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千本桜さんの記事が5件見つかりました

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[79784] 2011年 12月 29日(木)17:36:48千本桜 さん
ここはどこ?解答
問題1(島名を答えてください)

解答1

こんなふうに答えればよいのでしょうか。
[79736] 2011年 12月 14日(水)08:59:43千本桜 さん
地番と住居表示
地番を住所にしている区域は「1番地1」と表し、住居表示実施区域は「1番1号」と表すものと思っていました。でも、住居表示を実施しても「1番地1」と表す場合もあるのでしょうか?
と申しますのは、[79728]でグリグリさんがご紹介されている第8回落書き帳公式オフ会記録・ミニ十番勝負・問1の解説を読むと、日光、銚子、茂原、市原、流山、武蔵村山、藤沢、笠岡、日南各市の市役所住所が「1番地」「1番地1」または「1番地の1」になっているのに住居表示に○が付いています。変だなと思いました。ちなみに、wikipediaの流山市には
流山市では住居表示は行っていないが、土地区画整理事業に合わせて地番整理を行っている。
と書いてあり、藤沢市の住居表示実施区域を見ると、市役所がある藤沢駅北側が住居表示されていない区域になっています。確認したのは2市だけですが、このことから推測すると、ほかの市の市役所所在場所も住居表示されていない可能性があると思います。
[79658] 2011年 11月 21日(月)08:23:17千本桜 さん
仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ2
88さんへ。[79657] の続きです

[79282] でも書きましたが、もう一度、明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書きます。なお、仙台市史は町数を載せていないので、私が町名を追いながら計算しています。

【ステップ1】郡区町村編成法が発布された明治11年から始めます。仙台市史は次のように書いています。
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
と記述して、第1部(河原町など31町)、第2部(片平丁など74町)、第3部(南町など50町)、第4部(国分町など59町)、第5部(八幡町など39町)を挙げ、計253町を掲出しています。しかし、この町数は要注意です。延長の長い町は2つの部に分割され、双方の部に町名が載っているからです。つまり重複記載です。このような重複記載が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。

【ステップ2】次に、市史は明治14年に行われた区画変更の記述に進みます。
明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、区は差引6町1反7畝15歩余を増せり、同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
と記述して、140の町名を掲出し、各町を幾つかの丁目に細分しています。具体的には、国分町(1丁目より5丁目まで)、北二番丁(1丁目より14丁目まで)のように書いてあり、丁目の合計数は402になります。この丁目区分は、本当に明治14年に定められたのかは疑わしい。なぜなら、明治13年出版の宮城県仙台区全図に既に丁目が表示されているからです。この区分は、市制直前の町名解決に繋がらないようなので思いきって無視します。

【ステップ3】次に、市史は明治15、18、19年に行われた行政組織と区画更正の記述に進みます。その全文を引用します。
同15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、18年4月1日之を更正して140組とし、同時に組長設置規則を改め、組長は満25歳以上にして組内に不動産を所有するものより選挙し、任期を3ヶ年として専ら組内の布告回達、納税注意、戸籍方並に篤行者、極貧者の取調を司り兼ねて共同の事件に関係せり、其筆紙墨料は1ヶ年1戸に付拾銭を徴せり、明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、19年2月13日更に改めて56組とし、翌月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其名称及区画は左の如し
として、八幡町組(八幡町、坊主町ほか3町)、花京院通組(花京院通、空堀丁ほか6町)など56組207町の名称を掲出しています。207町の名称は下記のとおりです。207町を原文のまま書き出せれば良いのですが、誤字脱字があったり、複数の組に跨がる町については重複記載の調整が必要なことから、私が手を加えています。[79282] に記載した207町をもう一度掲載します
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

【ステップ4】次に、市史は明治22年3月に行われた区域変更の記述へ進みます。仙台区消滅直前の区域変更です。
而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
と述べて、宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)、宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)、宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)、宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)、名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)を仙台区に編入。また、仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入し、仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入したと記しています。

