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じゃごたろさんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[66858]2008年9月23日
じゃごたろ
[66572]2008年9月1日
じゃごたろ
[65898]2008年7月30日
じゃごたろ
[65823]2008年7月20日
じゃごたろ
[65682]2008年7月6日
じゃごたろ

[66858] 2008年 9月 23日(火)20:43:39【3】じゃごたろ さん
ひとごと?
こんばんは、じゃごたろです。
地名コレクションをすべて投げ出した私がいうことでもないでしょうが。

[66857] 鳴子こけし さん
 どうしましょ

残念ながら編集長(EMMさん)が危惧されているのも理解できないこともないですね。自分自身が指摘されながら「どうしましょ」とひとごとのようなレスでは、なかなか他者の信用を得ることは難しいでしょうね。まずは、

・自分自身の判断基準を明確にし、自分自身で納得できる。
・他者に説明を求められても、その判断基準をちゃんと説明できる。

事が重要でしょう。やっつけで判断基準を決めても、「なんか変だな」と思うことがおうおうとしてあります。また自分では理解していると思っていても、誰かに質問されるとうまく返答できないことがあります。そういう場合は、まだまだ自分自身が十分に理解ていないところがある証しです。

編集長と判断基準が異なったとしても、それが十分に説明できれば、編集長の理解は得られると思います。「おねがいします」の前に自分自身の考えを見つめてみてください。

以上。。。


※ 追記
以上は鳴子こけしさんへ対するレスとして書き込みましたが、地名コレクションだけじゃなくて、いろいろ調べたデータを書き込む際に十分気をつけない点としては、個人に限った話じゃないですよね。たまに指摘される「定義」の不備によるデータの不備は、せっかくデータを調べるのにつかった時間がもったいないですからね。
[66572] 2008年 9月 1日(月)21:02:53じゃごたろ さん
たつこ町
ごぶさたしてます、じゃごたろです。

今年のお盆休みも帰省を兼ねて収集活動を実施していきました。下北半島、津軽半島とも一周してきましたが、下北半島が半端じゃなく時間がかかったのに対して、津軽半島は思ったよりも楽でした。竜飛岬の付近でも「↑青森82km」だったのに対し、下北半島はむつ市でもそれくらいの距離。ましてや大間崎までとなったらかなりの遠距離です。

下北半島では尻屋埼灯台に行きたかったのですが、途中の道路を牧場の馬とそれに群がる観光客に阻まれて、引き返してきました。県道から灯台に向かうこの道路は、私道を開放しているものですから、馬が最優先です。皆さんも行く機会があったら、決して馬を邪魔ものにしないようにしましょう。

津軽半島では灯台に行く予定はありませんでしたが、道路族の聖地の一つともいえる階段国道には行ってきました。そして何やらオフ会の予定会場となっている十和田湖、鹿角方面にも通過してきましたし。

さて「田子町」。ひらがなで記述した場合「たつこ町」と、「っ」ではなく「つ」という間違いがあったとしても、それはアリでしょう。しかし収集したカントリーサインを見てびっくり。ローマ字には"TATSUKO T."と。完全に「たつこ町」です。自治体名をよく知らない誰かが作ったのか、それとも「たつこ町」の時代でもあったのかな。

これとは違いますが、「ち」を"ti"、「づ」を"du"と表記している標識もたまに見られます。


さて、しばらく前に今年の経県値の話題がありましたが、自分のも計算してみました。今年はかなりアグレッシブに活動しました。

1月・・・帰省・東北遠征、伊豆遠征
2月・・・岐阜・滋賀遠征
3月・・・北関東遠征
5月・・・九州遠征
6月・・・福島遠征、富山遠征
7月・・・紀伊半島遠征
8月・・・帰省・東北遠征

ということで、現時点での今年の経県値は133点です。たしか経県値企画の始まった頃の私の経県値が124点だったので、今年だけでそれ以上の活動をしていたということなんですね。
[65898] 2008年 7月 30日(水)08:17:35じゃごたろ さん
戦力バランスによる地域分け
おはようございます、じゃごたろです。
高校野球の地域分けについての書き込みが多数ありましたが、結局は地理的なものはあまり関係なく、両地区の戦力バランスをできるだけ差がつかないようにということらしいです。神奈川県の場合は東西に分けると、強豪校が多い横浜市が全て同一地区に入るのでそれを南北に分割するための措置らしいですね。これによって慶応と横浜が別地区になる。他の地区に関しても以前の記念大会の経験から地域分けを変えたところも多いそうです。

地域分けしたので、とりあえず「東西南北」をつけただけですから、まあ大目にみてもいいんじゃないでしょうか。
[65823] 2008年 7月 20日(日)22:24:11じゃごたろ さん
地図を読めない人のための案内標識?
こんばんは、じゃごたろです。
三連休は経県値アップも兼ねて紀伊半島での活動です。

さて活動の際に気がついたのが奈良県の案内標識です。他の県では見られない特徴があります。それは交差点の方面の案内標識です。普通に矢印と地名があるのはどこでもみられるのですが、それにプラスして北を示すコンパスが一緒に付加されていることです。案内標識とは言えないような、特定の場所の特殊な看板では見た例はありますが、多くの案内標識に付加されているのは、今のところ奈良県以外では見たことがありません。

さて、この北を示すコンパスですが、果たしてどういう効果を期待しているのでしょうか?

