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伊豆之国さんの記事が1件見つかりました

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[105401]2022年9月13日
伊豆之国

[105401] 2022年 9月 13日(火)23:00:21伊豆之国 さん
91年ぶりに鉄道が戻ってくる温泉の街
ルート上にある佐賀県との「行き違い」もあり、「飛び地路線」としての開業を余儀なくされるなど、前途多難が予想される西九州新幹線「長崎ルート」ですが、ともかく武雄温泉~長崎間の部分(暫定)開業がいよいよあと10日後に迫ってきました。
ところで、この新幹線に開業する駅の1つに「嬉野温泉」という駅があります。この「嬉野温泉」駅が設置される嬉野市は、駅の開業により、実に91年ぶりに「鉄道が戻ってくる町」になるのです。この鉄道駅復活までの長い道のりについて、こちらの記事がありました。
この記事によると、博多と長崎を結ぶ「長崎街道」の要衝としても賑わっていた嬉野が、明治になって博多方面と長崎を結ぶ鉄道が建設されたとき、(肥前山口~諫早間が)現在の佐世保線・大村線を経由するルートを採ったことにより、鉄道から取り残される形になったこと、その経緯として、嬉野町に残っている「客が逃げる」という「鉄道忌避伝説」、陶器産業で栄えた有田町が鉄道誘致に力を挙げたこと、更に決定打となったのが、当時の技術では大村方面への峠越えルートでの路線敷設が難しく、有田~早岐を経由する現在の佐世保線ルートのほうが工事が容易だったといったことが理由として挙げられています。
鉄道路線が外れて繁栄から取り残された嬉野町と、やはり長崎線のルートから外れていた、「日本三大稲荷」の1つにも数えられている「祐徳稲荷」がある現在の鹿島市は、当時の長崎線にあった武雄温泉とを結ぶ鉄道路線を計画し、まず武雄と鹿島を結ぶ「祐徳軌道」が明治40年(1907)までに開業し、その後、祐徳軌道の塩田(現在は嬉野市域)から嬉野までの間に「肥前電鉄」が電化路線として大正4年(1915)に開業。当時の九州には電化路線は福岡・北九州・大分にあった路面電車ぐらいしかなく、地元でも驚きだったと伝えられているそうです。
しかし、せっかく開業にこぎつけた嬉野への鉄道も、昭和を迎えると早くも消滅の日を迎えることになってしまいます。有明海沿いを走る現在の長崎線ルートの開業により、客を奪われた祐徳軌道は補償付きで昭和6年(1931)4月に廃線。宙ぶらりんになった肥前電鉄もその年の10月に廃線のやむなきに至り、開業からわずか16年で終幕を迎えることになったのです。そして、あれから91年の月日を経て、ようやく嬉野に鉄道駅が戻ってくる日を迎えることになったのでした。
嬉野市の「鉄道空白期間」91年は、3年前に「ゆいレール」の延長開業で鉄道が戻ってきた浦添市の74年間([98519])を大きく上回り、鉄道廃線から復活までに要した期間の最高記録を更新することになる運びとなりました。

…第61回十番勝負もいよいよ間近ですが、嬉野温泉駅の開業で、十番勝負・第48回の問四と問五の想定解が次のように変動します。
・問四「鉄道駅(旅客駅)がない市」から嬉野市が該当しなくなる
・問五「温泉の付く駅がある市」に嬉野市が新たに該当する

一方、「鉄道駅がない市」に「留萌市」が該当することが決定しています。留萌線は既に留萌~増毛間が6年前に廃線([92042] MasAkaさん)となり、留萌駅が終点となっていますが、残存区間も4年後までに2段階で廃線となることが決まり、石狩沼田~留萌間は早ければ来年3月末にも廃止されることになりそうです。
また、「市」ではありませんが、第48回・問五の解説記事の「番外編」([96148])で取り上げた「温泉駅がある町村」から、「七飯町」が既に非該当になっています。町内にあった、函館線の「砂原回り」にあった「流山温泉」駅が今年3月に廃駅となっています。もっとも「流山温泉」は、既に数年前から駅名の由来である温泉施設が閉鎖になっていたようで、TV番組で「秘境駅で日常利用者を探せ」というコーナーで見た記憶がありました。


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