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【香川県】
三豊郡財田村
大西 豊(おおにし ゆたか)
1911(M44).12.27生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の財田村長。
四国年鑑(昭和28年版)および、
香川年鑑(昭和29年版)、
香川年鑑(昭和33年版)以降も村長。
香川年鑑(昭和39年版)で村長でない。
任期は1947.4-1963.4の4期。
就任時年齢は35歳3-4か月。
三豊郡詫間町(旧)
小林 義郞
1907(M40).11.23生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の詫間町長。
四国年鑑(昭和28年版)および、
香川年鑑(昭和29年版)でも町長。
任期は1947.4-1955.3?の2期と推定。
就任時年齢は39歳4-5か月。
仲多度郡与島村
大前 源吉(おおまえ げんきち)
1911(M44).2.18生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の与島村長。
四国年鑑(昭和28年版)でも村長なので1953.4の合併時まで村長だったと予想。
任期は1947.4~1953.3の2期と推定。
就任時年齢は36歳1-2か月。
大川郡引田町
山本 定次郎(やまもと さだじろう)
1909(M42).7.28生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の引田町長。
四国年鑑(昭和28年版)で町長でなく、
香川年鑑(昭和30年版)で1953年12月22日実施の前首長退職に伴う選挙で当選。
香川年鑑(昭和33年版)でも町長で、
香川年鑑(昭和35年版)で1959年に統一地方選挙で引田町長選挙が実施されてますので、就任は1955年でよいと判断。香川年鑑は以降インターネットで確認できる昭和40年版まですべて町長で、1年飛びますが、四国年鑑でも
昭和42年版で町長で
昭和43年版で町長でないことを確認。
まとめると、
引田町(旧):1947.4-1949以降と1953.12.22(選挙日)-1955.3.31?(合併日)の通算2期。就任時年齢は37歳8-9か月(2回目の当選時は44歳4か月)。
引田町(新):1955.4-1967.4の3期。就任時年齢は45歳8-9か月。
大川郡引田町
柏木 甫
四国年鑑(昭和47年版)で、1971.4.25の選挙に37歳現職で当選。
四国年鑑(昭和43年版)から上記の山本氏の後任町長。
1986年時点でも町長の肩書きのようなので、もし1986まで任期が連続しているとすれば、
任期は1967.4~1986の5期以上。
就任時年齢は34歳。
【愛媛県】
南宇和郡西外海村
藤原 勘一(ふじわら かんいち)
1916(T5).2.4生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の村長かつ
戦後,西外海村(現西海町)の最初の村長を1期務めた。
の記載から
就任日:1947.4.?~?の1期。就任時年齢は31歳2か月。
宇摩郡川之江町/川之江市
星川 鳳一
『製紙産業地域の都市政治』の21ページに1954年実施の川之江市長選挙に関する内容で、
前川之江町長だった星川鳳一は,広島高等師範を中退後,読売新聞記者,北京新民学院教授などを務め,1951年4月の川之江町長選で町を二分する選挙戦を制して初当選を果たした。立候補者の中では最年少の42歳であった。
とあります。また、22ページに
1958年の市長選には,前回市長選において落選後,県議となっていた星川鳳一が,立候補を表明した。(中略)星川,川崎ともに47歳であった。
ともあります。4年しか経過していないのに年齢が5歳違うのが謎ですが、誕生月が11月で1954年は誕生日前の年齢、1958年は誕生日後の年齢と考えれば一応辻褄は合います。生年月日を1911(M44).11.?とすると、1951.4.30時点の年齢は39歳5か月です。また、上記論文に記載の通り、星川氏は1954年の市長選挙は落選していますが、1958年は当選し1期務めています。任期は
1958(S33).12.1-1962(S37).11.30。
まとめると、
生年月日:1911(M44).11?
川之江町長:1951.4~1954.11の1期。就任時年齢39歳5か月?
川之江市長:1958.12.1~1962.11.30の1期。就任時年齢は47歳0か月?
