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[79099] 2011年 8月 15日(月)15:59:31【1】hmt さん
本厚木駅 昔の南口駅舎
[79088] ぺとぺと さん
「大秦野駅」の由来に関して、詳細な調査をしていただき、ありがとうございます。
停車場を設置する位置をめぐり、秦野町と南秦野村との争奪戦。
結局は南秦野村「竹の下」地区に決まったが、利用客の多いのは秦野町。

1925年の新聞にも、“大秦野の将来”という見出しや、“将来、隣村四ヶ村を合して、所謂グレート秦野を出現すべき運命”という記事があり、[66746]グリグリさんの分類による「発展型」の「大○○」であること、間違いなさそうですね。

昭和合併により、市域として大秦野が実現し、ことさら“大秦野”をアピールする必要がなくなり、1987年には秦野駅に改称されたのでしょう。

会社側の説明では、「駅の出入口を南北2ヶ所にする」、「このような扱いは厚木以外にはない」とあり
南北2ヶ所に改札口が設けられたが、南側の改札口はすぐに廃止されてしまい、秦野町側の北口のみが使用され

大秦野駅北口駅舎の建物は、稲田登戸・新原町田・相模厚木・大秦野・新松田の主要5駅に限って使われた特別のものでした。
現在は、向ヶ丘遊園駅の北口 として使われているものが唯一の事例とか。

相模厚木(1944年、本厚木)の場合、この立派な駅舎が使われたのは南口でした。
厚木の町があったのは駅の北側ですが、小田急の開通は、関東大震災により、この町が かなりの被害を受けた後です。
おそらく、駅の南側の田園地帯に新しい町を作る計画をふまえ、現実には利用客の少ない南口ですが、その駅舎を本屋にしたのでしょう。

南口の利用者が増加したのは、昭和40年代 東名高速の開通などもあり 従来は町外れだった南口側の宅地化が進行し、産業施設も立地してからと思われます。
本厚木駅から徒歩圏内というのは、住宅地としては好適な条件ですが、商業施設は相変わらず北口側にありました。

結局のところ、開業当時の目的であった「厚木の顔」としての地位を獲得できないまま、1973年から4年かけて実施された連続立体交差事業の過程で、本厚木駅は高架駅に生まれ変わり、南口駅舎は廃止されました。

ところで、この記事を書くために少し調査をしたら、「厚木地区の鉄道網の変遷」という頁がありました。
これまで知らなかったことが書いてあるのですが、どこまで信用できるのかわかりません。

例えば、相陽電鉄という鉄道が、平塚から伊勢原を経て厚木中心部の東町に「厚木町駅」を設けたことが、昭和14年の地図 に出ています。相模川を越えて神中鉄道との連絡も計画していたが、架橋は実現しなかったと書いてあります。
その後東急平塚線>小田急相陽線になり、電車の他に、砂利輸送列車が最盛期の昭和29年に1日8往復も走っていたとか。
このような具体的な記述を見ると、つい信じたくなるのですが、昭和21年4月からの6年間、厚木の学校に通っていた私は、そんな鉄道の存在を全く知りません。

他の資料を探してみると、相陽電鉄は該当区間の免許を取得したが、大正13年に神中鉄道に譲渡したとあります。
神中鉄道は相模川東岸の厚木駅(現海老名市)から横浜への鉄道を開通させたものの、相模川西側に手を出すことはできず、昭和8年に免許取り消しになったようです。

“盡信書不如無書”事例研究[78980]の1つと言えばそれまでですが、単なる誤記や勘違いでは済まされない、根の深い問題をはらんでいます。

【追記】
相陽電鉄に関する上の記事は、営業した鉄道線としての存在 を否定を示しつつ、免許計画路線については 肯定的な態度で、「すべてを信用してはいけない」事例として示しました。
[79100] MI さん から紹介していただいた 贋誌百珍により、作者自身が「架空鉄道」という言葉を使っていることが明らかになりました。

そこで、厚木東町の「厚木町駅」の存在、東急>小田急への編入、相模川砂利輸送[41660]への関与などは、事実と違う「架空の話」であることを明記して、誤解を避けたいと思います。
免許に関して、その取得、神中鉄道への譲渡、失効などが事実であったことも、MI さん により確認していただきました。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のように一目でわかる架空鉄道と違い、部分的に事実を織りまぜた架空鉄道作品は、読者に事実と誤解させるおそれがあります。末端頁からでも、架空であること示した頁へのリンクを付けておいてほしいものです。
【追記終】

ついでに、[79084][79085]の「大多摩」
私も初耳。1946年に観光連盟の前身である社団法人大多摩施設協会創設の際に、
大多摩の命名は吉川英治先生である。
この時点では、「東京都西多摩郡地域の行政組織」を会員としていたので、西多摩本家の「分離型」?

あまり市民権を得た地名ではないようですが、大多摩観光施設協会 を眺めているうちに、吉川英治さんは「大利根」という言葉から「大多摩」を連想したのかな とも思えました。
でも、平地を悠々と流れる「大利根」に対して、山地を激しく流れ下る「大多摩」は、イメージが根本的に違いますね。
[79098] 2011年 8月 15日(月)12:18:51ハル さん
十番勝負
 お久しぶりです。

 問三 盛岡市
 問四 秩父市
 問五 熊野市
 
[79097] 2011年 8月 15日(月)11:38:25k-ace さん
大町市黒部ダム?と大多摩、一之瀬
昨日青春18きっぷで東海道本線の新快速(JR東海)に乗ってたら中吊り広告に
「今年の夏は、涼しい大町・白馬山麓へ」の横の中吊り広告に3か所の風景があったのですが、栂池自然園(小谷村)、八方池(白馬村)、黒部ダム(大町市)とありました。小谷村、白馬村は全く問題ありませんが、黒部ダムが大町「市」? 大町市(信濃大町・扇沢)は立山黒部アルペンルートの東端ではありますが、黒部ダムは富山県立山町ですが。それを大町「市」とは…。

[79085]Issieさん
「大多摩」の件、検索すると、その観光連盟関連を除くと、大多摩ハム(福生市)等企業名に使われている例ですね。私が八王子市で見たのも企業名です。

ただし,甲州市のうち旧塩山市北部の一之瀬地区は丹波山村とともに多摩川水系に属します
一之瀬地区近くを国道411号で通ったことがありますが、柳沢峠ではなく妙なところに甲州市・丹波山村境があったので不思議でしたが、一之瀬地区だと峠越えしても奥多摩方面より塩山方面のほうが近いから? ただいくらか改良されているとはいえきつい峠道ですが…。
[79096] 2011年 8月 15日(月)09:35:20小松原ラガー さん
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負
随分御無沙汰しております。小松原ラガーです。

問一:三木市

ほぼ参加をあきらめていたのですが、お盆で帰ってきたように発作的に参加してしまいました。(って、怖い、怖い。。。^o^)
[79095] 2011年 8月 15日(月)09:10:47白桃 さん
十番勝負
問二:鹿島市

最後の回答?だのに、こんな安易な答え方ではダメですね・・・
[79094] 2011年 8月 15日(月)08:44:09デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問一 富士市
問四 山口市
[79093] 2011年 8月 15日(月)07:19:02白桃 さん
十番勝負
問一:総社市
[79092] 2011年 8月 14日(日)23:56:42【1】千本桜 さん
仙台区の町
88さん、むっくん さん。
[78879]でお約束したとおり、宮城県の「明治11年更正区画」を入手し、仙台区を構成する町について分析しているところです。しかし、その前に

1)・88さんが明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等を作成する際に資料とした新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)は何を資料にして編纂された物なのか。

2)・仙台区は郡区町村編成法により誕生し、明治11年から同22年まで存在しました。その間、仙台区に属した町、つまり88さんがまとめられた市制町村制施行前の町村名等に列記された町々はそれぞれが明治22年まで独立した自治町でありえたのか。

上記の事柄を明確にしておかないと意味のない分析になるような気がして空しいのです。和泉橋警察署編「新旧対照市町村一覧」は、誤字や記載漏れを単発的に指摘しても済まない問題を抱えているように感じます。どうか、1)と2)の答えを教えてください。

●誤記訂正
参考にした資料をそのままに、冒頭で「明治11年更正区書」と書きましたが、入手したコピーには手書きで「更正區畫」と書いてあります。いまふうに書けば「更正区画」になりますね。「区書」を「区画」に訂正しました。
[79091] 2011年 8月 14日(日)23:36:33鳴子こけし さん
十番勝負
問二:三次市
[79090] 2011年 8月 14日(日)23:25:18【1】ぺとぺと さん
レスもろもろ
[78856]大龍エクスプレスさん
西尾市吉良町荻原字秋箱に関する情報ありがとうございました。遅くなってしまいましたが、さきほど修正いたしました。四季コレは手をいれなければいけない箇所が他にもあるのですが、「夏休みの宿題」のようにすっかり溜め込んでしまい、なかなか身動きがとれないでいます。

[78860]88さん  
思いつきに近い指摘であったにもかかわらず、丁寧にレスいただきありがとうございます。神奈川県令が「松田総領」となっていたのには、表記の揺れレベルとはいえ正直驚きました。
今後何か気づきがあった場合は、県令などをあたった上で書き込みたいと思います。

<以下追記>
書き込んだ直後に[79089]大龍エクスプレスさんの記事に気がつきました。ご指摘いただいた松江市の2件についても追加で修正いたしました。ありがとうございました。
[79089] 2011年 8月 14日(日)23:24:21【2】スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
地名コレクション情報提供(合併篇)
8/1合併分です。

EMMさん
「鼻」コレクション
崎田鼻 八束郡東出雲町揖屋町→松江市東出雲町揖屋
※mapionでは、松江市東出雲町揖屋「町」と出たんですが、yahoo!地図、日本郵政では「町」は含みません。微妙。

ぺとぺとさん
「四季」コレクション
春日 八束郡東出雲町→松江市東出雲町
春日台 八束郡東出雲町春日→松江市東出雲町春日?

油天神山さん
「町名の○○ヶ丘」コレクション
大字下意東富士見丘 八束郡東出雲町→島根県松江市東出雲町下意東富士見丘

以上です。お目汚し、失礼しました。

【1】四季コレクションを見ていたら、[78670]とかぶるところがあったので報告します。
平成17年度住居表示実施地区
平成19年度住居表示実施地区
平成20年度住居表示実施地区
により、旭川市春光六区、春光五区は廃止された模様です。

【2】混乱を承知で追記します。すみません。
上記の資料から、春光○条についても変更があることが分かりました。
春光一条:七~九丁目(七~八丁目追加)
春光二条:七~九丁目(七丁目追加)
春光三条:六~九丁目(七~九丁目追加)
春光四条:一~九丁目(七~九丁目追加)
春光五条:一~九丁目(変更なし)
春光六条:一~九丁目(変更なし)
春光七条:二~九丁目(変更なし)
以上です。
[79088] 2011年 8月 14日(日)23:03:06ぺとぺと さん
おおはたの
[78793]hmtさん
私は秦野市には住んだことはありませんが、何かと行く機会も多く、また同僚も多く住んでいる街ですので、[78793]は非常に身近に感じられました。また、[49406]で交通由来町名コレクションに“大秦野駅に由来すると思われる町名”を投稿した経緯もありますので、少し調べてみました。
従って、1927年4月に小田急が開通して、水無川の南岸に小田急の「大秦野駅」ができた当時の所在地は 南秦野村と思われます。字名は知りませんが、「大秦野」という地名があったわけではないようす。
おっしゃるとおり、駅が設置された場所は当時「南秦野村大字尾尻字竹の下」でした。当時の周辺地図を確認しましたが、「大秦野」なる地名は大字・小字ともに存在しません。
「大秦野駅」も、この仲間であることは確かですが、どうもすっきりしません。なぜ 南秦野駅(又は 新秦野駅、相模秦野駅)でなかったのでしょう。
「大秦野駅」の命名経緯については、命名当事者である小田急電鉄の社史(二十五年史・五十年史)では確認できませんでした。一方、秦野市発行の「秦野市史研究第9号」(1989年3月)にある櫛田和幸氏の記事によると、当時秦野町と南秦野村の間で駅の設置場所に関する激しい争奪戦があったようです。同記事は当時の新聞記事を数多く紹介し「大秦野駅」設置に至る経緯を記したものですが、要約すると概ね以下のとおりです。
・ 会社の計画では当初、秦野町内に停車場を作る予定であった。
・ 秦野町内で駅の設置場所を巡り、地区毎の激しい争奪戦が繰り広げられ、町長の不法議決問題にまで発展する。
・ 住民の意見をまとめることが出来なかった秦野町は、会社側に駅の位置について白紙委任してしまう。
・ そうした中、南秦野村の有力者達が敷地の無償提供等を目玉に誘致にむけた猛運動を開始。会社は地形や敷設技術、敷地の取得等の事情を考慮し、もともと予備線として計画していた南秦野村ルートに寄っていく。
・ 形勢の悪くなった秦野町では住民の投書や陳情が相次ぎ、誘致に向けた交渉を会社側と開始。一方の南秦野村内においても、有力者が二派に分かれて「竹の下」地区と「カヤノ木」地区で誘致合戦が繰り広げられる。
・ 結局、会社側の意向で南秦野村「竹の下」地区に設置が確定する。
・ なお、このときの会社側の説明では、「駅の出入口を南北2ヶ所にする」、「このような扱いは厚木以外にはない」とあり、これを反対派への説得材料のひとつにした可能性がある。結果、南北2ヶ所に改札口が設けられたが、南側の改札口はすぐに廃止されてしまい、秦野町側の北口のみが使用されるようになった。
このような経緯を踏まえると、会社は技術上の問題や土地の取得しやすさといった観点から農村地帯であった南秦野村に駅を設置したものの、実態としてはたばこの専売工場を抱え地域の中心であった秦野町の方向を向いていたのではないかと推察されます。そうすると、「南秦野駅」ではいかにも具合が悪いという気がします。
ところで、当時の「横浜貿易新報」の記事に興味深いものがありましたので、一部を引用します。

