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なぜ「中国」地方というのだろうか?

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記事数=6件/更新日:2003年5月5日/編集者:オーナー グリグリ

鳥取、島根、岡山、広島、山口の5県を指して「中国地方」といいますが、そもそもなぜ「中国」地方なのでしょうか?お隣の中華人民共和国の略称としても使われるこの名前について、一度は疑問に思った方が多いのではないでしょうか?このことについての議論をまとめました。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[2579]2002年8月15日
黒髪
[2591]2002年8月15日
だいてん
[2596]2002年8月16日
黒髪
[2600]2002年8月16日
たけもと
[2625]2002年8月18日
だいてん
[11156]2003年3月13日
三丁目

[2579] 2002年 8月 15日(木)15:20:13黒髪 さん
中国地方・・・名前の由来
なぜ「中国」地方というのだろうか?
九州(大陸の窓口)と近畿(都)の間にあるからと教えられたような気がしますが、正確にはどうなのでしょうか?
また、いつ頃から使われるようになったのでしょうか?
ネットで調べてもわかりませんでした(漠然としたものは、上記の通り)。

蛇足:
中国地方出身の人は「俺は中国で生まれ育った」などというネタを使う場合があります。
[2591] 2002年 8月 15日(木)23:48:11だいてん さん
>[2579]
中国地方の由来についての理解は以下のようなものです。

10世紀ごろ、「律・令・格・式」という法体系が出来上がりました。
その中の「延喜式」という法律で、全国の国を都からの距離に応じて畿内、近国、中国、遠国に分け、公文書の提出期限などを分けていました。
その分類表は以下の通りです。

畿内…山城、摂津、和泉、河内、大和
近国…若狭、美濃、尾張、三河、伊賀、伊勢、志摩、近江、丹後、丹波、但馬、播磨、淡路、紀伊、備前、美作
中国…越中、加賀、能登、越前、甲斐、信濃、飛騨、遠江、駿河、伊豆、因幡、伯耆、出雲、備中、備後、阿波、讃岐
遠国…陸奥、出羽、常陸、下野、上野、武蔵、上総、下総、安房、相模、越後、佐渡、隠岐、石見、安芸、長門、周防、伊予、土佐、筑前、筑後、肥前、肥後、壱岐、対馬、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩

つまり中国とは、「都から中程度離れている国」っていう意味ですね。
ですから都から西の方だけでなく、東の方―中部地方の一部―も含みます。
さらに西の方でも、島根、広島の一部や山口県を含まず、香川、徳島を含み、現在の中国地方とはずれがありますね。
しかし、この「中国」が中国地方のもともとの語源であることは間違いないと思います。

…ただ、中国地方という単語がいつから使われたか、なぜこの名前が採用されたかはちょっとわかりませんでした。
なお、延喜式についての記述などについて、「戸田孝の雑学資料室」http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/misc.htmlをパクらせて…もとい、参考にさせていただきました。
[2596] 2002年 8月 16日(金)02:14:30黒髪 さん
RE:中国地方の由来
[2591]
だいてんさん、どうもありがとうございました。
都を中心として東の方も中国だったんですね。
そうなると、新たな疑問が・・・
なぜ現在の中国地方だけ中国として残ったか?
現在の中部地方の辺が中国地方として残る可能性もあったのか?
ちょいと難しいかな?
[2600] 2002年 8月 16日(金)11:23:17たけもと さん
中国地方
[2591]
>その中の「延喜式」という法律で、全国の国を都からの距離に応じて畿内、近国、
>中国、遠国に分け、公文書の提出期限などを分けていました。

中国の由来は延喜式が出典であるという説をよく見かけますが、これが中国地方の謂れ
であるかというと意味が違う気がします。

そもそも「中国」と一致する中国地方の国は、因幡、伯耆、出雲、備中、備後の5国しか
なく、半分も一致しません。

やはり「中国地方」の由来としては、大陸との窓口であり西の拠点である九州地方と、
都があり国家の中心であった近畿地方という両拠点の中間に位置していたから、という
説を採るべきでしょう。

ですから、
[2596]
>都を中心として東の方も中国だったんですね。

律令制では「中国」でも「中国地方」になることはないでしょう。
[2625] 2002年 8月 18日(日)00:42:25だいてん さん
中国地方
>[2600]
>そもそも「中国」と一致する中国地方の国は、因幡、伯耆、出雲、備中、備後の5国しか
>なく、半分も一致しません。

>やはり「中国地方」の由来としては、大陸との窓口であり西の拠点である九州地方と、
>都があり国家の中心であった近畿地方という両拠点の中間に位置していたから、という
>説を採るべきでしょう。

