲を生田区として分区し,林田区のうち旧長田村,池田村,須磨区のうち旧西代村の範囲に長田区を新設する。11区制に。

昭和21年11月1日 須磨区より垂水区を分区。12区制に。
昭和25年4月1日 東部新市域に東灘区を新設。13区制に。
昭和47年5月1日 埋立て中のポートアイランドを港島として神戸区に編入
昭和47年6月1日 湊区,灘区,東灘区にまたがる六甲山上を六甲山町とし,灘区に移管。
昭和48年8月1日 湊区より北神地域を北区として分区。14区制に。
昭和52年6月1日 垂水区名谷団地を須磨区に移管
昭和55年5月1日 北区に摩耶山町を新設し,灘区に移管
昭和55年12月1日 ポートアイランドを中央区として神戸区より分区。15区制に。
昭和58年8月1日 垂水区より西神地域を西区として分区。16区制に。
昭和60年2月1日 垂水区より総合運動公園,流通業務団地を須磨区に移管
平成4年5月20日 西区,垂水区,須磨区間の境界変更

こうして,現行の変遷に出来る限り合わせながらも,分区を連発すると16区の頭数は揃う。
そうなると,その人口規模が気になってくるので,平成17年国勢調査の町丁別人口をもとに各区の人口を計算してみた。

神戸市1,525,393
16区
東灘区206,037
灘区128,050
葺合区59,503
中央区14,423
神戸区4,802
生田区29,210
湊東区23,016
兵庫区14,399
湊西区35,872
湊区30,571
北区225,945
長田区73,707
林田区43,455
須磨区170,037
垂水区222,729
西区243,637

あ~あ,あり得ん!
[74380] 2010年 3月 19日(金)15:51:57山野[山野] さん
法定協設置(一関)
でるでるさんへ
昨日の定例会に於いて、一関市及び藤沢町の両議会は法定協設置議案を可決しました。
岩手日報より。
[74379] 2010年 3月 19日(金)13:35:28【1】はやいち@大内裏 さん
期限内合併では最後かな
[74317]BANDALGOMさん
総務省は週明け火曜日3/23付けの官報で中之条町・六合村の廃置分合を告示します。
総務省プレスリリース

告示日を訂正 22:30
[74378] 2010年 3月 19日(金)00:30:37くは さん
Re: 高速道路のインター番号について
[74366] にしさん21号 さん

 気になる気持ちはわかります。

1.今までそのような実例はあったのでしょうか?
 私の知る限り、例はありません。
 分岐する形式の高速道路の場合、JCTから近い位置に最初のICが置かれることが多々あります。上信越道の藤岡や長野道の岡谷など、しばらくはそれぞれ関越道・中央道のICのように機能していました。このように1番のICより手前にICを追加する必要のない場合がほとんどでしょう。
 距離があるところといえば、道東道、中部横断道(起点は未開通)、播磨道、浜田道といったところでしょうか。この中では道東道が可能性ありそうですかね…サッポロビール庭園スマートICとかいって。


2.もし、このような事態になったら、インター番号はどうなるのでしょうか?
 「0-1」でよいのではないでしょうか。
 あとは、北陸道のようにIC番号を全面的に変えた例もありますので、よほど番号が汚くなった路線は全部変えてしまうかもしれません。
[74377] 2010年 3月 18日(木)19:39:06白桃 さん
ひらがな長名氏の復活
ありがたきさん、むじながいりさん、お二人の久しぶりの書き込みを見ると、なんか嬉しくなります。
つくばみらい市、かすみがうら市も「まつもとしろくま氏」にはかなわない。

さて、どなたにも注目をあびなかった[74339]白桃の「各都道府県人口下位?市全国選手権」クイズの答えです。
A市:羽村市
B市:米子市
C市:鳥取市
D市:言わずと知れた「東かがわ市」
E市:歌志内市
F市:夕張市
各都道府県内最少人口市の中で、東かがわ市は全国12番目に人口が多い、ということを言いたかっただけです。^l^)~~
[74376] 2010年 3月 18日(木)16:00:15【3】hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても、中身は 区区(まちまち) (4)沖縄県区制 と 北海道区制
市の変遷 がデビューした機会に、これと深い関係を持つ「区制度の変遷」に関する情報を整理しています。

明治初期、最初は戸籍編成のために設けられた「区」は、やがて土地人民に関する事件一切を取扱う行政機構になりました。
区に大小を付けるところも多く、明治5年大蔵省布達第164号で大区小区制が原則になりました[58214]

[37785]
【島崎藤村誕生の地は】正確に書けば「筑摩県第八大区五小区馬籠村」でしょうが、…
[62550] [62613]
明治初年の地図を眺めてみると、明治8年 「東京四大区小区分絵図」の11小区の西側(第八大区四小区)に「朱引外」の字
【漱石の】父・夏目小兵衛は明治5年には第四大区の御用掛(明治6年12月区長)になっています。

しかし、この大区小区は 「市の変遷」に登場する区とは あまりにもかけ離れた存在 であるので、当面無視し、「市」の直接の前身と考えられる郡区町村編制法の 36区から このシリーズを始めました[74334]

実は [74334]で書き落していたのですが、明治11年の郡区町村編制法は、北海道では一足遅れて明治12年に施行され(おそらく明治12年7月23日 開拓使乙第4号布達[62816] 未確認、北海道には 2区(札幌区・函館区)が誕生して、郡区町村編制法の区(A1)は合計38区になったはずです。
但し、京都府伏見区は明治14年早々に 廃止

1889年施行の市制によって、37区のうち 14区はそれぞれ単独で「市」になりました。、三大都市にあった 21区は特例法により“従来の区”として存続しましたが、市域内に移行したので「A2」として区別しました[74335]。市制の対象外とされた北海道の札幌区・函館区だけが「A1」のまま。
1898年三市特例法廃止により三大都市の区は市制60条により市の中に設置された区になり(B1)、1900年の市制改正を受けて、1908年には「二十万市」である名古屋に4区が設置されました(B2)。[74354]

このように、市制に基づく区の制度は 1889年に一応はできていたものの、実際に発足したのは 1898年でした。
そして、この間に地域を限定して別の種別の区が発足していました。

それは、明治29年(1896)4月1日に施行された勅令第19号 沖縄県区制 です(C1)。
第1条 此の勅令は沖縄県に於て区と為す地に行ふものとす
第96条 此の勅令を施行する場合に於て初めて区と為す地は那覇首里の各区域とす

この区のために 全部で98条という 膨大な条文が作られていますが、その内容を見ると、議決機関(区会)はあるものの、県知事の強い監督下に置かれ、自治機能は弱かったようです。同日施行の勅令14号【261コマ】にあるように、那覇区長は島尻郡長が、首里区長は中頭郡長がそれぞれ兼任しており、本当に郡とは別なの?という感じです。
ここで、郡の名が出てきましたが、島尻・中頭・国頭・宮古・八重山の5郡も、同日施行の勅令第13号【260コマ】によるもので、沖縄県では「区」はもちろん、「郡」も史上初登場でした[64956]

地域限定による新種の区は、北海道にもでき(C2)、上記郡区町村編制法の区(A1)と置き換わることになりました。
明治30年(1897)5月29日公布の 北海道区制(明治30年勅令第158号) がそれです。

この北海道区制も、府県に施行された市制に比べて自治が制限されていたようです。助役は 明治32年改正 で導入されたものの、参事会は設けられず。

施行日は、一旦 拓殖務省令 で同年10月1日と定られたものの延期され、明治32年勅令第378号による助役制導入などの修正を経て、明治32年(1899)10月1日に 施行されることになりました。同年の内務省令第44号

[71731]では“ 議会を備えた自治制度への第一歩ということで準備期間が必要だったのでしょう。”と書きましたが、いろいろと複雑な事情があったものと推測します。ついでに言うと、北海道一級町村制も先の拓殖務省令の明治31年1月1日施行から 2年以上延期されています[63738]

このような波乱はありましたが、明治32年(1899)10月1日に実現した「北海道区制」は、自治体への第一歩でした。
最初の北海道区制施行地は 明治32年内務省令第46号 により、札幌区・函館区・小樽区が指定されました。

この勅令の公布から施行に至る2年間には、北海道特有の制度である (3代目)「支庁」制度 ができ、すぐに(1897/11/5から)施行されています。
支庁制度施行時点の北海道では、郡区町村編制法による札幌区・函館区が存続しており、この2区は郡と同列に支庁の管轄区域に入りました。というか、函館支庁の管轄区域=函館区(A1)でした。

北海道区制で指定された明治32年(1899)10月1日の函館区(C2)は、従来の函館区(A1)に加えて亀田郡亀田村の内がその区域に加わったということだけでなく、区が支庁の管轄区域外になったという違いがあります。

本来のテーマの「区」から離れますが、支庁制度改正勅令 が示すように、管轄区域の消滅により従来の函館支庁はなくなり、亀田支庁は支庁位置を七飯村から管轄区域外の函館区に移し、(新)函館支庁に改称 しました。

地域限定の区は、その後も北海道(C2)では旭川(1914)、室蘭(1918)、釧路(1920)と増殖した後、1922年に6区がすべて市制の市になりました。
沖縄県の区(C1)は 明治41年改正[64956]の前後共に 2区(那覇・首里)のままで、1921年に市制を迎えました。

沖縄県区制・北海道区制関連で、昔の記事を紹介。
市制施行日と市の誕生日は、アーカイブズ第3号 のURLが示すように この落書き帳の古典的な話題です。
グリグリさんの[40621]が決定版になり、その後[43070]で市名誕生日が追加されています。

…ということで今更なのですが調べ直してみたら、落書き帳の草創期に M.K.さんの発言があり、那覇市が 41番目、札幌・函館・小樽3市が 52番目を獲得している 置市時期順 が提示されていました。

[140][154] M.K. さん
全国市長会館が発行する『日本都市年鑑』(中略)では、札幌市や那覇市について、「北海道区制」「沖縄区制」に基づいて区となった日を「置市」の日と扱っていたようですが……
手持ちのデータを若干修正したのですけれど、ついでにそれをウェブページにもしてみました。【URL修正↑】

[159] Issie さん
視点を変えればこういう配列も「あり」だと思いますよ。
それぞれの「市」にとってみれば,こちらの日付の方が重要かもしれませんね。
[74375] 2010年 3月 18日(木)13:51:16hmt さん
深い穴
[74372] MasAka さん
吉岡斜坑底のポンプ座(P3) 本坑の最深部よりもさらに深い位置にあり、標高は約-283m
[74373] Issie さん
福岡の志免(しめ)炭鉱は最深600メートルだそうです。
もはや現役ではないし,今そこまで到達でできるのかわからないのですが。

志免炭鉱は 国営(海軍→国鉄)の炭鉱でしたね。

それはさておき、 大深度地下探訪記 という記事がありました。
最初の訪問先は 青函トンネル。断面図の右側、吉岡の排水基地も図示されていました。

次の訪問先は 三井石炭鉱業の上砂川事業所。1987年閉山ですが、通産省の地下無重力実験センター工事が 進んでいたそうです。1990年には、海抜マイナス560mには 到達できる状況にあったことが 確認できました。

岩の力学 News No.050 によると、わが国における海抜としての最深部到達は、北炭幌内炭坑におけるS.L.-1,140mとのこと。

世界記録は 南アフリカ共和国のウェスタン・ジュール・ベルノ鉱山のS.L.-3,550mが 人類の最深度地下到達点となる と記されています。
これは 金鉱山だと思いますが、地熱のため、極めて厳しい作業環境であると思われます。

南アフリカでは ダイアモンド鉱山でも深い穴が掘られました。
19世紀の深さ360mに達するキンバリーの露天掘り跡 ビッグホール は有名です。
その後、立坑を利用する方式になったが、深さ 1200mでダイアモンドが激減し、1915年に閉山。
[74374] 2010年 3月 18日(木)12:56:55スナフキん さん
つけナポリタン
ランチ直後に食事の話題も何ですが…。

今週末の3連休、岳南鉄道乗りつぶしついでに「つけナポリタン」にチャレンジしてこようと思います。何でも、富士市吉原の商店街が旗振り役になって始めたご当地グルメらしいのですね。あったかいトマトジュースに麺をどっぷり…とか、ビーフシチューにひたひた麺…とか、いろいろ想像してみるのですがどれもミスマッチで、本当にうまいものなのかどうか。まぁ、まずいもののうわさが一人歩きすることはないと思うので、少なくとも「ヒトが食べられるもの」ではあると思いますけど、期待とともに一抹の不安も抱きます。

ご当地グルメと称するものにも、いくつかの類例がありますよね。王道を行く伝統的な郷土料理でオリジナリティの高いもの(きりたんぽとかじゃこ天、ジンギスカンもこの部類に入るのでしょうか)、伝統的とまではいかないにしても相当前から庶民には当たり前のように食べられていたもの(黒石焼きそばとか仙台牛たんあたりが該当しそう)、それら食材が脚光を浴びるようになって現れた後発組、くらいに、大まかには分類できるのだろうと思うのですが、「つけナポリタン」は明らかに後発組らしい…富士宮の焼きそばを強く意識していそうな雰囲気が見え隠れします。

そう言えば、東武鉄道のイベントチラシで「川越太麺焼きそば」なるものが存在することを最近知りました…市民歴15年近くの私も初めて聞きました、これも「後発組」なのでしょうか。
[74373] 2010年 3月 18日(木)09:57:12Issie さん
サノヨイヨイ
[74372] MasAka さん
青函トンネル

青函トンネルは何回か通過したことがあるのだけど(もちろん列車で),夜行列車(「はまなす」)の場合はもちろん,昼間の列車でも眠ってしまうんですよね。だから,あんまり記憶がない。
少し前に話題になった宇高航路は国鉄の連絡船も国道フェリーも何度か利用したことがあるけれど,青函連絡船は間に合いませんでした。返す返すも残念。

昔の鉱山とかでもっと深いのがありそうな気もするので、実際どんなもんなんでしょう

炭鉱(炭坑)などでは深さ500メートル超というのも結構あるようですね。
たとえば ここ に紹介されている福岡の志免(しめ)炭鉱は最深600メートルだそうです。
三池炭鉱でも最も深いところは500メートルを超えるようですね。有明海の下。かつて三池闘争をテーマにした「地底(じぞこ)の歌」という合唱組曲が(どちらかというと共産党の影響の強いところで)よく歌われていましたが,「海底」の方が正しいかもしれません。
ともかく,海面高度を「0メートル」とするのか,坑口の標高を基準とするのかわかりませんが,志免にしても三池にしても低地であることには変わりありませんから,やはり海抜-500メートルは超えているのでしょう。
どちらも,もはや現役ではないし,今そこまで到達でできるのかわからないのですが。
[74372] 2010年 3月 18日(木)01:55:28MasAka さん
青函トンネル
ごぶさたしております。正月の十番勝負以来の書き込みになります。

仕事の関係で海底トンネルの維持管理に関する調査を青函トンネルの作業坑内で行ってきたのですが、そこで体験してきた地理ネタになりそうなお話を3点ほど。

1.仕事のついでに[53388]でhmtさんが話題に出した「我が国で最も標高が低い水準点」(海面下約265.6m)を見学してきました。水準点の鋲が打ってあるところの作業坑側壁に「日本で最も標高の低い一等水準点です」という国土地理院の銘板が飾ってありました。ちなみにこの水準点、ウォッちずで見る限り2万5000分の1地形図に載ってないようですね。トンネル内の水準点は地形図に表示しなくても良いことになっているようですが、-230.9mなどの水準点は記載されているので、せっかく日本一低いのだから表示してくれても……と思いました。

2.吉岡斜坑から作業坑に入坑し、本州側の竜飛定点付近まで車で行ったので、自動車による北海道と青森県の県境越えを達成しました。2005年11月頃の落書き帳で県境越えについての話題がありましたが、さすがにこの県境を「鉄道以外の陸上交通手段」で越えた人はいない?