煙草の秦野(一)桃源の夢破らるる 小田鉄停車場敷地問題紛争
中郡の桃源と言われた、秦野町に時ならぬ革命の嵐が巻起った。伝統的に円満そのものの如き秦野の自治体は、見るも惨ましい諸傷を負った。町長は為めに職を退き、町議は二派に岐れて血で血を洗う兄弟喧嘩に寧目のない有様である。この惨風は更に隣村南秦野に今又秦野町と同じ擾乱の渦中に陥らしめんとしている。(以下略、1925(大正14)年9月26日)

煙草の秦野(三)色眼鏡を外せば当然カヤノ木が好適地 大秦野の将来
秦野は将来、隣村四ヶ村を合して、所謂グレート秦野を出現すべき運命にある。然してその中心力はと言えば、現在の趨勢から西南に発展すべきは明らかな事実である。(以下略、1925(大正14)年9月29日)

引用した二つ目の記事では、見出しに「大秦野」、本文に「グレート秦野」との記載があります。記者の主観が多分に入っている可能性はありますが、かなり以前からhmtさんが[78793]で書かれた
地元には、周辺地域を含めた「大秦野」構想があり、この言葉が「気に入られる名前」だったのでしょうか。
といったような土壌があったことを想像させる内容です。
そのほか、1946(昭和21)年の「神静民報」に「大秦野市は実現するか」という見出しの記事があり、そこでは茅ヶ崎市の発足を例にとって秦野地域の合併について論じられています。また、1954(昭和29)年4月19日には、秦野町内の各種団体により「大秦野合併促進協会」なる組織が設立され、秦野地域の大合併に向けた動きが始まっています。それより少し前の1951(昭和26)年初頭には、秦野町長が発起人となり東秦野村、南秦野町、北秦野村、西秦野村、大根村と協力して丹沢観光の振興を目的とする「大秦野観光協会」を設立しています。残念ながらこれらが「おおはたの」と呼ばれていたかどうかは定かではないのですが、当時は「はだの」と「はたの」の区別も曖昧だったようで、「おおはたの」だった可能性も十分ありえます。

「はだの」と「はたの」の呼称の曖昧さについては、1948(昭和23)年撮影の新制秦野中学校(現在の本町中学校)の校門に「HATANO JUNIOR HIGHSCHOOL」と記載されていることからも分かります。一方、その後1952(昭和27)年に撮影された野球部のユニフォームの胸文字は「HADANO」。このことについては、秦野市教育史の第三巻通史編に以下のような記載があります。

当時は特に読み方についての統一的な決まりもなく、したがって日常会話でも「ハタノ」・「ハダノ」と二通りが用いられていた。

[78793]hmtさん
鉄道と全く無関係の分野でも、1950年に 神奈川県立秦野高等女学校が、神奈川県立大秦野高等学校と改称しています。
残念ながら、秦野女子高校から大秦野高校への改称の経緯に関しては、秦野市教育史や大秦野高校70周年記念誌では確認できませんでしたが、“鉄道の駅”は地域の重要なランドマークであり、周辺地域から通学する学生にとっても所在地が分かりやすいという利点を考慮してのものと推測します。これも推測の域を出ませんが、「大」という字に“大きく発展するように”という思いがこめられていたのかもしれません。[61276]Issieさんは、
「秦野高等学校」は,旧制秦野中学校 が名乗ってしまったからですね。ここで「秦野女子高等学校」とか「秦野第二高等学校」,「秦野西高等学校」などではなく「大秦野」を名乗ったのがユニークではあります。
とおっしゃっていますが、大秦野高校と同時に改称した女子高等学校(横浜平沼・横浜立野・上溝・横須賀大津・平塚江南・小田原城内・厚木東)のうち方角名称を使用したのは厚木東のみ(平塚江南は微妙ですが)。当時、方角名称は “流行”ではなかったのかも知れません。
[79087] 2011年 8月 14日(日)18:03:40オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第七回採点 & 第二ヒント)
七回目の採点を行いました。解答総数12件、うち正答11件でした。まりんぶる~さん、桜トンネルさんが新たに完答となりました。完答者は合計6名です。油天神山さんとEMMさんが9問リーチ、8問で5名の方が続いています。

では、予告しましたように第二ヒントを提示します。
また、明日の午後9時頃には第八回目の採点と同時に第三ヒントを提示する予定です。

◆第二ヒント
共通項を特別区と町村にまで広げると次の区町村が該当します。

問一:神奈川県中井町
問二:愛媛県伊方町
問三:北海道遠軽町
問四:青森県鰺ヶ沢町
問五:東京都小笠原村
問六:三重県菰野町(米原市に代わり)
問七:長野県飯島町(飯田市に代わり)
問八:三重県朝日町(一番最初)
問九:東京都世田谷区(那覇市の次)
問十:群馬県中之条町(長岡市の次)

では、引き続きお楽しみください。

解答状況の確認ページ:
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(ランキング)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(メダリスト)

採点漏れ、採点ミスなどお気づきの点がありましたらご指摘ください。
[79086] 2011年 8月 14日(日)04:49:07ソーナンス さん
第三十二回十番勝負
問一:寒河江市
問九:西宮市


こんな時間まで何やってんだか…(汗
[79085] 2011年 8月 14日(日)00:29:40Issie さん
大多摩
[79084] k-ace さん
さて、「大多摩」とはどこのことなのか?

実は初めて聞きました,「大多摩」。
件の観光連盟のHPを見ると,その前身の「社団法人大多摩施設協会」が設立されたのが1946年とずいぶん古いのですね。その割にはあまり一般的に知られた地域概念ではないように思います。
「大」がつくのは,基本的に「多摩」が“東京都限定”という暗黙の了解が前提になっているのかもしれません(川崎市に「多摩区」がありますが)。多摩川の上流も山梨県内では「丹波(たば)川」ですしね。

山梨県北都留郡2村があるのはやはり多摩川の源流があり、奥多摩町と密接な関係があるからでしょうか。

昔は丹波山村から(というより,奥多摩町の氷川駅から?)塩山方面に向かうバスがあったらしいし,小菅村にはシーズン中の土日限定だけど上野原からのバスが10年ほど前から入るようになったけど,今ではこの2村へのアクセスはもっぱら奥多摩町からで,山梨県本体とのつながりはかなり弱いのではないかと思います。
その意味では,この2村が奥多摩,ないしは西多摩地方と一つの塊をつくるのはごく自然なことではあるでしょう。むしろ北都留地方の大月市や上野原市,あるいは甲州市と一体のまとまりを作ることの方が無理に思われます(ただし,甲州市のうち旧塩山市北部の一之瀬地区は丹波山村とともに多摩川水系に属します)。

ところで「丹波山(たばやま)村」や「丹波(たば)川」の「たば」は「たま(多摩)」との関連が想定されています。で,丹波山村と小菅村の間に「大丹波峠」という峠があります。これと「大多摩」が関係あるかどうか。
ちなみに,奥多摩町の東部にも「大丹波(おおたば)」「小丹波(こたば)」のペアーがあって,「大丹波川」も流れていますね。
[79084] 2011年 8月 13日(土)23:21:19【3】k-ace さん
十番勝負ブレイク、大多摩
問一について。牧之原市に惹かれたら真庭市解答となりました(謎?)

本題。
冠「大」地名というか広域名称ですが。八王子市に来て、いわゆる「三多摩」だけでなく「大多摩」というのも見かけます。
さて、「大多摩」とはどこのことなのか?
社団法人大多摩観光連盟には
ここでは、主に、東京都青梅市・福生市・羽村市・あきる野市、東京都西多摩郡瑞穂町・
日の出町・檜原村・奥多摩町及び山梨県北都留郡丹波山村・小菅村の2村、
合計4市3町3村の10市町村の地域の会員情報を目的別・地域別にご案内しております。
とあります。山梨県北都留郡2村があるのはやはり多摩川の源流があり、奥多摩町と密接な関係があるからでしょうか。
過去には八王子市や相模湖町(現・相模原市)も一時的に加盟していたようですが。
ただ「大多摩」を指す具体的範囲がよく分からない。西多摩+丹波山村・小菅村??? でも「大多摩」の文字、八王子市でも見かけるんですが…。といっても一件だけだけど。

#リンク追加。その他文章表現を微修正。
[79083] 2011年 8月 13日(土)23:00:17k-ace さん
第三十二回・十番勝負
問一:真庭市
[79082] 2011年 8月 13日(土)22:56:21ひぃ さん
十番勝負
問八 鳥栖市
[79081] 2011年 8月 13日(土)22:53:28ひぃ さん
十番勝負
問九 さいたま市
[79080] 2011年 8月 13日(土)22:10:25BANDALGOM さん
「三大都市圏+札仙広福」以外の単独市制施行
残暑お見舞い申し上げます。

[79067]グリグリさん
[79068]山野さん

川口市・鳩ヶ谷市の合併については、毎日官報をチェックしていましたが、昨日の時点で告示には気付きませんでした。

「告示」という項目には目を通していたのですが、まさかと思って官報のサイトに行ってみても、やはり情報なし。
しかし、リンクされているのはどう見ても官報の体裁ですし、おかしいなと思っていたら、何と「号外」で告示されていたのですね。まさか、こんなことがあるとは…。

私は町村の単独市制施行について、高校時代から関心を持ってきましたが、野々市市は、単独市制施行の人口要件が「5万人以上」で固定された昭和51年以降では、豊見城市に次ぐ「三大都市圏+札仙広福」以外の地方都市圏での単独市制ということになります。

以下、昭和51年以降の単独市制の事例を挙げ、地域についても付記します。
月日市名地域
昭和51年(1976)9月1日埼玉県坂戸市首都圏
昭和52年(1977)11月1日京都府八幡市近畿圏
昭和53年(1978)11月1日神奈川県綾瀬市首都圏
昭和56年(1981)4月1日千葉県浦安市・同四街道市首都圏
福岡県宗像市福岡都市圏
昭和57年(1982)4月1日岐阜県可児市中京圏
福岡県太宰府市福岡都市圏
昭和61年(1986)6月1日茨城県牛久市首都圏
10月1日埼玉県幸手市首都圏
昭和62年(1987)10月1日大阪府大阪狭山市近畿圏
昭和63年(1988)4月1日広島県廿日市市広島都市圏
平成3年(1991)4月1日千葉県袖ケ浦市首都圏
9月1日埼玉県鶴ヶ島市首都圏
10月1日埼玉県日高市首都圏
大阪府阪南市近畿圏
奈良県香芝市近畿圏
11月1日東京都羽村市首都圏
平成4年(1992)4月1日千葉県八街市首都圏
10月1日福岡県前原市(現・糸島市)福岡都市圏
平成6年(1994)10月1日愛知県日進市中京圏
平成8年(1996)4月1日埼玉県吉川市首都圏
千葉県印西市首都圏
9月1日北海道北広島市・同石狩市札幌都市圏
平成9年(1997)4月1日京都府京田辺市近畿圏
10月1日福岡県古賀市福岡都市圏
平成13年(2001)4月1日千葉県白井市首都圏
10月1日滋賀県栗東市近畿圏
平成14年(2002)2月2日茨城県守谷市首都圏
4月1日千葉県富里市首都圏
沖縄県豊見城市那覇都市圏
平成18年(2006)4月1日和歌山県岩出市近畿圏
平成22年(2010)1月4日愛知県みよし市中京圏
平成23年(2011)11月11日予定石川県野々市市金沢都市圏
平成24年(2012)1月4日予定愛知県長久手市中京圏

未定
岩手県滝沢村 盛岡都市圏
宮城県富谷町 仙台都市圏
埼玉県白岡町・千葉県大網白里町 首都圏
愛知県東浦町 中京圏
広島県府中町 広島都市圏
福岡県那珂川町 福岡都市圏

三大都市圏+札仙広福以外の地方都市圏での単独市制施行は、この30年余りで豊見城市と野々市市だけ。
あとは滝沢村がどうなるか、それと北海道音更町も潜在的な可能性があるところですが、こうして見ると、野々市市も稀有なケースということになります。
[79079] 2011年 8月 13日(土)21:49:57伊豆之国 さん
十番勝負
問二:鹿嶋市
[79078] 2011年 8月 13日(土)18:49:11伊豆之国 さん
十番勝負
問三:春日部市
[79077] 2011年 8月 13日(土)18:44:10デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問三 盛岡市
[79076] 2011年 8月 13日(土)18:24:30おがちゃん さん
十番勝負
問一:大垣市

こんなのでいいのかな?
[79075] 2011年 8月 13日(土)18:22:05桜トンネル さん
第三十二回全国の市十番勝負&真岡市
こういうことやったんや!