以上のことから、88さんが纏めておられる市区町村変遷情報に載せるべき仙台の町は、【ステップ3】で掲載した207町および【ステップ4】で掲載した周辺村との区画変更だと思いました。しかしその後、市史に町名書き漏れの疑念をいだき、各種資料を突き合わせてチェックしました。チェックの方法は[79312]に書いたとおりです。その結果、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町が書き漏れとして浮上しました。
しかし、大聖寺裏門通(現在の青葉区本町二丁目錦町公園付近)で頭を抱えてしまいました。地籍があっても家屋が消滅して無人になっていた可能性が見え隠れするからです。大聖寺裏門通という地籍があったとする根拠は歴史的町名復活検討委員会の29ページ「旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧」と36ページ右側の地図に大聖寺裏門通の表記があるからです。また、明治22年当時は無人になっていたかも知れないという根拠は、36ページ右側の地図に線引きされた大聖寺裏門通の区域が非常に狭いことに加え、明治後期の地図には家屋のない更地ふうに描かれているからです。
大聖寺裏門通が無人か有人かで引っ掛かり、前進できないでおりましたが、これ以上考えるのは止めましょう。仙台区から仙台市に移行する時点で、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は存在していたと決着をつけます。そうしないと埒があきません。

上記を踏まえ、明治22年仙台区消滅直前の町数は、【ステップ3】に掲げた207町に上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町を加え、211町に訂正したいと思います。【ステップ3】に掲げた207町のうち、六軒丁を南六軒丁に修正し、宮沢と北六番丁に(微)を付し、新たに加える上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通は、それぞれ適宜な位置に挿入しました。はたして判断が正しいのか否か自信はありませんが、自分なりに出した結論に従い仙台211町5村を掲出しますので、市区町村変遷情報を下記のように修正してください。

河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 米ヶ袋中ノ坂, 米ヶ袋鹿子清水通, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 南六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢(微), 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 上杉山通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 大聖寺裏門通, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁(微),, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁, 宮城郡 荒巻村(微), 小田原村(微), 南目村(微), 南小泉村(微), 名取郡 長町村(微)
[79657] 2011年 11月 21日(月)08:13:39【2】千本桜 さん
仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ1
苦めのコーヒー飲みながら独り言。国土地理院地形図の集落名は地籍の字名・町名とは限りません。地籍があっても家屋がなければ字名を載せないし、家屋があれば地籍に関係なく通称地名でも載せています。内務省地理局は国土地理院の前身だから発想は似ていたかも知れない。内務省地理局編纂の郡区町村一覧、地方行政区画便覧が掲出した「仙台の町名」には、町名らしからぬ名称が多数混入しているようです。それを基に編纂したであろう新旧対照市町村一覧、幕末以降市町村名変遷系統図総覧もまた然り。ほかの都市については目を通していないので何とも言えませんが、「仙台の町名」を見ていると、郡区町村一覧、地方行政区画便覧、新旧対照市町村一覧、幕末以降市町村名変遷系統図総覧は、やはり要注意のようです。

88さんへ
[78879] [79092] [79249] [79282] [79289] [79312]のまとめです。仙台区から仙台市へ移行する際の町名確認は戸惑いの連続でした。資料によって記述がまちまちだからです。そんなこんなで時間が経ちましたが、私なりの結論を出さなくてはなりませんね。でも、ちょっと気が重いです。これまで見てきた資料10点・AからJまでを振り返ります。

A・【宮城県仙台区全図 復刻版 解説書】
平成17年に復刻出版された宮城県仙台区全図(明治13年 宮城県地理課編集)に関する解説書です。その一部分を引用します。
本図右上部に、「町数305、戸数12,151、人口55,170」と、当時の市勢を掲出している。この町数305には、村落の小字にあたる地区名称(例えば川内中ノ坂通、追廻山下丁、小田原袖振丁など)、及び地区内にある小道(例えば梅原前丁、石名坂横丁、八幡町三丁目横丁)なども加えられていて、県の布例等に記載されている数値とは大きな差がある。ちなみに、明治9年中の県の記録に残された町数は、次のとおりとなっている。
1・明治9年「陸前国仙台区各村町調書」町数280→県公文書館蔵
2・明治9年12月2日「県甲160号」町数137→県公文書館蔵
3・明治9年国史「内閣文庫59022号」町数137→県図書館蔵
なお、史料3に掲載されている「町名」のすべてを、本図発行以降の町名変遷の原点とみなし、原文のまま採録しておく。
と記述して、明治9年国史「内閣文庫59022号」の137町を列記しています。その町数と町名は、B・仙台の大小区変遷およびC・更正区画とまったく同じです。文献A・B・Cから分かることは、明治9年および明治11年3月に宮城県第三課地籍係が確認した町数は137町だったということです。ただし、この解説書に書いてある、明治9年「陸前国仙台区各村町調書」町数280という記述は誤りで、正しくは、発行年不明「陸前国仙台区各村町調書」町数254です。原本を見て町数を数えましたから間違いありません。

