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スナフキんさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[88093]2015年7月17日
スナフキん

[88093] 2015年 7月 17日(金)12:53:57スナフキん さん
戸井線のこと
メンバー紹介からもドロップアウトし、完全にユーレイ化してしまいましたが。
[88086]ペーロケ さん
五稜郭駅から分岐といえば、戸井線も気になります。
ここ、私実際に歩いてます、五稜郭から湯の川近くまで。
ただし、時は今を遡ること20年以上前、高校に入りたての1991年でした。
ご紹介ページの転用道路も、当時はまだ整備途上でこれほど綺麗に整備され尽くしておらず、足場の悪い砂利道をそこそこの距離歩かされた記憶があります。当時はインターネットの「イ」の字すらない頃で、自身の資料収集能力も乏しかったことから、現地で謎解きすべく湯の川近くの何でも屋さんに「裏の土手は何かの跡ですか?」なんて訊いたことで、謎が解決したんでしたっけ…懐かしいなぁ。この頃から、大事なこと・必要な情報は現地で探すという地図屋の基本行動が、ボチボチ身に付いていたのかもしれません。

道南ワイド周遊券を学割で買って大暴れしたのですけど、そのこと自体ももはや実行できないいい経験だったのもさることながら、当時はまだ札幌の地下鉄も市電も冷房がなかったし、今や最後の定期客車列車となることが確定的な急行「はまなす」は、青函トンネル開通ブームがまだ冷めやらぬ夏休みシーズンで12両の長大編成だったし、札幌近郊でも電気機関車牽引ながら客車列車が残っていたし。そう言えば前の日宿泊したイクサンダー大沼ユースはベッドが足りず、ミーティングルームや食堂、廊下にまで布団を敷いて宿泊者を収容してたんだよなぁ…今となってはユース自体も消滅していますし、どれ一つとっても考えられないことばかりが頭の中に記憶としてこびりついた、初の渡道経験でした。

何よりもこの時、小樽からニセコまで乗った人生初のSL経験は忘れられないですね。この時自分を引っ張り上げてくれた機関車に数年前、維持管理ができなくなって自走できない姿で保存されているのに苗穂の工場で対面した時は、夢の潰えた成れの果てにいたたまれず、恥ずかしいくらい泣いてしまったのも思い出します。

そんな地も、あと半年もすれば新幹線という名の化け物で首都圏から一本になるんですよね。時代は変わるものです…と言うか、自分も歳を取ったなと実感します(苦笑)。


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