既に死語状態になっていますが、「鉄のカーテン」という言葉がありました。
コトバンク
これは、ヤルタ会談に3首脳の一人・イギリス首相として参加した ウィンストン・チャーチルが、1946年の演説に使った言葉です。
バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで 鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている。
その線の背後には中央ヨーロッパおよび東ヨーロッパの古い国々のすべての首都がある。
こうしたすべての有名な都市とその周辺の住民はソ連の勢力範囲内にある。
チャーチルは名文家でもあり、大戦回顧録など 文筆活動により、1953年ノーベル文学賞を受賞しています。
それはさておき、
20世紀後半の大部分、ヨーロッパをこのように二分割する結果をもたらした第二次大戦の開始【注】は、1939年9月1日、ナチスドイツのポーランド侵攻 でした。
ポーランドの同盟国であった英仏両国も、これに応じて宣戦布告しました。
今日 2019/9/1は、1918年に収束した欧州の戦乱が、僅か21年弱の平和を経て再発してから 80年目でした。
なお、大戦開始後間もない 1939/9/17には、ソビエト連邦も東から侵攻してポーランドを挟み撃ちする形になりました。最初は獲物を分割したドイツとソ連。
この両国が戦争状態になったのは、1941/6/22でした。
【注】第二次大戦の開始
日本が 中国で起こしていた 宣戦布告なき戦争【当時の呼び名は支那事変】は、ドイツとの同盟とは無関係です。日本とソ連との間には、1941年に
日ソ中立条約が結ばれていました。
今回の
シリーズ第1回で、「ヨーロッパ・ピクニック」を、”遠い東ヨーロッパのニュース”と書いていました。
しかし、チャーチル演説にあるように、「中央ヨーロッパ」の方がよさそうだと、後で気が付きました。
鉄のカーテンの東から西への脱出事件のため、意識せずに「東ヨーロッパ」と書いてしまったようです。