問二:白河市

これでやっと完答。南城市について詳しくなりすぎたけど、これは見逃していた。やっぱりこっち系は苦手だなぁ。
[79074] 2011年 8月 13日(土)18:16:54まりんぶる~ さん
第三十二回 十番勝負
問一:南国市

うーん、悔しいなぁ。
[79073] 2011年 8月 13日(土)18:10:25おがちゃん さん
十番勝負
問三:苫小牧市

はぁ・・・。
[79072] 2011年 8月 13日(土)18:04:07白桃 さん
宮城県7月1日推計人口
平成22年国勢調査確報値に基づく23年7月1日の推計人口によりますと、震災被害の大きい市町の国勢調査確報値からの減少数は
仙台市△639人、石巻市△8,276人、名取市△1,210人、気仙沼市△3,741人、多賀城市△1,581人、塩竃市△544人、
岩沼市△457人、東松島市△2,266人、亘理町△1,066人、七ヶ浜町△480人、山元町△1,931人
と、なっております。(南三陸町と女川町は未発表)
[79071] 2011年 8月 13日(土)18:00:09【2】オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第六回採点 & 第一ヒント)
六回目の採点を行いました。解答総数3件、すべて正答でした。
では、予告しましたように第一ヒントを提示します。
また、明日の午後6時には第七回目の採点と同時に第二ヒントを提示する予定です。

◆第一ヒント
以下のアナグラムを解読すると各問の共通項に関連する文章が現れます。

問一:古今の雑記事(ここんのざつきじ)
問二:ハミングした蚊(はみんぐしたか)
問三:愛と合唱(あいとがっしょう)
問四:双子放つよ(ふたごはなつよ)
問五:遺伝子は金だ(いでんしはきんだ)
問六:熟すナイン(じゅくすないん)
問七:奥は別段(おくはべつだん)
問八:不作讃えん(ふさくたたえん)
問九:純粋見た(じゅんすいみた)
問十:切ない邪心(せつないじゃしん)

では、引き続きお楽しみください。

解答状況の確認ページ:
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(ランキング)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(メダリスト)

採点漏れ、採点ミスなどお気づきの点がありましたらご指摘ください。

【追記】問八のヒントを訂正
[79070] 2011年 8月 13日(土)14:01:49hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (9)町と村との実体的な違い
[79006] hmtの発言
「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。
町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。
町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
に対する 88さんのご意見[78998][79058][79059]を拝読しました。

[79058]では、
現在の地方自治法においても、町と村の間に相違はなく、単に名称の相違といっても過言ではありません。
としながらも、第8条第2項を挙げて、町となるためには、都道府県条例で定める要件を具えるべきことを指摘されました。
町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。

市となるべき要件(第1項)のように、直接法定された要件ではありません。
しかし、間接的ながらも 法律に根拠を持つ 「町と村との実体的な違い」が、これにより示されたものと理解します。

これは、昭和23年から施行された改正規定です。それ以前については、下記の回答をいただきました。

「町」と「村」の違いは、町村制時においても、現在の地方自治法第8条第2項と同様の規定があるはず、と考えているのですが、発見できていません。これは【内務大臣許可等の】手続きを要することから、何らかの目安となる基準があるであろうこと、また、地方自治法もこれを踏襲したであろうこと、からの私の想像(確信)です。(中略)引き続き探します。

じっくりお探しください。

[79059]
変更種別は、市区町村変遷情報のデータベース構造自体にも大きな影響を与えますので、外観上の表記だけで決定することはできません。グリグリさんとも協議の上、決定する必要があります。

「町制」・「村制」を簡単に変更できない事情があること、了解しました。
[79069] 2011年 8月 13日(土)13:28:30【1】Issie さん
大阪都制
[79065] グリグリ さん
とここまで書いていて、大阪府が大阪都になった場合も「呼称変更」でよいのかどうか疑問が生まれました。

やはり,単なる「呼称変更」では済まないケースであろうと思います。
“二重行政”の弊害を解決するということを主眼に置く「大阪都」構想であるなら,その核心となる内容は「大阪府による大阪市の吸収」ということになるのでしょう。この場合,「村→町→市」あるいは「府→都」という“横”の異動だけでなく,(建前上,上下関係があるわけではないものの)「市→都」という“縦”の異動が起こるわけで,かなり大きな制度変更になり,したがって単なる「呼称変更」の範囲内には収まらない,と考えます。

「東京都」の場合は,東京市の区域について“府県階層”と“市町村階層”の2階層にまたがって行政を担当する“新しい制度”の創設であったわけで,そこで法律であるところの「東京都制」が新たに定められるとともに,「府」ないし「都」は“国の地方官庁”で,その改廃や知事・長官以下の官吏の任免は「天皇大権」の1つ(大日本帝国憲法第10条)でありましたから,この部分については法律ではなく勅令「地方官制」も改正されて実現したものです。
「都制」とは,これら一連の手続きを経て導入された「(東京)都という制度」という意味だと思われます。単に「東京都制」という法律が施行されたという意味ではないだろう。
その後の「地方自治法」では,“既にある制度”として他の道府県と同列に扱われることになるわけですが。

「大阪都」の場合はどうなるか。
知事は国会に足場を持っておらず,国会の二大政党等とも全く無関係に,他の都道府県との連携もなく,あくまでも“大阪府単独”で動いているように見えますから,恐らくは「地方自治法」を変えてということはなく,この法律の範囲内で,ということにならざるを得ないのでしょうが,その中でどうやって「市」を吸収し「都」となるのか。
そう言えば,この人は元々弁護士さんですから“法律の専門家”であるのでしょうが,地方行政法という分野についてはどうなのか。

一連の市制・町制・村制の話題については,みなさんの詳細な考察があるのでそちらに譲るとして,とりあえず私はこう考えます。

・かつて存在し,現行憲法・地方自治法下では効力を持たない「市制」「町村制」という法律があった(←この2つ,最初に1888(明治21)年には“1つの法律”(法律第1号)として公布されていますが,1911(明治44)年の改正で別個の法律(市制:第68号,町村制:第69号)に分離しています)。
・この体制の下では「市」になることは法律「市制」を施行することであり,その意味で「市制施行」という表現は正当である。
・しかし,「村」が「町」になる際に新たに「町制」という名前の法律(←実際には存在しない)を施行するわけではない。その意味では「町制施行」という表現は正当ではない。
・ところで,当時の6大市には「区」が設置され,これを「区制」と呼ぶことがあるが,そのような法律は存在しない。
・一般的に1889(明治22)年に導入された基礎レベルの地方制度を「市町村制」と呼ぶ。しかし,「市制・町村制」とは通常呼ばない。なぜなら,これは法律名による呼称ではなく,全国を「市・町・村」に区分して自治を行う制度,というほどの意味で用いられていると思われる。
・「町制」「村制」「区制」も同様の意味で用いられていると考えられる。「市制」,あるいは「郡制」「府県制」は同名の法律が存在し,その区分が曖昧だが,同様に「市という制度」と捉えることも可能だろう(ただし,単独で「府制」「県制」と呼ぶ例はあまりないような気がする)。
・「~という制度」という意味での呼称であれば,法律である「市制」「町村制」「郡制」「道府県制」(←1946(昭和21)年に「府県制」から改称)「東京都制」が廃止され効力を失っても成り立ち得るものと思われる。
・現行地方自治法下において,それらの呼称は法律上の根拠を持つものではないかもしれないが,慣習的な呼称としては(自治体自身も含めて)広く行われているものであり,「正当でない」わけでは必ずしもない。
・だから,場合に応じては「市制」「町制」「村制」その他の呼称を用いることもあり得るだろう。

……何だか,書いていてさらによくわからなくなりました。
ただ,話の最初の方の「宿」「駅」「浦」等については,少なくとも近代の地方制度(たとえば「郡区町村編制法」以降)としては“そのような制度”があったわけではなく,末尾がどのような呼称であれ,「村という制度(村制)」や「町という制度(町制)」の中に含まれるものだと考えています。
[79068] 2011年 8月 13日(土)12:59:28山野[山野] さん
官報告示(川口市)
グリグリさんへ
昨日の官報告示の件ですが、もう1件ありました。
川口市と鳩ヶ谷市の合併も告示されました。(官報告示
更新お願いします。
[79067] 2011年 8月 13日(土)11:52:41オーナー グリグリ
野々市町の市制施行が官報告示されました
山野さんからメールでご連絡いただきました。昨日の官報(pdfファイル)で野々市町の市制施行が告示されました。せっかくなので内容を全文引用しておきましょう。
〇総務省告示第三百八十六号
   町を市とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定に基づき、石川郡野々市町を野々市市とする旨、石川県知事から届出があったので、同項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成二十三年十一月十一日からその効力を生ずるものとする。
  平成二十三年八月十二日            総務大臣 片山 善博

やはり山野さんに教えてもらいましたが、この告示の隣に仙台市と名取市の境界未定地域が確定した告示がありました。[79063] hmtさんが話題にしている都県にまたがる境界未定地域ではなく、宮城県内での境界未定地域です。こちらも告示内容を引用してみます。
〇総務省告示第三百八十七号
   市の境界の確定
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第九条の二第一項の規定に基づき、仙台市と名取市との境界を次のとおり決定し、これが確定した旨、同条第五項の規定に基づき、宮城県知事から届出があったので、同条第六項において準用する第九条第六項の規定に基づき、告示する。
  平成二十三年八月十二日            総務大臣 片山 善博
このあとに境界線の説明が地図とともに記載されています。
[79066] 2011年 8月 13日(土)11:00:09ソーナンス さん
十番勝負
問八:みよし市


ヒント前に答えられるのは自分の実力ではここまででしょう^^;;
[79065] 2011年 8月 13日(土)07:51:22オーナー グリグリ
Re:市制・町制・村制
[78998][79058][79059] 88さんの詳細説明をじっくり読ませていただきました。併せて、[65108]なども読み返してみました。完全に理解できるまでには追い付けてはいませんが、大いに理解を深めることができました。たゆまぬ調査と鋭い考察に敬意を表するとともに、深く感謝いたします。

漠然と「町制・村制」は「町村制」とまとめる方が妥当なのかなと考え始めていたのですが、時代によって軽重の違いはありますが、制度として根拠があり明確に区分できると考えてよいということが分りました。

[79059] 88さん
「府中駅→府中町」は、「町」のままの呼称変更ですから、改称でも町制でもないのはご指摘のとおりです。現在の「改称」との変更種別は適切ではありません。
例えば、「接尾辞変更」という変更種別を新たに項目として起こす、といったことが妥当でしょう(もっといい表現があれば、と思いますが)。
前から気になっていたのですが、都道府県市区町村の「都・道・府・県・市・区・町・村」の部分の総称(一般呼称)を作りたいです。上記88さんの「接尾辞」に当たる部分です。何かよい語句があればそれを定着させるチャンスだと思います。「自治体種別」は「主体」の意味ですから違います。「自治体呼称」あたりが一番近いかと思うのですが。

市町村の「主体」と「~市・~町・~村」は現在は完全に一対一の対応が取れていますが、考えてみれば、都道府県の場合は「~都・~道・~府・~県」と自治体呼称に変化があります。自治体呼称をどう呼ぶかについての悩みが、今回の議論を契機に「都道府県市区町村」全体に広がったと考えられます。「接尾辞変更」を「呼称変更」としましょうか。「自治体呼称変更」ではちょっと長いので。

とここまで書いていて、大阪府が大阪都になった場合も「呼称変更」でよいのかどうか疑問が生まれました。過去の東京府が東京都になったケースでは「都制」としています。これは制度の変更を伴い主体が変化したと考えてよいのでしょうか。となると都道府県というのは各々に主体の違いがあると考えられるのでしょうか。主体の定義について少し分らなくなりました。
[79064] 2011年 8月 13日(土)07:39:51オーナー グリグリ
直島町(井島)の林野火災(続報)
[79053]
単位はリットルで、12日は現時点(第11報時点)の数量。現時点までに320万リットルもの散水が行われています。
香川県の災害被害情報のページに第13報が出ていました。それによると12日16:00に鎮圧したようです。鎮圧までの散水量を更新しておきましょう。

