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今川焼さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[104912]2022年7月8日
今川焼

[104912] 2022年 7月 8日(金)11:58:22今川焼 さん
Re:クイズここはどこでしょう
[104905] 千本桜さん
クイズここはどこでしょう

なじみのある地域なんですがすぐにはわからず、結局「R日記」がヒントになって、他の地名がスラスラと出てきたという次第です。
昭和44年に国道D号でA丘へ行かれたとのことですが、私も同じ年に(小学3年でした)町内会のバス旅行で同じコースを通ってA丘へ行っています。今から思うと、昭和40年台初めに国道D号の舗装・2車線化の改良工事が行われ、観光バスで気軽にA丘へ行けるようになって、「それじゃあ町内会で行ってみようか」ということになったんだと思います。
私はK町から先へ行くのは初めてで、当時から地理好きだったので目を皿のようにして景色を見ていました。
L郡とM郡の境に出来たループ橋と1000mを越す長いトンネルに目を見張り、O峠の麓まで来ると今は木々が生い茂って見えませんが、急斜面を行くつづら折りの道を車が右へ左へ行き交う様を見上げ度肝を抜かれました。このO峠の途中に改良工事完成を記念して建てられた歌碑があって、「牛の背に 我ものせずや草刈女 「O」三里はあふ人もなし」と刻まれています。作者は「R日記」の中で何度もその歌を紹介された地元M郡出身の夭折の歌人です。この歌人のことを知ったのは「R日記」を見てからですが。
O峠もそうですがT峠も今から思えば難所ですが、当時の国道としては立派な峠道でした。トンネル建設により立派な国道としての命脈は10年前後でしたが。今はバイパスができて通ることもなくなりましたが、V温泉の木造旅館もよく覚えています。

それからF町とK町、この地域のライバル都市とも言える2都市ですが、かつては明治時代にルーツを持つ県立高校があり、この地域のバス会社の本社があり、また地元資本でショッピングセンターを建てたりとK町の方が勢いはありましたね。一方、F町は鉄道の要衝ではあったのですが、移動手段が自動車主体の平成になって高速道路のジャンクションができると、イオンが進出するなど商業集積が進んで広域的な商業中心はこちらへと集約されてきました。
K町は交通の要衝ではあったんですが、平地が少なく開発の余地があまりなかったことも自動車時代に適応できなかった要因のように思います。

千本桜さんには、いろいろと懐かしい風景を思い出させていただいきありがとうございました。


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