B・【1876(明治9)年 仙台の大小区変遷 宮城県史】
明治9年11月の町名が掲載されています。小六区に属するものが58町、小七区が35町、小八区が49町で計142町です。しかし、東一番丁、東二番丁、東三番丁、東四番丁、元寺小路の5町は、2つの小区に跨がっているため重複記載されています。この重複を差し引くと142-5=137になります。つまり、明治9年11月の町数は137ということです。


C・【1878(明治11)年  更正区画 宮城県第三課地籍係】
この文献は図書館に蔵書がないので、知人から複写版を拝借しました。原本は毛筆和綴本で、裏表紙には「明治十一年三月改正方記録係ニテ取調 改正セシヲ写而地籍方定備トス」と書いてありますが、なぜか表紙には「明治九年 更正區畫 第三課 地籍係」と書いてあります。この文献に書いてある町名は、B・仙台の大小区変遷の町名と全く同じです。つまり、明治11年3月の町数は137ということです。問題は、137町のまま仙台区へ移行したかどうかですが、仙台区発足時点(明治11年7月)の明確な町名記録がないので何ともいえません。ところが、下に掲げる資料D・E・Fでは305町に増え、資料G・Hでは297町となっています。1つずつ資料に目を通してみましょう。まず、D・明治13年 宮城県地理課編集 宮城県仙台区全図からです。

D・【1880(明治13)年9月14日出版 宮城県仙台区全図 宮城県地理課編集】
出版は明治13年ですが、調査はそれ以前で、明治11、12年ごろの仙台を描いていると推察します。この地図には、A・復刻版解説書で述べたように、「町数305、戸数12,151、人口55,170」と書いてあります。江戸期の絵図と違い、一定の図式に基づいて表示された実測図で、横丁や袋小路の小道も描かれ、その小道には名称(例えば角五郎川前丁ヨコ丁、北材木町一丁目末ナシなど)も付されています。これらの小道名も町名と見なしているので、町数は305に跳ね上がっています。E・郡区町村一覧と密接に連動しているようです。

E・【1881(明治14)年  郡区町村一覧 内務省地理局】
この文献はネット閲覧できます。明治12年12月調査に基づき305町を掲載しています。掲載してある町名は、D・宮城県仙台区全図の町名と一致します。ただし、Dはヨコ丁、末ナシ、サクラ小路などカタカナ表記も交えて自由奔放。対して、Eは「丁」と表記すべきもの(例えば北一番丁、片平丁など)も、「町」を用いて北一番町、片平町と表記しています。仙台の慣例を無視した誤記といえるでしょう。さらに、木町通を誤って本町通と表記しています。これらの誤記は、後に発行されるF・地方行政区画便覧に遺伝し、G・新旧対照市町村一覧とH・幕末以降市町村名変遷系統図総覧にも伝染していきます。余談ですが、郡区町村一覧は宮城県の最後に「伊達郡湯原村」という珍郡村名を掲出しています。誤記にしてはあまりに大胆。

F・【1887(明治20)年10月刊行 地方行政区画便覧 内務省地理局編纂】
この文献はネット閲覧できます。内容はE・郡区町村一覧の流れを汲んでいて、Eの誤記をそっくり誤記しています。さらに本荒町を木荒町、新寺小路を新小寺小路と誤記したほか、町名記入欄に記入漏れがあり、1マス空白になっています。この空白マスに記入すべき町名は北九番丁です。町数は305町でEと同数ですが、経年変化で町名が入れ替わっています。Eに記載された榴ヶ岡梅原前町、榴ヶ岡二十人町通、榴ヶ岡神明脇町は、榴ヶ岡という名称に1本化されて2町減。新たに有巴沢町一丁目、有巴沢町二丁目が加わって2町増。奇しくも差し引きゼロで、町数はEと同数の305になっています。ところで、当時の内務省地理局は、町の消滅や発生をどのように捉えていたのでしょうか。例えば、町が消滅するとは、地籍が消えることか、住民がいなくなることか?。どちらでしょう。