宇摩郡上山村/新宮村
藤田 保
1913(T2).11.6生まれ。
四国年鑑(昭和28年版)にて上山村長。就任日は不詳だが、四国年鑑(昭和28年版)に掲載されていることから1952年以前に30代で就任と推定。※年鑑の市町村長の記載も何年何月時点かは不明だが、1952.12.31時点でも39歳1ヶ月。
自治年鑑では村長ではないので、上山村長就任は1947.4ではない。
また、
四国年鑑(昭和42年版)で新宮村長かつ、
1968年に公金流用事件で辞職。
まとめると、
上山村長:1952以前-1954?までの1期以上。就任時年齢は39歳以前
新宮村長:1967以前-1968までの1期以上。就任時年齢は54歳以前
上浮穴郡川瀬村/久万町
日野 泰
1912(M45).4.1生まれ。
久万町誌より、第21代川瀬村長(1959年の町村合併まで8年間)および、初代久万町長(1959.4.30から4期16年)。
順当に1951年の統一地方選挙(1951.4)から就任と考えれば
川瀬村長:1951.4?~1959の2期。就任時年齢は39歳0-1か月。
久万町長:1959.4.30~1975.4.26の4期。就任時年齢は47歳0か月。
北宇和郡下波村/宇和海村
三善 愛夫(みよし(?) ちかお)
1908(M41).7.22生まれ。
自治年鑑で1947.4の下波村長。
四国年鑑(昭和28年版)では村長ではない。
Wikipediaに宇和海初代村長の記載があり、
四国年鑑(昭和42年版)で宇和海村長かつ以降1974年の合併まで村長。
まとめると、
下波村長:1947.4~?の1-2期?。就任時年齢は38歳8-9か月。
宇和海村長:1958.4?~1974.3.31の4期。就任時年齢は49歳?か月。
東宇和郡田之筋村/宇和町
松本 和芳
1913(T2).10.30生まれ。
1970.3.11の宇和町長再選時に56歳。
四国年鑑(昭和28年版)にて田之筋村長。自治年鑑では村長ではないので、田之筋村長就任は1947年5月以降、1952年度以前。仮に1953.3.31就任だとすると就任時年齢は39歳5ヶ月。また、
Wikipediaより、宇和町長は1954(S29).3の新設合併時から1978(S53)まで。
まとめると、
田之筋村長:1953(S28)以前-?の1-2期。就任時年齢は39歳5ヶ月以前。
宇和町長:1954(S29).4?-1978(S53).?の6期。就任時年齢は40歳5ヶ月?
越智郡大山村/吉海町
織田 英雄
1970.4.10の吉海町長落選時に58歳なので、生年月日は1911(M44).4.11-1912(M45).4.10。
四国年鑑(昭和42年版)から昭和45年版まで吉海町長で、
自治年鑑および、四国年鑑(昭和28年版)と
昭和29年版で大山村長。大山村が新設合併したのは1954.3.31なので大山村長は最長でも2期。
まとめると、
大山村長:1947(S22).4.?-1954?の2期。就任時年齢は34歳11か月~36歳0か月。
吉海町長:1966(S41)以前~1970(S45).4.?の1期以上。就任日および就任時年齢は不明(1954.4以降なので40歳以上にはなる)。
喜多郡五十崎町(旧)/五十崎町
河内 保歳
1970.6.29の五十崎町長再選時に59歳なので、生年月日は1910(M43).6.30-1911(M44).6.29。
四国年鑑(昭和42年版)から昭和52年版まで五十崎町長で、
自治年鑑でも町長。
Wikipediaに1947.4~1954.8に町長の記載あり。※旧・五十崎町は1954.9.1に新設合併で新・五十崎町になっている。
まとめると、
旧・五十崎町長:1947.4~1954.8の2期。就任時年齢は35歳9か月~36歳9か月。
新・五十崎町長:1966以前~1977の3期以上。就任日および就任時年齢は不明(1954.9以降なので40歳以上にはなる)
北宇和郡三間村/三間町
赤松 重男
1909(M42).8.1生まれ。
1970.10.15に三間町長当選(61歳2か月)。
四国年鑑(昭和47年版)からWeb上で確認できる昭和54年版まで三間町長。
自治年鑑で赤松重「勇」が三間村長。自治年鑑の誤記で仮に同一人物であれば、1947.4の就任時には37歳8か月。四国年鑑 昭和28年版、昭和29年版では村長ではない。
まとめると、
三間村長:1947.4~1952以前の1期?。就任時年齢は37歳8か月。
三間町長:1970.10?~1978以降の2期以上。就任時年齢は61歳2か月?。