3.吉岡斜坑底のポンプ座(P3)にも行きましたが、ここは竜飛側のポンプ座とともにトンネル内に湧き出る水を集めて地上へと汲み上げるための場所であることから、列車が走る本坑の最深部よりもさらに深い位置にあり、標高は約-283m(横浜ランドマークタワーの高さにわずかに足りないくらい)。おそらく人が入り込める場所では日本一標高が低いのではないかと思います(……と思っているのですが、昔の鉱山とかでもっと深いのがありそうな気もするので、実際どんなもんなんでしょう)。

なお、一般人でもこのようなツアーに申し込めば1.と2.は体験できますが(ただし2.は徒歩による県境越えとなる)、募集人数は数十人程度と少なく、また年がら年中募集している類のものではないので、やはりこれらの体験ができるのは貴重だと思います。ちなみに斜坑底にあるポンプ座も昔は見学できるツアーがあったようです。
[74371] 2010年 3月 18日(木)00:12:07白桃 さん
入口
という字句を見ると最近、「人口」と、しばしば読み違えている、自称「研究所長」でございます。
[74365]じゃごたろ さん
岡谷市人口53,000人割れ
このことに関しては何のチャチャも挟むつもりはありません。
が、一応、「知ったかぶり」をさせてください。
岡谷の市制施行は1936年4月1日なので、じゃごたろさんからご案内いただいた人口は正確に言うと、現在の岡谷市域に組み替えをした各国勢調査年次人口であります。
例えば、1930年の76,562人は当時の平野村、湊村、川岸村、長地村の合計人口から、1958年7月1日に下諏訪町に編入された旧長地村の東山田、東町の両地区域の人口を除いた数字なのです。ま、そんなことは言わなくても、1930年頃、「蚕都」の人口はピークに達したことに間違いはありません。(1930年の平野村の人口はなんと53,874人です。)
ついでながら、1958年に下諏訪町に編入された地域の人口は約1700人ですが、これは「編入」ではなく、「境界変更」という形になっております。88さんはじめ、こういった事柄に関して、当落書き帳においても真摯に議論がなされておりますが、人口至上主義の私にとって、人が住んでいる、あるいは住んでいた地区の自治体間異動は、「境界変更」ではなく、「編入」(「分離」)とした方が、しっくりくるように思えるのですが・・・

(ご参考)以下の人口表は1920年第1回国勢調査人口、長野県のトップ10です。
当時の自治体名1920年人口---現在の自治体
松本市49,999---松本市
平野村44,278---岡谷市
長野市37,308---長野市
上田市26,271---上田市
上諏訪町17,058---諏訪市
飯田町17,013---飯田市
下諏訪町15,608---下諏訪町
須坂町15,009---須坂市
伊那町14,018---伊那市
川岸村12,548---岡谷市

オマケ:諏訪市より下諏訪町のDID人口が多かったりして・・・
[74370] 2010年 3月 17日(水)21:18:12Issie さん
RE~2:浜名湖境界確定?
[74367] 小松原ラガー さん
なぜか神戸新聞にこんな記事が出ていたのですが

------------------
官報で告示された
------------------
(当該記事より引用)

問題の官報自体(昨日付け号外)と総務省告示(平成22年第82号)がこちらのページに掲載されています(目次までは html ファイル,紙面は pdf ファイル)。
昨年度までは1週間で“流れて”しまっていたのですが,昨年4月から1ヵ月間閲覧できるようになりました。
[74369] 2010年 3月 17日(水)19:17:12おがちゃん さん
浜名湖
こんばんは。おがちゃんです。

[74367] 小松原ラガー さん
浜名湖境界確定?
浜名湖内の境界が確定した事で市の面積ランキング2位の浜松市はさらに大きくなりましたね。
いよいよ平成の大合併も終わりが近づいている事もあり、そう簡単には順位が落ちることはないでしょう。

また、この境界確定により境界未定地の中で一番の大物は北海道の風蓮湖(57.74km2)となりました。つい最近まで琵琶湖が最大かと思ったら一気に小さくなってしまいましたね。驚きです。
[74368] 2010年 3月 17日(水)18:43:01【1】oki さん
RE:浜名湖境界確定?
[74367] 小松原ラガー さん
なぜか神戸新聞にこんな記事が出ていたのですが、本当なのでしょうか。

国土地理院の発表で確認できます。

浜松市北区と西区との境界も湖面上に引かれることになるのですね。
[74367] 2010年 3月 17日(水)17:14:18小松原ラガー さん
浜名湖境界確定?
小松原ラガーです。

なぜか神戸新聞にこんな記事が出ていたのですが、本当なのでしょうか。
なんかどんどん「確定」していくなぁ・・・。
[74366] 2010年 3月 16日(火)22:45:44にしさん21号 さん
高速道路のインター番号について
 2009年に中央高速でもらってきたサービスエリアガイドに新たにインター番号が記載されるようになりました。そこで、2008年4月に開通した飯田山本ICの影響で、その先の園原ICの番号が「26-1」から「26-2」に変更となりました。

 そこで、かなり前から疑問に思っているのですが、
別の高速道路のジャンクションから分かれている高速道路があると仮定しましょう。そのJCTの番号は15番とします。
 そこに、1番インター(ここでは、JCTから15kmくらいあるとしておきます)とJCTを挟んだIC間の距離が長いため新しいインターを新設するとします。
前述の実例では、26番と26-1番の間に新設された場合、もともとのハイフン1番をハイフン2番に変更するということをしました。しかし、1番インターの手前ではそれができません。私が考えた対処方法の一つに「0番」にする方法がありますが、日本のインター番号にゼロはありませんし、仮にそうしても番号として非常に違和感があります。(0番が番号として使用されている例はプロ野球の背番号にはありますが、恐らく背番号は連番でないので違和感がないと思いますが)
 また、その新設インターを1番にすると、それ以降のインター番号が全て変更になり、多大な費用がかかります。
 そこで、「15-1番」にする方法もありますが、分かれる本線側の高速道路にインターを新設する際に「15-1番」を使用できなくなります。

 そこで、質問したいのですが、
1.今までそのような実例はあったのでしょうか?
2.もし、このような事態になったら、インター番号はどうなるのでしょうか?
[74365] 2010年 3月 16日(火)21:47:50【2】じゃごたろ さん
岡谷市人口53,000人割れ
こんばんは、じゃごたろです。

まずは、[74345]グリグリさん、さっそくの対応ありがとうございました。まったく内容に変化を与えないのですが、微妙に動くのは美しくないので指摘させていただきました。
おそらく、「ポイントしたときに表示する」か「表示しない」のどちらかではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
特になにも設定していないのですが、Yahooなどで見ると、記事名は普段は下線なしでポイントしたときだけ下線が表示されるというもので、おっしゃるとおりでした。


では本題。

タイトルは、先週の3/13の長野日報朝刊の一面記事です。冒頭の要約の引用すると
岡谷市の人口(2月1日現在)が前月比45人減の5万2961人となり、5万3000人台を割り込んだ。5万2000人台は1960年以来。第4次総合計画(2009~18年度)で目標人口を5万3000人とする市は、・・・(以下省略)

とのこと。縦書きの記事を横書きにそのまま写したため、数字の表記に一部違和感がある方もいるとは思いますが、そのまま引用しました。

人口面ではかつては諏訪地域の筆頭だったのが、茅野市に追い抜かれ差がひらく一方。岡谷市は山麓の傾斜地も含めほぼ開発し尽くされているのに対し、茅野市は八ヶ岳山麓の広大な農地が徐々に宅地化されていて、まだまだ大きなキャパシティーがあります。諏訪出身でない知人が建てたマイホームの多くは茅野市か原村、富士見町などの八ヶ岳山麓を有する自治体です。

さて記事には人口の推移の棒グラフがあり、そちらも興味深いので、数値だけでも引用います。

1930244465211676562
1935218963788959785
1940220603449756557
1947234572854352000
1950233572724350600
1955234722705350525
1960246272762952256
1965269433004356986
1970287223162860350
1975296323214461776
1980299363227462210
1985299043184361747
1990289853086459849
1995282102984658056
2000276442875756401
2005266972800254699
2010257372722452961

近年では、戦後から高度経済成期に人口が増え続け1980年前後にピークを迎え現在に至ります。そこから30年で約一万人近くの人口が減少したわけですが、この減少率は多い方なのか少ない方なのか。

しかし最も注目すべきなのは、年表最初の1930年の人口が76000人以上であること。女性の人口が男性のそれの二倍以上であることからも、製糸産業華やかし往時に多くの女工さんがこの地にいたという状況をうかがい知ることができます。

私は野麦街道を継承した県道39号で野麦峠を通過したことがありますが、あんな人煙稀なる険しい峠道を女性が飛騨から信濃へと来たのかと思うと、想像を絶するものがあります。しかも野麦街道は現在の道路ではなく、地図上では登山道として記載される直線的なもので、かなりの傾斜だったことを覚えています。


以上この話題は、先週末書き込もうと思って今日に至っているのですが、新たに製糸業つながりでも一つの話題があります。これも3/15の長野日報朝刊の一面。

富岡市の「仏式繰糸機」復元事業
設計図貸与に賛否

という記事。要は富岡市が製糸業で使っていた仏式繰糸機の復元事業のために、岡谷市が所有する設計図を貸してほしいということに、岡谷市側では賛否あるということです。

富岡市は、「富岡製糸場」として社会の授業で一度は耳にしたことがあると思います。また、この富岡製糸場関連がユネスコの世界遺産暫定リストに登録されているのをご存じである方も多いと思います。

で、前述の新聞記事です。

記事によると、富岡市は世界遺産の登録に積極的であるが、当時の繰糸機がない。国内では唯一、姉妹都市である岡谷市に現存する。さらに岡谷市には、当時のものではないが1999年に復元した復元機の設計図があり、富岡市はそれを貸して欲しいということ。それで新たに繰糸機を作成して、訪れた方々に体験できるものを作りたいということらしいです。

この貸与するかどうかに賛否両論あるようです。岡谷市が独自に作製した復元機の設計図は知的財産であるということと、富岡市に貸与しても岡谷市には全く利益がなく、即決できないようです。

はてさて、その後の行く先はいかに、といったところです。
[74364] 2010年 3月 16日(火)13:07:39【1】hmt さん
Re:旧役場のその後
[74363] 役チャン さん
そんななかで鹿沼市と合併した旧粟野町の役場は違っていました。

利根川水系渡良瀬川の支川思川。その上流部南摩川に 洪水を調整する南摩ダムを建設するとともに、思川支川の黒川、大芦川とを 導水路 で結び、水を融通活用する事業の一環なのですね。
水資源機構思川開発建設所の 広報誌pdf に、旧粟野町役場の写真がある「事務所の統合及び移転について」のお知らせがありました。ご参考まで。

ここから1キロほど離れたところに粟野コミュニティセンター

地図で見ると、この付近までが粟野町の集落で、ダムサイト はその少し上流のようです。
【追記】
…と書いたが、旧役場などのある集落を流れるのは粟野川で、ダムを作る南摩川は、その北側にある別の支流でした。
導水路で別の川と結ぶことで、集水面積の小さい割に大きなダム湖の貯水容量を活用する手法は、宮ヶ瀬ダム[43001]で紹介したことがありました。
[74363] 2010年 3月 16日(火)08:27:51役チャン さん
旧役場のその後
[74337] 2010 年 3 月 14 日 (日) 00:43:51 右左府 さん
最近これ関連のニュースを見て、既に姿を消した、あるいは消える予定の役場はどのくらいあるんだろうと気になっています。

その後支所となった旧役所・役場にもかなり行っていますが、大半は元の庁舎をそのまま使っていました。相変わらず本庁舎よりも大きな庁舎がガラガラになっているところも多数ありました。
そんななかで鹿沼市と合併した旧粟野町の役場は違っていました。2009年3月鹿沼市のコミュニティバスに東武日光線樅山駅より10分弱乗車し、粟野支所入口というバス停で下車すると確かに役場風の建物がありましたが、そこには「独立行政法人水資源機構思川開発建設所」の看板が出ており内部もオフィス風のレイアウトになっていました。
ここから1キロほど離れたところに粟野コミュニティセンターというのがあり、そこまで歩いて行ってみました。そこでは狭い一角で住民票交付などの行政サービスを行っていましたが、図書館とか公民館といった機能をメインにしているようで、これが本来の支所のあるべき姿なのかも知れないと思いました。旧庁舎を売却したかどうかまではわかりませんが良い施策だと思いました。
[74362] 2010年 3月 16日(火)06:29:19【1】ピーくん さん
研究会
福岡県 未定 ○○市 北九州市, 山口県 下関市
関門地域の未来を考える研究会は、2009年11月16日に終了していました。
関門地域戦略会議の設置や関門観光検定の実施などを提案した。
政権交代で国の動向に変化が生じていることもあり、今後は関門地域で対応が求められる事案があれば研究会を再結成して開催するという。
関門特別市の設立の動きは後退した印象です。
研究会としての活動は区切りがついたので新たな動きがあるまで一覧から削除してください。
山口新聞

福岡県 未定 ○○市 久留米市, 小郡市, 佐賀県 鳥栖市, 三養基郡 基山町
☆道州制勉強会
平成18年6月1日に提言を取りまとめて勉強会としての活動は終了しています。
新たな動きがあるまで一覧から削除してください。
詳細

熊本県 未定 ○○市 熊本市, 宇土市, 宇城市, 合志市, 玉名郡 玉東町,鹿本郡 植木町,菊池郡 大津町,菊陽町,阿蘇郡 西原村,上益城郡 御船町,嘉島町,益城町,甲佐町,山都町
熊本都市圏及び政令指定都市についての研究会は、平成19年2月20日熊本都市圏ビジョンを策定して会としての活動は終了しています。
詳細
新たな動きがあるまで一覧から削除してください。
熊本市の政令指定都市の動きとして[74145]BANDALGOM さん
ありますので、分けて掲載してください。でるでるさん 更新よろしくお願いします。

一部文章追加。
[74361] 2010年 3月 15日(月)22:00:09紅葉橋律乃介 さん
樺太の市町村の続き
[74355] 3月14日(日)23:24:42【1】 Issieさん
“行政区画”としての郡町村は,「樺太町村制」の施行(1929((昭和4)年7月1日)より前,「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)が施行された1915(大正4)年8月1日までさかのぼれそうです。

 樺太については、Issie先生とは何度かやりとりしていますね。
 それはともかく、1915年8月1日には、17郡・4町・58村が編成されています。1929年の町村制の前にも、1922年と23年に「樺太町村制」が施行されていますが、その時点では7町・30村に再編されています。郡も16に減っていますね。

 もっとも、「市の変遷」という点だけ見ると、豊原市しかありませんから、反映するのはそう難しいことではなさそうですが、どうなのでしょうか。


[74358] 12:55:10 右左府さん
名好郡所属が確認できると思います。

 前後の告示29号・30号を官報で確認したはずなんですが、肝心の告示コピーが見つかりませんでした。ご指摘ありがとうございます。

 郡の再編成が行なわれたのは1938年4月以降ということなのでしょう。やはり42年11月なのでしょうか。これを裏付ける資料を見たことがないのですが。
[74360] 2010年 3月 15日(月)21:02:31【1】油天神山 さん
地名コレクション関連レス
[74332]ニジェさん
毎度外来語由来町名コレクションをご贔屓いただき、まことにありがとうございます。
また今回は情報提供も頂きまして、実にありがたい限りです。

ご指摘の通り、外来語由来町名については全部で3件が未収録になっております。この辺の事情は拙稿[72948]で縷々言い訳していますが、要はMapionの改訂を待っているうちにズルズルと更新が滞ってしまったのですね。

しかし、[72948]を書き込んでからでも既に四ヶ月近く経過しておりますが、一向にMapionは町名変更に対応してくれない。中でも「高岡市グリーンパーク」は、収録されないままとうとう一年が経過してしまい、さすがにこれ以上待ってられないなあ、と考え始めていたところです。
既にYahoo!地図等には収録済のものもありますし、この際Mapion頼みの体質を見直して、近日中に収録してしまおうと思います。

外来語由来町名の他に、私の担当コレクションで収録が滞っているのは、把握している限りでは「○○ヶ丘」9件、「○○台」11件、「○○団地」1件、「○○○野」2件に上ります。これらについてはコレクション説明文の手直しも含む対応が必要になってきますが、早めに対応したいと思います。(うわ、もう十番勝負の予告が出てる! 始まる前にやっとかないと)
[74359] 2010年 3月 15日(月)15:09:09【1】むっくん さん
地方自治法施行以降の町村の廃置分合についての法的根拠(改)
落書き帳のかつての議論によれば、地方自治法施行以降は、全市町村の廃置分合の法的根拠は総理府告示であろうとされています。[55225]88さんの
地方自治法は何度も改正を重ねていますが、当該条文は制定当初から変更はない、ということを確認いたしました。
というように。

しかしながら各市町村の例規集によると、市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠は、地方自治法施行後数年間は総理府告示ではなく各府県の告示としています。過去の落書き帳での議論が正しいとするならばこれらは誤りとなります。しかし各自治体がそろいもそろって誤った法的根拠を例規集に記載していることは、現実問題としてやはり考えにくいのではないでしょうか。
そこで市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠を考えてみることにしました。

あらかじめ、お断りです。一度[74182][74183]拙稿で記したのですが、読みにくい上に誤りでもありました。本稿はその修正です。

さて本論です。
地方自治法が施行される直前の市制町村制の時代より時代を下って法的根拠を順に見ていきます。

まず、地方自治法が施行される直前です。
市の廃置分合にあっては関係ある市長村会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(市制第3条第1項(S18.3.20法律第80号とS21.9.27法律第28号で改正後))。但し府県の境界変更に関係ある場合は関係ある市長村会及び府県参事会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(市制第4条ノ2第1項(S18.3.20法律第80号による改正で追加された条項。ただしS21.9.27法律第28号で改正された後))。
市の改称については府県知事の許可が必要でした。(市制第7条第1項)
市の境界変更に関しては関係ある市長村会の議決を経て、内務大臣の許可を得て府県知事が定めることになっていました(市制第4条第1項(S18.3.20法律第80号とS21.9.27法律第28号で改正後))。
町村の廃置分合・境界変更に関しては関係ある市長村会の議決を経て、内務大臣の許可を得て府県知事が定めることになっていました(町村制第3条第1項第3項(S18.3.20法律第81号とS21.9.27法律第29号で改正後))。そして、町村の廃置分合で市の廃置分合を伴うものは、関係ある市長村会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(町村制第3条第5項の規定に基き、市制第3条第1項を適用)。但し府県の境界変更に関係ある場合はで関係ある市長村会及び府県参事会の議決を経て内務大臣が定めることになっていました(町村制第3条第3項(S18.3.20法律第81号による改正で追加された条項。ただしS21.9.27法律第29号で改正後))。
町村の改称及び町→村への変更及び村→町への変更については府県知事の許可が必要でした(町村制第5条(T15.6.24法律第75号で改正後))。
さてこれらの具体的根拠です。
市の新設・廃止を伴う市町村の廃置分合の法的根拠は、内務省告示でした。
郡の存置の法的根拠は、法律や勅令でした。
市の改称の法的根拠は、市の条例でした。
市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠は、都庁府県の告示でした。
町村の改称の法的根拠は、町村の条例でした。
(注:市制町村制の関連法文は文末に記載しています。)

次に当初の地方自治法(S22.4.17法律第67号)(PDF)を見てみます。
第七條 市の廃置分合又はこれに伴う町村の廃置分合若しくは市町村の境界変更をしようとするときは、関係市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
2 町村の廃置分合又は市町村の境界変更をしようとするときは、都道府縣知事は、関係市町村の議決を経、内務大臣の許可を得てこれを定める。所属未定地を市町村の区域に編入しようとするときも、また、同様とする。
3 都道府縣の境界にわたつて市町村の境界の変更をしようとするときは、関係普通地方公共團体の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
4 前三項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。その協議が調わないときは、関係市町村の議会の意見を聴き、第一項及び第二項の場合においては都道府縣知事、前項の場合においては内務大臣がこれを定める。
5 前項の協議については、関係市町村の議会の議決を経なければならない。
当初の地方自治法(S22.4.17法律第67号)は、市制(S21.9.27法律第28号で改正後)と町村制(S21.9.27法律第29号で改正後)と大枠で同じようです。
市制、町村制、道府県制、東京都制、地方官官制という5つの法律・勅令を日本国憲法の施行に何とか間に合わせる形で急いで作成されたもので当然といえば当然なのかもしれません。
法的根拠については特に記載がないので、従前と同じと考えられます。

しかしながら、急いで作成されたため若干の問題点もあり、S22.12.22法律第169号地方自治法の一部を改正する法律(PDF)による地方自治法の改正が行われました。この改正での町村の廃置分合に関するところは、以下のように改正されました。
第七條 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府縣知事が当該都道府縣の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府縣の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共團体の申請に基づき、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共團体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
附則
第一条  この法律は、昭和二十三年一月一日から、これを施行する。
この改正により市町村の廃置分合・境界変更については関係市町村の申請(申請にはおのおのの市町村議会の議決を要する。)に基き、都道府県知事が当該都道府県知事の議会の議決を経て定めることになりました。この点は現在の地方自治法第7条第1項と同じとなりました。
法的根拠については特に記載がないので、従前と同じと考えられます。地方自治法第7条第5項は法律の文言に従えば、国も告示するようになったという単なる周知規定であるものと考えられます。

