都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[59238]2007年6月18日
グリグリ
[59243]2007年6月18日
Issie
[59245]2007年6月19日
まるちゃん
[59247]2007年6月19日
グリグリ
[59253]2007年6月19日
今川焼
[59254]2007年6月19日
EMM

[59238] 2007年 6月 18日(月)22:44:06オーナー グリグリ
現代における国名の使われ方
[59199] 2007 年 6 月 17 日 (日) 16:46:53 hmt さん
日常の会話における「国名」の使用が稀になりつつある現代において、国名の保存に貢献?しているものの一つに、鉄道の駅名や線路名称があります。
(中略)
このように、「国名由来の造語」は行なわれていますが、国名自体が日常で使われなくなっている傾向は、紛れもありません。
とのことですが本当でしょうか。まだまだ旧国名は日常的に生きていると思います。

「加賀」「能登」「若狭」については地域を特定するために、日常的に現代も使われ続けているように思います。とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。出身地や居住地などを特定する場合に、石川県よりも加賀や能登の方が頻度高く使われる、もしくは意識して使うような気がします。若狭はさらにその傾向が強くないでしょうか。若狭以外の福井県の場合(つまり越前ですが)は、越前よりも福井県の方が使用頻度は高いと思うのですが、若狭の場合は圧倒的に若狭ではないかと推測します。

加賀と能登を比較した場合も、加賀よりも能登の方がこの傾向が強いでしょう。加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。能登は半島名からの特定のように思われるかもしれませんが、地元の感覚では旧国名ですね。

さて、他の地域に目をやってみると、伊豆や志摩は能登や若狭と似た状況でしょうか。大隅と薩摩、尾張と三河、美濃と飛騨、周防と長門などはどうなんでしょうか。加賀と能登ほどの日常性はないのかなとも思いますが比較は難しいですね。佐渡や対馬などは旧国名というよりもむしろ島名に引っ張られているように思います。また、土佐、甲斐、近江など現在の県域と同じ場合は、県域を特定するという日常性はなくて、文化的伝統的に旧国名を意識して使う場合かなと考えます。

以上、故郷を離れて既に30年が過ぎているので、現在の状況はよく分かっていません。いかがでしょうか。
>EMMさんほか地元の皆さん
[59243] 2007年 6月 18日(月)23:39:39Issie さん
国は生きている?
[59238] グリグリ さん
まだまだ旧国名は日常的に生きていると思います。

一言で言えば,「生きている」ものもあれば,そうでないものもある,ということなのだろうと思います。

たとえば,千葉県と茨城県に分断された「下総」,埼玉県と東京都と神奈川県に分断された「武蔵」。
「下総」や「武蔵」という呼称で,旧国の領域全体を“一まとまりの地域”と理解されることは,現代ではないように思います。
少し以前から話題になっているように,神奈川県における武蔵と相摸の境界を「正しく」理解している人はそう多くはないでしょう。

複数の府県に分断された「国」の中で「丹波」はまだ“一まとまりの地域”としてイメージできそうな気がしますが,これは例外であって,
たとえば,三重県の南西部が「紀伊」であることを知っていても,「紀伊(紀州)」と聞けばまずは 和歌山県 が想起され,和歌山県の紀州と三重県の紀州とを“一体的”な地域とイメージする人は今では恐らくは少ないのではないでしょうか。

今現在でも「国」という区画が“生きた”ものとして使われているのは,
たとえば,信濃(信州)≒長野県,上野(上州)≒群馬県,甲斐(甲州)≒山梨県 のように「国」の領域と県の領域がほぼ一致する場合,
あるいは,加賀+能登=石川県,越前+若狭=福井県,尾張+三河=愛知県,遠江+駿河+伊豆=静岡県 などのように,いくつかの「国」のほぼ全域が統合されて1つの県となり,それぞれの「国」が現在でも県内を下位区分する地域として有効な“まとまり”としての性格を失っていない場合の,いずれかであるように感じます。

一方で,たとえば 新潟県 では,「佐渡」対「越後」 という区分よりは,越後をさらに細分して 「佐渡」「上越」「中越」「下越」に4区分する方が現在では有効であるように感じられます。