東宇和郡溪筋村/野村町
松井 清
1971.2.8の野村町長落選時に56歳なので、生年月日は1914(T3).2.9-1915(T4).2.8。
四国年鑑(昭和28年版)および昭和29年版で溪筋村長。自治年鑑では村長ではないので、溪筋村長就任は1947年5月以降、1953年度以前。仮に1953.3.31就任だとしても就任時年齢は38歳-39歳。また
Wikipediaより野村町長は1963(S38).2-1971(S46).2。
まとめると、
溪筋村長:1953年度以前~?の1-2期?。就任時年齢は39歳以前。
野村町長:1963(S38).2.?~1971(S46).2.?の2期。就任時年齢は48歳?。
温泉郡(東中島村/)中島町(旧)/中島町
堀内 博
1971.4.25の中島町長当選時に58歳なので、生年月日は1912(M45).4.26-1913(T2).4.25。
四国年鑑(昭和28年版)および昭和29年版で中島町長。自治年鑑では村長ではないので、中島町長(東中島村長)就任は1947年5月以降、1953年度以前。※東中島村→中島町の改称町制が1952.8.1。
新・中島町の成立は1959.3.31。仮に1953.3.31就任だとすると就任時年齢は39歳-40歳。また
四国年鑑(昭和42年版)から昭和49年版まで中島町長。
まとめると、
旧・中島町長(東中島村長):1953年度以前~?の1-3期?。就任時年齢は40歳以前。
中島町長:1966年以前~1974年の2期以上。就任時年齢は53歳以前。
【高知県】
香美郡日章村
西内 四郎
1914(T3).7.15生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)に1947(S22).6より第18代日章村長の記載あり。就任時年齢は32歳10-11ヶ月で1期。
幡多郡下田町
井上 六助(
いのうえ? ろくすけ)
1912(T1).12.15生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の下田町長で、
高知年鑑(昭和24年版)でも村長。
高知年鑑(昭和28年版)では村長ではない。
1947.4.?-1952以前の1期?。就任時年齢は34歳4ヶ月。
安芸郡吉良川町
細木 幸右衛門
1910(M43).8.18生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)に1948(S23).12より第23代吉良川町長の旨の記載あり。就任時年齢は38歳3-4ヶ月。高知年鑑(昭和32年版)より町長でないので、期数は2期。
安芸郡羽根村
久保 茂男
1916(T5).1.?生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)に1952(S27).12より第9代羽根村長の旨の記載あり。就任時年齢は36歳10-11ヶ月で1期。
吾川郡八田村
津野 正孝
1913(T2).5.1生まれ。
自治年鑑で1947.4時点の八田村長で、高知年鑑(昭和24年版、昭和28年版、昭和29年版)でも村長。八田村は1954.3.1に新設合併しているので、1947.4-1954.2の2期。就任時年齢は33歳11ヶ月。
幡多郡大川筋村
川村 光長
1913(T2).7.15生まれ。
高知年鑑(昭和29年版)で1953(S28).1.30に新人で大川筋村長に当選。正確な就任日は不明だが当選時点で39歳6ヶ月。大川筋村は1954.3.31に合併で中村市になっているので、期数は1期。
長岡郡稲生村
沼 博
1915(T4).10.18生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)で1951(S26).4より第32代稲生村長(かつ1955年の選挙で当選)の旨の記載あり。就任時年齢は35歳5-6ヶ月。1956年に新設合併しているので任期は2期。
香美郡岩村
塩井 一
1911(M44).12.?生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)に1950(S25).11より第17代岩村長の旨の記載あり。就任時年齢は38歳10-11ヶ月で1期。
長岡郡三和村
徳永 安雄
1918(T7).3.18生まれ。