法的根拠が同じになったのは昭和27年8月の地方自治法改正によってではないでしょうか。
S27.8.15法律第306号地方自治法の一部を改正する法律(PDF)で第七條の廃置分合に関係する箇所は以下のように変わりました。
第七條 6 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第三項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
7 第一項又は第三項の規定による処分は、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
法律の文言に従えば、このときに初めて市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合に関しても総理府告示が法的根拠となったことになります。
地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)245頁でも、この時の法改正について
(9)市町村の廃置分合又は境界変更は内閣総理大臣の告示によって効力を生ずるものとした。地方団体の区域の変更と国政の運営との間にそごなからしめようとするものである。
と解説しており、昭和27年8月の地方自治法改正により初めて総理府告示が市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合に関しても法的根拠となったことを示しています。

そしてこの改正はS27.8.15政令第344号地方自治法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令(PDF)
 内閣は地方自治法の一部を改正する法律(昭和27年法律第306号)附則第一項の規定に基き、この政令を制定する。
 地方自治法の一部を改正する法律は、昭和27年9月1日より施行する
内閣総理大臣 吉田茂
により昭和27年9月1日より施行されました。

以上より、市の新設・廃止を伴わない市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、昭和27年9月1日からと考えられます。

------------------------------------
以下は地方自治法施行直前の市制及び町村制の関連法文です。
M44.4.7法律第68号市制
第三條 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市長村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
2 (略)
第四條 市ノ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市長村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ市ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
第七條 市ノ名称ヲ変更セムトスルトキハ市ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
2 (略)

M44.4.7法律第69号町村制
第三條 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市長村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入セムトスルトキ亦同シ
2 (略)
3 第一項ノ場合ニ於テ市ノ廃置分合ヲ伴フトキハ市制第三條ノ規定ニ依ル
第五條 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 (略)
(注:第3条第3項はS18法律第81号の改正で第3條第5項となりました)

T15.6.24法律第75号
町村制中左ノ通改正ス
(略)
第五條 町村ノ名称ヲ変更セムトスルトキ、村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為サムトスルトキ又ハ町村役場ノ位置ヲ定メ之ヲ変更セムトスルトキハ町村ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
(略)
附則
本令中議員選挙ニ関スル規定ハ次ノ総選挙ヨリ、其ノ他ノ規定ハ大正十五年七月一日ヨリ之ヲ施行ス

S18.3.20法律第80号
市制中左ノ通改正ス
(略)
第三條第一項中「及府県参事会」ヲ削リ同條第二項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削ル
第四條第一項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削ル
第四條ノ二 府県ノ境界変更ニ渉リテ市ノ境界ノ変更ヲ為サントスルトキハ関係アル市長村会及ビ府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
2(略)
(略)

S18.3.20法律第81号
町村制中左ノ通改正ス
第三條第一項及第二項中「府県参事会ノ議決ヲ経」ヲ削リ同條第二項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ
3 府県ノ境界変更ニ渉リテ町村ノ境界ノ変更ヲ為サントスルトキハ関係アル市長村会及ビ府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
4(略)
(略)
法律第80号(S18.3.20)と法律第81号(S18.3.20)は勅令第180号(S18.3.25)でS18.5.26に施行されました。

S21.9.27法律第28号
市制の一部を次のやうに改正する。
第三條、第四條第一項、第四條ノ二中「意見ヲ徴シ」を「議決ヲ経」に改める。
(略)

S21.9.27法律第29号
町村制の一部を次のやうに改正する。
第三條第一項乃至第四條中「意見ヲ徴シ」を「議決ヲ経」に改める。
(略)
法律第28号(S21.9.27)と法律第29号(S21.9.27)は勅令第466号(S21.10.4)でS21.10.5に施行されました。
[74358] 2010年 3月 15日(月)12:55:10右左府 さん
樺太の市町村
[74352] 紅葉橋律乃介 さん
敷香村の町制施行ですが、6月4日付ではなく7月1日付ではないでしょうか。根拠となる告示は以下のようになっています。
 樺太庁告示第九十三号
大正十二年三月樺太庁告示第三十八号中左ノ通改正シ昭和五年七月一日ヨリ之ヲ施行ス
 昭和五年六月四日
       樺太庁長官 縣 忍
敷香支庁ノ部敷香郡ノ内「敷香村」ヲ「敷香町」ニ改ム

それと、
38年の塔路町分立時、果たして「名好郡」だったのかどうか…
少なくともこの時点ではまだ名好郡だったと思われます。樺太の町村の名称・区域の根拠となる 大正12年樺太庁告示第38号 が塔路町分立に際して改正されていますが、その告示が
 樺太庁告示第三十号
大正十二年三月樺太庁告示第三十八号中左ノ通改正シ昭和十三年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
 昭和十三年三月二十四日
       樺太庁長官 今村武志
泊居支庁ノ部名好郡中左ノ如ク改ム
 恵須取町|名好郡内ヨリ塔路町及名好村ヲ除キタル地域一円
 塔路町|【略】
 名好村|【略】
となっており、名好郡所属が確認できると思います。
[74357] 2010年 3月 15日(月)08:30:49ありがたき さん
茨城空港あれこれ
日本で98番目にして、おそらく最後だろうと言われている、
通称茨城空港、正式には百里飛行場と言うのですが、
こちらで働き始めて思ったことを速報的に。

感覚的ではありますが、テレビや新聞ではさんざんの言われようですよね。
ところが、それが絶大な宣伝効果となったのか、
開港日から最初の週末にかけて、空港見学者の数は半端なかったようです。
構内の売店や食堂も凄い人の数で、まさに開港特需といった具合でした。

もちろん、飛行機の搭乗者数はどの便も軒並み満席でして、
とりあえずは上々な滑り出しと言っても良いのではないでしょうか?

良いとこばかりではないですが、批判や苦言はマスコミの書いてあることが、
まぁ大体は正解だと思うので、こちらでは良いことを中心に書いていきます。
もちろん、こんなのはどうなんですか?なんて質問とかがありましたら、
私の出来る範囲で正直にお答え申し上げるところですよ。


…と、いうことにしておきます。

仕事柄、この先は関係者のみぞ知る裏話、なんてのが結構ありまして、
今流行のコンプライアンスとのバランスの中、
どこまでお伝えできるものか苦慮しながら書き込んでおります。
なんとなく中途半端な情報になっているのは、そのせいです。
知り過ぎているというのは、逆につらいですね(苦笑
ここら辺は、オフ会なんかの機会がありましたらオフレコでwww


今気になっている茨城空港に関連しそうなところでは、
・小美玉市事情
・東関東自動車道茨城町JCT~茨城空港北IC間開業
・鹿島鉄道廃線跡をバス専用道路に転用(石岡~小川)
あたりをまとめてみようかと思っております。

復活して久しいところでして、
過去ログのチェックもあまり進んでいないところで申し訳ありません。
もしかしたら既出かもしれませんが、その際は空港関連ということで改めてのまとめ、
という括りでいきたいと思います。もし補足があればご協力お願いします。
また、私の予告に縛られることなく、他の方が先にこのネタを記事にしてもまったく問題ないと思います。
むしろ、ネタがあるようでしたら、どうぞ先に書き込んじゃって下さい。
その際は私が後追いでコメントしますので。


最後にひとつ、茨城空港の展望デッキには、ものすごいハイテクな仕掛けがあります。
デッキを囲むようにガラス(実はアクリル?)の囲いがあるのですが、
デッキから滑走路を正面に見て前方や右手は普通に見えるのですが、
左手を向くと、あら不思議、曇りガラスになってしまいました~
実は、これは特殊ガラス(実はアクリル?)だそうでして、
展望デッキから見て滑走路を挟んだ左手遥か前方にある自衛隊のハンガーの中身を目隠しするために
このようなカラクリが仕込まれているのだそうです。
目隠し対象は施設の内部ということで、訓練で飛び立つ戦闘機などは
普通に展望デッキから見ることが出来るので、
旅客機に限らず戦闘機を見に行くのも一興かと思います。
[74356] 2010年 3月 15日(月)00:08:49山野[山野] さん
町議選の結果(安土)
安土町議会の出直し選挙の結果ですが合併反対派が過半数となり、リコール前と勢力が逆転しました。
リンク先:京都新聞より。
[74355] 2010年 3月 14日(日)23:24:42【1】Issie さん
Re:樺太の市町村
[74318] namo さん
いわゆる終戦から沖縄返還までの間の、沖縄県、鹿児島県奄美地方、樺太などにあった市について、詳しく記録してほしい。

私のHPですが,以前にこんなページを作ったことがあります。
 ・樺太市町村変遷表

[74352] 紅葉橋律乃介 さん
どこを起点にするかは議論がありそうですが

“行政区画”としての郡町村は,「樺太町村制」の施行(1929((昭和4)年7月1日)より前,「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)が施行された1915(大正4)年8月1日までさかのぼれそうです。

沖縄と奄美の市については,このページ の下の方(鹿児島県,沖縄県)に米軍統治期も含めてまとめてあります。
ただし,[74330] で グリグリ さんが紹介されているアーカイブ記事の中の議論でも申し述べたように,占領最初期に避難民収容所内の自治組織として編成された 漢那市・福山市・惣慶市 等については,「通常(平時)の自治体」ではないと判断して,その対象には含めていません。その中で「石川市」だけは,通常の自治体に移行してそのまま存続した特別な例です。

ついでに,このページ の一番下に 樺太・豊原市 も一応載っけてあります。

ご参考までに。
[74354] 2010年 3月 14日(日)23:09:05【2】hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても、中身は 区区(まちまち) (3)旧・市制 第60条による 3種類の「区」
始めに記号の説明。今回、「市制の下での区」に説明上の記号B1~B3を付すにあたり、「市の前身である区」にもAで始まる記号を付けることにしました。

[74334]では 郡区町村編制法により設けられた「第一世代の区」(A1)について、そして[74335]では、明治21年の法律(旧・市制)が施行された時代になってからも 三大都市に居座っていた“従来の区”について記しました。後者は、本質的にはA1の遺物ですが、別の特例法で残されているので、A2と呼ぶことにします。

(旧)市制に基づく 本来の「区」は、第60条第1項に規定されています。【明治33年改正後[63761][72207]
凡市ハ 庶務便宜ノ為メ 市参事会ノ意見ヲ以テ 之ヲ数区ニ分チ 毎区区長及其代理者各一名ヲ置クコトヲ得
区長及其代理者ハ名誉職トス
但東京京都大阪【及人口二十万以上ノ市】ニ於テハ区長ヲ有給吏員ト為スコトヲ得

便宜上3文に分けて記しましたが、これによって3種類の「区」を区別することができます。
B1 三大都市(東京京都大阪)の区【第60条第1項第3文】
B2 人口二十万以上ノ市の区【1900年改正後の第60条第1項第3文】
B3 一般の市【第60条第1項第1文“凡(およそ)”で、市一般に適用、第2文により区長は名誉職】

三大都市については、1889年以来の9年半は、三市特例法で残された“従来の区”(A2)が続いていました。
特例法廃止に伴なう 1898年改正の市制第3条にも まだ“従来の区”という言葉が残っていますが[74320]、3条後段、72条など他の規定も設けられ、区が市域内に移行するにあたり 郡部から一部の町村も編入されるなど、区の中身は様変わりしています[74335]

要するに、三市特例法廃止の 1898.10.1に至り、“凡そ市は(中略)之を数区に分ち 毎区区長…を置くことを得”という第60条第1項の規定通りに、「三大都市の中に区が設置された」(B1)ものと認められます。

この見方は、この時に出された 東京市、京都市、大阪市の区についての勅令 にも矛盾するものでないと思います。

人口二十万以上ノ市の区(B2)に関しては、2003年に [10991] Issie さんの記事がありました。
1900年に「市制」が改正されて人口20万以上の「市」には,市域を分割して「区」を設置し,市の職員(吏員)である「区長」を置くことができるようになりました。

2008年になって、今度は 勅令第98号として話題に登場しました。
[63657] むっくん さん
区制の項目に東京市京都市大阪市を除く外人口二十万以上の市の区に関する件(M33.3.31勅令第98号)第2条を付け加えた方がさらに充実すると私は考えます。

これに対するレス[63761] 88 さんで、勅令を発した元の 明治33年の市制60条改正も再発掘され、この一連の法律・勅令により区が設置された「二十万市」(B2)は、名古屋市の4区設置(1908)が 最初で最後であったことも示されました。
2年前のこの記事によると、ちょうど区制 100周年 ということで、さまざまな記念行事があったようです。
その後、[72201][72207]にも 88さんのレビューがあります。

一般の市の区(B3)というものが、制度上存在する可能性がある段階に留まらず、現実に存在していたことは、[72214] むっくん さんによる金沢市や仙台市の実例で知り、驚きました。

この他にも一般市の区(B3)の存在可能性はありますが、その実態は不明。変遷情報でも無視されています。
金沢市街統計表(M27.8.11)の吏員の欄に記載された「区長 7人」[72215]は、“区長…ハ名誉職トス”という法律と矛盾しないのか?

ついでに、(旧)町村制第64条 にも類似の規定がありました。
「町村の区」が存在していた可能性もあります。
[74353] 2010年 3月 14日(日)22:14:02なると金時 さん
春の味覚
18切符で新長田の鉄人を見てきました。いや、結構かっこいいですよこれ。シンプルだけど重厚で。周辺の商店街には横山三国志関係でいろいろあり、それも楽しかったです。
神戸・明石・淡路周辺の春の味、いかなごの釘煮を買って帰宅しました。京都の竹の子もいいけど、こっちも好きだな。
[74352] 2010年 3月 14日(日)21:49:14【1】紅葉橋律乃介 さん
樺太の市町村
[74318] 2010年3月10日(水)19:42:54 namoさん
いわゆる終戦から沖縄返還までの間の、沖縄県、鹿児島県奄美地方、樺太などにあった市について、詳しく記録してほしい。

 既に[74330]でオーナー グリグリさんが述べられておりますが、もともとの「変遷情報」自体が入力されていませんから、入力待ちというところなのでしょう。

 樺太について、手許に少し資料があります。どこを起点にするかは議論がありそうですが、北海道と同様に、一級・二級の樺太町村制が施行された時点を起点とすれば、下記のようになります。

1929.07.01町制豊原郡豊原町豊原郡 豊原町
町制栄浜郡落合町栄浜郡 落合町
町制大泊郡大泊町大泊郡 大泊町
町制留多加郡留多加町留多加郡 留多加町
町制本斗郡本斗町本斗郡 本斗町
町制真岡郡真岡町真岡郡 真岡町
町制野田郡野田町野田郡 野田町
町制泊居郡泊居町泊居郡 泊居町
町制名好郡恵須取町名好郡 恵須取町
村制元泊郡元泊村元泊郡 元泊村
町制元泊郡知取町元泊郡 知取町
村制豊原郡豊北村豊原郡 豊北村
村制栄浜郡栄浜村栄浜郡 栄浜村
村制栄浜郡白縫村栄浜郡 白縫村
村制大泊郡千歳村大泊郡 千歳村
村制大泊郡深海村大泊郡 深海村
村制長浜郡長浜村長浜郡 長浜村
村制長浜郡遠淵村長浜郡 遠淵村
村制富内郡富内村富内郡 富内村
村制留多加郡三郷村留多加郡 三郷村
村制留多加郡能登路村留多加郡 能登路村
村制本斗郡好仁村本斗郡 好仁村
村制本斗郡内幌村本斗郡 内幌村
村制真岡郡広地村真岡郡 広地村
村制真岡郡蘭泊村真岡郡 蘭泊村
村制真岡郡清水村真岡郡 清水村
村制野田郡小能登路村野田郡 小能登路村
村制泊居郡名寄村泊居郡 名寄村
村制久春内郡久春内村久春内郡 久春内村
村制久春内郡三浜村久春内郡 三浜村
村制鵜城郡鵜城村鵜城郡 鵜城村
村制元泊郡帆寄村元泊郡 帆寄村
村制敷香郡敷香村敷香郡 敷香村
村制敷香郡泊岸村敷香郡 泊岸村
村制敷香郡内路村敷香郡 内路村
1930.07.01町制敷香郡敷香町敷香郡 敷香村
1932.04.01村制長浜郡知床村長浜郡 知床村
村制名好郡名好村名好郡 名好村
1937.07.01市制豊原市豊原郡 豊原町
1938.04.01分立名好郡塔路町名好郡 恵須取町の一部
1941.04.01分立名好郡西柵丹村名好郡 名好村の一部
町制本斗郡内幌町本斗郡 内幌村
町制/改称久春内郡珍内町久春内郡 三浜村
町制名好郡名好町名好郡 名好村
村制豊原郡川上村豊原郡 川上村
村制本斗郡海馬村本斗郡 海馬村
村制散江郡散江村散江郡 散江村

 支庁の変遷については記していません。支庁についても変遷があり、出張所も絡んでくるので複雑になってきます。

 上記の表のあと、1943年4月1日に内地編入され、“48番目の府県”になったわけですが、「樺太市制」と「樺太町村制」が廃止されたのは6月1日。2ヶ月間は、同じ「市」でも違う法制だったようです(それぞれ市制・町村制に統合されましたが、二級町村は内務省指定町村に移行)。


 その前、1942年11月1日には、戦時体制として行政組織が簡素化されています。支庁の統合はもちろん、郡も再編されたようで、それまでの郡名とは異なっています。

 豊原郡・栄浜郡→豊栄郡
 大泊郡・長浜郡・富内郡→大泊郡
 真岡郡・野田郡→真岡郡
 久春内郡久春内村→泊居郡に変更
 久春内郡珍内町→恵須取郡に変更(恵須取郡新設、久春内郡消滅))
 鵜城郡鵜城村→恵須取郡に変更
 名好郡恵須取町→恵須取郡に変更
 名好郡塔路町→恵須取郡に変更?
 敷香郡・散江郡→敷香郡

 この郡変更が42年11月1日付だったのかどうかは分かりません。38年の塔路町分立時、果たして「名好郡」だったのかどうか…。


 まずは、分かっている範囲だけでも「変遷情報」に反映すべきだとは思いますが、さて?


