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千本桜さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[73486]2009年12月31日
千本桜
[73406]2009年12月27日
千本桜
[73392]2009年12月25日
千本桜
[73386]2009年12月24日
千本桜
[73371]2009年12月21日
千本桜

[73486] 2009年 12月 31日(木)16:29:36千本桜 さん
宇多津、日和佐、富士川
[73420] 蒼の狼 さん
閉まってる店が多いのはわかってましたし、遊ぶんだったら宇多津まで行きましたからね。
それも商店街が寂れる一つの要因かと思いますが、いかがでしょう。
私が坂出の商店街を見たのは40年も前のことです。でも、白桃さんが書かれた「坂出:この商店街のシャッターはいつ開くのだろう・・・」という坂出の現状は想像できます。また、私が見た宇多津町は昔からの市街地で、蒼の狼さんが闊歩されたのは宇多津町の新しい市街地でしょう。新しい宇多津町は凄いらしいですね。市に至らない町としては、沖縄県北谷町などと共に超スーパータウンの部類に入ることでしょう。東北のスーパータウンo町は間違いなく宇多津より地味です。平成16年調査の香川県商圏調査報告書をネットで見ることができますのでリンクします。買回商圏における宇多津町の凄さが見えてきますね。丸亀商圏が西に向かって及ぶ範囲は三豊市までなのに、宇多津商圏はそれを乗り越えて観音寺市まで延びているのですから驚きです。

[73445] oki さん
美波町のHPではウミガメ博物館の住所が「日和佐字浦370-4」となっていましたが、「日和佐字浦」という住所はなく、近世村の名称をそのまま残す「日和佐浦」です。
とあるHPには、うみがめ博物館の住所が「〒779-2304 海部郡美波町大浜海岸」と書いてあります。大浜海岸に面した観光施設ですし、天然記念物に指定された名称も「大浜海岸のウミガメ及びその産卵地」ですから、「日和佐浦」より「大浜海岸」の方が場所の特定も安易になり効果的なのでしょう。しかし、「住所」と銘打打ち、郵便番号まで記載しているのですから、ちゃんとした住所地名で「〒779-2304 美波町日和佐浦」と書いて欲しかったと思うのは私だけなのだろうか。大浜海岸に位置することを伝えるためなら、もっと別の表現方法があるはずですね。さて、本題に入ります。美波町役場の住所は大字+小字の形式で「美波町奥河内字元村18番地」と表しますが、日和佐郵便局の住所は小字なしで「美波町日和佐浦119番地」と表します。明治22年以来、奥河内も日和佐浦も同一自治体として一緒に歩いてきたわけですが、奥河内は小字を地番区域とし、日和佐浦は大字を地番区域とするように別々の道をとったのは、いつ頃からなのでしょう。

[73473] inakanomozart さん
もっと遠く離れた県の町だったら抵抗がなかったかもしれませんが・・・
静岡県民ではありませんが、静岡県富士川町がなくなって山梨県富士川町ができることに戸惑いを感じています。なにしろ、静岡県への第一歩が岩渕駅でしたから。

今年もきょうが最後。それでは皆様、佳いお年をお迎えください。
[73406] 2009年 12月 27日(日)09:04:18千本桜 さん
自治体の改称。DIDと都市地域。
[73387] Issie さん
生見尾村は,1921年に単独で町になりました。その際に改称して「鶴見町」。
やはり、同様の例は全国的にあるようですね。
鹿児島県では、明治22年に枕崎村など4村が合併して「東南方村」を名乗りましたが、大正12年に単独で町制に移る際に「枕崎町」に改称しています。
宮崎県では、明治22年に妻町など9村が合併して「下穂北村」を名乗りましたが、大正13年に単独で町制に移行して「下穂北町」になるやいなや、数ヶ月後には「妻町」に改称しています。
大分県では、明治22年に香々地村と見目村が合併して「岬村」を名乗りましたが、大正8年に単独で町制に移る際に「香々地町」に改称しています。
こうしてみると、新しい自治体名を名乗ってはみたものの馴染めず、むしろ藩政村名(ただし、都市機能を備えた町場集落のある藩政村)の方が通用しやすかったのではないかと思われます。宮城県でこのような例に当てはまるのは下記の町村です。
明治22年、長町村と郡山村が合併して茂ヶ崎村になる。大正4年、茂ヶ崎村は単独で町になり長町に改称。
明治22年、閖上浜など5村が合併して東多賀村になる。昭和3年、東多賀村は単独で町になり閖上町に改称。
明治22年、雄勝浜など12村が合併して十五浜村になる。昭和16年、十五浜村は単独で町になり雄勝町に改称。
明治22年、矢本村など3村が合併して鷹来村になる。昭和15年、鷹来村は単独で町になり矢本町に改称。
明治22年、志津川村など3村が合併して本吉村になる。明治28年、本吉村は単独で町になり志津川町に改称。
明治22年、柳津村と黄牛村が合併して麻崎村になる。明治39年、麻崎村は単独で町になり柳津町に改称。
明治22年、津谷村など3村が合併して御嶽村になる。昭和16年、御嶽村は単独で町になり津谷町に改称。
以上は町制に移行する際に改称したケースですが、下記の一件は、村制を継続するのに、それでも改称しています。
明治22年、根白石村など6村が合併して泉嶽村になる。明治30年、泉嶽村は根白石村に改称。

