[89540] EMM さん
「新湊」は単独の港を示しておらず、複数の港町を統合するために明治初期に新造された瑞祥地名と言えるものである
オフ会で訪れた際に記した
[89242]では、古代からの伏木港との対比から「新湊」と呼ばれたものと思っていました。
落書き帳では、既に2011年の記事
[78880] EMM さん によって詳細に説明されていること。
明治4年という意外に新しい時代に作られた地名であること。
明治前期の「新湊」は 伏木までを含んでいたこと。
3つの重要なポイントを指摘していただき、ありがとうございました。
せっかくの機会なので、当時の資料における「新湊」の記載状況を確認してみました。
最初に、幕末の状態を記録した
旧高旧領取調帳データベース により、越中国射水郡に存在した村名を検索。
確かに「新湊」は検出されず、江戸時代には「新湊」という港の名が無かった
[78880]ようです。
六渡寺村, 放生津村, 伏木村, 古府村は出るが、国府は出ません。高岡の金屋村は出るが、馬出は出ません。氷見町は出るので、「町」は出ないということではないようです。
明治8年12月共武政表
越中国射水郡に「新湊」が存在することを確認できます。
「湊」という文字は、高岡駅の「駅」や氷見町の「町」に対応する言葉でしょうか?
明治12年12月
郡区町村一覧 富山県越中国射水郡の記載
右ページ最後付近などを列挙。小矢部川左岸らしき「新湊町元伏木村」などの町名に注目。
…中伏木村, 中伏木新村, 六渡寺新村…新湊町元六渡寺村…新湊放生津町…新湊放生津新町…新湊町元伏木村…新湊町元古府村,新湊町元古国府【その他にも新湊町◯◯村あり】…高岡◯◯町(68)…氷見◯◯町(18)…
[78880] EMM さん
地名大辞典の地名編と地誌編のところで合併した町村の名が違っているのは気になりますが
地誌編には伏木を合併したと記してあるのに地名編では脱落。しかし明治12年の町名を見れば、少なくとも郡区町村編制法施行の時点では小矢部川左岸の伏木地区まで新湊になっていたことは確かなようです。
明治19年1月
地方行政区画便覧
この便覧は、伏木町が新湊町から分離する直前です。
富山県越中国射水郡の記載中から戸長役場所在地単位で記すと、小矢部川左岸の新湊伏木村, 新湊古国府【町村がついていない】は、氷見中町, 氷見御座町と同じ 389コマに記されています。
そして、その後に高岡の戸長役場所在地である高岡片原町, 高岡御馬出町, 高岡木町が記され、小矢部川右岸にある新湊六渡寺村, 新湊放生津新町, 新湊放生津町は 390コマと、既に離れて記されています。
庄川の河口を小矢部川河口と分離して現在の位置に移した工事は明治末期と思われますが
[89248]、明治19年の便覧や伏木町分離は、それを先取りしているようです。
最後に、変遷情報に記録されている町村制施行時点での新旧町村名をリンクしておきます。
富山県射水郡
新湊町、同
伏木町