高知年鑑(昭和31年版)で1955(S30).7.22の村長選挙で当選の記載あり。高知年鑑(昭和30年版)以前では村長ではなく、三和村は1956年新設合併で香長村になっている。1955.7.22?-1956.9の1期。就任時年齢は37歳4ヶ月。
長岡郡久礼田村
徳橋 一郎
1918(T7).8.12生まれ。
高知年鑑(昭和32年版)より久礼田村長。昭和31年版以前では村長ではない。久礼田村は1956年に新設合併で後免町になっているので任期は1955.8以降-1956.9の1期。就任時年齢は37歳?ヶ月。
安芸郡安田町
平山 公敬(ひらやま? ただゆき)
1923(T12).11.17生まれ。
高知年鑑(昭和33年版)より安田町長(選挙日1957(S32).5.24)。昭和32年版以前では町長ではない。就任時年齢は33歳5-6ヶ月。
幡多郡佐賀町
浜田 太水(
はまだ? ふとみ)
1920(T9).11.22生まれ※昭和32年版では明治9年生まれになっているが年齢的に誤植だろうと判断。
高知年鑑(昭和32年版)より佐賀町長。昭和31年版以前は町長ではない。就任日は1955.8-1956.7の間で就任時年齢は34歳8ヶ月-35歳8ヶ月。
高岡郡宇佐町
明神 徳夫
1917(T6).11.25生まれ。
高知年鑑(昭和34年版)で1957(S32).8.2の町長選挙で当選の記載あり。昭和33年版以前は町長ではなく、宇佐町は1958.4.1に新設合併で高岡町になっている。1957.8.?-1958.3の1期で、就任時年齢は39歳8-9ヶ月。
香美郡土佐山田町
町田 守正
1923(T12).1.16生まれ。
高知年鑑(昭和35年版)より土佐山田町長。昭和34年版以前は町長ではない。昭和35年版の主要年表に土佐山田町長選挙の記載が無いため、
統一地方選挙で実施されたとすれば、就任日は1959.4.30で就任時年齢は36歳3ヶ月。
香美郡物部村
公文 包治(くもん? かねぢ)
1921(T10).12.20生まれ。
高知年鑑(昭和35年版)より物部村長。昭和34年版以前は村長ではない。昭和35年版の主要年表に物部村長選挙の記載がないため、
統一地方選挙で実施されたとすれば、就任日は1959.4.30で就任時年齢は37歳4ヶ月。
高岡郡佐川町
和田 憲夫(わだ? のりお)
1924(T13).1.29生まれ。
高知年鑑(昭和35年版)より佐川町長。昭和34年版以前は町長ではない。選挙日は
1959.3.28で前任の邑田氏の就任(1957年)から4年経っていないので選挙日就任と考えると、就任時年齢は35歳1ヶ月。
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【香川県】
綾歌郡美合村/仲多度郡琴南村/琴南町
西内 徹
香川年鑑(昭和29年版)や
香川年鑑(昭和37年版)では、生年月日はT13.11.28に見えます。(8と3の違いなので印刷の問題?)
また、
香川年鑑(昭和37年版)で、1960.9.30の選挙で琴南村長に当選した旨の記載があります。(合併後の1956~1960までは別の方が村長)※琴南村は1962.4.1に町制施行。
以降、四国年鑑(昭和52年版)まで村長/町長でした。おそらく1976.10に4期の任期満了で交代したと思われます。なお、名前の漢字ですが
四国年鑑だと「撤」(「ぎょうにんべん」ではなく「てへん」)で資料や年度によって表記揺れがありました。
大川郡多和村
前田 春樹
香川年鑑(昭和30年版)で、多和村は1953.12.5に任期満了選挙を行っているので、就任日は1949.12-1950.1と推定されます。
四国年鑑(昭和28年版)(1953年3月以前発行)でも村長かつ、1953年12月に無投票当選ですので、期数は2と思われます。
綾歌郡岡田村
楠原 玉城
香川年鑑(昭和30年版)で、岡田村は1954.3.25に任期満了選挙を行っています。
自治年鑑で1947.4時点の村長ではないので、1950.3-4就任の可能性が高そうです。また1954年の選挙で当選していないので期数は1と思われます。
大川郡大内町
中条 要
香川年鑑(昭和30年版)で、1954.5.1に(合併に伴う大内町長選挙に)無投票当選の記載がありますので、大内町(旧)の就任日は1954.5.1でよさそうです。また、
香川年鑑(昭和33年版)では読みは「ちゅうじょう かなめ」です。
香川郡由佐村
加藤 卓治
香川年鑑(昭和30年版)でも村長ですから、期数は2期の可能性が高そうです。統一地方選挙(1955)~合併(1956)をカバーする年鑑がないので退任日が不明ですが、