ここでは一見,「旧国」が現在でも“生きた区画”として使われているように見えますが,そこにはまず「県」という大区画があって,それを下位区分する際の単位として“昔の国”が使われているのであって,かつて「六十余州」に我が国を分かった“全国的な区分”としての「国」とは性格の違うものであるように思います。
…もっと言えば,たまたま“昔の国”を県内の区分に使っているに過ぎない,と言えなくもない。

以前にも話題にした記憶がありますが,こんな場合もあります。
天気予報の地域区分は,地域性といった“人文的要素”だけで行われるわけではなく,何より気象(気候)という“自然的要素”を背景に行われるものですが,

・福岡県の「筑後地方」には「筑前」の 朝倉市・朝倉郡 が含まれます。
・鹿児島県の「薩摩地方」には「大隅」の 霧島市・姶良郡 が含まれます。

ここで「筑後」「薩摩」とは,あくまで福岡県や鹿児島県を下位区分する区画の呼称であって,必ずしも「旧国」と一致しなければならないものではない,ということを表わした例とも考えることができそうです。

ここに見られるのは,都道府県>旧国 という“力関係”ないしは“包摂関係”であるように思うのです。
[59245] 2007年 6月 19日(火)00:04:27まるちゃん さん
周防と長門
[59238] グリグリさん
大隅と薩摩、尾張と三河、美濃と飛騨、周防と長門などはどうなんでしょうか。加賀と能登ほどの日常性はないのかなとも思いますが比較は難しいですね。

私の地元の周防、長門について言えば、加賀と能登ほどに日常的に使うことはないと思います。周防、長門にほぼ一致した地域区分で思い浮かぶのは、衆議院選挙の昔の中選挙区時代ぐらいのものですかね。(周防;山口2区、長門;山口1区)
山口県では、山陽・山陰(北浦ともいいます)で分けるか、県西部、県東部などの言い方の方がまだ一般的ではないでしょうか。
特に長門地域との表現であれば、旧大津郡、現長門市域をほぼ指すことになってしまうし、むしろ、旧国名を使用したものでは、周防と長門を一つにした、防長○○(防長路など)の方が目にするかも。。
[59247] 2007年 6月 19日(火)00:33:21【1】オーナー グリグリ
生きている国名もある
[59243] 2007 年 6 月 18 日 (月) 23:39:39 Issie さん
一言で言えば,「生きている」ものもあれば,そうでないものもある,ということなのだろうと思います。
はい、[59238]は、hmt さんの「国名自体が日常で使われなくなっている傾向は、紛れもありません」に対して、まだ日常的に「生きている」国名もあると言いたかったのです。[59243]のIssieさんの考察「まず「県」という大区画があって」はその通りだと思います。そう言う意味では、確かに丹波は特別かもしれないですね。

今現在でも「国」という区画が“生きた”ものとして使われているのは,
たとえば,信濃(信州)≒長野県,上野(上州)≒群馬県,甲斐(甲州)≒山梨県 のように「国」の領域と県の領域がほぼ一致する場合,
あるいは,加賀+能登=石川県,越前+若狭=福井県,尾張+三河=愛知県,遠江+駿河+伊豆=静岡県 などのように,いくつかの「国」のほぼ全域が統合されて1つの県となり,それぞれの「国」が現在でも県内を下位区分する地域として有効な“まとまり”としての性格を失っていない場合の,いずれかであるように感じます。
丹波もそうですが、河内や摂津なども上記の枠組みから外れるケースではないでしょうか。