[74358]右左府さんを受けて、敷香町制施行日時を訂正。確かに、6月4日は告示日で、施行日は7月1日でした(官報によって、何年か前に確認しています)。
 
[74351] 2010年 3月 14日(日)21:29:27【1】88 さん
市区町村変遷情報小レス(柏崎市・福岡県)
[74311] 山野 さん
H1(1989).4.1付けの新潟県柏崎市・中頸城郡柿崎町の境界変更について

官報情報検索サービスで確認しました。[74315] じゃごたろ さんのご紹介のとおりで、境界変更の対象は
中頸城郡柿崎町大字上輪,大字高畔及び大字蕨野
であり、「概ね大字単位」との編集方針に合致し、対象となることを確認しましたので、追加しました。ご指摘・情報をありがとうございました。
[74316] hmt さん、[74321] oki さん、[74348] むじながいり さんも、フォローありがとうございました。
私が書けること以上のコメントをしていただきました。

――――――――――――――――
[74083] YT さん ([74350] むじながいり さん も)
■S26.4.1付け福岡県 浮羽郡 筑陽村 となる従前の村名の一部について 浮羽郡 川倉村 or 浮羽郡 川会村(川會村)
「S26.5.29付け総理府告示第193号」・・・川合村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・川會村
「辞典」・・・川会村
総理府告示は官報情報検索サービスによります。
単なる入力ミスです。また、総理府告示が誤字のようであり、正誤表も発見できませんでした。よって、川会村 と修正しました
なお、「川會村」ではなく「川会村」としたのは、[74087] 拙稿の方針によります。

■S30.2.1付け福岡県 三潴郡 城島町 となる従前の村名の一部について 三潴郡 江上町 or 三潴郡 江上村
「S30.1.31付け総理府告示第99号」「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・江上村
単なる入力誤りでした。江上村と修正しました

――――――――――――――――
市区町村変遷情報関係の私からの必要なレスは、あとは大口のものだけを残していると理解しています。
(ex.北海道、大都市、等々)
市の変遷関係は、順次追加・修正作業中です。といっても、市の変遷メニューをきっかけに、市区町村変遷情報の見直しをしているだけなのですが。
[74350] 2010年 3月 14日(日)21:05:02むじながいり さん
久留米市田主丸町
>>88 さん
現在、2年半ぶりに新作を作成しているのですが、当時はまだなかった明治からの「市区町村変遷情報」は大変役立っています。そんな経緯で全件使わせてもらった結果気づいたことをご連絡します。

福岡県
181  1951. 04.01 新設 浮羽郡 筑陽村 浮羽郡 川倉村, 柴刈村
この川倉村というのは川会村ではないでしょうか。
[74349] 2010年 3月 14日(日)20:53:50【1】EMM さん
小笠原諸島・母島の終点ロータリー
先ほどまで日本テレビ系のザ!鉄腕!DASH!!を見てたんですが、ソーラーカーだん吉が母島で行き当たった東京都道の最南端が終点ロータリーでしたね。
Googleマップの航空写真でようやく確認できました。こんな感じ
「ネット地図」でここにロータリーがあることを確認できるものはありませんでした。
村だと詳細な地図があまり詳細で無い場合が多く、こういった事例はまだありそうな気がしますが、実は詳細な地図が見られる街中でも「地図サイトでは確認しにくい」ロータリーがある場合があります。
実は、金沢駅西口に面するここここが終点ロータリーなのですが、ネット地図ではそのような表現になっているところがありません。
Yahoo!地図の航空写真に切り替えると道路上の矢印がかろうじて見えるのですが(こんな感じ)、日陰となっていることもありロータリーかどうか確認するにはまだ苦しいかもしれません。
現地を見て、やっと「ロータリーである」ことがわかる事例では無いかいな、と思っております。

こういった「現地に行かないと気づきにくい」ロータリー、まだまだ隠れていそうな気がします。
[74348] 2010年 3月 14日(日)20:38:41【1】むじながいり さん
柿崎町と部分編入
[74311] 2010 年 3 月 10 日 (水) 03:10:30 山野 さん
むじながいりさんのHP(新潟編)の変遷情報内に
1989/04/01
○編入:柿崎町一部⇒柏崎市
という、部分がありますが、上記の一覧や、こちらのサイトにある変遷情報一覧表には記載が無いようですが、
どちらの情報が合っているんでしょうか?

基本的にうちのサイトだと部分編入(境界変更)は、過去の地図と現在の地図に明確な差異が確認できなければバッサリ切ってしまっています。今回は逆にうちのサイトに載っているケースですが、膨大な量の境界変更をすべて収録するのは無理でしょう。通常の合併や市制町制と違って、境界変更は漏れても 1889年から現在まで市町村を辿ることができますから。あちこちの資料を当たっているとあるものは片方にだけ載っている、別のものはもう片方にのみ載っているということが相当あります。


[74311] 山野 さん
[74315] じゃごたろ さん
[74316] hmt さん
[74321] oki さん
柿崎町の飛び地について、昭和の大合併当時、米山村では合併相手として柏崎派と柿崎派で対立していたようです。お隣の旧鯨波村は刈羽郡、米山村は中頸城郡ですからまあ郡境付近ではよくあることなのでしょう。

そのため米山村の合併は先送りされていましたが、昭和 31年 9月県議会において、
中頚城郡米山村を廃し、その区域を柏崎市に編入の県議会の議決後において米山村の各部落の選挙人がその五分の一以上の連署をもって、県議会の十日以内に中頸城郡柿崎町に分離合併することを請求した場合においては、その申出後十日以内にその地域の選挙人の投票に付し、その有効投票の過半数がそれに賛成し、かつ柿崎がその地域を受入れる旨の意向を柏崎市に表明した場合は速やかに分市するものとする
という条件がついた上で米山村の柏崎市合併を議決したようです。このため、13地域が連署を集め分離合併の請求を行い住民投票を行いました。
◯投票の結果柿崎町を選んだ地域
 上輪、高畔、小平、横道、蕨野、小萱、岩平、竹鼻
◯投票の結果柏崎市を選んだ地域
 鉢崎、大平、地蔵、中浜、大清水
この結果を受け、柿崎町は8地域を受入れを議決しました。そして、柏崎市は米山村を編入の上、分市するという手続きをとりました。こうした経緯のため、分村合併ではなく2週間後に境界変更という手続きになったようです。また、飛び地を含め複雑な市町境となったのも地域ごとに住民投票をおこなったという経緯のためのようです。
[74347] 2010年 3月 14日(日)20:34:15オーナー グリグリ
五年の計
最初に次回4月開催の十番勝負予定です。4月1日(木)の夜開始も考えたのですが、平日となるとやはり確実にスタートできるかどうか怪しいので、4月3日(土)午前7時スタートで考えています。朝早くて申し訳ありませんが、外出予定もあるため何とぞご理解ください。

さて本題。

3年前の正月に書いた記事に[55842]があります。一年の計ということで都道府県市区町村の企画充実、改善などの計画を書き連ねたものですが、読み返してみてほとんど実行できていないなぁと反省しています。10年くらい前には企画の追加や改善を頻繁に行っていましたし、私自身も充実していたと思います。その頃、仕事が暇だったかというと決してそうではなく、現在が多忙というのは言い訳に過ぎないでしょう。一番の問題は年齢を重ねるに連れて根気がなくなってくることでしょうか。とは言え、最近はまた少し意欲が戻ってきました。[55842]に書いたことだけでなく、まだまだやりたいことや面白い企画のアイディアが沢山あり、一年の計は無理でも五年の計くらいでは何とかしたいなと思っています。この五年が私のライフプランの節目にもなりますので。皆さん、気長にお付き合いいただきたく、応援とご協力のほど、今後ともよろしくお願いいたします。
[74346] 2010年 3月 14日(日)20:32:21山野[山野] さん
前途多難
先月、佐野市との法定協が再開した岩舟町。
ですが町議の一部から「新栃木市」との合併を求める声が上がった模様です。
過去にもありましたが、1つの自治体に複数の合併協設置となるのでしょうか。
下野新聞より。
[74345] 2010年 3月 14日(日)20:11:10オーナー グリグリ
言い忘れていました。
[74344] 2010 年 3 月 14 日 (日) 17:22:43 おがちゃん さん
メンバー紹介のページで自分の紹介文がいきなり跳ね上がっていたためどうしたことかと思って見ていましたが、期間が延びたのですね。驚きました。
メンバー紹介のページに掲載する方は過去60日間に書き込みされた方をこれまで対象としていましたが、最近の書き込み状況も考慮して(^^;)、期間を3倍の180日間に一気に延ばしてみました。これでも登録者226名中93名の方しか対象になりません。一時期よりもずいぶんと減ったなぁという感じで、私の努力不足がはっきりと現れてしまい反省しきりです。当面180日間に設定したままとしますのでご理解のほどよろしくお願いいたします。

[74341] 2010 年 3 月 14 日 (日) 15:22:11【1】 じゃごたろ さん
さてトップページについてです。私だけなのかも知れないのですが、表示が微妙に上下にずれる現象があります。メニューのリンクにマウスを置くと、そこから下の表が微妙に下に動き、リンクからよけるとまた元にもどるというもの。マウスの有り無しでメニューのボックスの高さが変わるので、スタイルシートのリンクの設定が一定ではないような感じですが、いかがでしょうか?

ちなみに、Windows Vista, IE8です。
さっそくのご報告をありがとうございます。助かります。

同じ環境で確認できないので何とも言えないのですが、IE8の設定でリンクの下線をどの状態にされていますか。おそらく、「ポイントしたときに表示する」か「表示しない」のどちらかではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

ネットで同じような現象を調べてみたところ、HTMLのリンクタグ(aタグ)の内側に別のタグを入れるとこのような現象が起きると書かれているブログもありました(タグの種類は違いますが)。aタグの内側のタグを外側に出してみましたので、現象をあらためてご確認いただけると幸いです。また、下線表示のオプションを変えた場合に現象に変化は起きないでしょうか。こちらも実験していただけるとありがたいです。

最近はOSやブラウザの種類もバージョンも多種多様で、すべての組み合わせでの確認は望むべくもなく、個人ベースではせいぜい数種類の環境で確認するのが精一杯です。細かいことでも構いませんので、レイアウトの乱れや気になることがありましたらお知らせください。皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。
[74344] 2010年 3月 14日(日)17:22:43おがちゃん さん
お久しぶりです
こんにちは。おがちゃんです。
お久しぶりですね。中学受験もどうにか合格し、群馬県内のとある中高一貫校への入学が決まりました。現在は多忙な日々です。充実した毎日を送っている」と言った方が正しいのでしょうか。前の様に落書き帳を見続ける暇人生活はできなくなってきました。

[74340] オーナー グリグリさん
毎度の更新ありがとうございます。トップページの表示に慣れるまでが大変だと思いますが、頑張りたいと思います。
それにしても、「市の変遷」は素晴らしいですね。皆さんが仰るとおり、非常に使いやすく十番勝負にも使えそうです。もっとも、家族からはそんな暇があるのかと言われる今日この頃ですが・・・。
メンバー紹介のページで自分の紹介文がいきなり跳ね上がっていたためどうしたことかと思って見ていましたが、期間が延びたのですね。驚きました。

それにしても、茨城空港が開港したようですが、定期便の数が少ないようで、利用者も全然いない状態ですね。個人的には関東は国際空港を3つ(ですよね?)も有する必要は無いと思います。ただ、昨日のダイヤ改正でまた寝台特急が消えてしまったのはショックです。急行能登も含めて乗ってみたかったなぁ・・・。古き列車は消え去り新たな交通手段が誕生するとは何か悲しいものが有りますね。
[74343] 2010年 3月 14日(日)17:10:26白桃 さん
珍発見
[74339]でのお遊びに関連して、面白い発見がありましたのでご報告いたします。
都道府県1位~4位の市の全国順位47位はすべて北海道、46位はすべて高知県であるということは事前に分かっていたのですが、以下の通り全国順位8位はなんと、すべて沖縄県であったのです。

全国順位---都道府県1位都道府県2位都道府県3位都道府県4位
1位---福生
2位---阪南四條畷武蔵村山綾瀬
3位---幸手羽生逗子国立
4位---沼田みどり大阪狭山鳩ヶ谷
5位---南足柄野洲日高安中
6位---弥富倉吉さぬき高石
7位---米原三浦富岡下野
8位---南城石垣宮古島豊見城
もっとも、2010年国勢調査時点で、豊見城は糸満に代わる可能性も大なんですが、ともかく都道府県内で4番目に人口が少ない市の全国ランキング8位が沖縄県の市である、ということは、まず間違いないと思います。(7位の下野は59,457、9位の坂出は55,867と予測)

参考:白桃の2010年国勢調査人口予測(沖縄県)
那覇315,523
沖縄130,821
うるま115,410
浦添110,134
宜野湾93,139
名護61,321
糸満57,140
豊見城57,097
宮古島51,904
石垣47,202
南城39,582
[74342] 2010年 3月 14日(日)15:52:59かすみ さん
近況報告。
こんにちは・・・というか、今年になって書き込みしていなかったような気もしますが。(汗)
トップページもちょっと変わったのかしら?と思ったらさっきのことだったようですね。
わたしの方は毎日忙しく過ごしています。仕事はこの年度末にかけてが一番厳しい状態で、うっかりしている間に3月も半ばになっていました。
今日は阪急摂津市駅(以前に[62326]で触れています)の開業ですね。メンバーの中にも足を運んでいる人がいそうです。

以下、つらつらとまとまりのない書き込みです。

■その一
まだ今年になってからの書き込みにすべて目を通せていませんが、ほうとうとか、吉田のうどんという文字には微妙に反応してしまいました。
わたしの場合は土産物店でなく、たいていスーパー(オギノorいちやまマート)で麺と味噌をで買って帰りますよ。よくよく製造元を見るとほうとうも吉田のうどんも同じ業者だったりしますが。(笑)

■その二
今年の3月9日は笛吹市御坂町で行われた、レミオロメンのファン交流イベントに潜入してきました。彼らのヒット曲『3月9日』にちなんで縁の地をウォーキングする内容だったのですが、関係者の盛り上げようはそれはそれは温かいものでした。(某放送局カメラマンも同行)
最近アニメや漫画の世界でも舞台となった場所の聖地巡りが大流行ですが、こちらも例外でなく、それまで観光客など訪れなかったマニアックな場所にもファンが訪れています。町の人々は概ね歓迎のようですね。メンバーの実家やご家族に対してプライベートを脅かすファンがいないのが何よりです。(苦笑)
来月の桃の花のシーズンには例年通り花鳥山周辺で個人的に花見ウォーキングをするつもりですが今年はさらに人出が増えそうな予感。
ちなみに帰りに甲府から夜行の長距離バス、クリスタルライナーに乗車したらドカ雪で中央道が閉鎖されて国道に迂回するも身動き取れず、結局朝まで北杜市内から脱出できぬまま。18時間かかって京都に帰りました。(爆)

■その三
わが尼崎市に新しい町名が誕生します。以前に公募されていたのですがこちらにお知らせしようと思いながら出来ぬままでした・・・。
対象はフェニックス埋立地(東海岸町地先)です。選考会の結果選ばれたのは「船出(ふなで)」。もしや変なカタカナ町名になるのではと懸念もしていましたが、なかなかいい町名じゃありませんか。
町名選考結果について(尼崎市HP)
[74341] 2010年 3月 14日(日)15:22:11【1】じゃごたろ さん
トップページ
こんにはち、じゃごたろです。
もう春の陽気ですね。

さてトップページについてです。私だけなのかも知れないのですが、表示が微妙に上下にずれる現象があります。メニューのリンクにマウスを置くと、そこから下の表が微妙に下に動き、リンクからよけるとまた元にもどるというもの。マウスの有り無しでメニューのボックスの高さが変わるので、スタイルシートのリンクの設定が一定ではないような感じですが、いかがでしょうか?

ちなみに、Windows Vista, IE8です。
[74340] 2010年 3月 14日(日)14:46:27オーナー グリグリ
トップページをプチリニューアル
都道府県市区町村のトップページをプチリニューアルしました。トップメニューを3カラム構成にし、参考文書の追加や協力者一覧などのレイアウトを見直しました。なお、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、このトップページと先日新規リリースした市の変遷のページのレイアウトについては、フォントタイプや表示幅などを改善しています。

[70025][69199]で表明していたフォントサイズや表示幅の改善作業ですが、最近の新しいブラウザでは、レイアウトを崩さないで拡大縮小できる機能を備えたものが増えてきており、[69199]で示した下記の方針は当時よりも必要性が薄れてきていると判断しています。

1.フォントサイズについては、フォントサイズ可変(小サイズ) とする
2.表示幅については、「800pixより少し大きめの固定」か「表示幅可変」

今後は、今回提示したトップページや市の変遷ページの形式を標準として、順次他のページにも適用して行きたいと考えています。ただ、膨大なページがあり、適用が完全に終了するのは相当な期間がかかると思われます。なおその際、サブメニューの独立ドメイン化やメニューやレイアウトのリニューアルも同時進行で進めようと考えています。皆さんのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。ご意見、ご要望などありましたらお知らせください。
[74339] 2010年 3月 14日(日)12:26:56白桃 さん
各都道府県人口下位?市全国選手権
今朝、床屋に行って散髪を終えたら、「1700円です」と言われました。
いつもは1900円なのでキョトンとしてたら、「シルバー(65歳超)ですよね」
18歳になったばかりの私を相手に・・・それは失礼千万ですよ!