[73398] rigst さん
仙台ホテルで初めてフランス料理を食べた時の感激よりも、初めてDID人口を見たときの感激が何十倍も大きかった。わなわなと震える感じと言いましょうか。でも、仕方ないことですが、DIDをもって都市地域とするには矛盾もつきまといますね。たとえば、代表的な例をあげると登米市迫町佐沼。たぶん平成17年時点でもそうだと思うのですが、市役所や商業施設が立地する新市街はDIDの区域外。DID区域は都市施設が抜け出してしまった旧市街。時代にそぐわなくなって来ているのでしょうね。
[73392] 2009年 12月 25日(金)00:16:24千本桜 さん
都市雇用圏
[73386] 千本桜
都市雇用圏では勝山町・久世町が落合圏に含まれるのですね。
rigstさん、ごめんなさい。上記の件、勘違いして書きました。落合圏(落合町、勝山町、久世町、美甘村、富村:39,611人)は、金本・徳岡両氏が提唱した「都市雇用圏」に該当するものではなく、「都市雇用圏」の定義から「DID>10000」および「昼夜比>1.0」の条件を除いた上で、rigstさんご自身が編み出した圏域だったのですね。こういう独自の発想による圏域設定、大好きです!。ところで「DID>10000」ですが、南陽市のように2つのDID(赤湯地区と宮内地区)を合算して10,000人超とみなすことに抵抗を感じるのですよ。それなら10,000人以下でも迫や六日町を都市雇用圏の中心自治体として認めて欲しいと思ってしまう。たぶん、rigstさんも同じ考えでおられるものと思います。北海道、近畿、九州もよろしくお願いします。

[73388] 桜トンネル さん
人口も2000人以上増加しているようです
悩まされている人もいると思うので取り急ぎ。12,000人以上の間違いじゃない?
[73386] 2009年 12月 24日(木)08:08:05千本桜 さん
町並み歩き、徳島県、都市圏
[73342] 伊豆之国 さん
町並み歩きが話題にならなかった頃
町並み歩きが流行り出したのは、国鉄のディスカバージャパン・キャンペーンによるところが大きいと思いますが、それ以前から西日本の萩・津和野などは観光客を集めていましたよね。どうも、町並み歩きは西日本が優勢で東北地方などは劣勢に感じます。角館や大内宿は萩や妻籠宿に比べたら後発だし、宮城県の白石・岩出山・登米なども趣が有るにはありますが、観光客を集めるほどの古い家並が連続しているわけでもないし。それで、蔵の町村田をおすすめしたいのですが、景観未整備の現状では「通」の人たちに喜んでもらえても、普通の観光客からは「何だ、こんな街」と言われそうで怖い。本当は良い町並みなんです。これからでしょう。

[73362] oki さん
江戸時代の阿波国で「町」を名乗った地域は数少なく、脇町のほかは川島、富岡くらいです。
なるほど・・・。川島は古く江戸期からの町場だったのですね。私は長年、何故に税務署・警察署などの公的機関が鴨島ではなく川島に置かれているのを不思議に思っていました。これで疑問が解けたような気がします。ありがとうございます。下に、主な国機関の設置場所を一覧表にしてみます。
徳島市鳴門市小松島市阿南市牟岐町鴨島町川島町脇町池田町
法務局
税務署
労働基準監督署
公共職業安定所
地方裁判所
簡易裁判所
農政事務所
ところで、1889年に麻植郡 川島町, 桑村, 宮ノ島村, 山田村, 東山村の一部が合併して桑川村になりましたが、その桑川村は18年後の1907年に、単独で川島町に改称して町政施行しています。合併ではなく単独で町政に移行するだけですから、誰憚らず桑川町にすれば良さそうなものですが、川島町に改称したのは何故でしょう。


[73363] 白桃 さん
注目の脇町ですが、吉野川中下流域における首邑の座は次第に鴨島に奪われていったようです。
昭和31年改訂発行の徳島県新誌(初版は昭和26年発行)は川島町について「旧川島町は吉野川南岸の一地方的中心地
」と記述し、鴨島町については「最近中央橋の架橋によって吉野川北岸との交通が便利になり、町の成長発展をきたしつつある」と記述してあります。鴨島が「成長発展をきたしつつある」という記述。このことから、昭和20年代はまだ川島の中心性が高く、鴨島が(急激に)追い上げているように感じ取れます。中心性の点で逆転した時期は分かりませんが、いずれにしても昭和10年代・20年代の吉野川中流域では脇町・川島・鴨島が都市間競争を展開していたのでしょうね。[15425]で白桃さんが書かれた三本松~鴨島間の国鉄バスも、中央橋で吉野川を渡っていたのだと思います。昔なら三本松が鴨島を引っ張ったのでしょうが、今もバスが走っていたなら鴨島が三本松を引っ張る関係になっていたのでしょうか?。

[73365] suikotei さん
合併時の本庁舎は最も新しく延床面積も広い穴吹町役場
そういう事情があったのですか。今後、脇町と穴吹の関係がどのように変化するか気になりますね。

[73384] rigst さん
新たな都市圏定義方法に胸をはせながら過ごす師走の夜でしたとさ。
はじめまして rigstさん。私も都市圏に興味があります。都市雇用圏では勝山町・久世町が落合圏に含まれるのですね。新鮮な驚きです。種々の最新統計を見たいのですが、現在、Excelを開けない環境にあります。それで、手持ちの本の中では最新(1998年、古すぎ!)の東洋経済地域経済総覧を見ているのですが、微妙なところなんでしょうね。とくに落合と久世の関係は。
[73371] 2009年 12月 21日(月)20:16:59千本桜 さん
スーパータウン
昭和31年12月改訂版発行、日本書院の「○○県新誌」によると、昭和30年10月1日における「○○町」の面積は137.7平方キロメートルで、人口は41,343人だそうです。昭和30年に4万人を超していた、このスーパータウンはどこでしょう。当時の町名と現在の市名をお答えください。落書帳メンバーの中には、あ!なんだ、と即答できる方がいらっしゃいます。


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