また、[59238]の繰り返しになりますが、土佐、甲斐、近江など現在の県域と同じ場合は、県域を特定するという日常性はなくて、文化的伝統的に旧国名を県名の代わりに意識して使う場合であり、必然性があるかないかという視点からは、加賀と能登などのケースとは微妙に違うのではないかと思います。
[59253] 2007年 6月 19日(火)01:20:16今川焼 さん
「生きている国名」ですが・・・
[59243]Issie さん
複数の府県に分断された「国」の中で「丹波」はまだ“一まとまりの地域”としてイメージできそうな気がしますが,
京阪神地区から見て北側の、「日本海に面した丹後・但馬より手前の山地と小盆地の点在する地方で松茸とか栗とか猪とかの産地」を漠然とイメージする地域名としては、まだ何とか残っていると思います。あくまでイメージとして。
しかし、実際にはそれぞれの府県ではその下位区分として使われていることの方がずっと多いように感じます。そこが京都府か兵庫県かで、「丹波」と言った場合、指し示す地域はそれぞれの府県内の「丹波」に限定されています。(例えば京都新聞で単に丹波と言えば京都府内を、神戸新聞なら自動的に兵庫県内の丹波を指すというように)まさに
ここでは一見,「旧国」が現在でも“生きた区画”として使われているように見えますが,そこにはまず「県」という大区画があって,それを下位区分する際の単位として“昔の国”が使われているのであって,(中略)…もっと言えば,たまたま“昔の国”を県内の区分に使っているに過ぎない,と言えなくもない。
と言うことですね。
しかし、両府県で同じ名称を使っていれば問題がおきることもあります。市名決定に際し擦った揉んだがあった「丹波市」もそうでした、兵庫県の丹波地方の2郡のうち多紀郡は合併に際し市名に「篠山」を選びました。それなら残った氷上郡が「丹波」を名乗っても問題ないだろうと考えた人達にとって、京都府側の丹波は全く眼中になかったし、兵庫県の丹波地方が丹波国の西側に位置するから「西丹波市」にしようと言う発想もありませんでした。
[59254] 2007年 6月 19日(火)01:37:31EMM さん
地元ネタ2題
[59236] オーナー グリグリ様
金沢のレンコンというと八田みみずの八田辺りが産地だと思っていたのですが、調べてみると、旧小坂村が産地だったんですね。それとも小坂村周辺として八田も産地に含まれているのでしょうか。
加賀れんこんの概要については金沢市農産物ブランド協会と言う団体が作っているいいね金沢 加賀野菜と言うHP中のれんこんの説明ページが分かりやすいです。
栽培が始められた江戸時代は大樋町付近での栽培だったので「大樋れんこん」、明治に入り小坂村内で広く栽培されるようになり「小坂れんこん」、後に県外出荷される分は「加賀れんこん」とも呼ばれるようになっています。
小坂村内でも元々は小坂・三池・神宮寺・大衆免(現・元町付近)・浅野と言ったあたりが主な栽培地だったのですが、金沢の市街地が拡大するにつれて浅野川に近い方はレンコン田が無くなっていき、その代わりに小坂村でも北の方…現在の千坂小学校校下の方に広がっていったようです。
それでも長らく小坂町・三池町が栽培の中心だったのですが、小坂町はここ20年ほど、三池町にしてもここ10年ほどの間にレンコン田が激減してしまい(かろうじて0ではない)、旧小坂村域での現在の栽培の中心は横枕町・金市町・千木町付近…丁度金沢東インターの周辺…となっています。
現在は旧小坂村以外の地域…薬師谷とか、才田とか、津幡町とか…にも広まっていますし、小坂地区の農家が河北潟に出耕作もしていたりもするので、「小坂れんこん」という名称はあまり使われなくなり、出荷箱は全て「加賀れんこん」となっています。
八田町は…産地としては挙げられてませんね。でもレンコン田が1~2枚ぐらい有るのは見た記憶があります。多分作られ始めてからそんなに経ってないんじゃないかと。
私の子供時代には金沢近郊で蓮根栽培が盛んだったことから、煮〆(煮しめ)として普通に蓮根が食卓に上りました。シャリっとした歯応えと糸を引く様が面白く大好きな食材の一つでした。故郷を離れてからはなかなか美味しいレンコンに出逢えていません。
現在こちらで作られている品種は‘支那白花’と言う品種で、歯ごたえよく、デンプン質が多くて粘りが強く、味は天下一品…と言われています。
(他の品種と食べ比べたことがないのでどの程度なのか分かりませんが)
この品種は昭和40年代に‘支那蓮種’と言う品種から選抜育成されたと言うことで、グリグリさんの子供時代だとギリギリ品種の切り替わりの境目頃かもしれません。
そう言えば手持ちの資料に千葉県でもこの品種でレンコンを作って居るところがあるようなことを書いてあったのですが、原稿がちょっと前のものなので今でも作っているかどうかは分かりません。
その後、結婚したあとのおせち料理に「酢ばす」が出てきてハス(蓮)を食品名に使う例を知りましたが、これ以外には思い当たりません。「ハスの天ぷら」ではなく「レンコンの天ぷら」がフィットしますね、私は。
石川だと酢れんこんですね。
他の料理でも「れんこんのみそ汁」とか「蓮根羹」とかとにかく「れんこん」なのですが、唯一「はす」が使われる料理がありました。
それは「はす蒸し
なぜこれだけが「はす」なのかは謎。他から入ってきた料理法なのかも???