香川県岡山県徳島県高知県自衛隊中型自衛隊大型自衛隊合計総合計自衛隊比率
8月9日9,60023,4006,60019,20058,8000.0%
8月10日32,40071,100213,5001,115,0001,328,5001,432,00092.8%
8月11日24,00044,100127,5001,335,0001,462,5001,530,60095.6%
8月12日13,200 25,200201,000175,000376,000414,40090.7%
合計79,200163,8006,60019,200542,0002,625,0003,167,0003,435,80092.2%

343万リットルあまりを散水してようやく鎮火したようです。鎮火後の山林の様子はどうなったんでしょうね。
[79063] 2011年 8月 12日(金)23:53:04【2】hmt さん
県境未定地域 江戸川分流点付近
香川県井島・岡山県石島の山火事に関連して、両県の境界未定区域との関連も 言及されています[79041]
この機会に、「都県にまたがる境界未定地域」について復習し、東京に近い事例の研究もしてみます。

[21603] てへへ さんは、国土地理院の「都県にまたがる境界未定地域」を紹介しています。当時は 20ヶ所ありました。
現在の国土地理院の面積調は、旧基準から現在の基準に改められた【注】 昭和63年分 まで遡ることができ、その 4~6コマには、1988年10月における 28ヶ所、合計面積13,361.54km2 の県境未定地域が列挙されています。

最新のリストは 2010年10月現在 で、県境未定地域の「数」は、14ヶ所と半減していますが、「合計面積」は12,833.85km2と、22年前に比べて あまり変りません。

【注】1988年にリセットされた面積データについては、[67248]で触れていますが、その詳細は「面積調査の方法」に記されており、例えば 面積調H21 の3~4コマで見ることができます。
同じ資料の5コマには、境界未定地域の市区町村面積につき、総務省自治行政局発行「全国市町村要覧」(平成21年版)に記載されている面積を参考値として*印を付し掲載したことも記されています。境界未定地域の市区町村面積の拠り所として使われている「参考値」の記載は、面積調H16以降です。

国土の面積 を補足する注記から 本題の「県境未定地域」に戻ると、例えば朝日山地は、以前は南北2ヶ所に数えられていましたが、村上市の新設合併により関係自治体が広域化したために、2008年からは両者が融合しました。自治体面積広域化のため、境界未定地域面積は拡大しました。
十和田湖は、陸上と水面の2ヶ所に数えられていましたが、2008年の青森・秋田県境確定で未定地域が消滅しました。
[66867]で 15ヶ所が列挙された後の 最も新しい変化は、2010年の熊本県・宮崎県境界確定です。これにより、椎葉五家荘の県境未定地728.31km2が消滅しました。

境界未定地域の面積は、必ずしも未定境界線の規模に対応するものではありません。境界線のほんの一部だけが未定であっても、広い面積の市区町村と関係していれば、境界未定地域の面積は大きくなります。
朝日山地が 3523km2という面積最大規模の県境未定地域になっているのは、鶴岡市、村上市など大きな面積の自治体に関係するためです。同様に、飛騨山脈も富山市などの面積が効いています。
結局のところ、境界線自体の確定や市町村合併が、ある程度は進行しているにもかかわらず、全国の境界未定地域の合計面積は、ずっと1万km2を超えたままであり[67267]、全国面積の 3.4%にも及びます。

公式資料には、県境未定地域の名称は記されていませんが、便宜上、それぞれの地域を代表する地名を付して、現存する 14ヶ所の「都県にまたがる境界未定地域」関係都府県名を列挙しておきます。

蔵王(宮城・山形)、朝日山地(山形・新潟)、小合溜(埼玉・東京)、江戸川(千葉・東京)、白馬(新潟・長野)、飛騨山脈(富山・長野)、富士山東(山梨・静岡)、富士山西(山梨・静岡)、伊吹山地(岐阜・滋賀)、木曽川(愛知・三重)、石島(岡山・香川)、英彦山(福岡・大分)、久住山(熊本・大分)、えびの(宮崎・鹿児島)

東京に最も近い県境未定地は、埼玉県境・水元公園の「小合溜」と、千葉県境の江戸川です。
今回は、江戸川改修で生まれた、東京・千葉県境未定地につき記します。

ウオッちず をご覧ください。
江戸川と旧江戸川とが分流する地点で、県境線が切れています。

そのいきさつを探ると、1915~1918年に行なわれた江戸川改修工事に行き着きます。
洪水時の余水を放出するために、現在の行徳橋付近で南西に向きを変えて流れていた江戸川を、そのまま南東に流す「江戸川放水路」が建設されました。この時に新旧河道の分岐点は少し上流側に設けられ、江戸川流路の一部は西に動きました。
地図で岬状に突き出ている三角地帯は、江戸川右岸から左岸になったわけです。

河川改修に伴い流路の反対側に取り残された土地が発生するのは珍しいことではなく、普通は、旧住所のまま 事実上の飛び地になって 残ります。時折、県境変更などにより是正されるの都度、落書き帳の話題になるのはご承知の通りです。

1918年江戸川放水路ができた頃の経緯は知らないので、当事者が千葉県なのか行徳町なのかも不明ですが、この頃に「江戸川流路の変更に伴い、東京との境界も西に動いた」という解釈が行なわれたのでしょう。

現在この地には、国土交通省江戸川河川事務所・江戸川河口出張所や 野球のグランドがあるそうです。探訪記
探訪者は、地図で市川市に「河原番外地」という表示を見つけて訪れたのですが、出張所の所長曰く“ここは東京都江戸川区東篠崎ですよ”。

たぶん、住民がいないので、問題が明らかになる機会が遅れ、長い間、東京も千葉も自分の領地だと思い続けていたのでしょう。

河川名について。江戸川放水路の 現在の名称は「江戸川」です(河川法改正1960?)。
しかし、江戸川放水路 という呼び名も、江戸川河川事務所自身により使われているのですね。
問題の境界未定区域を生んだ 短絡部分と、それより下流の河道は、「旧江戸川」が公式名。

【追記】
面積調によると、境界未定地域は、千葉県市川市、浦安市及び東京都江戸川区となっています。
上記の江戸川分流点は、市川市と江戸川区の境界ですから、浦安市が入っている理由がわかりません。
地図を見ると、旧江戸川の河口部分、舞浜大橋から先にも境界線がありませんが、TDLと葛西海浜公園との間には、問題になりそうな陸地は存在しません。
面積調では、この境界未定地域に、更に船橋市が加えられた年(H14)もあります。謎。
【追記2】
[79067]グリグリさんの記事にあった名取川河口部にも、問題になりそうな陸地は存在しませんでした。
しかし、面積調(宮城県)を見ると、仙台市若林区と名取市とは「境界未定」でした。
旧江戸川河口部、舞浜大橋から先の境界線のない僅かな部分には、陸地がなくても、やはり浦安市を「境界未定」とする原因になっているようです。あいまいな県境
[79062] 2011年 8月 12日(金)22:12:17ソーナンス さん
十番勝負
皆様、お久しぶりです。
引越しをして約3ヶ月。ようやくネットが開通したので十番勝負にも参加できます。

問五:観音寺市
問七:茅ヶ崎市


とりあえず分かるところから…
[79061] 2011年 8月 12日(金)22:01:02【1】k-ace さん
Re:冠「大」地名考
[79056]オーナー グリグリさん
鹿児島県の大根占村(現在は錦江町)など気になりますが、元地名の発展型ではなさそうです。
大根占村、小根占村(南大隅郡→肝属郡)の
(4) 大小のペア型(大船越)
ですね。どちらも1889年4月1日の町村制施行時に誕生しています。
小根占村は町制施行時に根占町になってます。
小根占村(→根占町1941年→南大隅町2005年)と大根占村(→大根占町1933年→錦江町2005年)が平成の大合併で別々に合併したのが興味深い。
その北に(肝属郡)大姶良村(→鹿屋市1941年)と姶良村(→吾平町1947年→鹿屋市2006年)もありました。
大姶良村は町村制施行時以前から大姶良村が存在していたのが気になります。姶良村は1889年4月1日の町村制施行時に誕生。
尚、肝属郡から離れた姶良郡の姶良町は1955年誕生(→姶良市2010年)。

(追記)
「アイラ」の件は[30011]作々さんに詳しい説明がありました。
[79060] 2011年 8月 12日(金)21:32:53オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第五回採点)
五回目の採点を行いました。解答は1件のみ。正答でした。
明日の午後6時に第一ヒントを提示します。
[79059] 2011年 8月 12日(金)20:26:0588 さん
市制・町制・村制 その3
関連して個別にコメントします。

[79006] hmt さん
この法律のタイトル「市町村名…変更ニ関スル件」と 第1条とを比較すると、「市町村名変更」に関して、「市町村ノ名称ヲ変更」と、「村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為ス」との2つの態様について 規定されています。
「三本松」という固有部分の変更ではないから 「名称ヲ変更」する手続には該当しないが、「三本松村」から「三本松町」へと「村ヲ町ト為ス」手続は、「市町村名変更」の一種です。
この「市町村名変更」を指して、「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶのだ と言われるならば、それまでなのですが、私としては、町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。
「三本松村→三本松町」の例の場合、「市町村名変更」(ただし、「改称」ではない)であり、
「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶ
これしかありません。同様に、「市制」も、「『市』という制度」を適用した、としか、言いようがないでしょう。
これまでにも述べてきたとおり、本来的に違いはなく、よく村→町、町→市、市→政令市などを「昇格」とも言いますが、決して本質は「昇格」ではないのと同じです。
変更種別に使用している「政令市」「中核市」「特例市」も、それらに指定された、としか言えないでしょう。

なお、参考までに、実例を挙げます。
直近の単独町制施行である、埼玉県大里郡大里村→大里町の総務省告示は次のとおりです。
○総務省告示 第九十四号
村を町とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定により、埼玉県大里郡大里村を同郡大里町とする旨、埼玉県知事から届出があったので、同項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十四年四月一日からその効力を生ずるものとする。
 平成十四年二月二十日 総務大臣 片山虎之助
用語としては「町制」も「改称」も、使用していません。
次に、直近の自治体名の改称の総務省告示の事例は次のとおりです。以前から述べてきたように、改称の根拠は当該自治体の条例であり、周知措置に過ぎない総務省告示ですが、町制施行との比較のためにも掲示します。
○総務省告示第一号
市の名称変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第五項の規定により埼玉県★田市から次のとおり市の名称を変更する報告があった旨、同条第六項の規定により埼玉県知事から通知があったので、同条第七項の規定により、告示する。
 平成二十三年一月四日 総務大臣 片山 善博 
一 変更後の名称
  蓮田市
二 名称を変更する日
  平成二十三年一月四日
(注:★=2点しんにょうの「蓮」)
市の名称変更に関する条例
平成22年9月3日
条例第17号
★田市を蓮田市に変更する。
附則
この条例は、平成23年1月4日から施行する。
(注:★=2点しんにょうの「蓮」(引用者が補遺))
――――――――
[79018] hmt さん
新「町村」が元になって 旧町村の「区域」を引き継ぐのか【明治の制度】、町村の「区域」が元になって 従来の町村の「名称」を引き継ぐのか【昭和の制度】、引継ぎを規定した条文が異なります。
明治22年は大規模な廃置分合を伴ったので「区域」に重点が置かれ、区域の変更がなかった昭和22年は「名称」の引き継ぎという条文になったのか。
明治の町村は旧制度からの「移行」であったのに、昭和の町村は「名称」を引き継いだだけの「新設」というほどの「実体の違い」を意味するものとも思われません。
地方自治法
第5条 普通地方公共団体の区域は、従来の区域による。
とあり、
第3条 地方公共団体の名称は、従来の名称による。
とあわせて、名称も区域も、従来のものを踏襲しています。
――――――――
[78867] hmt さん
「都道府県市区町村」(「地方行政組織」と言い換えてもよいかな?)の3要素、すなわち「区域」、「主体」、「名称」の変化に関するものを原則としたらいかがかと考えます。
という意見を記したことがありました[55567]
これは、当を得た発言であると思います。
この3要素の整理の状況についても、[78867] hmt さんが述べていらっしゃるとおりで、「区域」「名称」の変化に関するものについては、お蔭さまでもう悩むところはあまりありません。
「主体」の変遷を、市区町村変遷情報でどのように、どこまで取扱うかが懸案であり、まだまだ試行錯誤しそうです。
――――――――
[79006] hmt さん
これに関連して、三多摩移管後に行なわれた 東京府北多摩郡「府中駅から府中町への変更」についても一言。
現在の変遷情報の表記 は、変更種別「改称」となっています。
しかし、既に[65108] 88 さん 記されているように、「改称」の対象となるのは、「町」「村」を除いた「固有名称部分」です。
「改称」は本来は「谷保村→国立村」や「谷保町→国立町」でなく、「谷保→国立」です。「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
これは、「M23.8.30法律第77号市町村名…変更ニ関スル件」の第1条が、「市町村ノ名称ヲ変更」を「村ヲ町ト為ス」と別建てで挙げていることからも、妥当な解釈であると思われます。

