補足です。1953年12月25日に奄美群島の1市5町14村が本土復帰しています。
以下が復帰した市町村(カッコ内は米軍統治下での市町村の変化)です。
名瀬市(昭和21年7月1日名瀬町が市制)
古仁屋町
三方村
大和村
住用村
龍郷村
笠利村
西方村
宇検村
実久村
鎮西村
喜界町
早町村
亀津町
伊仙村
天城村
東天城村
和泊町
知名町(昭和21年9月1日知名村が町制)
与論村
(以上すべて鹿児島県大島郡)
自治体の数は問題になった20というのと同じですし、これら20市町村の人口も20万人あまりで
216,080人
と僅差であります。
また、1970年の国勢調査には、他の県は「長野県」「滋賀県」などと書いてあるのに対し、沖縄県に該当する地域は「沖縄」と『県』がついていませんでした。米軍統治下では「沖縄県」というのが置かれていたのではなく、あくまで「沖縄」という『日本の統治外であった南西諸島一帯』の地域の名称だったに過ぎなかったのではないでしょうか。そして上に述べた20の自治体が1950年に「沖縄」としてカウントされ、1953年に「沖縄」から「鹿児島県」へと復帰した…。
私は以上のように考えましたが、ふぁいんさん、白桃さんいかがでしょうか?
あくまで自分の推測ですので確たる証拠は持ち合わせておりませぬ。
うむぅ、気になる・・・。