さて、各都道府県の市を人口の少ない順番にならべて、一番少ない市を、都道府県1位、2番目に少ない市を都道府県2位、(以下略)として、全国選手権大会を開催しました。
つまり、各都道府県で2番目に人口の少ない市を47都道府県で多い順にならべると、1位が福生、12位が相馬、最下位が三笠、となります。
では、以下の表で、A~Fに該当する市をお答えください。D市以外は簡単だと思います。
※人口は2010年10月1日国勢調査人口を予測してみました。

全国順位---都道府県1位都道府県2位都道府県3位都道府県4位
1位---A市福生市B市C市
12位---D市相馬市東松島市岩出市
47位---E市三笠市F市赤平市
[74338] 2010年 3月 14日(日)03:44:58【2】Issie さん
レコード屋が区役所に?
[74337] 右左府 さん
旧役場の機能廃止や解体のニュースがあちこちで聞かれるようになりましたね。

[67595][74309] で触れたとおり,これはかつて相模原市が通って来た道です。
相模原市(町)の場合は,1941年の合併から市役所に行政機構のほとんどが集約された1956年まで15年。これでようやく,旧町村役場がそのまま「支所」に衣替えして旧町村内の行政事務のほとんどを担当していた「連邦国家」状態から「単一国家」状態への移行が完了したわけです。恐らくは合併した自治体の多くがやがては通る道なのでしょう。
でなければ,何のために合併したのか,わからない。

その相模原市は,間もなく政令指定都市に移行してしまって,今度は逆に部分的な分権化の方向に進みます。「区制」が実施されて,区役所が設置される。
うち,中央区役所は市役所本庁に同居。南区役所は,かなり以前に独立の庁舎が建てられた大野南出張所を利用することになっています(ちなみに,旧大野村の役場があった位置にはこの建物を建て替えて大野中出張所が設けられています)。
緑区役所は,昔の国鉄工場跡地の再開発区域内に設けられることになっていますが,まだ完成していない(そもそも建てられていない)ので,当分の間は暫定的に現在の橋本出張所を区役所とすることになっています。
橋本出張所の直接の前身は合併前の旧相原村役場。1941年の合併以来,大山街道(国道16号線旧道)沿いの橋本旧集落(宿場跡)にあった旧村役場の建物がそのまま 支所→分室→出張所 として利用されてきました。上述の通り,役場機能の多くが市役所本庁に引き上げられた後も。木造建物が老朽化して鉄筋コンクリートの建物に変ってもそのまま。
それが大きく変わったのは,橋本駅前の再開発第1弾として建てられた再開発ビルの上階に出張所が移転したこと(下の方の階はビブレ…,だったのがいつの間にかサティに)。移転後,村役場以来の位置に建っていた出張所の建物は解体されてしまいました。

で,先日,所用があってその橋本出張所に行ってびっくり。
以前の記憶では,出張所はサティの建物の6階(シティプラザはしもと)と思っていたのに,行ってみたら5階になっている。ここは確か,本屋と飲食店とゲームセンターが入居している階のはずなのだが,以前レコード屋とゲームセンターであった区画が出張所になっていたのですね。市のHP によると,今年の正月明けに5階に下りてきたらしい。
この日は急いでいたので6階の様子を見てこなかったのですが,もしかしたらそのまま飲み屋の隣が区役所,ということになるのか。それとも,6階を“区役所らしく”するための改装でもやっていて,それで出張所が下りて来たのか。
まあ,後者だとは思うのですが。

そんなわけで,あと半月で相模原市は政令指定都市になってしまうのでした。

※追加
そう言えば,相模原市に合併された津久井町に合併された青根村の役場の建物は今でも現役だったと思いますよ。4月からは緑区津久井総合事務所青根出張所。津久井地域の旧役場は割と生存率が高そうですが,旧市域の旧役場(相原・大沢・田名・上溝・麻溝・新磯・大野)は“世代交代”していて建物自体は全滅です。相原と新磯を除いてほぼ同じ位置に建つ出張所は,4月から「まちづくりセンター」。
[74337] 2010年 3月 14日(日)00:43:51右左府 さん
旧役場のその後
[74336] k-ace さん
昨年まで白石町役場だった旧有明町役場は福祉スペースに活用。白石支所(旧白石町役場)、福富支所(旧福富町役場)は廃止、解体とのこと。

大合併のピークから早4年、つい最近触れられた有田町[73212]や秋田県美郷町[73214]の他にも、旧役場の機能廃止や解体のニュースがあちこちで聞かれるようになりましたね。約20年持ちこたえてきたつくば市も、最近話題になっている新庁舎への移行に伴い旧役場は多くが解体されるとのことです。

役場というとその市町村の核というイメージがあり、その庁舎が解体されるというのは旧市町村の廃止を強烈に印象付けるものだと思います。
近年は公共施設の耐震強度が強く意識されていますし、維持管理費などを考えても当然の措置なのでしょう。

最近これ関連のニュースを見て、既に姿を消した、あるいは消える予定の役場はどのくらいあるんだろうと気になっています。
私が確認した所だと、浜松市の旧雄踏町役場は昨年9月私が行った時既に解体工事が進んでいました。
秋田県三種町の旧山本町役場も既に解体され、総合支所の事務所は隣接していた町施設内に移転。
八峰町は先日新庁舎での業務を開始しました。峰浜庁舎(旧峰浜村役場)は火災で既に焼失していますが、旧八森町役場も築年数を考えると解体されるんでしょうかねえ……。

[59558]役チャンさんが仰っていた事が現実になってしまい、役場巡りが趣味の人間は色んな意味で危機感を抱いています。
[74336] 2010年 3月 13日(土)23:45:00【2】k-ace さん
唐津市鏡新開・換地処分公告と白石町役場
こんばんは、k-aceです。
佐賀県の話題を2件。

[74332]ニジェガロージェッツさん
2007年10月に岐阜県各務原市で起立し,外来語由来町名に登録されているテクノプラザ1~2丁目ですが,今月3~4丁目が追加となっているのが財団法人国土地理協会の地名変更情報に掲載されています。
本件は油天神山さん宛てですが、今月分に新開コレクションにも新規登録対象が。
それは「佐賀県唐津市鏡新開」(地図ではこの辺り)。ただいつ新設したんだろうと、唐津市のHPを見てみると、
新東唐津駅土地区画整理事業地内の町名・町境の変更について
【施行日】
換地処分の公告のあった日の翌日
また、唐津市例規集にも
○町の区域変更及び町の新設について
平成21年4月20日
告示第119号
本市の区域内の町の区域を変更し、及び町の区域を新たに画する旨、地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第2項の規定により告示する。
当該町の区域変更及び町の新設の処分は、土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第103条第4項の規定による換地処分の公告があった日の翌日からその効力を生ずる。
とありました。これでは「鏡新開」新設年月日が分からない。

それで換地処分公告がいつあったんだろうと調べていたら、佐賀県公報にたどり着きました。
佐賀県公報平成22年1月21日(木曜日)号外(PDF)で公告されていました。
公告の翌日ということは「鏡新開」新設は今年の1月22日ということでいいんですよね?(地名変更情報では3月分でしたが)

唐津市例規集を見ていると既に、鏡には新開、中新開、北新開という地名があったわけですが、Yahoo!地図やgoo地図では、佐賀県は杵島郡白石町大字新開しか表示されませんでした。「鏡新開」新設で佐賀県2件目。ただし、新開コレクションへの登録はYahoo!地図掲載後になります。

白石町といえば、旧白石町内に新庁舎が完成し、今年1月4日から新庁舎で業務を開始というニュースがありました。
昨年まで白石町役場だった旧有明町役場は福祉スペースに活用。白石支所(旧白石町役場)、福富支所(旧福富町役場)は廃止、解体とのこと。
支所廃止に関して、町長は
業務拠点を一元化する方が町民の利益と判断した
とのこと。
[74335] 2010年 3月 13日(土)19:57:34【1】hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても、中身は 区区(まちまち) (2)三大都市の「区」は市域内に移行
今回から、明治21年法律第1号「市制・町村制」 の時代の「区」です。

[62662]88さん の記事にあるように、上記の法律(旧・市制町村制)は 大部分の府県について 翌1889年に施行されました。
また、かなり多くの府県では 1891年から1898年にかけて 明治23年法律第36号「郡制」が逐次施行されました。

これにより、「郡区町村編制法」で設けられた「区」と「町村」の多くの地域は、新制度に取って変わられることになりました。
事実「郡制」施行の地では、これに抵触する郡区町村編制法を廃止するという規定もあります[62732]
しかし これは郡部の話で、大都市においては、郡区町村編制法で設けられた“従来の区”が、意外にしぶとく生き残っていたのでした。

それを端的に示しているのが、いわゆる三市特例法 こと 市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件(明治22年法律第12号)です。
第1条 東京市京都市大阪市に於ては 市長及び助役を置かず 市長の職務は府知事之を行ひ 助役の職務は書記官之を行ふ
第4条 東京市京都市大阪市に於ては 従来の区を存し 毎区に区長1名及書記を置き 有給吏員と為し…

三大都市において行政機関として機能していたのは、有名無実の存在である(第1条)「市」ではなく、“従来の区”なのでした。

実は 前回の記事で紹介した 明治11年東京府布達第49号による 15区の名称区域 は、“明治30年12月現行”という「東京府布令類編纂」に掲載されたものであり、東京市発足後のこの時代でさえも、「15区」を説明するにあたり 明治11年の布達に 大きな修正をする必要がない と考えられていたことがわかります。

市制町村制の施行対象は、明治22年東京府令第26号【上記文書429コマ】では、
当府管下 東京 に市制を、荏原郡外5郡 町村 に町村制を施行す
と、一体的な市街地“東京”の領域が意識されており、“15区”とも“1400町”とも記されていません。
この市街地“東京”を領域として、地理的存在の「東京市」が誕生。但し、行政的には骨抜きの存在。

実際には、例えば「従来の芝区」だけでなく、荏原郡白金村の大部分も「新しい芝区」に編入されました。
[64891]は、市制施行の際に郡部から編入された区域を次の通り列挙しています。
荏原郡白金村(編入先:芝区)の他に、南豊島郡から下渋谷村(麻布区)・原宿村(麻布区と赤坂区)・千駄ヶ谷村(四谷区)・牛込早稲田村(牛込区)。北豊島郡からも小石川・雑司ヶ谷・巣鴨・高田の各村(小石川区)、東の方で下駒込・日暮里・谷中・千束その他の各村が本郷・下谷・浅草の3区に編入。
南葛飾郡に属していた須崎・押上・亀戸・大島などの村々は本所・深川の両区に編入。(以上 新旧対照市町村一覧 18~21コマ)

このように、三市特例法では“従来の区”としか書いてなかったものの、東京市発足の 1889.5.1 には、白金・原宿・早稲田などお馴染みの地域が、地理的存在ながら「東京市」の領域内になったのでした。1920年の内藤新宿町編入以上の大きな変化ですから、これを無視するわけにはゆきません。

「東京市の変遷」において、“区設置”となっている 1889.5.1の変更種別欄は、“区移行、編入等”とでも記したらどうでしょうか?
“区移行”の意味は、「区」は 行政的には東京府直轄体制 であることに変化はないものの、地理的には 市域内【東京市の領域内】に移行した という意味です。
“編入等”は、同時に 郡部町村の編入 などがあったことを示します。
[74334] 2010年 3月 13日(土)19:43:13hmt さん
同じ「区」の名で呼ばれても、中身は 区区(まちまち) (1)第一世代の区
新企画「市の変遷」デビューを機に、「区」(特にその明治時代の変遷)に目が向きました [74320]
既に多くの方の書き込みがありますが、根拠となる法令を軸に、「区の変遷」を整理してみます。

「区の変遷」は、1889年に始まる「市の変遷」よりも11年前に遡ります。
明治11年太政官布告第17号 郡区町村編制法 に基づいて「第一世代の区」が生まれました。
第1条 地方を画して 府県の下 郡区町村とす
第2条 郡町村の区域名称は 総て旧に依る
第4条 三府五港其他 人口輻湊の地は 別に一区となし 其の広濶なる者は 区分して数区となす

“別に一区となし”の意味は、「郡町村の区域外」という意味ではなく、旧に依り全国をカバーする郡町村という区分 とは別の次元で、商業活動の盛んな地域に限り 「区」を設ける という趣旨のようです。いわば「経済特区」。

これれを裏付ける資料:明治11年7月22日太政官達 郡区町村編制府県会地方税両規則 施行順序

少し長いですが、その第3項は「区」を設けた趣旨をよく説明しているので、全文を引用しておきます。
--------------------------------------
三 郡村制置の外都府港市の地人民輻湊貿易繁昌の所は郡村と其利益情態を異にするを以て一般の郡制と概行すへからす 故に郡に拘らす別に区となし市政を以て治むるを要すへしと雖も其郡を変更して更に某区を置くにあらす 即ち某郡にして其中に某区あるあり 又某区某々の郡に跨るある等地理上に於いては総て旧に依らしむべし 又市井一円を以て一区として統治すべきあり 或は其広闊にして統治に難きを以て分て数区となすある等各地の便に従ふべし 其分て数区とするもの或は第一区第二区と称し或は某区(其地方固有の名称を用ゆるが如し)と称する等其便に従ふ 要するに制度に拘はり便宜を妨けさる様心得へし
--------------------------------------

東京府における具体例: 明治11年11月2日東京府布達甲第55号
本年府庁甲第49号布達区郡編成の儀は 行政上区郡の区域相立候儀にて 地理上に於ては区の域内といえども 従前の通郡界相存じ候儀と心得へし 且区の域内に係る南北豊島郡の儀は江戸川神田川を以て其経境界に相定候条此旨布達候事

東京府15区の名称は、ここに出てきた甲第49号布達【同じリンク文書の359コマ】に登場します。
--------------------------------------
本年太政官第17号公布に依り従前の大小区劃を廃し区郡名称区域別冊の通相定候条此旨布達候事
(別冊)
麹町区 旧郭内、神田区 旧郭内 外神田、日本橋区 旧郭内、京橋区 旧郭内、芝区 三田 白金 桜田 高輪、麻布区 飯倉、赤坂区 青山 渋谷、四谷区、牛込区 市谷、小石川区 小日向 関口 高田 雑司ヶ谷 巣鴨、本郷区 湯島 駒込 根津、下谷区 谷中、浅草区、本所区 中ノ郷 小梅 柳島 亀戸、深川区
【これに続いて次の要領で町名を記載】
麹町区 代官町 明治12年4月甲第43号を以て東代官町西代官町を合併し代官町と改称す
--------------------------------------

「地理的には郡と重複するが、行政的には郡部と区別された特別地域」である「区」。
その具体的な指定に関する全国的な資料は、明治13年5月5日の 太政官第22号布告別冊 で見ることができます[62795]
明治11年7月第17号布告郡区編制法に依り 従前の一郡を分割し 或は新に郡名を設け 又は区【傍点】を設置するもの 別冊の通に候条 此旨布告候事
(別冊)(「 」中の文字は朱筆)【区名にはすべて傍点】
府県:東京、国:武蔵、郡区:「豊島の内」麹町区 神田区 日本橋区 (中略11区) 深川区
【以下、区の部分の抜き書き】
京都府山城国 「愛宕葛野の内」上京区 下京区 「紀伊の内」伏見区
大坂府摂津国 「四成【ママ】の内」東区 南区 西区 北区
神奈川県武蔵国 「久良岐」横浜区、兵庫県摂津国 「八部の内」神戸区、長崎県肥前国 「彼杵の内」長崎区、新潟県越後国 「蒲原の内」新潟区、堺県和泉国 「大島【ママ】の内」堺区、愛知県尾張国 「愛知の内」名古屋区、宮城県陸前国 「宮城の内」仙台区、石川県加賀国 「河北石川の内」金沢区、岡山県備前国 「御野上道の内」岡山区、広島県安芸国 「安芸沼田の内」広嶋区、山口県長門国 「豊浦の内」赤間関区、和歌山県紀伊国 「名草海部の内」和歌山区、福岡県筑前国 「早良那珂の内」福岡区、熊本県肥後国 「飽田託摩の内」熊本区
[74333] 2010年 3月 13日(土)18:47:48【1】オーナー グリグリ
即日改称の市(市の変遷に記録追加)
[74330] 2010 年 3 月 13 日 (土) 16:31:09 オーナー グリグリ
即日改称の市に関しては、消滅した市の雑学にもすべてリストアップしてある訳ですから、市の変遷ページだけでも変遷情報とは独立に記録することが望ましいでしょう。特別処理をして表示するよう検討してみます。
特別処理を追加し、即日改称の市についても市の変遷に記録するようにしました。具体例として八女市(福島市)の例を示しておきます。変更種別の欄に「改称(即日)」と表示し即日を強調しました。

八女市変更年月日変更種別変更対象自治体名/変更内容
福島市1954.4.1編入/市制八女郡 福島町, 川崎町, 忠見村, 岡山村の一部
八女市1954.4.1改称(即日)福島市
[74332] 2010年 3月 13日(土)18:05:09ニジェガロージェッツ さん
外来語由来町名の新設
油天神山 さんへ
2007年10月に岐阜県各務原市で起立し,外来語由来町名に登録されているテクノプラザ1~2丁目ですが,今月3~4丁目が追加となっているのが財団法人国土地理協会の地名変更情報に掲載されています。

また,コレクションに登録されている町名で一番新しいものが2008年10月に起立した滋賀県湖南市サイドタウン1~4丁目でしたので,その後の新設町がないか過去の変更情報を見たところ,3件ありましたのでお知らせします。

2009年3月起立
富山県高岡市グリーンパーク 地図
#近くにあるオフィスパークは既に登録済み

2009年5月起立
宮城県黒川郡大和町テクノヒルズ 地図

2009年8月起立
広島県三原市須波ハイツ1~4丁目 地図


個人的には北海道に「オホーツク」を名乗る町名でもあれば,ロシア語なので間違いなく外来語由来なのですが,今のところなさそうです。
[74331] 2010年 3月 13日(土)17:36:11【1】山野[山野] さん
住民投票へ(斐川)
昨日の定例会に於いて町議会では、出雲市との法定協設置案を再審議した結果は否決。
という訳で、町長は来月下旬頃を目処に住民投票実施を検討しているとの事です。
その内容は勿論、「法定協設置に関する是非を問う住民投票」だとか。
[74330] 2010年 3月 13日(土)16:31:09【1】オーナー グリグリ
「市の変遷」トップメニュー化 & 独立サブドメイン化
3/7に新規メニューとして立ち上げた市の変遷ですが、市区町村変遷情報のサブメニューからトップメニューに格上げしました。また、URLにつきましても、 http://trc.uub.jp/ と独立サブドメインとしました。今後、他のトップメニューについても独立サブドメイン化する予定です。独立化することにより、各々の内容を独自に充実させて行こうという意図です。

[74303] 2010 年 3 月 9 日 (火) 02:01:49【1】 オーナー グリグリ
>でるでるさん、88さんへ
上記を追加して気が付いたのですが、変遷情報の政令市の説明表記が統一されていません。例えば、新潟市や岡山市は単に「政令指定都市に指定」となっています。仙台市などのように指定時の区の一覧を表示する形式に統一していただけないでしょうか。さらに、政令市の制度が始まった1956.9.1の5都市については、変遷情報にデータがありません。これは「政令市」として追加すべきと思います。変遷情報に追加していただければ市の変遷のページにも自動的に追加されます。ご検討よろしくお願いいたします。
というお願いに関して、88さんに素早く対応していただきました。ありがとうございました。