Wikiで村長が穴吹巌氏になってますので(出典はWeb閲覧できない1956年の香川年鑑)、1955年以前には退任していた可能性が高いです。
坂出市
鎌田 正光
読みは「かまだ まさみつ」です。
香川年鑑(昭和33年版)
三豊郡観音寺町
西原 理一
読みは「にしはら りいち」です。
香川年鑑(昭和33年版)
大川郡津田町
吾妻 光春
香川年鑑(昭和33年版)でも町長ですから、就任年は1960年より前、4年前の津田町成立から(1956.9~)の可能性が高そうです。また、任期は連続していません。
四国年鑑(昭和45年版)で、1968.9.22の選挙で別の方(長井氏)が当選しており、その後四国年鑑(昭和52年版)まで町長でした。吾妻氏は
四国年鑑(昭和53年版)より町長に復活しており、1976年の9月ごろの選挙結果が四国年鑑上で確認できないので推測になりますが、1976年9月に任期満了で交代したと思われます。
[93995]むっくんさんの
#8回目の当選日の1988(S63).9.20より就任日を推測。
が正しいのであれば、就任は旧・津田町の時1956年以前まで遡る可能性もあります。現状分かっている範囲では、任期は1956.9-1968.9の就任後3期、1976.9再任後に4-5期になります。(他に倣うなら後半の任期は注釈記載)
綾歌郡山内村/綾歌郡国分寺町
平尾 定三
読みは「ひらお さだみ」です。
香川年鑑(昭和39年版)。
また同年鑑から
国分寺町長です。国分寺町は1955.3.20新設ですのでおそらく任期満了での交代で就任は1963(S38).3-4と考えられます。
大川郡長尾町
小西 欣彌
香川年鑑(昭和40年版)で1964年時点の町長ではなく、以降四国年鑑(昭和54年版)まで町長であった記録はありませんでした。
以前
戦後30年間町長であった、とのことなので最低通算8期です。
と情報提供しましたが齟齬がありそうでした。香川年鑑(昭和39年版)までは町長であることを確認できましたので、確定情報としては、1956.9~1964?までの2期とした方がよさそうです。
【愛媛県】
越智郡富田村
砂原 鶴松
四国年鑑(昭和28年版)にて既に村長ではありませんので、期数は1の可能性が高いです(最大でも2)。
【高知県】
長岡郡吉野村/本山町
川村 英雄
1907(M40).11.29生まれ。
また、
本山町勢要覧より、1955(S30).5.21-1961(S36).7.31の2期、本山町長も務めています。
香美郡西川村
三浦 不可止
1915(T4).1.1生まれ。
また、
[109348]むっくんさんで、
高知年鑑(1949年版)を出典に
1949(S24).1.31と1952(S27).8.1で村長
と記載がありますが、1949年版で村長は水田氏です(三浦氏は収入役)。
高知年鑑(昭和28年版)では確かに村長ですが、合わせて「西川村長選挙(27・4)」の記載もあります。
自治年鑑で1947.4時点の西川村長が水田氏ではない(猪原氏)ので、昭和27年4月の選挙を任期満了選挙だとして、1947-1948.4(猪原氏)、1948.4-1952.4(水田氏)、1952.4-(三浦氏)とみるのが自然に思えます。少なくとも就任日は1947-1949ではなく1949年以降だと思いますし、私としては1952.4就任で任期は1期、就任時年齢は37歳3ヶ月とするのが自然ではないか、と考えます。
長岡郡大津村
徳弘 勝
1912(M45).6.15生まれ
長岡郡西豊永村
都築 良宏
1909(M42).10.7生まれ
吾川郡小川村
岡林 定
1916(T5).3.21生まれ
香美郡上韮生村
横山 明義
1919(T8).3.7生まれ。
また、
高知年鑑(昭和31年版)に1951(S26).5より第14代上韮生村長(かつ1955年の選挙で当選)の旨の記載があります。1956年に新設合併しているので、任期は2期で確定です。
吾川郡仁西村
矢野 景郎
1924(T13).6.10生まれで、読みは「やの? けいろう」。
幡多郡津大村/西土佐村
三石 重行
1915(T4).7.24生まれ。
また、
高知年鑑(昭和34年版)より1958.4.1新設合併後の西土佐村長でもあります(退任年は未調査)。選挙日は
1958(S33).4.16
吾川郡春野村
中嶋 精一郎
春野村新設に伴う村長選挙日(当選日)は
1956(S31).10.31のようです。