G・【1889(明治22)年11月15日 新旧対照市町村一覧 東京和泉橋警察署著】
この文献はネット閲覧できます。内容はF・地方行政区画便覧の流れを汲んでいて、Fの誤記をそっくり誤記しています。この文献に記載された町村数は297町4村(南小泉村ノ内、荒巻村ノ内、小田原村ノ内、南目村ノ内)です。Fの305町から1町増加し、9町減少して297町です。増加した1町は古城。減少した9町は川内追廻西町、川内追廻山下町、川内追廻川前町、川内追廻中町、川内追廻九軒町、川内追廻東町、川内追廻通、薬缶小路、大聖寺裏門通です。川内追廻を冠称する町々が消えたのは、この地が軍用地となり、かつての町並みが消滅したからです。それなのに、川内追廻川前町末無だけは新旧対照市町村一覧の中に残っています。川内追廻川前町が消えたのに、そこから枝分かれした袋小路の川内追廻川前町末無だけが存続するのは地理的に絶対無理です。記載ミスの可能性があります。また、薬缶小路、大聖寺裏門通については、本当に消滅したのか否か半信半疑です。

H・【1995(平成7)年8月発行 幕末以降市町村名変遷系統図総覧 太田孝 編著】
誤字を無視すれば、掲載された町名はG・新旧対照市町村一覧の町名と一致します。町村数も297町4村で同数です。この幕末以降市町村名変遷系統図総覧には以下の問題点があります。
1つ目。掲載された297町の中には、自治体町名にあらず、町の中を通る小道(横丁・袋小路)の名称が混在しています。例えば、東九番町一丁目横町、角五郎川前横町、北材木町末無、元材木町横町末無など、その他多数です。たとえこの横丁や袋小路に家屋が張り付いていたとしても、自治体を形成するほどの規模に達していたか疑問です。地図で北材木町末無を見てみましょう。はたして、この小道に戸数が何戸張り付くことができたでしょう。これらの小道が江戸期の市廛を起源とする明らかな自治体町(例えば大町、南町、国分町など)と同等に扱われていることが不思議です。これはE・F・G・Hに共通した問題点です。
2つ目。仙台は「丁」と「町」を使い分ける習わしがあります。「丁」を用いる例として、小田原山本丁、片平丁、東一番丁、北十番丁など、その他多数あります。しかし、E・郡区町村一覧はこの習わしに反して小田原山本町、片平町、東一番町、北十番町と書き表わし、画一的に「町」で統一しました。これは表記の「揺れ」や「おおらかさ」では済まないことで、明らかに誤記でしょう。これもまたE・F・G・Hに共通した問題点です。
3つ目。単純ミスによる誤字が散見されます。カッコ外が誤、カッコ内が正です。大町二丁目櫓町(大町二丁目横町)、川内裏下馬町(川内裏下馬通)、小田原振袖町(小田原袖振町)、新小寺小路(新寺小路)、外記通(外記町)、本町通(木町通)、立町新前通(立町新町通)。本来なら「丁」と「町」を使い分けるべきですが、原文のまま「町」で統一しました。

I・【作成年不明  陸前国仙台区各村町調書 宮城県地籍係】
毛筆和綴本の原本を宮城県公文書館で閲覧しました。調書には作成年が書いておらず、蔵書整理の上では明治9年の文献として扱われています。しかし、赤鉛筆で「明治9年村町調書は内容を見ると明治11年以降と思われる」と注意書きしてあります。また、この調書を原典とするJ・角川日本地名大辞典4宮城県 資料編 小字一覧は、調書の作成年を明治17、8年と推定しています。H・幕末以降市町村名変遷系統図総覧は297町を掲出していますが、この調書が掲出しているのは254町です。その差、43町。その差の主因は、この調書が横丁、末無の大部分(例えば竹屋横町、川内新横町末無、北目町末無など)を掲出していないからです。やはり、横丁、末無の多くは町名にあらず、小道の名称なのだという思いが深まります。

J・【角川日本地名大辞典4宮城県 資料編 小字一覧】
この小字一覧の原典は、I・陸前国仙台区各村町調書です。原典の町数は254ですが、小字一覧では1町少なく253です。薬缶小路という町名を書き漏らしているからです。さらに、河原町東裏町を河原町東新町、新坂通を新坂町と誤記しているほか、片平丁を片平町と表記するなど、「丁」を「町」と記した誤りが散見されます。日本地名大辞典4宮城県をお持ちの方は、どうぞチェックしてみてください。