[74311] 2010 年 3 月 10 日 (水) 03:10:30 山野 さん
むじながいりさんのHP(新潟編)の変遷情報内に
1989/04/01
○編入:柿崎町一部⇒柏崎市
という、部分がありますが、上記の一覧や、こちらのサイトにある変遷情報一覧表には記載が無いようですが、
どちらの情報が合っているんでしょうか?
じゃごたろさん([74315])、hmtさん([74316])、okiさん([74321])から詳しいフォローが入っていますが、変遷情報への追加等見直しについては、88さんの判断にお任せしたいと思います。市の変遷はその対応に連動します。

[74318] 2010 年 3 月 10 日 (水) 19:42:54 namo さん
1:市制施行後、即日改称した市について改称前の市名も記録してほしい。
この件、実は悩んでいました。市の変遷メニューは変遷情報のデータと連動していますので。「忍市→行田市」を例に上げて見ます。

変遷情報のデータに連動した現在の表示です。
行田市変更年月日変更種別変更対象自治体名/変更内容
行田市1949.5.3市制/改称北埼玉郡 忍町

これを即日改称をより明示的に表示すると、
行田市変更年月日変更種別変更対象自治体名/変更内容
忍市1949.5.3市制北埼玉郡 忍町
行田市1949.5.3改称忍市

と表示することになるでしょう。変遷情報での扱いは同日の変更については原則1データ扱いにしています。これは、市制施行と同時に行われる、編入、改称などの順序関係が明確でない場合があることも考慮されてのことだったと思います。とは言え、即日改称の市に関しては、消滅した市の雑学にもすべてリストアップしてある訳ですから、市の変遷ページだけでも変遷情報とは独立に記録することが望ましいでしょう。特別処理をして表示するよう検討してみます。

2:いわゆる終戦から沖縄返還までの間の、沖縄県、鹿児島県奄美地方、樺太などにあった市について、詳しく記録してほしい。
沖縄の市に関してはアーカイブ終戦後の沖縄に生まれた市とは?で過去に議論されています。また、奄美や樺太の市についても過去に多少の議論があったかと思います。「市」の「変遷」を扱う企画としては、これらの情報についても記録することが望ましいと思っていますので、より正確な情報や皆さんのご意見もいただき進めて行きたいと考えます。ご協力をよろしくお願いいたします。namoさんは情報をお持ちなのでしょうか。

[74320] 2010 年 3 月 10 日 (水) 22:29:18【2】 hmt さん
「東京市の変遷」の中に記載すべき「15区設置の日付」について、それが 1895.5.1(名目上の東京市発足)でないことは明らかですが、実質を重視して 1898.10.1(三市特例法廃止)とするのか、法律に明記された 1911.10.1(市制の全面改正)とするのか、グリグリさんの判断にお任せしたいと思います。
こちらについてはやはり変遷情報と連動しますので、88さんに判断をお任せしたいと思います。88さん、お手数ですがご検討のほどよろしくお願いいたします。
[74329] 2010年 3月 13日(土)06:27:05ピーくん さん
合併協議会廃止
鬼北町議会は、8日に鬼北町・松野町合併協議会の廃止議案を全会一致で可決。
松野町議会は、11日に鬼北町・松野町合併協議会の廃止議案を賛成多数で可決。
これで、2010年3月31日付で鬼北町・松野町合併協議会が廃止される事になりました。
愛媛新聞
[74328] 2010年 3月 13日(土)01:01:51白桃 さん
雛並び 真庭のひとと 語りけり
こりゃ、白桃の句でありますが、駄作ですね。
元句は芭蕉の「行く春を 近江のひとと 惜しみけり」なんですが、人生、すんなりいかないものです。
真庭、といってもその方は旧久世町ですが、つい最近帰省されたとき、「あの」アーケード商店街で営業をやっているお店はたった一軒だったそうな。
私にとって、久世はなんというか、想い出の街でもありますので、なんとか応援したいのですが、落合、久世、勝山と三核分散の町は、引田、白鳥、三本松の「三角定理」に呪われた東かがわ市の将来を暗示しているようで、ヒジョーに淋しい!
[74327] 2010年 3月 12日(金)13:55:26山野[山野] さん
合併撤回(大町町)
でるでるさんへ
合併予定一覧表(佐賀)から以下の情報の削除をお願いします。
○○市 武雄市, 杵島郡 大町町
と、いうのは大町町側から2年程前に武雄市側へ協議の申し入れを行われましたが、
町民の合併に対する意識が変わったとして、町長は昨日合併撤回を示唆したとの事でした。
[74326] 2010年 3月 12日(金)12:46:48hmt さん
やはり図名が変更されていた「分岐」
[67495] ペーロケ さん
国土地理院発行の1/25000地形図の図名
いくつか一般名詞にもなりそうな図名が見られます。その中でも極めつけが「分岐」という図名。
[67497][67514] 千本桜 さん
川の形状をもって「分岐」という図名にしたのではなく、…合流する辺りの固有場地名「分岐」をもって図名にしたものと思われます。
図葉名が「分岐」ですから、集落がなくなっても「分岐」の注記を消すことができない(消せば、図葉名を変更しなければならない)。
[67527] Issie さん
現物を確認してきました。…集落記号は削除されていますが,「分岐」の地名記載はあります。
[67546] hmt
…ということで、1/25000地形図の次の版では、「居住地名」としての「分岐」は消え、自然地名としての生き残りも無理。
「分岐」の図名も変更を余儀なくされると予測します。

こんな過去記事を眺めているうちに、この件の「その後」を知りたくなり、図歴 を閲覧しました。
-----------------------------------------
2万5千分1図名:武利川上流 むりがわじょうりゅう
リスト番号:34-10-3- 3、世界測地系に基づく地図、図歴:平20更新、発行年月日:H22/03/01
No1~No2は図名「分岐」
-----------------------------------------

“図名「分岐」は「武利川上流」に変更されるのでしょうか?”[67546] という予想 の通りになっていました。
[74325] 2010年 3月 11日(木)15:44:53桜通り十文字 さん
茨城空港
こんにちは。桜通り十文字です。
さて、タイトルの通り、本日、北関東初の空港である茨城空港が開港いたしました。北関東初ということで私も大いにこの空港に期待しております。ただ、既存の空港(羽田・福島など)に比べ、どれぐらい容易にアクセスできるか、また、ちょうど良い時間に飛行機があるかどうかでうまく使い分けていきたいと考えています。いまは、国内線は1日1本ですが、できれば、さらに発展していってほしいです。
[74324] 2010年 3月 11日(木)14:03:28hmt さん
「都市鉱山」で再生する小坂町
[74323] JOUTOU さん
今朝のTBSの番組で「都市鉱山」の話題が出ているのをたまたま見たのですが、その再生というか精錬技術の応用で、一昨年11月に我々がお世話になったあの秋田県小坂町に新たな雇用が生まれているとのこと。


湯瀬オフ会2008 の関連で、「その後の小坂」について 簡単に触れていました[67512]
銀鉱山から銅鉱山へと転進し、その歴史も終えた小坂ですが、現在はその技術を生かし、ガリウム(1973)、インジウム(1976)などのレアメタル関連・環境リサイクル事業・金属表面処理など独自の分野に活路を見出しています。

今回紹介していただいた機会に調べたところ、前町長の 川口さん の仕事が、夕張など多くの鉱山町と全く違う 再生への道を歩んでいる 小坂町 の姿に反映しているようです。
「鉱山町を循環型社会の核に」 と題した 日経ビジネスの記事(2007年4月2日号)があったので リンクしておきます。

鉱山の枯渇と プラザ合意後の円高で 町は衰退。1990年に初当選した 川口さんは、国に過度に依存した 自治体の運営 に危惧を抱き、行政改革と併せて新たな自立の手段を探る。それが、掘り尽くせば終り[40421] という 地下資源依存の鉱山 とは対極にある リサイクル社会。

同和鉱業は、黒鉱の精錬技術[67466]を応用して、電子製品廃基板からの金属回収を事業化。
120億円を投じて小坂製錬に建設した新型炉は 2008年春に本格稼働予定 と伝えられていましたから、これが“再生事業を本格的にスタートしたのが約2年前”[74323] ということでしょう。

産業の中心は DOWAグループですが、小坂町自身も 生ゴミ堆肥化や 菜の花プロジェクトなどで 循環型社会のモデルを構築しようとしています。

今年10月には国勢調査があります。果たして町の人口はどうなっているのでしょう?

人口予測はその筋の方におまかせするとして、平成19年度秋田県市町村民経済計算推計結果概要pdf によると、2007年秋田県内市町村の 人口1人あたり総生産 では小坂町が 6516(単位千円、以下同じ)で、にかほ市の 7685に次いで2位。3位は大潟村 5783。県平均 3398。

人口1人あたり所得 では小坂町が 3905でトップ。前年の 3138より大幅増。にかほ市、秋田市、大潟村がこれに次ぎ、県平均の 2483を上回っていました。
[74323] 2010年 3月 11日(木)09:10:26JOUTOU さん
鉱山の町から都市鉱山の町へ
みなさんおはようございます。鹿児島で記録的な大雪と思いきや、高知では過去最速タイ記録の開花宣言が出るなど、日本列島は寒いんだか、暖ったかいんだか???感覚になっているJOUTOUです。

さて、今朝のTBSの番組で「都市鉱山」の話題が出ているのをたまたま見たのですが、その再生というか精錬技術の応用で、一昨年11月に我々がお世話になったあの秋田県小坂町に新たな雇用が生まれているとのこと。再生事業を本格的にスタートしたのが約2年前というから、何となく縁があるようなちょっとうれしい気分になりました。

今年10月には国勢調査があります。果たして町の人口はどうなっているのでしょう?願わくば人口減少に歯止めがかかっていることに期待したいと思います。
[74322] 2010年 3月 11日(木)07:52:26【1】千本桜 さん
徳島県諸都市vs釧路・石巻・滝川
平成21年分の路線価を見ていて釧路、石巻、滝川3市の最高路線価が低いと感じました。都市の大きさというか、地域の中で占めている都市としての役割の重さに比して、低いと感じるのです。徳島県の諸都市と対比すると、その低さが明確になります。人口集中地区を形成していない藍住町、石井町、美馬市の一等地より、釧路市の一等地の地価が安いなんて・・・。最高路線価(平成21年分)、DID人口(平成17年国勢調査)、行政人口(平成17年国勢調査)、事業所従業者数(平成18年事業所・企業統計)、年間小売販売額(平成19年)を表形式にまとめました。

都市最高路線価DID人口行政人口事業所従業者数年間小売販売額
徳島県 徳島市440,000円189,975人267,833人139,412人30,177,566万円
徳島県 阿南市94,000円5,604人78,002人31,506人6,529,878万円
徳島県 小松島市89,000円19,296人42,115人15,366人3,792,090万円
徳島県 吉野川市86,000円6,547人45,782人15,303人3,381,167万円
徳島県 藍住町82,000円32,286人10,417人3,954,153万円
徳島県 石井町81,000円26,068人8,755人2,370,478万円
徳島県 鳴門市80,000円21,695人63,200人24,291人4,682,792万円
徳島県 三好市80,000円5,410人34,103人13,070人2,163,911万円
徳島県 北島町79,000円11,866人20,703人8,495人2,811,262万円
徳島県 美馬市76,000円34,565人11,472人2,956,786万円
北海道 釧路市66,000円165,175人190,478人84,024人18,721,195万円
徳島県 松茂町65,000円14,926人8,675人1,766,759万円
宮城県 石巻市54,000円97,637人167,324人71,400人18,484,583万円
北海道 滝川市28,000円33,564人45,562人18,748人5,248,671万円

北海道釧路市の最高路線価・北大通五丁目の北大通りは、人口集中地区を形成しない徳島県美馬市の拝原地区を走る県道と同額の1平米66,000円。
宮城県石巻市の最高路線価・鋳銭場の石巻駅前通りは、徳島県阿南市学原町の国道を逸れて奥まった袋小路と同額の1平米54,000円。
北海道滝川市の最高路線価・本町一丁目の国道451号通りは、徳島県美馬市脇町の農地の中を走る市道より1,000円安い1平米28,000円。

書込み訂正。阿南市大字学原を阿南市学原町に訂正しました。
[74321] 2010年 3月 11日(木)00:07:16oki さん
柏崎市上輪の奇妙な遍歴
[74311] 山野 さん
[74315] じゃごたろ さん
[74316] hmt さん

話題になっている、かつて柿崎町の飛地であった柏崎市上輪、蕨野等ですが、調べてみると、とても奇妙な編入経緯を経ていることが分りました。

関係する地域の、近世村(天保国絵図)時点からの変遷を示すと次のようになります。

近世村明治大合併1901(明治34)年1956.12.191957.01.011989.04.01
上輪村米山村米山村柏崎市柿崎町柏崎市
上輪新田村
笠島村
青海川村
鉢崎村(現在の米山町)鉢崎村
(高畔)柿崎町
大平村
大平村のうち蕨野村柿崎町
小萱村柿崎町
大清水村
大清水村のうち竹ヶ花村柿崎町

関係しているのは8村(+枝村など)ですが、明治大合併期には、上輪村~青海川村の4村が合併して米山村、鉢崎村以下の4村が鉢崎村を形成します。
蕨野村、竹ヶ花村(現在は竹鼻)は天保国絵図では枝村になっていますが、明治合併期には大平村、大清水村に含まれていたようです。また、鉢崎村(現在の柏崎市米山町)の中心集落は日本海沿いに位置していますが、高畔の集落はそこからオガチ川を遡った場所にあり、近世の高畔は鉢崎村の小名だったと考えられます。
米山村と鉢崎村は1901(明治34)年に合併し、新たな米山村が誕生します。そして、この米山村全域が、1956年12月19日に柏崎市に編入されます。ここまではよくある話です。

ところが、編入直後の1957年1月1日、大字上輪、小萱の全域と、大清水、鉢崎、大平の各一部が分離し、柿崎町に編入されているのです。われらが「市区町村変遷情報」では、次のように記述され、
1957.01.01 境界変更 中頸城郡 柿崎町 中頸城郡 柿崎町, 柏崎市の一部
詳細な注記が入っています。
88さんの注記では、大清水、鉢崎、大平の各一部は多数の「字」からなっていますが、現在の大字名などから、近世村段階で上記の表のような位置づけにあった地域、と考えて構わないと思います。

この、大字上輪等の柏崎市からの分離、柿崎町への編入は、非常に奇異に感じられます。柿崎町に隣接する小萱、竹鼻はともかく、上輪、蕨野は完全な飛地。高畔も小萱に接してはいますが、接触部分は山間地で、盛んな交流があったとは思えません。
歴史的に見ても、近世において上輪は上輪新田の親村であり、蕨野、高畔も大平、鉢崎の一部でした。明治以降も、米山村や鉢崎村の一部として隣接地域と密接な関係があったと考えられます。それがどうして柿崎と飛地合併したのか、しかも柏崎への編入から2週間もたたない時に、というのはよく理解できないところです。
さすがに、この飛地合併に無理があったのか、小萱、竹鼻を除く上輪、蕨野、高畔の3地域は柏崎市に再編入されていますが、それはじゃごたろ さんが確認してくれたように1989年4月1日で、飛地編入から30年以上後のことになります。
30年以上たってから出戻るなら、どうして柿崎に出て行ったのか、その理由が知りたいところです。
[74320] 2010年 3月 10日(水)22:29:18【2】hmt さん
♪「むらさき」匂いし 武蔵の野辺に 日本の文化の 花 咲き乱れ
3月10日と言えば 105年前(明治38年)の 奉天大会戦[59385]と、65年前(昭和20年)の 東京大空襲です。
米軍機が東京付近に現れたのは 1945年3月9日の夜でしたが、警戒警報も解除されて ほっとした市民の上に 房総沖から再び飛来した 325機のB29爆撃機が 38万発の焼夷弾・爆弾の雨を降らせたのは 日付が変って3月10日になった直後でした。

この大空襲の際には 既に東京都 35区になっていたのですが、その2年前には「東京市」でした。
市の変遷 に集録された「東京市」を見て、10年間ほど「東京市民」であった者として、ひさしぶりに「東京市歌」を思い出しました。
タイトルは 1926年に作られたこの歌の冒頭です。

[74303] オーナー グリグリ さん
市に関わる以下の変更種別についても情報を追加しました。
勅令市(勅令指定都市)、省令市(省令指定都市)、政令市、中核市、特例市、区設置

東京市 1889.5.1 区設置 麹町区, 神田区, 日本橋区 ……

麹町区以下は、「郡区町村編制法」によって設けられた「東京府15区」が、「市制町村制」によって設けられた「東京市」と共存していたものであり、東京市に“設置”された「区」ではありません。

便宜上“共存”と書きましたが、実質的には 明治22年3月23日に制定された いわゆる「三市特例法」(市制中東京市京都市大阪市ニ特例ヲ設クルノ件)により「東京市」は有名無実の存在であり、実質的な行政機能は「東京府15区」にありました。

このあたりの事情は、[53890] 「六大都市制度」の生い立ち(1)六大都市前史に記してありますので、ご参照ください。

1898年10月1日 三市特例法廃止

この日付こそが、「自治体としての東京市」の実質的な誕生日であり、「東京市の変遷」に記録されるべき日です。
東京の「都民の日」10月1日はこれに因んでいます [33692]

三市特例法廃止の際にも “従来ノ区” は存続し[10997]、まさに「市と区の共存状態」になりました。
だから、[7772] Issie さんの記事にあるように、
「区」が元々独立した行政単位であったので市制施行後も「市」と「区」の権限をめぐって,両者には微妙な関係がありました。

この三大都市と「区」との関係に 決着をつけたものが、明治44年(1911)の法律全文改正です。
「市の中に設置された区」であることは、「町村制」とは別の法律になった「市制」 の第6条 “勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス”や第80条【区長は市有給吏員で市長が任免】で明確に示されました。

だから、「東京市の変遷」の中で、「区設置」は、この勅令指定都市の段階で記すのが法律的には適切なように思われます。
しかし、東京市役所東京市史編纂係「東京市十五区全図」(明治40年4月発行 裳華房)[33692]に見られるように、“微妙な関係”[7772]ではあったものの、三市特例法廃止の明治31年以後は、実質的には「東京市の15区」と認識されていたようでもあります。

そこで、改めて明治31年の三市特例法廃止時点を調べてみると、この法律廃止で失なわれた「三大都市の区の存在根拠」を含めて、旧「市制」第3条の改正が行なわれていました。明治31年法律第20号
第3条に左の1項を追加す
東京市京都市大阪市に於ては従来の区を存す 其区は財産及び営造物に関する事務其他法律命令に依り区に属する事務を処理するものとす