「府中駅→府中町」の場合、固有名称部分は「府中」のままですから、「改称」ではありません。
府中駅が「町」として扱われていたのならば、「村ヲ町ト為ス」の類の変更でもないでしょう。
結局、内務大臣許可を必要としない例外的ケースではありますが、改称でも町制でもなく“町に変更”と書くのが、最も適切ということになります。
「谷保村→国立町」の件は、ご紹介の[65108]拙稿のとおりです。
「府中駅→府中町」は、「町」のままの呼称変更ですから、改称でも町制でもないのはご指摘のとおりです。現在の「改称」との変更種別は適切ではありません。
例えば、「接尾辞変更」という変更種別を新たに項目として起こす、といったことが妥当でしょう(もっといい表現があれば、と思いますが)。これは、[78797]拙稿で、
M22.4.1付け市制町村制施行時には、南多摩郡 日野宿 は市制町村制上の「村」であった場合、いつ、「町」になったのでしょうか。
と書いたことと関連してきます。仮に、
M22.4.1付けでは日野宿が「村」であり、M26.4.1付けで村のまま東京府へ移管された。そして、M26.6.19付けで、村である「日野宿」が、町である「日野町」となった。
と仮定します。この場合、このM26.6.19付けの変更種別は「接尾辞変更/町制」となります。

同様のものとして、M42._._付けの新潟県岩船郡粟島浦→粟島浦村がありますが、これは、自治体名が「粟島→粟島浦」、接尾辞が「浦→村」と考えるのが妥当とすると、[改称/接尾辞変更]となります(もっとも、この事例は、MIさんが更なる調査を予定しているとのことで、この情報自体を削除する可能性もあります)。

なおは、変更種別は、市区町村変遷情報のデータベース構造自体にも大きな影響を与えますので、外観上の表記だけで決定することはできません。グリグリさんとも協議の上、決定する必要があります。
#ちなみに、現に入力作業を行っているにもかかわらず、「敢えて表示しないように」設定している変更種別もあります。将来構想その他への布石でもあります。
――――――――
[79018] hmt さん
ついでに、この対比により 変遷情報の誤記 と思われる箇所を発見しました。
仙石原村 と 仙石原村 とは、いずれも 国府津村 の誤記ではないでしょうか。>88さん
単なる誤記でした。ともに 国府津村 と修正しました(M22.3.31付けM22.4.1付け)。
[79058] 2011年 8月 12日(金)20:25:59【1】88 さん
市制・町制・村制 その2
市制・町村制と、地方自治法は、近代・現代の地方自治制度を考察する大きな制度改正であり、この制度の相違点・類似点を比較検証することは、とても有意義なことであると考えます。

[79006] hmt さん
しかし、「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。
(引用者中略)
普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
そして、町村制施行後に行なわれた「○○村→○○町」については、町村制という制度内で行なわれた「町ヲ村ト為ス」市町村名変更処分ですから、変更種別は“町制”でなく“町に変更”と書くのが、実体を反映しているのではないでしょうか。
現在の地方自治法においても、町と村の間に相違はなく、単に名称の相違といっても過言ではありません(文献:※)。そういう意味では、地方自治法も、M21.4.25法律第1号町村制と変わりありません。
もっと言うと、地方自治法における「町・村」と「市」との違いも、その持っている権限は違いは多少ありますが、市町村(及び現在の特別区)が「基礎的自治体」(地方自治法第2条第3項)と考えると同じです。
(余談ですが、都道府県は、その役割が異なり基礎的自治体ではないものの、市町村より自治体として優位な立場にあるわけではありません。都道府県は、市町村を「包括」(地方自治法第2条第5項)するだけで、上位の自治体ではありません。例えば契約行為をするときにも対等です。)

という訳で、地方自治法下においても、市・町・村に根本的な違いがないことは、市制・町村制下と同じ状況です。
――――――――

「新版 地方自治法 第4次改訂版」(松本英昭著、学陽書房、H13.10.10初版発行、H20.2.25第4次改訂版3刷)p.102を引用します。
都道府県が制定する町となるべき要件に関する条例中に規定すべき事項としては上述したが、市と異なり、町と村は、本法においては全く区別はなく、単に名称の相違といつても過言ではない。他の法令においても町と村を区別したものはほとんどない(自動車の保管場所の確保等に関する法律(昭和37法145)附則第二項の適用地域等に関する経過措置の規定の適用を受ける地域について、同法施行令附則第二項第一号の別表において、町については経過措置の適用を受けないが、村については一部の地域を除き、経過措置の適用を受けるものとされている等の例はある。)そこで実際問題として、町となるべき要件に関する条例中の要件をあまり厳格にすることは望ましくなく、場合によつては自治体の経済的発展を阻害するおそれもあるとされているようである。殊に、町、村の規模の合理化が強く要請される今日にあつて、この条件を必要以上に高くするときは、町村の合併による規模の合理化を妨げる懸念もあり、適当な配慮が必要とされる。
なお、上記文中に出てくる法律等を参考までにリンクを張っておきます。
S37.6.1法律第145号自動車の保管場所の確保等に関する法律附則第2項
S37.8.20政令第329号自動車の保管場所の確保等に関する法律施行令附則第2項別表第1
この別表第1を見ると、村であっても比較的都市化が進んでいると見られる村が多く並んでいます。町か村かに捕らわれず、自動車の保管場所という実質的な側面から判断しているのでしょう。
もっとも、市や町の区域でも都市化が進んでいない地域もありますから、どこかで一定の線を引く必要があるのでしょう。

――――――――
時代を追って、地方自治法における市・町・村の要件について、記してみます。
★(1)地方自治法施行時
[78998] 拙稿で、当時の条文を紹介していますが、再掲します。(項番号は引用者が補足、以下同じ)
S22.4.17法律第67号地方自治法 (注:pdfファイル、50.6MB、制定当初のもの)の6-7コマ)
第八条 市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村は、その議会の議決を経て、都道府県知事の許可を受けなければならない。
帝国議会会議録検索システムからですが、第92帝国議会 貴族院 S22.3.23地方自治法案特別員会の「[015鈴木俊一]」をご覧ください。
地方自治法の制定にあたる帝国議会の委員会での審議の中で、政府委員である内務事務官鈴木俊一氏(内務省地方局行政課長、後の自治事務次官・東京都知事)の答弁です。旧字体を新字体に、旧かなは新かなに置換え、抜粋して引用します。地方自治法制定理由を概略的に説明しているのですが、第8条に関して次のように答弁しています。
第八条は新たに規定した分でありまして、「市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。」是が新たな規定であります、是は従来内務省が市制を施行致します基準と致しまして内規的に用意をして居つた点であります、是は今回は之を法律上明かに致しまして、人口は必ず三万以上なければならぬ、「都市的形態」と申しますのは、中心市街を成して居ります戸数が全体の戸数の六割なければならぬ、都市的な形態の戸数が全体の戸数の六割なくてはならない、斯う云うことを従来条件と致して居りましたが、それを抽象的に「都市的形態」と、斯様に規定致したのであります、其の他は従来と同様であります
[78833] hmt さん も述べられていらっしゃいましたが、市制町村制施行時以降は、市制町村制理由33コマ目、右ページの終わりから6行目もあるように、市については、
今此市制ヲ施行セントスルモノハ三府其他人口凡二万五千以上ノ市街地ニ在リトス
とあり、ほぼそのまま、それ以降も踏襲されていたことを裏付けています。
町・村については、具体的な説明を発見できませんでした。

★(2)S22.12.12法律第169号地方自治法の一部を改正する法律(附則第1条によりS23.1.1施行)による改正後の地方自治法について
S22.12.12地方自治法の一部を改正する法律で、地方自治法第8条は早速全面改正されます。このときに、市の要件をより具体的に定め、また、村→町、町→村の要件については、各都道府県の条例で定めるように改正されました。
これらについての制定理由の説明を国会会議録検索システムから探したのですが、具体的な説明はちょっと発見できませんでした。
第八条 市となるべき普通地方公共団体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
 一 人口三万以上を有すること。
 二 当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
 三 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
 四 前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし若しくは市を町村とする処分又は村を町とし若しくは町を村とする処分は、前条第一項、第四項及び第五項の例によりこれを行うものとする。
次に述べる現行の規定とほぼ同じです。

★(3)現在
地方自治法第8条
第八条 市となるべき普通地方公共団体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
 一  人口五万以上を有すること。
 二  当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
 三  商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
 四  前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし又は市を町村とする処分は第七条第一項、第二項及び第六項から第八項までの例により、村を町とし又は町を村とする処分は同条第一項及び第六項から第八項までの例により、これを行うものとする。
上記(2)と、市の人口要件が異なるくらいで、あとはほぼ同じです。

「町となるべき地方公共団体」の要件を定める都道府県の条例は、これまでにも何度か話題になりましたが、例として、東京都の「町としての要件を定める条例」と、神奈川県の「町としての要件に関する条例」をご紹介しておきます。

――――――――――――――――
これらを踏まえてのまとめです。
■市の要件について
市制・町村制においては、2万5千人が市の基準とされました。
地方自治法においては、S22.5.3の同法施行時には人口3万人、現在では人口5万人、の基準があります。

■町の要件について
「町」と「村」の違いは、町村制時においても、現在の地方自治法第8条第2項と同様の規定があるはず、と考えているのですが、発見できていません。これは、M23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件の規定から見ると、町を村としたり、村を町としたりするのに際して[78998]で引用したように
関係アル市町村会及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
との手続きを要することから、何らかの目安となる基準があるであろうこと、また、地方自治法もこれを踏襲したであろうこと、からの私の想像(確信)です。
もっとも、これを具体的にお示ししないことには何の説得力もないことは承知しておりますので、引き続き探します。
なお、[78998]投稿時には気づいていなかったのですが、M44.4.7付け法律第69号町村制による全面改正後の町村制でも、第5条
第五条 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 町村役場ノ位置ヲ定メ又ハ之ヲ変更セムトスルトキハ町村ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
と、従前の「市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件」を上書きするような規定があります。
もっとも、[78998]でも述べたようにS29.5.1法律第82号自治庁関係法令の整理に関する法律によりS29.5.1付けで廃止されるまでは理論上は残っていたようです。廃止手続きが行われていなかったため、形式上残存していただけであり、「効力が残っていた」と[78998]で述べたのは誤りかもしれません。

続きます。
[79057] 2011年 8月 12日(金)13:46:05【1】伊豆之国 さん
三輪山を しかも隠すか 雲だにも
今回の十番勝負、またも在来型問題で苦戦。そこで、オーナー グリグリさんの「冠"大"地名」の話題に反応することにします。

元地名の発展型を過去に存在した自治体名
ですが、

大三輪町(奈良県磯城郡)  1955(S30).7.10 三輪町, 織田村, 纏向村が新設合併 (1963(S38).4.1 桜井市に編入)

もその仲間に入るでしょう。

【追記】
「大三輪」という名には、三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社にも関連付けているとも見られましょうか。
[79056] 2011年 8月 12日(金)13:12:52オーナー グリグリ
冠「大」地名考
[78793] hmtさん
1927年4月に小田急が開通して、水無川の南岸に小田急の「大秦野駅」ができた当時の所在地は 南秦野村と思われます。
字名は知りませんが、「大秦野」という地名があったわけではないようす。
(中略)
1932年の「大東京」実現[74867]より 5年前ですが、言葉としては、周辺地域を含めて「大○○」と呼ぶことが流行し始めていたのかもしれません。
(中略)
こうなると、鉄道駅の同名回避問題を離れて、「大秦野」が独立の地名になったのか? という印象を受けます。

この話題、[66746]で大佐倉地名からネタ出ししましたが、あまりフォローもなく立ち消えになっていました。これまでの記事はこちらです。[66746]で「大○○」の地名の成り立ちを次のように分類しました。
(1) ○○の元地名の発展型(大瀬戸町、大山田村)
(2) ○○の本家本元に対する分家型(大佐倉)
(3) 地形や人名由来で「大」という意味をもつ単独型(大利根町、大多喜町)
(4) 大小のペア型(大船越)

大佐倉の地名の由来については、「大佐倉は、旧佐倉城(現在の本佐倉城跡)内の平地部分を指しており、大はだだっ広いという意味合いがある。」という説明がネットにありました。真偽は定かではありませんが、大佐倉は上記の(2)の分類ではなく(3)の地形由来とした方がよさそうです。(2)は定義があいまいで事例を挙げるのは難しいかもしれません。

大利根町(昭和30年の新設合併時は大利根村)については、利根川流域全般で「大利根」の名称が先行しており、そこからの命名と考えられます。「大利根」は、大利根町(前橋市)、大利根CC(坂東市)、大利根運動公園(守谷市)、新大利根橋(取手市・柏市)、大利根飛行場(河内町)、県立大利根自然公園(香取市)など、利根川流域広い範囲で今も使用されています。ちなみに、田端義夫の大利根月夜は昭和14年のヒット曲。