これはたぶん、自分の進行方向に合わせて地図を回転させないと位置関係を把握するのが苦手な、いわゆる「地図の読めない人」用のサポートではないのだろうかと想像してます。もし交差点で迷った時に地図の北を、案内標識のコンパスに一致させて判断するという目的なんでしょうね。私の場合には、自分がどこをどちら向きに走っているかをほぼ把握しながら走っているので、あまり必要ない情報でして、単なる模様にしか最初は感じず、それがコンパスであることを認識したのはだいぶ後のことでした。

当然のことですが、南進しているときには北は下向きで示されます。
[65682] 2008年 7月 6日(日)14:56:10じゃごたろ さん
保存される自治体名
こんにはち、じゃごたろです。
南の地域から徐々に梅雨明けの便りを聞くようになりましたが、梅雨明け前の地域でも真夏のような暑さですね。本日は薄曇りの陽気です、昨日よりはちょっとマシといったところでしょうか。

さて昨日は久しぶりに県内での活動を実施してきました。今回新たに「道路元標」もその目的に追加しました。この道路元標ですが、東京の日本橋にある国道の起点を示すものが有名ですが、これはここに限ったことではありません。いろいろな都市に国道の起終点を示す道路元標が存在します。ですが実はこの「道路元標」、各市町村に設置されているのです。とはいっても大正時代の話ですが。

大正8年に公布された(旧)道路法では「道路元標」は道路の付属物とされ、さらに(旧)道路法施行令でその設置に関して触れられています。

(旧)道路法施行令第九条

道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク

長野県では大正11年に、当時存在した全市町村の道路元標の位置が定められ、告示されています。何しろ80年以上の前に定められたものですから、それらの中には道路工事や区画整理の過程で逸失したものもあるでしょうが、全市町村に道路元標が設置されたはずでして、現在でも多くのものが残されているようです。それ探しに行くという活動です。

収集する上でまずは、その位置をある程度狭い範囲に特定することが必要となってきます。先に述べたように位置は告示されていますから、それを現在の位置に変換するのが第一に肝要となります。大正11年と比較して、現在では存在しない自治体が多いですから。

以下南佐久郡にフォーカスしての話ですが、簡単なのは当時から合併等を経験していない自治体です。例えば南牧村。道路元標の位置は「大字海ノ口1693番地先」となっており、これはネット上の地図でも簡単に調べられました。

次は旧自治体名が地名として残されている場合。大日向村は現在の佐久穂町に含まれますが、佐久穂町の住所で調べることが可能です。「佐久穂町大日向」の地番を調べていくことで、おおよそ位置を限定することができます。これよりもちょっと手数がかかるのが、自治体名は消滅したがその字名が残されているものです。例えば畑八村がその一つです。畑八村は現在の佐久穂町の一部ですが、「畑八」という地名は見られません。しかし道路元標の位置は「大字畑字竹ノ下658番の2地先」とあり、「畑」は佐久穂町内に見られる地名です。これを頼りにして位置を知ることができました。

最も困難なのが住居表示を行っている地域です。大正時代の資料では地番しかわかりませんから、住居表示された地域のどこであるかを地図上で特定するのが難しいです。それでも諏訪地域では、ブルーマップ等の地籍情報を含む地図を閲覧することができて、おおよその場所を特定することができましたが、このような地図は一般の図書館でも所蔵している所が少なく、調査するのに手間がかかったりします。基本的に道路元標は役場や枢要な辻に設置されていることが多いので、現在の支所等の公的施設や、交差点を目安にすることになります。

一部不明な位置も残っていますが、これらの前準備を終えて収集活動へと移りました。昨日は南佐久郡の一部を訪れましたが、その勝敗はというと、

発見できた道路元標・・・川上村、南牧村、北牧村、小海村、南相木村、海瀬村、大日向村、畑八村、栄村
発見できなかった道路元標・・・北相木村、穂積村、青沼村、切原村、臼田町

と、9勝5敗でした。5敗の中でも、実際は存在するのに見つけられなかっだけというのもあるかもしれません。もっとたくさん発見できてもいいのじゃないかと思う反面、これだけ残されているのも喜ぶべきではないか、とも思ったりします。

地名としては現存せず、これまでは文献資料としてのみ触れることが可能であった旧自治体名が、こういう形で実物として実際に接することができたわけです。そして今後も県内に活動を広げていきたいと思うのでした。


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