なるほど。三市特例法廃止後の区の存在根拠は 引き続き“従来の区”という表現ですが、後段に記された 区の処理する事務 は限定されており、その内容は 明治44年「市制」第6条後段 を先取りしています。
また、第72条への追加もあり、“区長は市長…の指揮命令を受け…”区内に関する市の事務を管掌することになり、市に対する区の従属性は明らかです。
つまり、この時点で「実質的には市の中に区が設置された」状態が実現したと理解できます。

「東京市の変遷」の中に記載すべき「15区設置の日付」について、それが 1895.5.1(名目上の東京市発足)でないことは明らかですが、実質を重視して 1898.10.1(三市特例法廃止)とするのか、法律に明記された 1911.10.1(市制の全面改正)とするのか、グリグリさんの判断にお任せしたいと思います。

以上 東京市について記しましたが、京都市・大阪市についても、同じことが言えます。
[74319] 2010年 3月 10日(水)21:17:36油天神山 さん
ご近所さん
こんばんは、油天神山です。

[74300]ありがたきさん
私がメンバー登録したのが2006年の夏で、ありがたきさんとは入れ違いになってしまったんですが、復活を心よりお慶び申し上げます。お留守の間にすっかりのさばっております。

実は、つい1週間前に横浜からつくばに転勤になりまして、
居住都道府県は7つ目の茨城県民になりました。
おおっ、ご近所さんができましたよ。私も一年前からつくばに単身赴任中です。どうぞ宜しくお願いします。

5月には新庁舎が建つらしくて、ちょっと楽しみです。
何を隠そう、その新庁舎の前を毎日自転車こいで通勤しております。
が、私は住民票を移してないので、新庁舎が建っても用事はないのですが。

昨夏には「油天神山歓迎TX沿線プチオフ会」を開いていただきましたが、「ありがたきさん歓迎&復活記念プチオフ会」もやりましょうか。ご近隣の皆さん、いかがでしょう?
[74318] 2010年 3月 10日(水)19:42:54namo さん
市の変遷について
市の変遷について、気がついたことを箇条書きで書いてみます。

1:市制施行後、即日改称した市について改称前の市名も記録してほしい。
2:いわゆる終戦から沖縄返還までの間の、沖縄県、鹿児島県奄美地方、樺太などにあった市について、詳しく記録してほしい。

よろしくお願いします。
[74317] 2010年 3月 10日(水)15:56:39BANDALGOM さん
あれれ・・・
今日の読売新聞紙面(サイトでは検索しても出ず)に、『「市」の数が「町」を逆転』という記事が出ていましたが、その中に「群馬県議会が中之条町・六合村の合併議案を可決」と出ていました。

まさか・・・昨日のライブ中継では、委員長報告で合併のがの字も、廃置分合のはの字も出ていませんでしたし、討論でも合併について言及はなく、採決では番号を指定して一括採決していたため、議案一覧で合併議案の番号をメモして聴いていましたが、その番号を読み上げることはありませんでした。

幸いにも、昨日の本会議の録画中継がアップされていたため、最初から聴きました。

しかし、委員長報告は2回聴きましたが、やはり合併のがの字も、廃置分合のはの字も出ませんでしたし、討論でも合併について言及はありません。
採決では番号を指定した一括採決を2回やりましたが、合併議案の番号は出てきません。

ところが・・・その後、議長が「ただいま採決した各議案を除く、上程中の平成21年度関係の各議案について、いずれも委員長報告の通り決することに賛成の議員の起立を求める」と通告し、全会一致で可決となりました。
この中に合併議案も含まれていたというわけですが、思わぬ落とし穴でした。

ということで、[74306]は誤報です。
昨日9日の群馬県議会本会議で、中之条町・六合村の合併関連議案は可決されました。

ちなみに、毎日新聞によると、群馬県知事は9日に合併決定書を手渡したとのことです。

でるでるさん、よろしくお願いします。
[74316] 2010年 3月 10日(水)14:39:56hmt さん
ひさしぶりの 飛び地
[74311] 山野 さん  (旧)柿崎町って、嘗ては「飛地」があったような気が…
[74315] じゃごたろ さん
柏崎市に編入する区域 中頸城郡柿崎町大字上輪、大字高畔及び大字蕨野の全部

上輪と蕨野とが 1998年まで、柏崎(中越)の中にある柿崎(上越)の飛び地だったのですね。
落書き帳を検索してみたら、[19763] TN さんの記事がありました。
K2【倉田昆布】さんによると、隣接する上輪新田は上輪の中にある 柏崎市の二重飛び地 だったようです。参考

上輪付近は海岸に山が迫る地形で、信越本線はトンネルで抜けています。単線時代の海岸沿い旧線跡は遊歩道になっています。
境界である米山よりも先に上越側の飛び地があったのは、やはり上越の勢力が 昔はこの地域に及んでいたことの反映でしょうが、境界変更でその痕跡が消えました。

なお、mapionを 1/8000まで拡大して判定すると、高畔(たかぜ)は柿崎の本体と地続き。これと蕨野との間に、米山町の回廊地帯があります。
[74315] 2010年 3月 10日(水)12:59:28【1】じゃごたろ さん
市町の境界変更
昼休みは終わりましたが。。。

[74311]山野 さん
1989/04/01
○編入:柿崎町一部⇒柏崎市

官報を検索してみると、平成元年3月29日の自治省告示58号が該当するものと思われます。

柏崎市に編入する区域
 中頸城郡柿崎町大字上輪、大字高畔及び大字蕨野の全部

この辺です。
[74314] 2010年 3月 10日(水)12:32:19hmt さん
内閣統計局版 昭和十年 全国市町村別面積調
[74308] YT さん
ファイルのサイズを6MBに落としました。

お手数かけました。今度はすぐにダウンロードすることができました。
奥付によると、著作者は「内閣統計局」のようで、発行者の 蜂須賀幾次郎[74304] には「東京統計協会」という肩書きがついていました。

例言により、“本編に掲くる面積”は次のものであることを確認しました。
陸地測量部指導の下に調査編成せるものにして、同部発行五万分の一地形図上に於て測定せるものなり。
昭和十年三月末日の調査に係るものなり。

提供していただいた内閣統計局版の表と照合した結果、[74307]の「日本地名大辞典」第一巻掲載面積は、その凡例に記された“昭和十年十月一日現在”への修正値が記載されていない箇所があることに気がつきました。

例えば別府市の面積。
1935年9月4日に 別府市は速見郡石垣村,朝日村,亀川町を編入 していますから、内閣統計局版96コマ記載の面積を合計すると、同年10月1日の面積は101.01km2となるはずです。
ところが、日本地名大辞典の表では22.47km2と、編入前の面積のままです。速見郡からは前記3町村が削除された17町村の合計面積は422.03km2になるのに、表では500.57km2と3町村削除前の面積のままでした。
別府市の人口と人口密度を確認すると、それぞれ62345人、617人/ km2ですから、こちらからも面積は101.01km2が正しいはずです。
岐阜市 と稲葉郡の面積についても同様でした。
[74313] 2010年 3月 10日(水)12:27:03【1】じゃごたろ さん
舟橋村
こんにちは、じゃごたろです。
今は昼休み。。。

山野さんのリンクした一つ上のページ。「全国の村人口密度ランキング」をクリックすると、見慣れたものが。。。

※ページが変わっていたので、リンク先を変更しました。
[74312] 2010年 3月 10日(水)12:14:51山野[山野] さん
人口増加
富山県唯一の村で、日本一面積が狭い村でもある「舟橋村」の人口が人口最多更新したそうで、3000人目の前だとか。
[74311] 2010年 3月 10日(水)03:10:30山野[山野] さん
(旧)柿崎町って、嘗ては「飛地」があったような気が…
グリグリさんへ
新潟県の「市の変遷」にて1つ。
むじながいりさんのHP(新潟編)の変遷情報内に
1989/04/01
○編入:柿崎町一部⇒柏崎市
という、部分がありますが、上記の一覧や、こちらのサイトにある変遷情報一覧表には記載が無いようですが、
どちらの情報が合っているんでしょうか?
[74310] 2010年 3月 10日(水)02:21:08オーナー グリグリ
分立データ(市の変遷)
[74303] に関連して、市の変遷に分立データを追加しました。また、北海道の市についても他の都府県と合わせてコード順に並べました。hmtさん、ご了承ください。市が関連する分立データは以下のとおりです。

■町村から市が分立(1例)
1945.09.26 沖縄県 石川市 分立/市制 中頭郡美里村の一部

■市から町村が分立(11例)
1947.11.23山口県吉敷郡阿知須町分立山口市の一部
1949.8.1山口県都濃郡富田町分立徳山市の一部
1949.9.1山口県都濃郡福川町分立徳山市の一部
1949.11.1山口県吉敷郡小郡町分立山口市の一部
1950.7.1神奈川県三浦郡逗子町分立横須賀市の一部
1950.7.1熊本県八代郡郡築村分立八代市の一部
1950.11.1埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町分立川口市の一部
1951.1.1富山県射水郡新湊町分立高岡市の一部
1951.1.1富山県射水郡牧野村分立高岡市の一部
1952.4.1岐阜県土岐郡笠原村分立多治見市の一部
1956.9.30長野県上伊那郡宮田村分立駒ヶ根市の一部

分立した11の町村のその後の経緯が面白いです。非常にバラエティに富んでいます。

1. 元の鞘に納まった例
(1) 山口市から分立した阿知須町と小郡町は50年以上を経て山口市と再び新設合併
1944.4.1山口県山口市新設山口市, 吉敷郡 大歳村, 平川村, 秋穂二島村, 名田島村, 陶村,
小郡町, 嘉川村, 阿知須町, 佐山村
1947.11.23山口県吉敷郡阿知須町分立山口市の一部
1949.11.1山口県吉敷郡小郡町分立山口市の一部
2005.10.1山口県山口市新設山口市, 佐波郡 徳地町, 吉敷郡 秋穂町, 小郡町, 阿知須町

(2) 八代市から分立した郡築村は4年後に八代市に再び編入
1943.4.1熊本県八代市編入八代市, 八代郡 郡築村
1950.7.1熊本県八代郡郡築村分立八代市の一部
1954.7.1熊本県八代市編入八代市, 八代郡 郡築村

(3) 多治見市から分立した笠原村は50年以上を経て多治見市に再び編入
1923.10.10岐阜県土岐郡笠原町町制土岐郡 笠原村
1951.4.1岐阜県多治見市編入多治見市, 土岐郡 笠原町
1952.4.1岐阜県土岐郡笠原村分立多治見市の一部
1952.8.1岐阜県土岐郡笠原町町制土岐郡 笠原村
2006.1.23岐阜県多治見市編入多治見市, 土岐郡 笠原町
なお、最初の編入時は笠原町で分立時は笠原村。笠原村から笠原町に町制施行後二度目の編入。

2. 独立した例
(1) 横須賀市から分立した逗子町は3年9ヶ月後に逗子市として市制
1943.4.1神奈川県横須賀市編入横須賀市, 三浦郡 浦賀町, 逗子町, 北下浦村, 長井町, 武山村, 大楠町
1950.7.1神奈川県三浦郡逗子町分立横須賀市の一部
1954.4.15神奈川県逗子市市制三浦郡 逗子町

(1) 川口市から分立した鳩ヶ谷町は16年4ヶ月後に鳩ヶ谷市として市制施行
1940.4.1埼玉県川口市編入川口市, 北足立郡 鳩ヶ谷町, 新郷村, 神根村, 芝村
1950.11.1埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町分立川口市の一部
1967.3.1埼玉県鳩ヶ谷市市制北足立郡 鳩ヶ谷町

3. 一部が独立、一部が元の鞘
(1) 高岡市から分立した新湊町は2ヶ月半後に新湊市として市制、牧野村は3ヶ月後に高岡市に再び編入。
1940.12.1富山県射水郡新湊町編入射水郡 新湊町, 牧野村
1942.10.1富山県高岡市編入高岡市, 射水郡 新湊町
1951.1.1富山県射水郡新湊町分立高岡市の一部
1951.1.1富山県射水郡牧野村分立高岡市の一部
1951.3.15富山県新湊市市制射水郡 新湊町
1951.4.4富山県高岡市編入高岡市, 射水郡 牧野村
なお、最初の編入時の約2年前に牧野村は新湊町に一旦編入されている。

4. 一旦独立後、新しい市として一体化
(1) 徳山市から分立した富田町と福川町は合併し南陽町を経て新南陽市に、その後徳山市と再び新設合併し周南市に
1944.4.1山口県徳山市新設徳山市, 都濃郡 櫛浜町, 富田町, 福川町, 大津島村, 夜市村,
戸田村, 湯野村
1949.8.1山口県都濃郡富田町分立徳山市の一部
1949.9.1山口県都濃郡福川町分立徳山市の一部
1953.10.1山口県都濃郡南陽町新設都濃郡 富田町, 福川町
1955.11.1山口県都濃郡南陽町編入都濃郡 南陽町, 佐波郡 和田村
1970.11.1山口県都濃郡新南陽市改称/市制都濃郡 南陽町
2003.4.21山口県周南市新設徳山市, 新南陽市, 熊毛郡 熊毛町, 都濃郡 鹿野町

5. 分立した状態を維持
(1) 駒ヶ根市から分立した宮田村は分立した状態を現在も維持
1954.1.1長野県上伊那郡宮田町町制上伊那郡 宮田村
1954.7.1長野県駒ヶ根市新設/市制上伊那郡 赤穂町, 宮田町, 中沢村, 伊那村
1956.9.30長野県上伊那郡宮田村分立駒ヶ根市の一部
なお、駒ヶ根市と新設合併時は宮田町だったが分立時は宮田村に戻り現在に至る。
[74309] 2010年 3月 9日(火)22:48:32Issie さん
「相模市」だったかもしれない
最近,某ネット百科への投稿のために『相模原市史』を改めて読んでいます。ちょっと面白い記述があったので,少し長いのですが引用しますね。

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話がはずむにつれて,はや合併新都市の名称問題に及び,次のような話合いもあった。
 久保田新磯村長 甚だ畏いことだが「相武台」というご名称は,一般に用いてよろしいか。
 井田少佐(士官学校) 「相武台」の名称は士官学校に賜ったので,他に使うことは許されない。
 岩本同盟会長 「相武」だけなら差支えないか。
 野坂課長 「相武」なら「相武○○会社」というのもあることだし,いいのではないか。
 中島麻溝村助役 相模原が一躍市に変るのだから「相模市」はどうか。
 井上相原村長 私は当たりさわりのない「相模原市」が一番よいと思う。
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『相模原市史』第四巻 p.611

いろいろ突っ込みどころ満載のやりとりですが,これは「軍都計画」に関連して高座郡北部の町村の大合併が話題に上るようになった 1939年5月12日 に東京日日新聞社主催で開かれた「相模原軍都建設座談会」の記録です。出席したのは,この頃に相模原に相次いで進出した士官学校その他の陸軍関係者,県の地方行政および都市計画の担当者(軍都建設のための区画整理事業は神奈川県が主体となって進められました),合併対象となる町村幹部,その他地元有力者など22名。文中に登場する 新磯村・麻溝村・相原村 は後に「相模原町」(現相模原市)に合流する合併対象の村。「野坂課長」というのは,県の都市計画課長。「岩本同盟会長」というのは,地元側の建設推進団体である 相模原開発同盟会長 の 岩本信行 ですが,彼は地元の高座郡選出の県会議員で,当時は県会議長を務めていました(後で述べるように,後に国会議員になります)。

この後,合併は現実の問題として具体化し,1941年4月29日(天長節)の「高座郡相模原町」発足に結実するわけですが,大きな壁が2つありました。
1つは,合併の枠組みの問題。当初合併協議に加わっていたのは高座郡北部の 上溝・座間 の2町および 相原・大沢・田名・麻溝・新磯・大野・大和 の7村。しかし,「軍都」区域からはずれる 座間町 と 大和村 は合併に消極的で,結局 大和村 は合併から離脱してしまいました(大和村は1943年に単独で「町」となり,1956年に 渋谷村(元の 渋谷町 の北半分) とが合併して,1959年に 大和市 となりました)。
もう1つが,合併後の自治体名。実は上のやり取り以来,関係町村の間で人気があったのは「相模市(町)」というものであったようです。合併の最終段階になってもこの問題はくすぶっていて,田名村や上溝町,座間町は「相模原町」への不満を表明し,「相模町」への支持が強かったようなのです。特に座間町が「相模町」に強く固執していたらしい(単に合併したくない口実だったかもしれません)。
ちなみに,上のやりとりで「相武台市」を提案した新磯村。現在の相模原市の南端に位置していて,もともと旧集落がお互いに連続しているように 座間 との結びつきの強い村でした(明治の大合併の際にも「座間村」への合併が構想されていたのですが,“諸般の事情”で「新磯村」として座間村から独立しました)。実は,1938年の士官学校移転を受けて,当時の座間村からともにその敷地を抱え込むことになる新磯村へ合併の呼びかけがありました。しかし,“座間への吸収”を嫌ったのか,初めのうち新磯村の反応は鈍く,かなり遅れて「相武台町」という名前にするならいいよ,と座間村へ返事をしました。けれども既に座間村は単独で「町」になっていて,合併の話は立ち消えとなりました。その「相武台」を,新磯村はまた持ち出していたのですね。もっとも,陸軍の士官学校関係者に“瞬殺”されてしまいましたが。
というように,不満は多くあったわけですが,「県に一任」したとのことで,結果として「相模原町」という名前になりました。
この過程で活躍した人の一人が県会議長で大物議員であった先述の 岩本信行。彼は1946年,戦後第1回の総選挙(大選挙区制)で衆議院議員に転身し,自由党(民主自由党)の議員として1947年の衆議院議員選挙法改正(中選挙区制復活)に活躍し,第2次吉田内閣で国務大臣を務めました。担当は「地方財政委員会委員長」。解体された内務省の流れをくむ行政委員会で,後に 自治庁→自治省→総務省 と続くことになる官庁の長官です。つまり彼は「県会出身者」でありながら(あったからこそ),「地方行政のエキスパート」として遇され,活動したのですね。その基礎になったのは,一貫して取り組んできた「新都市・相模原の建設」によるものなのでしょう。

合併の枠組みの問題,新自治体名の問題,[67595] で触れた合併後の役場(庁舎)の統合の問題,等々…。こうして見てみると,今回の「平成の大合併」で問題となった諸々の事柄はみんな,既に相模原の合併の過程で現れてきているように思います。さらに,北海道の都市と同様に「何もない」土地に全くの新都市を建設した,という点でも先駆的(何度も主張しているように,相模原市は「上溝町が大きくなった都市」ではありません。相模原市と上溝町は全く別の存在です)。
10年後の「昭和の大合併」に先立つ“画期的”な体験だったのだろうと思います。70年前のことだし,70万市民のほとんどは(私も含めて)“よそ者”ですから,みんな忘れちゃっているかもしれませんが。

さて,「相模原」という地名については以前に hmt さんが詳しく解説されています([67608])。付け加えるならば,初出がいつかはあいかわらず不詳なのですが,頻繁に用いられるようになるのは大正から昭和初期にかけてであるようです。はじめは相模野台地(相模原台地)上の開墾に関わる「相模原開田計画」などという形で(前述の 岩本信行 の“同盟”は初め,「相模原開田開発期成同盟会」というものでした)。その後,ここに移転してきた陸軍施設が「相模原」の呼称を使い始め,「軍都計画」につながる。
先のやり取りで 相原村(現在は,予定される「緑区」のうちの橋本地区と,「中央区」の小山・清新地区)の村長が「当たりさわりのない『相模原市』」と発言していますが,何が「当たりさわりのない」のかよくわかりません。
実際はこの時のやり取りやその後の展開にあるように,初めから「相模原市(町)」が約束されていたわけではない。むしろ,「相模市(町)」となっていた可能性の方が大きかたかもしれない。
それを見越したのかどうか,当時,現在の相模線を営業していた相模鉄道は,軍都計画区域の西の玄関とされた 大河原駅 を「相模町」と改称しています。1944年に国有化されたときに現在の「南橋本」にさらに改称してしまいましたが。
この計画に基づいて,駅の東側には駅前広場と,相模原駅前や田園調布駅前のような放射状の街路網が部分的に整備されています。しかし,敗戦による軍都建設の挫折で区画整理の完了後も長く畑地のまま放置され,幕末以来の新田集落に近い西側にのみ駅舎が設けられていました。その上,東側にはあろうことかセメント会社の荷扱い施設が設けられ,「相模原の西の玄関」となることもなく60年が過ぎました。セメント会社が撤退し,橋上駅舎化された2006年,ようやく「東口広場」が60余年めにして初めて“駅前広場”として機能するようになったのですが,そんなことではなく,…

もしかしたら,「相模市」だったかもしれない。
このような地名を,ある評論家(研究家?)は「僭称地名」と呼ぶらしい。「何様」のつもりで?