(4)の大小ペア型は、地形由来を中心に事例は多数あります。

(1)の元地名の発展型を過去に存在した自治体名で拾い集めてみました。

自治体名都道府県・郡新設合併日対象自治体現在
大宇陀町奈良県・宇陀郡1942(S17).2.11松山町,神戸村,政始村,上龍門村(吉野郡)宇陀市
大三沢町青森県・上北郡1948(S23)年2月11日三沢村,六戸村の一部,下田村の一部,浦野舘村の一部三沢市
大瀬戸町長崎県・西彼杵郡1955(S30)年2月11日多以良村,瀬戸町,雪浦村,松島村西海市
大山田村三重県・阿山郡1955(S30)年4月13日山田村,布引村,阿波村伊賀市

大宇陀町以外はいずれも大の付かない町村が合併対象自治体に含まれており(三沢村、瀬戸町、山田村)、その町村への吸収印象を和らげるための冠「大」と考えられます。大宇陀町は郡名(宇陀郡)からの発展型命名です。上記以外で、高知県の大野見村(現在は中土佐町)、鹿児島県の大根占村(現在は錦江町)など気になりますが、元地名の発展型ではなさそうです。なお、三重県には桑名郡にも大山田村が存在していました。明治22年(1889年) 4月1日の町村制施行時に新設され、現在は桑名市です。

「考」などと偉そうなタイトルを書き込みましたが、地形名と歴史地名の前後関係など、由来の分類というのは定義境界があいまいになりますね。せいぜい上記の(1)の分類事例を集めることくらいが分り易い限界かなと感じました。
#(4)の大小ペア地名は地名コレクションの対象になりそうですが。
[79055] 2011年 8月 12日(金)13:00:27千本桜 さん
近郊の正しい使いかた
熱くなっている方々への息抜きクイズです。実態に即しているのはA・Bどちらでしょう。難問です。
A:角田市近郊の大河原町では・・・
B:大河原町近郊の角田市では・・・
[79054] 2011年 8月 12日(金)11:52:39白桃 さん
「郊外」と「近郊」は同義語にあらず
[79044]hmt さん
これを「問題発言」であるとする趣旨について、都市地理学専門家からのご説明 をしていただけないでしょうか。
私は「都市地理学」専門家ではありませんが、ご指名いただきましたので説明いたします。
結論から言えば
「○○の郊外」の「○○」は都市名であるべきであり、「茨城県」は該当しない
ということです。
全国的に都市の範囲が拡散した現在の日本においては、「郊外」や「近郊」の意味も、元々の意味からすると、かなり拡散し、曖昧になっていると思われます。
人口統計以外は面倒くさがりの私ですが、さすがに元々の意味をネットの「大辞泉」で確認してみました。
「郊外」:都市に隣接した地域。市街地周辺の田園地帯。
「近郊」:都市周辺の地域。
ちょっとややこしい。「郊外電車」、「近郊農業」・・・。
ふと「郊」が気になったので
「郊」:都市の周辺部。町外れ。郊外。
ますますややこしくなってきました。「郊」と「郊外」が同じ???
でも、私はタイトルのように結論付けます。

「渥美半島は名古屋の近郊という立地特性を活かし、園芸農業が・・・」と聞けば、なんら抵抗がありませんが、「渥美半島は名古屋の郊外にあり、・・・」と言われますと、文句を言いたくなります。ましてや、「渥美半島は愛知県の郊外」だとか「渥美半島は愛知県の近郊」となると、文句を言う気もなくなります。
「茨城県の、郊外にある河内町は・・・」と聞けば、許容できる範囲の表現です。
そうでしょうか。私は許容いたしません。(笑)
昨今、市町村合併が進んだこともあって「郊外」の意も変化してきたかもしれません。例えば、岡山市の福渡あたりを「岡山市郊外」と呼ぶのは少々違和感を覚えますが、同じ市内である以上許容出来ます。しかし、独立した自治体を「岡山県の、郊外にある奈義町は・・・」とか「郊外にある、岡山県奈義町は・・・」と言われると、どうも・・・。

仕事もせず、こんなことを書いていたら、
横の女子職員「白桃さん、四国中央市って、香川県ですか?」
白桃「何言ってんの、あなたの出身、愛媛県ですよ。」
女子職員「松山にずっと住んでいたけど、そんな市無かったわよ!」
って、叱られてしまいました。
問一、問二はわからないし・・・。
[79053] 2011年 8月 12日(金)10:21:57【1】オーナー グリグリ
直島町(井島)の林野火災
[79028][79041] 88さん、[79040] hmtさん、[79048] hiroroじゃけぇさんで話題になっている井島(石島)の山火事の件、オフ会馴染みの地と言うことで心配です。防災情報としては、[79028]で88さんもリンクされている香川県の災害被害情報のページにある平成23年8月9日直島町(井島)における林野火災について(pdfファイル)に詳しく書かれています。

この第11報をみるとこれまでの活動詳細と本日以降の活動予定がよくわかります。最初に火災を発見した(覚知と言うんですね)のは香川県直島町で8月9日14時40分。その後、香川県、岡山県、徳島県、高知県の防災ヘリによる散水活動が行われ、さらに、8月10日からは陸上自衛隊のヘリも加わり散水活動が行われています。本日12日もすでに活動が開始され、自衛隊、香川県、岡山県のヘリによる散水活動が行われています。報告書のアップが素早いですね。

それにしても自治体の防災ヘリと自衛隊ヘリの散水量と回数には大きな差がありますね。とくに自衛隊の大型ヘリの散水量は圧倒的です。報告書に散水量と散水回数の詳細が掲載されていますので、まとめてみました。単位はリットルで、12日は現時点(第11報時点)の数量。現時点までに320万リットルもの散水が行われています。

香川県岡山県徳島県高知県自衛隊中型自衛隊大型自衛隊合計総合計自衛隊比率
8月9日9,60023,4006,60019,20058,8000.0%
8月10日32,40071,100213,5001,115,0001,328,5001,432,00092.8%
8月11日24,00044,100127,5001,335,0001,462,5001,530,60095.6%
8月12日6,6009,00032,500140,000172,500188,10091.7%
合計72,600147,6006,60019,200373,5002,590,0002,963,5003,209,50092.3%
[79052] 2011年 8月 12日(金)07:55:53ひぃ さん
なるほど。
[79050] EMMさん

ありがとうございます。
なるほど、そういうことですね。

敢えて[79037]いっちゃんさんは勝負に出られて、
それが結果として正しかったと言うことでしょうか。

自分もきっと同じ状況に出くわしたら無難な所になるまで待つでしょうね。
[79051] 2011年 8月 12日(金)00:33:47伊豆之国 さん
十番勝負
被災県支援(というには大袈裟ではありますが)の旅から帰ってきたところです。
ネット環境に戻ったところで。

問九:広島市
[79050] 2011年 8月 12日(金)00:07:41EMM さん
問七
[79049] ひぃさん
この解が正答だとすれば、それはそれで判断基準が曖昧になりそうです。
あんまり詳しい事を書くと確信に近づいてしまうのでアレですが、いっちゃんさんの解答が○だったことでむしろ判断基準が厳密化した、と言うか何を元に決められた順列か確定できる設問だ…と私は考えております。
正直、自分がいっちゃんさんと同じところで共通項に気付いていたら、悩んだ挙げ句に解答を少し遅らせた事でしょう。

#問二がまだわかりませんが、この後お出かけ予定。
「きたぐに」に乗車予定ですが、一寝入りするべきかどうか非常に悩ましい状態。
臨時の「能登」が運休にさえならなければ…
[79049] 2011年 8月 11日(木)23:20:54ひぃ さん
質問です
オーナー グリグリ様

[79037]いっちゃん様の問七は正答になるのでしょうか?
“順番”で捉えると違う気がするのですが。

この解が正答だとすれば、それはそれで判断基準が曖昧になりそうです。
[79048] 2011年 8月 11日(木)22:34:53hiroroじゃけぇ さん
報道は本社側で
[79040]hmt さん
[79041]88 さん
活字として見ないので、テレビでは違いはわかりませんが、テロップで「石島(香川県側では井島)」または、「井島(岡山県側では石島)」と見られます。これは、やはり本社の所在地によるもののようで、岡山放送、山陽放送、テレビせとうちでは岡山側、瀬戸内海放送、西日本放送では香川側に主眼を置いた報道となっています。

ちなみに出火元は香川県側で、バーベキューは無関係とか。岡山、香川の両消防ヘリだけではなく、近隣の県からも駆けつけている様子。小豆島へ給電している中国電力は、電源車を待機させているとか。県境を決定したとされる「樽流し」の逸話が残っていますが、両県が協力して活動しているところに、県境という垣根が低くなったものなんだなぁと感じる出来事でもあります。

ところで、この家事が関係しているのかどうかわかりませんが、NHK岡山はノイズが頻発し、高松が良好な状態。一体どうなっているのでしょう?同僚の知人が電器屋ということで、きいてもらったところ、元々岡山県の一部は岡山の受信状況よりも高松の受信状況のほうがよいのだとか。岡山市でも岡山・高松の両放送局を受信するのだとか。今回の火事のニュースでは、両放送局で反転しているのがよくわかりました。
[79047] 2011年 8月 11日(木)22:09:06オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第四回採点)
四回目の採点を行いました。解答総数8件、うち正答7件でした。新たな完答者および完答リーチ者は出ませんでした。そろそろ行き詰まり感が出てきましたね。最初のヒントは土曜日の夜に提示することとします。それから、大事なことを言い忘れていました。問四にさらに見落としがあり、想定解数を44市から45市に変更します。申し訳ありません。

解答状況の確認ページ:
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(ランキング)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(メダリスト)

採点漏れ、採点ミスなどお気づきの点がありましたらご指摘ください。
[79046] 2011年 8月 11日(木)18:50:39らるふ さん
十番勝負
問一:大津市
問五:甲賀市
問八:船橋市
問十:真岡市
[79045] 2011年 8月 11日(木)18:37:36kki さん
三十二回 十番勝負
またまた誤答となったのでもう一度答えます。
問8:浦安市
[79044] 2011年 8月 11日(木)17:40:54hmt さん
郊外?
[78877] 白桃 さん
女子アナウンサーが「茨城県の郊外にある河内町は・・・」などと言ってました。
本当のことなら「問題発言」だと思います。

これを「問題発言」であるとする趣旨について、都市地理学専門家からのご説明 をしていただけないでしょうか。

「郊外」や「近郊」は、本来の意味からすると、「都心」など都市の中心部と対比される言葉と思います。
だから、「○○の郊外」の「○○」は都市名であるべきであり、「茨城県」は該当しないということでしょうか。

しかし、全国的に都市の範囲が拡散した現在の日本においては、「郊外」や「近郊」の意味も、元々の意味からすると、かなり拡散し、曖昧になっていると思われます。

例えば、河内町勢要覧 の 12頁には、
河内町は…都市近郊という立地特性を生かし、…
と記されています。この場合、東京大都市圏の「近郊」という意味でしょうか。

確かに「茨城県の郊外」と切り出してみると、これは あまり聞き慣れない言葉です。
しかし、「茨城県の、郊外にある河内町は・・・」と聞けば、許容できる範囲の表現です。
さほど問題になる結果をもたらすほどの発言ではなかろう。 これが私の意見です。

「郊外にある、茨城県河内町は・・・」と語順入替により、誤解のおそれが減るとは思いますが…

女子アナに甘い hmt が、「勝手に買って出た弁護」の一席でした。
[79043] 2011年 8月 11日(木)12:03:29デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問十 前橋市
[79042] 2011年 8月 11日(木)09:43:18かぱぷう さん
第三十二回十番勝負 解答
問五:大牟田市
問七:胎内市

8月に異動がありまして、多忙を極めてます。少しヒマがとれたので、問題を見て分かったものだけ生存報告も兼ねて答えておきますね(汗
[79041] 2011年 8月 11日(木)07:16:5488 さん
井島(石島)の山火事
[79040] hmt さん
リンク先の 読売新聞記事によると、岡山県側の西側山林から出火して、香川県側の山林に延焼とのこと。
(中略)
【追記】
 毎日新聞記事では、“香川側の山林から出火”とありました。

# 読売新聞記事は“香川県側の山林に延焼”、毎日新聞記事は“香川側の山林から出火”。
事実関係の違いだけでなく、「香川県側」「香川側」という表記の違いもありました。>[78876] オーナー グリグリ さん 市を省略
【追記終】

国土地理院HPにもある、都県にまたがる境界未定面積 (pdfファイル)にもあるように、岡山県玉野市と香川県香川郡直島町の間に境界未定区域(国土地理院HPの2万5千分の1の地図)があることが、出火場所の特定に影響してはいないでしょうね。境界未定部分は、ちょうどこの出火したらしき場所の近く(バーベキューをした?と想定される砂浜は少し南でしょうか)と推測されます。