なるほど。確かにそうですね。
そこで、新たな疑問が。
いつごろから中国地方は「中国」と呼ばれていたのでしょう?
単独の島である四国や九州は、かなり昔からそれが1つの地方と認識されていたと思います。
ですから、それが国の数にちなんで四国、九州と呼ばれるのももっともです。
また、関東地方は「関八州」と呼ばれていた地域ですね。
近畿地方は畿内とそれに隣接する国で形成されています(淡路島は例外ですが)。
東北地方と中部地方は、その位置をただ単に表しているだけですね。
中国地方は、その由緒ある命名からして、かなり以前からそう呼ばれていたと考えるべきでしょう。
私は中国地方に住んでいたことがないので地誌や歴史に疎いのですが、いつから中国地方は「中国」と呼ばれていたのか、どなたかご存知ありませんか?
[11156] 2003年 3月 13日(木)20:08:02三丁目[YJ3] さん
Re:2579
先日、友人にメールで、中国地方の由来のことを紹介しました。すると、電気専攻だったけど、書き込まれている内容に反論があるとのことで、3、4度ほどメールでやり取りしました。それで、私も記紀の時代の「中つ国」が中国という地域名の由来説がソウカモナと思うようになり、ご紹介がてら、代理書き込みいたします。本人は、任せる、と言ってるものですから。以下、引用です。

中国地方の由来は,古事記および日本書紀(以下,記紀)の神話に出てくる「中つ国」を起源とする説が有力とされています。

日本神話では,皇祖神とされるアマテラスと,その弟神スサノオとの天上界でのやり取りが,天の岩戸伝説でよく知られていますが,アマテラスと決別したスサノオが地上に降り立ったのが,「中つ国」の出雲だったとされています。

スサノオは,ヤマタノオロチ退治を経て,出雲に本拠を構えて中つ国の統一事業に乗り出します。
そしてその息子とされるオオクニヌシは,因幡の浜で泣いていたシロウサギを助けると,ウサギの予言によって兄たちを出し抜くことができ,ついには中つ国の覇者となったのです。

しかしその後,オオクニヌシは天上界からの侵略者との戦いに敗れ,自分を出雲大社に祭ることを条件に中つ国の覇権を明渡す,国譲りにより隠居します。そして神話は日向の高千穂への天孫降臨,つまり天下り以降,天皇家の祖先,天つ神の話が続き,出雲は神話の舞台から遠ざかります。

以上の記紀の記述から,中つ国とは,天つ神による大和朝廷以前に,スサノオ,オオクニヌシら国つ神の出雲政権が支配した領域のことであり,山陰地方を中心とする地域であることは確かだと言えます。

それでは中つ国,つまり出雲王国の領土は,山陰地方だけだったのでしょうか。

記紀は天皇家の正統性を誇示することを主目的としており,アマテラスに始まる天つ神の神話だけを書き連ねればよかったはずです。それが,打倒した出雲の王の活躍を,こうまで高らかに書かなければならなかった理由はなんでしょうか。

その答として,実は出雲王国が日本最初の統一国家であり,大和朝廷はその政権を簒奪した革命勢力だったというのが,隠された史実だと考えることができるのです。 記紀では出雲王国の存在を隠そうにも,出雲の習俗が全国に浸透してしまっていたためにできず,国つ神の神話としてメインストーリーに残さざるを得なかったのだと考えられます。

つまり中つ国は,少なくとも現在の中国地方全域,さらには近畿や北九州までもを領域とする,古代日本の中心地域のことだったと考えられるわけです。出雲政権の領土が広範囲に亘っていたことを裏付ける根拠として,以下のことがあげられます。

(1)国譲り以降の大和朝廷による日本統一に至る過程で,吉備の豪族との戦いや,九州での反乱(磐井の乱)などが記述されている。もし,出雲政権が山陰地方だけの豪族勢力だっ たとすれば,これらの反乱と同様に扱われて,神話前半の主人公には出てこないはずである。これらの反乱は,出雲政権の残党か,新政権の支配に反発した豪族勢力との戦いだったと考えることができる。

(2)日本全国には,スサノオやオオナムチ(オオクニヌシ)を祭神とする神社が数多くあり,大和朝廷の支配以前に,出雲王朝の支配が広範囲に及んでいたことが推定される。また,祟神天皇の時代,疫病が大流行したため,その名のとおり全国に多くの神社を建立したという伝説があるが,これは歴史から隠蔽されようとした国つ神の怨霊のせいだと信じられたためで,それを鎮めるために国つ神系の神社が多く作られたという説もある。

(3)さらに
・天つ神の元祖アマテラスを祭っているのが,近畿の外れの伊勢神宮であること
・ニニギノミコト,ウガヤフキアエズ,神武天皇などの天皇家の祖先を祭っている神宮の多くが,宮崎県(日向)にあること
・天皇の陵墓である古墳の多くが,大阪府(和泉)にあることがあり,大和地方は,朝廷の本拠地でありながら,天皇家を祭る宗教環境になかったことを物語っている。

つまり,中つ国」とは古代日本全域のことであり,その主要地域が現在の中国地方だったことから,その名前を起源としていると考えられているのです。

ということで、既にアーカイブにあるし、半年以上前の話題なので、ちょっと書き込みをためらいつつも、ご紹介しようと思った次第です。

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