#余談ですが、グリグリさんの文中にチラッと出てくる「八田みみず」。
何者かをご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、このハッタミミズというのは体長60cm~1mも有る長~いミミズで、日本では金沢市八田町付近の水田にしか生息していません。
同種のミミズはフィリピンやインドネシアなど東南アジアに生息しているそうで、江戸時代の加賀の豪商・銭屋五兵衛が東南アジアと密貿易を行う中で持ち込んでこの地に定着したのでは?と言う説もありますが、具体的なところは不明です。(参考ページ

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[59238] オーナー グリグリ様
とくに石川県の場合、地元の会話においても加賀、能登は頻繁に使われます。出身地や居住地などを特定する場合に、石川県よりも加賀や能登の方が頻度高く使われる、もしくは意識して使うような気がします。
加賀と能登を比較した場合も、加賀よりも能登の方がこの傾向が強いでしょう。加賀は加賀市を特定する場合にはまず使いません。加賀市を特定する場合は加賀市ですが、日常的にはあまり使わないと思います(大聖寺、動橋など主要地域名を使う)。能登は半島名からの特定のように思われるかもしれませんが、地元の感覚では旧国名ですね。
今でもそんな感じです。特に能登の人、中でも奥能登方面の人と接していると感じますね。
加賀方面は「加賀と金沢で更に分けられる場合がある」「加賀市という名称もある程度定着してきてして、加賀…で加賀市を指すような会話も時になされる(とは言ってもやはり大聖寺、山代、山中、橋立、塩屋、…と言った旧町村名を使う方が多いような。動橋は使われる頻度が低くなってるかも…)
そりゃ性格的には「石川県の下位区分の地域割り」的な使われ方になってますし、その境目は旧国境と違ってかほく市と羽咋郡の間になっちゃってますし、どうにかすると衆議院選挙の選挙区の関係で河北郡・かほく市が「中間地域」的な扱われ方することもありますが、それでもなお石川県における「加賀」「能登」は旧国を引きずったものである、と捉えて良いと思います。
この場合の「能登」が「能登国」か「能登半島」か、と言うのも問われるだろうと思いますが、地形的に能登半島に入る氷見市はあくまで「越中」で、「能登」ではない…と言うのが石川の人間の感覚ですので、やはり「能登」は「能登国」由来の地域区分なんですね。
でもこれ以上のことは…上手く言葉で説明できないんですが、とにかく石川県における「加賀」「能登」という地域区分は「県>旧国」でもあり「県<旧国」でもあるとしか言いようが無いです。
この辺の感覚は、何というか、石川の人間、特に能登の人と直に接してもらって感じてもらうしかない…と言ったところでしょうか。

#でも旧国が隣県と跨る形にならなかったからこそ今でも旧国を引きずっている、と言うことなんでしょうね、多分。

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おまけ。
[59252] ぺとぺとさん
この重複、EMMさんに[59207]でやんわりと指摘されるまで全く気付いていませんでした。せっかく、関連記事をまとめていただいたのに恐縮至極です。。。
白状しますと、[59161]は中身を見落としてました。
[59205]を見ていろいろと調べているうちに、「そう言えば軽井沢だかどっかあっちの方の物件の投稿記事を見て回りを見渡していたら何か見つけたのを書いてなかったぞ」というのを思い出して[59207]の後半を書き足したのでありました(汗)。


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