さらに余談となりますが、鎮火後の話ですが、出火原因を調べる警察・消防は、どちらの県が担当するのでしょうか(共同かもしれませんが)。
[72971] ニジェガロージェッツ さん(石島探検副隊長)
「こんなとこで滑り落ちたらアカンで,(両県警の)管轄でもめるで」
「そっちの心配かい!」

#報道では、住民がいる岡山県玉野市を主眼におき「石島(香川県側では井島)」と伝えられることが多いようです。香川県の地元紙である四国新聞では、当然ながら「井島」で、「玉野市側では石島(いしま)と表記する」と、軽重が異なります(記事)。面積は約3分の2が井島、約3分の1が石島ですが。
[79040] 2011年 8月 10日(水)23:50:31【1】hmt さん
石島の山火事
[79028] 88 さん
・・・「あの」井島(石島)です。

あの風景 が 一変してしまったことを思い、感無量。
探検隊長の胸中をお察しします。

リンク先の 読売新聞記事によると、岡山県側の西側山林から出火して、香川県側の山林に延焼とのこと。
男女十数人のグループがバーベキューをしていた海岸は、出火した山林から数百m離れていたようですね。
玉野市が昨夜出した避難勧告は早朝に解除された由ですが、島のほとんどの山林が焼けた模様。
【追記】
 毎日新聞記事では、“香川側の山林から出火”とありました。

# 読売新聞記事は“香川県側の山林に延焼”、毎日新聞記事は“香川側の山林から出火”。
事実関係の違いだけでなく、「香川県側」「香川側」という表記の違いもありました。>[78876] オーナー グリグリ さん 市を省略
【追記終】

[33529]で広島県大黒神島の山火事を書いたことがあります。
これは石島(井島)の2~3倍の面積がある島ですが、全島を焼き尽したように記憶しています。
広島県に住んだ4年の間に、本土を含めて何回もの山火事を経験し、山林が育っていない理由の1つを実感しました。
# オフ会の際に写された石島の山林も、主に小さい木がでした。
でも、今は 山火事のシーズンではない と思われるのですが。
[79039] 2011年 8月 10日(水)22:22:08k-ace さん
御注進
k-aceです。後3問残ってますが。
[79038]グリグリさん
私は一発完答できるような者ではございませぬ。KKさんの誤りです。
[79038] 2011年 8月 10日(水)21:39:46【4】オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第三回採点)
三回目の採点を行いました。解答総数14件すべて正答でした。ぺとぺとさんに続き、大龍エクスプレスさんとなると金時さんが新たに完答となりました。お疲れさまでした。桜トンネルさん、油天神山さん、まりんぶる~さん、EMMさんが9問リーチです。では、引き続きお楽しみください。

解答状況の確認ページ:
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(ランキング)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(メダリスト)

採点漏れ、採点ミスなどお気づきの点がありましたらご指摘ください。

【追記】いっちゃんさんが、一発完答となりました。ヒント前一発完答は第三十回のKKさんとらるふさんに次ぐ3人目です。なお、解答総数は24件ですべて正答となりました。いっちゃんさん、ご苦労様でした。(お名前を修正しました。[79039]k-aceさん、ご指摘ありがとうございました。KKさん、失礼しました。)
[79037] 2011年 8月 10日(水)21:35:52いっちゃん さん
十番勝負
問一:関市
問二:南城市
問三:江津市
問四:小林市
問五:富士吉田市
問六:宇治市
問七:大仙市
問八:常滑市
問九:芦屋市
問十:高崎市

解答ポリシー無視!
[79036] 2011年 8月 10日(水)19:15:56ハムちゃん さん
十番勝負
問五:佐伯市
[79035] 2011年 8月 10日(水)18:48:50AB さん
久々に書き込みます
こんにちは。75000番あたりで何度か書き込んだことのあるものです。

当時長崎県南島原市在住だった自分も、4月に大学に進学し、いまは三重県津市に住んでいます。

その時に書き込んだ内容としては、成田空港内の飛び地・日本の○○シリーズ・九州新幹線西九州ルートについてでした。

あまりの知識についていけず、多忙も重なってずっと書き込んでいなかったのですが、ふと思い出して、書き込んでみようかと思った次第です。

ほんの1年と少し前のことなのですが、この間にもいろいろと変化がありましたね。

地理的なものではやはり九州・東北両新幹線の全通がありました。
一方で西九州ルートはというと、自分の知る限り工事が進んだというニュースを聞きません。
それどころかフリーゲージトレインの試算が、車両開発の想定を超える数値で行われていたなどマイナスになりかねないニュースまでありました。

その一方で鹿児島ルートは、予定を前倒しして開業を果たしました。

開業後の情勢としては、博多熊本間の輸送では高速バスとの激しい競争がある一方、熊本鹿児島中央間は道路事情がよくないこともあって上々のようですね。

その九州新幹線開業ですが、すっかり震災の影に隠れてしまいました。
開業セレモニーは震災禍で自粛され、地震発生が開業前日だったこともあって特に東日本から開業記念の乗車を計画した人の多くが九州入りを断念せざるをえなくなりました。
逆にもっと早く九州に入って震災で帰宅のめどが立たなくなった人もいたかもしれません。

一方東北でも常磐線や三陸鉄道をはじめとする沿岸の鉄道や常磐道などの高速道路が被害を受けました。
東北新幹線も高架などに被害があり、全線開業からわずか3か月、はやぶさ運転開始からわずか1週間での運休を余儀なくされました。

また、3月11日というのは国公立大学後期入試の前日でもあったので、多くの受験生が影響を被ったのではないかと思います。

幸い自分はその時九州いたので地震の被害は揺れさえ感じずほぼ皆無でしたが、被災地の惨状をみるとやはりとても恐ろしかったです。

先述の通り今は三重にいるのですが・・・正直東海地震・東南海地震が怖いですね。
日本列島は活動期に入ったという学者もいますし、いつ来てもおかしくありません。

ちょっと暗い話題になってしまったので最後に気分転換。

長崎県から津に移住(?)した自分の、津の第一印象は『平地が多い!』でした。
これって普通なんですかね^^;

かなり余談になりますが、名古屋から来た先輩の中には、津の印象として『これで県庁所在地なのか!?』と思った人が結構多いみたいです。

そうですよね、自分の記憶が正しければ、同じ三重県の四日市のほうが人口多かったはずです。

駄文長文、失礼しました。
[79034] 2011年 8月 10日(水)18:38:07k-ace さん
第三十二回・十番勝負
問九:浦安市

武雄市に続き浦安市も2回目の正答(予定)。武雄市は第十四回と今回、浦安市は第二十四回と今回(予定)です。
[79033] 2011年 8月 10日(水)16:02:49デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問六 日野市
[79032] 2011年 8月 10日(水)15:52:43ハムちゃん さん
十番勝負
問七:草加市

4日遅れで参戦です。
[79031] 2011年 8月 10日(水)13:54:58今川焼 さん
【第三十二回】平和祈念全国の市十番勝負解答
問三:桜井市
問七:善通寺市
[79030] 2011年 8月 10日(水)13:53:53白桃 さん
十番勝負
問六:秦野市

思わず唸ってしまった・・・
[79029] 2011年 8月 10日(水)13:03:38なると金時 さん
十番勝負
やっとわかりました。いい問題ですねえ!
問四 岩国市。
[79028] 2011年 8月 10日(水)12:29:2988 さん
井島(石島)で山火事、島の7割が焼け、なお延焼中
岡山県玉野市の石島・香川県香川郡直島町の井島で、昨日8月9日(火)の午後、山火事が発生し、島の面積272haのうち約200haを焼いて現在も延焼中です。
住家まで約100mのところまで火が迫ったため、住民全員に一時は避難勧告も出ました。
島には小豆島などへの中国電力の送電線が通っており、影響が懸念されています。

香川県HP災害被害情報
毎日新聞
読売新聞


・・・「あの」井島(石島)です。
[79027] 2011年 8月 10日(水)12:23:35デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問九 宮古島市
[79026] 2011年 8月 10日(水)09:12:27白桃 さん
十番勝負
問三:徳島市

あそことあそことあそこが出たところで気づくべきだった・・・
本日は十番勝負に専念するため(というわけではありませんが)、暑休をとっております。
[79025] 2011年 8月 10日(水)01:52:41EMM さん
全国の市十番勝負(第三十二回)の解答
問三:金沢市

共通項に気付いた時には泣けてきましたピヨ。

眠気でボケてる訳では無いですニャー。
[79024] 2011年 8月 10日(水)01:31:52まりんぶる~ さん
第三十二回 十番勝負
問二:滝川市

ラスト1問がさっぱりわかりません・・。
[79023] 2011年 8月 9日(火)23:01:40油天神山 さん
十番勝負
「ダラダラやります」と宣言した割にはシャカリキになってるな。その代わり仕事がダラダラになっちゃいましたが。

問一:牧之原市
[79022] 2011年 8月 9日(火)22:25:20スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
第三十二回十番勝負
これでフィニッシュ。

問九:武蔵野市
[79021] 2011年 8月 9日(火)22:22:47【1】EMM さん
御注進
[79020] オーナー グリグリ様

3行目を再度読み返して頂きたく、言上つかまつりまする。
[79020] 2011年 8月 9日(火)22:02:09【2】オーナー グリグリ
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(第二回採点)
二回目の採点を行いました。解答総数29件、うち正答28件でした。問二の銅メダルも決まり、メダルはすべて決定しました。ぺとぺとさんが10問完答一番乗りです。おめでとう&ご苦労様でした。大龍エクスプレスさん、桜トンネルさん、なると金時さんが9問リーチです。まりんぶる~さん、EMMさん、油天神山さんが8問で続いています。では、引き続きお楽しみください。

解答状況の確認ページ:
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(ランキング)
【第三十ニ回】平和祈念 全国の市十番勝負(メダリスト)

採点漏れ、採点ミスなどお気づきの点がありましたらご指摘ください。
追伸:[79021] EMMさん、ご指摘どうもありがとうございました(敬称忘れ)。油天神山さん、失礼しました_o_
[79019] 2011年 8月 9日(火)18:48:40ぺとぺと さん
第三十二回十番勝負
問一:平塚市
[79018] 2011年 8月 9日(火)15:48:24【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (8)新「日野宿」は 旧「日野宿」の区域を存して之を変更せず
[79017] むっくん さん
[78871]拙稿ではおそらく自明のこととして省略しましたが、県令第9号(M22.3.11)が「日野宿」か「日野村」かの法的根拠である。
これ【田辺市】と同じことが今回の「日野宿」か「日野村」かの法的根拠についても言えますので、(3)ではなくて(2)の県令第9号(M22.3.11)が法的根拠となります。

一言補足させてください。
1947年の地方自治法施行の際には、第3条第1項で“地方公共団体の名称は、従来の名称による”と定められたので、「市制」による「田辺市」の名称は、そのまま地方自治法の自治体に移行しました。
しかし、1889年施行の町村制には、「町村名」を引き継ぐ規定がないようです。

その代り、「町村の区域」を引き継ぐ規定があります。
第3条 凡町村は従来の区域を存して之を変更せず
つまり、明治22年3月31日施行の県令第9号による廃置分合がなされた「郡区町村編制法による町村の区域」が、変更されずに、そのまま「町村制による町村の区域」に移行したわけです。

新「町村」が元になって 旧町村の「区域」を引き継ぐのか【明治の制度】、町村の「区域」が元になって 従来の町村の「名称」を引き継ぐのか【昭和の制度】、引継ぎを規定した条文が異なります。
明治22年は大規模な廃置分合を伴ったので「区域」に重点が置かれ、区域の変更がなかった昭和22年は「名称」の引き継ぎという条文になったのか。
明治の町村は旧制度からの「移行」であったのに、昭和の町村は「名称」を引き継いだだけの「新設」というほどの「実体の違い」を意味するものとも思われません。
同じことなのかもしれず、私にはよくわかりません。

いずれにせよ、廃置分合後の町村名は新制度の町村名として使われることになるので、[78871]で(3)として挙げられた府県内全市町村の役場位置の公示は、新制度による自治体名を確定する根拠としては不必要ということですね。
下記報告は、そのような状況の下、役場位置の公示時期が大幅にずれ込んでいることを示しているのかもしれません。

[79005] MI さん
「役場位置に関する県令」ですが、そこまで確認は致しませんでした。【少なくとも11号、12号ではない】
同様に、“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】も未確認です。

別件:hmtの盡信書不如無書 事例研究に対する MI さん のレス
神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(凡例)
此書ハ明治二十二年四月市町村制ノ施行ニ際シ神奈川県改定ノ市町村名ヲ列載スルモノトス