以上、AからJまで10点の資料を挙げました。これを原典別に3グループに分類します。

グループ1:明治9年国史「内閣文庫59022号」または宮城県第三課地籍係更正区画を根拠とするもので、A・B・Cが該当します。掲出町数はいずれも137町です。

グループ2:宮城県地理課または内務省地理局を根拠とするもので、D・E・F・G・Hが該当します。掲出町数はD・E・Fが305町、G・Hが297町です。町数305と297の違いは経年変化で発生したものです。

グループ3:宮城県地籍係「陸前国仙台区各村町調書」を根拠とするもので、I・Jが該当します。掲出町数はIが254町、Jが253町です。Jが1町記載漏れしているので町数に違いが生じています。

ここまで書いても仙台市制直前の町名に結論が出せません。どの資料を信じて良いのやら、はっきり言って分かりません。やはり、頼りは仙台市史でしょうか。頁をあらため、仙台市史の記述に移ります。

書込訂正機能で、下から3行目、「D・Eが305町、F・G・Hが297町」を「D・E・Fが305町、G・Hが297町」に訂正しました。
書込訂正機能で、C・【1878(明治11)年  更正区画 宮城県第三課地籍係】の記述中、「仙台市発足時点(明治11年7月)」を「仙台区発足時点(明治11年7月)」に訂正しました。
[79591] 2011年 11月 2日(水)06:37:47千本桜 さん
漢字三文字の繁華街、東山温泉、メディアテーク
[79572] ペーロケ さん
なんとなく漢字三文字の繁華街ってカッコいいな?と。
大阪で漢字三文字の繁華街なら、心斎橋と道頓堀を思い出します。でも道頓堀は繁華街よりも盛場とか歓楽街の類いでしょうね。路上の空中をフグが泳いだりして、一年中お祭りをしている感じ。♪今夜も泣かせるネオン川・・・はるみちゃん。

[79575] 伊豆之国 さん
それから20数年を経て再び作並温泉に
私も先月、50年を経て再び会津の東山温泉に泊まってきました。平均年齢70ん歳の団体旅行で、みなさん、歩くのが大嫌い。観光スポットを見て歩く気持ちが薄れてしまった方々ばかりです。でも私には東山に着いたら立ち寄りたい場所がありました。それは、50年ほど前に修学旅行で泊まった小さな旅館です。宿泊ホテルを抜け出して、その小さな旅館を見つけたとき、思わず込み上げるものがありました。なんなの、この感情は。
東山温泉の現状ですが、宿泊したホテルには原発事故から避難してきた方々も身を寄せていて、避難児童はランドセルを背負ってホテルから登校し、腰の曲がった避難老人はホテル玄関で虚ろにデイサービスの車を待っています。この避難生活はいつまで続くのか、つらい現状を目の当たりにしました。

[79576] Issie さん [79582] N-H さん [79587] みかちゅう さん
六角橋
六角橋は初耳なので地図で確認してみました。地図を通して受けた印象は、昭和の匂いのするようなレトロ調。特にこの細い道。両側に小規模家屋がびっしり連なっていて、周囲の町並みとは明らかに異なる雰囲気。アーケード商店街のようですね。家族経営の商店や飲食店が並んでいて、白い割烹着姿のオバさんがサンダル履いて買物カゴぶらさげて歩いてもおかしくない感じ。ところで、横浜で漢字三文字の繁華街といえば中華街が浮かんできますが、これは論外ですかね?。ついでに、どうでもいい話ですが、真夏の真夜中、♪本牧メルヘンを口ずさみながら一人でドライブすると青春時代に戻った気がします。というわけで、横浜で好きな地名は本牧。

[79590] いろずー さん
若干離れたところには「メディアワーク」なる建物もあります。
メディアテークでしょう。ケヤキ並木が美しい定禅寺通に面したガラス張りのビルで、仙台市民図書館が入居しています。1階には、いろずー さんが喜びそうなオープンカフェがあってランチも食べられます。でも、私はこのカフェで昼食をとるとき、しゃれたメニューは要らないからカツ丼を置いてくれと、いつも思うのです。


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