[79289]千本桜
[79282] で書き込んだ207町の名称は明治41年発行の仙台市史を見て書きました。しかし、市史に町名記載漏れの疑いを感じています。私は、仙台区廃止時に「上杉山通」という町名があったはずだ、あって当然だ、と思っているのですが、仙台区末期の町名リストに「上杉山通」がありません。なぜ「上杉山通」があって当然だと思うのか。
仙台の街は
奥州街道に並行して
勾当台通、
堤通、
外記丁通、
上杉山通、
同心町通、
中杉山通、
光禅寺通、
二本杉通、
杉山通などの街路が走っています。
以上の9街路名は同時に町名でもあります。この9町は仙台市史の中の町名リストすべて(明治11年、明治14年、明治22年市制直前、明治22年市制直後のリスト)に記載されており、陸前国仙台区各村町調書(明治17?18年頃のものと推定)にも載っています。ただ一つ、明治22年市制直前の町名リストに上杉山通が見あたらないことを除いては・・・。市制間近になって上杉山通だけが消滅し、市制直後に再び登場するのは不自然です。これは、仙台市史が市制直前の町名リストに上杉山通を書き忘れた可能性が非常に高いと推察します。ほかにも記載漏れがないか、市制直前と市制直後の町名リストを照合して確認します。
まず、市制直前の字・町数は旧市街の町が207町、周辺5村から編入した字が16字です。次に市制直後の町数ですが、仙台市史は下のように記述しています。
明治22年市制を仙台区に施行し、4月1日を以て仙台市と改称せり、(中略)区域内の字名称226即ち左の如し
市史は市制直後の字数を226と書いています。内訳は旧市街の町が210町、周辺5村から編入した字が16字になるものと思われますが、字・町名を点検すると228になりました。226とする市史の数と合いません。合わないのは、あやまって重複記載された町名が1つあるためですが、もう1つの原因は分かりません。仙台市史を編纂する際に数え間違えたかもしれません。記録とは、かくも危うきものなのです。ここでつまずいてはいられません。市制直前の町名リストに上杉山通が漏れているのではないか。ほかにも漏れている町があるのではないか。その問題解決に向かって進むことにします。
まず、町を3つに分類します。A:市制直前・直後双方のリストに記載された町。B:市制直前リストに記載があって、市制直後リストに記載がない町。C:市制直前リストに記載がなくて、市制直後リストに記載がある町。以上3種類です。ここで重要なのはCです。Cに属する町は上杉山通、米ヶ袋中ノ坂など14町です。Cに属する町を表形式で表します。表の凡例は次の通りです。
M11=明治11年の町名リスト。M14=明治14年の町名リスト。M17頃=陸前国仙台区各村町調書の町名リスト。市制直前=仙台区末期の町名リスト。市制直後=仙台市発足当時の町名リスト。以上、5つのリストを対象に、町名が記載してあれば○、なければ×を付します。
町名 | M11 | M14 | M17頃 | 市制直前 | 市制直後 |
上杉山通 | ◯ | ◯ | ◯ | × | ◯ |
米ヶ袋中ノ坂 | ◯ | ◯ | ◯ | × | ◯ |
米ヶ袋鹿子清水通 | ◯ | ◯ | ◯ | × | ◯ |
大聖寺裏門通 | ◯ | × | ◯ | × | ◯ |
新河原町行人塚 | × | × | × | × | ◯ |
越路瑞鳳寺門前丁 | × | × | × | × | ◯ |
二十人町通 | × | × | × | × | ◯ |
八幡町崖下 | × | × | × | × | ◯ |
通町北裏 | × | × | × | × | ◯ |
堤通東 | × | × | × | × | ◯ |
堤町土手下 | × | × | × | × | ◯ |
穴田下堤 | × | × | × | × | ◯ |
北七番丁明神 | × | × | × | × | ◯ |
北八番丁雨宮 | × | × | × | × | ◯ |
上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は市制直前の町名リストに記載されていませんが、市史編纂時に書き漏れした可能性が非常に高いと推察します。大聖寺裏門通が明治14年の町名リストに記載されないのは、当時、元寺小路周辺の小規模町(大仏前、同心町中丁、元貞坂、大聖寺裏門通など)が、一括して元寺小路の名に包含されていたからだと推測します。大仏前、同心町中丁、元貞坂は市制直前の町名リストで復活していますから、同時に大聖寺裏門通も復活していたはずです。記載がないのは書き漏れでしょう。新河原町行人塚~北八番丁雨宮の10町については、市制直前に公的な町として存在しなかったとみて良いはずです。
念のために、上記14町に関する角川地名大辞典の記述を読んでみました。14町は明治41年発行仙台市史に市制直後の町名として記載されています。それなのに地名大辞典は、北七番丁明神を昭和初期~45年の仙台市の町名、北八番丁雨宮を大正期~昭和45年の仙台市の町名と書いています。あくまでも勘ですが、この件に関しては地名大辞典の記述が正しいように感じます。昭和初期や大正期に成立した町が明治41年発行仙台市史に記載されているのは不思議でなりません。これ以上追求しても新たな資料を得ることはできないでしょうから諦めますが、一体、何が真実なのか。何を信じれば良いのか。たかが120年ほど前のことなのに、底なしの泥沼です。
上杉山通:江戸期~昭和45年の町名。
米ヶ袋中ノ坂:江戸期~昭和45年の町名。
米ヶ袋鹿子清水通:江戸期~昭和45年の町名。
大聖寺裏門通:江戸期~昭和45年の町名。
新河原町行人塚:⇒行人塚
越路瑞鳳寺門前丁:⇒霊屋下
二十人町通:明治22年~現在の仙台市の町名。
八幡町崖下:昭和21年以降~42年の町名。
通町北裏:明治期~昭和53年の町名。
堤通東:昭和初年~45年の仙台市の町名。
堤町土手下:江戸期~昭和53年の町名。
穴田下堤:昭和期の仙台市の町名。
北七番丁明神:昭和初期~45年の仙台市の町名。
北八番丁雨宮:大正期~昭和45年の仙台市の町名。
88さんへ
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等に記載すべき「仙台区の町名」に関する私的結論はまた後日書き込みます。