なるほど。この凡例には気が付きませんでした。してみると、横浜市は別として、町村については 県令第9号に基づく変遷情報 と一致するだろうと思い比較してみたところ、大部分は一致しました。
南多摩郡日野宿(変遷情報)と日野村(名鑑)との不一致は[78806]で既報ですが、その他に南多摩郡桑田村と生田村、大住郡南秦野村と南秦野町など不一致を散見。

ついでに、この対比により 変遷情報の誤記 と思われる箇所を発見しました。
仙石原村仙石原村 とは、いずれも 国府津村 の誤記ではないでしょうか。>88さん

せっかくなので、便宜上末尾の数字を付けて区別し、日野の変遷を記しておきます。

明治22年3月31日に郡区町村編制法の下で、日野宿1と西長沼村, 平山村, 粟須村の一部が統合された 日野宿2 が誕生。
同年4月1日に施行された町村制により、日野宿2は、自動的に 同名の新自治体 日野宿3 になった。
その区域は、日野宿2の区域と変わらない。
【この間に日野村に変更された未確認情報[78806]もあるが、とりあえず無視】

明治26年4月1日  南多摩郡は東京府に移管され、東京府南多摩郡日野宿4となる。
明治26年6月19日 日野宿4が 日野町1 になる。
明治34年4月1日 桑田村との新設合併で 日野町2

昭和22年5月3日 地方自治法施行により、日野町2の区域に生まれた新制度の地方公共団体は、従来の名称を引き継いだ 日野町3 となる。
昭和33年2月1日 七生村との新設合併で 日野町4
昭和38年11月3日 日野市
[79017] 2011年 8月 9日(火)12:42:13【1】むっくん さん
“Re:「日野宿」か「日野村」か” の補足
[78871]拙稿を改めて読むと、廃置分合の日がM22.3.31で市制町村制施行日がM22.4.1と年月日が異なることに意識を置きすぎて書いていたために、違った意味でとられかねない箇所がありました。
ゆえに以下で[78871]拙稿の主要部分につき改めて時系列で簡潔に書き、一部追加記述で補足しておきます。

神奈川県では郡区町村編制法に基づき、県令第9号(M22.3.11)でM22.3.31に廃置分合がなされた。廃置分合を伴わない町村名は県令に記載されなかった。[78871]拙稿ではおそらく自明のこととして省略しましたが、県令第9号(M22.3.11)が「日野宿」か「日野村」かの法的根拠である。([78871]での(2))
神奈川県では県令第10号(M22.3.11)([78873]MIさん)により、M22.4.1に横浜に市制が、その他の町村に町村制が施行された。([78871]での(1))
神奈川県でも市制町村制の際、各市町村の役場位置を定める必要があり、何らかの県令(県告示)が出された。そしてここではすべての市町村の名称が書かれているために、廃置分合を伴わなかった市町村名も分かる。後世の人間としては、市制町村制施行時の市町村名のリストとしても活用できる。神奈川県で言えば鵠沼村(高座郡)、最近の話題となったところでは塵浜村(石川県羽咋郡)([78835]EMMさん)のように、江戸時代の天保郷帳以降市制町村制施行まで一切廃置分合に関わらなかった町村名を知る意味では重要である。([78871]での(3))
最後に、神奈川県では市制町村制施行に伴う郡界改定はなかった。([78871]での(4))

[78871]拙稿は以上のようになります。

『地方自治法が施行されたM22.5.3に、和歌山県にあったのが本当に田辺市という市であったのか、本当は田辺町(西牟婁郡)という町ではなかったのか』という争いがあったと仮定しますと、これに関しては地方自治法が施行される以前の市制町村制時代での、M22.5.3に一番近い法令である
内務省告示第346号(S17.5.18)
市制第3条及町村制第3条に依り昭和17年5月20日より和歌山県西牟婁郡田辺町及下芳養村を廃し其の区域を以て田辺市を置く。
を示せば、地方自治法が施行されたM22.5.3に和歌山県にあったのが本当に田辺市という市であったと言えます。
これと同じことが今回の「日野宿」か「日野村」かの法的根拠についても言えますので、(3)ではなくて(2)の県令第9号(M22.3.11)が法的根拠となります。
[79016] 2011年 8月 9日(火)12:27:19白桃 さん
十番勝負
問九:小樽市
[79015] 2011年 8月 9日(火)11:03:28油天神山 さん
十番勝負
全く、仕事もせんと・・・。

問三:大東市
[79014] 2011年 8月 9日(火)10:25:55油天神山 さん
十番勝負
問九:仙台市

いろいろ考えさせられる問題だなあ・・・。
[79013] 2011年 8月 9日(火)09:52:55油天神山 さん
十番勝負
あれ? 1市足りないや。
まあいいか、どうせ数え落としたに決まってる・・・。

問四:萩市
[79012] 2011年 8月 9日(火)09:08:53kki さん
三十二回 十番勝負
誤答になったのでもう一回答えます。問八:栗東市
[79011] 2011年 8月 9日(火)08:42:55ひぃ さん
十番勝負
問七 西予市
[79010] 2011年 8月 9日(火)08:36:42ひぃ さん
十番勝負
問十 気仙沼市
[79009] 2011年 8月 9日(火)07:48:42なると金時 さん
十番勝負
ちょっと遅かった。
問二:坂井市。
[79008] 2011年 8月 9日(火)07:44:12デスクトップ鉄 さん
十番勝負
問八 つくば市
[79007] 2011年 8月 9日(火)00:18:18伊豆之国 さん
十番勝負
問七:逗子市
[79006] 2011年 8月 8日(月)23:58:53【2】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (2.1)町村制施行後の変更種別 “町に変更”を提案
[78998] 88 さん
「法律」が「市制」「町村制」の2つの法律、「制度」が「市」「町」「村」の3制度、です。
「町村制」は、「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称です。
このため、「町村制」という制度ではありません。

どうやら、「制度」という言葉の 解釈の問題のようですね。
私は、市制町村制理由に記された “故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。”に基づいて
“「町村制」という制度” が作られた ものと解釈していました。
しかし、88 さんの解釈によれば、「町村制」は法律の名であり、その中で規定された「町」や「村」が制度であるようです。

もちろん、1つの法律の中に複数の「制度」を盛り込むことは、あり得ます。
現に、明治21年法律第1号「市制町村制」は、その中に「市制」と「町村制」とが共存します。
しかし、「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。

M23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件

この法律により、「自治体の呼び名」として 「町」と「村」とが 明確に区別されていたことは 理解できました。
しかし、この法律は「手続規定」であり、市制町村制の実体に影響を及ぼすものではありません。

この法律のタイトル「市町村名…変更ニ関スル件」と 第1条とを比較すると、「市町村名変更」に関して、「市町村ノ名称ヲ変更」と、「村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為ス」との2つの態様について 規定されています。
「三本松」という固有部分の変更ではないから 「名称ヲ変更」する手続には該当しないが、「三本松村」から「三本松町」へと「村ヲ町ト為ス」手続は、「市町村名変更」の一種です。
この「市町村名変更」を指して、「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶのだ と言われるならば、それまでなのですが、私としては、町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。

町と村とを区別することの意味について、グリグリさんの問い掛けに対して、
[78808] むっくん さん は、次のように発言しています。
町と村の権能に特段の差異はないものと考えられ、大きな意味はないものと思います。
しかし市区町村変遷情報に記載する際に、○○町もしくは△△村以外の自治体名であっても変更種別の欄に「町制」もしくは「村制」を書かなければならないという点では、大きな意味があります。日野宿の例で言いますと、(中略)町か村かという実体の「仕分け」作業を強いられます。

確かに、現在の書式では「町制」と「村制」とを区別して記載するようになっています。
しかし、これは 「町村制」 という制度自体が本質的に要求していることではないと思います。
日野宿の場合、例えば“町村制、呼び名は「宿」”と表記して、あえて「仕分け」をしない道もあるでしょう。

普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。

そして、町村制施行後に行なわれた「○○村→○○町」については、町村制という制度内で行なわれた「町ヲ村ト為ス」市町村名変更処分ですから、変更種別は“町制”でなく“町に変更”と書くのが、実体を反映しているのではないでしょうか。

これに関連して、三多摩移管後に行なわれた 東京府北多摩郡「府中駅から府中町への変更」についても一言。
現在の変遷情報の表記 は、変更種別「改称」となっています。
しかし、既に[65108] 88 さん 記されているように、「改称」の対象となるのは、「町」「村」を除いた「固有名称部分」です。
「改称」は本来は「谷保村→国立村」や「谷保町→国立町」でなく、「谷保→国立」です。「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
これは、「M23.8.30法律第77号市町村名…変更ニ関スル件」の第1条が、「市町村ノ名称ヲ変更」を「村ヲ町ト為ス」と別建てで挙げていることからも、妥当な解釈であると思われます。

「府中駅→府中町」の場合、固有名称部分は「府中」のままですから、「改称」ではありません。
府中駅が「町」として扱われていたのならば、「村ヲ町ト為ス」の類の変更でもないでしょう。
結局、内務大臣許可を必要としない例外的ケースではありますが、改称でも町制でもなく“町に変更”と書くのが、最も適切ということになります。
[79005] 2011年 8月 8日(月)23:02:31【1】MI さん
Re: 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (6)情報との付き合い方
 皆さん十番勝負にお楽しみのところ、場違いなようで気が引けるのですが、[78874] hmt さんからのご質問にお答えしなければなりますまい。
確認ですが、「日野村」という誤植があった「町村分合改稱」一覧表は、4月1日施行の「県令第10号」ではなく、3月31日施行の「県令第9号別冊」【つまり旧町村のリスト】ですね。
[78871] むっくん さん が言及された「(3)新市町村の役場位置に関する県令」は、発見できなかったのでしょうか?
また、同様に言及のあった“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】にも、「日野宿」と記載されていたでしょうか。

 まず「日野村」の誤植があった「町村分合改稱表」は「縣令第九號別册」に間違いありません。該当部分を正確に抜き出すと次のようになります。

郡名新町村名舊町村名
南多摩郡日野村日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 粟須村飛地

 次に「役場位置に関する県令」ですが、そこまで確認は致しませんでした。[78873] で引用した神奈川県公報の 明220311付 は他に縣令第十一號「分合町村ニ係ル財産處分方」、縣令第十二號「郡部地方税徴収期限第六項の延期」があるのみでした。またマイクロで「役場位置」のリストがあったように記憶はしておりますが、きちんとは確認しませんでした。
 同様に、“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】も未確認です。なにぶん大急ぎで訪れたことゆえご容赦いただきたいと思います。

 つづいて [78980] hmt さん
[78806] MI さん 紹介の資料から、類例をもう一つ。『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』
一例として、1町2駅6村、合計僅かに 9町村しか記されていない 津久井郡をリンクしておきました。
実際は 24町村ありますが、郡役所所在地の中野村を始め、ごっそり脱落しています。
最初は組合村が脱落したのかと思いましたが、そうでもないようです。
についてなのですが、まず神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(凡例)をご覧ください。

此書ハ明治二十二年四月市町村制ノ施行ニ際シ神奈川県改定ノ市町村名ヲ列載スルモノトス

 つまり「改定しなかった市町村は掲載していない」のだと思います。縣令第九號も「分合改稱」したものを掲げているわけですから、例に挙げられた津久井郡であれば、単独で町村制を敷いた
 根小屋村、太井村、中野村、又野村、三ケ木村、青山村、長竹村、千木良村、沢井村、佐野川村、名倉村、鳥屋村、青根村、青野原村、牧野村 以上15ヶ村
については縣令にも表れませんし、上述の文献も脱落した訳ではないように思うのですが如何でしょうか。

#「改訂しなかった市町村」は誤変換でしたので訂正しました。
[79004] 2011年 8月 8日(月)22:44:20あきすて さん
十番勝負
問五 南あわじ市
問七 吹田市

長崎市に引っ越ししてきました。
まだインターネット環境が整ってないうちに、
十番勝負が始まってしまい、スマホでしてみることに。

長崎市のTwitterですが、収録されているのとは別のが、
市のHPにあります。
[79003] 2011年 8月 8日(月)21:46:22油天神山 さん
十番勝負
問八:日進市

それにしても皆さん速いなあ。
[79002] 2011年 8月 8日(月)21:22:12EMM さん
大ボケを訂正するブレイク
[78990]我がの
調べが付いた時点では大阪市だったんですが、書き込もうとした時に急用が。
福岡市って書くつもりで大阪市って書いてる…大阪の時点で閃いてたんなら金メダル獲れてますがな。
さて、風呂入ろ。
[79001] 2011年 8月 8日(月)21:17:03EMM さん
全国の市十番勝負(第三十二回)の解答
問七:上越市

さて風呂の準備でもするか…と思った矢先に思いつき、パソコンを立ち上げようとしたら機嫌が悪くてすぐ立ち上がらないと来たもんだ。
しかし…最初からこういう発想で見てみれば良かったなぁ(謎)
[79000] 2011年 8月 8日(月)21:12:05なると金時 さん
十番勝負
久々の金メダルに感涙。
問一:亀山市。


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