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matsuさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[48661]2006年1月23日
matsu

[48661] 2006年 1月 23日(月)15:03:49【1】matsu さん
穏原小学校
ちょっと遅くなりましたが、

[48334] hmt さん
いつも詳しい解説をありがとうございます。

「渋谷区隠田」は、表参道沿いから南にかけて、つまり現在の「渋谷区神宮前」の南半分でした。

先日見かけたのですが、神宮前三丁目にある妙円寺の入口のところに、「渋谷区教育委員会」名の金属製の史跡案内板(というのでしょうか?)があり、「穏原小学校旧跡」というタイトルで以下のような内容の記述がありましたので、一部抜粋いたします。
この、妙円寺の道路を挟んだ向い側に穏原小学校という小学校があったそうです。この小学校は、
妙円寺寺子屋の児童を収容し、
明治14(1881)年に、穏田・原宿両村の連合小学校として、当時の原宿70番地に開校した。
明治21年に、児童数増加の為、当地(妙円寺)向い側に移転、
明治33年に、原宿170番地に、さらにまた現在の原宿中学校地に移転する。
大正11年に、児童数増加の為、分教場(現・神宮前小学校)が開校、
昭和20年5月、空襲により校舎焼失、
児童数激減により、児童を神宮前小学校に移す。
昭和21年3月、65年の幕を閉じる。
といった内容でした。(必ずしも原文のままでは無いかもしれません、道端でそそくさとメモを取っただけなので)
この中の「原宿中学校」は、平成9年4月に外苑中学校と統合し、「原宿外苑中学校」となっており、現在はありません。跡地は、介護施設になっているようです。
この案内板も随分以前に設置されたことがわかりますね。
「当地」の番地が何番地であったのかはよくわかりませんが、「穏田・原宿」両村の一帯は当時から一つの地域としてのまとまりがあった。それと、戦前・戦中を通じて、人口が増加していた、といった二つの様子がうかがわれます。
面白いのは、「穏原小学校」は分校である「神宮前小学校」に吸収されたのに対して、その跡地に出来た「原宿中学校」は、元々「外苑中学校」の分校だったそうですが、結局元に戻り、分校である「原宿中学校」の方がなくなりました。穏原小・原宿中共に場所が悪かったのでしょうか?二代?に渡って廃校となってしまったようです。

「穏原」は「おんはら」でよいのでしょうかね~?素直に読めばそうなるかと思いますが、どうなんでしょうか・・・

ではでは。

※3行目追加


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