[74290] あっちゃん さん
そこに住んでいる人はホントにこんな地名で恥ずかしくないのか?

私自身もここで何度か表明しているように,「???」と思う新地名がないわけではありません。むしろ多いくらい。
でも,そのような名前になるにあたっては,いろいろな曲折があったのだろうと思います。できたら,その辺りに思いをはせていただけたらいいな,なんて思ったりもします。「昔」と違って,学生さんなのだから。

※ちなみに「さいたま市」。私的には「全然オッケー」です。
[74308] 2010年 3月 9日(火)19:34:08【1】YT さん
昭和十年 全国市町村別面積調
[74307] hmt さん

早速ダウンロードを試み、順調に進行するかと思われたのですが、次のメッセージにより中断しました。
ファイルの入出力エラーが発生しました。接続中にタイムアウトになりました。

時間を変えて2~3回試みましたが、結果は同様でした。
ファイルが大きすぎて、ADSL回線では所定の時間内にダウンロードできないのでしょうか?

すみません。[74304]のファイルのサイズを6MBに落としました。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1268130911/attach/S10-Mensekicho-4.pdf
パスワードはコメント欄にあるのと同じ『showa10』です。

ついでに[74304]のサイズ39MBのファイルのリンクは以下のようにするべきでした。

http://touch.moe-lovers.net/up_lsize/download/1268068581/attach/S10-Mensekicho.pdf
こちらのパスワードは『area』です。
[74307] 2010年 3月 9日(火)15:35:53hmt さん
Re:『昭和十年 全国市町村別面積調』
[74304] YT さん
以下のサイトにアップしておきます。

ありがとうございます。
早速ダウンロードを試み、順調に進行するかと思われたのですが、次のメッセージにより中断しました。
ファイルの入出力エラーが発生しました。接続中にタイムアウトになりました。

時間を変えて2~3回試みましたが、結果は同様でした。
ファイルが大きすぎて、ADSL回線では所定の時間内にダウンロードできないのでしょうか?

なお、私の手元にも同様のデータがありますので、ご紹介しておきます。1996年復刻なので、所蔵する図書館も多いと考えます。

日本地名大辞典 第一巻 発行 日本書房 発売 平凡社(昭和12年) 復刻 1996年 日本図書センター
市町村名の読み方 及び 市町村面積人口表
項目は、市町村名/読方(ローマ字)/面積(昭和10年)/人口(大正9年、大正14年、昭和5年、昭和10年)/密度(昭和10年)/町村番号/備考です。

面積については、凡例(6項目の内)に次の説明があります。
三、面積は参謀本部陸地測量部が、昭和十年三月末日現在の行政区画に対し五万分一の地形図に依りて測定したるものを基準とし、其の後の行政区画移動を修正して昭和十年十月一日現在とす。但し湖沼、飛地は所属市町村に含ましむ。
備考欄は、昭和10年10月1日以後、同12年9月末日までの市町村の移動。

従って、昭和10年 4月1日から10月1日までの間に変更があった市町村の面積は、陸地測量部データと異なるはずです。

なお、[70240]では上記の資料による面積を使いました。
[74306] 2010年 3月 9日(火)14:33:02BANDALGOM さん
群馬県議会、女性首長
群馬県議会は今日の本会議で、「平成21年度関係」の委員長報告・議決があるという予定になっていたので、中継を聞きましたが、「21年度関係」として上程されている中之条町・六合村の合併議案の議決はありませんでした。

次の本会議は最終日の19日で、今日審議されなかった以上、あとはこの日しかないわけですが、合併期日は28日ですから、一体どうなるのか気がかりです。

今年元日の長浜市の合併については、県議会の議決から5日後に官報告示されていますし、山口市と阿東町の合併では、期日の4日前に官報告示されたわけですが、群馬県議会が中之条町・六合村の合併議案を19日に可決し、すぐに届け出たとして、連休を挟むため5日後(24日)の告示は難しく、25~26日ごろにずれ込むことにならざるを得ないでしょう。

そうなると、山口市・阿東町の記録をも破り、合併期日2~3日前の告示という新記録を作ることになります。


ところで、がっくんさんの[71089]にて、女性首長の一覧が掲載された後、話題になっていませんでしたが、昨年8月末の衆院選と同時に行われた横浜市長選で、仙台市に続く政令指定都市で2番目の女性市長が誕生しました。

また、福岡県苅田町の吉廣町長は、昨年秋に2期目の当選を果たしましたので、フォーマットに従って記載します。

<市長>
就任日任期満了日当選回数市名市長のお名前
2009.08.302013.08.291神奈川県横浜市林文子(はやし ふみこ)さん
<町長>
就任日任期満了日当選回数町名町長のお名前
2005.11.132013.11.122福岡県京都郡苅田町吉廣 啓子(よしひろ けいこ)さん

なお、今年は京都府与謝野町長(4月15日)、東京都多摩市長(4月20日)、兵庫県播磨町長(4月30日)、滋賀県知事(7月19日)、東京都新宿区長(11月23日)、兵庫県尼崎市長(12月11日)が任期満了を迎えることになります。
[74305] 2010年 3月 9日(火)14:07:32小松原ラガー さん
第三の・・・
小松原ラガーです。

[74300] ありがたき さん
こんな時期に小美玉市で働くと言えば…?

そういうことですか。実は、もしも今年のオフ会がつくばになれば利用しようと思っていました。私の地元の神戸も「第三」ということで(第一、第二含めて)やり玉に挙げられていますが、小美玉市のほうもなんとか頑張ってほしいものです。

#なぜかこんな時間に自宅にいたりします。^^;
[74304] 2010年 3月 9日(火)02:21:14【1】YT さん
『昭和十年 全国市町村別面積調』
[74296] hmt さん

[73992] YT さんが 昭和10年(1935)の市町村面積を、いずれ表にまとめたい と表明されています。
当然、昭和10年の人口のデータも入力されるはずなので、このデジタルデータを取り込み、「都道府県市区町村」サイトのデータベース検索で活用できるようになれば、戦前の市区町村データの活用という点で、画期的なものになるのではないかと期待しています。

すみません。

現在人口入力の方は、北海道の戸町役場連合の取り扱いで躓いていて、佐賀県、福岡県について明治31年のデータを入力した段階で中断しています。最近は府藩県三治制時代の三つの人口統計(『大隈重信関係文書』(pdf)、『藩制一覽』、『統計集誌』)という、明治2年~3年当時の府藩県別人口の違いの比較に浮気をしています。

[73992]でも書きましたが、統計局の解説によると、『昭和十年 全国市町村別面積調』とは、
参謀本部陸地測量部が5万分の1地形図に基づいて測定した20世紀前半以前における唯一の全国市町村別面積に関する資料である。
とのことです。こちらの方を打ち込むのは、まだ先になりそうですが、某図書館の書庫でコピーしたものを、さらにスキャンしてpdf化たものを以下のサイトにアップしておきます。

http://touch.moe-lovers.net/up_lsize/download/1268068581.pdf

「今すぐダウンロード」の右に打ち込むパスワードは、『area』の半角小文字4文字です。
pdf圧縮の扱いに慣れていないので、ファイルサイズは約39 Mbytesと巨大です。

なお、オリジナルの印刷物自体に文字のカスレがあります。

『昭和十年 全国市町村別面積調』の編者の蜂須賀幾次郎は初期の国勢調査の編集にも関わっている人で、没後50年経っていると思われますが、このような本の場合、著作権者が誰なのか不明で、もしかしたら法に抵触するかもしれませんが、まあ自分の責任の範囲でアップします。何か問題があったら消します。

さまざまなpdfファイルから文字、数字を摘出するソフトを探しているんですが、どうもこの当時のフォントをちゃんと認識してくれないのか、自分が買ったソフトは正常に動作してくれていません…
[74303] 2010年 3月 9日(火)02:01:49【1】オーナー グリグリ
Re:市の変遷
[74293] 2010 年 3 月 7 日 (日) 22:53:13 大龍エクスプレス さん
このぺージは、その市がどうやって誕生したか、いつ合併したか、などの市の歴史が分かるいいページですね! 僕にとっても興味深いページです。十番勝負にも活用できそうです…。
素早い反応、嬉しいですね。十番勝負活用の件、それは多いに可能性があります。(^^;

[74297] 2010 年 3 月 8 日 (月) 19:30:18 geo さん
早速拝見させていただきました。わかりやすい表でまとめられていて,市域が拡大していく様子などがよく読み取れることができ,見ていて面白かったです。今度はぜひ町村部の・・・いえ,なんでもありません(笑)
感想をありがとうございます。町村部もとは思っているのですが、相当難易度は高いです。変遷情報のデータの定義やデータの構成などをもっと高度にしないと難しいかもしれません。

[74299] 2010 年 3 月 8 日 (月) 23:53:51 hmt さん
ざっと拝見して、気がついたことを記します。
具体的なコメントをありがとうございます。
川口市の項目で、1950.11.01 鳩ヶ谷町分立が脱落していました。
変遷情報からの拾い方に問題があったのではないかと思います。
市からの分立についてはロジックの組み方が複雑になるのでパスしていたのですが、やはり必要ですね(編入の対角にある訳ですから)。少し時間をください。
北海道の市の配列順について。
市区町村プロフィールの頁と異なり、支庁別(支庁内はコード順)に表示しているのですね。
実はこれが北海道庁で普通に使っている「道内市町村の配列順」なのだろうと思います。
各ページで不統一になっている北海道の市区町村の並びについては整理が必要だと考えています。
「支庁別配列」(4月からは名前が変ってしまいますが…)を取る以上、区切り目のところに「支庁名」を入れてほしいですね。
これはできなことはないのですが、名前も変わることもありますし、市だけのリストであることから、こちらはコード順にした方がよいかなと考えています。他の都府県ともすっきり統一できますし。
そして、青地に白文字で記された市のヘッドマークにでも「コード番号」を入れてほしいのです。
変遷情報のデータにはコード番号を持っていないので自動処理できないところが苦しいです。市だけなのでコードデータをローカルに定義データとして持たせてもよいのですが、メンテナンスに手が掛かるのは避けたいです。こちらは、市区町村データベースをリニューアルするタイミングでコードデータを追加したいと考えていますので、それが出来れば自動処理も可能になります。それまでは現状のままとさせてください。レイアウト的にもコード番号の追加は工夫が要りそうですし。
更に希望すれば「よみがな」。
過去の市名も含めた読みのことを言われていると思いますが、過去の市名の読みについては現在データとして保持していません。変遷情報に読みを追加するという英断が必要ですが、市だけならまだしも、市区町村、郡などまで含めるときわめて困難だと思います。まぁ、市だけに限定すれば過去の市名についてはローカルに定義データを持った上で、現在の市名については市区町村データベースから引っ張ってくれば出来ないこともないですが、そこまで手をかけて必要なデータでもないかなと思います。レイアウト的にも不利になりますし。
コード番号で思い出しましたが、「01100 札幌市」に変わった 1972.4.1 の「政令指定」。
この日付も是非とも記録しておくべき「市の変遷」なのではないでしょうか。
こちらについては、市に関わる以下の変更種別についても情報を追加しました。
勅令市(勅令指定都市)、省令市(省令指定都市)、政令市、中核市、特例市、区設置
いかがでしょうか。

>でるでるさん、88さんへ
上記を追加して気が付いたのですが、変遷情報の政令市の説明表記が統一されていません。例えば、新潟市や岡山市は単に「政令指定都市に指定」となっています。仙台市などのように指定時の区の一覧を表示する形式に統一していただけないでしょうか。さらに、政令市の制度が始まった1956.9.1の5都市については、変遷情報にデータがありません。これは「政令市」として追加すべきと思います。変遷情報に追加していただければ市の変遷のページにも自動的に追加されます。ご検討よろしくお願いいたします。
[74302] 2010年 3月 9日(火)01:31:20オーナー グリグリ
おひさ~~♪
[74300] ありがたきさん、お久しぶりで~~す。
こんな時期に小美玉市で働くと言えば…?
勘の良い方はお気づきでしょうか?
先日、偕楽園に行った帰りにそこへの道路標識を見ました。
前途多難な船出となりそうですが、一度見学に行こうと思っています。
>オーナーグリグリさん
久しぶりの書き込みであります。
プロフィールの現住所を変更いたしまして、
経県値も茨城県をランクアップいたしました。
よろしくお願いします。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。小美玉市ネタなどお待ちしています。
[74301] 2010年 3月 9日(火)01:27:10オーナー グリグリ
面積データについて
[74297] 2010 年 3 月 8 日 (月) 19:30:18 geo さん
さて,市区町村プロフィールの滋賀県で数字に誤りらしきところがありましたので報告いたします。
ご指摘をありがとうございました。さっそく修正しましたのでご確認いただければ幸いです。
他にも間違いがあるかもしれません。お気づきの方はお知らせください。よろしくお願いいたします。

[74296] 2010 年 3 月 8 日 (月) 12:59:12 hmt さん
この要覧データが 参考値 としてネット上の「面積調」に掲載されているのは、平成14年以降です。
それ以前のデータは、要覧のバックナンバーに あるかもしれませんが、デジタルデータでないと、入力の壁に突き当たります。
要覧のバックナンバーはすべて持っている訳ではないので、図書館や皆様からの情報を頼りにしようと考えています。また、要覧のデータも使えない場合は、その後の参考値やその他の情報をたどって推定することも必要だと考えています。いずれにしても、1988年以降だけでもそれなりに手間が掛かるだろうと覚悟しています。
デジタルデータでないことは同様と思いますが、国勢調査報告書により、5年ごとの市町村面積データを遡って得る可能性があるのではないでしょうか。
なるほど、5年ごとのデータは集められそうですね。やはり毎年となるとかなり苦労しそうです。
[73992] YT さんが 昭和10年(1935)の市町村面積を、いずれ表にまとめたい と表明されています。
当然、昭和10年の人口のデータも入力されるはずなので、このデジタルデータを取り込み、「都道府県市区町村」サイトのデータベース検索で活用できるようになれば、戦前の市区町村データの活用という点で、画期的なものになるのではないかと期待しています。
なるほど。どちらにしてもこの時代までとなると人口データも含めて相当の覚悟が要りそうです。
「市区町村」は将来の楽しみに残して、「都道府県」に限定すれば、現在でも利用できるデータがあります。
そうですね。以上を考慮すると、年代によって毎年、5年ごとと区切りを変えたり、都道府県単位のみ先行するなど、進め方をよく検討したいと思います。皆さんのご意見も引き続きお待ちしています。

hmtさん、貴重なアドバイスをありがとうございました。
[74300] 2010年 3月 9日(火)00:08:32ありがたき さん
経県値更新
大変ご無沙汰しております。
ありがたきです。

多忙とネット環境の乏しさという言い訳なのですが、
ずいぶんと疎遠になっておりました。スミマセン。

実は、つい1週間前に横浜からつくばに転勤になりまして、
居住都道府県は7つ目の茨城県民になりました。

「つくばという街」は、後から駅がやってきたということなんでしょう、
私の住む界隈は駅から徒歩10分という場所でありながら、
ものすごい古風な家でして、不思議な感じの場所であります。
あと、分庁舎方式のつくば市役所ですが、近所の庁舎は住民票移動を扱っておらず、
車じゃないと行けないよ、という駅から程遠い庁舎に行くのにタクシーを使ってしまいました。
でも、5月には新庁舎が建つらしくて、ちょっと楽しみです。

そんな古くて新しい研究都市を赴任している期間中いろんな角度から堪能してみようと思います。

ところで、つくばに転勤、と先ほど言いました。
確かに出勤する事務所はつくば市なのですが、
そこから実際に出向く現場は小美玉市なのですよ。
こんな時期に小美玉市で働くと言えば…?
勘の良い方はお気づきでしょうか?

また、レポートします。

とりあえずは、ご挨拶までに。

>オーナーグリグリさん
久しぶりの書き込みであります。
プロフィールの現住所を変更いたしまして、
経県値も茨城県をランクアップいたしました。
よろしくお願いします。


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